プロローグ
張り付いた笑顔にからっぽの言葉。
周りの大人達の醜悪な本心を、子供ながらに感じ初めていた頃。
私は彼に出会いました。
「お嬢様ー!?アルフェッカお嬢様!!?」
午後の日差しが差し込む書斎。
廊下から聞こえる声が遠くなるのを確認して机の下から這い出した。
ああ、もうこんな時間でしたのね。家庭教師に見つからないように慌てて消したホログラムデータを再び開く。拡大した宇宙船の図面だ。製品番号はCRー2000Bシリーズ。我がクラウン造船の10年前の型になる。
「この頃のボートは軍事用のものがほとんどで砲撃台を備えた大きなものが多い・・・と。」
ノートに図面から読み取れる製品の特徴を書き込んでいく。最初は分からなかった専門用語も、辞書や宇宙船辞典を引きながら調べるうちに理解できるようになった。
「お嬢様!!」
再び遠くで家庭教師の呼ぶ声が聞こえる。
はぁ。今日はここまでですわね。ホログラムを消してデータカードを元の書棚に戻す。
ノートとペンを入れたショルダーバッグを方に掛けてバルコニーに出ると、すぐ側まで葉を伸ばした広葉樹の枝に手を伸ばした。風に乗って揺れた枝をタイミング良く掴み、するすると木を伝って庭園に降りる。バルコニーを見上げてため息を一つ。
「今度の家庭教師もそろそろ音を上げる頃かしらね」
素早く屋敷の裏手に周り、裏門を抜ける。屋敷から駆け足で10分程下ると、れんが造りの町並みが広がっている。古き良き時代の遺産を守る趣旨の条例で保護されているこの町並みをお父様がいたく気に入り、私がまだ乳児の頃、我がクラウン家はこの惑星に移り住んだ。
同じくらいの歳の子供達が、小型ロボットのペアを従えて広場で遊んでいた。大きなロープを回す中を、順々に飛び越えていく遊びだ。が、その中の一人が私に気付き、隣の子を肘でつついた。その表情が一瞬曇ったのに気付かないふりをして笑顔で駆け寄る。
「みなさんごきげんよう」
「アルフェッカちゃん、こんにちわ!」
大人と同じ様に張り付けた笑顔でそう話し掛けてくる。いつの間にかロープは止まっていた。
「あ、アルフェッカちゃんも一緒に遊ばない?」
「ちょ、ダメだよ。お嬢様がいたら縄跳びできないじゃん」
「そうだよ。ケガしたりしたらあたし達のせいになっちゃうよ!!」
本人達は小声のつもりだろうけれど、そのやり取りは私の耳にもしっかりと届いた。
「いいえ、わたくしはここに座って見物させて頂きますわ」
そう言って遠慮してみせると、今度は無言でアイコンタクトを取り始めた。
「・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・あっ!もうこんな時間だ!!あたし帰らなきゃ!!」
「あっ、ホントだ!怒られちゃう!!」
「あー、あたしも!またね、アルフェッカちゃん!!」
一人二人と走り出し、ぽつりと取り残されてしまった。
まあ、慣れたものですけれど。
私がいる時はケガをしそうな遊びはしてはいけない、と彼女達は教えられているようだった。
彼女達やご両親の気持ちも分かりますもの。これは、仕方の無い事。
広場の噴水に腰掛け、持っていたタブレットでお気に入りの物語を読む。それはおとぎの国のお姫様の話。悪い魔法使いに呪いをかけられながらも、王子様に救われ最後はハッピーエンド。
私はこの物語の姫君に親近感を持っていた。きらびやかなドレスに身を包み不自由無く育てられたお姫様。
「きっと、いつか私にも物語の主人公のように劇的な出来事が起こるんだわ」
物語に引き込まれ、いつの間にか日が暮れていた。
真っ赤に染まる夕空を見上げ、ゆっくりと立ち上がる。
「帰らなきゃ」
温かい町の家々の光を背に、重い足取りで屋敷への坂道を上った。
「それでね、お父様、お母様。今日はピアノのレッスンで褒められたのよ!」
カチャカチャと食器を動かす音と共に、明るい声が食堂に響き渡る。この声の主はエミリア。笑顔が可愛らしく素直な二つ下の妹。ピアノもダンスも得意で女の子らしい。クラウン家理想の娘。いつも厳しい顔をしている父も、にこやかに会話に応じている。
「・・・・・・ところで、アルフェッカ」
身体が強ばるのを感じながらも、笑顔を取り繕う。
「はい、お父様」
「ここのところレッスンの時間になると姿が見えないと聞いているが、本当か?」
「それは・・・・・・」
ああ、あの家庭教師。とうとう痺れを切らしたのか。
「お、お姉様は、もっと高等な学習をしたいと一人で学習していらっしゃるのよ。私も見習わないといけませんわね」
エミリアが割って入る。
本当に余計なお世話。お父様は私たちに高度な教養など望んでいないのが分からないのかしら。クラウン家に必要なのはクラウン造船を担う優秀な婿養子であって、無駄に教養を身につけた男性に敬遠される娘ではないのよ。
「そうなのか?アルフェッカ。ならばもう少し高レベルの家庭教師を手配しよう」
やめて。
「アルフェッカは優秀だものね。私もそれがいいと思うわ」
母も笑顔で同調する。少しもそんな事思っていないくせに。
「お姉様は難しい書物もすらすら読むんですのよ。今度私でも読めそうなものを選んでほしいわ。ねえ、おね・・・」
「もう、やめて!!」
堪えきれずテーブルを叩いて立ち上がった。
突然の事に驚いた三人は、時間が止まったように動かない。
「もう・・・・・・やめて下さい」
そう呟き、滲む視界の中呆然とする三人を残して足早に食堂を出た。しばらく歩くと、お父様の書斎の前を通りかかった。物心ついた頃から、私はこの部屋の虜だった。
何百、何千の宇宙船の資料。果てしない宇宙に関するデータ。そして経営や戦術のカード。ピアノやダンスや社交界よりも、ずっとずっと面白くて。お父様が留守の日は毎日のようにこの部屋に通った。
いつか私も、お父様の右腕としてクラウン造船を支えていけたら。いつしかそう思うようになっていた。私にとっての白馬の王子様はこの書斎なのだと。
それが勘違いだと気づいたのもこの部屋でだった。あれはもう1年ほど前だろうか。いつものように書斎にやってくると、机の上に一枚のデータカードがあった。お父様は綺麗好きで机上にものを置いたままにしている事などほとんど無かったから、私は自然とその中身が気になった。開いてみるとそこには、有名企業の御曹司や君主制を敷く惑星の王子のプロフィールが並んでいた。
一体何だろうと思い眺めていると、そこに赤く書き加えられた文字があるものを見つけた。「経営の手腕高い。アルフェッカ候補」と。
自分の名前を見つけてドキリとする。候補?候補ってまさか。データを操る手が震えていた。
その後どうしたのかは良く覚えていないが、その日からしばらくは書斎に近づかずにいた。ようやく決心して再び訪れた時にはもうそのデータは見つける事ができず、両親からも何も言われずに時が流れたため、それについて考えることもなくなっていった。
でも、私の知らないところで話は動いていたのだ。つい一ヶ月前の私の誕生日パーティーで紹介された大勢の人たちの中に、あの候補者がいた。私よりも10も年上だというその青年は、大手の武器製造メーカーの御曹司で、10代のうちから経営に参入していたのだという。私への態度は優しく柔らかで、目上の人とも対等に渡り合える知識と度胸を持っていた。ルックスは絵本から飛び出した王子様かと思うほど整っていて、私から見てもクラウン家の婿養子として申し分ないように思えた。その笑顔の下で何を考えているのかは分からなかったけれど。
私が例えば素直で可愛らしい童話の中のヒロインだったのなら、一目会って恋に落ちる・・・なんていう展開もあったのかもしれない。けれど、私に芽生えたのは恋心ではなく嫉妬心だった。父と並んで事業の話をする彼の姿が、どれだけ羨ましかったか。
それから私は、それまで以上に勉強に打ち込んだ。宇宙工学に経営学、戦術論や心理学まで。クラウン造船に必要だと思うものは全て。ダンスやピアノのレッスンの時間も当て込んで。
でも。だけれども。私に求められているのはそんな事ではない。
それが分かっていながら、自分のやりたい事を、自分の気持ちを、打ち明けられる程私は強くも、ワガママにすらなれずにいる。
屋敷にも、町にも、私の居場所などどこにも無いんだわ。
気付いた時には屋敷の外に足が向いていた。頬を伝う涙を拭いもせず、闇雲に歩みを進める。
人気の無い崖の上に出た所だった。ざわざわと木々を揺らす音に恐怖を感じて振り返る。
数人の人影。
誰か!!誰か!!
上手く声を出す事ができずにしゃがみ込む。
口と鼻を布のような物で覆われると、辺りの景色がゆらいだ。