表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
77/83

第76話 彩り



「いやー、ごめんね那奈、学校帰りで疲れてるところを無理にお願いしちゃってね」



お姉の試合を観戦した翌日の月曜日、休む間もなく今日の私は学校の放課後に駅でいづみさんと待ち合わせ、翼の父親の新作さんのお見舞いに付き合わさせる羽目になった。お見舞い品やら何やら荷物を持っていくのに一人じゃしんどいから手伝ってくれとの事。

一体何なのここ一ヶ月ぐらいの私の多忙さは? 父さんに母さんにお姉、そして挙げ句にはいづみさんにまで、最近どうも家族にいいようにこき使われてるような気がする。私は渡瀬家のメイドか執事かそれとも使用人か? 少しは本職である学業に専念させて下さいよ。つーか、本音は部屋に籠もってダラダラしてたいだけなんだけどね。



「本当はさ、普段から何もしないで暇してる優歌でも捕まえて、いつも家事をサボってる代償として手伝わせてやろうかなー? なんて思ってたんだけど、いくら無傷の圧勝だったとはいえ昨日今日殴る蹴るやってきたばかりじゃん? 実際、当の本人も昨夜の祝勝会でベロベロに酔い潰れて未だに爆睡してるみたいだしさ、他を当たろうにも虎太郎も麗奈も相変わらず全然連絡がつかないし、唯一頼りになりそうな翔太もダメ、あと頼めそうな人間は那奈ぐらいしかいなかったのよ、勉強で忙しいのに無理言ってに頼んじゃって、いやいや悪いねホントにごめんねぇ?」


「……いや、先週から色んな人に散々振り回されまくっててこんなの慣れっこですから、別に今更いづみさんのお願いくらい何とも……」


「そう言って貰えるとスゴい助かるなー、でもさ、そんな聞き分けの良い事言ってる割には物凄い不快そうな表情に見えるんだけど、それは私の気のせいかな? それとも、血の繋がった実の家族のお願いは聞けても、小言ばかりの鬱陶しい居候のお願いを聞くのはやっぱりご不満?」


「またまたー、そんなひねくれたご冗談を、そう言ういづみさんだって『ごめんねぇ』なんて謝っている割には、その意地悪そうな満面の笑顔から全然悪気が感じられないですけどね」


「あ、バレた? うん、ごめんね、本当はぜ~んぜん悪いだなんて微塵も思ってないんだよね、実際は『どうせろくに勉強もしないで部屋でゴロゴロしてるだけなんだから少しは手伝え』ってところが本音かな? 那奈も随分本音と建前を見抜けるようになったみたいだね、ちょっと関心したわ」


「ええ、これも日々の将来の姑を名乗るひねくれオバサンからの『花嫁修行』と言う名の陰険なイジメの数々に耐えてきた賜物です、この前学校から帰ってきていきなり洗濯物10キロの山を押しつけられた時は、『マジでこのババア思いっ切り蹴っ飛ばしてやろうか』って本気で思っちゃいました」


「あっそぉ、そうなんだ、いっそ蹴っ飛ばしにきてくれたら三倍にしてぶっ飛ばし返してあげたのにー? もうかれこれ長い付き合いなんだからさ、私達の間に変な遠慮なんて無用だよ? 次からは容赦なく蹴っ飛ばしてきなさいよ、こっちも容赦なく叩き潰してどちらか上か嫌って程思い知らせてやるから」


「それは楽しみですね、じゃあ次からはこれまでの積年の恨みも兼ねて思いっ切り蹴り飛ばさせて戴きます」


「はいはい、前からでも後ろからでも闇討ちでもいつでもいらっしゃい、現役の空手少女の蹴りがどれほどのものなのか見極めてやるわよ、どうやらこれからも那奈とは仲良くやっていけそうね」


「そうですね、これからも末永く宜しくお願いします」


「アハハハハ」


「アハハハハ」



……マジでやってやるから覚えとけよ、このヤロー。学生だって毎日学校通って疲れてヘトヘトなんだぞ。そこへもって家に帰りゃあ怪獣みたいな家族に囲まれて無茶苦茶な事言われて右往左往させられて……。昔はそんな私に同情して色々と助けてくれていたのに、最近は助けの手を差し伸べてくれるどころか崖の縁から奈落の底へ蹴り落とそうと虎視眈々と狙ってる優しい『第二のお母様』。家庭内唯一の常識人で、話がわかる唯一の味方だと思ってたけど、どうも勘違いしてたみたいだ。

私が翔太と本格的に交際を始めたと知った途端、急に監視の目が厳しくなった。ちょっとでも部屋で寛いでいると家事を押し付けてくるわ、言われた通りに仕事をこなせばその出来にいちいちケチをつけてくるわ……。そして私は理解した。この人、私の生涯一番の敵になる人だ! しかも根は常識人だから父さん母さんなんかより尚更質が悪い! 陰険過ぎる、明らかに悪意を持ってやってる、明らかに私を陥れようと企んでいる!

そんなに自分の息子に寄りついてくる女が憎たらしいか!? どこの骨かわからない見ず知らずの女ならともかく、赤ん坊の頃から良く知っている自分の娘みたいな女にまでそこまでするか普通!? これはきっと、これまで私の両親がいづみさんに対して与えてきたストレスが溜まりに溜まって蓄積したものが今、その娘である私に向かって発散されているに違いない。因果応報ってヤツなのか。つくづく自分が生まれ持ってしまった宿命を憎む。子供は親を選べないからねぇ。

つーか、もしかしたらいづみさんはこの瞬間をずっと待ち望んでいたんじゃなかろうか。いつか私と翔太がそういう仲になったら徹底的にイジメぬいてやろう……、とか。あー嫌だ嫌だ、女って歳を取ると誰もがこんな腹黒い意地悪な性格になるのかな? 私はならないよ、将来は優しいお婆ちゃんになるんだ、絶対にいづみさんや母さんみたいな人間にはならない! そして、どんなイジメに対しても絶対に負けない!



「ねーねー翼、何か那奈といづみ叔母さんがスゴく怖いよー? 二人とも顔はニコニコしてるのに目が全然笑ってないよー?」


「あのなぁお二人さん、嫁姑争いするんはどうせウチらからすりゃ人ん家の話やから別に勝手やけどな、電車の座席の間に無関係の人間挟んで火花バチバチさせんのは勘弁して貰えんやろか? こっちまで感電して丸焦げになりそうやわ、やるんやったら隣同士に座って気が済むまで永遠にやっとれっちゅうねん」



あっ、そうそう。お見舞いに向かっているのは私といづみさんだけではなくて、見舞われる家族側代表として翼と、なぜか小夜まで一緒についてきた。翼がついてくるのは新作さん絡みなら当然、と言うかこのおチビちゃんの許可を取らないと後から『不法侵入』だの『アポ無し取材禁止』だのギャーギャーうるさいので仕方がないのだが、小夜は『真っ直ぐ家に帰れ』って言ってんのにしつこくしがみつかれて半ば強制的に連れて行く事となった。どこかに遊びに行くとでも勘違いしてるのかね? この子を病院に連れて行くのは不安なんだよなー、どこの病院でも毎度毎度迷惑かけて出入り禁止になっちゃってるし。



「でもー、どうしていづみ叔母さんが翼のお父さんのお見舞いに行くのー? 叔母さんと翼のお父さんって昔からのお友達なのー?」


「あれ、小夜は知らなかったっけ? 私と新作、それと虎太郎とアンタのお父さんの啓介とは高校が一緒だったんだよ、私が虎太郎と連んで色々悪さしてた時からいつもアイツの側には啓介と新作がいたからね、嫌でも毎日顔合わせてたのよ、だから友達って言うか、何だろな、腐れ縁ってところなのかな?」


「悪さ? えー! じゃあおとーさんも若い頃は、バリバリのツッパリハイスクールで朝も早よからポマードべったりの無敵のロッケンローラーだったのー!?」


「……何で小夜がアラジン知ってんの? アンタ、まだ生まれてないよね? まぁいいわ、確かにロッケンロールは合ってるけど啓介はツッパリじゃないわよ、不良じみた事やらかして警察の世話になっていたのは私と虎太郎だけで、あの二人はどんな悪い誘いにも一切乗らなかったっけ、そんな馬鹿な遊びよりも夢中になってた事があったからじゃないかな? 啓介はその頃からギターとロック一筋だったし、新作はいつもサッカーボールと女の子の尻ばっかり追いかけてたっけね」


「……うへぇ、その頃のオトンの姿、あんま想像したないわぁ……、男子も高校生の時期いうたら頭ん中スケベな事ばっかりやろうしなぁ、今以上に鼻の下伸ばしてあちこちの女に手ぇ出してたんやろなぁ……?」


「心配しなくていいわよ翼、アイツ、四十越えた今も大して変わってないし、昔からあんな感じで頭の中十割スケベのおっぱい星人だったから」


「うわああああぁぁぁぁ!!!! オトンのカッコええイメージがガラガラと音を立てて壊れていくぅぅぅぅ!! ウチの脳裏の爽やかスポーツマンのオトンの記憶が全て、エロ変態おっぱい教祖のスケベ親父のニヤケ顔に変わっていくぅぅぅぅ!!」


「他の乗客がいるのに車内でエロとか変態とかデッカい声で叫ぶな! 周りから変な目で見られるでしょ、いい加減にしてよ本当に!!」


「何を偉そうに、今、那奈もデカい声でエロとか変態とか色々言うたやないか」


「あー言っちゃったねそういえば、今、エロって言っちゃったね、ってやかましいわコラ!


「ななは のりつっこみを おぼえた! しかしエラくショボくてつまらんノリ突っ込みやな、せやからオマエは終始イジられるしか笑いが取れへんダメダメキャラやねん」


「うるさいうるさいうるさーい! 翼、今から五分黙ってろ!」


「コメディー作品で笑いが取れないって致命的だよねー、那奈も真面目キャラやめて『シェー』とか『クエッ』とか『死刑!』とか一発ギャグやる面白キャラになれば良いのにー?」


「だから何でアンタはそんな古いギャグまで知ってんの? 私までアンタ達みたいなボケキャラになったらアッチもコッチもボケばっかりで場の収拾がつかなくなるでしょ!? 第一、小夜にまでいちいちキャラにダメ出しされたくないよ、アンタも五分黙ってろ!!」



……失敗、やるんじゃなかった。翼の言う通りやっぱり私にはこういうキャラ属性は備わってないらしい。この場に千夏がいなくて良かった。アイツがいたらきっと翌日には学校全体にこの話が広まって全校生徒から白い目で見られていただろうなぁ。後で翼にしっかり口止めしないと、お姉直伝のパイプ椅子ショックで記憶回路をちょこっといじくっとけば大丈夫かな?



「……ところで、翼は千夏と一緒じゃなかったの? 私、放課後からアイツの姿見てないんだけど……?」


「♪異人さんに連れられて行っちゃった~♪」


「……またあの青い目の陸上部顧問さんか、災難だね、アイツも……」


「最近は砲丸投げの砲丸が囚人が付けてる逃亡防止の足かせに見えてきたらしいで、アイツ、いつか陸上ノイローゼで発狂して人様向かって槍投げてしまうんとちゃうかな」


「槍投げだけに人生も投げやりー! みたいなー!」


「笑いのセンスは那奈より小夜の方が幾分上みたいやな、こんなアホの子にまで負けとるなんてどんだけ頭の固い女やねん、空手やり過ぎて脳味噌までカチカチの筋肉になってしもたんとちゃうかオマエは?」


「余計なお世話だっつーの! 五分黙ってろって言ったでしょ、いい加減にしないと次は脳天に踵落とし食らわせて更に身長縮めちゃうぞ!?」


「黙れ言うといて即座に話しかけてきたんはオマエの方やろがボケェ!」



……んで、話は変わりますがいづみさんの過去と父さん啓介さん新作さんのズッコケ三人衆との馴れ初めをしばし説明させて戴きます。


いづみさんは高校時代、早くして病気で亡くなった母親の一件で当時大手レコード会社の社長さんだった父親との確執があり、実家を飛び出して伊豆地方に住んでいた親戚の叔母の元へと身を寄せていたそうだ。実の父親との間に確執が生まれてしまった原因、それは病床に伏せる母親の看病や見舞いはおろか、最期の瞬間ですらその父親が病室に姿を見せなかった事が許せなかったから。建前上の理由としては仕事で多忙だったとの事だが、どうもその裏には別の女性の存在がチラチラと見え隠れしていたとか……。

当時まだ中学三年生、純粋無垢で汚れを知らない正義感の強い少女だったいづみさんは、その事実を知ると猛烈に父親を批判し軽蔑して、姉のあづみさんを残してほぼ絶縁に近い状態で家出をした。そして、高校に入るや真面目で人一倍元気と世間で評判の良かった中学時代が嘘の様に非行に走りグレてしまった。相手が男だろうと女だろうと関係なく毎日喧嘩に明け暮れ、一年足らずであのお姉さえも一目置く程の関東随一の女番長に成り上がっていったそうだ。そんな折り、ほとんど必然とばかりに同じ高校に属する真の男喧嘩番長だった私の父・虎太郎と出会った。

最初の頃こそ目が合っただけで一触即発的な対立関係だったそうだが、互いに良く似た大雑把な性格だった事からいつしか意気投合し、一緒に連んでは乱闘騒ぎを起こして警察沙汰になったり、人様のバイクを盗んでは無免許で夜な夜な暴走行為を繰り返していたらしい。しかしこの時期に色々とバイクに携わっていた経験や知識が、その後父さんと共に母さんの父親であり私の祖父・滝沢一義に見出され、祖父の跡を継いだ母さん率いるワークスチームのピットクルーの一員となり、父さんを世界王者に押し上げる原動力になり、後に結婚する貴之さんと出逢うきっかけになるんだから人生わかったもんじゃない。

自暴自棄になり他人に迷惑をかけ続けた学生時代、しかし、そんないづみさんもいつしか心配する叔母からの説得や自分より辛い幼少期を送ってきたはずなのに健気に生きる父さんや啓介さん、新作さん達の姿を見続けていく内に次第と自分の立場の有り難みとこれまでの己の行為の過ちに気づき、高校生最後の頃はすっかり改心し、父さんも一緒に更正させようと陰ながら努力をしたり、啓介さんの音楽界へのプロデビューの手伝いで会いたくもなかった父親にわざわざ頭を下げて契約を懇願したり、病気になって夢半ばでサッカーの道を絶ち絶望する新作さんを一生懸命励ましてあげてたりしていたという。

腐れ縁なんて言ってるけど、そんな事はない。本当はみんなと強い友情で結ばれていて、そういった巡り合わせをとても大切にする人、それが『風間いづみ』と言う女性なのだ。と、生前貴之さんはまだ小さい私に熱く語っていたのを良く覚えている。そこに惚れたのだと、こんな逞しく心が澄み渡っている女性は、世界広しと言えども彼女一人しかいなかった、とまで。



「あ、そういえばさっきお米研いだのに電気釜のスイッチ入れるの忘れちゃった」


「えっー、本当に? それマズいよいづみさん、お姉が目を覚ましたら『飯マダー? チンチン☆』って箸鳴らしてまたうるさいよ?」


「参ったなぁ、しょうがないから那奈、今から反対側の電車に飛び乗って家に帰ってスイッチ入れてきてくれる?」


「……窓開けて飛び移れと仰られますか?」


「ほらほら、今丁度電車すれ違うからさ、一気にポーンって飛び移って運転席の窓にしがみつけば全然大丈夫」


「死んじゃうから! それ絶対死んじゃうから! ったく、貴之さんは一体この人のどこに優しさを感じたんだろうか……?」



……『慈愛の女神』とまで言ってたっけ、貴之さん。どんだけベタ惚れですか? あの人やけに他人を過大評価する人だったからどこまで本音か良くわからないんだよなぁ、父さんに対しては『俺の憧れのスーパーヒーローだ』なんて言ってたし。慈愛の女神様、ねぇ……。だったら私にももっと優しくしてよ、常に慈悲の御心ってヤツを与えて下さいよ、って話だよ、本当に。


いやね、誤解の無いように言っておくけどさ、いづみさん、普段はとても優しい人なんだよ? あの慈愛や慈悲の御心の欠片すら無い悪魔の様なお父様お母様お姉様三鬼神に比べたらそりゃー神様みたいな人でございますよ。ただね、同じ血を分けた姉であるはずの小夜の母親のあづみさんの御釈迦様みたいな穏やかな性格を見てるとさ、『本当にこの二人は実の姉妹なの?』ってマジで思ってしまう。私とお姉が似てないのは実の姉妹ではないからわかるけど、何で遺伝子一緒でこうも性格違うかなぁ?

あづみさん優しいもんなぁ、いつも小夜の事を可愛がって怒ってる姿なんて見た事ないもんなぁ。あの人こそ女神様だよ。あーあ、一度で良いから私も思いっ切り家族に甘えてみたい。ギュッて抱き締められたい。目に見える、肌で感じる温かい愛情表現が欲しいなぁ。いいなぁ小夜、ああいう母親憧れるな、羨ましい。ちょっと話を合わせるのはしんどそうだけど……。



「それより小夜、アンタ勝手についてくるのは良いけどちゃんと病院にお見舞いに行くって姉さんに連絡した? その辺しっかり伝えとかないとあの人、本気で小夜が誘拐されたって勘違いして警察に通報しちゃうかもしれないからさ」


「はーい、さっき電話して伝えておいたよー! えっとね、『叔母さんと一緒だよー!』って言ったから大丈夫ー!」


「……『オバサン』、だけ? 頭に『いづみ』ってつけた?」


「ううん、何でー? 叔母さんは叔母さんでしょー?」


「……そうじゃないのよあの人には、マズいなぁ、もしかしたら私、今頃警察から全国指名手配されてるかも、『オバサン』だけで誰の事言ってるのかわかる訳ないじゃんあの人が、絶対あの人の頭の中では『どこかの知らないオバサン』に変換されてるわよ……」


「……まさか、いくら何でもいづみさん、それは言い過ぎ……」


「アンタは何も知らないからそう言えんのよ那奈、あの人の思考回路は宇宙より謎だらけで神秘的でね、私が電話で『私、私、いづみだよ』って名乗ったって『どちらのいづみさんかしら~?』って返事が返ってくるくらいなんだから……」


「……うわぁ……」


「オカンがそんなんやったらそりゃこないアッパラパーな娘が生まれてくんのも当然の話やな、血は争えんっちゅうんは正にこの事やで」



……前言撤回。神様ってのは我々人類の常識を遥かに凌駕する思考回路を備えているみたいだ。やっぱりあの人の娘は小夜じゃないと務まらないね。それに異常なほど過保護だもんなぁ真中家は。ちょっと姿が見えない、連絡がつかない、ってだけでいちいち捜索願い出されたらこっちの身が保ちませんって。そういやあの一家、父親も娘を溺愛するあまりに軍隊の様な謎の自衛団を作っちゃったって父さんが言ってたっけ。愛情も度が過ぎると怖いよ。迂闊に外出すら出来ないじゃん。子育て方針が両極端過ぎだよ、渡瀬家と真中家は。同世代の女の子達にアンケート取ったら絶対『娘になりたくない一家』のワンツーフィニッシュ飾ると思う……。



「ホンマ、オマエらの家は昔からやる事なす事非常識で滅茶苦茶やなぁ? その点どうや、松本家は誰もが羨む幸せタップリの最高の家族環境やで? オトンはウチを心から愛してくれとるし、それでいて余計な束縛は一切せんし、でも遠くで陰ながら見守ってくれとる、オマエらのアホなオトンどもと違うて正に父親の鏡の様な世界一のオトンや!」


「でも、どスケベだけどね」


「じゃあかぁしいねん那奈! いちいち頭に『ど』つけんなや! それにな、スケベやったらウチのオトンよりオマエのオトンの方が質悪いぞ! エロい発言とエロい目線だけでセクハラする人間と、実際にお触りしてセクハラする人間を一緒にするなや!」


「大差ないだろ! どっちも立派なセクハラだ、バカモン!」


「でもー、翼の家族ってホント良いよねー! お父さんは色々遊びに連れて行ってくれてカッコいいしー、お母さんも頭良くて仕事出来てカッコいいしー、みータンも可愛くてカッコいいしー」


「……ウチには岬の何がカッコええのかようわからんけどな、まぁ、別にあんなクソ生意気なガキやオカンの事はどうでもええねん、ウチにはオトンさえおれば幸せいっぱい花満開やし」



相変わらずのファザコン振り、どうもありがとうございます。ここまでくるともう最早重病だね、翼のオトン好き好き病は。コイツ本当に将来、『父親と結婚したい』って本気で言い出しそう。つーか、普段から言ってたっけ。新作さんが入院する前は家で一緒にお風呂とか入ってたりしたのかな? うわー、想像するだけで気持ち悪い。うちの家族じゃ絶対に考えられない。私なんて同じ女でも頭の中が並みの男性より遥かにエロいお姉はもちろん、母さんとすら一緒にお風呂に入るの嫌だったのに……。



「……どうでも、いい?」


「……へっ?」


「母親なんてどうでもいい、とは聞き捨てならないねぇ翼、アンタさ、新作が病気で働けなくなった今、一体誰のお陰で毎日食にも困らず学校に行けると思ってる訳?」


「……はへっ? いや、ちょっと、何やねんな翔太のオカン、そない急に?」


「アンタさぁ、いつも口開けば『オトン、オトン』って新作の話ばかりしかしないけどさ、その新作の看病からアンタ達の育児や世話に孤軍奮闘して、それどころか他人の子供の教育の場までより良いものにしようと職場でも汗水垂らして頑張っている自分の母親の事も、もうちょっと自慢気に話したらどうなの?」


「……いや、オカンは、オカンは、なぁ……」


「って言うかさ、アンタは自分の母親が普段どんな仕事してるか知ってるの? 国家教育委員会の役員どころじゃないよ、あの子ユニセフの難民支援大使も兼任してんだよ? この国の子供達だけでな地球の裏側のく恵まれない貧困の国の子供達の事まで考えて、毎日国内のみならず世界各国津々浦々まで一生懸命走り回ってんだよ?」


「……ま、まぁ、それはウチも知っとるけどぉ……」


「それをね、『どうでもいい』なんていい加減な言われ方されたらさ、それじゃあの子のどんな努力も報われないよねー、その努力を一番わかって貰いたい存在のはずである実の娘がこんな思いやりの無い親不幸娘じゃさ」


「小夜、何かいづみさん、翼に話があるみたいだから席代わってあげな」


「はーい! じゃああたし、那奈の隣座るー!」


「オ、オイ待てやオマエら! ウチと翔太のオカンを隣同士にすな! 小夜、戻れやオマエ! 戻ってウチの盾になってくれや、ホンマ洒落ならんて!」


「那奈、小夜、気遣いサンキューね、昔から翼には言ってやりたい事が沢山あってさ、せっかくの良い機会だから今日は美香の代弁としてみっちり説教漬けにしてやるわよ」



いづみさんの容赦なき逞しい正義感、ついにチビッコ相手にも牙を剥く。ラッシュアワー前で若干空き気味の電車の車内、縦向きの長椅子に並んで腰掛ける私達の並び順は右から私・翼・小夜・いづみさんから、私の開けたスペースに小夜が移ってきた事から私・小夜・翼・いづみさんになった。間に挟まれて飛んでくる火の粉で丸焦げになるのは御免ですよ、後はお二人でごゆっくりどうぞ。



「いいかい翼? アンタが大好きな新作と一緒に居られるのも、アンタが毎日サッカーに夢中になっていられるのも、衣食住に困らず人並みな生活を過ごしていられているのも、全部アンタの母親、美香のお陰なんだよ! いくら以前新作が取材の仕事で得た知識や情報で書いた記事や著書で適度に収入ががあるとはいえ、普段の生活費やら医療費やら学費やらアンタのサッカークラブの月費まで全部面倒見てるのは美香なの! もしあの子がいなかったら新作だって今頃あれほど大きな病院で手厚い治療を受ける事が出来なかっただろうし、アンタだって家の家事やら岬の世話でとてもサッカーなんてやってられなかったんだよ!? 美香はアンタ達の為にまともな休みも取れずに寝る時間も惜しんで働き続けているのに、それをアンタ、『どうでもいい』って一体全体どの口が抜かしてんの!?」


「……いや、だってオカン、オトンに比べると滅茶苦茶しつけ厳しいしぃ……、アレやったらアカン、コレやったらアカン、お姉ちゃんらしくしっかりしなさいだの、サッカーだけやのうて勉強も頑張りなさいだの、口開きゃ小言ばかり並べていちいち嫌みったらしいわうっさいわしつこいわ……」


「それは全部、アンタの事を想って言ってるんでしょ!? アンタが間違った道を歩まないように、後々後悔して苦労しないように、全部アンタの将来を心配してわざわざ忠告してくれてるんじゃないの!? それを小言!? うるさい!? しつこい!? 馬鹿言ってんじゃないよ、娘に嫌がらせ目的で小言並べる母親がどこにいると思ってんの!? 何度も同じ事言われ続けるのは、アンタがそれらの忠告に対して努力を怠っているからなんじゃないの!? 無視して聞く耳持たないからなんじゃないの!?」


「……うぇっ……、でも、ウチかて勉強もちゃんとせなアカンな、と思て少しは頑張ってるつもりなんやけど……」


「『つもり』だから駄目なんだよ! アンタさ、今回は運良くサッカーのなんとか代表になれたかもしれないけどさ、これから将来死ぬまでサッカーだけで食っていけるって本気で思ってんの? そんなに日本の女子サッカー界って身振りが良い訳? 少なからず私はそんな話一度聞いた事無いよ、代表クラスの選手ですらみんな他に仕事やアルバイトやりながら何とか食い繋いでるって聞いてるけどね? 父親との約束なんだか良く知らないけど、アンタは何? サッカーばかりで勉強もろくにしないで、高校卒業したら大学にも行かないで現役引退した後は一生アルバイトでも続けていくつもり!?」


「……そない夢の無い話せんでもええやん、そない言われ方したら、ウチの人生お先真っ暗やないか……」


「それともさっさと結婚して専業主婦にでもなる? 養ってくれる相手、今から当てあるの? って言うかアンタが専業主婦になれるとはとてもじゃないけど私は思えないねぇ、一切家事の出来ない嫁を貰う羽目になる将来の旦那が今から不憫で仕方ないよ」


「……うぅっ、そないオカンと同じ事言わんでもええやないかい、第一、松本家の教育方針と翔太のオカン、全然関係あらへんやないか……」


「関係なくない!! 私はね、美香の一番の味方で一番の理解者なんだよ! 目に入れても痛くない可愛い妹みたいな存在なの! アンタがあのスケベ男を大切に想っているくらい、私にとって美香は小さい頃からの大切な親友なんだよ! その親友の娘が戯言抜かして母親をナメてかかっているだなんて、これは私に対する侮辱と同等だよ! いいかい翼、これからは美香を馬鹿にする事は、私に喧嘩売ってるのと同じ事だと思うんだね!!」


「えっ~!? そない殺生な~!?」



いづみさんがこれほど翼を怒るのには訳がある。今さっき本人も言ってたが、実はいづみさんと翼の母親の美香さんは物心ついた頃からの幼馴染で、保育園から中学の間までずっと一緒に過ごしてきた唯一無二の大親友なのだ。生まれ持って気丈な性格のいづみさんに人見知りでビクビクして内気だった美香さん。両極端な性格ながらなぜかとても仲が良かったそうだ。

美香さんがクラスの男子にイジメられるとその男子全員を素っ裸にして校庭に立たせ代わりに仕返ししてあげたり、うっかり尻尾を踏んで野良犬に追いかけられる美香さんを助ける為に組んず解れつ噛む噛まれるの大喧嘩をしたりと、今で言う私と小夜の様な関係だったそうだ。

少し違うのは、美香さんは昔から学問はとても優秀で、勉強が苦手だったいづみさんはいつも美香さんに色々教わって助けて貰っていたとか。つまり持ちつ持たれつの関係。どんな困難も二人の得意分野を駆使して協力しながら乗り越えてきたそうだ。実に羨ましい話だ。私におんぶにだっこの小夜とは少しどころか大分と違うかな。第一、私は男子を素っ裸にしたり犬に噛みついたりした事ないし。


で、そんな二人だからもちろん高校も一緒の学校に進学しようと約束をしていたそうなのだが、先程のいづみさんの過去の概略で話した通り、いづみさんは父親とのいざこざで実家を飛び出し伊豆の叔母の家へと引っ越してしまった為、結局二人は別々の高校へ進学する事になってしまった。

いづみさんは実家に残した姉のあづみさんに対してはそれ程心配はしてなかったそうだが、美香さんの事は非行に走っていた不良時代でも一時も忘れずに身を案じていたという。しかし、すっかり変わってしまった自分の姿を見られるのが怖くて、会いに行ったり連絡を取るのを躊躇してしまっていたそうだ。


二人が再会を果たしたのは高校を卒業した二年後の事、当時母さんの生家である祖父が経営していたバイクショップ兼修理場で父さん、貴之さんと共に店員として住み込みで働いていたいづみさん達の前に、高校時代の悪友の一人である眼鏡エロおっぱい男爵さんがひょっこり来店してきた。その目的は兄弟同然の関係である父さんに久し振りに会いにきたのと、サッカーを諦めて報道記者を目指す事にしたので大学入ったから一度キャンパス見学来ぇへんか、とお誘いの言葉を伝える為だった。

でも、真の目的はどうやら自分に滅茶苦茶可愛い彼女が出来た事を父さんに自慢したかっただけだったらしく、一生涯縁が無いと思っていた学問の園に足を踏み込み目を白黒させる父さん貴之さんいづみさんの三人の前に、そのエロ男爵さんは満面の笑みで一人のパッと見ガリ勉風で地味目な髪の長い綺麗な女性を連れてきた。その女性は、必要以上に人前に出る事を恥ずかしがり、最初はずっと彼の背中に隠れてビクビクと怯えていたそうだ。


そして、いづみさんは落胆した。あまりのショックに腰が抜けてしまったらしい。いづみさんは心の中で絶叫した。世界で一番大切で目に入れても痛くない可愛い自分の親友の彼氏が、もしかしたらあまりに人見知りで奥手で結婚すら出来ないかもしれないと心配していた彼女の初めて出来た恋人が、『よりによって、コイツ!? 悪い夢なら覚めてくれー!!』と……。


……そして、現在に至る。いづみさんの願いも虚しく、美香さんはその後紆余曲折の末にそのエロ男爵さんと結婚し、二人の間にはヘンテコ関西弁を話すおチビでペッタンコな親不孝長女と小学生の分際で異様に口が達者な悪ガキ次女の二人の子供に恵まれた。

いづみさんは語る。もしあの時、自分が実家に残り同じ高校に進学していれば、もしくは勇気を出して連絡を取って会いに行っていれば、美香さんに悪い虫が付かないように気遣ってあげていれば、こんな事にはならなかった筈だと、悔やんでも悔やみきれない、一生の不覚だと……。



「美香はね、元々はそんなにタフで強い人間じゃなかったんだよ! ちょっとした事でもすぐに風邪ひいて寝込んじゃったり、ちょっと精神的ショックを受けたりするとすぐヘコんじゃったりする弱い子だったんだ! それがさ、旦那が馬鹿でアホでスケベでエロ男爵だから、その間に生まれたアンタ達娘がそんなアッパラパーだから、あの子はどうしても強くならざるを得なくなっちまったんだよ! アッパラパーなのは小夜じゃなくてお前の方だよ翼! 昔は虫一匹すら可哀想で殺せない心の優しい女の子だったのに、そんな美香がガミガミと叱る厳しい母親になったのは間違いなく翼、お前がしっかりしてねぇからに決まってんだろうが!? お前が美香の力になってやらねぇから、文句ばかり言って足引っ張りやがるから、そりゃ美香だってストレス溜まってイライラするぐらい当然だろうが!? 違うのかゴラァ!!」


「……ううっ、すんまへんでした、仰る通りです、アッパラパーなウチが全部悪うございました、だからお願いや、そない眉間に青筋立ててガン飛ばさんといてぇなぁ……」


「ねーねー那奈、何かいづみ叔母さん変だよー? 段々言葉使いが優歌お姉ちゃんみたいになってきたよー? 翼泣きそうだよー、可哀想だよー!」


「……ヤバいなぁ、次第に若かれし女番長時代の『裏いづみさん』の顔が出始めてきちゃったみたいだね、これは何とかしないと翼の精神が崩壊しちゃうかもね、小夜、携帯持ってきてる?」


「うん、持ってるよー! でも、どうすんのー?」


「今すぐ家に電話かけて!」



もうこうなってしまったら私達の様な小娘があれこれしたって焼け石に水だ。煮えたぎる熱湯を冷ますには冷水を、鉄をも溶かす強烈な酸にはアルカリ性水溶液で中和するのが一番。プラスにはマイナスを、黒には白を、S極にはN極だ。今のいづみさんを止められるのはもう、あの人しかいない。



「大体なぁ、私はお前が新作の真似して変な関西弁喋ってんのも気に食わないんだよ! お前は新作の娘の前に美香の娘なんだから、もうちょっと可愛らしくおしとやかな喋り方を……! って、誰だこんな時に私の携帯に電話かけてくんのは!? チッ、めんどくせぇなぁ、あーもしもし、アンタ誰!?」


『もしもし~? いづみちゃ~ん? あなたのあづみお姉さんで~す!』


「……ハァ!? 姉さん!? な、何よ、どうしたの急に!?」


『いや~ん! いづみちゃんがそんな怖い声で誰だ! なんて言うなんて、お姉さんビックリしてもう泣いちゃいそう、悲しい、悲しいわ、うえ~ん』


「……あ、いやあの、ご、ごめんなさい、ちょっとイライラしてたからつい大声になっちゃって……」


『ダメよ~、そんなイライラして乱暴な言葉を使ったら、みんな怖がって逃げちゃうわよ、ってお姉さんいつも言ってるでしょ~? いづみちゃんはホントはとっても優しい子なんだから、いつも笑顔で明るく元気良く、私の大好きないづみちゃんでいて頂戴? でないとお姉さん、イジけちゃうんだから! も~う、そんないづみちゃんはイヤイヤイヤイヤ~ン!』


「……ハァ、あの……、ごめんなさい……」


『すぐにイライラしてイッー! ってなっちゃうところはいづみちゃんの悪いところよ~? また昔みたいにオイタしたら、お姉さん今度こそカンカンに怒っちゃうんだから! メッ! プンプン!』


「……はい、すいませんでした、以後注意します……」


『わかれば宜しいっ! やっぱりいづみちゃんはとっても聞き分けの良い優しい子ね、お姉さんの誇りだわ! じゃあね、また電話するからね、バイバイキ~ン!』


「……バイバイキーン……」



会話を終えピッと携帯を切ったいづみさんは両肩が脱臼したみたいにガックリとうなだれていた。姿を現し始めていた『裏いづみさん』のオーラは、すっかり電話越しのあづみさんによってエナジードレインされたみたいだ。脱力作戦成功。これでしばらくはいづみさんの怒りが沸点に達する事はないだろう。



「……あの人が相手じゃ怒ってられないって、まるで衝撃吸収体みたいにこっちの感情を丸呑みしてお花畑に変えちゃうんだもん、本当に昔から苦手だよ、姉さんだけは……」



それに、いづみさんをあまり興奮状態にしたくない訳が他にもある。今から数年前、いづみさんは夫の貴之さんがレース中の事故で命を落とすのを目の当たりにして、そのショックで重度の鬱状態になってしばらくの間精神科病棟に入院していた経歴があるのだ。現在こそ社会復帰出来る程様態も回復したが、未だに月一回の検診と毎晩寝る前の服薬は欠かす事が出来ないのだ。



「……那奈、小夜、アンタ達、仕込んだね……?」


「だって翼が可哀想だったんだもーん! ねー、那奈?」


「……ううっ、オマエらあんがとなぁ~、ウチ、ホンマにここで全裸になって土下座するか舌噛みきるしか許して貰えへんかと思うてメッチャ怖かったわ、やっぱり持つべきもんは友達やなぁ、ホンマにあんがとぉ~!」


「それにこれは、いづみさんの為を思っての事ですから、一時的の状態からはかなり病状も改善したとはいえ、まだいづみさんは投薬治療中の身なんですからね」


「……それもそうだね、まさか那奈にまで説教されちゃうとは、今回は完全に一本取られたかな? これだけしっかりしてれば今からでも、どこに嫁いでも良い嫁になれると思うよ、アンタは」


「最高の褒め言葉、ありがとうございます、今までの厳しい苦言の数々が嘘みたい、何か気持ち悪くて背中がむず痒いなぁ」


「チッ、可愛くないねぇ、そういうところはホント麗奈にそっくりだよ那奈は、こりゃあこの子も将来母親に劣らないヒドい鬼嫁になりそうだね」



確かにいづみさんはお姑さんみたいにいちいち小うるさい。でも、私は最近こうも思い始めている。いづみさんが私に対し家事や女性の礼儀に関して厳しく接するのは、もしかしたら父さんと母さんへの復讐なんかではなく、逆に恩返しをしようとしているからなのではないか、と。


貴之さんが突然の事故で亡くなり、いづみさんが心労で倒れた時、他に身寄りの無かった翔太を引き取ってあげたのは他でもない、二人の掛け替えの無い友人である父さんと母さんだ。そして二人は貴之さんの意志を継ぎプロのライダーを目指す翔太の為に、自らの家庭の事情をかなぐり捨ててまでもその夢の後押し役を買って出た。二人揃ってあの事故の現場に居ながらも、貴之さんを助けてあげられなかった罪滅ぼしも兼ねて。

でも、それによって渡瀬家は大きな代償を払う事になった。それによって私とお姉はほとんど両親が家にいない生活を余儀無くされ、ある時にはそれが原因でお姉がグレて非行に走ってしまった事もあった。私もあまり親の愛情を実感出来ない幼少期を過ごす事となり、他とは違う複雑な家庭環境に戸惑った時期もあった。


だからいづみさんは退院した後、翔太を連れて別の場所で暮らす選択肢を捨てて、私達渡瀬家と共に暮らしていく事を選んでくれたんじゃないんだろうか。自分の息子の面倒を見てくれる留守がちな友人夫婦の代わりに、私達の代理母として実の娘のように接し、私達の為に毎日家事に世話に仕事に勤しんでくれているんじゃないだろうか。

お姉に過去の自分の姿を重ねる事により、その痛みと苦しみを分かち合い、一番の理解者になろうと必死に努力していた姿を私は知っている。お姉もいづみさんの存在には随分助けられたと言っていたっけ。そして私には、自分達の様な難しい環境に置かれる妻や母親になっても困らないように、厳しくちょっと意地悪に、でも誠意を持って真っ直ぐ向き合って指導をしてくれてるんじゃないだろうか……。


薄々は感じていた。でも、やっぱりあれこれ小言を言われるのはどうしてもうるさくて、実の母親でもない人にまでいちいち世話を焼かれるのがうざったくて、最近どうもいづみさんを毛嫌いしてしまっていた感がある。間違ってた。今日確信した。さっきの翼に対するいづみさんの言葉。いづみさんは決して嫌がらせやストレス発散で苦言を零している訳じゃない。本当に心から、私達を心配して言ってくれているんだ、と。



『本当に優しい人でなければ、他人を叱る事は出来ない、なぜなら、人を叱るのはその相手の事を想ってなければ出来ない行為なのですから』



学校の朝礼で校長先生がそんな様な事を喋ってた記憶がある。確かにそうかもしれない。もし相手が情をかけてやる価値の無いどうでもいい存在なのならば、いちいち指導して道を正したりせず無視して勝手に落ちぶれていく様を傍観してれば良いだけなのだから。

大切な存在だからこそ手を差し伸べたい。見て見ぬ振りをして他人が堕落していく様を見逃す訳にはいかない。だから人は人に叱る。気づいていない間違いを正す為に、自分と同じ過ちを繰り返させない為に。憎しみや嫌みではなく、その言葉からでは読み取り難い、溢れ出る程の愛情を持って。



『……もしかしたら、私も翼と大差無かったのかもしれないな……』



感謝しなければいけなかったんだ。呆れられる事無く何度も何度も叱ってくれる事を有り難い事だと思わなきゃいけなかったんだ。うるさいとか、しつこいとか、意地悪だなんて非難するのは筋違いだった。いづみさんはいつも、私にありったけの優しさを与えてくれていたんだ。実の娘でもない、他人である私に対しても、実の親子の様に接してくれていたんだ。愛する人を失って、一番辛くて不安なのは自分のはずなのに……。



「でもね、もし風間家に嫁ぐつもりだったらそんなんじゃまだまだ修行が足らないよ、あんなヘタレ息子でも翔太は貴之が残してくれた掛け替えの無い忘れ形見、私にとって自分の命なんかより大切な宝物だからね、将来麗奈みたいな鬼嫁になってアイツを蔑ろにしてみな、その時は私は麗奈以上の鬼姑になってアンタを徹底的にイジメ抜いてやるからね」


「望むところです、これからご指導宜しくお願いします、お母さん」


「……あら、何なの急に目キラキラさせちゃって、随分と素直じゃん? さっきまでの反抗的な態度はどこへやら、しかも何よ『お母さん』って、翔太ならともかく那奈に言われると何か気持ち悪っ、うわっ、背中痒っ!」


「……ちょっと言ってみたかっただけてすよ、ったく、いづみさんも可愛くないなぁ、やっぱり言うんじゃなかった……」



やれやれ、嫁姑問題はどこの家庭でも面倒な話だなぁ。これからもずっと続いていくんだろうなぁ、私といづみさんとの本音と建前のやり取りは。そんな私達のやり取りを横目に、そんな気苦労などちっとも理解出来ないであろう頭の中と体の大きさがお子ちゃま二人が何やら余計な事を小声でヒソヒソ。



「……なぁ小夜、ウチ思うんやけど、この二人が頑張れば頑張る程、間に挟まれて一番迷惑被る人間ってやっぱり……」


「翔ちゃんだよねー、いつも那奈のお父さんとお母さんにイジメられて、いつもいつも優歌お姉ちゃんにもイジメられてるのに、これでいつもいつもいつも那奈と叔母さんにまでイジメられるようになったら翔ちゃん可哀想だなー、可哀想だなー、可哀想だなー!」


「あんまり何度も可哀想可哀想強調してやるなや、ホンマにアイツが哀れに思えてきたやないかい! しっかし完全に四面楚歌やな、まだどっかの家の飼い犬の方がもうちょいええ立場に立って生活してるんとちゃうか? お犬様言うくらいやし、『士農工商』で言うたら間違いなくアイツ、穢多・非人の扱いやで」


「『歯槽膿漏』? 何それー、痛いのー?」


「一番勉強せなアカンのはウチよりオマエやアッパラパー! イタいのはオマエの頭の中や、血ぃ出るまで歯でも磨いとけ、このどアホが!」



うるさいよご両人。いずれはアンタ達も将来結婚したら出会す問題なんだから、しょうもない漫才やってないでちゃんと見て聞いて覚えてしっかり勉強しときなさい。赤線引きなさい、テスト出ますよ、ここ。



「あっ、そうそう! ねぇ那奈、翔太って言えばさ、昨日から全日本戦に行ったきりずっと何の連絡も無いんだけと……、生きてるよね? 那奈の携帯には何か連絡あった?」


「……いえ、何も……、生きてると思いますよ、多分……」



そうなんです。実は現在翔太、生存すら確認出来ない音信不通状態なんです。昨日の全日本戦で雨天順延となった先週の予選とは見違えるような走りを見せて、デビュー戦としてはかなり上出来の本戦五位入賞という結果を残したは良いんだけど、百戦中百勝しないと気が済まない鬼師匠と鬼監督はどうも納得出来なかったみたいで、今も現地で居残り特訓させられているとかいないとか……。





「……ハ、ハ、ハ、ハックシュッ!」


「何だ翔太、風邪か?」


「……いえ親父さん、別にそんな事は無いと思うんですけど……、あのー、それよりそろそろ帰らなくて大丈夫なんスか? 俺、明日だって学校あるし……」


「今日は丸一日サーキット場を貸し切ったからまだまだ好きなだけ走れるわよ、学校? 無駄ね、馬鹿はどんなに勉強したって馬鹿よ、意味の無いものに労力を使う事ほど馬鹿な話は無いわ」


「……他人の子供捕まえて馬鹿、馬鹿って……、麗奈さん、いくら何でもあんまりっスよ……」


「あなたを実の子と思っての苦言よ、それにね、馬鹿は風邪ひかないって迷信が正しいならあなたが風邪をひく事は一生涯無いから安心しなさい、良いわねぇ、不必要な医療費もかからない、レース前の体調不良とも無縁、馬鹿だから悩み事も無いんでしょうね、常に健康そのものなあなたの体と頭が羨ましいわ、私もそんな空っぽ頭なら疲れなんて感じず毎日バリバリ仕事に集中出来るのにね」


「何が学校だクソったれ、学問なんぞ無くたって俺様みてぇに立派な偉人になれるんだ、何だったらもういっそ退学しちまえ、こっちからすりゃ学費も浮いて感謝感激万々歳だ」


「……ひでぇ、鬼過ぎるよこの二人、どうして親友が残した一人息子に対してここまで悪魔みたいな仕打ちが出来るんだ……?」


「グズグズダラダラ独り言抜かしてんじゃねぇ!! 言いてぇ事あんなら正面切って言いやがれ、ぶん殴ってやるからよ!! いいか、てめぇには文句言ってる暇も風邪ひいてる暇もねぇんだぞ、文句言ってもぶん殴る、風邪ひいてもぶん殴る!! 次こそはこの俺様のメンツにかけても優勝しねぇと風邪どころか氷水に沈めて凍死させてやっからな、死にたくなかったら死ぬ気で練習しろ!!」


「次戦は来月だったわね、もう入賞とかそんなの要らないから、そろそろあなたが秘めている才能をいつまでも秘めてないで拝見させて頂戴? 私にはまだまだ遥か遠く及ばないとはいえ竹田もそこそこ良いエンジンを組むようになってマシンの調子も悪くなさそうだから、もしそれで不甲斐ない結果になったらそれは間違いなく乗り手の責任ね、そんな事になったら翔太あなた、表彰台の代わりに絞首台に上る事になるわよ」


「げぇっ、優勝以外イコール『死』ですか!? あんまりだ、二人とも一年目は多少大目に見るって言ってくれてたじゃないですかぁ! 全然話が違い過ぎる……」


「一年目だからダメでも良い、なんて生っちょろい事考えてんから勝てねぇんだよボケナスがぁ!! 残り全戦どんな手を使っても勝つ気で挑め、少しでもピヨった走りしたら凍死させるどころか氷漬けにしてかき氷器でシャリシャリにすりおろしてやっから覚悟しやがれクソ野郎!!」


「一戦一戦切腹するくらいの気合いで立ち向かいなさい、さもないとこちらから先に容赦なくスッパリ介錯仕るわよ」


「……もう嫌だぁ、この親父さんと麗奈さんの生き地獄特訓、いっそ本当に殺された方がマシかもしれない……」


「だからブツブツ独り言抜かしてねぇでさっさともう一本走ってこい!! 今大会のベストラップを更新するまで帰らせねぇぞ、次からは俺も一緒に走って後ろからまくし立てるからな、ちんたら走ってたら蹴っぱくってケツ二つにかち割るぞゴラァ!!」


「は、ははは、はーい! 喜んで練習させて戴きまーす!!」


「次戦が今から楽しみだわ、父親同様、翔太もなかなか鍛え甲斐がありそうね、そろそろ練習メニューに昔、貴之にやらせた一人四十八時間耐久タイムアタックでも追加してみようかしらね?」


「……うぅ、うぇぇっ、帰りたい、帰りたいよぉ~、父さぁ~ん、母さぁ~ん、那奈~……」





……学校休ませてまで現地居残りって、そんな事させて本当に大丈夫なんですか、お父様お母様? ライダーに学力は不要だと、そう仰られますか? 最低でも高校は卒業しとかないと絶対将来色々困ると思うんだけど……?

もし翔太がプロのバイクレーサーになれなかったら、なれたとしてもチャンピオンになれるどころか大した活躍が出来ずに廃業しちゃったりしたら、あの人達どうやってその責任取るつもりなんだろうか? 他の職業に就職させられる当てでもあるんだろうか……?



「……あると思う? 人生計画ノープランでこれまで勢いとノリだけで生きてきたあの理不尽屁理屈迷惑夫婦に?」


「……無いと思う……」


「正解! と、いう事で、もしあの子が将来人生露頭に迷ったら那奈、その時は娘であるアンタが責任取って面倒見てあげてね」


「えっー! 滅茶苦茶だよそんなの、自分の息子でしょ!? 無責任だ、育児放棄だ、母親失格だ! いづみさんだって十分に理不尽屁理屈迷惑人間じゃーん!」


「知らなーい、私は翔太がライダーになるのを最初大反対したのに勝手にズケズケ物事進めたあの二人が全部悪いんだもーんだ、憎むなら私じゃなくて、こんな現状を生み出した自分の両親を憎みなさーい」


「そんなぁー!」



……プロ契約金とその後の年俸収入とかでウハウハ玉の輿生活どころの騒ぎじゃ無いよ、これ。下手すりゃ翔太のヤツ、このいい加減な母親と私の戸籍に一生つきまとう非常識両親のせいで、バイク以外学歴も能力も何にも無いタダのプータローにされちゃう可能性もあるんだ……。うわぁ、そんなの嫌だ! 将来絶対苦労するのが目に見えてる! 今からでも遅くないかな、考え直そうかなぁ、翔太と付き合っていくの……。




「……さてと、病院の最寄り駅は次だったっけ、三人とも、忘れ物しないようにね、特に小夜、カバンちゃんと持った?」


「はーい叔母さん、ちゃんと持ってまーす! 那奈ー、次で降りるよー!」


「………………」


「あれー? 何か那奈が『考える人』の銅像みたいに固まっちゃって動かないよー? 元気無いなー、お腹でも痛いのー?」


「放っといたれや小夜、人生ってもんは苦悩の連続や、愛だの恋だの甘っちょろい話だけでは生きていけん、那奈は今その奥深さを思いっ切り噛み締めとんねん」


「翼は随分わかったような事を言うもんだね、アンタだって昔の自分の母親みたいに愛だの恋だの甘っちょろい話に人生振り回されるかもしれないのにさ」


「心配あらへんで翔太のオカン、ウチはオトンの愛情と現金しか信じへん女や」


「……あっそぉ……、ハァ、やっぱり美香報われないなぁ、何をどうしたらあんな真面目な子からこんな適当娘が産まれてくるんだか……?」



……気を取り直そう。今悩んでも仕方ない、まだ翔太がプータローになると決まった訳じゃないし。そんな事より今は新作さんのお見舞いに集中しよう。実は今回、私がいづみさんに付き合って一緒に病院に行く事にしたのにはちょっとした目的がある。


昨日のお姉の最後の言葉、それが何を意味しているのか、一体誰の事を言っていたのかは何となくわかった。でも、さすがにそれを本人直々に聞くのは躊躇してしまう。触れてはいけない過去の部分に触れてしまいそうで、少し怖い。お姉だって『怒られる』って言って怖がってるくらいなんだから。

だから、新作さんならもしかしたら知っているんじゃないかと思った。その人と同じ時間を共にし、同じ時代を生き、お互いに隠し事など一つも無いであろう兄弟同然の様に過ごしてきた新作さんなら、きっと私の知らない過去の出来事を知ってじゃないかと、こっそりと教えてくれるんじゃないかと……。



「はい、みんな降りるよー、何度も言うけど忘れ物ないようにねー」


「……ちょっと失礼しますご婦人、警察の者ですけど」


「ハァ? 警察?」



突然の急展開。駅に着いて電車から降りるや否やなぜかホーム上には警官が多数待ち伏せ状態。そしてなぜか紺色の制服に周りを囲まれ職務質問されるいづみさん。ナニコレ? ドウイウコト?



「ワーイ! ねーねー那奈、おまわりさんがいっぱいいるよー!」


「……警部補、提供された写真との照合の結果間違いありません、この娘さんのようです」


「そうか、お急ぎのところ申し訳ないけどねご婦人、ちょっとお話を伺いたいので駅構内の交番までご足労願いますかね」


「ちょ、ちょっと待ってよ何突然!? いきなり周り取り囲まれて何の説明も無く交番に来いって、どこかの逃走中の指名手配犯じゃあるまいし、私が一体何したって言うの!?」


「あちらの娘さんのお母様から警察の方に通報がありましてね、何やら大切な娘さんが学校からの帰宅中に、知らない『オバサン』に連れて行かれてしまって帰ってこないのどうしましょ~う? とかどうとか」


「……勘弁してよ、姉さん……」



……マジで通報されてるし……。またも脱臼したようにガックリ肩を落とし、両端を警官に付き添われて交番に向かういづみさんの後ろ姿は、言葉では表せないような哀愁の空気が漂っていた。何か映画のラストシーンみたい。あづみさんハンパねぇ、容赦ねぇ、いつか私も小夜と一緒にいたら通報されて逮捕されるかも。うわぁ、マジでありそうで怖いよマジで。

さっきの電話で小夜の無事を伝えておけば良かったのかなぁ? 私、気が利かない? 嫁失格? まぁいいか、私に意地悪してきた報いだね。ついでに身代金要求しときゃ良かった。そうすりゃもっと大騒ぎになったのに。可哀想ないづみさん、ああ可哀想、可哀想だなー、いづみさんすんごい可哀想だなー!



「腹ん中ウハウハなクセしてオマエまで何度も可哀想可哀想強調してやんなや可哀想に、嫁姑の本音建前の愛憎劇はおっかないのぉ、昼ドラ顔負けや、こりゃハリウッドで映画化決定やな、全米震え上がるでこれホンマに」


「ねーねー、何であたし達交番に行かなきゃいけないのー? 病院にお見舞いに行くんじゃなかったのー? おサイフ拾った訳でも痴漢にあった訳でもないのに何でー?」


「オマエらアッパラパー親子のせいやろが、このボケェ!!」



……やっぱりこのトラブルメーカーは連れてくるべきじゃなかったよ。こりゃ帰りが何時になるかわかったもんじゃないね。やっべ、お米どうしよう。お姉が気付いてスイッチ入れておいてくれている訳……、無いよね?

帰ったら飯飯ギャーギャーうるさいんだろうなぁ、あの食うだけ大怪獣。私にもとんでもない非常識なお姉様が一人いたんだっけ。もしかしたら私といづみさん、似た者同士なのかも。あーあ、これだからどこの家庭でも姉ってヤツは。泣くのはいつも、健気に働く妹ばかりだよ、全くもう……。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ