第63話 幸せのカテゴリー
「……で、すごすごと一目散にこっちに逃げ帰ってきたって訳か、そりゃまたどうもご苦労さーん!」
無関係な一般人などお構い無しに戦場の業火に巻き込みまくる恐怖の独裁者同士の争いから追いやられた難民の様に自宅の二階の部屋に戻った私と翔太。そこにはすでにとっとと避難を済ませて対岸の火事見物をしていたお姉が満身創痍の私達の姿を眺めてニヤニヤしていた。この薄情者、元はと言えば全部あなたのせいなんですよ、お姉様!
「何だよ何だよ、二人揃ってそんなに渋い顔すんなって? 久し振りに二人の元気な姿を間近で見れて良かっただろ? 何だかんだ言ってもやっぱり両親が健在で仲良くしてる家庭は一番幸せだよなぁ!?」
「いくら何でもアレは健在過ぎ! まだ二十代三十代の若い夫婦ならともかく、お互いとっくに四十路過ぎてあのテンションでケンカされたら周りにいる人間はたまったもんじゃないってば! いづみさんが嫌がって逃げちゃったのもわかるよ、さすがに今回ばかりは私も二人には愛想尽きちゃったよ!?」
「ギャハハハ、やっぱりさっきの玄関の扉の音はいづみちゃんだったか!? 確かに良く考えてみるといづみちゃんも災難だよなー、あたしの年齢よりも長くずっとあの二人の面倒を見てるんだもんよ、さすがはこの優歌様が世界で唯一本物と認める、警視庁のブラックリストに燦然とその名を残す元関東一の伝説のスケ番、タフだよなー?」
「……そう言うお姉だってそのブラックリストに堂々殿堂入りしてるよね……」
……その新旧スケ番までもが尻尾巻いて逃げ出す化け物二人の一点集中放火を約二時間耐え抜いて命辛々掻い潜ってきた私達の感動ストーリーは、YouTubeに投稿すれば山火事から逃げてきたオーストラリアのコアラみたいに全世界の視聴者から食料の支援でもして貰えるでしょうか? 本当、ペットボトルの水を三本ほど一気飲みしたい心境でございますよ、ハァ……。
「……あのー、それより何で二人とも俺の部屋にいるの? 那奈はともかく、何で優歌さんまでいつの間に自分の部屋から勝手にこっちに入り込んでるんスか……?」
「あぁん? 何だ翔太、あたしがここにいるのがそんなに不満かよ!? あたしの部屋はちょうど虎太郎ちゃんと麗奈ママがやり合ってるリビングの真上で、怒鳴り声がうるさくておちおち寝てもいられねーんだよ! ほとぼり冷めるまでの間ぐらいケチな言ってんじゃねーぞゴラァ!」
二階に上がりそれぞれ自分達の部屋に戻ろうとするや、扉を開けた翔太が突然大声を上げて驚き尻餅。何事かと部屋の中を覗いてみれば、そこには下着一丁の姿で無断で他人のベッドに両足をおっ広げて昼寝していただらしない女が一人。そして、現在に至る訳で……。
「……お姉、せめてジャージぐらい着なよ? それほど際どくないスポーツ系のラフなアンダーとはいえ、とても男子の部屋でする姿なんかじゃないよソレ……」
「んなもん気にすんな気にすんな! ここはおめーらの家であると同時にあたしの家でもあるんだぜ、家の中で寛ぐのにいちいち格好なんて気にしてられっかっつーんだよ、面倒臭ぇ」
翔太のベッドに横たわったまま、肘をついて空いた片手でお尻をボリボリ掻くその姿はほとんどオッサン。発言、仕草、思考、行動全てが女じゃないですこの人、一体誰に触発されてこんな女性になってしまったのやら……。やはりお姉が理想の男性像と崇拝している父さんの影響なのだろうか?
「つーかよ翔太、おめー自分の部屋に若い女が二人もいてよ、一方は自分の彼女、もう一方は下着姿のお姉様だなんて、男にとってこんな夢みてーなチャンス満載の最高なシチュエーション、他の同年代の男子高校生が聞いたら悔しがってじたんだ踏んじまうぜ? 純情な妹に経験豊富な姉とのこんな超展開、おめーも一度は想像して悶々した事あんだろ? 正直にいってみな、あぁん?」
「……いや、まぁ、その……」
「何だ何だ、いまいち連れねー中途半端な反応しやがって、本当は今頃下の方はビンビンになっちまって我慢利かねー状態になってんじゃねーのか? どうだ、初めてからいきなり思い切って姉妹丼とかイッちゃってみるか? クイーンオブセッ〇スの称号を持つこの優歌様がウブなおめーらに手取り足取りレッスンしてやってもいいんだぜー?」
「……いや、本当に、もう今日はあまりそんな気には……」
いつもならお姉の挑発に顔を真っ赤にして必要以上の反応をする翔太も、まるで魂を抜かれた植物人間の様に部屋の隅でこちらに背を向け体育座りをしたまま完全に鬱状態。さすがのエロ女王もこの翔太の変わり果てた姿に驚きを隠せなかった。
「……オイ那奈、翔太のヤツ一体どうしたんだ? いつもなら『やめて下さいよぉー!』とか言って嬉しそうにスケベな顔すんのによ」
「……お姉、多分今日の翔太には何言っても反応しないと思うよ? さっき散々嫌ってほど母さんにガッスガス釘刺されてたから……」
「……あちゃー、麗奈ママも相変わらずコッチ系の話には厳しいなー、だから横で聞いてるおめーの反応もいまいちなのか? チッ、つまんねーの」
母さんからは凍り付く様な冷徹な常識人の規律を、父さんからは燃えたぎる様な熱い男の情熱を同時に勧められた翔太の心境は、わかりやすく言えば真夏の灼熱日に室内の強烈な冷房でクーラー病になり自律神経に異常を来したOLの様なものか。
欲感情はすでに麻痺してるに同然、体調は思わしくなく神経は衰弱状態、視点は一点に定まらず、ただ茫然自失と頭を垂れてどっぷりとうなだれるだけ。やはりこうなってしまったか。五体満足で健康そのもの、成長著しい十代男子の迸る精力すらも奪い取ってしまう渡瀬家恐怖の二枚看板やはり恐るべし。
「しかしアレだぜ、虎太郎ちゃんも麗奈ママもあんまり追い詰め過ぎるとアイツ、将来マジで不能になっちまうかもしれねーぞ? あの若さで無使用のままで不能とか、男として生まれてきた意味が何にも無くなっちまうぜ、可哀想になぁ……」
「……それだけじゃなくて、そろそろいい加減翔太もお姉のそういう姿や挑発には慣れてきちゃったっていうのもあるかもね? 何て言うかな、お姉にはもう飽きちゃったって言うか……」
「おぅおぅおぅおぅ! 言ってくれんじゃねーか那奈ちゃんよぉ!? そこまで言うなら是非とも今からここであたしとおめーで素っ裸になって、どっちが翔太のキ〇タマ疼かせるか勝負しようじゃねーか!? もちろん、立ち技寝技有りの総合ルールだぜ、一切手加減しねーから覚悟しやがれゴラァ!?」
「人にはメチャクチャ言うクセして、ちょっとでも攻撃されたら下ネタ込みで三倍返しするのズルいよ!? 本当に負けず嫌いなんだから、お姉は……」
「何だ何だ何だよ、今日は那奈まで不機嫌っつーか連れねーな? 冗談だよ冗談! いつもみてーに真っ赤に照れた可愛い顔をこのお姉様に見せてくれよ、寂しいじゃねーか? おめーまで何ヘコんでんだよ、オイ?」
ヘコんでいるのは翔太だけではない、もちろん、私も今回の父さんと母さんのやり取りにはかなりのダメージを受けている。
「アレか? おめーも翔太とのイチャイチャ禁止令が出てブルーな気分ってところか? 隙あらば周りの小夜や翼達を出し抜いて一足早く『大人の女』になれるチャンスだったのにー! ってか? あぁん?」
「違うよ、そんな訳ないじゃん! 母さんの言っている事はごもっともだもん、文句や不満なんて何も無いよ!」
私がいまいち気分が晴れない理由、それは翔太との交際についてお灸を据えられた事もあるが、それ以上に二人の実の娘である立場としてあまり聞きたくなかった話もチラホラあったので……。
「じゃあアレか、以前の奥井グループとの確執の話か? 残念だったな、あれはもうとっくの昔に上映終了したお蔵入りのドキュメンタリー映画さ、当時まだ幼稚園児だったあたしも少しだけ関係者として出演してリアルタイムで観させて貰ったけど、あれは近代日本史に残る最高のヒューマンドラマだっだぜー? まだ麗奈ママやいづみちゃんの腹の中に居て自分のその目で観る事が出来なかったおめーらはさぞかし不備だよなー? まぁ気持ちはわかるぜ、せっかく自分達もその当時の雰囲気をちょっとでも味わえるのかと思いきや、思ってたほど大騒ぎ出来るお祭りにもならなくてすっかり興醒めしてガッカリー、って感じなんだろ? 違うか?」
「違いますー! 人の昔のいざこざをほじくり返してそれ見て楽しもうだなんてこれっぽっちも思っちゃいません! むしろ本人達からすでに済んだ話だって聞けてホッとしたぐらいだもん、私だって小さい頃からこの話題はかなり気にしてたんだから!」
「じゃあ何なんだよ? おめーは虎太郎ちゃんと麗奈ママの一体何が気に食わねーんだ? あんなに愉快で見てて飽きねー最高の夫婦、世界中どこ探しても一組もいねーぞ? そんな二人の間に生まれたおめーは世界一恵まれてた娘だっていうのに、これ以上何の文句があるってんだよ!? ウジウジと黙ってねーではっきり言ってみろよ、あぁんゴラァ!?」
生活費にも困らず、何不自由無い学生生活も、風間家との共同生活も、仕事の都合によってほとんど家にいない母さんの存在も、身勝手でいい加減な父さんの性格も、私は何一つ不満なんて無い。もちろん、実の姉妹ではないのにそれ以上の繋がりを感じさせてくれるお姉がいてくれる事に対しても文句なんてある訳が無い。
むしろ、お姉が言う通り私はとても環境に恵まれていると思う。幼い頃から一番大切な存在である異性と共に生活をする事が出来て、親同士から続く交流によって複数の仲の良い同性同世代の幼なじみが側にいて、これほど充実した環境で生きてこれた事はどんなに感謝をしてもしつくせないぐらいだ。
だから、私のこの感情は不満でも無ければ嘆きでも無い。私は心から父さんと母さんの娘として生まれてきた事を誇りに思っている。出来れば二人にはもう少し年相応な言動を弁えて貰いたいというのか本音だが、二人のあの性格からいってそれはまず不可能なので諦める事にする。
ただ、ただ、私自身はそれで良しとしても、果たして周りは私の存在をどう思っているのか? 特に、数多くの仕事を抱えていながら私を身ごもってしまった母さんと、一家の主として家庭を守り一つの場所に根を張る事が不得意と思える父さんからしたら……。
「……っつー事は那奈、おめーは自分の存在があの二人にとって『想定外』の存在だったって言いてーのか?」
「………………」
「つまり、虎太郎ちゃんは所帯なんて持つつもりなんて無かったのに、麗奈ママは仕事の妨げになる出産や育児なんてするつもりなんて無かったのに、って思ってんのか?」
「………………」
「ついつい成り行き任せの大人の事情によって宿っちまったおめーの命の為に、やむなく二人は責任取って夫婦になったんじゃないか、って思ってんのか?」
すでにお姉は起き上がり真顔で胡座をかいて私の顔を覗き込んでいる。その表情は険しい。私は決意してお姉に思いのたけを打ち明けてみた。こんな話、とても父さん母さんに直接言う事なんて出来ないから……。
さっきの父さんと母さんの会話からだと、私の存在は二人にとって考えもしなかった想定外の存在だったとしか思えない。運命的な出逢いを果たし、大恋愛の末に結ばれた夫婦の間で待望された命だったのであれば何も心配も不安もありはしない。
でも、きっとあの二人は違う。私の存在は二人にとってあまりに唐突過ぎたものだったはず。だから妊娠発覚よりも入籍が遅れた訳であり、あんなに性格が正反対でケンカばかりしてる男女同士が一つの夫婦になった訳で……。
「ふざけんじゃねーよ!? ナメた事抜かすのもいい加減にしやがれバカ野郎!!」
「……!?」
言葉に出来ない複雑な心境に黙り込んでうつむく私を、お姉は座っているベッドの敷きクッションを拳で殴りつけて怒鳴り飛ばした。でも、その怒りの表情は弱気になる私を一喝する時のいつものものとは違い、少し悲しげな雰囲気が漂っていた。
「……おめーが……、おめーがそんな目で二人の事を見てどうすんだよ!? 何で二人の事を信じてやれねーんだよ!? あの二人はなぁ、虎太郎ちゃんと麗奈ママはなぁ、そんじょそこらの連中なんかよりも人一倍全力で生きてもがき苦しんで、お互い報いなんて一つも求めずに一途に世界で一番大切な人を想って……!」
「……お、お姉……?」
私に必死に語りかけるお姉の瞳は若干潤み、悔しそうにシーツを掴んでその両手は少し震えているように見えた。私は初めて見るお姉の姿に言葉を失い、悲しみに似た感情が胸を締め付けて息が苦しくなった。
「……何も知らねーガキのクセに一丁前な口利きやがって、つまんねー余計な心配しやがって、おめーは、おめーってヤツはよ……!」
「……お姉……」
「……優歌さん、どうしたんスか……?」
その異様な空気に蚊帳の外になっていた翔太も心配になったようで、そこから言葉に詰まり下唇を噛んだまま黙り込むお姉に声をかけていた。でも、私は何も言えなかった。お姉の瞳に浮かんでいたのは間違いなく涙、私の前で涙ぐむお姉なんて、私は今まで生まれてきて一度たりとも見た事なんて無かったから……。
「……ふぅ……」
「……お姉、あの、私……」
「……悪ぃ、何でもねーよ、気にすんな……」
「……でも、何か優歌さん、いつもと様子おかしいッスよ? 本当に大丈夫ッスか?」
「大丈夫だ、大丈夫だって! おめーら、そんな間抜けな面してこっち見んじゃねーよ!? 気持ち悪ぃな、ウッヒャッヒャッヒャッ!」
「……なら、まぁいいッスけど……」
「つーか、翔太てめー、今どさくさ紛れてあたしの胸の谷間チラチラ覗いてたろ? このヘタレ男が、そんなに見たけりゃコソコソしねーで堂々と顔突っ込んで好きなだけ観察しやがれスケベ野郎!!」
「うわっ! ちょ、ちょっと優歌さん!? これはさすがにヤバいですって! 那奈も見てるしスッゲー良い匂いするしスベスベして柔らけぇし、もうギブアップっスよー!!」
まるで今にも喉から飛び出しそうな言葉を無理矢理飲み込むように口を抑えたお姉は、次の瞬間にはいつもの明るい笑顔に戻って心配する私達を軽く笑い飛ばし、何事も無かったゆうに近くにいた翔太をベッドの上に引き込みギュッと抱き締め胸の谷間に顔を押し付けはしゃいでみせた。
それで少しは室内の緊張の糸もほぐれたのだが、私の胸の中では後悔と反省の念がグルグルと渦巻いていた。私はまた、何か余計な話をして他人の古傷に触れてしまったのだろうか? お姉の満面の笑みが私の心にとても痛く突き刺さった。
しかし、お姉はそんな私の心境もお見通しだった。ジタバタと暴れる翔太を押さえ込んだままこちらにニコッと笑いかけると、小さい頃に私と一緒になって寝ている父さんに悪さをする時に見せたイタズラっ子の顔で私の不安を一掃してくれた。
「那奈、よーく聞け! 心配しなくても虎太郎ちゃんと麗奈ママはなぁ、おめーが言ったようなすっげー運命的な出逢いをして、誰も真似出来ねーような大恋愛の末におめーを天から授かって、ちょっと順番は狂っちまったけどお互い合意の上で結婚したんだぜ!」
「……ほ、本当に?」
「あぁ、本当さ! これはあたしも生まれる前の事で後々いづみちゃんから聞いた話だけどな、二人の馴れ初めはそりゃまぁすげーもんなんだぜ? 虎太郎ちゃんが日本縦断の旅をしてる最中に出逢った麗奈ママの親父さんから『うちのチームの所属レーサーにならないか』って誘われて、その後にその親父さんが経営してるバイク修理店を訪ねて行ったらよ、そんな話何にも聞いてなかった店番の麗奈ママは虎太郎ちゃんの事を泥棒目的の不審者だと勘違いして、店内にあった鉄パイプで思いっ切り後ろから頭をブン殴ったんだってよ!? それで虎太郎ちゃん頭パックリ割れてよ、後日病院で十針ぐらい縫う大怪我負う羽目になったらしいぜ!?」
「……ハ、ハァ?」
「それでも当時から関東じゃ名の知れた札付きのワル、警察機動隊百人相手に一人で立ち回ってみせた虎太郎ちゃんの事さ、頭から血がピューピュー噴き出してんのにそんなのお構い無く麗奈ママを蹴り飛ばして反撃したはいいけどよ、それでもヘコたれない麗奈ママは次に鉄パイプでキン〇マブッ叩いて虎太郎ちゃん悶絶、それで完全にキレた虎太郎ちゃんがマジ平手打ちすると今度は麗奈ママが鼻血ブーで大流血、虎太郎ちゃんより一足早くそこの店で住み込みで働いていたいづみちゃんと貴之ちゃんの二人が買い物から帰ってきて止めに入るまで、延々と二人でバシバシ殴り合ってたらしいぜ!?」
「……あのー、お姉?」
「いづみちゃん曰わく、どんな屈強な大男とタイマン張っても連勝無敵の虎太郎ちゃんと、あれほど凄まじい大ゲンカをやらかした女は後にも先にも麗奈ママ一人だけなんだってよ!? どうよ、すげーだろ!? これこそ正にあの二人に相応しい運命的な出逢いだと思わねーか?」
「お言葉ですが、全っ然そうは思えません」
「そっか? そりゃそうだな、じゃあなー、えーと、あとどんなエピソードがあったっけ? あたしが知ってる話だと、朝寝ぼけてた麗奈ママが間違えて虎太郎ちゃんのトランクス履いて仕事に行っちまって、残された虎太郎ちゃんは仕方なく置いてあった麗奈ママのパンティを履いて貴之ちゃんとツーリングに行って帰ってきてズボン脱いだらパンティのゴムがビロンビロンに伸びちまっててよ、それを見た麗奈ママはお気に入りのパンティを駄目にされた事にマジ切れして皿やコップやフライパンが飛び交う大ゲンカになっちまってよ! その時、あたしは生まれたばかりのおめーを抱いて家中あっちこっち逃げ回ってそりゃもう大変だったんだぜ!? どうよ、お互いの下着間違って履いちゃうだなんてこんな泣ける大恋愛話はとても余所では聞けねーぜ!?」
「……もう結構です、聞いてて何かもうバカらしくてすっかり脱力してきちゃったよ……」
呆れ返るほどふざけていて馬鹿馬鹿しい話ばかりだけど、なぜか私はそのお姉の話を聞いて心がすこし温かくなった感じがした。そんな下らない話の数々も、あの二人だから今では笑って済ませられる話になるんだろう。あの二人だからこそ、こんなムチャクチャな恋愛関係もアリなんだろうと思えた。
小夜や翼、千夏のところのご両親は今でも見てるこっちが恥ずかしくなるほどアツアツのカップルもいるけど、何もイチャイチャしている事が良い夫婦の愛情バロメーターって訳じゃないのかもしれない。多分、愛情表現の方法は愛し合っている夫婦と比例する数がこの世には存在しているんだ。
だから、父さんと母さんはアレで良いんだ。外目からだと極めて危険なデコボコ夫婦に見えるけど、アレはあの二人独特の一つの愛の形なんだ。ずっと二人見て来たお姉そう言うんだから、私も思う事しよう。仮に当時の計画とは想定外だったしても、実際に私はこれまでちゃんと二人に大切にして貰えているのだから。
「おめーを授かる云々関係無しに、虎太郎ちゃんと麗奈ママが大恋愛の末に夫婦として一緒に生きていく事をお互いが望んだのは間違いねーんだ、だからあたしも何ら不安も心配もしねーで喜んで二人の養女になった、おめーのお姉になったんだ! 二人の愛情を疑うなら、あたしがこの身を持って証明してやるぜ!」
「……お姉……!」
「おめーが家族愛を見失って不安になった時は、この優歌様が何度でもおめーに熱っい愛を語ってやるから心配すんな! この家には確かな愛がある、どこにも負けねーでっけー愛があるんだぜ!!」
「……ありがとう、お姉、本当にありがとう……」
そうだね、私が余計な心配する必要なんて無いよね。お姉は一番良く知ってるんだもん、二人の事を。そのお姉が言うんだから間違いないよね、うん、そうだ。もうバカな事考えるのはよそう。私はみんなに待望されて生まれてきた渡瀬家の次女だ、胸を張って生きていかなきゃね!
「……じゃあ、優歌さんは俺の父さんと母さんが結婚した時の話も知ってたりするんスか?」
「おぅ、もちろんだぜ! あっちはアッチでまた何かとイライラさせてくれる世話のかかるカップルでよ、貴之ちゃんは初めて出逢った時からいづみちゃんに一目惚れちまったクセに、女に疎くてひでぇチキン野郎だったから自分の気持ち告るのに十年近くかかっちまってよ? でな……」
「……ねぇ、翔太……?」
「ゆ、優歌さん、ちょっと話ストップ! えっ? 那奈、何?」
「……アンタさ、いつまでその格好のままお姉の谷間を拝見し続けてるつもり?」
「おー、そういやそうだ! 翔太てめー、あたしに抱きつかれて何ウットリしてんだよ!? 那奈ともあろう将来の嫁が見てる目前で、ちゃっかり男の幸せ感じてんじゃねーぞゴラァ!!」
「ええっ!? だってこれは優歌さんが無理矢理俺に抱きついてきて」
「うるせーな、翔太の分際でよ! てめーマジでこのままパンツ脱がせてチ〇コしごくぞゴラァ!!」
「やめてー! マジマジマジでやめて下さいマジで大きくなっちゃう大きくなっちゃう本当にやめて下さーい!!」
「おぅおぅおぅ、これならどうやら不能になるなんて事はまず無さそうだな? 良かったじゃねーか那奈、翔太のヤツ、至って健康そのものでビンビンの上玉だぜ? この優歌様直々のお墨付きだ、あと半世紀は安心して楽しめるぜ〜? ウッヒャッヒャッヒャー!!」
お姉からやっと解放された翔太の顔は真っ赤になって湯気が立っていた。随分無理して『苦しかった』みたいな表情をしてこちらに必死で不可抗力だった事をアピールしているみたいだけど、どうやらいやらしい口元の緩みだけは隠しきれないご様子で。ええ、もちろん私は怒ってますよ。
「……参ったよ、今回ばかりはマジで優歌さんにヤラれちゃうって思った……」
「……参った、ですか? その割にはまんざらでもないって感じに見えましたけどね、さっきまであんだけヘコんでだクセして、本当に変わり身の早い事でいらっしゃいますね?」
「……那奈さん、敬語怖いッス……」
「オイオイオイ、今度はこっちで夫婦喧嘩勃発かよ? 勘弁してくれよ、せっかくやっと下からの痴話喧嘩の声も聞こえなくなってきたっていうのによ」
……あっ、本当だ! お姉に言われて耳を澄ませてみると、さっきまで近所の飼い犬が釣られて鳴き出すほどの父さんの人をからかうようなあのバカ笑い声と母さんの周囲をフリーズされるあの冷徹な一撃の言葉の数々は全然聞こえなくなった。
停戦か、それとも終戦か。あるいは激戦の末に戦場は全てがその姿を消し去られ、何一つ音すら残らない無の境地へと変貌してしまったのだろうか? 私達がこの翔太の部屋と言う核シェルターから一歩外に出ると、もうそこは死の灰が降り積もる世紀末の世界と化しているのか……?
「……実は今頃、邪魔なお子ちゃまをみんな二階に追いやって、二人だけの世界でラブラブチュッチュッしてたりしてな?」
「……えっー、まさか? お姉、それはいくら何でも無い無い……」
「いやいや、十分に有り得るぜ那奈? 何せしばらくご無沙汰振りの夫婦再会、しかもお互い四十を超えてあのバイタリティだぜ? あの二人はそういう夫婦なのさ、もしかしたらあたし達、この歳でもう一人弟か妹が出来ちまったりしてな?」
「お姉、考え過ぎだよ! そんなのいくら何でもまさか、有り得ないって、絶対に無い!」
「じゃあよ、今から下に行って確認しに行こうぜ?」
「えっ!? ちょっとお姉、それはマズいよ! 覗きになっちゃうよソレ、いくら家族でもそれはダメだって! 親のそんな姿、恥ずかしくって見れないってば! もし本当にそんな場面に出会しちゃったら、私達どう対応すればいいの?」
「見届けてやりゃーいいのさ! おめーも本心は気になって気になってしょうがねーんだろ? 何か妙にドキドキしねーか? 素晴らしい命の誕生の瞬間をこの目で拝めるかもしれねーんだぜ? もし、あたし達の下が産まれた時にはよ、おめーはこうやってみんなの温かい目に見守られて家族に迎え入れられたんだって話してやる事が出来るじゃねーか、なっ?」
「……まさかお姉、私の時、見届けてたの?」
「オイ翔太、あたしについて来な! エロ本なんかよりハンパねぇもんが見れるかもしれねーぞ?」
「……イケない事とはわかっているんスけど、何なんだろう、この妙にときめくイケない胸騒ぎは……?」
「好きだねー、おめーも? よーし、じゃあ決まりだな!」
「………ねぇ、お姉、私の時は……?」
「よしっ、行くぜ野郎ども! 危険が危ないデンジャラスな大人の故郷原点回帰冒険の出発だぜ!」
……お姉の十八番のアダルトトークにすっかり触発されてイケない気分になってしまった私と翔太は、ジャージ姿に着替えたお姉を先頭に音を立てずにコッソリと階段を下りて一階に着くと、ジリジリと廊下を擦り足前進してリビングの扉に耳を当てて中の様子を確認した。
This is the 若気の至り。若者の好奇心とは何て愚かなものなのでしょうか。後々落ち着いて良く考えてみると本当馬鹿者揃いです。何やってんだろう、私達……?
「……あれ? ダメみたい……、どうして? ちゃんと押してるのに……?」
「……おめぇ、本当に下手だなぁ? そうじゃねぇって、ちょっと貸してみ? 押すだけじゃなくて上げんだよ、んで、すぐに回して、ホラ、こうやってな」
「あっ、スゴい! ちゃんと回ってる! ちょっともう一回私にやらせて?」
中からは父さんと母さんの珍しい優しいトーンでの会話のやり取りが聞こえてきた。押す? 回す? 回ってる? 私には何の事やらサッパリ。意味不明の言葉に私と翔太はキョトンとして顔を見合わせている間、お姉だけは必死に笑いを堪えて嬉しそうにニヤニヤしていた。
「……コイツはやべーな、多分おめーらにはちょっと刺激が強過ぎるかもしれねーぞ?」
「……刺激が強い? お姉、何の話?」
「これアレだぜ、オモチャだ『オモチャ』、夫婦のマンネリ化を改善させるにはもってこいの秘密兵器さ、そんなもんまでこっそり持ってたのかよ、あの夫婦も隅に置けねーな」
「……何スか『オモチャ』って? 優歌さん、もっと詳しく教えて下さいよ?」
「まぁまぁまぁまぁ、そう焦んなって? 百聞は一見に如かず、見りゃ何なのか嫌でもわかるさ、いいかおめーら、大人の扉開けちゃうぜ? この世の全ての男女のカラクリと、末永い夫婦円満の秘訣をよーくその目にしかと焼き付けな!」
お姉の号令で私達とリビングを隔てる扉がゆっくりと開き出す。その隙間からは部屋の灯りが差し込み、私と翔太の心臓の鼓動は最高潮に達した。ここに一つの夫婦の愛のカタチがある……!
「……うわっ、嘘!? 私、こんなの初めて見た……!」
「……す、すげぇ! なるほど、そうか、そういう事だったのか……!」
「……あれー?」
私と翔太がその光景に驚く最中、お姉一人だけが首を傾げて何やら落胆の表情。そこにはテレビに映るマリオとビーチ姫がバイクとカートに乗ってアクロバティックなコースを走っているゲーム画面を見ながら、ハンドル付きの白いコントローラーを揃ってクルクル回している父さんと母さんの姿があった。
「……うわぁ、あれ、いづみさんが欲しい欲しいって言ってた噂のWiiだ! うちにはゲーム機なんて一体も無かったよね? じゃあ、母さんが買ってきたのかな? さっきの紙袋の中にはこんな物まで入ってたんだ!」
「マンネリ化を改善して夫婦円満を保つ『オモチャ』ってのはコレの事ッスね優歌さん! そうそう、俺もそろそろゲーム欲しかったんだよなぁ、何かすっげぇ面白そう!」
「……うーん、チッ、いまいちあたし的には納得出来ねーんだけど、でもまぁ良いっか」
お姉が一体何を納得出来ないのかは良くわからないし、わからない方が良さそうなので深い追及はしないが、それ以上に私はこの光景を見て嬉しくなって少し涙が出そうになった。もちろん、それは我が家にWiiが来たからではない。
ちょっとゲーム操作を苦手にして困っている母さんに、優しく手本を見せて手ほどきしてあげる父さん。その表情は面倒臭そうで、でも何か嬉しそうに見えた。母さんも素直にその説明を聞いて、四苦八苦しながらも楽しそうに父さんの真似をしていた。
それは物覚えつく前に私がいつか見た懐かしく微笑ましい二人の姿。私が初めて瞼を開けた時に目にした世界にたった一組の両親の姿。やっぱりこの二人はちゃんと愛し合っている夫婦であり、私はちゃんと歓迎されてこの世に生まれてきたんだとこの時確信した。そして、私の心を覆っていた不安のくすみは全て綺麗に消えていった。
「あーもう! やっぱり上手くジャンプ出来ないし曲がらない! きっとこのコントローラーに原因があるのよ、ちょっとそっちと交換して!?」
「一緒だっつーの! おめぇの操作がおかしいんだよ、おめぇは本当に物作り一辺倒でそれを扱ったり遊んだりすんのは下っ手クソだよなぁ? 全くもってセンスゼロだぜ、ウッヒャッヒャッヒャッヒャー!!」
「いいや、私が下手クソだなんてそんなはずは無いわ! さっきからちゃんと操作してるもの! まさか虎太郎、アンタ、私が上手く走れないように裏で隠れて何か細工してるでしょ!? 卑怯者! ズルしないで正々堂々と私と勝負しろ!」
「する訳ねぇだろこのバカたれが! おめぇがあまりに下手クソ過ぎてそんな細工する必要すらねぇよ、ちっとも勝負にならねぇな、頼むから少しはこの俺様を楽しませてくれよ、麗奈さんよぉ!?」
つい先程まで汚い言葉で罵りあっていた男女とはとても思えないほど、二人は仲良く並んでこちらに気づかないくらいゲームに夢中になっていた。父さんはともかく、母さんがこれほど楽しそうにしている姿を私は見た事が無くてとても新鮮に感じた。
その表情はあの『氷の女王』と呼ばれる何事にも動じない冷徹のポーカーフェイスからはとても想像もつかない、無垢で純粋な十代の少女の様な眩しい笑顔だった。これが本来の母さんの笑顔であり、きっとこれは父さん相手にしか見せない表情だと思う。そして、父さんはちゃんと母さんの本当の姿をわかってる。
「あぁんもう! 何でさっきから曲がりきれずにすぐコースアウトしちゃうのよぉ!? この前やった時は上手く出来てたのにぃ!」
「嘘くせぇ、あんまり言い訳がましいと見苦しいぜ? おめぇ、本当は一度も上手くコーナー曲がれた事なんて無ぇんじゃねぇのかぁ?」
「失礼ね、これでもずっと向こうで一生懸命練習してたのよ! いつもゲームではアンタに負けっぱなしで嫌だもん、このゲームなら絶対リベンジ出来るって気合い入れて持ってきたのに、もう悔しい〜!!」
「じゃあ、今回もその努力は水の泡と消える訳だなぁ? 残念だねぇ、可哀想な麗奈ちゃん?」
「うるさーい! 黙れ黙れ黙ーれ!! 絶対に負けないんだから、こんなのこうしてやるっ!!」
「痛ってぇなぁ、バシバシ叩くなよ! 人のコントローラーに手ぇ出して操作の邪魔すんなっつーの! おめぇ卑怯だぞ!?」
母さんがわざわざ家にゲーム機を持ってきた理由は父さんと一緒に遊びたかったらなのかな? もしかして、お姉が買い物に行って私達と一緒に家に入るまでの間、あの静寂の中でも二人で一緒に遊んでたのかな? だとしたら、実際母さんにこんな事言ったら絶対怒られちゃうと思うけど……。
「……母さん、何か可愛い、スッゴい可愛い……!」
どうやら、今日をもって私の母さんへのイメージが完全に180度変わってしまった感じがする。やっぱり母さんだって女性、恋に生きる純粋可憐な女の子なんだ。
そして、連れない態度を取りながらもそれにちゃんと応える父さんも男。何でこんないい加減な人が多くの人に愛されているのか、女である私でも少し理解出来たような気がした。
「オイコラ、那奈、翔太! おめーらが邪魔でゲーム画面が良く見えねーよ、もっと前に行きやがれ!」
「やめてよ、お姉! そんな無理矢理したら扉が完全に開いちゃうって、ほら、危ない!」
「痛っ!! 痛い痛い痛い! 俺、一番下敷き、痛ーい!!」
「……ん? オイ、おめぇら何やってんだ? 昔良くやってた懐かしいプロレスごっこか?」
「……何よ、三人揃いも揃って? 本当に仲が良いわね、あなた達」
「……アハ、アハハ、お邪魔しまーす……」
……覗き見犯、漫画やドラマで良くありがちなお約束的自爆将棋倒しで発見されるの図。上からお姉、私、翔太の出歯亀三匹重ねを見る父さんの母さんの視線は若干しらけてはいたが、とても温かく優しかった。
「よっしゃ翔太、この世の中は男の手によって動いている事をコイツら世間知らずの女どもに教えてやろうぜ! 今ここに渡瀬・風間の最強コンビの復活だ! 亀を入手したら即刻て容赦なく投げつけてやれ! ただし、俺様に当てたりしたら半殺しにしてやるから覚悟しろ!!」
「えっー、そんなー!?」
「優歌と那奈はこういうゲーム慣れてるわよね? いいこと、何が何でもあの赤帽ヒゲオヤジキャラのバイクを阻止して私を一位に導きなさい! どんな手を使っても構わないわ、これは世界中の女性全ての威厳がかかった天下分け目の大勝負よ!!」
「那奈、これは責任重大だぜ? 負けたら麗奈ママの面子は丸つぶれ、あたしの面子も丸つぶれだ、負けは許されねーぜ! わかってんだろうな、あぁん!?」
「自分の番じゃないからって無責任過ぎだよお姉! どうしよう、私も小夜の家でやった時ぐらいでこのゲームの操作方法良くわかんないよー!?」
二人に確保された私達は男女別に振り分けられて二対二の四人プレイに参加する羽目に。無茶な事ばかり要求するお互いのチームリーダーにてんてこまいになりながらも、久し振りの一家揃っての家族団欒の時間に嬉しくなってはしゃいでいる私がそこにいた。
やっぱり家族が一番、今更だけどそれを痛感した一時だった。いづみさんも逃げずにここに残れば良かったのになぁ。あんなにWiiやりたがってたのにもったいない。逃がした魚、とっても大きくて楽しいですよー、いづみさん?