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第54話 通り雨



「どうだー、そっち何かあったかー!?」


「駄目だー、こっちは掘っても掘っても何も出てこねー!」


「神社の境内側の方はどうだー!?」


「こっちは太い根っこがあってなかなか掘っていけねー! 人手が足りねーよ、もっとこっち側に人よこしてくれー!?」



オトン達が若い頃に思い出として埋めた宝物を探すウチらの誠意に応えてくれた波子さんを始めとする逞しい漁師さん達の手伝いのお陰で、昔は神社の神木としてこの港町を見守り続けてきた切り株の丸いベンチの周りはサクサクと順調に穴が掘られていった。

しかし、あちらこちら色々掘ってもなかなかその現物のお宝が見つからへん。オトン達男三人が短時間で埋めた物やから、少し掘り起こせばすぐに見つかるやろうな、というウチらの軽い見通しは見事に外れ、大の男達が十人近く集まって取りかかっとるのにもう作業を開始してから一時間以上が経過しとった。近くにある時計を見るともう時刻は午後三時を回っとる。

そろそろお宝を見つけて帰宅の準備に取りかからんと、オトンがいる病院まで到着する頃にはもう日が暮れて真っ暗になってまう。そないな事になったら病院の面会時間が終わってしまうし、下手すりゃ日の変わる時間までに家に帰れへんかもしれへん! 一体オトン達はどんだけ深い場所にお宝を埋めたんや!?



「波子さん、ウチらもう一回さっきの穴の方をもうちょい掘ってみる! もしかしたら、もっと深い所に埋めてあるかもしれへんもん!」


「おう、わかったー! でもなー、あんま無理して掘って壁が崩れて生き埋めとかになんなよー!?」


「うん、任しとき! 薫、こっち手伝って!?」


「……了解!」



最初は危ないからってみんなに言われてウチらは静かに作業を見ているだけにしようと思ってたんやけど、なかなかお宝が見つからなくてだんだん場の空気が悪うなってきてるのを感じて、ウチは居ても立ってもいられなくなってスコップを持ってみんなと一緒に穴を掘り始めた。もう黙って見ているだけなんは苦痛になってしもうてなぁ。

そんなウチの姿を見た薫も穴に入って普段する事も無い慣れない作業を一緒になって手伝ってくれた。岬の面倒は綾と歩美さんに見て貰うて、ウチと薫は二人で何とか協力しながら顔や服が土で汚れるのも構わずひたすら穴を掘り続けた。さすがに、サッカーするのとは違うてかなりの重労働やなぁ、コレ……。



「……ぐっ……!」


「……ん? 薫、どないしたん?」


「……何でもない、何でもないから……」


「……何でもないって……、えっ、薫? これ、どないしたん!?」



額に脂汗をかきながら顔を歪ませとる薫の足元に目をやると、左の足首の白い靴下の部分がじんわりと赤く染まっとった。……これ、血やないか! 出血しとる! 怪我したんか!? 何でや!? 薫のヤツ、どこでこんな怪我を……!?



『……ちょっと待って、確か薫の左足って……、せや! 薫の左足は事故で……!』



……そうやった、義足やったんや! 確か、子供の頃に外国で何かの爆発事故に巻き込まれて、左足の足首から下を無くして専用の義足をはめているんやった! 失った部分の障害の程度が軽く、義足の出来具合がええからも普通の人間みたいに動いたり走ったりする事が出来るんですっかりその事を忘れてしまっとった! 前にキャンプ場に行った時に無理して歩けなくなるのを、ウチはそれを目の前で見てたのに!



「……薫、アカン! もうええ、もうええからこれ以上掘るのやめてや! もう無理せんでええから!」


「……大丈夫、まだ出来る、まだ出来るから……!」


「ええねん、もうええねん! ごめんな? 義足、また壊れたんちゃうか? それとも、左足に負担がかかって金具が食い込んだんとちゃうか? ウチ、すっかり薫の足の事忘れて手伝わせてもうて、ごめん! ホンマにごめんな!?」


「……ハハハッ、翼が謝る事なんかじゃないよ? 俺が自分の足の状態もわきまえずに勝手に一人で暴走した報いさ、金具と肉の間が擦り切れて出血しただけだろうから大した怪我じゃないよ、心配して貰うほどの事じゃないからさ……」


「……でもウチ、今までこんな大切な事をすっかり忘れて、薫に対して厳しい事言うたり無茶な事ばかり頼んだり、ウチ最低や、ホンマ最低の人間や! ごめんな、ホンマにごめんな!?」


「……だから良いんだって、この怪我は翼のせいなんかじゃないよ? 俺からしたらこの怪我は翼の為に体を張れた名誉の傷さ! 俺も翔太や航みたいに少しは男らしいところ見せようと粋がってみたんだけど、やっぱり大して翼の役に立てなくて俺こそごめん! 俺、もっと強い男だったらなぁ、翼、ホントにごめん!」


「……何で薫が謝んねん、ごめんな、ホンマにごめんな……!」



……ホンマ、ウチは最低の女やわ。薫かてオトンと同じ様に大きなハンデを背負わされた人間やったのに、そないな事すっかり忘れてずっと今までヒドい扱いばかりしてしもうた。掘り作業や港での漁船掃除みたいな重労働をやらせるのはもちろん、家からこない遠くまで連れてくる事自体間違っとったんや。もしこれで薫の足に何か取り返しのつかない異常が起こったら、ウチでは何も責任取ってあげる事出来へんのに……。

それなのに、薫は痛みを堪えながらやせ我慢をしてウチに笑顔を見せてくれる。そない優しい目でウチを見んといてや、余計自分が嫌になって辛いがな。ウチ、もう自分が情けなくて腹立たしくて、胸がギュッてなって苦しくて涙が出てくるがな……。



「……あれあれ、どうしたの? 何で翼が泣き出しちゃうのさ? 大丈夫だってば、翼のせいでも何でもないんだからさ、ねっ?」


「……ごめん、ごめん、薫、ごめんなぁ? ホンマにごめん……」


「いいんだって、大丈夫だから、もう泣くのはやめようよ? 俺はいつも元気に振る舞ってくれる翼の笑顔が一番好きなんだからさ……」



頭までスッポリ隠れてしまうほど深い穴の中で薫の肩にもたれかかって泣きじゃくるウチの姿を見て、周りの人間達もすっかり作業の手が止まってしもうた。なかなか思う通りに進まない捜索活動に、さすがの海の男達も疲れの色が見え始めとった。もうここらが潮時なんかなぁ……?



「……茶髪、後は任せろー、お前の分まであたしが頑張って掘り……、って、んんっ!? おーい、これは一体何だー!?」



そんな中、顔中泥まみれになりながら一人黙々と穴を掘り下げとった波子さんの大声が休憩所全体に響き渡った。他の場所で穴を掘っていた漁師さん達も一斉に集まってきて、波子さんのスコップの先の根っこの奥に埋まっている何かに視線を集中させた。



「おーい、チビ子ー! ここに何か派手な柄の風呂敷袋みたいのが根っこの間に絡まっとるぞー! もしかしてお宝ってこれかー!?」


「……ちょっと、あらやだ! その風呂敷は昔、母さんが大切にしてたお気に入りの柄の風呂敷じゃない!? なぜか急に家の中から無くなっちゃって母さんが必死になって探していたのを覚えてるわ! まさか何で、どうしてこんな所に!?」



歩美さんはこの風呂敷に見覚えがあるみたいで、まさかの地中からの発見に目をパチクリさせて首を傾げまくっとった。この風呂敷を盗み出してここに埋めた人間は森川の里の関係者、鈴子婆さんと親しい人物と見て間違いないやろうな。って事は、その犯人がここに埋めたこの風呂敷の中身は、まさか……!?



「……これが、オトン達の宝物……?」



かなり根っこが厳重に絡んどってなかなか取り出すのに苦労したんやけど、何とか波子さんの手でこの風呂敷袋は穴の中から外に運び出されて地面の上に顔を出した。思い出の宝物、約三十年近い年月を経てお空の下に御披露目の時。ついに、ついにやっとウチらはオトン達が埋めたお宝を発見する事が出来たんや!



「どうやら絡んだ根っこがそのまま伸びていって、最初に埋めた場所よりもさらに深くに持っていかれてしまってたみたいだなー? こんなにたくさん根っこが絡まっていたって事は、よっぽどこのお宝はここの神様に大切に護られていたんだろうなー? チビ子、茶髪、やったぞー! あたしが約束通り宝物を掘り出してやったからなー!」


「……おおきに、波子さん、ホンマにおおきに! 歩美さん、おおきに! 港の漁師さん達、みんなおおきに! ホンマに、ホンマにおおきにぃ!!」



もう、ホンマにメチャメチャ嬉しかった! 今度は嬉し涙がボロボロ出てきて止まらへん! こんな感動は生まれて初めてや! 昔に遭遇したどんな感動名場面よか、瑠璃が初めて歩いた時よか、麻美子が再び生きていく事を誓ってくれた時よか嬉しい! 多分、サッカー日本代表がワールドカップで優勝するのと同じくらいメチャクチャ嬉しい!!

その場で何度もピョンピョン飛び跳ねて薫や綾や岬やみんなといっぱいたくさんハグしたわ、どんな仕草でこの喜びを表現したらええかもう全然わからへん! ウチはやっとオトンに最高の親孝行をしてあげる事が出来たんや! やっぱりウチがしようと事は間違ってなかったんや!!



「……翼ちゃん? 私達に気持ちを伝える前に、もっと先に感謝をしなくちゃいけない人達が他にいるんじゃないかしら? あなたを信じてここまでついてきてくれた大切な友達がいるでしょ?」


「……うん、せやな! 歩美さんの言う通りや! 岬、綾、ここまでついてきてくれてホンマにおおきに! オマエらは最高の親友やでぇ!!」


「おねータンはさすがみータンのおねータンだね! これでパパも大喜び! カッコいいぜ、おねータン! イエーイ!!」


「こんな素敵な感動場面に出会す事が出来るなんて、私、やっぱり翼を信じてついてきて本当に良かった! 翼、最高! 私からご褒美にチューしてあげるよ! チュ〜!」


「ごめんなぁ綾、それはさすがにキモいんで断らさせて貰うわ〜! 寄るな〜、触るな〜、その汚らしい顔をウチに近づけるな〜!」



でも、一番感謝せなあかんのは、痛い足を引きずって土を掘ったり駆け回ったり赤の他人にまで土下座してウチの為に頑張ってくれた薫の存在や。波子さんにスコップで殴られたり、ウチらに熱湯かけられたり散々やったもんなぁ。まぁ、半分は自業自得やったけど。



「……薫、ホンマにおおきに! ウチ、さすがに今回は薫を見直したわ、ウチな、あのな、もしかしたら薫の事が……」


「……ンンゥ〜」


「……な、何やねん? 目ぇつぶって不細工な顔して唇尖らがして?」


「ええっ? 決まってんじゃん!? チューだよチュ〜、ご褒美のチッスさ! これくらいのご褒美貰っても罰は当たらないはずだせぇ?」



……ハ、ハァ? ご褒美のチッスって、キ、キ、キス!? しかも唇にしろやとぉ!? ここでウチのファーストキスを薫にぃ!?



「ア、ア、アホかオマエは!? 人が少し油断したからって調子乗るなや!? ウチはこう見えてもなぁ、あ、あの、オトン以外の男とキ、キスした事なんて無いねん……、せやから、せやからぁ、いきなりそないな事言われたら、ホンマに困まってしまうやないかぁ……?」


「ウヘヘヘヘ、翼がすげぇ照れてるぅ〜! ギザカワユスなぁ〜!」


「……す、好き勝手に茶化しよってぇ、ウチ、ホンマに怒るぞぉ……?」


「あー足痛い、すっげー足痛い、痛いなぁ痛いなぁ! もしこれで二度と歩く事が出来なくなったらどうしましょ!? せめてほっぺにでもいいから翼にチッスして貰えたらこんな痛みどこかに飛んでいってしまうんだけどなぁ? ほっぺでいいからさ! お願い、お願い! 薫ちゃん一生のお願い!! チッスしてくれたらここから100mを9秒台で走っちゃう!!」


「……ほっぺで、ほっぺでええねんな? まぁ、ほっぺやったらええ、かなぁ? ほなら、ウチ小さいからちょっと屈んでや……?」



うわぁ何かイヤやなぁ、メッチャクチャ恥ずかしいわ。周りの人達は掘り出した風呂敷袋の中身に気を取られてこっちを見てへんからええけど、こんなウチのキャラに無い可愛い子ちゃんみたいな真似すんのはホンマにこそばゆい!

でもなぁ、薫はそれだけの事をしてくれたもんなぁ、これくらいしてやらんと可哀想やもんなぁ? ほっぺや、所詮はほっぺや。胸がはちきれそうなくらいドキドキ緊張するけど、女は度胸や! とりあえず目はつぶった方がええのかな? でもやっぱりドキドキするわぁ、見えへんけど、少しずつ顔に近づいてきて薫の匂いがしてきた……。



「……おぉっ? 何だこれー!? あれだけ必死になって探した宝物が、こんな下らん物なのかー!? アッハッハッハー、馬鹿らしー!」


「……へっ?」


「……あれれ?」


「うわぁ! オマエ、何しとんねん!!」


「痛ぁぁぁぁぁい!!」



波子さんの突然の爆笑声に驚いて薫のほっぺに唇がつく前に目を開けると、目の前でいつの間にか薫が正面向いて不細工面で唇尖らがせておった! うわぁ気色悪い、あまりのキショさに勝手に体が反応して思いっ切り薫の頬を平手打ちしてしもうた。やっぱりコイツ最低や、危うく騙されてウチのファーストキスをこの卑怯者に奪われるところやったわ!



「……いった〜い! ひでぇよぉ、とろけるスイートチッスじゃなくてスナップの効いた痛恨の一撃をこの薫ちゃんの可愛い天使のほっぺにお見舞いするなんてさぁ、あんまりだよ翼〜?」


「約束をキチンと守れへんヤツに誰かご褒美なんてくれてやるかこのアホっ!! それにそないな事言うてる場合とちゃうねん、何か緊急事態発生や!」



下らん物? そんなアホな、これはオトンが若かれし頃に泣く泣く諦めた儚い夢が詰まった大切な大切な宝物やろ? それを事情も何も知らん波子さんが一目した途端に下らん物なんて扱き下ろすってどういう事やねん? 風呂敷袋の中に入ってたオトンの宝物って一体何だったんや!?



「ほら、チビ子、茶髪、見てみー? 『昼下がりの淫らな若奥様』、『女子校生の芽生えの春』、『女子社員の秘密の深夜残業』、その他諸々、みーんなアソコ丸見えの素っ裸の女が写っとる茶髪が好きそうなスケベなエロ本ばっかりだー!」


「ワオ! これは昔、昭和の血気盛んな若者達が誰もが一度は手にした伝説の性のバイブル、『ビニ本』ってヤツですねぇ!? さすがは新作さんだ、俺がエロスの象徴の神として崇める男の中の男たる素晴らしきおっぱい王なり!」


「やっぱりお前の父ちゃんはスケベな男だなー? こんなもんが宝物かー、アッハッハッハー!」


「……ヘ、へぇっ……?」



……んなアホな、んなアホな、んなアホなぁ〜!? ありえへん、ウチらがこんなに苦労して探し回った宝物がただのエロ本の束やってぇ!? せやったら、ウチが一途にオトンを想って勇気を振り絞り頑張ってきた今までの努力は一体何やったん? それでも不安にかられてたくさん流した涙は一体何やったん? みんなにみっともない姿晒しても、なりふり構わず突き進んできたこの三日間は一体何やったんやぁ〜!?



「あらちょっとやだやだ! これも昔、私と母さんが虎ちゃんから取り上げて箪笥の奥に隠した物じゃない!? 虎ちゃんったら、こんな教育に悪い本をたくさん持ち帰ってきては他の孤児院の子供達に見せたりしてたのよ? 『女はいいぞ〜?』なんて悪ふざけしながら!」


「……へぇっ? 虎ちゃんって虎太郎オトン? ほなら歩美さん、このエロ本はオトンの物とちゃうねんな!?」


「確かに、間違いなくこれは私と母さんが虎ちゃんから没収した物よ? 新ちゃんもエッチな子だったけど、こんな下品な物を家に持ち込む事まではしなかったわ! 下品さではあの三人の中で一番虎ちゃんがヒドかったわ!」


「そうかー、これはあの男気溢れる虎太郎先生のエロ本だったのかー? さすがは先生、丸見え無修正人生だなー!? あたし、すっかり勘違いしちまったわー! すまんなー、チビ子ー?」


「でも、この風呂敷袋といい、いつの間に箪笥の中からこれを見つけ出してここに埋めやがったんだ? てっきり泥棒でも入ったのか、って勘違いしちまったじゃねぇか、あのクソガキ共め……!」



ちょっと歩美さんが怒り気味で口調が裏モードに変わったのが気になったけど、とりあえずウチはその話を聞いて一安心したわ〜! まぁ、啓介オトンの話やと、ウチのオトンはエロ関係の私物はみんなこの神社の仏像の下に隠してたらしいしな。よっぽど鈴婆さんと歩美さんに見つかるのが恐かったんかな? しかし、虎太郎オトンも結構なスケベ親父やなぁ、ヒドいおっさんやわ!



「んー? 本の下のこれは何だー? 薄っぺらいのか数枚、お母さん、もしかしてこれってレコードかー?」


「ヤダ、これも! これも私と母さんで啓ちゃんから没収したレコード! 啓ちゃんは夜遅くまで外国のロックのレコードを聞きながらギターを弾いて他の子達の眠りを邪魔するから、全部取り上げて本と一緒に隠したのよ? 一体いつ盗み出したのかしら? やっぱり泥棒の仕業じゃなかったのね……?」



こちらのレコード数枚は一目瞭然見ての通り音楽家の啓介オトンの宝物やった。ビートルズ、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジミー・ヘンドリックス、ローリングストーンズなどなど……。いかにも啓介オトンらしい品物や。小さい頃からこんなんを聞いて音楽の才能を伸ばしていったんやろなぁ……。


でも、そんな昔の代物を前に少し昭和のノスタルジックな雰囲気に浸っとったウチも風呂敷袋を全部広げてみて一気に青ざめた。中身は虎太郎オトンのエロ本が計八冊、その下に啓介オトンのレコードが計十枚、あとはそれらを包んでいた風呂敷が一枚。何と一番肝心のオトンの宝物ってもんがどこにもあらんかったんや……!



「そんなアホな!? さっきオトンは電話で『諦めた夢を埋めた』って言ってたで!? 何も無い訳ない、オトンの宝物も必ず一緒にあるはずや!?」


「でもなー、もうこの穴の中には何一つ物らしき物は何にも無いぞー? なぁなぁ、お母さん、新ちゃんオヤジからも何か没収した物はないか覚えてないかー?」


「……いいえ、新ちゃんは取り上げなきゃいけないような悪い物を持っていた記憶は無いわ、新ちゃんの宝物、諦めた夢、一体何かしら……?」



ウチらが焦って穴の中や風呂敷の裏表を念入りに確認してオトンの宝物を探している最中、何やらウチの近くで邪悪なスケベ心が立ち込め渦巻いとる嫌悪感を感じた。 あの時あの病院でオトンと薫が看護婦相手に鼻の下を伸ばしまくってたあの雰囲気。恐る恐る後ろを振り向き足元を見ると、茶髪のエロ坊主が目をギラギラさせて昭和のエロの落とし物を読み漁っとったんや!



「……薫オマエ、岬も近くにいるのに何を御開帳しとんねんこのどアホっ!?」


「痛ぁぁぁぁぁい!! 顔面キックは靴底の土を落としてからにしてぇ!? つーか、翼のスカートも御開帳でビニ本のマル禁部分とオーバーラップして薫ちゃん体の一部がホットホット!!」


「うわぁ! 最低や最低や!! ウチのトップシークレットな女の子の大切な部分を勝手に妄想しよって! 変態! この変態、変態!! 死ねっ死ねっ死ねぇ〜!!」



ウチが容赦なく薫の顔面を踏み潰しとると、その弾みで一冊のエロ本の隙間から圧縮されてヒラヒラになった一枚の布地の様な物が飛び出してきた。ペッタンコに折り畳まれておったけど、どうやら何かYシャツの様な上着の服。何か文字と数字みたいなもんが刺繍されとるそれを見た時、ウチはそれが何なのか、そしてオトンが言うてた『諦めた夢』の言葉の意味が何なのか、頭に稲妻が落ちたみたいに直感が走りそれが全て理解出来た。



「……これ、これってまさか、まさか!?」



その布地を手で拾い上げ一つ一つ折り目を広げて空にかざした時、ウチの直感は確信に変わった。そうやったんや、オトンが諦めざる負えなかった大切な記憶、思い出したくない過去の消せない後悔、それはやっぱり、宿命として背負ってしまった病魔によって栄光への道を奪われ、娘であるウチに託してくれたオトンの一番の夢……!



「……南下賀茂高、背番号10……、間違えない、これってサッカーチームのユニフォームや!」



南下賀茂高と言う名前とウチが持っているユニフォームを見て、歩美さんは何か大切な事を思い出したみたいに口を押さえて絶句した。そして、今にも泣き出しそうな感極まった表情で静かに話し始めた。



「……これ、これは、新ちゃんの高校生の時の部活のユニフォームよ! こんな、こんな所にあった……!」


「やっぱりそうや、オトンの大切な宝物は高校時代の部活のサッカーユニフォームやったんやな!」


「……あの子は、あの子は本当に、もう……」


「……歩美さん? 一体どないしたん?」


「……馬鹿っ、本当にあの子は馬鹿なんだから……!」



手で口を押さえたまま、歩美さんは膝を突いて座り込みその場で泣き出してしもうた。ウチらはあまりに突然の事で呆気に取られてしばらく話しかける事が出来へんかったけど、波子さんに介抱されて落ち着きを取り戻した歩美さんはこのユニフォームにまつわるオトンの過去の話を教えてくれた。



「……あの子はね、小学生の頃からサッカーの盛んな静岡県内でも有数のサッカー少年だったのよ、中学生の時は何度も県代表チームの一員に選ばれて、全国大会でも大活躍して将来を期待された有望選手だったわ……」



うん、それはウチもオトンから聞いた事がある。子供の頃から類い希なサッカーセンスを開花させていたオトンは高校進学の際、静岡県内の様々なサッカー強豪校から入学を推薦されていた。でも、その為には我が家同然に暮らしていた森川の里を出て高校の部活寮に引っ越さないかん事になって、みんなと離れて暮らすのが嫌やったオトンはそれらの推薦を全部蹴っ飛ばして孤児院の近くにあった小さい公立高校に入学したんやっけ……。



「本当に馬鹿よね、立派な高校に入学してそこで全国大会に出て活躍すれば、当時はプロのサッカーリーグは無くとも実業団のチームに入ってお仕事にも困らなかったのにね、『兄弟と離れて暮らすなんて考えられへん、母ちゃんと姉ちゃん置いて自分だけ一人安定した暮らしするなんて絶対に嫌や』なんて言い出しちゃってね、あの子が外の世界に出て成功してくれる事が母さんの一番の喜びだったのにねぇ……」



それでも、オトンはその公立高校のサッカー部に入部して三年間の高校生活で小さい港町の弱小サッカー部を全国大会の県代表戦決勝の舞台にまで導いていったんや。有り余る才能と経験豊富なキャプテンシーを武器にして……。



「その高校の名前が、そのユニフォームに刻まれている南下賀茂高等学校よ? 今はもう、少子化と県の学校再編法案によって廃校になってしまったけどね、新ちゃんはチームのみんなを率いて県内の強豪校を破って決勝の舞台でもこのユニフォームを着てグラウンドに立つはずだった、はずだったのよ……」



その決勝戦の前日、夜遅くまで学校のグラウンドで練習に励んどったオトンに対して死神が非情な首刈り鎌を振りかざしてきよったんや。突然、胸の強い痛みを感じたオトンはその場に倒れて意識を失い、救急車に運ばれて心臓内科の救急病院で緊急手術を受ける事になった。手術の為にその時着ていたサッカーユニフォームはハサミで切られてもうたらしい。

何とか一命と取り留めて意識が戻ったオトンに医者から突きつけられたあまりに辛く悲しい二つの現実。一つは自分が倒れている内に『敗退』と言う形で終わってしまった高校最後の大会の終焉。そしてもう一つは、日本から世界の華々しいサッカーリーグへの移籍と日本代表の一員として最高峰の舞台であるワールドカップへの出場を夢見ていたオトンのサッカー人生の終焉命令と、近い内に人生そのものも終焉を迎える可能性があると告げられた死の宣告。



「……辛かったわ、私も母さんも涙が枯れるほど泣いた、何で、どうして? どうしてこんなに家族や兄弟想いの優しくて頑張り屋さんの新ちゃんに対してこんな惨い運命を与えるの? って、あの時私は心から神様を憎んだのを覚えてるわ……」



病院に入院したオトンはしばらく、絶望に打ちひしがれて誰ともまともに会話しなくなってしもうたらしい。それがたとえ見舞いに来た虎太郎オトンや啓介オトンやろうと、歩美さんでも母親同然の鈴婆さんでも病室の窓の外を眺めたまま返事すらしなかったそうや。



「……ウチがオトンから聞いた話はそこまでや、そういえば、オトンはこんな状況からどないして再び立ち上がる事が出来たんやろか? 報道ジャーナリストを目指す事になったのは大学で出逢ったオカンの影響やって聞いてはいるけど、そないな状態でどうやって大学に……?」


「……そこで、このユニフォームが話に関わってくるのよ? 病院でただ流れていく一日一日を抜け殻みたいになって過ごしていた新ちゃんの元に、三年間一緒に汗を流してきた高校のサッカー部の仲間達がお見舞いに来てくれたのよ……」



サッカー部の仲間達は、病に倒れ試合に出場出来なかったキャプテンを一言も責めたりなんてしなかったそうや。それどころか、『俺達のチームのキャプテンの代わりなんて誰もいない』ってオトンの代名詞の背番号10が入ったユニフォームを再び新しく作り直してプレゼントしてくれたそうなんや。



「……それでもしばらくはね、退院して家に帰ってきても新ちゃんは元の明るい男の子には戻らなかったのよ、その姿を見た母さんは少しでも早く新ちゃんの心が晴れますように、って毎日毎日そのユニフォームを丁寧に洗い続けたのよ、晴れの日も、雨の日も、嵐の日でも毎日毎日……、一度も服に袖を通してないんだからちっとも汚れてなんていないのよ? それでも母さんは、高校の部活動の練習で毎日汗まみれで帰ってきたあの時のユニフォームと同じ様に、毎日毎日洗濯し続けたの……」



そして、その鈴子婆さんの暖かい愛情はいつしかオトンの曇っていた心の中も真っ白に洗い流していった。汚れてもいないユニフォームを洗濯させるのは忍びない、ってオトンは再びユニフォームに袖を通してリハビリ程度の運動を始めるようになった。

孤児院の周りの道をフラフラと気軽に散歩したり、心臓に負担がかからん程度にサッカーボールをリフティングをしたりと、一人の社会人としての復帰を目指して人生を再出発する事を決意したんやて。自分を一生懸命支えてくれる、鈴子婆さんや歩美さん、サッカー部の仲間達などみんなの誠意に目一杯応える為に……。



「……でもね、新ちゃんが都内の大学に合格して虎ちゃんや啓ちゃんと一緒に孤児院を出る事になった時、母さんはいつもの様にユニフォームを綺麗に洗濯して、巣立ちの記念に新ちゃんへ手渡してあげようとしたらしいんだけど……」


「……何か、あったん?」


「庭に干していたユニフォームがいつの間にか無くなってしまっていたのよ、母さんは風に飛ばされてしまったと思って泣いて新ちゃんに謝っていたわ、人前であまり涙を見せる人じゃなかったのにね、でも、そんな母さんを新ちゃんは笑って許してあげていたわ、『気にする事なんてない、もう俺はあれが無くても大丈夫や、生まれ変わったんや』って……」



……それは多分やけど、オトンが鈴子婆さんに隠れてユニフォームを回収して、虎太郎オトン達と一緒にこの木の下に埋めたんやと思う。だって、オトン言うてたもん。ここに埋めたのは親に捨てられた孤児として育った悲しい過去の記憶やって。新たな自分に生まれ変わる為の儀式やったって。そしていつか、社会に出て成功した時にみんなで掘り返して昔の事を語り合いたいってな。

きっとオトンにとって、このユニフォームは自分の夢を絶たれた悲しき記憶の残骸で、それによって生きる希望を失い殻に閉じこもってしまった弱い自分の姿の象徴やったんやろな。それを見る度にオトンはその時の自分の事を思い出して、それが嫌でここに忌まわしき過去と共にこのユニフォームを埋めていったんやと思うねん……。



「……でもな、こんなに暖かい人達の想いがこもっている物、絶対に捨てたらあかん大切な思い出の宝物やで! 今、病院で弱音吐いとるオトンは生きる希望を無くしたその時と同じ弱いオトンや! せやからこそ、今のオトンにはこのユニフォームが必要やねん! 生きていく勇気を奮い立たせてくれた、みんなの誠意がたくさん詰まったこのユニフォームで、再びあの時の様に生きる希望を取り戻して貰うんや!」


「……これでやっと、あの時の母さんの想いも一緒に今の新ちゃんの元へ届けてあげる事が出来るわね、翼ちゃん、私達の新ちゃんへの愛情の届け役、宜しく頼んだわよ!?」


「任せときや! 今度はウチが鈴子婆さんの代わりにこのユニフォームとオトンの心をガシガシ洗い上げてやんねん! そんで、このウチの太陽の様な眩しい笑顔で天日干しにしてパリッパリの真っ白に仕上げてあげんねん!」



よっしゃあ! これで肝心のお宝も見事にゲットやで! 何かとんでもないデカい代物やったら持ち帰るのどないしよ? なんて不安やったけど、これなら折り畳んでバックに入れれば楽勝や! 残りの二人のお宝は……、レコードはまだええけど、エロ本はさすがに勘弁して貰いたいなぁ……?



「心配しなくていいわよ、二人の私物は私が責任を持って配達便で送ってあげるわ、もちろん、没収した物を勝手に盗み出したお叱りの文と盗難賠償も一緒に添えてね?」


「えっ〜? 昭和のレジェンドエロス『ビニ本』とはここでオサラバですか〜? 薫ちゃん、もっともっと女体の神秘の部分に触れたかったのに〜、ショボーン……」


「ええ加減にせえやオマエはホンマにこのエロ坊主が! エロ本ばかり読んどったら彼女なんか出来へん、ってこの前オトンが言うとったで!?」


「オゥ、イエス! 俺にはつばピーっていう魅力的で希少価値満点のロリロリマイハニーがいたんだよね! エヘヘ、こっちの方が興味津々だぜ? じゃあ、女体の神秘のお勉強は是非とも翼から手取り足取り直接指導を……」


「歩美さん、ホンマ助かります、おおきに! ほなら、さっさと空けた穴埋めてとっとと帰る準備しよ〜っと!」


「あれぇ? もしかして俺って今、見事なくらいに無視されてるぅ? 俺って今、極めて無色透明で無味無臭? 空気って感じぃ? あんまりだぜ、ショボーン……」



何やかんやとまぁ色々あったけど、全てが上手く事が進んで今回もこれにて一件落着! カッカッカッ! な〜んて思って余裕ぶっこいとったら突然、休憩所内を吹き荒れ暴れまくる突風が襲いかかってきた。空を見るといつの間にやら気持ちの悪い真っ黒な雲が辺り一面を包み込む。都会ではあまり見た事のない異様な雲の形、何やろう、何か物凄い嫌な予感がしてきたわ……。



「おーい、お前さん達、こんな所にこんなどデカい穴ほじくり空けて何やってんだぁ!?」


「おー、神主さんかー? ちょっと野暮用があってなー、神木様の周りをちょいと掘らせて貰ったんだー! もう用は済んだから、すぐにみんなで埋め戻すから心配すんなー!?」


「馬鹿っ! 吉蔵爺、そんな事言ってる場合じゃねーぞぉ!? 天気予報を聞いてないのか? もうすぐ大雨が降って来るぞぉ!?」



……何やて? 大雨? そういやさっき、港で波子さん達が嵐が来るから漁に出るとか出ないとかケンカしながら話しとったなぁ……?



「伊豆半島全域に大雨洪水雷波浪警報出てんだぞぉ!? 今最近流行りのゲリラ豪雨だ、静岡県内あちこちで大洪水だぁ! 台風並みの嵐がここにももうすぐにやってくんだぞぉ!?」


「えっ〜、そない殺生なぁ〜!? 波子さん、どないしよ〜!?」


「やべー! おーいみんなー、早いとこ穴埋めねーと池が出来ちまうぞー! 早くしろー、早くしねーと、雨が……!」



ドッバァバァバァァァァ!!!!



「降ってきた〜!!」



もういきなりや。まるでバケツをひっくり返した、と言うよりまるでナイアガラの滝の様なとんでもない大雨がウチらの頭上を容赦なく襲いかかってきよったで〜! とてもやないけどこんなん傘無しで立っとったらあっという間にパンツまでずぶ濡れや、早よどこか屋根のある安全な場所に逃げんとアカンで!?



「……チビ子! 茶髪! お前達はお母さん連れて家に帰っとけー! 穴はあたし達で埋めるから心配すんなー!?」



波子さんの言葉に甘えて、ウチらはオトンのユニフォームを握り締めながら孤児院まで全速力で大雨の中を走り抜けた。薫も足が痛かったやろうけど何とかビッコ引きながらウチらの後をついてきた。



「……あ〜あ、すっかり頭から足の先までずぶ濡れや……」


「雨に濡れて髪から雫が滴る翼もセクスィー! 今宵僕は君と愛という名の海に溺れたいぜベイビー?」


「……勝手に溺死してろ、アホッ!」



とりあえずびしょ濡れの服を着替えて家の中から外の様子を見ていると、雨は弱くなるどころかますますその雨足を強め始めた。その激しい豪雨に後から帰ってきた波子さん達と呆気に取られていると、港からきた若い兄ちゃんがウチらに絶望的な情報を仕入れてこちらにやってきた。



「おーい、歩美さん大変だぞー! この大雨で伊豆急行は全線運転見合わせだとよー!」


「……えっ! それはマズいわ! 翼ちゃん達は電車でここまで来たんでしょ!? これじゃみんな帰れなくなっちゃうじゃないの!?」


「だから代わりに俺がどこか電車が走ってる所まで車を出そうと思ったんだけどよー、そしたら今度は国道が雨で陥没して通行止めになっちまったんだよー! もうどうにもなんねーよー!?」


「……えっ、ちょっと待ってや!? って事は、ウチら今日中に家に帰る事が出来なくなったんか!?」


「ええっ!? 翼、それはマズいよ! 私達、明日から学校なんだよ!? 私はお母さんにどんな言い訳すればいいの!? もし、男女で泊まりがけの旅行をしてたなんて学校の生徒達にバレたら、私は不良娘ってみんなからレッテル張られちゃう!」


「そうだよそうだよ! もし、男女で泊まりがけの旅行をしてたなんて学校の生徒達にバレたら、薫ちゃん不良息子ってみんなにレッテル貼られちゃう!」


「オマエは黙っとけやアホッ! いちいち話をややこしくするなや!?」


「……もう、これではどうにもならないわね、翼ちゃん、残念だけと今日は諦めましょう、新ちゃんには私から連絡をしてあげるから……」


「……そんな……」



あんまりや、そんなんあんまりや! せっかく目的の宝物も見つけてあとはオトンとの時間の約束を守るだけやってのに、何でここで雨なんかに立ち往生されなきゃアカンねや!? もう何やねん!? 何で神様はこないに次から次へとウチらに厳しい試練を与えてくんねん!? ここまで来て諦めるのなんて嫌や、絶対に嫌や!



「ウチ、絶対に今日中にオトンの元まで帰る! 電車や車がダメなら自分の足で走ってでも帰る! 絶対に帰るんや!!」


「それも無理だってば翼! 私も岬ちゃんもそんな真似出来ないし、第一、薫君は足に怪我をしているんだよ!? こんな嵐の中を走ったりしたら翼だってタダじゃ済まないよ!?」


「綾達はここに残って晴れてから帰ればええ! こんな無茶な事にまでオマエらを巻き込みたくないもん、ウチ一人だけでオトンの元へ帰るんや!!」


「翼、落ち着けって! そんな事したって新作さんは絶対に喜ばないぞ!? これはさすがに俺も反対する!」


「そうよ翼ちゃん? 薫君の言う通り、今日はもう諦めなさい! 新ちゃんにはまた明日会ってユニフォームを渡してあげればいいのよ、だから……!」


「嫌や! 絶対に嫌や! ウチとオトンに残された時間はもうそんなに残ってへんねん! ウチとオトンにとっての一分一秒は他の誰よりも大切な時間なんや! 薫なんかにウチとオトンの何がわかんねん、ウチは絶対にオトンとの約束を守るんやー!!」


「……翼……」


「翼ちゃん、いい加減に……!」


「お母さーん! ちょっと待ってー!」



綾と薫に取り押さえられて暴れるウチを歩美さんが平手打ちしようとした時、さっきの大雨で濡れた髪を拭いとった波子さんがタオルを床に叩きつけてこちらに歩み寄ってきた。その顔はニコニコしていたいつもの笑顔やのうて、歩美さんと同じくらい怖い顔をしとった。



「何や! 歩美さんの代わりに波子さんがウチの事をひっぱたくつもりなんか!? ひっぱたくならひっぱたけや! それでもウチは行く、オトンの元へ帰るんや!」


「……そんなに、父ちゃんとの約束を守りたいのかー……?」


「当たり前や! オトンはウチにとって掛け替えの無い大切な世界でたった一人のオトンや! ここで諦めてもしオトンが明日この世からいなくなっとってたら、ウチは後悔しても後悔しきれへん! そんなんは絶対に嫌や、ウチは必ずにオトンとの約束を守る、守りたいんやぁ!!」


「……よしっ! その決意、しかと聞き入れたぞー! 任せとけー、それならあたしが責任持ってお前らを電車が走ってる街の港まで連れて行ってやるー!! 武雄、電車が走ってるここから一番近い街はどこだー!?」


「……熱海からは東海道線がノロノロ運転で走ってるらしいけど……、波子、お前まさか!?」


「熱海だなー!? よーし、わかったー! おいチビ子、茶髪、泣き虫、チビチビ子、急いで帰りの身支度して港まで行くぞー、さっさと準備しろー!?」



……ええっ、港ってまさか!? 波子さん、こんな嵐の中で船を出すつもりかいな!? だって波子さんのオトンは同じ様な荒れた海の中で船もろとも行方不明になってしもたんやろ!? そないな事言い出したら、歩美さんはきっと……!



「波子! アンタ一体、何馬鹿な事言い出してるんだい! アンタまであの人みたいに私を置いてどこかに行ってしまうつもりなのかい!? そんな事になったら、私は母さんとあの人に何て報告したら……」


「……大丈夫だ、お母さん! あたしは負けねー、あたしは伊東の海の魔物なんかに絶対に負けねー! あたしよりも小さい娘っ子がこれだけ腹括ってんのに、あたしが屁っ放り腰なんてかましてられるかってんだー! あたしは最強の海の男の娘、伊東一番の女の娘、波子だー! この世界中の海の最高の漁師になる、森川波子だー!!」



波子さんの気合いに満ちた啖呵の前に歩美さんは泣きながら波子さんを抱き締めてその決意を見送ってくれた。港からも見える荒れ狂う見通しの悪い海の中、ウチのオトンとの約束とウチらの命は波子さんの腕一本に託される事になった。

綾あたりは船に乗るのを嫌がって駄々でもこねるかと思いきや、みんな覚悟を決めたみたいに凛々しい顔して合羽を着て船に乗り込んだ。岬のヤツも小さい割には度胸の座った女やなぁ?



「いいかチビ子ー! あたしはこの命をかけても絶対にお前達を無事に熱海まで連れて行くー! だから、お前は絶対に約束を守ってあたしの祖母ちゃんやお母さんの願いをお前の父ちゃんの元に届けろよー! これはあたしとチビ子の約束だー!!」


「うん! ウチは絶対にみんなの気持ちをオトンの元へ届けるで! 絶対や、約束するで!!」


「よーし! それじゃあ、行くぞー!! 振り落とされない様にしっかり掴まれー!? 武雄、サポート頼むぞー!?」


「おうよー! 波子、お前の後ろには俺がいるから心配すんなー!? 二人で一緒に源さんの伝説を塗り変えるんだー!!」


「船を、出すぞー!!」



ついには命懸けの大冒険にまで発展してしもうたウチのお宝探索の連休三日間。でも、ここまで来たらもう引き下がる事なんか出来るかいな!? オトン、ウチはどんな障害が待っていようとも絶対に諦めへんで! 必ず、必ずこのみんなの想いが詰まっとるこの思い出のユニフォームをオトンの元へ届けるからな、待っててや!!



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