第52話 my sweet heart
暗くて不気味な霧の立ち込めた不思議な色調の深い森の中、ウチは大切な『何か』を探して必死で走り回っとった。ウチの背後から迫ってくる時計の針の音、その音に追われる様に走り続けるウチの前に、いつもの様に懐中時計を持ったタキシード姿のウサギの顔の案内人が『時』を知らせてくる。
「お嬢さん、お探しの物は見つかりましたかな?」
「待って! まだ見つからへんねん! お願いや、もう少しだけ、もう少しだけウチに時間を……!」
「いえいえ、それはなりません、もう時間は刻々と迫って来ているのです、延長する事も、決して巻き戻す事も出来ないもの、それが『時』というものの定めなのです」
「……だったら、だったらウチは絶対にその時間に間に合わせてみせる! だから、だから教えてや? ウチはどないしたらええねん、一体ウチはどこへ向かって進んでいったらええねん!?」
「お嬢さん、探し物というものは遥か遠くの彼方にあると限ったものではないのです、それは普通に、ごく当たり前の様に貴方の側にあったりするのもなのです、それをお忘れなく」
「……側に……?」
「さぁ、自分の意志を信じて突き進むのです、残された時間はもうあと僅かですよ……?」
ウサギの案内人はゆっくりとその場から消えていくと、霧に包まれていた周りの視界はうっすらと明け始め、眩いくらいの光がウチの両目に差し込んできた。うわっ眩しい、眩し過ぎて目が開けられへん、目が……!
「おねーターン、朝ですよー!? 早く起きないと置いていきますよー!?」
「……ふぇ?」
……またや、またこの夢や。最近、なぜかウチはこんな変な夢ばかり見る。いっつもウチは何やら時計の秒針みたいな音に追われて不思議な森の中を走り抜けていくと、必ず最後は体が人間で顔だげウサギの案内人がウチに話しかけてくるんや。
サッカー場でプレーしとる夢なら自分の願望が現れたものだって理解出来るけど、この夢の意味だけはサッパリわからへん。でも、何度も同じような夢を見るんや。そしていつも、あのウサギはウチに何か意味ありげな言葉を残して消えていく……。
ピッ、ピッ、ピイィィィィィー!!
「じゃっかぁしいねんこのクソガキがぁ!! ウチが微睡んどる時に耳元でホイッスル吹くなってあれほど言うたやろがぁ!!」
「おねータン、遅延行為! シュミレーションファール! しかも審判侮辱発言! 一発退場、三試合試合出場停止に五十万円の罰金ー!」
「せやから『シミュレーション』やって何回言わせんねんこの学習能力ゼロの体細胞がぁ!!」
「うわーん! おねータンがみータンの頭のつむじをグリグリ押してイジメるよー!? 痛いよー! 幼児虐待、幼児虐待ー!」
何が幼児虐待じゃこのクソ生意気なガキンチョが! 人がオトンが暮らした思い出の部屋で寝とるところを乱入してきよってからに! つむじグリグリの刑だけじゃ済まさんぞ、こめかみも両の拳でグリグリギリギリの刑もお見舞いしたんねん!!
「ちょっと翼! いつまでも岬ちゃんと布団の中で戯れてる場合じゃないよ!? 時計見なよ、もうお昼になっちゃうよ!?」
うげっ! もう午前中の十一時をすっかり回っとるやないか!? アカン、早くオトンが隠したお宝を探し当てなきゃいかんのに、完全に朝寝坊やないか〜!?
「結局昨日も探したけど見つからなくて、今日はもう連休の最終日なんだよ!? 私達、今日中に帰らなきゃいけないんだよ!? 遊んでる場合じゃないんだよ!?」
「せやったら綾、少しは気ぃ利かせてもっと早い時間に起こすなり何なりせいや! ホンマにオマエはとことん使えへんヤツやなぁ!? 目覚まし時計やニワトリ以下や!!」
「ずっと起こしてたけど起きない翼が悪いんじゃん!? 第一、私には宝物とか全然関係ないんだから、翼が朝寝坊しようと私はちっとも困りませんよーだ!!」
「何やとぉ!? このボケッ! カスッ! ヘタレッ! 役立たず! 中途半端なキャラと大してある訳でもないショボい貧乳! 他の女の下の毛ばかり見てる変態女! もうコンビ解消や! オマエみたいな友達甲斐の無いヤツなんかもう絶交や〜!!」
「ヒッドーい! ヒド過ぎる!! じゃあいいよ、もう私達絶交だからね!? 宝物探しなんてもう手伝ってあげないんだから! バカッ! 翼のバーカ!!」
もうこんなヤツ懲り懲りや! ウチが必死になってお宝探しているのを間近で見ていたクセして、そんな気持ちに全然気づかへんで自分の事ばかり考えてる女の力なんて借りるかや! 綾にはもう金輪際一切の事を頼まん、帰りたかったら勝手に帰ればええねん!!
「岬、今日はちょっと急ぐて!? オマエはウチと同じオトンの娘なんやから諦めずに一生懸命頑張れるよな!?」
「エイホラサッサー! みータン、パパの為に一生懸命お宝探しまーす!」
「よしっ、ええ返事や! ほなら、今からさっさと昨日行った森の中でオトンが言ってた『大きな木』を探し当てるで!」
歩美さんが用意してくれた寝間着をそのまま布団の上に雑に脱ぎ捨てたウチは、これまた歩美さんが貸してくれた波子さんのおさがりのワンピースに急いで着替えて岬と一緒に二階の階段をドタドタと駆け下りた。縁側の外の広い庭には歩美さんがウチらの服を洗濯して物干し竿に干してくれていた。
「おはよう翼ちゃん、あんなに大きな声で喧嘩なんかして、何かあったの?」
「何でもあらへん! 気にせんといて下さい!」
「朝ご飯は食べないの? 岬ちゃんと綾ちゃんはもう食べたわよ?」
「すんまへん、ウチもうそんな時間あらへん! もう今日しかチャンスないねん、ごめんなさい!」
「……あらそう、私、翼ちゃんの力になれなくてごめんなさいね? 時間がないのはわかるけど、絶対に無茶をしちゃダメだからね? ちゃんと無事に戻って来てね?」
「歩美さん、ホンマおおきに! ほなら、行ってきます!」
歩美さんとの会話も早々に、ウチは急いで靴を履いて玄関から外へ出ると全速力ダッシュで家の裏側の山に繁っている森の中へと向かった。
「おねータン早いよー!? ついていけないよー、みータンを置いていかないでー!?」
「岬ちゃん、私がおんぶしてあげる! 早く背中に乗って!」
「何や綾! オマエ絶交したはずやぞ!? 何でついてくんねん!?」
「岬ちゃんが心配だから来ただけ! こんな自分勝手なお姉さんに振り回されたら可哀想じゃん!?」
「……んなら勝手にせいや!」
……何でウチがこんなに焦っているかっちゅうとな、全っ然見つからへんねん、オトンが話しとった宝物を埋めたっていう『大きな木』ってヤツがな。ただ一言『木』言うても家の周りには小高い山が広がっていて、そこには名の通り山ほど木が生えていて森になっとんたんや。
ここに来た時は周りが真っ暗で良く見えへんかったから気づかなかったんやけど、一日目の朝を迎えて周囲を見渡した時は、ホンマに気が遠くなって立ち眩みがしたくらいショックやったわ。こんなにたくさん木が生えとるなんて予想外やったんや。
ウチはてっきり、どっかのCMの広い草原の中に物凄いデッカいこの木何の木みたいな巨木が一本立っていて、オトン達はそのわかりやすいシンボルを目当てにして宝物も埋めたって勘違いしてたんや。もちろん、そんなデッカい木なんぞどこにも立ってへん。みんな同じような高さと形の木ばっかりや。
それでも昨日は一日中で回れるだけの木々の根元を当たって、何か物を埋めた痕跡でもないかどうか必死になって探し回ったんや。でも、やっぱり外側から地面を見たってそんなもんサッパリわからへん。地中探知機がある訳でもない、ほとんどもう無理に近い状態や。
そんで結局、昨日は何の収穫もなく一日が終わってしまったんや。残された時間はあと今日一日だけ、今日中に宝物を掘り出してオトンの元に帰らんと、明日から普通に学校が始まってまう! それどころか、夕方には家におらんとオカンが仕事から帰ってきてウチらが勝手にここに来てる事がバレてまう!
「……で、結局今日もこうやって森の中をグルグル回って探すだけなの? これじゃ絶対に見つからないよ、何か別の方法考えないと……?」
「うっさい! 文句言ってるヒマあったら目を凝らせや! 嫌やったらさっさと帰れ! オマエとはもう絶交したんやからな!?」
「あっそう! そうだよね、私達絶交したんだもんね!? 別にいいよ、私はこのまま見つからなくたって全然困らないもん!」
「おう、絶交や絶交や! オマエとはもうこれでオサラバや、お陰で清々したわ! フン!」
「……何よ、クスン……」
……何や? 綾のヤツ、突然歩くのを止めて唇尖らせてふてくされよった。さすがにもう呆れたんかなぁ? 落ち着いて考えてみると、ここ三日間一番自分勝手な事ばかり言っとるのはウチの方かなぁ? 何か急に罪悪感が湧いてきたわ……。
「……何やねん、言いたい事あるなら言えや?」
「……ねぇ、やっぱり怒ってる?」
「……ハァ?」
「……冗談、だよね? 絶交って……?」
「……絶交、やろ? お前言うたやん……?」
「ヤダ! 冗談でしょ? 冗談だよね? 嘘だよね? 私達、明日からも学校でもユースクラブでも友達だよね? コンビだよね?」
「……何やねんもう……、だったらもうどっちでもええわ!」
「嘘だよね、嘘だよね? 嘘だって言って、お願い!? 私、もっと頑張って翼のお父さんの宝物見つけるから! 絶交なんてやめよう、ねっ、ねっ、ねっ!?」
「もう、しつこいし何やねんオマエは!? そないベタベタくっ付いてくんなや!? お宝探しに集中出来へんやろぉ!?」
「ヤダヤダヤダ、嘘だって言ってくれないと絶対離れない! ねぇ翼、私達親友だよね? 千夏ちゃんと出会う前からの親友だよね? 千夏ちゃんより最高の大親友だよね、ねっ!?」
「オマエはウチの嫁か!? 愛人か!? わかったわかった、嘘や嘘、絶交取り消し! わかったからいちいち抱きつくなや、キモイねん!? 頼むからもうやめろや〜!?」
「キモくない、キモくなんてないもん! ねぇ翼、ずっと一緒にいようね? 私達一心同体だよね? これからも助け合いながら一緒に頑張っていこうね!? 私の事好きって言って!? 翼だーい好き!!」
「わかったわかった、好きや好き好き! わかったからはーなーせーや、も〜う!」
「おねータンと綾タンはやっぱり仲良しなんだねー、プププッ!」
……コイツ、昔から若干百合っ子ちゃん傾向やねんな? 何かウチ、あらぬ道に陥らんかちょっと心配。そんなこんなで綾とじゃれ合っとったら、ちっとも捜索が進まずにあっという間にお昼になってしもうた。朝ご飯を食べてへんウチはさすがに力が出えへん。それでも何とか辺りの草を毟って土の捲れていそうな場所を探し回っとると、ウチらの後を追って歩美さんがわざわざここまで昼ご飯の時間を知らせに来てくれた。
「みんな、お昼ご飯が出来たから少し休憩しましょう? 翼ちゃんは朝ご飯も食べてないんだから、お昼はちゃんと食べないと体が持たないわよ?」
「……すんまへん、あと少し、あと少しだけ探させて……」
ウチが時間に追われて力任せに草毟りをしていると、歩美さんはウチの泥だらけの手を掴んでオトンみたいに優しくウチの頭を撫でてくれた。その歩美さんの温かい手に触れた時、ウチの尖りまくっとった気持ちは少し和らいで焦りがスッーと消えていくのを感じた。
「……翼ちゃん? 気持ちはわかるけど、イライラして探しても大切な物は見つからないものなのよ? もっと冷静になって、良く周りを見渡してこそ初めて見えるものがこの世にはたくさんあるの、今は焦っちゃ駄目、ゆっくり、落ち着いて、自分のペースで進んでいけば良いのよ、ねっ?」
「……でも、でもウチはオトンに……」
「もし今日見つからなくても、また今度新ちゃんと一緒に探せば良いじゃない? 新ちゃんはまた必ずここまで外出出来る様になるまで元気に回復するわ? あの子はそんな柔な子じゃない、お医者さんから病名と命の宣告を告げられてから早やもう二十年以上、私は今までずっとあの子の生きる強さには驚かされ続けてきたんだから……」
「……でも、でもオトンは、次はもうダメやって……」
「そんな事ない、そんな事絶対にないわ? それにね、もし無理をして翼ちゃんに何かあったらとしたら、翼ちゃん達がここにいる事を知らないで今も病院で頑張っている新ちゃんはもっと悲しむ事になるわよ? 新ちゃんの命のパワーの源は翼ちゃんや岬ちゃん、奥さんの美香さん家族みんなの笑顔なんだから、ねっ?」
「……えっ? 何で? 何で歩美さん、ウチがオトンに内緒でここに来たのを知ってるん……?」
「ごめんね、実は翼ちゃん達が最初にうちに訪ねてきた時から私、気づいていたのよ? だって、本当に翼ちゃんがちゃんと新ちゃんから許可を得てやって来たのなら、必ず事前にこちらに何かしらの挨拶をするはずですもの? 虎ちゃんや啓ちゃんと違って、新ちゃんはそういうところはしっかりとした人なのよ」
……何や、ウチの考えてる事とかオトンの礼儀正しいところとか、歩美さんには最初から全てお見通しやったんか。でも、それでも、歩美さんはウチの努力を踏みにじらんように今までオトンやオカンには連絡しないで黙っていてくれてたんやな。勝手で無謀なウチの行動、影で見守っていてくれてたんやな……。
「翼ちゃん、私にはわかるわ、あなたは決して意地を張って家族に内緒で行動を起こしたんじゃなくて、病気で苦しんでいる新ちゃんにこれ以上余計な心配をかけない様に気を使ってたのよね?」
「……だって、だってウチ……」
「いいのよ、言葉は少し乱暴だけど、あなたは本当はとてもお父さん想いの優しい女の子なのね? 何も心配しなくていいわ、もし、新ちゃんがこの一件を知ってあなたの事を怒ったりしたら、私も一緒に新ちゃんに謝ってあげるわ? 私だって新ちゃんが元気になってくれる為に翼ちゃんが一生懸命考えた、宝物探し大作戦に参加した人間の一員なんですもの、ねっ?」
「………………」
「……あら? 翼ちゃん、どうしたの……?」
「……う、うぅ、うわぁぁぁぁぁん!!」
……この時、何かウチ、歩美さんに励まされて、褒められて、張り詰めていた気持ちが緩んでホッとしてしもうた。そしたら、急に涙が溢れ出してきて止まらへんねん。オトンがあの日、自分の死を意識した弱気な言葉を発した時から、ウチの心の中で積もりに積もった不安のカケラが歩美さんの優しさの前で一気に噴き出してしもうた……。
「ウ、ウチ、ホンマは怖かったぁ、苦しかったぁ! でも、オトンの前でそんな顔、絶対に出来へん! だって、ウチがオトンに出来る事なんて、いつでも笑って明るく振る舞う事ぐらいしか無いもん! 少しでもオトンの不安を取り除いてあげる事しか出来へんもん!」
「……翼ちゃん……」
「ホンマはもっといっぱいオトンやオカンに甘えたかった! いつもみんなで一緒にいたいってワガママ言いたかった! でも、ウチがそないな事言い出したらオトン、ウチの事を気にして自分の体放って無理してしまうかもしれへんもん! オカンかてウチらやオトンの面倒を見ながら仕事頑張っとるのに、ウチがそないな事言い出したらオカンをもっと困らせてしまうかもしれへんもん!」
「……翼、グズッ……」
「……おねーターン、ウッ〜……」
「でも、やっぱり怖い、怖いねん! 世界一大好きなオトンがいつかウチの目の前からいなくなってもうたら、もうウチ、どないしたらええかわからへん! どないしてオトンの代わりオカンを支えてあげたらええか全然わからへん! 嫌や、オトンが死ぬのは嫌や、嫌やぁー!!」
「みータンもやだー! パパがいなくなるのヤダヤタヤダー!!」
「……あらあら、翼ちゃんも岬ちゃんもこんな小さな体でも一生懸命新ちゃんと一緒に病魔と戦っていたのね? 偉いわよ二人とも、あなた達はお父さんそっくりの優しくて強くて立派な娘さんよ? 大丈夫! 新ちゃんは絶対にあなた達を置いて死んだりなんてしない! 母さんがたくさんの子供達の中で一番可愛がっていた、優しくて、明るくて、弱い者イジメが大嫌いな強い新ちゃんが、みんなに愛されているあの新ちゃんが、そんな病魔ごときになんて負けるもんですか……!」
ウチを力強く抱き締めてくれている歩美さんの声も鼻声になっとった。岬もウチの泣いてる姿を見て、不安を感じ取ったみたいで釣られて泣きついてきた。何でか良くわからんけど綾まで立ち尽くして号泣しとった。オマエ、はっきり言って関係ないやん?
でも、こんなに大声出して泣いたのいつ以来やろ? 歩美さんの胸の中に抱きかかえられて、ウチは今まで堪えとった涙を目が真っ赤になるまで全部流し切った。歩美さんが付けとるエプロンが涙でびしょびしょになるまで、ずっーと、ずっと……。
「……それじゃ、気を取り直してお家に帰ってみんなでお昼ご飯を食べましょう! 大丈夫よ、お昼からみんなで力を合わせて探せば、きっと宝物もすぐに見つかるわ!」
温かい歩美さんの手に引かれながら、ウチらはまぶたをパンパンに腫らせたまま孤児院までの帰り道を歩いていった。ウチも綾もちょっと背伸びして薄手に塗った化粧が涙で崩れてヒドい顔や。岬に到っては鼻水垂らしてズーズー言っとる。
でも、何かええなぁ、ウチに歩美さんっていうオカンがもう一人出来たみたいでちょっと嬉しい。ホンマのオカンに泣きついたりしたら多分困らせてしまうやろうから、こんな風に母性愛溢れる人が他にいてくれるとスッゴい頼もしいわ。
「ねぇねぇ翼、もしこんな私にでも出来る事があったら何でも言ってね? 私、何だってするからね? もう貧乳だとかチビだとかロリだとか絶対に言わないから、ねっ?」
「みータンももうおねータンの事をバカにしたりしないよー? みータン、もっと良い子になるからね? おねータン好みの可愛い妹になるからね、ねー?」
……それより何やねん、コイツらの途端の手のひら返しの態度は? ウチがちょっと泣いたぐらいで急にこの温厚振り、突然すぎて何かちょっと気持ち悪いわ。せやったら最初からいつもこれくらい協力的やったらええのになぁ? メディア報道にお涙頂戴されて思考がコロコロ変わるステレオタイプってのはこういう女達の事を言うんやろうなぁ、軽いヤツらや……。
「……あっ、そうだわ! みんなお腹空いてるところ悪いんだけど、ご飯の前に石廊港に行って船の掃除をしている波子と薫君を呼んできて貰えるかしら? もう掃除も二日間かけて全て終わっているはずだし、きっと今頃二人もすっかりお腹ペコペコになっていると思うわ?」
「そうだ! そうだよ翼、薫君忘れてた! 今日は薫君にも午後から宝物探索を手伝って貰おうよ! 一昨日、私達がお風呂に入ってたところを覗かれそうになった分の罰、きっちりと償って貰わないとね!?」
おぉ、そうやな! 薫のヤツ、昨日は生まれて初めての漁船の掃除と漁船網の手入れを波子さんにボロボロになるまでやらされて、ボロ雑巾みたいにヘロヘロになって帰ってきて爆睡こいて、ウチらのお宝探索作業を全部サボったんや! 綾の言う通り、さすがに今日はそうはいかんで? 丸二日間みっちり波子さんに鍛えられた真の男の誠意ってヤツを、ダーリンだのベイビーだの言うて迫ってくるウチにきっちりと見せて貰おうやないか〜い!?
「その前に、翼ちゃんと綾ちゃんはお化粧直さないとね? そんな顔じゃ薫君ビックリしちゃうわよ? ウフフ」
「……ホンマやなこれ、これじゃウチらまるでバケモンやで? 綾、面倒臭いから全部洗い落としてすっぴんで行こうや?」
「えっー、すっぴん? 学校ではいつもそうだけど、プライベートの時にすっぴんって何か恥ずかしいなぁ、ましてや男の子がいる前で……」
「すっぴんに自信が無いないて、二人ともオバサンになった証拠ですねー? みータンはぴっちぴちだからいっつもすっぴん勝負ー!」
「岬はまずその鼻水をかんでこいボケッ!」
ピッカピカのテッカテカフェイスになったウチらは残り時間が迫ってきてるのも忘れて、三人で仲良く手を繋ぎながら港までスキップなんてしながら向かった。何か無垢な小学校時代の自分に戻ったみたいや、こんな女の子丸出しなのもたまにはええなぁ!
しかし、やっぱりあれやな、こう自然に囲まれた環境の空気にはな〜んも小細工しないそのまんまの姿の方が合ってて気持ちのええもんなんやなぁ? こんな清々しい気分、都会生活でコスメまみれの千夏には絶対理解出来ん世界やろうなぁ?
まぁ〜、今は千夏の事なんかどうでもええわ! アイツはどうせまた『ママのお仕事のモデルで忙しいのぉ〜!』とか言うて顔中ベタベタクドい化粧つけまくってねんやろ? あの面、一度あの柔道ゴリラにでもフンを投げつけられればええねん!
「……クシュン! グズッ、何よ、このむずがゆい不快感、何か翼の声が聞こえた気がしたけど、気のせいよね……?」
まぁ、まさかあの犬猿コンビがこの連休に一緒に行動なんてしてる訳無いわなぁ? まぁ、なってたらなってたでそれはええネタ話になるけどなぁ? んまぁ、そんな事色々考えて歩いとったら磯の匂いが強くなって海に浮かぶたくさんの船と辺りを右往左往するガタイのええ海の男達の姿が見えてきた。さてさて、お目当ての場違いな茶髪坊主は一体ど〜こや?
「おー、チビ子ー! それとチビチビ子と泣き虫ー! ここだここー!」
ウチらが二人を見つける前に、一隻の小さな漁船の前で長靴と勇ましい作業着姿の波子さんがウチらを見つけて地面にあぐらをかいてデッカい声で手招きしていた。ちなみにチビ子はウチ、チビチビ子は岬で泣き虫は綾の事みたいや。港で漁師見つけるより見慣れない娘見つける方が容易いって事かいな。つーか波子さん、その膝に抱えとんのは真っ昼間から一升瓶!?
「何だー、昼から酒飲んだらいかんのかー? 今日はもう仕事終わりだー、漁は明日の朝からだから何の問題もねえー!」
……うわっ、波子さん酒臭っ! もう結構出来上がっとるやん、しかも周りには他にもたくさんの酒臭い漁師のオッサンが同じ様に真っ赤になって、みんなして七輪で魚や貝を焼いて食いまくっとる。漁師っていつもこんなええ加減で構わんのかい?
「バカ言え波子ー、お前ちゃんと天気予報見たのかー? 今日は夕方から天気崩れて嵐だぞー? 明日の漁は無理だー!」
「何だとー!? せっかくの漁解禁日に海に出れねーだとー!? バカ言ってんじゃねー、あたしも船も明日の為にもうピカピカのツルツルになってんだぞー!? 天気予報なんぞ信じるかー、この腰抜けオヤジどもめー、あたしは出るぞー! あたしは父ちゃんみたいな立派な漁師になるんだー!」
「お前無茶言うなー? 忘れ形見の可愛い一人娘がそんな無鉄砲な事したって、お空の源は何も喜ばんぞー? そんな事を漁業長に聞かれたら、お前また怒られるぞー!?」
「父ちゃんはお空になんていねー! あの海の向こうで、あたしが一人前の漁師になるのを待っていてくれてんだー! 父ちゃん馬鹿にする奴は誰であろうと許さんぞー!?」
……これ、アカンやん。波子さん、完全に目が座って他のオッサン達の胸ぐら掴みながら頭ペシペシ叩き回ってフラフラの千鳥足や。ウチら、こんなグデングデンの酔っ払い連れて家まで帰らなあかんの? なぁ薫は、肝心の薫はどこやねん?
「……ねぇ翼、あれあれ」
「……あっ、おったおった!」
おいおい、何や何や? 周りの酔っ払いが酒を飲みながら威勢よく大笑いしとる片隅で、船を停泊させる為にロープを繋ぐボラートって言うヘビの頭みたいな出っ張りに腰かけてだらしなくグッタリ死にかけとる男が一人。波子さんに借りたのかダッサイ長靴に汚い作業着、首にタオル巻いてうなだれとるその姿は茶髪頭を除けば周りと変わらんタダのオッサンやん。
いつもの頭くるほど軽々しいあの佇まいはどこへやら、まるで生活の露頭に迷って公園のベンチに座り込む日雇い派遣社員みたいやな。同じ作業着でも、きっちり着こなしとる波子さんとはやっぱり格好良さが全然違うわ。これが人間の器の違いってヤツなんやな、納得納得。
「……ハァ、しんどい……」
「オイコラ誠意大将軍、少しは禊ぎの修行になったんかい?」
「……ふぇ? おぉ、これは愛しのマイダーリン、つばピーのサンシャインスマイルで薫ちゃんも元気ひゃくばいぃ〜……」
「……あら〜? さすがの薫君もすっかりトーンダウンだね……」
「……しかしなぁ、そんだけ追い込まれてもまだそのウッザい口調直らへんのかい?」
ここまできてもキャラを貫き通すってある意味立派やと思うわ。もうコイツのこのノリは生まれつきなんやな、あの波子さんの手にかかってもダメなんやからもうダメ、ダメなヤツはダメって事や。それでもまぁ、コイツにしたら良うやりきった方なんちゃう? 近くに自販機もあるし、少しはウチも優しいところ見せたろっかな?
「……ほれ、このジュース、ウチからのおごりや! ウチが人に物をおごるなんて滅多に無いで、有り難く受け取りや!」
「……えっ、マジ? 俺に?」
「へぇ〜、珍しい〜! 翼がそんな優しい気遣いするなんて、もしかしたら薫君の誠意、翼の心に届いたのかなぁ?」
「アホかっ! そんなんちゃうわ! 綾が人への労いが足らんとか言うからウチなりに反省した結果や! 今回はウチが無茶ばかり言うて色々無理強いさせてしもたから、そのあの、あれや……」
「……ありがとう、つーか、あの……」
「……何?」
「………………」
「……な、何やねん?」
薫のヤツ、疲れているせいもあるやろうけど、何かあんまり見た事ないような真面目な顔、いや、真面目言うかニヤニヤふざけてないすっきり美少年の表情でウチの顔をガン見しよる。汗をたくさんかいたからクドさが抜けたんかなぁ? コイツ、黙ってりゃオトンみたいなええ男なんやけど……。
「……翼、すっぴん?」
「……せやけど、何?」
「……だよね、あのさ……」
「な、何やねんや一体? そない珍しい事とちゃうやろ!? まぁ、最近は千夏と連んでからちょっと化粧くらいはするようになったけどな、それが何……?」
「……やっぱり可愛いなぁ、いやマジマジ、マジですっげぇ可愛い!」
「……ハ、ハァ!?」
……か、か、かかか、かわ、かわ、可愛いぃ!? な、な、な、何、何何、何をいきなり言い出しとんねんコイツはぁ!? しかも真顔でこっち見つめながらって、オマエ、オマ、オマ、オマ、オマエ……!?
「いや〜、本当可愛いなぁ〜! 俺さ、告っちゃうけど中学の時に初めてあった翼のすっぴんが可愛かったのが一番記憶に残っててさ、それ以来すっかり翼の虜になっちゃてたんだよ〜! 化粧してお洒落な翼も良いけどさ、やっぱりすっぴんでありのままの翼が一番可愛い! うわぁ、マジで本当に可愛い! 俺マジヤバいって!!」
「えっ〜? 薫君、それって完全に翼にマジ惚れしてるって事? 今までの態度は冗談なんかじゃなくて本気だったんだ……?」
「おねータン、ズルーい! みータンも薫タンから可愛いって言われたーい!」
「……私だってすっぴんなのになぁ……」
……薫のヤツ、一体何を言い出しとんねん? これって、何や? マジの告白? 告白……?
……こ、告白ぅ!? ちょ、ちょっと待って!? 困る、困るわ、そんなんいきなり困るわぁ!? 男の人からそないな言葉、生まれてきてからオトンにしか言われた事無いねん! いつもは偉そうに見栄切っとるけど、ホンマはウチこういうの全然免疫力無いねん!
『可愛い』やなんて、そんな事を面と向かって急に言われたらウチはどないな反応したらええの!? ウチには千夏みたいなリアクション無理やぁ! いつもの薫のノリやったら下らん冗談で済ませられんのに、何で今回の恋の弓矢はこんな真っ直ぐウチのハートのド真ん中にグッサリ突き刺ささってくんねん!?
「やっぱり自分の異性の顔や体つきの好みなんて、一つの運命的な出逢いによって生まれた恋心には関係ないんだって今改めて気づいたよ! ごめん、やっぱり俺、翼の事好きなんだ!」
「……『好き』とかはっきり言いよって、このアホアホアホ……」
「こんなだらしない俺だけど、もし良かったらマジで考えてくれると嬉しいな、俺さ、いつか新作さんみたいなカッコいい大人になれるように頑張ってみるから………」
「アホォーーーーーッ!!」
人がこないにたくさんいる場所で何を言い出しとんねんボケェー!! みんなにそないな話聞かれたら、ウチは恥ずかしくてもう外歩けへんやないかぁ!? つーか、隣にいる綾や岬にはもう完全に聞かれとるし、酒を飲み交わしとるオッサン連中もウチらの妙な空気感じてこっち見てニヤニヤしとるやないかぁ!?
ホンマやったらいつもみたいに今すぐこのアホの顔面蹴り飛ばして海に落としてやるのに、この前の波子さんの指摘が気になって蹴る事出来へん! ワンピースやから薫にまた中を見られてまう! うわぁ、アカンアカンアカン! そんなんダメや、恥ずかしい! もうウチ限界、訳わからん! オカン、こういう時に女はどないしたらええねん!? 誰か助けてぇ〜!?
「おねータン、真っ赤なお顔を手で隠して足をジタバタしてるー! 何か可愛ーい!」
「……へぇ〜、翼もテンパっちゃうとあんな女の子っぽい可愛い仕草するんだ〜? 私、胸がキュンキュン来ちゃったぁ、翼可愛ぃ、萌え〜……」
「おーい、茶髪にチビ子ー! お前達、何を昼間からイチャイチャしてんだー!?」
うわぁ〜! もう頭の中真っ白で何も考えられへんところに、酔っ払いのおっぱい姉ちゃんがウチと薫に抱きついてギュッって密着させて酒臭い息を吐きかけてきよる〜! もう今日はウチの生涯の中で一番のドッキドキ日や! 昼ご飯で二人を呼びに来ただけやのに、この後オトンのお宝探しを続けなあかんのに、もうそんな余裕全然無くなってしもたやないかぁ!? これって、もしかして恋なん……?
「そうだ茶髪ー! お前はいい加減かと思ってたら意外と掃除と手伝い良く頑張ったなー!? つまらん戯言や冗談をやめて誠意を貫き通したからこそ、お前もちゃんと一人の男としてチビ子に認めて貰えたんだぞー! 少しはあたしに感謝しろー!?」
「……ちょ、ちょっと波子お姉様そんなに抱きつかれたらおっぱいが、顔中おっぱいがいっぱい……!」
「ちょっと待ってや〜! ウチまだ薫を男として認めるとか何も言うてへん……!?」
「祝言だ祝言ー! お前達への祝い酒だー、飲め飲めー! そんでもって元気な赤ん坊を産め産めー! 茶髪ー、お前はこの港に残って漁師になってあたしと一緒にこの海で生きていくんだぞー!? チビ子ー、漁師の嫁ってのは女として最高の人生だぞー!? アッハッハー! ハァ……」
「……えっ? 波子お姉様? お姉様〜!?」
「……ガー、ガー……」
「寝とるがな!? マジでぇ!? ホンマかいなぁ!?」
ウチと薫の間に抱きついたまんま、とても女のものとは思えへん様なデカいいびきかいて寝てしもうたでこの人!? 質悪っ! この酒癖の悪さ、那奈のあのお姉の優歌さん以上や!? あのお姉はどんだで飲んでも全然変わらんザルの人叩き上戸やけど、この姉さんは寝上戸かい、一番最悪の酔っ払いタイプやないか〜!?
「……随分と遅いから気になって来てみたけど、こんな事だろうと思ったわ……」
「あっ、オカン! いやちゃうわ、歩美さん、助けて〜!?」
助けに来てくれた歩美さんと一緒にみんなでムチムチの酒臭姉さんを何とか港の市場の事務所の中まで引きずるように連れて行って、空いていたソファーの上に寝かせてやっと一息ついた。朝も昼もまだ何も食うてなくてもう腹ペコペコや。
ウチらは歩美さんがわざわざ家から握って持ってきてくれたおむすびを食べながら、そこの事務所の白髪の漁業長のオッサンと初日にウチらに道案内してくれた港一番の長老さんの昔話を横で聞いていた。
「しかし、波子ちゃんはすっかり源さんそっくりになってしまったな? こりゃ歩美ちゃんの苦労も絶えないってもんだ」
「……父親みたいな立派な海の漁師になりたい、だなんて言い出した時は育て方を間違えたって後悔したものだわ? それがもうすっかり、一人前の漁師の仲間入りだもんね……」
歩美さんには学生時代からの許嫁の様な存在の源さんって言う男性がおって、高校を卒業してからすぐにその人と祝言をあげたんやて。その祝言の式はあの孤児院の中で神主さんを呼んで、鈴子婆さんやオトン達の前でしめやかに行われたそうな。
んで、オトン達が孤児院を出てから年齢的に院長を勤める事が難しくなった鈴子婆さんは『森川の里』を閉院して、新しい家庭を築き始めた娘夫婦を影ながら見守る事になったんや。その当時、日本も経済が大発展して生活が安定したから、里親が必要な子供達がほとんどおらん様になったらしいしな。
ホンマは最初、歩美さんは是非この孤児院を継ぎたいって思ってたらしいんやけど、鈴子婆さんは漁師の嫁として夫一人を全力で支えなさいって言って大反対したんやて。この話を聞いただけでも、鈴子婆さんって人がどんな常識ある立派な人やったか想像つくわな。
「鈴子婆さんの元気の良さは、そりゃあワシら男の漁師も顔負けするほど凄いもんだったからなー? 港にデカい魚がやって来たって大騒ぎになった時、男どもがビビって逃げ腰になってるところをたった一人で釣り上げてその場で捌いて家で待ってる子供達に食わせたって話だー、何でもその魚、魚じゃなくて鯨だったってワシは聞いとるけどなー?」
「ウフフ、そんな訳ないでしょ吉蔵じいちゃん? 鯨じゃないわ、ホオジロザメよ」
「鮫かー!? いやー、さすがに鯨は無いと思ってたがよー、それならなるほど納得だー!」
……納得ってオイオイ、ホオジロザメってあのジョーズやん? ジョーズだけに上手に釣りましたってか? やかましいわ! でもあるかも、ありえるわ。何せ世界中で暴れ回ったあのオトン達を女手一つで育てた人や、鮫の一匹二匹ぐらい素手でひょいひょいチョロいやろ?
「……ねぇ翼、何で腕組んでウンウン首傾げて納得してんの? まさか、この話を本気で信じてるの?」
「綾、オマエはな〜んもわかっとらんなぁ? 甘い甘い」
「うんうん、あるある、ありだねアリアリ」
「……ちょっと、薫君までそんな……」
んでな、その後歩美さんと源さんの間には玉の様な元気で大きな女の子が産まれたんや。おしとやかな子に育てたかった歩美さんの希望とは裏腹に、筋骨隆々の海の男やった父親の後ばかりついて港で魚とばっかり接して、いつしか学校の合宿コンクールで『兄弟船』を熱唱するような男気満点の少女に成長していったそうやで。それが今、ここのソファーで腹出して寝とる酒臭おっぱい姉ちゃんって事や。
「なぁ、歩美さん? 歩美さんの旦那さんって今どこにおるの? 波子さんは海の向こうで待ってるとか言うとったけど……」
「……ううん、あのね翼ちゃん、あの人はもう……」
今から八年前の今頃、この伊豆半島を丸々飲み込むほどの巨大で凶暴な台風が関東圏内を直撃した。都内でもかなりの洪水や暴風による被害が出て、イタリアから日本に来たばかりのウチも経験の無い災害に怖くてオトンにしがみついていたあの台風や。今でも良く覚えとるわ。
その日、他の港に用件があった源さんは何とか台風が接近する前にこの港に帰ってこようと全速力で船を走らせとった。車とか使うて陸路でも帰れたはずやったんやけど、そこは生粋の海の男、自分の船を他の港に置いて行くんが嫌で海に出てしもたらしいわ。
でも、その時の台風の進路速度は気象庁でも予測がつかんほど恐ろしく速くて、荒れ狂う海に飲まれた源さんは漁船もろとも消息不明になってしもた。台風が去った後、海上保安庁や漁師仲間で必死で源さんの捜索を続けたそうやけど、結局漁船の一欠片も見つからなかったんやて……。
「……あの日はね、波子の十二歳の誕生日だったのよ、漁師仲間が波子の為に作ってくれた新しい大漁旗を、早く波子に見せてあげたいってなりふり構わずに隣の港まで船を出してしまったのよ、すぐ帰る、必ず帰るって無線を残して、それがあの人の最後の言葉だった……」
「……でも、波子ちゃんはまだ源がどこかで生きてるって信じてるみたいだな、自分も漁師になって海に出れば、いつかどこかで出逢えるじゃないかって……」
「……いやー、あの源ならあるかもしれんなー? あの程度の荒海で死ぬような男じゃねー、ワシが今まで見てきた中で一番の漁師だったからなー?」
事務所の人達の話を聞いていて、何かウチは急に波子さんに対して親近感が湧いてきた。同じオトン想いの娘、ううん、それだけやない。オトンに生きていて欲しいって想う気持ち。ずっと一緒にいたいっていう切ない願い。
いつかはウチとオトンも、波子さん親子みたいに会えなくなる時がやって来るんやろや。うん、必ず来る。それが明日か、一ヶ月後か一年後か、はたまた十年後か五十年後かわからんけど、オトンとお別れしなきゃあかん時が絶対にやって来るんや。
そんな悲しい事、今はとても考えたくもないけど、それでもまだウチは波子さんよりも恵まれとる。ウチにはまだオトンと一緒にいれる時間が残されとる。一生忘れる事のない大切な思い出が作れるチャンスが残されとる。
もう二度と会う事が出来なくても、絶対に希望を失わずに自分の父親の事を想い続けて頑張っとる人がいるのに、ウチはさっきから何をヘコんどんねん! 残された時間が少ないんやないねん、まだ時間が残っている事を有り難く思わなあかんねん!
「……ウチ、負けへん、諦めへん!」
「……ふごっ? 何よ翼、人がおむすび食べてる最中急に……?」
「綾、岬! 続きや! オトンのお宝探しの続き、今から行くで!?」
せや! ウジウジ考えたってどうしようもないねん! 考えるな、己の直感を信じろ、や! ウチは今のウチが出来る事を精一杯やる、それがオトンに対してしてあげられる最高の愛情表現やねん!
「翼ちゃん、もう少し休んでからにしたらどう? そんなに焦らなくても……」
「大丈夫やで歩美さん! ウチ、もう焦ってへん! 見つけられるで、ウチとオトンの大切な大切な宝物、絶対に見つける事が出来る! 絶対に、ウチがオトンにプレゼントするんや!」
「……そう、うん、その笑顔ならもう大丈夫ね? でも、絶対に無理はしちゃダメよ? 自分達のお家に帰る時間もちゃんと計算に入れてほどほどにね?」
おおきに、歩美さん! オトンが隠した宝物が見つからなくたってええねん! ウチが今オトンの為にどれだけの事をしてあげられるか、それがオトンにとってもウチにとって一生忘れられへん大切な宝物になるんや!
宝は物と限った訳やない、波子さんが父親との大切な宝物を海に見立てる様に、ウチもこの貴重な連休三日間の思い出を宝物にしてオトンにいっぱい話してやんねん! きっとそれがオトンの宝物にもなってくれるはずや!
「よしっ、ほなら薫! 今日はオマエも手伝っ……!」
「はいはい、お呼びでございますか?」
「……あの、あのあの、あのな、あのね? て、て、手伝って、くれ、る……?」
……アッカーン! 何かやっぱりダメやぁ、ウチ明らかに薫に対して反応がおかしい! ウチったらスッゴい笑顔満面で薫に話しかけてもうて、これじゃウチが薫と話をするのがメチャクチャ嬉しいみたいに思われてしまうやん!
しかも目が合った瞬間急に恥ずかしくなってわざとらしく目線そらしてもうたし、絶対ウチの気持ちが薫にグングン惹かれまくっとるのがもうバレバレやん! こんなんじゃウチ、とてもお宝探しなんかに集中出来へん! また薫に可愛いなんて言われたらウチもうアカン! どないしょ〜!?
「イッエース! もう薫ちゃんたらスイートつばピーの為に疲れきった体に鞭打って、ヒヒヒィ〜ンっと馬馬車のごとく全速力でラブリーシューティングスターの旅へ一緒にゴートゥーヘブゥンって感じぃ!?」
「………………」
「あれ〜? ノリが悪いぜプリンセスハニー? 今宵薫ちゃんはあなたの白馬の王子様、つーか白馬でいいや! さぁ、このプリプリの桃尻に武豊並みの追い込み鞭をプリプリプリーズ!?」
……うわぁ、冷めた。一瞬で冷めたわ。コイツ完全に図に乗って見事に元に戻っとるやん? 最悪や、計二日間必死になって頑張った流した汗がちっとも身になってへんやないかい!? あの時の胸をズキューンって貫かれたときめきは一体何やったんや!? ウチの純情ラブラブ物語は一体どこへ行ってしもたんやぁ!?
もうええ、もうええ! もうこんなんたくさんや! やっぱりウチにはオトンの愛だけで十分や! アッホくさ、何がすっぴんに惚れたじゃボケカス! ウチは何が起こっても世界で二人きりになろうと絶対にコイツにだけは心を許さへんし惚れたりせえへん!!
「お姉さん見て見て〜? オラの可愛いオ・シ・リ♪ 女王様ぁ!? この鬼畜外道変態男の汚い尻の穴にキックミープリーズ!?」
「そない蹴られたかったら脱腸するまで蹴り飛ばしたるわぁ! ウチの気持ちを毎度毎度逆撫でしよってからに、覚悟せいやゴラァ!!」
「ワオ! 稲妻激烈スパーキング! 痛っあぁぁぁぁい!!」
「おー、そうだそうだー! 稲妻って言えばよー、確かあの台風の日は近くに雷も落ちて大変だったなー?」
まだ事務所のオッサン達だけで昔話に花が咲いとるけどな、もうそんなもんどうでもええねん! まずはこの変態M男ゲス野郎の尻が二つ三つ四つに割れるまでバッシバシ蹴り倒したんねん!!
「ウチのオトン譲り右足から繰り出されるハットトリック食らえや! 一発、二発、三発〜!!」
「アウチ、アウチ、アッ〜ゥチッ!! ……ってちょっとストップ! いや翼、マジでマジで! 雷? 雷が落ちたって、まさか……?」
「この港から少し歩いた神社前の休憩所に立っとった、屋根より高い大きな桧の神木に雷が落ちて、神社までボヤ騒ぎになったの覚えてるかー? あん時の音は凄かったー、ワシは心臓止まるかと思ったよー?」
「全く吉蔵爺は相変わらず古い事ばかり覚えてるなぁ? 自分が食べた飯の事はすぐに忘れちまうくせによぉ?」
……ん、何やて? 神社の休憩所にあった高くて大きな桧の神木? ちょっと待てや、もしそんな立派な目立つ木が昔あったんやったら、何か根元に物を埋めるにはこんなわかりやすい便利な目印は他にないよなぁ? まさか、これってまさか……!?
「……思い出したわ! 確かに、あそこには昔大きな神木があって、その日に雷が落ちて燃え落ちてしまったのよ! うちの子供達が良くあそこの休憩所で遊んでいたのを見た記憶があるし、翼ちゃん、もしかしたら新ちゃん達は……?」
「……それや! 多分間違いないわ! なぁ爺さん、その神木ってその後どないなったんや!?」
「上の部分はほとんどが燃えてしまったけどなー、神聖な神木だったから何とか残してあげたくてなー、燃え残った下の幹の部分をワシら町民で綺麗に彫ってお客用の腰掛け椅子に仕上げたんだわー、今もちゃんとその休憩所で人間様の役に立っとるはずだぞー?」
「爺さん頼むわ! 今すぐそこまでウチらを案内してや、お願〜い!?」
見つからんでもええなんて半分諦めモードやったオトンの宝物探し。でも、これはかなり期待出来る展開になってきたで! あと少しや、ウチらが追い求めてきた宝物の在処はもうすぐ目の前やで!!