第5話 innocent world
午後の授業も無事終わり、最後のホームルームもまとめに入った時、予想外の展開が私を待っていた。
「渡瀬」
「はい先生、何ですか?」
「ちょっと聞きたい事があるから、帰りに職員室に来てくれ」
「……えっ?」
「忘れて帰るなよ」
……参ったな、こんな時に。正直言って職員室に呼び出される覚えは無いが、だからといって無視する訳にもいかない。
「小夜、翼や千夏と一緒に四組に行って、あの娘を迎えに行ってあげて」
「えー、那奈はどうすんの?」
「大した話じゃ無いと思うから、すぐに後から行く、校門で先にみんなと待っててね」
「はーい、了ー解!」
小夜は何故か私に向かって敬礼をした。まるで一日署長さんみたいだ。
「…いい? くれぐれも先に勝手に帰っちゃダメだからね!」
「はーい!」
……やれやれ、返事だけは一人前だ。早いところ用件を済ませる為に、私は急いで階段を駆け降り一階の職員室へと向かった。
「一年一組、渡瀬入ります」
職員室に入って辺りを見渡すと、すでに先生は椅子に座ってスタンバっていた。
「あぁ、来たか渡瀬、早速確認したい事があるんだか、お前今日、高等部の校舎に立ち入ったらしいな?」
「……えっ?」
「高等部の生徒から、中等部の生徒が校舎内に入り込んでいると報告があってな、長い髪のポニーテールで、背の高い女子だったって事でな……」
どうやら、結局あの連中にチクられたみたいだ。ちょっとマズい事になった。
「その話を聞いて、俺はすぐにお前の名前が頭の中に浮かんでな、入ったのはお前なのか? 校舎内に立ち入ったのか?」
これは認めてしまうと面倒な事になりそうだ。どうやら犯人が私だと確定されてない様なので、思い切ってシラを切り通す事にした。
「……いいえ、行ってません」
「……本当か?」
「はい、背の高くて髪の長い女子なら他にもいると思いますが、なぜ私だと?」
「……いや、まぁ、それはな……」
この調子だと何とかいけそうだ。もっと強気に攻めてみよう。
「……私の姉が不良の常習犯だったからですか?」
「……いや、そういう訳では無いが、なぁ……」
「とにかく、私ではありません、他の生徒だと思います。」
「……そうか、わかった、疑ってすまなかったな、気をつけて帰れよ」
「……はい」
我ながら何という演技。冷静沈着に嘘をつく自分がちょっと怖くなった。この面の厚さは親から受け継いだ遺伝なのだろうか。先生、ごめんなさい。でも今は急がないといけない。
職員室を出て急いで下駄箱に向かうと、翼と千夏が私を待っていた。しかし、小夜と麻美子の姿がない。
「なにしとんねん那奈! 一緒に帰ってやるんじゃなかったんかい!」
「職員室に呼ばれてたの! ねぇ、小夜は? あの娘は?」
「それがいないのよ! 小夜が廊下から二組の教室を覗いてたのは見たんだけど……」
しばらくしたらいつの間にか小夜の姿は消えてしまったらしい。あれほど一人で行くなって言ったのに……。
「ウチらのクラスのホームルーム長いねん! くだらん話をグダグダ喋って!」
「ホームルーム終わって外に出たら、もうどこにもいなかったの! あの四組の娘も教室にいなかったし……」
「これはマズいなぁ……」
「例の連中に連れていかれてなければええんやけどな……」
私達が小夜の安否を心配していると、良く見慣れた男子生徒が何かに見つからない様にコソコソと隠れながら、階段を登って校舎別館の二階に上がって行くのが見えた。
「……あれ?」
「……どうしたの、那奈?」
「どないした? 誰かおったんか? 小夜か?」
「……翔太?」
私達が小夜と麻美子を探していた頃、当の本人達は人気の無い別館の廊下を歩いていた。
「……ねぇ、真中さん、みんなと一緒にいなくて大丈夫なの?」
「うん! だって那奈も翼も千夏も、みーんなこっちで待ってるみたいだよ?」
「そうだよ、みんな待ってるから呼んできて欲しいって頼まれたんだ」
小夜達の前に道案内をする男子生徒が一人。その制服は明らかに中等部のものとは違う高等部のもの。
麻美子は違いに気づいて不安がっているが、小夜は全くお構い無しでついて行ってしまう。
「……真中さん、あの人の制服、高等部の……」
「大丈夫だよ! 知らない人にはついて行っちゃいけないって言われてるけど、同じ学校の先輩だもん、悪い人じゃないよ! 多分」
「……多分、って、何か嫌な予感が……」
突き当たりの教室の前まで来ると、扉の前に別の茶髪の男子が二人立っていた。
「おっ、来た来た、こっち、こっちだよ!」
「おぉ、結構カワイイじゃんこの女子! ヒューヒュー!」
どこからどう見てもいい人には見えない外見。麻美子の恐怖心は限界に近く、すでに足が震えだしていた。
「……真中さん、逃げた方が、っていうか、逃げようよ……」
「えー、なんでー? 大丈夫だよ麻美ちゃん、みんな待ってるよ!」
怪しい男子生徒達は教室の扉を開けて二人を迎え入れた。
「この中でみんな待ってるから入りなよ!」
「はーい! ありがとう! 失礼しまーす!」
「……真中さん、ダメだよ……」
「さぁ、どうぞどうぞ……」
小夜達を教室に入れると、男子生徒達は一人を外に残して扉を閉めた。
「……見張っとけよ……」
「……おう……」
放課後で使われてない視聴覚室。中は電気が点いてなくて真っ暗だった。
「あれー、真っ暗だよー? 那奈、翼、千夏、みんなどこー?」
突然、教室の明かりがバッと点いた。小夜達は光に目が眩んで最初は誰がいるのかわからなかったが、次第に目が慣れてきて教室の中がハッキリと見えた。
「…あれー? 違ーう! 那奈達じゃないよー?」
「……えっ、やだ、まさか……」
教室の中で待っていたのはさっき麻美子を脅していた高等部の女子生徒三人組だった。
「……やぁ、アンタ達、待ってたよ」
「あっ、わかった! お昼休みの時の人達だ!」
「……そんな、やっぱり……」
中等部の校舎を出るまでは安全だと思っていた麻美子は、小夜の制服の肩をギュッと掴んで後ろに隠れた。
「……どうして?どうして高等部の生徒が中等部の校舎に入って来れるの……?」
麻美子の質問を聞いて女子生徒達は顔を見合わせてクスクスと笑い始めた。
「……んなもんチョロいよねぇ?」
「アタシ達も昔はこの校舎に毎日来てたんだよ? 中に忍び込める場所なんてみんな知ってるよ!」
「この教室の周りは放課後になったらまず先生も生徒も通らないからね、助けは来ないって思った方がいいよ」
「…ほぇ? 助け?」
「……真中さん、どうしよう……」
小夜と麻美子、絶体絶命。逃げようにも教室の扉の前には仲間の男子生徒が立っていて外に出れない。
「で、アンタ達、どうすんの? さっきの三千円で許して貰えるなんて思ってないでしょうね?」
「まさかこの程度の弁償でアタシ達が納得すると思う?」
「しかも無断で高校部に立ち入ってたんだろ? これはマズいよなぁ〜?」
扉の前にいる男子生徒達が会話に入ってきた。教室の真ん中に立っている小夜達の周りをクルクル回りながらジロジロと顔を覗き込む。
「……アタシのお父さんに全部話しちゃってもいいんだよ? アンタ達、退学にしてもらうように頼んじゃおうかな?」
連中のリーダーと思しき女子生徒が父親に携帯電話をかけるフリをして麻美子を脅した。
「……お、お願いです! 許して下さい! お金なら、お金なら家に帰って持って来ますから! 必ず払いますから!」
麻美子は女子生徒達に頭を下げて必死に謝った。しかし、女子生徒達の態度は全く変わらない。
「とか何とか言って本当は逃げるつもりなんだろ? お前、甘いんだよバーカ!」
「逃げられちゃ困るんでね、アンタの家までアタシ達も一緒に行かせてもらうよ! 嫌だとは言わせないからね、わかった!?」
「……はい、わかりました……」
もう逃げられない。でも、今日会ったばかりの他人を巻き込む訳にもいかない。覚悟を決めた麻美はグッと唇を噛み締めて返事をした。
「……で、でも、真中さんは逃がしてあげて下さい! この人は何も関係ありませんから!」
「…ほぇ? 逃げる? 麻美ちゃん、何の事?」
しかし、帰ってきた返事は非常に冷たい言葉だった。
「アンタ、バカだね〜、ダメに決まってるでしょ? 現場見られちゃってるんだから、そこのボケッとしてるアンタも一緒に来るんだよ!」
「……そんな……」
麻美子はガックリと肩を落とした。眼鏡の奥にある瞳には、うっすら涙がにじんでいた。
「……ごめんなさい、真中さん、ごめんなさい……」
「……麻美ちゃん、泣いてるの……?」
麻美子が絶望的な現実に打ちひしがれているその時、突然教室の扉がガラッと開いて見張りをしていた男子生徒が入ってきた。
「……おい、何かヘンな奴が来たぞ?」
「ハァ? 何だよ、誰?」
扉の前にいた男子生徒達をはねのけて、一人の中等部の制服を着た男子が飛び込んできた。
「小夜! お前、何やってんだよ!」
「あっー! 翔ちゃんだー!」
教室に飛び込んできた生徒は翔太だった。人気の無い場所に連れていかれる小夜達の後を追って助けに来たのだ。
「…何、アンタ、誰? この娘の彼氏?」
「従兄妹だよ! つーか、お前達、何なんだよ!」
翔太は勇敢に高等部の連中に立ち向かった。しかし、相変わらず小夜には全く緊張感が無い。
「麻美ちゃん、紹介するね! 従兄妹の翔ちゃん! あたし達と同い年なんだよー!」
「……おい、小夜……」
「……真中さん、今はそんな事を言ってる場合じゃ……」
翔太が助けに入ったとはいえ、人数は相手の方が上。ピンチである事には変わりない。それどころか外にいた男子生徒も加わってきて一斉に周りを取り囲まれた。
「あのさ、被害者はアタシ達なのよ? ちゃんと心のこもった賠償を求めてるだけなのよ? これって悪い事かしら?」
「ヘヘヘッ、そういう事なんだよ、ボウズ!」
「……触るんじゃねーよ! 離せ!」
馴れ馴れしく頭を撫でてくる男子生徒の手を払い、翔太は小夜と麻美子を背中に回して二人をかばう様にして前に立った。
「小夜、一体何があったんだ? 何でお前が狙われてんだよ!」
「うーんとねぇ、えーとねぇ、どこから話せばいいかなー?」
小夜と話をしていた翔太の腕を、麻美子がギュッと掴んで大声で叫んだ。
「全部私が悪いんです! 真中さんは関係ありません! お願いします! 真中さんを連れて逃げて下さい!」
その言葉を聞いた小夜は翔太の腕を掴んでいた麻美子の手を払い、両手でガシッとその手を握った。
「……どーして?」
「……えっ?」
小夜の表情が変わった。いつものホワッとした雰囲気は無くなり、麻美子を見つめる目は真剣そのものだった。
「……どーして関係ないの? どーしてあたしに謝るの? どーして麻美ちゃんを置いてあたしだけ逃げなきゃいけないの?」
「……真中、さん……?」
「麻美ちゃんはこの人達に悪い事しちゃったかも知れないけど、すぐにちゃんと謝ったでしょ? ごめんなさいって言ったでしょ? それじゃダメなの?」
小夜の気迫に麻美子は唖然としていた。周りにいる高等部生徒達も呆気に取られていた。
「……ちょっと、何言ってんのコイツ……」
「謝って済むんだったら警察なんていらねーんだよ、バーカ!」
「突然キレてんじゃねーよ! ボコボコにイジメちまうぞ!」
高等部の連中はバカにした様に小夜をからかった。しかし、小夜は負けなかった。さらに気持ちを込めて言葉を続けた。
「だって、麻美ちゃんはわざとやった訳じゃないでしょ? ちゃんと汚しちゃった服をキレイにするって約束したでしょ? 何でそれじゃダメなの?」
「……おい、小夜……?」
今まで見せた事の無い小夜の物凄い気迫。そばにいた翔太でさえもその空気に圧倒された。
「どーしてみんな麻美ちゃんを信じてあげないの? どーしてバカって言うの? どーして麻美ちゃんが泣かなきゃいけないの?」
「……おいおい、コイツ、リアルにバカかよ?」
「何か面倒くせえな、まとめてやっちまえばいいじゃん?」
「……そうだね、ちょっとお仕置きして黙らせようか、大声出されて人が来たら困るしね」
リーダー格の女子生徒を中心に、小夜達三人を囲んでいる輪は徐々に狭まってくる。麻美子は恐怖で涙を堪えられずに目からポロポロと滴が落ちた。
「……お願い、お願いです、真中さん、逃げて……」
「ダメッ!!」
「……えっ?」
「おい、小夜!?」
驚いている麻美子の両肩を掴んで小夜は力強く言い放った。
「友達を置いて逃げるなんてダメッ! そんなの一番いけない事だもん! 那奈だってあたしが困ってる時に逃げたりなんてしなかったもん!」
「……友達……?」
「そうだよ、友達だよ! 麻美ちゃんはあたしの友達だもん! バカって言われたって友達だもん! だから、あたしは逃げない! 友達を置いて一人で逃げたりしないもん!!」
「……真中さん……」
小夜は麻美子を力強く励まして優しくニッコリと笑った。麻美子の瞳から怖さから流していたものとは違う暖かい涙が湧き出てきた。
「ねぇ、もうお芝居終わった? いちいちお友達ごっこに付き合ってられないんだけど?」
「痛くしないからよ、ちょっと苦しいだけで終わるぜ、ヘッヘッヘッ!」
お涙頂戴なんてクソくらえとばかりに連中は小夜達のすぐ目の前まで迫っていた。
(……何とか、小夜とこの娘だけでも逃がさないと……!)
翔太は小夜達を背中にかばいながらジリジリと後ろに下がった。自分を犠牲にしても何とか小夜達を逃がす術を必死に考えていたその時、男子生徒の後ろに一人の人影が見えた。
ガツッッッッ!!
「痛ぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
鈍い衝撃音と男子生徒の断末魔。教室にいた人間全員が、一体何が起こったのかと騒然とした。
「な、何!?」
「だ、誰、アンタ!?」
うろたえる連中の前に立ち塞がる一人の人影。奴らが先生にチクった、背の高い、長い髪でポニーテールの女子。
「……エラいよ、小夜、よく言った」
「……那奈!!」
「那奈だー! やっぱり那奈が来てくれたー!!」
再び間一髪間に合った。階段を登っていく翔太の後を追ってきて大正解だった。
「……翔太が何か挙動不審にウロウロしてるのが見えてね、助かったよ、翔太、アンタもたまには役に立つんだね」
「……挙動不審、ってヒドいぞお前! 小夜が知らない人についていったから、何か変だと思って後ろをつけてたんだよ!」
「あっそ、でも一歩間違えたらストーカーだよね、凄い気持ち悪かった」
「……あのなぁ」
翔太も私の姿を見て一安心したみたいだ。まぁ、翔太じゃこの人数を倒すのはまず無理だろう。私には簡単な事だけど。
「痛ぇぇぇぇ! 痛ぇぇぇよぉぉぉ!!」
男子生徒が私の下で足を押さえながらのたうち回っていた。よく見ると目を真っ赤にして涙目になっている。
「……足の甲を思いっきり踏んづけただけでしょ? 骨は折れてないと思うから安心しなよ、まぁ、二、三日は痛むかも知れないけどね」
雑魚には用は無い。私が狙っている首はただ一つ、あの態度の悪いリーダー格のクソ女。
「……またアンタ?アンタいったい何者なのよ!?」
「……この娘の保護者、みたいなものかな?」
「……何だよ、この女……」
「……何か、ヤバそうだぜ……」
痛みにもがき苦しんでる仲間を見て、連れの男子生徒達も怯んでしまった様だ。
賢明だと思うよ。痛い目に遭いたくなければ引っ込んでおいた方がいい。
「……あのさ、アンタ達の制服を汚してしまったのは悪いと思ってるけど、ちょっとばかりやり方が汚いんじゃない、先輩方? 私さ、こういうのって大っ嫌いなんだよね」
先輩だろうか何だろうが容赦しない。理不尽な力を誇示して弱い物ばかりを叩く人間は絶対に許さない。
「……その二人に手を出したら、悪いけどいくら先輩でも女でも手加減しないよ? 覚悟はいい? そんなに痛くしないからさ」
こちらは戦闘準備万端。私は指をポキポキと鳴らしながらゆっくりとクソ女の元へと歩み寄った。しかしその時、私の目の前にいきなり人影が入り込んできた。
「控え〜い!! 控えい控えい! 控え〜い!!」
「……!?」
翼と千夏が突然教室に飛び込んできたのだ。二人は私の両端に立ち、翼の手にはそれぞれの家族で一緒に行った昔の旅行の写真が写っている携帯電話があった。
「こちらに居られる方を何方と心得る!? 恐れ多くも、元・女番長『渡瀬優歌』様の妹君、渡瀬那奈様なるぞ!!」
「……バカッ、翼!その名前は……!」
翼の話と写真に写っているお姉の姿を見た男子生徒達の顔色が一気に青ざめた。
「……渡瀬、優歌……!」
「……おい、まさか……!」
「……あの……!」
「渡 瀬 先 輩 !!」
やっぱり知っていたか、お姉の事を……。この連中もお姉に絞られた事があるのだろうか……?
「たった一人で500人の不良をブチ倒した渡瀬先輩!!」
「一日足らずで不良から500万円巻き上げた渡瀬先輩!!」
「高校三年間で500人の男の童貞を奪い取った渡瀬先輩!!」
男子生徒達は尻もちをついてズルズル後ずさりし始めた。その目は恐怖に震える小型犬の様に潤んでいた。
「皆の者! その渡瀬先輩の妹君の御前である! 頭が高い! 控えおろ〜う!!」
「ヒィィィィィィィ!!」
男子生徒達は何かに追われる様に一目散で教室から逃げていった。
「…ちょっと、アンタ達! 何逃げてんのよ! アタシを裏切るの? ちょっと!」
教室に残ったのは私達と女子生徒三人。しかもクソ女以外の二人は震えて丸くなっていた。
「……控えるどころかみんな逃げてもうたなぁ……」
「……翼、アンタさぁ……」
「これでまた一つ伝説が出来たなぁ、那奈、ウヒヒッ」
「……全く、何て事してくれるのよ……」
この学校で一番出してはいけない名前を……。生徒はおろか、先生方々ですら裸足で逃げていくというのに……。
「一体何なのよアンタ達! アタシのお父さんはPTA役員の副会長なのよ! アンタ達なんかみんな……!」
「へぇ〜、そうなんだ〜、ちなみにアタシのママってさ、この学校の設立資金を出した出資者だったりするんだけどなぁ……」
「……えっ?」
まさかまさかの新事実。千夏のお母さんがお金持ちなのは知っていたけど、そんな事夢にも思っていなかった。
「……千夏、それって本当の話なの?」
「……この学校の設立に、千夏ちゃんのお母さんが一役買ってるって事?」
「その通り! 簡単に言えばスポンサーって事、だからアタシはこの学校に転校してきたんだもん!」
……言われてみれば確かに納得出来る。私の母さんは最初からこの学校に私と翔太を入学させたがっていた。
小夜や翼も、この学校に入学したのは同じ理由で親から薦められたからかも知れない。
転校してまだ日が浅いのに、千夏がやたらと学校の詳細に詳しいのはそういう事だったのか。
「アタシのママがその気になったら、PTA役員はおろか、校長先生まで一気にフルチェンジする事が出来るんじゃないかなぁ……?」
……これはコワい、コワすぎる。もしかしたらお姉の悪評よりもコワい存在かも知れない。
「……マヂですか?千夏さん、これからもウチと仲良くして〜なっ!」
「いいわよ〜、みんなの事はアタシとママが守ってア・ゲ・ル!ウフッ」
「……千夏のママ、本当にスゴいママね……」
女子生徒達は魂が抜けた様に白目を剥いて口をあんぐりとしていた。ちょっとヤバいかも。
「……どうする? まだやる? アンタ達、卒業すら出来なくなるかも知れないけど……」
「……いいえ、もういいです、すみませんでした……」
「制服はどうする? クリーニングに出してあげようか?」
「……いえ、それも結構です……」
震えていた二人に至っては涙と一緒に鼻水まで垂れ流している。これ以上やったら今度は私達がイジメっこになってしまいそうだ。
「じゃあ、この話は先生に黙っといてあげるからさ、わかったらさっさと高等部に帰りな!」
私の一喝を聞いて、女子生徒達は放心状態でトボトボと帰っていった。これでもう悪さをする事は無いだろう。
「一時はどうなるかと思うたけど、まぁ、一件落着やな! カッカッカ!」
「……落着じゃないよ全く、翼のせいで今まで以上に『お姉の妹』ってだけで先生達からマークされちゃうよ……」
「那奈のお姉さんてスゴすぎ〜! 是非、一度会ってみたいなぁ〜!」
「……チャレンジャーやなぁ、千夏は……」
「……お姉より千夏のママの方が普通じゃないよ……」
「でも、みんなで一緒に帰る事が出来てよかったねー!」
今回の大騒動の張本人はさっきの威勢はどこ吹く風でニコニコ笑っていた。カチンときた私はさっきよりも強く小夜の頭をパーンとひっぱたいた。
「痛いよー、那奈!」
「バカ!アンタ本当に全く……!」
「……ウェーン、ごめんなさい……」
小夜は泣き真似をして私に謝った。もう二、三発殴ってやりたかったけど、もういいか。
「……でも、まぁいいや! 今日は許す!」
「ホントに? ヤッター! 那奈、ありがとー!」
「おっ、何や何や、随分と機嫌がええやないか、那奈?」
「……そう? そうかな……?」
色々とあって大変だったけど、翼が言う通り私は凄く上機嫌だった。
小夜が麻美子を励ましてあげたあの一言。あの時、私は初めて小夜が頼もしく見えた。
小夜もしっかりと優しい人間として成長しているんだな、としみじみと実感した。
「あぁ〜暑い! 喉乾いたわぁ〜!」
「早く冷たいジュース飲もぉよ〜! もう限界ぃ〜!」
そういえばすっかり暑さを忘れていた。翼と千夏の絶叫を聞いた途端、一気に周りの気温が急上昇した気分になった。
「……言わなきゃ忘れてたのに、このバカ共が……」
全身から汗がドッと吹き出してきた。暑さに苦しんでいる私達に比べて、小夜の元気な事といったら……。
「ねーねーねー! 六百円あればジュース五人分買えるよね? ねっ、那奈!」
「あっ、そうだね、自販機の缶ジュースなら六百円で五本買えるね」
そう、五人。小夜が必死になって守ろうとした大切な友達。
「…えっ? もしかして、私の分ですか?」
「そーだよ! 麻美ちゃんも一緒にジュース飲もうよー!」
「……でも、私、皆さんに迷惑かけて……」
麻美子は申し訳なさそうにうつむいて下を見た。でも、もう遠慮なんてする必要は無い。
「別に迷惑じゃないよ、今まで小夜が起こしたトラブルに比べれば、今日のは大した事でも無いしね」
「小夜の大事な友達なんやろ? だったらおごらん訳にはイカンわなぁ?」
「お小遣い全部渡しちゃったんでしょ? 暑いの我慢すると脱水症状になっちゃうわよぉ?」
「一緒に帰ろうよ麻美ちゃん! あたしも麻美ちゃんも那奈も翼も千夏もみーんな友達!!」
私達の言葉を聞いて、また麻美子の地味な眼鏡の奥から涙がこぼれた。やれやれ、この娘は小夜以上の泣き虫かも。
「言ったでしょ? 今日は小夜の相手をキッチリ勤めてもらうからね、約束よ?」
「……皆さん、ありがとうございます……」
眼鏡を取って涙を拭った。そんな麻美子に小夜はハンカチを手渡してあげた。
「麻美ちゃん、これ使っていいよ!」
「……ありがとう、真中さん……」
「……でも『真中さん』って何か変なのー? いつもみんなから『小夜』って呼ばれてるから、『真中さん』じゃあたしの事なのかどうかよくわかんなーい?」
「……えっ? じゃあ、『小夜ちゃん』でいい?」
「うん! いいよー! 『麻美ちゃん』と『小夜ちゃん』、何か似てるねー! エヘヘッ!」
「……エヘヘッ!」
友達か、もしかして小夜から話しかけて仲良くなった友達は麻美子が初めてかも知れない。仲良く喋っている二人を見て、私も自然に笑顔が込み上げてきた。
友達が増えて、帰りにジュースを飲んで、翼の言った通りこれにて一件落着!
…なーんて思っていたら私達の背後に影の薄い男子が一人いた。
「……あのー」
そうだった。翔太がいたのをすっかり忘れていた。
「……まだいたの?」
「……いや、まだいたの? じゃなくてさ、俺の分のジュースって無いの?」
ジュース? 何を生意気な事を言い出してるのかこの男。
「何でオマエにおごらなアカンねん?」
「翔太君、お金持ってるでしょ?」
「自分で買えば?」
私達は翔太を無視して外にある自販機でジュースをきっちりと五本買った。
「……ちょっと待ってよ、俺だって少しは役に立ったろ?」
「第一な、女と平気で風呂入るスケベに飲ませるもんなんか無いわ」
「ハァ? 何でそれを翼が知ってんだよ?」
「あっ、そうだった、何か超ガッカリ〜、翔太君って最低〜」
「ちょっと、千夏ちゃんまで……」
「まぁ、当然の報いよね」
「だから那奈にはワザとじゃない、ってこの前説明……」
「わーい! 翔ちゃんのエッチー!」
「おい小夜! 元々はお前のせいで……!」
どんな理由があろうと決して犯した罪が消える事はない。
「翔太君のスケベ!」
「そんな」
「翔太の変態!」
「ヒドい」
「翔ちゃんのエッチ!」
「何で」
「いっそ死んだら?」
「あんまりだろ!」
正に集中砲火。私達の言葉の鉛玉は翔太を跡形も無く蜂の巣にした。
「もうこんな変態ほっといて早よ帰ろうや〜」
「何か気持ち悪〜い、家に帰ってさっぱりとシャワー浴びよっと」
「冷たいジュース美味しー! 麻美ちゃんも飲んで飲んで!」
「ねぇ麻美子、このスケベに近寄っちゃダメだよ、何をされるかわかったもんじゃないから」
「……はぁ、肝に命じておきます……」
「だから全部誤解だし不可抗力だししかも変態でもスケベでもないし、ってオーイ……」
スケベ男の遠吠えは炎天下の青空に虚しく消えていった。
しかし本当に暑い。夏休みが待ち遠しい。