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第43話 ジェラシー



春、咲き誇った桜の花もちらほらと散り始め、日の暖かさを感じるようになった五月初めのゴールデンウイーク。巷を襲う花粉症などなんのその、アレルギー知らずの強い体に産まれた私にはマスクなんて全くの無縁。

雲一つ無い透き抜ける様な真っ青な空、心を丸洗いした様な気分にさせてくれるたくさんの緑と新鮮な空気、『生活』と言うしがらみから抜け出しリフレッシュした私は背伸びをしながら深呼吸して春の風を胸いっぱい……。



ブゥワァァァァァァン!!



「……うるさーい! 出来るかバカー!!」



私は今日、せっかくの日曜日を潰されて近畿地方山奥のサーキット場に連れてこられてしまった。なぜかと言うと、今日このサーキット場で全日本ロードレース選手権の今季開幕戦が行われるからだ。



「相変わらず、那奈はバイクの排気音が苦手みたいだな? やっぱり女子にはこの心を揺さぶられる様な衝動は理解してもらえないのかなぁ?」


「排気音どころかバイクそのものが大嫌いなの! 遠くでさえ耳が切り裂かれそうなぐらいうるさいのに、それにまたがって走るレーサーの感覚の方がよっぽど理解出来ない!」


「……ハァ、そうですか、『バイクの排気音は俺にとって子守歌みたいなもの』なんてセリフ言ったらカッコいいかなって思ってたけど、やっぱりやめときます……」



隣でバイクスーツに身を包み、マシンにまたがりエンジンを空ぶかししている翔太が困った様に苦笑して頭を掻いている。子守歌? だっさ、そんな事真顔で言われたらマジで引く。つーか速攻別れる。一体誰の言葉を真似しようとしていたのかわからないけど、相変わらずいまいちセンスが無いなぁ。



「オイオイ、先代チーフじゃあるまいし、数少ない所属ライダーに対してそんなに冷たくあしらわないでくれよ? ついにやってきた俺達バイク野郎の期待の星、風間翔太の全日本デビュー戦なんだぜ? もっと暖かい言葉で送り出してやってくれよ、二代目さん?」



私と翔太の会話を聞いていたバイクチームの副代表、橋本さんがピットの奥から出てきて後ろから私の肩をポンと叩いた。そう、私はある事情でサーキット場に来れない父さんの代わりに『一日代表』を命じられてしまったのだ。



「……二代目なんてやめて下さい、私はこの世界には全然興味ありませんから」


「そうなのか? なんでぇ勿体ねぇなぁ、ピットの入り口で腕を組んで仁王立ちする後ろ姿、チームのエースを一喝して震え上がらせる男勝りのその迫力、正に先代チーフ様に瓜二つだぜ、なぁ竹田?」


「えぇ、ヤバいッスよ! マジであの悪魔、いや、麗奈さんがまたここに戻ってきたのかと思いましたよ! 俺も一瞬勘違いしてビビりましたもん……」



橋本さんどころか竹田さんまで……。全く、何で私が父さんの代わりをしなきゃいけない訳? 副代表なんだから橋本さんが仕切ってくれれば問題ないじゃん? 本当にここの大人達はみんな無責任な人ばかり。

私、まだ学生なんだよ? しかも学校でも小夜の面倒や翼の下らない話に付き合わされて、最近は千夏の暴走も止めなきゃいけないし、もう忙しくて大変なんだから! 高校生活も始まったばかりで心体共に疲れ気味なのに、ただ父さんと母さんの娘だからってこんな所まで連れてこられて、せっかくの連休を何でこんな事に費やさなきゃいけないのか……。



「しかし、わざわざ渡瀬家のDNAを引き継いだ姫様がご観戦されてるんだから、屁っ放り腰なレースは出来ねぇぞ翔太! 日本モータースポーツ界が待ちに待った期待の新人、全世界中にお前の名前を轟かせる機会がやって来たんだぜ?」


「やめてくださいよ橋本さん! いくら何でも全日本戦、しかも初戦っスよ? 世界で走ってた経験がある有名ライダーもたくさんエントリーしてるし、今までみたいに上手くいかないっスよ……」


「……ったく、弱気なのか謙虚なのか、そういう闘争心の無いところは貴之にそっくり似ちまったなぁ? 少しは虎太郎の爪の垢でも飲んで、心臓やのどちんこに毛でも生やしてギラギラしやがれってんだ!」


「……いや、強くはなりたいですけど、親父さんみたいのはちょっと……」



……でもまぁ本音を言うと、ついに国内トップクラスの大会にデビューする事になった翔太が変に緊張したりしないか心配だったし、レース中に転倒とかして怪我をするなどのアクシデントに巻き込まれないか不安だった。

それに、国内のトップレーサーの仲間入りを果たした翔太の晴れ姿をちょっと見てみたかったってのもあるし、翔太と都会を離れて遠くに出掛けるのもいいかなってのも思ったのもあるし、それ以上に出来る限り翔太と一緒にいたかったってのもあるし……。



「……那奈お嬢さん、顔が真っ赤に火照ってる様だけど、大丈夫かい? 熱射病?」


「……えっ? う、ううん、な、何でもない、何でもないです!」


「無理しちゃいけませんぜ、お嬢さんに何かあったら俺と橋本さんが虎太郎さんにシバかれちまいますからねぇ」




……何よ私、最後完全にノロケに入ってるじゃない。いつまでアツアツのデレデレ気分に浸ってんのよ、この恋愛バカ!

いくら嫌々引き受ける事になったとはいえ、とりあえず今日私はこのチームの臨時代表なんだから浮かれてる場合じゃないでしょ!? 私情は無用、今日は一切おノロケ禁止!

竹田さんにバカな妄想を止めてもらえて良かった。あっ、でも、もしかしたら竹田さんに翔太を見てデレデレしていた姿を見られちゃったかもしれない。

ヤバいなぁ、そんな事がもし翔太に知れたらどうしよう。恥ずかしくてとてもここにいられないよぉ……、って言ってるそばから何考えてんのよ私は!?


でも、何か不思議。自分がこの場に立ってみるとつくづく思う。父さんと母さんは若い頃に同じチームのライダーと監督として、レース中どんな感情でお互い向き合ってたんだろう?

父さんが引退するちょっと前から二人は恋人同士の関係になったってお姉から聞いた。と、いう事は少なくても数回二人は恋愛中ながらも仕事のパートナーとして言葉を交わしたはず。

その時、二人の間にはギクシャクした空気は流れなかったのかなぁ? 今の私みたいに私情が絡んじゃったりしなかったのかなぁ?



「よし、じゃあレース前に先代の儀式を受け継いで、那奈には翔太のケツを思いっ切り蹴っ飛ばして気合いを入れてもらうか! 『運』を漏らさない様にってな、ガハハッ!」


「お嬢さん、コツは爪先ですよ! ヒールの爪先を思いっ切りケツの穴にねじ込む、これが全世界の男が震え上がった麗奈さん必殺の『アースキック』ですぜ! 『earth』と『Ass』をかけてるんですぜ?」


「ちょ、ちょっと、勘弁して下さいよ二人とも! 俺は親父さんほど丈夫じゃないし、那奈はマジで空手やってるんっスよ!? バイクまたがる前から俺のケツ破壊されますよ!?」



……儀式? しかも『アースキック』とかって……。うん、無いね。多分あの二人の辞書にはノロケなんて言葉は存在しない。それどころか恋愛感情や互いを思いやる優しさなんてものも無かったと思う。私が生まれる前から二人を知っている人達から話を聞く限り、そう予想出来る。

じゃあ、何であの二人は結婚したの? 何で私が生まれてこれたの? しかも結婚してそろそろ二十年も経とうかという今、何でまだあの二人はあんなに仲が悪いのに離婚しないで夫婦でいるの?

何か、もう訳わかんない。あの夫婦、あまりに謎過ぎる。きっとこの謎を解明するには、『自分が何の為に生まれてきたのか』という全人類最大の謎を追い求めるのと同じぐらい大変なものに違いない。絶対そうだ、うん。



「……この世に生まれてこれた事、神様に感謝しなきゃなぁ……」



でも、実は私の体の中を流れる血、父方と母方双方の家系にはもっと大きな謎がある。私も中学に上がった時に母さんから聞かされて驚いたのだけれど、父さんと母さんは最初から全く赤の他人という訳ではなかった。私は他の人に理解してもらうには非常に難しい因縁じみた血の宿命の元に生まれた人間だったのだ。

その話は、私にとって先祖になる二人の男性と一人の女性が繰り広げた悲しい愛憎劇から始まった。その運命に巻き込まれ、復讐を果たす為に孤独を糧に成り上がった男が、同じ運命を背負った若き日の二人の前に立ちはだかり、全世界のモータースポーツ界を震え上がらせたあの事件。私の知らない、二十年近く前の話……。



「……あれ? 橋本さん、あの人……」



関係者用の入り口からこちらのピットに歩いてくる白いジャケットにジーンズ姿の男性。決して大柄ではないその姿に竹田さんが気づくと、この場所だけではなく周りの他のピットルームの人間達もザワザワと声をあげた。

父さんや母さんと共に『あの時代』を生きてきた橋本さん達には忘れる事の出来ない『戦友』適存在。そして私にとってもとても深い関係のある、久し振りに見る日本バイク界のスーパースターであるその姿。



「……オイ、あれ、新悟じゃねぇか?」


「……えっ、新悟さん?」



奥井新悟、現役世界ロードレーサーで日本人ライダー黄金期を作ったもう一人のカリスマ。全くの無名の十代から一気に世界戦にデビューした伝説の人で、父さんが引退した後に風間貴之さん、三島勇次朗さんと共に『新・三強時代』を造り上げた、世界のバイク界の歴史上でも十本の指に数えられるトップライダーだ。



「どうも橋本さん、お久し振りですね、雑誌の取材も兼ねてこのサーキットに来ていたのでちょっと寄らせてもらいました」


「全くだ、久し振りだなぁ新悟! まさかここでお前に会えるなんて夢にも思ってなかったぜ!」



久し振りの再会に橋本さんは新悟さんに馴れ馴れしく抱きついて喜んだ。突然の大物来客に竹田さんを始めこのピット内のクルーはもちろん、他のピットにいる関係者達も一斉に周りを囲んでこちらを眺めている。中には携帯電話で写真を撮っている人もいた。



「ところで橋本さん、兄さんはどこにいますか?」


「あぁ、残念だな、実はアイツ、今日はここに来てないんだよ、例の件で今度は沖縄まで飛んで行っちまったらしくてなぁ……」


「……そうですか、久し振りに会えると思ってたんですが、残念ですね」



新悟さんの表情が一瞬曇った。やっぱり、目的はそれだったんだ。そんなにあの人に会いたいなんて、私からするとちょっと不思議だ。あんなやかましくて大人になりきれないおっさんのどこに惹かれているのやら。あっ、そう、新悟さんが『兄さん』と呼んだ人はズバリ……。



「代わりに那奈が来てくれてるけどな、ほら、お前の横」


「……那奈? あぁ、本当た、那奈じゃないか、すっかり大きくなったんだな……」



橋本さんに紹介された新悟さんは私の姿を見て、少し驚いた顔をしてこちらに近づいてきた。確か私が最後に新悟さんに会ったのは中学校に上がる前の事だからもう四、五年前になる。あれから私も十センチ近く背が伸びちゃったから、驚かれるのもしょうがないか。



「新悟さん、お久し振りです」


「あぁ、久し振りだな、そうだよな、うちの娘が来年高校生になるんだから那奈も大きくなってる訳だよね、もうすっかり一人前の女性だね」



『兄さん』。そう、新悟さんの兄とはあの私の父親、虎太郎なのだ。乱暴な態度の父と冷静で穏やかな新悟さん、性格が思いっ切り真逆な為、正直兄弟とはとても思えないのだが、これはきっちりと登録されている明らかな事実。

と、言っても、その関係は普通の兄弟ではなく、産まれてきた母親の違う遠く離れて育った十歳近く歳の離れた兄弟なのだ。なぜ二人が腹違いで離れ離れで暮らしていかなくてはならなくなったのかと言うと、これまた説明の難しい血の宿命が絡んでいる訳で……。



「……あのー……」



私と新悟さんの間に割り込む様に翔太が顔を覗かせた。翔太からすれば新悟さんはバイク界の大先輩であり、父さんや貴之さんと同じ雲の上の存在の様な人物だ。



「……俺の事って、覚えてくれてたりします? い、いや、覚えてないんならいいんです! あ、あの俺、今日、デ、デ、デ、デビュー、あの、全日本戦にエントリーする事になりました、あのー」


「風間翔太、だろ? もちろん覚えてるさ、君も随分立派なライダーに成長したんだね」


「マ、マ、マジっスか!? 覚えてくれてたんですか!? うわっ、すげぇ、超嬉しい!」


「露頭に迷い苦しんでいた俺に、救いの手を差し伸べてくれた恩人の残した子供の事を忘れる訳がないだろう? ましてやあの兄さんが全霊をかけて育成に力を入れている大切な未来のホープ、君の知名度はすでに全国区だよ、それに、面影が風間さんに良く似てきた」



父さんが引退し、入れ替わる様に新悟さんは世界ロードレース選手権に現れた新しいヒーローだった。当時まだ若干十九歳、デビューイヤーから世界の名だたる強豪ライダー達を押しのけ、貴之さんや勇次朗さんと熾烈な三つ巴で中型クラスのチャンピオンを争った。

当時はまだ結婚して婿入りをする前で父さんと同じ渡瀬姪を名乗っていた事もあり、マスコミの間では『渡瀬の再来』と呼ばれ世界中のファンを虜にした。

後先考えないで最初から全開でぶっ飛ばす『野生』の渡瀬、レースの流れを読み上手く集団から抜け出す『混戦』の風間、周を重ねる度に速さが増し強烈な追い込みをかける『怒涛』の三島の三人とは一味違う、天性的で正確無比なライン取りをしタイムロスを最小限に止める理想的なライディングテクニックは世界を魅了し、『ジェネシス(天才)』の異名で呼ばれるほどだった。

レースの花形、大排気量クラスに鞍替えしてからもその実力は色褪せる事はなく、全シーズン覇者の三島勇次朗に続くトップクラス日本人二人目二年連続のワールドチャンピオンになり、同じクラスを走っていた風間貴之が不慮の事故で亡くなった後も日本のバイクレース界を引っ張ってきた偉人なのだ。



「ついに風間さんの意志を受け継いだ君が世界に向けて羽ばたく時がやってきたんだね、この全日本戦での君の走り、とても期待してるよ」


「……世界なんてそんな、まだまだ先の話ですよ? さすがに全日本戦はそんな易々と勝たせてもらえるレベルじゃない事は重々理解してますから……」


「当然だよ、易々と勝たせてもらえる訳が無い、全日本クラスとなれば今まで君が走ってきた子供のレースとはまるで別物、ここは戦場だよ、その中で勝ち上がってこれるかどうかで君の本当の実力が試されるんだ、君の言葉からは、まだ少し甘さが垣間見れる気がする」


「……戦場……」


「世界を、そして頂点を目指しているのは何も君だけでは無いという事だ、君は生まれながらにして恵まれた環境にいる、せっかくの虎太郎兄さんからの教え、決して無駄にしては駄目だぞ」


「……はい……」



喋り声のトーンとは裏腹にキツいお言葉を頂いた翔太は背中を丸めて小さくなっていた。

確かに、翔太は小さい頃から色々なレースに出場してたくさん優勝してきたが、父さんは一度も翔太を誉めてあげる事がなかったなぁ。それでも、『驕り』というものは知らない内に身についてしまうのか、それを見抜いた新悟さんはやっぱり凄い。私もちょっと甘く考えてたかもしれない、深く反対します……。


そんな新悟さんも最近は世界戦はおろか実戦すら二年近く走っていない。参加車両のレギュレーションの変化やチーム別に差が出てきた資金元とスポンサーの金銭問題、英才教育を受けて次々と送り込まれてくる他国の若く実力のある強豪ライダーの台頭、そして新悟さん自身の加齢による体力と技術力の衰退。そこに更なる追い討ちが加わる。

新悟さんにとっては同じ日本人ライダーの先輩であり、三強の一人だった三島勇次朗さんが世界戦の第一線から退き、日本人最後の砦として挑んだ翌年のシーズン開幕戦では連続転倒事故に巻き込まれて両足の膝の骨を複雑骨折するというアクシデントに見舞われた。

現役復帰は不可能と言われるほどの大怪我。このまま現役を引退して、婿入り先を継ぐ為に経済学の勉強を始めた、なんてゴシップを書かれた事もあった。しかし、新悟さんは懸命にリハビリを続け、現在はモータースポーツ誌のインタビュアーの仕事を請け負いながら復活の時を淡々と待ち続けている。


中型クラスの渡瀬、風間、三島の三強、そしてトップクラスの三島、奥井以来、一向に誕生しない日本人チャンピオン。あの輝かしい黄金期を取り戻そうと、日本モータースポーツ界関係者は彼らの後継者となる才能豊かな若いライダーの発掘と育成に力を入れてきた。そこに現れた『あの時代』の忘れ形見、風間翔太は彼らの期待を一心に背負った待望の救世主という訳なのだ。



「風間さんが叶えられなかったトップクラスでのワールドチャンピオンの夢、それを掴み取れるのはその息子である君だけだ、虎太郎兄さんや麗奈さん、そして風間さん、三島さんがこじ開けてくれた世界の頂点への道、決して過去の産物にしないてほしい、今度が君がその道を歩んでいくんだ、いいね」


「……はい、必ず、必ず……」



新悟さんを見つめる翔太の瞳がキラキラと輝いていた。と言うより少し涙ぐんでる様に見えた。それもそうだよね、憧れの存在の人にこれだけ熱い声援を直接貰ったら、心が揺り動かされるのも当然か。プレッシャーよりも先に感動が押し寄せてきたって訳ね。ちょっとだけ、翔太がバイクに没頭する理由がわかった気がする。

……でも、半分それが気にいらない私もそこにいた。もう何年も一緒にいて様々な翔太の表情を見てきたっていうのに、私はこんなにキラキラした満面の笑顔をしている翔太を見た事が無い。新悟さんに完敗して嫉妬しまくっている私、無理矢理笑顔を作っているけど顔が引きつってたりしてないよね……?



「オイオイ新悟、あまり翔太を独り占めしてるとヤバいぜ? 隣で可愛い姪っ子がジェラシー満タンで目がギラギラしてるぞ?」



……バレたー! なるべく顔に出ないように頑張ってたけど、目に出たの!? ギラギラってそんな、橋本さん例えがヒドいよ!



「ち、違います! 別に私、そんなつもりじゃ……!」


「おやおや、二人ともお互いにそんな感情を抱くようになったんだね、ごめんね那奈、彼氏はちゃんと返すよ」


「……いや、あのその、彼氏とかってそんな、これはその……」


「何で翔太がしどろもどろになってんのよ!? 恥ずかしいのは私の方なんだからね!?」


「な、何でだよ!? 那奈が変な嫉妬するからいけないんだろ!? そんな真っ赤な顔してたらバレるの当たり前じゃないか!?」


「バカ! 嫉妬なんてしてないわよ!! 何を勘違いしてんのよ、このバカ! バカ! バーカ!!」


「二人とも、良い感じに青春を楽しんでるみたいで安心したよ、でも、虎太郎兄さんからしたら愛娘と教え子が恋人になってしまって、父親としてはちょっと複雑な心境かもね?」



そんなバカな、あの人がこんな事ぐらいでヘコむ訳ないでしょ!? 私と翔太が交際を始めたって告白したら、お姉と一緒に床に転がりながらゲラゲラ笑い出して、それから顔を合わせる度に『悪阻はマダー?』とか『腹膨らんできたんじゃねぇか?』ってセクハラ発言しまくってくる変態オヤジだよ!? 娘の貞操を心配する様な人間じゃ無いって! 第一、私と翔太はまだそんな関係じゃないんだから!



「恋愛にも愛情にもご無沙汰で干上がっちまってる俺らオッサン達には目の毒だぁ! ここに来る間も車の中で仲良く二人でイチャイチャしてたもんなぁ、なぁ竹田?」


「二人とも、いい加減にしろー!!」


「うわっ、橋本さん! 今のお嬢さんの言い方、麗奈さんにまんまそっくりっスよ! ヤバいっス、ケツ蹴り上げられますよ、逃げましょう!」



橋本さんと竹田さんどころかピット内の全クルーが驚いて私のそばから離れていってしまった。全く、何でサーキット場まで来て冷やかされなきゃいけないのよ!? つーか私、そんなに母さんに似てたかなぁ? えっー、それはマズいよ、ちょっとショックだなぁ……。



「しかし、久し振りに兄さんに会えると思ったんだけど残念だよ、色々話したい事がたくさんあったんだけどね……」



そうそう、新悟さんが会いたがっているあの変態オヤジのその行方。チーム代表という立場のクセに、手塩にかけて育てた愛弟子の大事なデビュー戦を放ったらかして、突然三日前に遠く離れた南の島、沖縄まで旅立ってしまったのだ。



『一週間くらい帰ってこないからあとヨロピク〜、帰ってきたら亥の一番にお祖父ちゃまに可愛い孫を抱かせてちょんまげ』


『一週間で産めるかアホ! つーか妊娠もしないしする予定もありません! このバカ!』



そんなセクハラ発言を残してさっさと家を出て行ってしまった父さん。本業のバイク便の仕事も部下に丸々押しつけたみたいで、まるで観光気分でウキウキワクワクしていたのを良く覚えている。


でも、父さんがはるばる沖縄まで行ったのにはある特別な事情がある。父さんは幼児期を真中啓介さんや松本新作さんと共に育った孤児院を出た頃から、ある一人の男性を追って情報を得ては日本全国を飛び回っているのだ。父さんが執拗に追いかけるその人は、父さんの娘である私にも、そして、血を分けた兄弟である新悟さんにもとても深い関係がある人物……。



「兄さんも随分と執念深いな、俺はもう、あの人はすでにこの世にいないものだと思って忘れようとしているのに……」



その尋ね人の名は、渡瀬義明。


渡瀬虎太郎と奥井新悟、二人の実の父親であり、現在行方不明の男性。私からすれば生まれてから一度も会った事の無い、祖父にあたる人物。


戦後の経済成長期の時代の日本、その義明氏は百合子という女性との間に一人の男の子を授かった。その子は虎太郎という名づけられ、美しい母親の愛情を受けてすくすくと育っていった。

しかし、父親である義明氏は全く育児に関わらないどころか、定職にも就かずにギャンブルと酒に溺れる毎日。日々の生活費は百合子が子育てをしながら空いている時間を使って働き食いつないでいたそうだ。

そんな無理な生活に心労が溜まっていった百合子は、父さんが三歳の時に病魔に犯されこの世から旅立ってしまった。そして残った義明氏はまだ小さい我が子を孤児院に預け、行方を眩ませてしまったのだ。


母親を見殺しにして、自分を捨てた憎き父親。成長して孤児院を出た父さんはその恨みを晴らす為に、義明氏の足跡を追って全国各地を探し回った。スクラップ場で部品を集め組み立てたバイクにまたがり、ある時は都会の真夜中の高速、ある時は人里離れた奥地の山道、父さんのライディングテクニックはこの時に身に付いたものだった。

プロのライダーとなり世界中のレース場で活躍する様になっても、父さんは諦める事なく義明氏を探した。世界のロードレース戦に挑戦する事を決めた理由も、もしかしたら海外に渡ったかもしれない義明氏を探す為だったのかも。

父さんのその執念は非常に固く、現役を引退し結婚して私が生まれた後も義明氏の情報が入ればすぐさまその場所へと向かっていった。今回沖縄に向かったのも、以前に義明氏がそこに住んでいたという話を聞きつけたからである。



「……でも、兄さんをそうさせてしまっているのは俺のせいかな、俺の分まで、兄さんは何かを背負ってしまっているのかもしれない……」



父さんの執念に拍手をかけたのが新悟さんの存在だった。まだ現役だった頃に初めて会った腹違いの弟を見て、父さんは酷く狼狽したらしい。母と自分を捨てた男が、自分の知らない所で別の女を作り子供を産ませた。その信じがたい事実に義明氏への恨みはさらに募っていった。


しかし、新悟さんも決して幸せな幼少時代を送ってきた訳ではない。父さんの母・百合子同様、新悟さんの母親も義明氏に捨てられる運命を辿る事になり、女手一つで新悟さんを育てていかなくてはならなくなったのだ。

後に自分達の幼児期が似ている事を知った父さんと新悟さんは次第に兄弟の強い絆で結ばれる様になったが、出会った最初の頃はお互いの存在を意識して対立していた時期もあったそうだ。一人の男によって人生を狂わされた二人にとって、義明氏は忘れたくても忘れる事の出来ない存在なのだ。



「……父さんはどうして、ここまでして実の父親を追い続けるんだろう? 新悟さんの言う通り、もうすでに亡くなってるかもしれないのに……」


「……昔、兄さんが死ぬ前に一度思い切り殴ってやりたいって言ってたのを覚えてる、気持ちはわかるよ、俺だって出来る事なら殴ってやりたい、あの男に人生をメチャクチャにされて恨んでいる人間は他にたくさんいる、あの男さえいなければ、過去のあんな騒動や確執は起こらずに済んだはずなのにね……」



義明氏が関わっているのは父さんや新悟さんの出生だけではない。その無責任で勝手な行動は、私の母・麗奈の出生にまで繋がっていく。


それにより、人生全ての歯車を狂わされてしまった人物がいる。


新悟さんが父さんと出会い、同じ道を歩んでいったのは偶然ではなく、ある大物人物によって仕組まれたものだった。その人物は二人と同じ様に義明氏に怨念を抱き、その血を受け継いでいる父さんと、自分にとって脅威の存在だった母さんに対し新悟さんやその絶大な権力と資産を利用して積年の恨みを晴らそうとしたのだ。



「……実は今日、義父さんをここに呼び寄せているんだ、兄さんと話をして最終的な和解が出来ればと思ったんだけど、余計な事をしてしまったかもしれない……」


「……義父さんって、新悟さん!? まさか、嘘でしょ!?」



それは渡瀬の血とある巨大財閥一族の決して消える事の無い深い因縁。世界中の経済界とモータースポーツ界を巻き込み、大混乱に陥れた触れてはならない暗黒史。サーキット場全体に、重苦しい空気が漂い始めた。



「……は、は、橋本さん! あの人、こっちに向かってくる真っ黒い黒服集団の真ん中にいる白髪の爺さん、あの人って……!」


「……奥井、奥井幹ノ介! あの糞ジジイ、今更どの面下げてここにやって来やがったんだ!? 人を飯の種にしか考えていない銭ゲバ野郎め!!」



橋本さんと竹田さんが指差す先には、多くの黒服を従え堂々と人だかりを割って、杖を突きながらこちらに歩いてくる灰色のスーツと黒いコートを着た年老いた男性の姿があった。日本国内はおろか、世界の財界の頂点に長年君臨し続ける巨大財閥の頭首。そして、渡瀬家にとって最大の宿敵であり永遠に縁の切る事が出来ない因縁のその人物……。



「……お待ちしておりました、お義父さん……」


「……汚れた空気で噎せ返りそうだ、相変わらず不快な場所だな……」



新悟さんが深々と老人に頭を下げた。一瞬で凍りついた周辺の空気。決して一筋縄では済まなそうなその雰囲気に、私の緊張は一気に頂点に達した。



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