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第34話 花言葉



十月、食欲の秋、体育の秋、そして、音楽の秋。プロデビューを控えた麻美子の歌声を生で聴くチャンスとばかりに、私と小夜は家にある啓介さんのスタジオに特別に入室許可を取ってちょっとした演奏会を開いて貰った。



「あれ、航クンそれなーに?」


「…………ギター、いつも家で弾いてるヤツ」



航が小さい時に実の母親から譲り受けた形見のアコースティックギター。今では唯一栗山家の幸せだった時期を物語ってくれる貴重な品だ。三十年以上弾かれ続けたその年期は木で出来たボディの傷や手垢に刻まれている。



「……私が航クンに一緒に演奏して欲しいって頼んだんです、家では前にも電子ピアノでセッションしたので、グランドピアノでも一度やってみたくて……」



昔から瑠璃がグズった時に二人で良く演奏を聴かせてあげていたらしい。そんな瑠璃も今日は観客として小夜の家に航と一緒に訪れ、生まれて初めて見たであろう大きな家の室内に目をパチクリしている。



「たーや、これ、なーに?」


「これはねー、えーと、何だっけ?」


「ミクスチャーって言う機械なのよ〜、この機械で楽器や歌声を一つにまとめて調整するものなのよ〜」



昔、スタジオ内の機材を壊しまくった前科のある小夜を無条件に再びスタジオに入れてくれる程、啓介さんも甘くはない。条件としてあづみさんが監視役として同伴し、私が小夜に徹底マークして機材に触れない様にブロックする事になった。



「小夜、あっちこっち適当に触っちゃダメだよ、瑠璃が真似するからね」


「はーい、了解!」



今回の小夜はそばに瑠璃がいるのでバカな真似をしそうには無さそうだが、問題は小夜よりも無茶な事をやらかしそうなこの怪物お姉様。



「やっぱりスゲェなトップアーティストのスタジオってのはよぉ! この機材全部で何千万円ぐらいするんだろうなぁ? ウッヒャッヒャッ!」


「……何でお姉までここにいるの?」


「今日やる事ねぇんだからいいじゃねぇか、ジムもバイトも休みなんだからよ、それとも真っ昼間から酒飲んだくれてベロベロに酔っ払ってやろうか? あん?」



酔っ払ってもらうのも困るが、かといって暇つぶしについて来られるのも大迷惑だ。お姉と初対面になる麻美子に至ってはその豪快な一足一投石にいちいちビクビクしている。



「しかしよぉ、こんなひ弱そうな眼鏡娘が歌手デビューかよ? 本当に芸能界なんかでやっていけるのかぁ?」



お姉は馴れ馴れしく麻美子の頭を上から片手で掴むと時計回りにグルグルと回し始めた。とことん失礼な人だ。



「……だ、大丈夫です! 私、やるって決めたんです、絶対にやりきってみせます!」


「学校みたいなガキのお遊びじゃねーぞ、芸能界ってのは華やかな反面、厳しくて汚くてイヤラシイ世界なんだぜ? 一肌脱いで素っ裸になるぐらいの覚悟がおめーにあんのかよ、あん?」


「……そ、そんなもの、怖くなんてないですもん……!」



あれま、随分と強気な返答。何か今までの気の弱い麻美子からはとてもイメージが出来ない。本当にやる気満々なんだなぁ。



「ほぉ〜、見た目以上に随分肝が座ってるじゃねぇか、気に入ったぜ、てめー」



麻美子にお墨付きのデコピンを食らわせたお姉は満足そうにディレクターズチェアーにドスンと座った。私は良くあのデコピン食らっているからもう慣れているが、初めてやられた麻美子はちょっと涙目になっている。痛いよねぇ……。



「……ごめんね麻美子、これがこの人の挨拶なのよ……」


「……那奈さんが何で逞しい女性になれたのかわかる気がします……」



気を取り直して、ピアノの椅子に座って軽い伴奏を弾き始めた麻美子に併せて、航がギターを抱えて長い指で弦を奏でた。

コード中心の演奏だったが航のギターテクニックも手慣れたもので、我流とはいえ小さい頃から弾いているだけの事はある。

演奏曲はほとんど童謡や簡単な歌謡曲だったが、聴き慣れている歌だけにこちらも気軽な気持ちで楽しく聴く事が出来た。小夜の膝に乗っている瑠璃も手拍子をしてとても嬉しそうだ。



「麻美ちゃ〜ん、今度は私と一緒にセッションして下さるかしら? お邪魔にならない様に精一杯演奏しますから宜しくね〜?」


「お、お邪魔だなんてとんでもない! こちらこそ宜しくお願いします、あづみさん!」



眠っていた音楽魂に火が点いてしまったのか、突如あづみさんの提案で旧歌姫と時期歌姫候補のピアノと歌のセッションが始まった。

定番の歌謡曲から最新のポップチューンを次々とデュエットして、上機嫌なあづみさんは昔の自分の持ち歌までも歌い始めた。



「うひゃ〜! あづみちゃんの代表曲、『コスモスの花言葉』だぜ! 懐かしいなぁ、おめーら生まれてねーから知らねーだろ? 大ヒットしたんだぜこの曲!」



お姉は当時を思い出したのかノスタルジックな気分になってあづみさんの歌声に聞き惚れていた。でも私だってこの曲は知ってるよ、毎年この時期になると秋の代表曲としていつもテレビやラジオで聴こえてくるもの。



「麻美子、この前よりも演奏も歌も上手くなってない?」


「……そ、そうですか? 私自身はあまり実感ないんですけど……」


「だって麻美ちゃんはあれからずっと井上さんのスタジオでレッスンしてたもん! あたし、麻美ちゃんと一緒に行ってたから知ってるよー!」



聞いた話によると井上さんのスタジオどころか、最近は今まで以上に麻美子が小夜の家に遊びに来てあづみさんと一緒に歌やピアノの練習をしているらしい。多い時は週に三日程泊まりがけで遊びに行っていると遠藤先生や美代子さんが言っていた。


しかし、私はその話を聞いた時、正直疑問で首を傾げた。なぜなら、私の家と小夜の家はすぐ近所なのに麻美子がこの近くで歩いている姿を見た事が無いのだ。

私だけではなく翔太も見た事が無いそうだ。毎週、しかも週三日も通っているならば一度くらいは買い物に行く私や翔太と鉢合わせしてもおかしくない筈だ。

第一、昔は遊ぶ約束をしていれば小夜も麻美子も学校から自分の家に帰らずにそのまま制服姿で遊んでいたのに、必ず麻美子は電車に乗って一度家に帰る。

同じ家に帰っている航の話によると、家に帰ったあとは例の千春さんからプレゼントしてもらったお洒落な服装に身を包んで出掛けて行くらしい。

同性の親友の家に遊びに行くのにわざわざそんなお洒落な格好するのだろうかと疑問に思ったが、千夏曰わく『それが女の子ってものなのよ!』との事。普通の事なのかなぁ……?



「ほらほら瑠璃ちゃん、これって『キーボード』っていう楽器なんだよ! ここを押すと音がピッーって……」


「ダメだよ小夜ちゃん! マスター、いやお父様から触っちゃダメだって言われてるんでしょ?」


「……あっ、そうだった、エヘヘッ……」



それにしても最近の麻美子の変わり振りには驚かされる。昔みたいなアタフタした落ち着きの無さは消えて、何というか、大人の対応が出来る様になった。

私以上に小夜の暴走を上手くコントロール出来る様になったし、翼と薫ペアのくだらない冗談やおふざけも軽く受け流す。そして千夏からファッションやメイクの情報を聞いて、色々とお洒落になってきた。

全身から自信のオーラが漂っている。歌手デビューとはこれほどまでに人を変えてしまうのか。そうだよね、もうすぐ芸能人だもんね……。



「……あの、皆さん!」



一演奏終えた麻美子がピアノの椅子から立ち上がって私達に声をかけてきた。



「何、どうしたの麻美子?」



麻美子は何か照れくさそうにもじもじしながら足元のカバンから一枚の楽譜ファイルを取り出すと、それを私達に見せつける様に両手で前にドンと突き出した。



「……これ、これなんです! これが私のデビュー曲の楽譜なんです!」


「えっ? アンタもうデビュー曲も決まったの?」


「わー! 麻美ちゃんスゴーい!」


「……しかもこの曲ってマスター、いや真中啓介さんが作ってくれた曲なんです!」



啓介さん直々の作品とは驚いた。今までも余程の大物アーティストにしか曲を提供しないのに、麻美子に対してこの待遇なのだからかなり事務所から期待されているのだろう。



「啓介ちゃんのプロデュースだったらヒット確実じゃねぇかよ! 何だよ眼鏡娘、おめースゲェじゃねぇか!」


「……は、はい! ありがとうございます!」



麻美子は滅多に人を誉めないお姉の激励に満面の笑みで応えた。横にいるあづみさんも嬉しそうに拍手をして喜んでいた。



「……そ、そこで、お世話になった皆さんにいち早く聴かせてあげたいと思ってこの楽譜を持ってきました!」


「……えっ、アンタ、そんな事して大丈夫なの? 事務所のOK出てんの?」


「大丈夫だよ那奈! 聴くのはあたし達だけだもん、誰にも言わなきゃバレないよー!」


「そうね〜、この家は全面防音設計だから外に音が漏れる事もないからいっぱい大きな声で歌えるわよ〜」



そのプロデューサー御夫人と御令嬢がそう言ってるんだからいいのかな。せっかくだから黙って聴かせて貰うとしよう。



「麻美ちゃ〜ん、緊張しないで、リラックスよ〜」



しかし、あづみさんの麻美子に対する可愛がり方はちょっとスゴい。長年顔を合わせている私達の名前は油断するとあっという間に忘れてしまうのに、麻美子の事は最初に覚えてから忘れる事がない。

実際、麻美子の音楽センスを一番最初に見抜いたのはあづみさんだったらしいし、二人とも同じ絶対音感という特殊な才能を持ち合わせている。

あづみさんも歌手をやっていた時期があったから色々と共通点が多い。もしかしたらあづみさんは麻美子が昔の自分とダブって見えたのかもしれない。

何か、小夜が瑠璃を見る目線と良く似ている。音楽の才能こそは遺伝しなかったが、誰かの為に一生懸命尽くす優しさはしっかりとこの母娘の間に受け継がれているみたいだ。



「……じゃあ、遠藤麻美子、歌わせて頂きます……」



楽譜を開いて椅子に座り直し、背筋を伸ばして演奏の姿勢を取った。私達も大ヒットの予感がする新曲を聞き逃さない様にドキドキしながら耳を澄ませた。


しかしその時、予想もしていたかったまさかの展開が起こった。大きく深呼吸をした麻美子の顔色が真っ青に変わった。



「……ウプッ……!」


「……麻美子!?」



突然、麻美子が吐き気をもよおしたのだ。バタッとピアノの鍵盤にもたれ込んだ麻美子は、口を手で押さえて椅子から立ち上がって洗面所へとかけていった。



「麻美ちゃんどうしたの、大丈夫!?」



すぐに小夜が麻美子の後を追って洗面所に入り、洗面台の前で苦しんでいる麻美子の背中をさすってあげていた。心配になった私も麻美子に駆け寄り様子をうかがった。



「麻美子どうしたの、何かあったの?」


「……ごめんなさい、急に気持ち悪くなって……」



一目で体調が悪いと判断出来るほど麻美子の顔色は悪かった。私は麻美子の肩を抱いて一階のリビングにあるソファーまで連れていき、そこにゆっくりと座らせた。



「麻美ちゃん、大丈夫? ここでゆっくり休んで落ち着いてね?」


「……おいおい、無茶すんなよ眼鏡娘? デビュー前に張り切り過ぎてぶっ潰れたら今までの苦労が水の泡だぞ?」



あづみさんもお姉も私達を追ってリビングにやってきた。航も瑠璃を抱っこして、二人とも麻美子の姿を心配そうに見つめている。



「麻美ちゃん、何か変な物でも食べたの? 油っこい物とか腐っちゃってた物とか?」


「……あのね小夜、アンタじゃないんだからそんな事ある訳ないでしょ?」



いまいち筋違いな心配をして手を握っている小夜を見て、麻美子は苦しそうながらもニコッと微笑んだ。



「……大丈夫だよ小夜ちゃん、もう大丈夫、もしかしたら私、ちょっと疲れてだのかな……?」



そりゃそうだろう。デビューが決まって意気込むのもいいが、スタジオのレッスン以外にもこの小夜の家に毎度毎度練習しに来てるのだから明らかにオーバーワークだろう。こんな小さい体でこれだけの練習量、体調を崩すのも当然だ。



「全く、スタジオでレッスンやって学校行って、また今度はここに来てあづみさんからレッスン受けてなんてやってたら体調おかしくなるの当たり前じゃない? 麻美子、アンタはそんなに体が強い方じゃないんだから、あんまり無理すんじゃないわよ?」


「……そう、ですね、そうですよね、気をつけます……」


「……この家でレッスン? ほぇ?」



私の言葉を聞いて小夜が不思議そうな顔をしてこちらを見ていた。何で? 何でアンタがそんな顔すんのよ?



「……小夜ちゃん、タオルを洗面所で水に浸して絞ってきて頂戴、麻美ちゃんのおでこを冷やしてあげないと……」


「あっ、はーい、じゃあタオル取ってきまーす!」



あづみさんに頼まれた小夜は元気良く洗面所へと向かっていった。その間、麻美子は何か不安そうな顔して、私の目を見ようとしなかった。



「……麻美子、どうしたの?」


「………………」


「……麻美ちゃんが自分で言った通りちょっと疲れちゃったのよね、元気になるまでしばらくはこのお家でのお泊まりはやめておきましょう、ねっ、麻美ちゃん?」



私と麻美子の会話に割って入る様にあづみさんが喋り出した。まぁ、あづみさんはいつもここで麻美子と会っているのだから体調も充実に理解してくれているだろう。



「……いい? 麻美子、絶対に無理をしたらダメよ、井上さんやあづみさんの言う事をちゃんと聞いて、練習もほどほどにしなさいよ?」


「……はい……」



私の言葉に麻美子は小さく頷いた。具合が悪いのもあっただろうが、その返事は何か歯切れの悪い喉に引っ掛かる様なものだった。

もちろん、とても演奏会の続きなど出来る状態ではない。麻美子の体調を考慮して、今日はこれでお開きとする事になった。



「……ごめんなさい、皆さんにいち早く新曲を御披露目したかったんですけど……」


「いいのよ〜、具合が良くなったらまたいつでもいらっしゃいね〜」


「じゃーねー瑠璃ちゃん! 航クン、また明日学校で会おうねー! 麻美ちゃん、今度はお泊まり遊びしよーねー!」



麻美子と航と瑠璃は駅へと向かって歩いて行った。麻美子も少し気分が良くなってきたのか、足取りもしっかりと戻っている様に見えた。



「……まぁ、航も一緒にいるんだし、大丈夫かな……」



私とお姉も家に帰る事にした。しかし、さっきの小夜の疑問の言葉と麻美子の冴えない表情、そして普段とは違うあづみさんらしくない慌てる様な態度。私は何かスッキリしない気分だった。



「……おい那奈、あの眼鏡娘って最近何か変わった出来事とかなかったか?」


「……えっ、変わった出来事?」



お姉が珍しく私の友達の事を聞いてきた。千夏や航や薫はパシリにこき使うだけ使ってほったらかしだったのに。



「……変わった出来事ねぇ……? でも何で? 何か気になる事でもあるの?」


「……いや、別に、な……」



その時、私は久し振りにお姉の真面目に考え込む姿を見た。常にポジティブで全てを笑い飛ばして突っ走ってきたあのお姉が黙り込んでうつむいている。

そのお姉を見て、私は凄い胸騒ぎがした。それが良いものなのか悪いものなのかわからないけど、何か想像もつかない事が起きてしまいそうな予感が……。



「……何、この胸騒ぎ……?」



そして、その予感は後日見事に的中してしまった。私の予想を超えた、いや予想なんてとても出来なかった出来事が私達の元に空から舞い降りてきたのだ。



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