第32話 CANDY
拝啓 皆様お元気ですか
夏の終わりも近づき、虫の音にも秋の気配を覚えるこの頃
やっぱりダメですね。もっとちゃんとした文法で書きたかったんですけど、どうやら私には無理の様です。
今回は、皆様に報告したい事があって手紙を書きました。
何と私、歌手デビューする事が決まりました!
前回、井上さんのスタジオに行って私の歌声を簡単にレコーディングしてくれたんですけど、そのデモテープを聞いて是非、今度のアニメ映画の主題歌に私を使いたいと言って下さったプロデューサーさんが現れたんです!
今日、井上さんから話を聞いた時、もう私、慌てちゃって興奮しちゃって、もう何が何だか良くわからなくなっちゃって……。
気がついたら失神してました。気を失っておいて気がついたらって言うのもおかしな話ですけど。
とにかく、今はもう夢の様な気分です。まるで、背中に羽が生えたみたいにどこでも飛んで行けそうな気分……。
お母さん、私を産んでくれてありがとう。
私、本当は小さい頃、音が変な感じに聞こえてきて、毎日外に出るのが凄く怖かった。
何で私だけこんな音が聞こえるんだろう? 何で私だけこんなに苦しまなきゃいけないんだろう? っていつも悩んでた。
本当に、もう死んじゃいたい、生まれてこなければよかったってずっと思ってた……。
でも今は、生まれてきて本当によかった、って思ってる。もっといっぱい楽しく生きたい、って思ってる。
でも、お母さんの方がもっと辛かったよね?
お父さんが死んじゃって、お母さん一人でお仕事も家事も頑張って、私の事を守ってくれていたんだよね?
ごめんね、お母さん。本当にごめんね。
私、お母さんの娘で生まれてきてよかった、って本当に思ってるよ! 本当にありがとう!
お父さん、いつもお仕事お疲れ様です。
たくさんの患者さんの診察をして疲れている筈なのに、いつも私の話や悩み事を聞いてくれてありがとう。
私が航君や瑠璃ちゃんの事を心配している時、お父さんはいつも私の手助けをしてくれたよね?
航君と瑠璃ちゃんの事が上手くいかなくて、『麻美子、迷惑かけてすまない』って泣いて謝った事もあったよね?
ううん、迷惑なんかじゃないよ。私にとっても、航君と瑠璃ちゃんは大事なお友達だもん。
それにね、私、最近、お父さんの事も、航君や瑠璃ちゃんの事も、本当の家族みたいに思えてきたんだ!
これからもみんなと一緒に生きていきたい、過ごしていきたい!
見た目ほど頭良くなくてドジな娘ですけど、お父さん、これからもよろしくお願いします!
本当のお父さん、私は元気です。
お父さんの膝の上でピアノの演奏を聴かせてくれた事、まだちゃんと覚えています。
あの時に私に見せてくれた笑顔、まだちゃんと覚えています。
お父さんのおかげで、私はみんなに負けない素敵な才能を持つ事が出来ました。
私、お父さんの娘でよかった、本当によかった……。
私、一生懸命生きていきます! そしていつか、お父さんみたいな素敵な音楽家になりたい!
って、ちょっと言い過ぎちゃいました。
でも、いつかはそうなれる様に頑張ります!
あまりお父さんの話をすると、今のお父さんが傷つくかも知れないのでここでやめておきます。
でも、お父さんの事は絶対に忘れません。ありがとう、お父さん。
小夜ちゃん、いつも友達でいてくれて本当にありがとう!
今の私がいるのは小夜ちゃんのおかげだと思っています。
あの時、小夜ちゃんと出会わなかったら、小夜ちゃんに助けて貰わなかったら、小夜ちゃんに励まして貰わなかったら、私、どうなってたんだろう……?
きっと、みんなにいじめられて、ピアノに触れる事さえ出来なくて、自分の才能にも気づかないで、塞ぎ込んでたんだろうなぁ……。
小夜ちゃんに友達、って言って貰えた時、本当に嬉しかった。本当の友達が出来た、って本当に凄く嬉しかった。
小夜ちゃんのおかげで、井上さんにも、プロデューサーさんにも、そして、小夜ちゃんのお父さんにも出会う事が出来た。
そして、私達が一番悩んでいた航君と瑠璃ちゃんの心を開いてくれた……。
小夜ちゃん、あなたは私の恩人です。本当に、本当にありがとう!
これからも、一番の友達でいさせてね! ずっとずっと、友達でいさせてね!
でも、私、足遅いから、待ちきれずに引っ張るのだけはやめてね。あと、私の家で寝ちゃうのも……。
那奈さん、翼さん、千夏さん、翔太君、薫君、航君と瑠璃ちゃん、いつも友達でいてくれてありがとう!
こんなドジで役立たずな私と仲良くしてくれた人達はみんなが初めてでした。
学校に行くのがこんなに楽しいなんて思える様になったのはみんなのおかげです。
みんな、本当にありがとう! 私も一生懸命頑張って、みんなと一緒に学校も音楽も楽しくやっていきたい!
これからも、みんな友達でいてね!
えーと、何でいきなりこんな手紙を書いたかって言うと、えーと……。
ごめんなさい、紙に書くぐらいならすぐにスラスラ書けると思ったのに、何か色々と余計な事まで書いちゃって……。
今、決心しました。ちゃんと書きます。
デビューの話を聞いた井上さんのスタジオの帰り道、街で酔っ払って倒れている彰宏兄ちゃんを見つけました。
自分で立ち上がる事も出来ないくらいに酔っ払っていて、このままじゃ警察のご用になってしまうと思って、何とか彰宏兄ちゃんの肩を担いで、電車に乗って家まで送っていきました。
彰宏兄ちゃん、泣いてました。とても、辛い事があってみたいで……。
彰宏兄ちゃん、自分の病院の再建の為に、今の勤めている病院の副院長さんの娘さんと結婚する予定だったそうです。
私が千夏さんのママ、千春さんに連れて行って貰ったあのレストラン、あそこで見た彰宏兄ちゃんのお相手がその女性だったそうです。
全ての準備も終わって後は式を挙げるだけだったのに、彰宏兄ちゃん、その結婚話を断ってしまったんです。
自分の出世の為だけに、好きでもない女性と一緒になって、人生を過ごしていくなんて耐えられないって……。
凄く悩んだそうです。悩みすぎて食事も喉を通らず、口から血まで吐いたそうです。自分の母親、職場の仲間達、自分を慕ってくれている患者さん、寝る度に皆さんの顔が夢に出てきてとても苦しかったって……。
でも、やっぱり自分の気持ちには嘘をつけなかった。そして、病院を辞めてしまったそうです。
でもこんな事、先輩で恩人であるお父さんには話せないって、病院の再建を願っている自分のお母さんには話せないって、ずっと街のお店でお酒に溺れて……。
皆様、彰宏兄ちゃん、間違ってましたか? ダメでしたか? もっと賢いやり方が他にありましたか?
私は、どっちでもいいです。ただ、泣き崩れる彰宏兄ちゃんが可哀想で……。
彰宏兄ちゃんは私の憧れでした。私が小さい頃、一人っ子の私を凄く可愛がってくれた。
病院にお母さんを迎えに行くと、いつも院長室で私と遊んでくれた。
病院が無くなっちゃった後も、自分の方が大変なのに、お母さんや私の事を心配してくれた。
お母さんとお父さんが再婚した時も、私と一緒に家で結婚式の用意をしてくれた。
私にとって、彰宏兄ちゃんは本当のお兄ちゃん、いや、それ以上の存在でした。
私が音の聞こえ方に悩んでいた時も、友達が出来なくて寂しかった時も、いつかまた彰宏兄ちゃんに会えるかも知れない、その気持ちだけで頑張れた。
小さい頃に彰宏兄ちゃんが私にくれたお菓子のオマケに付いていた玩具の指輪、それを見ているだけて生きていけた。
いつか、本当の指輪を彰宏兄ちゃんから貰える事を夢見て……。
彰宏兄ちゃんは私より十二歳も年上で、私はいつも子供扱いだった。
中学生になっても、一緒にお花見に行っても、ピアノの演奏を聴いて貰った時も、私はただの子供だった。
だから、本当は、心の奥底ではもう諦めていたんです。届かない願いなんだ、って……。
でも、この前に千春さんから励まして貰ったあの言葉、自信をもって自分を信じる事……。
あの時、彰宏兄ちゃんの事を受け止められるのは私しかいないと思った。守ってあげられるのは私だけだと思った。
私なら、絶対に彰宏兄ちゃんを苦しめない、絶対に裏切らない、どんな事だって許してあげる事が出来る。
だから、彰宏兄ちゃんの為に何かしてあげたかった、彰宏兄ちゃんの涙を拭ってあげたかった……。
お父さん、お母さん、ごめんなさい。
私、彰宏兄ちゃんに抱かれました。
でも、後悔してません。
ずっと想っていた人に大切な物をあげることが出来たから。
寂しがっている彰宏兄ちゃんを慰めてあげる事が出来たから。
これが、私が書きたかった本当の話です。
私は今、この手紙を彰宏兄ちゃんの部屋で書いています。彰宏兄ちゃんは今、ベッドで泣き疲れて寝ています。
この手紙は、私がずっと持っている事にします。
だってこんな事、お父さんやお母さんになんて話せない……。
この手紙をみんなに見せれる時は、私がちゃんと大人の女性として成長して、彰宏兄ちゃんのお嫁さんになれた時です!
それまでは、秘密にさせて下さい。
何か、変な事ばかり書いちゃってすみません。あっ、見せないんだから謝っても意味ないかな?
とりあえず、色々あって私には忘れられない一日になりました。
これからも、立派な音楽家になれる様に、素敵なお嫁さんになれる様に頑張っていきます!
じゃあ、最後だけちゃんとした文法で書きます!
皆様のますますのご多幸を心よりお祈り申し上げます。
敬具
八月三十日 遠藤麻美子