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第3話 シーソーゲーム



「スケベ」


「何だよいきなり……」



家に帰った私は、キッチンで食事の準備をしていた翔太を無理やりテーブルの椅子に座らせて問いただした。もちろん内容はさっき翼の家で小夜から聞いた『爆弾発言』の話だ。



「翔太! アンタさぁ、何考えてるの? 一般常識無いの? 頭おかしいんじゃないの?」


「……ちょ、ちょっと待てよ、何? 何の話だよ?」



私は小夜が話した事を正確に、丁寧に、わかりやすく、隅々まで詳しく翔太に伝えた。



「……は、は、ハァ?」


「……ハァ? じゃないよ。事実なの? どうなの? 嘘つかないでよ?」


「……い、いや、それは……」


「……入ったの? 小夜と一緒に? お風呂に?」


「……あづみ叔母さんにどうしてもって頼まれたから……」



うわぁ、最悪だこの男。ドン引きした。正直ドン引きした。激しくドン引きした。



「……入ったんだ、最っ低……」


「……だっ、だってしょうがないだろ!? あの時はあづみ叔母さんも風邪引いてたし、お前だって熱出して寝込んでたじゃないか!」



翔太は私の前で手をあたふたさせながら必死に説明をしている。見苦しい、何て見苦しい姿だろう。



「だからってさぁ、普通一緒に入る!? 小学校五年生でしょ!? 物事の分別もつかない年齢じゃないじゃん!」



私はテーブルを思い切り叩いて翔太に怒鳴りつけた。私が叩いた弾みで、テーブルの上に置いてあった調味料の入れ物が仲良く一斉にジャンプした。



「お、俺だって最初は断ったよ! でも、あづみ叔母さんがどうしても小夜一人じゃ心配だから、一緒に入って欲しいって頭下げて頼まれて……」


「……あーもう最悪! 最低! 不潔! 下品! スケベ!! もう私と小夜に五メートル以内近づくな!!」



余りにも非常識で信じられない事実に、完全に怒り狂った私は翔太を無視して二階にある自分の部屋に戻ろうとした。



「ちょ、ちょっと待てって! 那奈!」


「やっ、やだっ、触るな! 野蛮人!」



焦った翔太は私の服の袖口を掴んで引き留めようとした。馴れ馴れしく触るな! 汚らしい!



「那奈、お前おかしいって! そもそもさぁ、俺と小夜は従兄妹同士なんだよ!? スケベとか野蛮とか全然意味わかんねーよ!!」



確かにその通り。前にも話したように、小夜の母親のあづみさんと翔太の母親のいづみさんが姉妹なので、二人は従兄妹同士になる。

翔太といづみさんは私達渡瀬家と一緒に一つの家に同居していて、真中家もこの家からすぐの所に住んでいる。

親戚同士、近所同士だった私達三人小さい頃からお互いの家に行き来して遊んでいたりしていた。



「親戚同士が小さい頃に一緒に風呂に入るってそんなにおかしな事かよ! どの家庭にだってある話だろ!」


「……最近は従兄妹どころか実兄妹同士だって安心出来ないわよ……」



確かにどの家庭でもある話なのかも知れない。しかし私が言いたいのはそんな事じゃない。

ある程度体も心も成長して、『これはマズい』という意識があったにも関わらず、翔太が欲望に屈して小夜と一緒にお風呂に入ってしまった。

こんな事では私はおろか小夜の身でさえ危ない。小夜を守れるのは私だけなのだから。



「……じゃ、じゃあさ、俺はどうすれば良かったんだよ!? っていうか第一、何で那奈がそんなに怒るんだよ!? 俺って一体何なの!?」


「あのね! 私は別にアンタが誰と一緒にお風呂に入ったってどうでもいいの! 小夜をそういった卑猥な目にあわせたくないだけ!」


「卑猥ってなんだよ! 俺が何かいやらしい事でも考えてたって言うのかよ!!」



考えていない? そんな言葉は絶対に信じない。必ずこのゲス男の面を剥いで本性を現せてやる。



「だって、お風呂に入ったって事は、翔太も小夜も、二人とも裸でしょ?」 


「ま、まぁ、そりゃあ……」


「……見たんでしょ?」


「……な、何を?」


「だーかーら! 見たんでしょ? 小夜の裸!」


「……はい……」



あっさりと本性現しやがったこのエロ馬鹿。結局、男ってみんなこうなのか。頼まれたなんて綺麗事抜かして、頭の中はエロモード全開じゃない!



「……翔太って最低、ホント最低、死ね」


「……じ、じゃあ、どうやって見ないで風呂入れるんだよ! 目隠しでもして風呂入れって言うのかよ!!」



挙げ句の果てにこのザマ‘鷽て醜い生き物なんだろうこのバカは。男は女に対して誰にでもスケベでエロな事ばかり考えてるのだろうか? あー、もう、嫌だ嫌だ嫌だ!



「なに逆ギレしてんの!? この変態!!」


「そうだ! この変態!!」


「このスケベ!!」


「スケベ!!」


「エロ馬鹿!!」


「エロ馬鹿!!」


「お姉」


「何?」


「帰って来たんならただいまぐらい言ってよ!!」


「おう! ただいま〜!」


「……全く、この人は……」



突然話に入り込んできたお気楽な女性。信じられないかも知れないが、私の一番の恩人だ。

名前は渡瀬優歌。六歳上の私の姉である。姉といっても、実際私達は血が繋がってない。

父さんと母さんが結婚した時に養子として迎えられ、その後に私が産まれたのだ。 

仕事で忙しく家にほとんどいない両親に代わって小さい頃から全ての面倒を見てくれて、私にとっては姉というより母親の様な存在でもある。

私自身もこの人を血の繋がりなんてもの以上に心から尊敬しており、私は親しみを込めて彼女を『お姉』と呼んでいる。



「んでよ、何をもめてんだよ御両人、お姉様に何でも話して御覧なさい?」


「……いや、別に……」


「……別に、ってな訳ねぇだろ、なぁ、どうしたんだよ翔太? 話してみ?」


「……いや、本当に別に……」


「話 せ よ」


「……はい、わかりました……」



ちなみにお姉は小さい頃から空手を習っており、中学生ですでに女子世界王者にまで上り詰める程の剛腕である。

現在も大学には進学せずにバイトをしながらプロの女子格闘技団体で試合に出ている。

私もお姉に触発されて小さい頃から空手を始め、小学生で地区王者になったが、お姉の業績の足元にも及ばない。

その名声は格闘技界どころか、中学高校時代の数々の武勇伝や悪行によって県内中の有名人になり、私も『渡瀬優歌の妹』というだけで学校の先生達から徹底マークをされる程だ。


そんな人間にシラを切り通す事はまず不可能。私達は嫌々ながらもお姉に事の詳細を話した。



「ブッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッ!!!!」


「……お姉、あのさ……」


「はー、はー、ハー、ハラ、腹イタイ、ブッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッ!!」



近所中に響き渡りそうな大爆笑。とても女性の笑い声とは思えない。おかげで近所中の犬が遠吠えし始めた。



「笑い事じゃないよお姉! もう、全く!」


「いやいやいや、スマンスマン、あー、久し振りに爆笑したわ、あーあ、んで、何の話だっけ?」


「お姉!!」



わざとだ。100%わかってやっているこの人は。



「……あー、そうかそうか、風呂の話な、そうだったそうだった、んで、どうだったんだよ翔太?」



お姉は翔太の首に手を回してグイッと顔を自分の方に引き寄せた。



「な、何がっスか、優歌さん?」


「何とぼけてんだよ、てめぇ、決まってんだろ、どうだったんだよ?小夜のおっぱい、触ったのか? 揉んだのか? あん?」


「なななな、何言ってんスか優歌さん!? 俺がそんな事する訳無いじゃないスか!?」



翔太は顔を真っ赤にして否定した。私が翔太を問い詰める筈が、いつの間にやら完全にお姉の世界に引きずり込まれてしまった。



「まぁ、小夜も小学五年生じゃまだペッタンコだろうな、まぁ、そうだな、ウンウン」


「お姉! そういう問題じゃないでしょ!? 小学五年生だろうとペッタンコだろうとこれは翔太のモラルの問題てあって……」


「うるせーな、いいじゃねーか那奈、おめーだって小さい頃、翔太と風呂入ったり、一緒のベットで寝てたりしてたろ?」

 


人の話なんて全然最後まで聞かない。こうなるともうお姉のペースから抜け出す事は難しい。



「そ、そんなのもう大昔の話でしょ!」


「おめーもあづみさんも風邪引いてたらよ、あと翔太しか小夜と一緒に入ってやる人間いねーじゃねぇか、そうだろ?」



この手の話で人をいじくるのが大好きなお姉は、目をギラギラさせて楽しそうに喋っている。本当にこの人は悪魔だ。



「だ、だから、私が言いたいのはね、そういう事があったのなら、私に話をしてくれれば翔太に代わって私が一緒に小夜とお風呂入るっていうのにさ、だから……」


「無理に風呂入って小夜に風邪移ったらどーすんだ? おめーが余計に風邪こじらしたらどーすんだ? あん?」


「……まぁ、入る入らないは別として、そういう事があったら普通はまず私に報告するでしょ!? 翔太のヤツ、私に何も言わないでずっと隠してたんだよ!?」


「な〜にぃ? やっちまったなぁ! 翔太!」



ニヤニヤしていたお姉が途端に怖い顔をして捕まえていた翔太の頭をグイグイ締め上げで額を平手でバッシバシ叩いた。



「えぇっ! 何で、何で!? イタイイタイイタイ!!」


「そうでしょお姉!? 明らかに確信犯だよね、翔太!?」


「うん、イカン、イカンなぁ翔太! それはもう立派な浮気だ!」



あれ、浮気? 何か変な方向に話が進んでいる。どうもマズいパターンだ。



「は、ハァ? う、浮気? 優歌さん、何の話ですか?」


「いいか翔太! そういうイヤラシイ事をしてしまったんなら、ちゃんと将来の奥様に報告して謝るのが男としてせめてもの償いってもんなんだぞ!」


「な、な、な、何言ってるのお姉!? 何よ奥様って!? 誰の事!? 私の事!?」



ニィ〜っと怖い笑顔を浮かべてお姉は私を見た。怖いってその笑顔……。



「おっ、よく自覚してるじゃないか那奈! これならいつでも嫁に出してやれるなぁ! 大事にしてやってくれよ、翔太!」



お姉は捕まえていた翔太の頭を離すとおでこをポーン! と手のひらで叩いた。と言うか、ほぼ掌底に近い打撃だ。



「痛っ! ちょ、ちょっと優歌さ〜ん!」


「何言ってんの!? いい加減にしてよ、お姉!!」


「おーおーおー、二人して顔が真っ赤だぞぉ、二人並んで仲良くさくらんぼってか? 確かそんな歌あったよな? ブッヒャッヒャッヒャッ!!」



朝でも夜でも酔ってもシラフでも普段でも毎度毎度この悪ノリである。未成年ながら酒、タバコ、ケンカ、下ネタ何でもアリ。一体、誰を手本にしたらこんな人間になってしまうのやら……。

まぁ、おかげで私はお姉を反面教師としてこれまで真面目に育ってこれたのだが。



「おぉ、そうだ! 『さくらんぼ』と言えばアレだ、翔太!」


「……な、何スか?」


「…お前さぁ、まだ、アレだろ? チェリーだろ?」



あー、始まってしまったお姉の下ネタ攻撃。再び翔太の頭を捕まえたお姉は強引に自分の胸に顔をグイグイ押しつけた。



「…え? ちょ、ちょっと優歌さん?」


「なぁ翔太、どうなんだよ? 那奈以外にお前のチェリーくれてやってもいい女、学校にいるのかよ? どうなんだ?」


「…ちょっと、お姉! 何の話してんのよ!?」


「何だ、わかんねーのか? じゃあ、もうちょっとわかりやすく丁寧に話してやろうか?」


「……いや、いいです、結構です……」



お姉が口を開けば辺り一面があっという間にR18指定。私達が中学生だろうと一切お構い無しだ。



「なぁ翔太、あたしもさぁ、ぶっちゃけた話すると今まで何人かチェリーは頂いてきたけどさぁ、どいつもこいつも最初は威勢がいいクセに、いざとなったらみんなビビっちまってカワイくねぇんだよなぁ……」


「……ちょ、ちょっと優歌さん……?」


「ホントは小夜と風呂入ってた時も下の方は限界ギリギリだったんじゃねぇのか? あん?」



お姉の手が次第に翔太の下半身に伸びていった。お姉、やり過ぎだってば!



「……な、何言ってんスか? 勘弁して下さいよ……」


「お前のだったら喜んで貰ってもいいぜ〜? この優歌お姉様がおめーに優しく『女』ってヤツをタップリ教えてやるよ、楽しいぜぇ〜?」



もうさすがに限界! 私は翔太に伸びていったお姉の手をグイッと掴んで引き寄せた。



「お姉! いい加減にしてよ! 変な誘惑をして翔太をこれ以上刺激しないでよ!!」



するとお姉は掴んだ私の手を払って、その手で翔太の顔をベタベタ撫で回し始めた。



「何でよ、別にいいじゃん? あたしと翔太の話だぜ? 何かおめーに問題あんのか?」


「あーのーね! そうやってイタズラに翔太を誘惑して、もし本当に翔太が何か変な事に興味持ち出したらどうすんの?」


「ヘンな事ぉ〜? 何だよ那奈、ヘンな事ってよ〜?」



お姉はイヤらしい目をして私をジロッと見た。完全に獲物を狙う雌豹の目だ。



「……いや、だから、その、それは……」


「あのよ、翔太だってもう年頃の男なんだぜ? あたしが手を出さなくたって、いずれは今よりもどスケベな男になっていくんだぜ?」


「……どスケベ、今よりってそんな失礼な……」



文句を言った翔太の頬をパチパチ叩いてお姉の独壇場はさらに続く。



「それによ、翔太がどスケベになって、何かおめーが困る事でもあんのかよ?」


「……いや、あの……」


「まさか『私、襲われちゃうかも知れな〜い、困っちゃう〜』とか言うんじゃねーだろうなぁ? おい?」


「ば、バカ言わないでよ! そんな事言う訳無いでしょ!!」


「じゃあ、翔太はこの優歌様が頂いちゃっても問題無いよな? いいんだろ、那奈?」


「……いや、あの、その……」



そんな、ちょっと待ってよお姉! いきなりそんな事言われたって……。私が返答に困っていると、それを見ていたお姉の表情が次第にニヤニヤと崩れてきた。



「……ブッヒャッヒャッヒャッヒャッ!! ジョーダン! 冗談だよ那奈!!」



お姉は捕まえていた翔太を後ろに放っぽり出して、床にのた打ち回って爆笑していた。



「……お姉、あのねぇ……」



鬼だ、本当に鬼だ、この人は。自分の快楽の為なら手段も選ばない。



「可愛い可愛い妹を差し置いてそんな阿漕な事する訳ねぇだろ? ちゃんと翔太の貞操はおめーにくれてやるよ! ブッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッヒャッ!!」


「お姉! もういい加減にしてよ!!」



投げ飛ばされた翔太はテーブルに掴まって立ち上がり、力無く椅子に座り込んだ。



「……ホッ、助かった、ヤバかった、どうなるかと思った……」


「……助かったじゃないよ! 元々は翔太、アンタが全ての原因なんだからね!」


「……もう勘弁してくれよ……」



散々笑い転げて満足したお姉は、自分の空腹に気付いたらしく椅子に座ってお腹をさすり始めた。



「そーいや腹減ったなぁ、翔太、メシは?」


「……えっ? あっ、はい、今持ってきます! って俺、何でこんな執事みたいになってんだろ…?」



翔太が立ち上がってキッチンに入ろうとしたその時、玄関のドアが開く音が聞こえてきた。



「ただいまー」



お姉が作り出したピンク一色のイケない空気を切り裂く様にいづみさんの声が聞こえた。仕事が終わって家に帰ってきたみたいだ。



「チッ、邪魔が入ったな、もうちょっとからかってやろうと思ってたのによ」



ホッ、助かった……。舌打ちするお姉の横で、私は大きな溜め息を一つ吐いた。



「母さん、お帰り」


「いづみさん、お帰りなさい」


「いづみちゃん、おかえり〜」



いづみさんは自分より早く帰っていたお姉に目を丸くして驚いた。



「何、優歌も帰ってたの? 随分と早いわね?」


「たまにはいづみちゃんと一緒にご飯食べたいな〜、って」


「アホ」


「……そんなバッサリ言わなくてもよ……」



さすがはいづみさん、相手がお姉でも一歩も引かない。そういえばいづみさんも若い頃はかなりやんちゃだったって父さんも話してたなぁ。

上着を脱いだいづみさんは持っていたバックをテーブルに置いて椅子に座った。かなりお疲れのご様子。



「母さん、今、ちょうど優歌さんの食事も準備してたところだから、そのまま母さんも座っててよ、二人分まとめて持っていくからさ」


「あ、そう、ありがと翔太、それより、翔太と那奈はもう夕飯は食べたの?」


「うん、俺は先に食べたよ」


「私は翼の家で食べてきたから」


「ふーん、じゃあこのまま翔太に甘えちゃおうかなぁ、しかし今日は酷い雨だったわよねぇ……」



翼の家から帰る頃には小雨になってたが、もう今は完全に止んだ様だ。あの大雨の中を仕事に行ってたんだからタフだよねぇ、いづみさんは。


そんないづみさんも今でこそ生命保険会社で外交員として元気良く働いているが、ちょっと前までは病院に入院していて仕事なんて出来る状態ではなかった。

旦那さんで翔太の父親でもある貴之さんが事故で亡くなり、精神衰弱で倒れてしまったからだ。

貴之さんは私の父親・虎太郎や千夏の父親の三島勇次朗さんと同じ国際プロ二輪レーサーだった。


父さんと貴之さんは同じチームに所属していた戦友で、レース場以外でも二人は親友だった。当時はいづみさんも同じチームのピットクルーとして二人と一緒だった。

父さんが突然の病気で現役を引退した後は、貴之さんはチームのエースとして活躍する筈だった。

しかしレース中に私やいづみさんや翔太の前で転倒事故を起こし、そのまま帰らぬ人になってしまったのだ。

当時このチームの責任者だった私の母親・麗奈は、未だに貴之さんの事故の責任は未然に防げなかった自分にあると思い込んでしまっている。

その忌まわしい事故から約十年経って、いづみさんも体調が随分良くなって仕事が出来るまで回復した。しかし、まだ精神的な不安が拭いきれないみたいだ。


なぜなら、翔太が貴之さんの後を継ぎ、その事故の後から父さんの教えを受けてプロライダーを目指して活動しているからだ。

翔太の意志を知った母さんもチームの勝利、いや、翔太の夢の為に『100%安全かつ速くレースに勝てるマシン』を造るべく海外にある二輪車メーカーの工場に籠もって毎日研究と開発に明け暮れている。

その為、母さんは家に帰って来る事がほとんど無くなり、いづみさんも入院していた時期があったので、父さんは身寄りの無い翔太を引き取り私達は一つの家に同居する事になったのだ。



「そういえば、家に入ってくる時に随分と中が騒がしかったけど、何かあったの? 近所の犬も吠えまくってるし」



余計な話をぶり返す、空気読んでよ、いづみさん……。私と翔太はお姉が点けて鎮火しきれていない小火の火消しに回った。



「……いや、別に何でもないです……」


「……か、母さん、今日の夕飯、魚焼いたからさ、あと、昨日の残った煮物でいいかな?」



私達は何とか話題をそらそうと必死に喋った。お姉はそんな私達を見て笑いをこらえてニヤニヤしている。



「あっ、翔太ありがと、じゃあ、いただきま〜す」


「……ど、どうかな? ちゃんと上手く焼けたと思うんだけど……?」


「……あっ、お茶が無いよね? 今、入れてきます……」



あまりに不自然な私達の行動を見て、お姉は必死に笑いをこらえていた。これ以上この人に喋らせてはならない。ましてやいづみさんの前であんな話……。



「……ククククッ……」


「何よ、翔太も那奈も、こんなに気遣ってどうしたの? 何かあったの?それより、何で笑ってんのよ、優歌は?」


「……いや、別に、なぁ、那奈?」


「……うん、別に、何にもなかったですから……」



しかし、私達の苦労も虚しく、ついにこの時が来てしまった。



「……ブッヒャッヒャッヒャッ! 無理無理、もう無理!」



ついに限界を迎えたお姉が爆笑し始めた。お姉の笑い声に釣られて再び近所の犬が一斉に吠えだした。



「……ちょっと、お姉!!」


「何? 何よ、優歌? 一体どうしたの?」



話題変更作戦失敗。お姉は永き封印から解き放たれた大魔王が暴れまくるが如くの勢いで喋り始めた。



「いやいやいや、いづみちゃん! 大変ですよ、お宅の息子さん!」


「……息子? 翔太の事?」


「優歌さん! もう勘弁して下さい!」



翔太が懇願しようとも、一度封印を解かれた大魔王は静まらない。



「この息子さん、那奈という将来を約束する相手が居るにも関わらず、小学五年生の時に小夜と一緒に風呂入ってイヤラシイ事ばかり考えちゃってたらしいですよ! ブッヒャッヒャッヒャッヒャッ!!」



ついに全てを喋られてしまった。絶望する私達と大笑いするお姉を見て、いづみさんはポカーンとしていた。



「…何それ、何の話? 風呂? 小夜? 一体何なのよ、翔太?」



もう、こうなってしまったら後の祭りだが、変な誤解が無い様に私達はいづみさんに説明した。



「……いや、前に那奈が風邪ひいた時にあづみ叔母さんに頼まれてさ、小夜と一緒に風呂入った事があって……」


「……それで何よ、いやらしい事って? 小夜に何かしたの? やめてよね、私とあづみ姉さんを泣かす様な真似しないでよ?」


「してねーよ! そんな事する訳ねーだろ!?」


「……まぁ、アンタと那奈がイヤラシイ事する分には文句は無いし、むしろ私は応援するけどね」



またこの方向に話を持っていく! いつもいつもいつも全くもう!!



「ちょ、ちょっと、いづみさん!!」


「何を言い出してんだよ、母さん!!」


「まーた二人とも顔が真っ赤だぞぉ! ブッヒャッヒャッヒャッヒャッ!!」



お姉といい、いづみさんといい、家族だけじゃなく小夜も翼も千夏もみんなして私と翔太をくっつけたがる。ただの幼なじみで一緒に住んでいるだけなのに、全く……。あれ、もしかしてそれが一番いけないのかな……。



「あぁ、そうそう、思い出したわ、那奈が高熱出して倒れた日よね、あった、あったわ、そんな事」


「そうだよ母さん、あの日だよ」



いづみさんがその日の事を思い出したみたいだ。実は正直言うと、私は高熱を出していたのでその日の事は全然覚えていない。



「あの日は大変だったのよね〜、冬の寒い日で雪まで降ってきてさ、麗奈は帰ってこないし、虎太郎は那奈を病院に連れて行っちゃうし、あの時、家には私と姉さんしか居なくてね〜」


「……そうだったの? 父さんが私を病気に連れて行ってくれたんだ……」



いづみさんの記憶が鮮明になってきたみたいで、次々とその日に起こった話をしてくれた。



「そうそう、二人の帰りが遅くて心配になって、その後、私も翔太を置いて病院に行っちゃったのよね」


「そうだよ! それであづみ叔母さんも風邪引いてたから、小夜の風呂の面倒を見れるのは俺しかいなかったんだよ!」


「じゃあ、あづみ姉さんも本当に困ってやむなく翔太にお願いしたのかな? 恐らく、それ以外の方法が無くてしょうがなかったのかもね? 迷惑かけたわね、翔太」



そうだったんだ、そんな経緯があったのか。話を聞いた私は少し納得した。再齠の話はもう忘れる事にしようと思った。


しかし、一度思い出したいづみさんの記憶の旅は終わらない。線路の先にはとんでもない終着駅、まさかの真実があった。



「あっ、そうそう、その日、さっさと家から逃げたのよね、優歌、アンタ一人だけ」


「……へっ? あたし?」



逃げた? お姉が逃げた? 何、この急展開は? いづみさんの話はさらに続く。



「那奈を病院に連れて行かなきゃいけないかも知れないから、その時は翔太と小夜の面倒お願いね、ってアンタに頼んだのにさ、その日、仲間とカラオケに行って朝まで帰って来なかったのよね、そうよね、優歌?」


「……お姉?」


「……優歌さん?」


「……そ、そうだったっけ?」



いづみさんが思い出さなかったら全くわからなかった新事実。やはり全ての悪の連鎖はこの人から始まっていたのだ。



「……じゃあさ、優歌さんが居てくれていれば、俺は小夜と風呂入る必要無かったって訳だよね……」


「……お姉、どういう事?」


「……あー、何か今日はすっごい疲れたな〜、先に風呂入ってサッパリしようかな〜?」



完全にシラ切って逃げるつもりなのかこの悪魔は? 散々、私達を笑いの種にして!



「……おめーら、良かったら一緒に風呂入るか?」


「入んねーよ!!」



あまりに無茶苦茶で血の繋がりの無い不思議な家庭環境。でも、私にとっては一番大切な唯一の家族なのである。



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