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第24話 ランニングハイ



途端に修羅場と化した競技場。セレブ人生史上最大の宿敵を前にした千夏の勢いは止まらない。



「このまま無事に帰らせる訳がないでしょ! 今日こそはギャフンと言わせてとっちめてやるわよ!!」



ギャフンとかとっちめるとか、父親から教わった変な日本語を言い始めて周りの人達がドン引きしているのも気にせずに、千夏はズカズカと観客席から出て行って下の選手控え室に向かった。

さっきまで優雅に振る舞っていたセレブなお嬢様モードは完全に消え去り、あの時に電車の中で見せた脳天大噴火女と化していた。



「良くやってくれたな、澤村!」


「お前は俺達の学校の宝だよ! 後で未来の金メダリストのサインくれよ!」


「悪いな澤村、お前はこんなレベルの大会に出る様な選手じゃないのに無理に参加させてしまってな……」



その頃、試合を終えて見事優勝を決めた一茶は自分の学校の生徒や先生達に囲まれて祝福を受けていた。



「いえ、問題ありません、次の大会の良いイメージトレーニングになりましたから」


「……とりあえず怪我が無くて良かった、何かあったらお前の親父さんに何て言われるか……」



勝利に沸いている控え室に、何やら不穏な空気が漂い始めた。周りにいた生徒達は何かを避ける様にバラバラに散っていき、悪魔の様な女の叫び声が聞こえてくる。



「このゴリラぁぁぁぁぁ! 待ちなさいよぉぉぉぉぉ!!」


「千夏! いい加減にしろってのアンタは!」



必死で止めようとしている私達を強引に引きずりながら、千夏は一茶に向かってジリジリと歩み寄っていった。



「もう面倒や! 航、千夏を抱えて持ち上げてしまえや! 下に降ろさん方がええ!」


「…………了解」


「下ろせぇぇぇぇぇ! 今すぐ下ろせぇぇぇぇぇ!!」



後ろから航に持ち上げられても、千夏はまだ足をバタつかせて一茶に食いかかろうとしていた。もうプライドもクソも無い、怒りに我を忘れたその姿はまるで腹を空かせた野犬の様だ。



「……すまない一茶、何かメチャクチャな事になっちゃって……」


「翔太、また会ったな、観客席にいたのがこちらからでも見えたぞ」


「……悪いな、本当に騒がしくて、はっきり言って俺達迷惑だよな?」


「あぁ、迷惑だ、しかしお前のせいでは無いのだから気にするな」



この前の電車の中の時よりも若干、一茶の勝負師の様な研ぎ澄まされた雰囲気が緩んでいた。試合後で緊張感が解けているからだろうか。



「しかしスゴい内股投げだったな、あんな巨体を軽々投げちまうなんて、やっぱり柔道一家期待の星なんだなぁ」


「あの程度なら大した事ではない、体が大きいだけなら日本にも世界にもゴロゴロいる、重い大きいの問題ではない」


「……さすが次回のオリンピック代表候補だよなぁ、あれからお前の記事をスポーツ新聞とかで調べてビビったよ、すでに成人男性選手と大差無い実力なんだってな?」


「そんな話は所詮ただの新聞の宣伝文句だ、実際にオリンピックに行くにはまだまだ俺には稽古も経験も足りない」


「目指す規模がデカいよなぁ、世界の頂点だもんなぁ……」



翔太と一茶は同じ幼稚園に通っていたのはこの前話した通り。どちらも父親が世界で活躍するアスリートで、その縁からか二人は仲が良かったそうだ。

しかし、貴之さんが事故で亡くなった後、翔太は渡瀬家に居候になる事になったので離ればなれになってしまった。つまりこの前の再会は二人にとって十年以来の再会だったのだ。



「ところで翔太、お前の方はどうなんだ?」


「俺か? あぁ、とりあえずバイクに乗ってるよ、父さんが残してくれた唯一の形見だしね」


「そうか、あんな不運な事故があったのにも関わらすお前は強いな」


「翔ちゃんはバイクの全日本チャンピオンなんだよー!」



初対面だろうと面識が無かろうとお構い無しの無防備娘が翔太の脇の下から頭を出した。



「うわっ、小夜かよ! 余計な事を喋らなくていいっつーの!」


「誰だ?」


「……いや、俺の従兄妹なんだけどさ……」


「こんにちは、真中小夜です! この前、電車の中で助けてくれたよね、ありがとう!」


「こんにちは、桐原薫です! この前、電車の中で助けてくれたよね、ありがとう!」


「オマエは引っ込んどけや!」


「ぐえっ!!」



翼に襟首を後ろから引っ張られた薫はそのまま後ろに仰向けになってぶっ倒れた。しかもいい具合に他校女子生徒の足元に頭が落ちてスカートの中を覗くにはベストポジションになった。



「おぉ! 何てシャッターチャーンス!!」


「キャー! 変態!!」



女子生徒達にボコボコに蹴られて袋にされている薫を見て、一茶は半ば呆れた様に翔太に話しかけた。



「この前のお前の連れか?」


「……うん、まあな、とりあえず……」


「そうか、お前は随分とハイカラな学生生活を送っている様だな」


「……ハ、ハイカラ?」


「しかし、そんな軟派な生活の中でも自分の道を極めようと切磋琢磨し立派に全日本王者か、共に目標は世界だな、さすがは俺が認めた男だ」


「……お前、相変わらずオッサン臭い喋り方だな……」



しかし中学生にしては体のデカい男子だ。身長は航の方が少し高いみたいだが、横幅は一回り大きい。全身ガチガチの筋肉質で腕や足や胴回りがプロレスラーみたいな太さだ。



「……いかにも体育会系って感じだね、お姉が見たら喜んで対戦を申し込みそうだよ……」


「ん? 女にしては随分と背が高いな、これは誰だ?」


「翔太の女やで」


「バカ翼! 違うわよ!」



どこから湧いてきたんだこのチビは! 何かあれば定番の様にまたこの話を持ち出す!



「オンナ?」


「一茶、違う違う! ただ一緒に住んでるだけで……」


「なっ、もう同棲までしとんねん」


「違うっつーの! 翼は黙ってろ!」


「翔太も誤解されそうな言い方しないでよ! ちゃんと説明してよ!」



翼のくだらない嘘を否定するのに翔太が渡瀬家に住む事になった理由を全部説明しなければいけなくなった。余計な事を言いやがって、全く……。



「なるほど、そういう事か、それは色々と大変だったな、そんな複雑な状況下でも世界を目指して走っているのだからやはりお前は俺が認めた男だ」


「……もうそれはいいからさ……」


「それより翔太、一つ質問がある」


「な、何だよ?」


「さっきからお前達以外の女の声がいずこから聞こえてくるんだが、一体どこにいる?」



……真横を探したってその巨体じゃ見えません。横じゃなくて下だよ、下。



「ここやボケェ! オマエ失礼やぞ、ブタゴリラの分際で!」



「ん? あぁ下か、すまん、小さすぎて見えなかった」


「うぎぃ〜!」



翼にしたら航に続き二回目の屈辱だ。これだけの身長差で同い年なのだから『効果は個人差』なんて言葉がいかにいい加減なものか良くわかる。



「翔太、もう一つ質問がある」


「……次は何だよ?」


「さっきから怒鳴りっ放しのやかましい女がいるんだが、それはどこにいる?」



……探さなくたってわかるでしょ? 後ろ後ろ、私達の後ろで航に羽交い締めされてるこの女。



「勝負しろぉゴリラ男ぉぉぉぉぉ! グッチャグチャにやっつけてやるぅぅぅぅぅ!!」


「みんなズルいですよ〜! 私と航君だけで千夏さんを任せっきりで!」


「…………もう離していい?」



千夏は疲れる事なくまだ手足をひっくり返された昆虫の様にジタバタ振り回していた。可哀想に正面から千夏を抑えている麻美子は顔や体をボコボコ殴られたり蹴られたりしている。



「ん?」



すると、一茶は何かに気づいた様に座っていたパイプ椅子から立ち上がり、堂々とした足取りでゆっくりと千夏達に近づいていった。



「ついに来たわねこのゴリラ! このアタシと勝負つけようって言うの!? 上等じゃない! 女だと思ってナメてかかったら……!」


「お前、なかなかいい体つきをしているな」


「……What? 何よ、何なのよ!? 何を言い出してんのこの男!? バカじゃないのアンタ……!」


「それだけの身長があれば基本を覚えればすぐに中学生レベルで通用するだろうな、どうだ、お前も柔道をやってみる気は無いか?」


「……ハァ?」



突然の言葉に真っ赤になって茫然としている千夏だが、どうも話しかけてくる一茶の目線の位置がおかしい。自分の顔ではなく、何かもっと上の方を見ている様な……。その後ろには、千夏を掴まえている航がいた。



「…………柔道には興味が無い」


「そうか、残念だ、もし気が変わったら声をかけてくれ」


「航ちゃんの事!? 何よ、このバカぁぁぁぁぁ!!」



うわぁ、恥ずかしい。これは恥ずかしい。千夏の怒りが飛び火しない様に私と翔太は必死で笑いをこらえているのに、翼のヤツは床に倒れて大爆笑している。



「ん?」



再び何かに気づいた様に一茶は今度こそまじまじと千夏の胸元を真面目な顔をして眺めていた。



「な、何よ! 今度は何なのよ!」


「この首から下げているメダルは何だ? 一体どこから盗んだ?」


「ぬ、盗んだ!? 失礼にも程があるわよこのバカゴリラ! アタシが実力で取ったメダルよ! この大会の走り高跳びで優勝した証よ! このバカッ!!」


「ほぉ」



千夏の話を聞いた一茶は、何か驚いた様に屈んでいた体を起こし厚い胸板の前で太い両腕を組んだ。



「こんな『ふざけた形』をしていても一応はスポーツアスリートという訳か、ふむふむ、俺の常識では有り得ない話だな」


「……アンタねぇ、この前から人を外見だけで判断して勝手に見下して、一体全体何様なのよ! 大体アンタはアタシの……!?」


「見下されたくなければ、そんな薄っぺらい人間だと思われない様な行儀と風格を身につければいいだけの話だ」


「アンタの頭の中の常識だげで勝手にベラベラ説教たれてんじゃないわよ! 第一、外見と競技成績と何の関係があるのよ!? Why!?」


「お前はこのメダルの為に遊ぶ暇すらも無く毎日キツい練習に耐えている他の選手達の事を一度でも考えた事があるか?」


「……ハ、ハァ?」



一茶の言葉を聞いて千夏の動きがおとなしくなり暴れるのを止めた。それを確認した航と麻美子はやっとお役目御用となり静かに千夏を地面に降ろした。



「はっきりと言わせて貰うが、俺はお前が真面目な気持ちで競技に取り組んでるとはとても思えない、ただ単に学生生活のお遊びの一つとしてやっている自己満足だ」


「……お、お遊びなんてそんな事……!」


「人には生まれ持った才能が各個人個人違う、今まではそれでたまたまいい結果が出てたかも知れないが、最後に笑うのは人一倍努力してきた人間だ、そんな事もわからずにこれ見よがしに勲章を胸に掲げて、影で努力している人間達を蔑む奴は俺は絶対に許せない」


「……これは、その、そんなつもりじゃなくて……」



確かに一茶は優勝して貰ったはずのあの小さいメダルを首から下げてはいなかった。関係の無い私達にまで見せびらかしていた千夏とはまるで正反対だ。



「人は精神を磨けば必ずそれは外見にも美しい形として出る物だと俺は教わってきた、しかし、お前からそういった美しさは俺には全く感じ取れない」


「……それは……」


「遊び心だけで競技をやっているのなら中学生でやめる事だな、そんなやる気の無い人間がこれから生き残っていける程この世界は甘くは無い、いずれは泣きを見るぞ」


「………………」



さっきまで大騒ぎしていたのが嘘の様に千夏は完全に黙り込んでしまった。あまりにも正確に図星を突かれて言い返す事が出来なくなってしまったみたいだ。



「……おい澤村、そろそろ帰るぞ、遅れるな」


「はい、今行きます」



学校の先生に呼ばれた一茶はあっさりと千夏に背を向けて床に置いていた荷物を持って控え室から出ていく準備をし始めた。



「また会おう翔太、今度は世界でな」


「あぁ、頑張れよ一茶」


「お前もな」



澤村一茶は最後まで堂々とした風格で控え室から出て行った。結局、千夏は悔しそうに黙り込み、去っていく一茶に何も言えなかった。

千夏、再び澤村一茶に敗北。しかも今回はかなりダメージが大きいみたいで、競技場から帰りの電車の中でも喋る事なく終始下を向いていた。



「……千夏、しっかりしなよ」


「そうやで、あんなゴリラの戯言まともに受けるなや」


「千夏頑張ったよー、あたし達ちゃんと観てたもーん!」



私達の励ましにも無反応。こんなに落ち込んだ千夏を見たのはもしかしたら初めてかもしれない。



「……一茶はさ、お父さんが物凄く厳しい人だから千夏ちゃん達のやり方が理解出来ないんだよ、何も別に全てを否定している訳じゃ……」


「……ううん、いいの、もういいの……」



翔太の説明に千夏はボソッと吐き捨てる様に言った。さっきまでの怒鳴り声からは想像が出来ない程の元気の無い声だった。



「……スゴく悔しいけど、あの男の言う通りだと思う、アタシ陸上ナメてた、運動してればスタイルキープ出来るなんて事ぐらいしか考えてなかった、イギリスに居た時にちょこっといい結果が出たくらいでアスリート面していい気になってた……」



千夏の瞳は潤んでいた。歯を食いしばり、必死に涙を堪えていた。



「何も言い返せなかった、全部見透かされてた、悔しい、言い返せない自分が悔しい……」



千夏はこちらに顔が見えない様に下を向いていたが、私には涙が一粒彼女の膝の上に落ちるのが見えた。相当ショックだったのだろう。この後、千夏は私達と喋る無く電車を降りていった。


それから少し経った日の放課後、掃除当番だった私達は他の生徒がいなくなった教室で作業分担してさっさと掃除を片づけていた。



「わーい、お掃除終わりー! ねーねーねー、みんな早く帰ろうよー!」


「あれ、千夏は今日もいないの?」


「那奈、アソコやアソコ」



教室の窓から校庭を見ると、部活動の練習に汗を流している千夏の姿があった。今までとは比べ物にならない、気合いの入った表情だった。



「……負けず嫌いだね、千夏は本当に……」


「でも何か千夏楽しそうだね! スゴいイキイキしてるよ!」


「そのおかげでウチは遊びに行けなくてめちゃめちゃストレス溜まっとるでホンマに……」


「ならば私めがお供致しましょうかお嬢様?」


「……でも、荷物持ちなら薫君より航君の方が役に立つんじゃないですかね、翼さん?」


「…………断る」


「やっぱり千夏ちゃんも三島勇次朗さんの娘なんだな……」



翔太の言った通り、否定してても千夏もどこか父親から引き継いだ『負けず嫌い』の才能を引き継いでいるのかもしれない。

じゃあ、私は父さんや母さんから何を引き継いだのかな。いや、やっぱりいいや、考えるだけでも憂鬱になりそうだ。


夕焼けが綺麗に空を赤く染めている。日も短くなりそろそろ北風が冷たくなってきた。今年もあっという間に年の瀬が迫ってきている。



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