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第16話 Everything is made a dream



吸い込まれそうな青い空、呆気に取られるくらいに大きな雲、都会では考えられないほどの鮮やかな緑の山々、そんな景色に鳴り響く、耳をつん裂く様な大爆音。



「いやぁ〜、久々に来たけど、やっぱりいいなサーキット場は! 何か興奮しちまうぜぇ!」


「……よくこんなにやかましい所が好きになれるよね、お姉は……」


「あん? 何だって? 周りがうるさくてよく聞こえねーよ?」



今日、私達はこの前に父さんが話していたバイクのテスト会場になる都会から遠く離れた地方のサーキット場に来ている。

私がここに来たのは、父さんのチームと翔太が参加するのを見にきたのもあるが、海外に仕事で行ったっきりの私の母・麗奈がこのイベントの為に久し振りに日本に帰って来ると聞いたからだ。



「何かお偉いさんだけでお忍びでやるのかと思ったら、観客席開けて一般公開してやがんのな、きっちりと商売しやがってよ」


「……ねぇ、お姉、コース内に何かマスコミみたいのもいるね、カメラとか抱えて走り回ってるよ」


「雑誌か新聞かの取材じゃねーのか? 2輪車メーカーお膝元のサーキット場だから依頼があって見にきたんじゃねーか?」



プウァァァァァァァン!!



再び私達の前を一台のバイクがけたたましいエンジン音を立ててサーキットコースを走っていった。



「あー、もううるさい! 耳がおかしくなりそう!」


「バイクのエンジン音が嫌いじゃ困っちまうなぁ、それでも渡瀬家の娘かよ?」



前にも話したが、私はバイクに興味は無い、というか嫌いだ。小さい時に目の前で見てしまった翔太のお父さん・貴之さんの死亡事故。

あれが今も私のトラウマとなり、バイクはもちろん車やジェットコースターといったスピードの出る乗り物が全て苦手になってしまった。



「正直、母さんが来るって聞いてなければ来なかったよ、こんな所……」


「ほーぅ? じゃあ苦肉の決断の末にここに来る事を決めた那奈さんに感謝しないとなぁ? なぁ、お前ら!」


「イエーイ!!」



私とお姉の後ろに陣取っている翔太以外のいつものメンバー。もう誰かいるかなんて説明する必要も無いだろう。いつの間にかやらこの連中もお姉の舎弟と化していた。



「あたしもサーキット場に来るの久し振りー! まだ小学校の三年生か四年生くらいだったかなぁー?」


「小夜、アレやろ? ウチも一緒に見に行った時やろ? 小さいバイクやったけど、あれでも立派な全日本戦だったらしいなぁ?」


「実はアタシ、サーキット場初体験なの! パパと一緒になるのがイヤだったから、ずっ〜と〜行かなかったんだ! こんなに広い所んだねぇ〜!?」


「キャンペーンガールはどこ〜? レースクイーンはどこ〜? 薫ちゃん今日の日の為に新しいデジカメ買っちゃった〜! ウハッ!」


「…………空が綺麗だな」



私達がサーキット場に行くのを聞いて、羨ましがって小夜達がお姉におねだりしたらしい。その話が父さんに伝わって、『どうせ行くなら大人数で楽しくやろうぜ!』って事になってみんなついてきてしまった。



「でも麻美ちゃんと瑠璃ちゃんも一緒に連れて来たかったなー、残念だなー」


「麻美子は乗り物酔いがヒドいんやろ? せやったら六時間の長距離移動はさすがに無理やで?」


「………さすがに瑠璃の遠出もまだ無理」


「だからその分、小夜が頑張っていっぱい写真を撮らなくちゃいけないわね!」


「うん!あたし、いっぱい撮るー!」


「……ねぇアンタ達、完全に観光気分に浸ってない?」


「レースクイーンとかいないの〜? どこどこどこ〜?」


「……オマエはもう帰れ!」



テスト走行も本格的に始まり、数台のバイクがコース内を走り始めた。そのエンジン音はテレビとかで聴くような軽い音ではなく、何かお腹の底から体を揺さぶられる様な物凄い爆音である。



「おーい、優歌、那奈! こっちだこっち!」


「おっ、橋本のオッさんじゃねえか! 那奈、覚えてるだろ?」


「……えーと、何となく……」


「忘れちまったのかよ? まぁ、おめーはまだ小さかったからしょうがねぇかな?」



観客席のフェンスを挟んで、髭顔の恰幅の良い繋ぎの作業服を着た中年の男性がニコニコ笑いながら私とお姉に話しかけてきた。



「お前らもすっかり大きくなっちまったなぁ、ちょっと前までは俺を腰ぐらいの高さぐらい小さかったのになぁ?」


「オッさんまだ現役やってんのかよ? いい加減に落ち着いて真面目に仕事に集中しろよ?」


「バカ言うな、バイクをいじんのが俺の本業だ、一番落ち着きが足りないのはお前達の親父だよ」


「そりゃそうだ、確かに違いないね」


「俺はアッチの方だってまだまだバリバリ現役なんだぜ?」


「デカい腹して何を見栄張ってんだよ、この死にぞこないが」



これが中年男性と二十歳を迎えた女性の会話だろうか? お姉の口の悪さはこういった人達に鍛えられて身に付いたのだろう。私には到底真似できない。



「今日はかわいいギャラリーがたくさん来ているって聞いてな、特別に特等席を用意してやったぜ」



橋本さんに案内されるがままにその特等席とやらに行ってみると、とんでもない場所に連れてこられてしまった。



「……ここってさ、もうピットルームじゃん……?」


「いいのかよオッさん? アタシ達みたいな部外者のガキがこんな所をウロウロしちゃってよ?」


「別に今日はレースって訳じゃねぇし、簡単に言えばお祭りみたいなもんだから気にすんな、足が疲れたら適当にタイヤとかホイールとかに座れよ」



そんないい加減なエスコートを受けていると、ピット内からもう一人作業服を着た男性が現れてお姉に話しかけてきた。



「おっ、優歌じゃねーか! 久し振りだな、すっかりいい女になっちまってよ〜!」


「おぅ、竹田ちゃんじゃんか! 相変わらず冴えねぇ顔してんなぁ? 三十歳にもなってまだ独身なんだって? 虎太郎ちゃんから聞いてるぜ〜?」


「手厳しい事言うなよ、だったらこんな女運の無い俺に愛の手を差し伸べてくれよ?」


「悪ぃけど、バイクいじるしか能の無い男にはさっぱり興味が無ぇなぁ?」



どうやらお姉はこのチームのほとんどの人間と顔見知りの様だ。確かに昔から良く父さんと一緒に遊びに行っていたしなぁ……。


私やお姉には子供の頃から良く見慣れている風景なので今更驚く様な事はほとんど無いが、普段サーキット場に縁の無い一般の人間達には好奇心をくすぐる宝の山の様である。



「うひょお〜! 見てみぃ千夏! ウチの目線と同じ高さでバイクが走っとるで〜!」


「キャ〜! ライダーの男の人達とかイケメン多過ぎぃ〜! もうドキドキしちゃ〜う!」


「キャンペーンガール発見! まぁ、何てイヤらしい衣装なんでしょう! 太股とか胸の谷間とかもっと見せて〜!?」


「えー! 薫ちゃんばっかり写真撮ってズルいよー! 航クン、あっちで走ってるバイクを撮りたいから肩車してー?」


「…………了解」



他のチームのピットクルー達が何事かとこちらを覗いている。多分迷惑かけているんだろうなぁ。まぁ、このチームの代表者自体が大変に迷惑な人だから別に気にしなくていいのかな?


私はお姉と並んでタイヤに座り、爆音に耳を塞ぎながらしばらくコースを眺めていたら、後ろのピットルーム内のクルーが走り回ってザワザワと騒がしくなってきた。



「おっ、何だ何だ? 竹田ちゃん、何か面白い事でも始めるのかい?」


「おぅ、優歌、俺達の出番だ! 橋本さん、マシンは問題無くコースに入って行ったぜ!」


「よしっ! 全日本国民期待の星、うちの若大将の御披露目だ!」


「……期待の星? それってまさか……?」



私と同時にお姉もわかったみたいで、ピッー! っと指笛を吹いてバラバラに散らばっていた小夜達を集合させた。



「キタキタキター! おめー達支度しな! この優歌様の一番舎弟、風間翔太の参上だよ!!」


「イエーイ!!」



橋本さんに先導されて、私達はコースに出来る限り近づける場所まで行ってコース内に目を凝らした。



「いいか、俺がOKを出すまでそこから勝手に動くなよ! 後ろ側のコースにもバイクが走って来る事があるからな!」



橋本さんは私達に丁寧に注意をしてくれたが、この一般人達は翔太の姿を一目見ようと金網のフェンスにかじりついて全く話を聞いていない。



「おいおい、一体、翔太はどこやねん? ウチは小さいんやから一番前で見させろや!」


「えっ〜? ヘルメット被っているから誰が誰だか全然わかんな〜い? ちょっと薫ちゃん、邪魔だからどいてよぉ〜!?」


「イタイイタイイタイ千夏ちゃんヒールで踏んでる踏んでるって足踏んでる」


「全然見えないよー?航クン、また肩車してー!?」


「…………了解」



コース内には色々なカラーリングが施されているバイクが数台走っており、どのバイクに誰が乗っているかなんて私達には全然わからない。



「オッさん、翔太が乗ってるバイクってどんなのよ? 大きさは? 色は?」


「虎太郎や翔太の親父が乗ってたクラスと一緒の物だぜ、色も親父と同じ白にカラーリングに青いストライプだよ、次にこっちに走って来るヤツだ」


「えっ、マジであのクラスのマシンに乗らしたのかよ? 相変わらず無茶させやがってよぉ、虎太郎ちゃんは」



お姉と橋本さんの話を聞いて私の頭の中に不安がよぎった。同じクラスってどういう事?



「ちょ、ちょっと待ってよお姉! 私は話を聞いても実際どんなバイクなのか全然わかんないんだけど?」



翔太は中学生になってから原動付自転車をレース様に改造したミニバイクに乗っているのは知っていたが、それよりもクラスが上、つまり速いバイクって事だろうか?



「…………何か来た」


「……ホントだー! 那奈、何かこっちに来るよー!」



航と肩車されている小夜がそれらしきバイクを見つけたみたいだ。



「えっ? どこ……」



ヒュン!



「……えっ!?」



コースに目を向けた私の前を、音ともに何かが一瞬で過ぎ去って行った。そしてその後、



ブアァバババァァン!!!!

バリバリバリバリッ!!!!



「……うわぁ!!」



鼓膜が破れそうな空気を切り裂く大爆音が後から遅れて私達の耳に遅いかかってきた。それと同時に、物凄い暴風が私達の服や髪の毛を巻き上げた。



「久し振りにうるせぇー!!」


「うわー! 風もすごーい!!」


「何やねんや、今のは!?」


「ヤダッ! 音もスゴいけど風でスカートが……!!」


「キター! シャッターチャーンス!!」


「………薫、バイクを撮れ」



私達の目の前を一瞬で通り過ぎていった何かの白い物体。私はそれが何だったのかはっきりと確認する事すら出来なかった。



「ひえぇ〜、久し振りに間近で見たけどやっぱり速ぇなぁ〜!」


「……お姉、何よ? 何なのよ今の!?」


「小さい時にウチらが見てたバイクとは全く別物やないか!?」


「翔ちゃんスゴーい! 本物のバイクに乗っているみたーい!」



呆気に取られる私達と小夜の子供みたいな発言を聞いて、橋本さんはニヤニヤ笑いながら私達の疑問に答えた。



「まぁ、そりゃ本物だもんよ、実際に全日本戦などのレースに参戦する今年の新型モデルだからな、翔太が昔に乗っていたポケバイや排気量の少ないミニバイクとは全くの別物だぜ!」



ちょっと待ってよ、体の成長に合わせてクラスを上げていくのは良いけど、かといっていきなりこんなスピードの出るバイクに乗せるなんて…。

こんな無茶なやり方に納得出来ない私は、周囲の安全も確認せずに父さんがいるピットルームへと歩き出した。



「おい那奈! どこ行くんだよ! オイ!」


「おいおいおい! 勝手に歩き回るなって言っただろ!」



私はお姉や橋本さんの制止なんて聞く耳も持たず、ピット内で椅子に寄っ掛かり帽子を顔に置いてうたた寝している父さんの前に立った。



「父さん!!」


「……ん〜? おぅ、何だ那奈か? どうだ、久々のサーキット場、きっちり楽しんでるかぁ?」


「どういう事なの!? 何よ、あのバイク!? 今までは小さくてスピードの出ない物に乗っていたのに、何でいきなりあんな……!」


「……ハァ? 何の話だ?」


「……翔太の話! 翔太が乗っていたバイクの話よ!」



怒り狂う私をチラッと一瞥すると、父さんは起き上がってタバコをくわえてジッポライターで火をつけた。



「……なんでぇ、そんな事かよ? 翔太なら普段からバイクに乗ってるだろうよ?」


「……普段からって、あのバイクに!?」


「いつもの練習用はスッカスカのボロバイクだが、今日は特別でな、あれは実際にメインでやってるクラスのマシンで、昔、俺達が走っていたクラスだ」


「……な、何でそんな物に乗せるのよ!」


「言ってんだろ? 練習だ練習、いずれアイツもこのクラスでやって行くんだ、早い内にこのスピードを経験しておいた方がいい、ちょっと前にお前もいる時に家で話したろ?」



私をバカにする様に、父さんはタバコの煙りを鼻からフーンと吹き出した。



「そんな無茶をさせて、もしも翔太に何かあったらどうすんのよ!」


「無茶じゃねぇよ」


「……でも!」


「アイツが自分から望んだ事なんだぞ?」


「……!」



そう言われてしまったら何も言い返せない。言葉に詰まった私に父さんは容赦なく言葉を続ける。



「それにな、スピード出すか出さないかにしても乗っている翔太が決めてやってる事だ、今日はレースじゃねぇんだから俺らがいちいち指示を出してる訳じゃねぇ」


「………………」


「つまりそういう事だ、納得したか、お嬢さんよ?」


「……おい那奈、邪魔になるからこっちに来てろ」


「………………」



見るに見かねたお姉が私の手を取り父さんから引き離した。完全に私の完敗だ。

やりきれないイラつきを持て余していると、大きさエンジン音を立てながら一台の青いバイクがピットルームに帰って来た。翔太だ。



「お疲れさ〜ん、翔太! どうだ、スッゲェ速ぇだろ?」


「………………」


「……まずはヘルメット取れよ、そんでもって冷たい物でも一杯飲んでゆっくりしろや」


「……はい……」



橋本さんと竹田さんに出迎えられ、カラフルなバイクスーツに身を包んでいる翔太は、私達には目もくれずにヘルメットを脱ぎながら父さんの元へと歩いて行った。



「……どうだ、初体験は? 気持ち良かったか?」


「……ヤバいっスよ、体、バラバラになるかと思った……」


「今までのGとは比べ物にならんだろうな、これが俺やお前の親父が生きてきた本物の世界だ」


「……ハンパないなぁ……」


「……おいおい、何だ、ビビったのか?」


「……いえ、そんな事ないです……」



翔太は精一杯の意地を張っていたが、父さんはその心境を全てを見通していた。



「その割には一周目が随分と慎重すぎやしなかったか?」


「……いや、そりゃだって……」



弱気になった翔太のお尻をパスーン! と父さんのキックが決まった。



「しっかりしろよ、肝っ玉小せぇなぁオイ! 俺なんか初乗りから全開でぶっ放して全日本ランカーをぶっちぎってやったんだぞ?」



私も母さんから聞いた事がある。昔の武勇伝に橋本さんが懐かしそうに話に加わってきた。



「懐かしい話だなぁ、虎太郎、確かにあの時は俺達も見ててひっくり返ったよ、あんな芸当、生まれつきの天才か余程のバカじゃなきゃ出来ねぇよなぁ?」


「まぁ、つまり俺は天才だったって事だ」


「さぁ? どうだったんろうなぁ?」



私の心配をよそに、あのバイクバカ達はヘラヘラと笑いながら楽しそうに喋っている。私がトラウマになったあの事故、翔太だって一緒に見ていた筈だ。

あれだけの悲惨な事故で、ましてや自分の父親が目の前で亡くなったのに、なぜ自らこの危険な世界に足を踏み入れていくのか。怖くないのだろうか。私には全く理解出来なかった。



「……これだから男って……」



翔太はしばらく父さん達と談笑していたが、空気を読んだお姉がヘッドロックを決められて私の前に引きずられてきた。



「イタイ、イタイ、イタイ! 何スか何スか優歌さん!」


「オッさん共となんか話してねぇでこっちに来いよ! 今日はオマエのファンがいっぱい詰め掛けて来てくれてんだぜ!?」



お姉は翔太の背中をバチーンと叩いて私の目の前に押し出した。



「ほれ、翔太! 無事に帰ってきた事を那奈に報告しな! コイツな、オマエの事が心配で心配で虎太郎ちゃんに喰って掛かっていったんだぜ!?」


「……なっ!ちょ、ちょっと、お姉それは違う……!」


「『翔太に何かあったらどうすんのよ!』って怒っちゃって必死だったんだぜ!? ウッヒャヒャヒャ!」


「……お姉!!」



話を聞いた翔太が申し訳なさそうに頭を掻いていた。余計な事を言って、お姉ったら……。



「……別に、そんな事、言ってないから……」


「……何か、ごめん……」


「……心配なんかしてないっつーの!!」



私は翔太に背を向けてその場を離れようとしたら、後ろで話を聞いていた翼と千夏が私の顔を見てニヤニヤしていた。



「……何よ?」


「イイエ、ベツニ?」


「ナンデモ、アリマヘンガナ?」


「何よ、その喋り方!?アッタマくる!」



バカにする二人をひっぱたいてやろうとしたら、突然、ピットルームがザワザワとざわめき始めた。うちのチームだけではなく、サーキット内全ての空気が一気に緊張感に包まれていった。



「……おい、来たぞ……」


「……来た来た来た……!」


「……やっぱり来た……」


「……あの噂、本当だったのか……?」



あちこちでクルーの人達やチーム関係者の人達がひそひそと立ち話をしている。そしてササッとその場を立ち去り慌てて手元の作業をし始めた。



「……何や、この雰囲気? 何かあったんか……?」


「……何か、みんな急に仕事に集中し始めたけど……?」



辺りを不思議そうに見渡す翼と千夏の横で、お姉は私の肩をポンと叩きピットルームの先を親指で指した。



「……那奈、来たぜ! 荒くれライダーでさえも裸足で逃げ出す恐怖の悪魔が……!」



ピットルームの中でも竹田さんが父さんの元に駆け寄って報告をした。



「渡瀬さん、橋本さん、やっぱり来ましたよ!」


「……久々のご登場だな、虎太郎……?」


「……ダース・ベイダーの登場曲が聞こえてきそうだなぁ?」


「……母さん……」



後ろに各メーカーの役員や広報担当を引き連れ、スーツをビシッと着こなした女性が裏の通路を歩いていた。

間違いない、私の母、このメーカーのエンジン開発の全ての実権を握る『モンスター・メーカー』、渡瀬麗奈だ。



「あー! 那奈のおばさーんだー!」


「……バカッ! 小夜、空気読め!」



周りの人間が驚いた顔をして私達を見ていた。場の空気を考えない小夜の声に、母さんは一瞬だけ反応してこちらに笑顔で軽く手を振ったが、すぐに厳しい顔に戻り多くの人達を連れて別のピットルームへと歩いて行った。



「……あれ? 行っちゃいましたね、渡瀬さん……?」


「竹田、良く考えろ? ヤツのメインは国際組のワークスチームだろ? 俺達みたいな国内の金無しチームには用はねぇって事だよ」



あの人相手にヤツ呼ばわり出来るのはこの人だけだろう。まぁ、とりあえずは夫婦だしね、これでも……。



「じゃあ、こっちには麗奈ママ来ないのかい? せっかく会いに来たのにつまんねーの!」



お姉はつまらなそうに倒れているタイヤに座り込み口を尖らせた。小夜の口を塞いでいた私はいつもの様に思いっ切り小夜の頭をひっぱたいた。



「……小夜! 本当にいい加減にしてよ!?」


「……ごめんなさーい、エヘッ!」


「……全く……」



久し振りに見た母さんは全然変わっていなかった。近寄りがたい張り詰めた雰囲気、仕事に取り組む鋭い視線、昔と何一つ変わっていない。



「……でも〜、何か服がオイル臭くなってイヤになってきちゃった、見てるだけでこっちまでベトベトしてきそう〜」



千夏が愚痴を漏らし始めた。まぁ、この女にはここは無縁の世界だろう、父親は立派な国際ライダーなのだが。



「オイオイオイ、オマエ、仮にも三島の娘なんだろぉ? 世界王者の親父の名が泣くぜ?」


「だってぇ〜、うるさいし同じ所くるくる回ってるだけで全然面白く無いんだも〜ん、こんな事に熱中出来る人の気が知れないって感じ〜」


「……世界を巻き込んで激戦繰り広げた男達の娘二人がこれじゃあ報われねぇなぁ、お姉さんは涙が出るよ……」



お姉は私と千夏を見て残念そうに頭を抱えた。ハイハイ、そうですよ、二代目がこんな女達でどうもすいませんね。



「別にいいんだもん、アタシが興味無くたって弟がバイクやっているんだし〜」


「えっ、千夏、弟がいるんかい? 初めて聞いたわ」


「うん、一つ下にね、千秋って言うんだけど」


「……千秋やってよ、聞いたか、薫……?」


「……男なのに千秋、何か同情するねぇ、可哀想に……」



千夏達が話していると、それを横で聞いていた翔太が会話に加わってきた。



「俺、知ってるよ、あの三島千秋だろ?」


「あれっ、もしかして翔太君は千秋に会ったことあるの?」


「会ったも何も、この前まで同じレースで一瞬に走ってたんだよ、どんどん速くなってる、この前は本当に負けるかと思ったよ」


「でも結局は翔太君が勝ったんでしょ? さすが全日本チャンピオンよね〜」


「ポケバイの世界での話しだよ、この先もアイツとな争って行くんだろうね」



その横で、翼が顎に人差し指をつけながら何かを考え込んでポツリと呟いた。



「……千夏、千秋、と言う事は、オカンの名前は大体予想がつくな……」


「……千春、よね?」


「ヒェッ!」


「母さん!」



いつの間にか私達の後ろに母さんが立っていた。さっきまでいた取り巻きはいなくなっているので、もう目的の要件はすでに済んだのだろう。



「……あなたが千春の娘さんね、確かに何か面影があるわね……」


「……あっ、そ、そうですか……?」


「うん、何かウザったい態度とかいちいち鼻につく喋り方とかもうそっくりよ」


「………………」



まずは千夏が母さんの毒牙にかかった。



「……で、さっき大声出してたのが小夜だから、あなたが翼ね、小さいわね〜、本当に中学生?」


「……ほっといてんか……」



続いて翼が餌食になった。



「……残りの2人は……」


「あっ、どうも初めまして薫ちゃんで〜す!」


「…………初めまして」


「……どうでもいいわね」


「えぇ〜!?」


「…………そうですか」



航と薫をまとめて切って捨てると、母さんはクルリと振り返り翔太に歩み寄った。



「翔太、見てたわよ、なかなかいい走りだったわ」


「……どうも、ありがとうございます……」


「最初の一周目の腰抜けっ振りを見たときは一時どうなるかと思ったけどね」


「……バレてる……」


「ハッハッハ、やっぱり見られてたなぁ、翔太……グェッ!」



横で笑っている橋本さんの腹を持っていたファイルでバチンと叩くと、母さんはチラリと父さんがいる方を見て溜め息混じりに呟いた。



「……まぁ、初乗りでいきなり無茶苦茶やらかしたバカよりよっぽどマシだけどね」


「……あの、そのバカってもしかして……」


「いい、翔太? 私はあなたの夢を実現させる為にこの世界に残ったのよ、あなたの夢を叶える事が貴之といづみに私がしてあげれる唯一の償い……」


「……麗奈さん……」


「その為にはあなたが順調に、無事に、自分の力で一つ一つ世界に向かってステップアップしていく事が大切なのよ、足りない物は私達が全て用意する、あなたは自分の力を信じて突き進みなさい、いいわね?」


「……はい、わかりました……」



母さんは翔太の返事を聞いて、なかなか見せる事のない優しい笑顔を見せて翔太の頭を撫でた。



「麗奈ママ、久し振り〜! 元気だった?」


「あら、この不良娘はどちら様?」


「キッツイねぇ、相変わらずさぁ、それじゃあ若い男にモテないぜ? せっかくの美貌が台無しだよ」


「見た目だけの無能な坊や達にちやほやされても嬉しくないわね、アンタみたいな男好きじゃあるまいし」


「……毒吐きまくり……」



お姉でさえも舌を巻く。これが『悪魔』と言われる母さんの凍てつく嫌み攻撃だ。



「さて、仕事と一通り終わった事だし、那奈、ちょっと付き合いなさい」


「えっ、は、はい……」


「麗奈ママ〜! 虎太郎ちゃんとは喋んないの〜!?」



母さんはお姉に『いらない』とばかりに手を横に振って私を連れて休憩所へ向かった。



「……この一年で色々とあったみたいね、電話でいづみから聞いたわ」



母さんは缶コーヒーを一口飲んだ後、タバコに火をつけて休憩所の椅子に座った。



「優歌みたいに世間様に迷惑をかけた訳じゃなくて、ちゃんと人の役に立ったんだから私も鼻が高いわ」


「……でも、あれは小夜の手柄だから……」


「小夜の保護者はあなたみたいなもんなんでしょ? だったらそれはあなたが導いたものよ」


「……そうかなぁ……?」


「立派な事だと思うわ、胸を張りなさい」



母さんは二、三回タバコに口を付けると忙しなく火をもみ消して灰皿に捨てた。そして、バックの中からバイブ振動をしている携帯電話を取り出した。



「……携帯が鳴ってるわ、一服するヒマも無いわね、全く……」



母さんは缶コーヒーを一気に飲み干し、続いて空き缶をゴミ箱に投げ捨てた。



「ごめんなさいね、那奈、もう行かなきゃ」


「……うん、わかった、母さん、体には気をつけてね」


「……………」


「……母さん?」



母さんは一つ溜め息をつくと、苦笑いをして私の顔を見た。



「……あなたには、何一つ母親らしい事をしてあげられて無いわね……」


「………………」


「私の人生には色々と後悔が多いけど、あなたのそばに居てあげられなかったのも後悔の一つよ」


「……いいよ、母さん、わかってるから……」


「……まぁ、私の最大の後悔はあの男と結婚した事だけどね」


「……あっ、そうですか……」



ならば、その二人から生まれた私は一体何なんだろう? そんな疑問をよそに、母さんは私の頭を優しく撫でると再び自分の仕事の世界へと戻っていった。



「……とりあえず、元気そうで良かった……」



確かに、母親としては不合格なのかも知れない。でも私は、あの人が自分の母親である事を誇りに思っている。

人生を犠牲にしながらも、責任を全うしようとする姿。並みの人間に出来る事ではないだろう。

誰か何と言おうと私の母親はあの人だけなのだ。私もいつかは、あの人みたいな強い人間になりたいと思った。



「おーい、那奈! そろそろ撤収だってよ、帰る準備しとけ〜!」


「あっ、はーい!」



休憩所から帰ってきた私を捕まえて、お姉は羨ましそうに私に聞いてきた。



「麗奈ママと何を話してたんだよ? あたしにも教えろよ?」


「別に大した話じゃないよ」


「何だよ、水くせぇなぁ」



帰る準備をしなければいけないのに、残りのメンバーが散らばったままで揃っていない。置いていかない様に集合をかけないと。



「小夜、帰る準備して、みんなを集めといてね」


「ねーねーねー、那奈、翔ちゃんと薫ちゃんがいないよー?」


「そういや、さっきからスケベライダーと盗撮野郎がおらんな? どこ行ってしもたん?」


「ねぇねぇ、航ちゃん、あの2人どこに行ったか知らな〜い?」


「…………あそこ」



航が指差す先に、物陰に隠れてしゃがみ込み何かを見ている翔太と薫がいた。



「どーよ、バッチリ撮れてるだろ? このキャンギャルの胸元の谷間たまんねぇ〜!」


「お前、何しにここに来たんだよ、こんなもんばっかり撮ってたのか?」


「こんなもん言いながら顔がニヤけてますぜ、翔太の旦那?」


「に、ニヤけてねーよ!」


「じゃあキミはもうこのデジカメ見なくていいよね?」


「ちょちょちょ、ちょっと待てって、そういう事を言ってる訳じゃ……」


「……じゃあ、どういう事を言ってる訳?」


「……那奈!!」


「このスケベライダー!!」


「ヒィィィィィィ!!」



もちろん、このデジカメは没収させてもらった。しかし、内容を消去していなかった為、思い出写真として小夜から見させられた麻美子はあまりの卑猥な画像にショックして失神してしまったらしい。



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