第14話 Sign
みんなで楽しく喋って笑ったちょっと早いお花見会。家に帰ってきても瑠璃はまだベッドの上で公園で拾った桜の花びらをジッーと眺めていた。
「……随分と夢中だな、こんな姿は私も初めて見たよ」
「和夫さん、瑠璃ちゃんは桜を見た事は無かったんですかね?」
「じっくりと見た事は無いんだろうな、あの様子だと」
瑠璃に気づかれない様に、遠藤先生と彰宏さんは部屋の外から瑠璃の反応を伺っていた。そして瑠璃の変化に併せる様に、航も心を開いて遠藤先生に昔にあった出来事を打ち明けた。
「…………昔、俺達が住んでた家の近くに桜の木がありました」
「それは初耳だな、いつの話だ?」
「…………瑠璃が生まれてすぐです、でもその後、家は借金のカタに取られました」
「……そうか、普通なら覚えて無いだろうが、何か記憶の片隅に桜の花が残っているのかもしれんな……、航、話してくれてありがとう」
「…………いえ」
「……でも良かったです、久し振りに航君と瑠璃ちゃんに会って、二人とも元気そうで、良い友達にも恵まれてるみたいだし……」
彰宏さんの言葉に、航は照れくさそうにちょこんと頷いた。すると、廊下をパタパタとスリッパが歩く音が聞こえてきて、階段の下から美代子さんと麻美子が顔を出した。
「和夫さん、お食事の準備が出来ましたよ、もし良かったら彰ちゃんも一緒に食べて行って頂戴?」
「彰宏兄ちゃんの好きなお魚焼いたんです!」
「……えっ、い、いや、その、俺は……」
「もし時間があるなら食べて行けよ彰宏、多分お前の分も作ってしまったんだろうしな」
遠藤家からの誘いに、彰宏さんは困った様に指で耳の裏を掻いた。
「そうよ彰ちゃん、麻美子が一生懸命作ったんだから食べてあげて?」
「……ちょ、ちょっとお母さん……」
恥ずかしがって服を引っ張る麻美子を見て、美代子さんは嬉しそうに笑った。
「……それじゃ、お言葉に甘えて、頂きます」
根負けした彰宏さんは申し訳なさそうに頭を掻きながら階段を降りた。その姿を見てニコッと笑った美代子は二階にいる航に対して優しく話しかけた。
「航くんと瑠璃ちゃんのご飯、今、おばさんが二階に持っていくからちょっと待っててね?」
「…………はい、すみません」
「……じゃあ彰宏、もう部屋に行って座ってろよ、ほら麻美子、彰宏を案内してやってくれ」
遠藤先生はどうしていいかわからずキョロキョロとしている彰宏さんともじもじしている麻美子をけしかける様に声をかけると、その声を聞いた麻美子は驚き一瞬ピョンと飛び上がった。
「あっ、は、は、はい! あ、彰宏兄ちゃん、こ、こちらにどうぞ!」
「……うん、じゃあ失礼するね」
居間に入っていく麻美子と彰宏さんを見届けた遠藤先生は、航の方に振り返り、この前の鬼気迫った感じとは違って優しく表情をしながら語りかけた。
「……航、そろそろ下でみんなと一緒に食事しないか? 瑠璃ももう下に降ろしても大丈夫だろう?」
「…………はい、じゃあまた近い内に」
「……そうか、わかった、約束だぞ」
遠藤先生は航の言葉を聞いて、安心した様に笑顔で頷いて一階へと階段を降りていった。
そして、部屋に戻った航はまだベッドの上で桜の花びらを見つめている瑠璃を抱きかかえてテーブルの横にある食事用の座椅子に座らせた。
座椅子に座っても、瑠璃はまだジッーと花びらを見ている。
「…………瑠璃、もうご飯だよ、そろそろその花びらをそこのテーブルに置いて…」
「…………ら……」
「…………瑠璃?」
「…………よ……」
「…………!」
その頃一階では麻美子と美代子さんが航達の食事を御盆に乗せて二階に運ぶところだった。
ご飯、味噌汁、煮物、漬け物、焼き魚…。いかにも日本食の王道だが、味噌汁はこぼすと熱そうだ。
「お母さん、大丈夫? 私が持って行こうか?」
「ありがとう麻美子、でもね、お母さんだってまだまだ元気なんだから! これくらい平気よ!」
二人は食事を運ぶには少々狭い階段を何とか上に登り、無事に航達の部屋に御盆をひっくり返す事なく到着した。
「航君、瑠璃ちゃん、お待たせ、ご飯よ〜、ってあら……?」
「……二人とも、いない……?」
いつの間にか部屋から航と瑠璃の姿が消えていた。部屋に小夜から貰ったウサギとゾウのぬいぐるみを残して……。
遠藤家で起こっている出来事なんて知らずに、こちらの渡瀬家は家中が人でごった返していた。
「……あのさ、小夜のデカい家ならともかく、何でアンタ達はこんな狭い家にみんなして詰めかける訳?」
「狭い家とはまたまたおもろい御冗談を言うてくれますな、充分に広いがな」
「何かこれぞ一般的な日本家屋って感じぃ〜、アタシは何かこういう家って超いい感じぃ〜」
「奥の畳居間の襖が超いい感じって感じぃ〜」
「何で薫までいるんだよ! 翼も千夏ちゃんも何の用だよ!?」
そのまま電車に乗って帰ればいいのに、何を思ったかこのお喋り三人組はお花見をしたのテンションのまま私の家に転がり込んできた。
勝手に家の中をドタバタ歩き回って、私と翔太からしたら迷惑この上ない。まるで動物園だ。
「まぁまぁまぁ、細かい事はいいじゃないですか翔太の旦那、一度旦那のスウィートホームをこの目でルッキングしたかったんだぜ!」
「那奈と翔太の愛の巣を一見したかったんやな、うんうんわかるわかる」
「違うっつーの! さっさと帰れこの白アリ共!」
「いいじゃねーか那奈、こんなに素直でかわいい後輩達ならアタシも大歓迎だぜ」
「そぉ〜ですよねぇ〜、お姉様!」
お姉までもを巻き込んで、このくだらない祭りはどんどん勝手に盛り上がっていく。しかし千夏のヤツ、うまくお姉に媚び売りやがって……。
「……岬もソファーで爆睡してるし……」
「……しかもさぁ、なぜかあづみ叔母さんまでいるし……」
翔太が座っている椅子の後ろで、あづみいづみ姉妹がちゃぶ台を挟んで仲良く向き合ってお茶を飲んでいる。
「皆さ〜ん、お今晩は〜」
「私達がくつろいでいたのに翔太達が勝手に押し掛けてきたんでしょ? 私とあづみ姉さんのせいじゃないわよ!」
「ねーねーねー、お母さん! 今日ねー、桜がとても綺麗だったんだよ!」
「あら〜、良かったわね〜、小夜ちゃ〜ん、お母さんもお桜見たかったわ〜」
トドメに小夜まで加わってもう戦場だ。盆と暮れと正月とクリスマスとゴールデンウィークと閏年と世紀末が一遍にやってきたかの様だ。
プルルルルルル……
ただでさえドタバタの部屋の中に、まるで空襲警報の様にうるさい電話の呼び出し音が鳴り響いた。
「もう! お次は何よ!」
「虎太郎ちゃんだったりしてな、ウッヒャッヒャッヒャッヒャッ!」
「もう止めてよ、お姉も!」
「ちょっと! 翔太か那奈か電話取ってよ! 私とあづみ姉さんは電話から遠い所にいるんだから!」
「……はいはいはいはいはい!」
いづみさんにあづみさんにお姉に小夜に翼に千夏に薫にあーもう頭痛い! これで電話が父さんだったら気が狂いそう!
電話に出ようとしていた翔太を思い切り突き飛ばし、私は半ばキレ気味で受話器を取った。
「……はい、もしもし? 渡瀬ですけど? どちら様!?」
「……あ、あ、あの、すみません、私、遠藤と申しまして……」
「……麻美子? 何よ、どうしたの?」
「……あっ、那奈さん? 良かった、小夜ちゃんの家に電話しても誰も出なくって……」
「何、どうしたのよ? 何をそんなに慌ててるの?」
「……航君が、航君と瑠璃ちゃんが、突然いなくなっちゃって……」
「……航と瑠璃がいなくなった!?」
突然の大声に、それまでどんちゃん騒ぎをしていた全員が黙り込んで心配そうに私を見ていた。
特に一番驚いていたのは小夜で、手に持っていたガラスのコップを落として割ってしまうほどの狼狽ぶりだった。
「……俺達も航達を捜そう!」
翔太の一声にみんなが立ち上がった。お姉達に家の留守番を頼んで、私達は遠藤医院へと急いだ。
出来れば焦っている小夜は家に置いて行きたかったのだが、説得しても全く言う事を聞かず強引についてきてしまった。
「……瑠璃ちゃん……」
電車の中でも小夜に落ち着きは無かった。クリスマスの時にお互い分け合ったウサギのぬいぐるみを手に持ち、ソワソワと外を眺めていた。
「……小夜、大丈夫だから、落ち着いて」
「……うん、でも……」
私の声は今の小夜には届いていないかも知れない。それくらい小夜は冷静さを失っている。
「そうやで、今ここで小夜がそわそわしたってしゃーないやろ?」
「航と一緒なんだから、大丈夫だって! シャキッとしろよ小夜!」
「瑠璃ちゃんが一人でいなくなったって言うんならマズいかも知れないけどねぇ?」
「薫ちゃんの言う通りよ、二人でちょっと夜の散歩に行ってるだけかも知れないし、ねっ?」
みんなで沈み込んでいる小夜を励ましたが、元気になるどころか余計にうつむいてしまった。
「……小夜、大丈夫だよ、遠藤先生や彰宏さんが捜してくれているらしいから、すぐに二人とも見つかるって」
「……でも、でも……」
もし、何かあったらそれは自分のせいかも知れない。本当は誰にも関わって欲しく無かったのに、自分は強引に二人の居場所に入り込んでしまったのかも知れない。
本当は不安で不安で仕方がない、自分がした事が正しい事だったのかどうかわからない。気づかぬ間に、二人を傷つけてしまっているかも知れない……。
普段の会話から出てくる少ない弱気な言葉、不意に見せる困った様な表情、そんな小さな事からでも私は小夜の気持ちを理解する事が出来た。
勝手に部屋に入って航に怒鳴られた時、遠藤先生から昔の航と瑠璃の辛い過去を聞かされた時、純粋な小夜は航達の苦しみや寂しさを感じ取っていたのだろう。
そんな小夜を見て、私は昔の出来事を思い出していた。
「ヤダヤダヤダヤダー!」
「小夜ちゃん、どうして? プレゼントもケーキもあって、お母さんや那奈ちゃんもいるでしょ? なのにどうしてそんなに泣くの?」
「そうだよ小夜! これだけいっぱい小夜の為に用意したんだよ! 何が嫌なの!?」
「ケーキもいらない! プレゼントもいらない! おとーさんに、おとーさんに会いたい! 会いたいよー!!」
何不自由なく、小夜の欲しい物は全て揃っていると思っていた。ただ一つ、仕事で帰って来れない父親に会いたい。幼い小夜は、そのたった一つの願いが叶わなくて塞ぎ込んでしまっていた。
『こんなの可哀想すぎるよ!』
あの日、電車の中で小夜が叫んだ言葉。もしかしたら小夜は、寂しくて心を閉ざしてしまった瑠璃と昔の自分を重ねて見てたのかも知れない。
同じ寂しい想いをさせたくなくて、小夜は一生懸命瑠璃に対して優しく接していたのかも知れない。
「……瑠璃ちゃん……」
小夜は駅に着くまでずっとウサギのぬいぐるみを抱きしめていた。まるで瑠璃を抱きしめる様に。
「麻美子!」
「……那奈さん!みんな!」
私達が遠藤医院に着いた時には夜の九時を回っていた。もちろん辺りはすでに真っ暗になっていた。
「航は、瑠璃ちゃんは、見つかったんですか!?」
「今、うちの人と彰ちゃんで捜しているんだけど……」
「いなくなったのは何時頃なの!?」
「ご飯前だから七時過ぎぐらい……」
翔太は美代子さんから、薫は麻美子から状況を詳しく聞いていた。二人も遠藤先生達と合流して探しに行くつもりなのだろう。しかし、二人がいなくなってもう二時間も経っている……。
「……あの、警察とかには……」
「何言うとんねん千夏! 誘拐事件とちゃうねんぞ!?」
「全ての可能性を考えなきゃダメだよ! 出来る限り手を打たないと!」
「……まぁ、そりゃそうやけどなぁ、薫にマジで言われると何か調子狂うわ……」
「……おばさんは和夫さんと彰ちゃんが帰ってきたら通報しようかって思っているんだけど……」
相談し合っている私達とは離れて、ポツンと立ち尽くしている小夜を気遣い麻美子が手を握って励ました。
「……小夜ちゃん、大丈夫だよ……」
しかし、この緊迫した空気も相まって、小夜の表情はどんどん青ざめていく。
「……どうしよう、麻美ちゃん……」
「……小夜ちゃん?」
「……あたしの、せいだよね……?」
「……小夜ちゃん? 違うよ、違うよ小夜ちゃん!」
「……あたしが、余計な事したから、二人とも、きっと嫌になって……」
「そんな事ない! 小夜ちゃん、一生懸命頑張って瑠璃ちゃんに優しくしてくれたでしょ!? 航君だって凄く喜んでたんだよ!?」
「……でも、でも、あたし……」
麻美子は目に涙を浮かべながら小夜を必死で励ましていたが、小夜の動揺は止まらない。もうダメだ、これ以上見てられない。
「小夜、小夜! しっかりしなさい!」
「……だって、だって!」
「小夜!」
私の両手を掴んで、小夜はついに泣き崩れてしまった。その姿に二人を探す方法を相談していた翔太達も黙り込んでしまった。
「……航、どこに行ったんだ……?」
翔太が辺りを見渡すと、通りの向こうから遠藤先生が急ぐ様に早足でこちらに歩いてきた。
「和夫さん!」
「お父さん! 二人は見つかったの!?」
麻美子や美代子さんの問いかけに、遠藤先生は口を真一文字に結んで残念そうに首を横に振った。
「……ダメだ、見つからない。駅や繁華街の方まで捜してみたんだが……」
「……そんな……」
その言葉に、麻美子はガクッと膝を落として地面に座り込んだ。遠藤先生はそんな麻美子の肩を抱いて立ち上がらせると、意を決した様に私達に話しかけた。
「……そろそろ、警察に連絡しようと思っているんだが……」
警察。最後の手段を聞いた小夜は一瞬ビクッと反応した。
「……瑠璃ちゃん……」
「……小夜……」
その時、私達の沈黙を切り裂く様に診療所内の電話の音が真っ暗な夜空に響き渡った。美代子さんは急いで家に入り震える手で受話器を取った。
「……はい、もしもし、彰ちゃんなの! どうしたの!?」
電話の相手はどうやら彰宏さんみたいだ。二人が無事でありますように、私は両手を握り額につけ必死で天に祈った。
「……えっ、見つかった? 二人とも見つかったの!?」
その言葉を聞いてみんなの緊張が一気に緩んだ。翼と千夏はその場にヘナヘナと座り込んでしまい、受話器を持っていた美代子さんもぐったりと廊下に座り込んでしまった。
「和夫さん! みんな! 見つかったわよ! 二人とも無事だって!」
「……そうか、良かった、彰宏に感謝しなくてはな……」
「……心配させやがって、アイツ……」
「……もう懲り懲りだよ、こんな騒ぎは……」
翔太と薫もさすがに疲れたみたいで、二人揃って膝に手をつき大きな溜め息をついた。
「……良かったね、小夜ちゃん……」
「……小夜……」
小夜の顔からやっと緊張感が抜けた。麻美子は小夜の隣りで泣き崩れ、私は優しく小夜の体を抱きしめてあげた。
「……で、彰ちゃんは今どこにいるの? えっ、公園?」
美代子さんが電話で彰宏さんから聞いた公園。私達は航達を迎えにあの桜の咲く公園へと向かった。
「……あっ、いた! みんな、いたわよ!」
「おったおった、おったでー!」
普段はこういった事に無関心な翼と千夏が先立って公園内に走っていった。今回はさすがにみんな必死だった。
「……小夜、ほら、二人ともいたよ……」
「……瑠璃ちゃん!」
公園の真ん中にある大きな桜の木の下に、彰宏さんと瑠璃をおんぶした航が立っていた。
「…………みんな」
「……さぁ、航君、みんなに見せてあげて」
私達の前で、航は瑠璃を抱えてゆっくりと地面に下ろした。手を離された瑠璃は、そのまま地面に座り込んでボッーとしている。
突然の事で驚いた私達は、小夜を先頭にすぐさま瑠璃の元へ駆け寄ろうした。
「……瑠璃ちゃん? 瑠璃ちゃん!」
「おい! 何やってんだ航!? 瑠璃ちゃんはまだ歩けない……」
「……えっ? ちょっと待って翔太!」
次の瞬間、私達の周りの時間が止まった。まるで夢の様な奇跡が起こったのだ。
「……瑠璃、ちゃん?」
「……小夜、小夜!?」
「……小夜、見てみろよ小夜!?」
その信じられない光景に、私達の後ろにいる四人もその場に立ち尽くしていた。
「……ウソでしょ……」
「……なんや、コレ……」
「……奇跡だ、奇跡だよこれは!」
「……瑠璃ちゃんが、瑠璃ちゃんが、歩いてる……」
ゆっくりと立ち上がり、おぼつかない足取りながら、瑠璃は一歩一歩ずつこちらに向かって歩いてくる。暗くなった公園内に街灯の明かりが入り込んで、その姿はまるでステージのスポットライトに照らされている様だった。
「……瑠璃ちゃん、瑠璃ちゃん!」
小夜は近くまで駆け寄り、瑠璃に向かって手を差し伸べた。
「瑠璃ちゃん、頑張って! おいで、頑張ってここまでおいで!」
小夜の呼び掛けに答える様に、瑠璃は少しずつ、少しずつ小夜に向かって近づいてくる。
「……頑張れ、頑張れ瑠璃ちゃん!」
「……神よ、我らに奇跡を……!」
翔太と薫が必死になって祈った。
「……もう少し、もう少しや!」
「……やだ、もうアタシ見てられない……」
「……頑張って、瑠璃ちゃん……」
翼も千夏も麻美子も一生懸命願った。
「小夜! 瑠璃の事をちゃんと受けとめてあげて!」
私は小夜の背中を涙を流しながら全力で支えた。
「瑠璃ちゃん、もう少し、もう少し、おいで、おいで、おいで!」
そしてついに、瑠璃は小夜の手の中にたどり着いた。
「瑠璃ちゃん!」
「やったぁ!」
「よっしゃー!」
みんなが一斉に飛び跳ねてハイタッチをした。この喜びはとても言葉だけては表せないものだった。
「……やった、やったよ小夜……」
「瑠璃ちゃん! スゴいよ、スゴいよ! 頑張ったね、ホントによく頑張ったね……」
小夜は涙をポロポロ流しながら瑠璃を抱きしめ、私も泣きながら二人を抱きしめた。麻美子も千夏も、涙を堪えきれずに号泣していた。
「アホ! 何で千夏が泣いてんねん!」
「……だって、だってこんなの……」
「……でも、良かった、本当に良かった……」
翔太が小夜の肩をさすっていると、瑠璃が小夜の顔の前に両手を差し出した。
「……どうしたの、瑠璃ちゃん……?」
瑠璃はその手を静かに広げた。その小さな手の中にはこぼれ落ちそうなくらいのたくさんの桜の花びらがあった。
「……瑠璃、ちゃん?」
小夜が瑠璃を見つめると、その時、小さい口がゆっくりと開いた。
「……た、よ……」
「……!」
確かに聞こえた。私達全員、確かに聞いた。瑠璃の声を。
「……おい、みんな聞こえたか……?」
「……やだ、翔太君、ウソでしょ……?」
「……ウソじゃないよ千夏ちゃん! 喋ったよ、今喋ったよ!」
「……聞こえた、『た・よ』って確かに言うたで! なぁ、麻美子!」
「……もしかして、もしかしてそれって……」
そう、瑠璃が覚えた最初の言葉。私達の会話を聞いて覚えた一番大好きな人の名前。
「……小夜、アンタだよ! 『さよ』って言ったんだよ! 瑠璃は今、アンタの名前を呼んだんだよ!」
小夜は何が起こったのかわからずに茫然としていた。そんな小夜に聞いて貰いたいかの様に、瑠璃は一生懸命言葉を喋り続けた。
「……た、よ、た、く、ら……」
「……さくら……?」
しっかり聞き取れる。瑠璃の声を。私達は耳を澄ませて瑠璃の言葉を聞き漏らさずに受け止めた。
「アンタが教えた言葉だよ! アンタが瑠璃に言葉を喋らしたんだよ! 小夜!!」
「……う、うぅ、うわーーーん!!」
小夜は瑠璃を抱きしめたまま号泣した。私も人目をはばからずに小夜と一緒に泣き崩れた。
「……た、よ、た、く、ら……」
間違ってなかった。小夜の気持ちはしっかりと瑠璃の心に伝わっていた。瑠璃は、その感謝の気持ちを行動と言葉て表してくれたのだ。
「……何という事だ、信じられん……」
「……あるんですね和夫さん、本当にこんな事が……」
遠藤先生は彰宏さんと航の元に歩み寄り、その奇跡の瞬間を見届けていた。
「……航、どうしてここに瑠璃を連れて来たんだ……?」
「…………いっぱい、見せてあげたくなったんです、瑠璃に桜を……」
遠藤先生の問いかけに、航は桜の木を見上げながら嬉しそうに答えた。
桜の満開にはまだ早いこの日、私達には忘れる事が出来ない記念日になった。