第10話 クラスメイト
あの日以来、航は私達を避ける様になった。クラスでは翔太や薫達と一緒にいるみたいだが、帰りは一人だけで帰って行ってしまう。
小夜もあれから元気が無く、学校に来ても黙ってうつむいたままで、中には調子を崩して休んでしまう日もあった。
家まで様子を見に行っても布団にくるまったままで、私が声をかけても一言も返事をしない。
「俺が航と瑠璃ちゃんに会ったのは今から二年前くらいだったかな、施設にボランティアに行った時に同年代の男の子がいるって介護士さんから聞いて、俺から話しかけたんだ」
薫は幼児施設にいた頃の航と瑠璃の事を私達に話してくれた。その内容はこの前、麻美子に聞いた話よりももっとショッキングで、悲惨なものだった。
「あの時の航は今よりもっと無口で、スゴく冷たい目をしてた、俺達が会った施設は優しい人達がいっぱいいて良かったんだけど、その前にいた施設の中には酷い扱いをする所もあったみたいで、その時に看護士から暴力を受けた時の傷やアザが航の額や腕に付いてたんだ、そして瑠璃ちゃんはいつも人を怖がって航の膝に座って震えていたよ」
「……そんな、ヒドい……」
千夏が話の内容に耐えられずしゃがみ込んでしまった。隣にいる翼の顔も若干青ざめていた。
「その後、診察に来たあるお医者さんが二人を心配して身柄を引き取ったって聞いてたけど、その引受人が麻美子ちゃんのお父さんだったとはね…」
「…はい、そうです、私のお父さん、遠藤和夫です…」
「…しかし、聞けば聞くほど胸が苦しいな、何も知らなかったよ…」
翔太もここまでの話は聞いていなかったみたいで、悔しそうに自分の頭を叩いた。
「まっ、それが俺と航の出会いの馴れ初めの話だよ〜ん」
「……ふーん……」
「何か疑問がありそうだねぇ、翼、何か俺に聞きたい事ある?」
「……航の話はともかく、薫がボランティアとかやってるってのがウチは全く信用できん、しかも二年前って小学生やんか?」
「確かにそうね、薫ちゃんはとてもそんなキャラに見えないわねぇ?」
……ここまで真面目にシリアスな話をしてきたっていうのに、またこのお喋り三人組は雰囲気をブチ壊す……。
「何をおっしゃられますか、こう見えてもこの薫ちゃんはご老人や小さいお子さまに明るく楽しく激しいスーパービューティフルトークで大人気なんすよ? 日本中、いや世界中に笑顔の種を振りまくのさ!」
「……失笑の種やろ?」
「あるいは笑顔の押し売りよねぇ?」
「上手い事言うな千夏、そならウチも! 薫、それは『笑顔の暴力』やで!」
「えっ〜? ウソぉ〜ん!」
とりあえずバカ共は無視しよう。あの日、私達が帰った後に遠藤家はどうなってしまったのだろうか。
「……麻美子、航は家の中ではどうなの?」
「……相変わらず、あまり私達とは話してくれません……」
「……そう……」
私と小夜は何か余計な事をしてしまったのかも知れない。決して触れてはいけない、航達のタブーに……。
「……あの、那奈さん、小夜ちゃんの方は……?」
「……こっちもダメ……」
十二月になって二学期も終わりが近付き、明日にはもう冬休みに入ってしまう。少なくとも最後ぐらいはちゃんと学校に行かせないといけない。私は放課後に家まで小夜を説得しに行った。
「……小夜、終業式ぐらい行こうよ?」
「………………」
「アンタがいじけてたってしょうがないでしょ? 航はちゃんと学校に来てるし、麻美子やみんなも心配してるよ?」
「………………」
「アンタから笑顔が無くなっちゃったら何が残るのよ? その笑顔であの子を笑わせようとしたんでしょ? そんな事じゃいつまで経ってもまたあの子に会えないよ?」
「……そう、そうだね、笑わないとダメだよね……」
やっと返事をしてくれた。少し表情に緩みが出てきた小夜を見て、私は見本になれる様に精一杯の笑顔を小夜に見せた。
「いいね、小夜! 私が朝迎えに来るから、ちゃんと学校に行くんだよ!」
「……うん!」
眠る前、私は少し考え事をしていた。どうして小夜はあの子にあんなに反応したんだろう?どうして航達にあんなに同情したんだろう?結局、その答えはわからないまま私は眠りについた。
次の日の朝、私は小夜を連れて学校に向かった。しかし、小夜は何か眠たそうに目をパチパチさせてフラフラ歩いていた。よく見ると、手の指にはあちこちに絆創膏が貼ってある。
「……小夜、アンタ手の指どうしたの? 怪我でもしたの?」
「……ほぇ? あっ、うん……」
「……寝てないの? ねぇ、何かあったの?」
「……ううん、大丈夫だよ! エヘヘッ……」
小夜は笑ってごまかしだが、いつもの様な元気な笑顔ではない。顔が若干引きつっていて、目の下にはうっすらと隈がある。
「おぅ、小夜、おはよう!」
「あっー、翔ちゃんだ!」
学校の通学路の途中で翔太が待っていた。こんなケースは今まで一度も無かったのに。
「あれ? 翔太、先に学校に行ったんじゃなかったの?」
「やっぱり小夜が心配になっちゃってね、ここで待ってたんだ。小夜! 今日で二学期も終わりだから楽しく行こうぜ!」
「……うん!」
「ほら、いつもみたいに元気良く行こうよ!」
「……くかー」
「小夜! 起きなさいって!」
「……絶対寝ぼけてるぞ、小夜のヤツ……」
待っていたのは翔太だけではなかった。学校の校門まで歩いて行くと、中でみんなが私達を待ってくれていた。
「あっ、皆さん! 小夜ちゃんが来ました!」
「お〜お〜、来たで来たで! 登校拒否娘の登場や!」
「小夜〜! Good morning!」
「これはこれは真中様! お待ちしておりました! さぁ、どうぞこちらへ!」
麻美子が中心になって翼と千夏、そして薫と校門で待ち合わせる予定を立ててくれていたらしい。普段はバカばっかりやってるのにやればちゃんと出来るんじゃない、コイツら。
「……みんな……」
「……みんな小夜を待っててくれたんだよ! ほら、小夜ももっと元気出して!」
「……うん! あたし頑張る!」
みんなの姿を見て、小夜も少し元気にをなってきて笑顔も戻ってきた。しかし、校門の前に航の姿は無かった。
「……やっぱり、航はいないのか……」
小夜がみんなとじゃれ合っているのを見ながら、翔太が寂しそうにポツリと小さい声で呟いた。もしかしたら航にはもう私達の声は届かないのかも知れない。
「……くかー」
「終業式で居眠りする人間初めて見たよ、全くもう……」
体育館での全校朝礼も終わり、残すは各教室でのホームルームだけになった。
「ねーねーねー、那奈! 明日ってクリスマスだよね!」
居眠りして少し眠気が覚めたのか、教室での小夜はいつもの様な元気な話し声になっていた。
「そういえばそうだね、まぁ、私の家はクリスマスも正月も全然関係ないけどねぇ」
「あのね、明日ね、麻美ちゃんのお家でクリスマスパーティーやるんだって! この前のお詫びとかで麻美ちゃんのお母さんからのお誘いなんだよ! 那奈も一緒に行こうよ!」
「……クリスマスパーティーねぇ……」
「翔ちゃんも一緒に行くよー!」
「……翔太も?」
「ホントは翼も千夏も薫ちゃんもみんな来て欲しかったんだけど、他に予定があるみたいで……」
「……うーん……」
私はパーティーとかっていうのは正直あまり得意じゃない。クリスマスだろうと誕生日だろうとあまり気にはしないタイプなのだ。
ただ、今年は中学生になって色々な出来事もあったので、ここは一緒に行って今年の打ち上げって事でまとめるのも悪くない。
「……わかった、私も行くよ、多分、お姉もどっか遊びに行っちゃうだろうし、父さんといづみさんには出掛けるって話しておくから」」
「ホント? わーい、やったー!」
それ以上に私が気になったのは、この前あんな事があったにも関わらず再び麻美子が私達を家に招待した事だ。
普通なら有り得ない事だし、もしかしたら麻美子は何か航との関係を修復する手だてがあるのかも知れない。
メンバーに翔太がいるのも、麻美子の話を聞き一役買ってパーティーに参加した可能性が高い。
「わーい! パーティー、パーティー!」
何か裏があろうが無かろうが、とりあえず小夜の喜ぶ笑顔を見て私は少しホッとした。
ホームルームも無事終わり、二学期の授業は全て終了した。そして今年最後の帰り道、やっぱり航は私達と一緒に帰る事は無かった。
あまり喋る事が無く目立たない存在だったとはいえ、今まで一緒にいた仲間がいないのは何だかんだ言って少し寂しい。
「千夏、年末海外に行くんやって?」
「もちろん! やっぱりお正月はワ・イ・ハよねぇ〜」
「オマエの家は芸能人一家かい!?」
「そういう翼はどうするの? お正月何か予定あるの?」
「ウチはクリスマスもお正月も家族と一緒やで! オトンといっぱい遊びに行くんやでぇ!」
「ホントにパパ大好きよね〜、翼って」
航の事はどこ吹く風でこの二人はケラケラ笑いながら喋っている。これも性格の違いだろうか。私が神経質過ぎるのかな?
「身も心もお子ちゃまですなぁ、翼ちゃまは」
「やかましいわ! つーか薫はどうすんねん? 里帰りでもするんかい?」
「里帰りって訳じゃないけど、俺だって国内脱出組なんですぜ〜!」
「何やどいつもこいつも海外、海外! 国内で結果も出さずによその国ばかり見よって!」
「コノボウシ、『ドイツ』ンダ? 『オランダ』! HAHAHA!」
「桐原薫、貴君に一生国外追放の刑を申し渡す」
「ウソぉ〜ん!?」
みんなそれぞれ年末は予定があるらしい。ちょっと羨ましい気もするが、もし私の家族で旅行に行くとしたら、想像するだけでとても恐ろしい事になりそうだ。
「翔太、明日の麻美子の家でのクリスマスパーティーの事なんだけど…」
「うん、聞いてるよ、麻美ちゃんはこの後、家に帰ったら航にパーティーの事を話して参加して貰える様に説得するみたいだね……」
「……やっぱりそういう裏があったのね……」
「下手な小細工すると逆に航を傷つける事になるかも知れないから、単刀直入に誘ってみるしか無いだろうね、後は俺達の気持ちが航に届くかどうか……」
「……当たって砕けろか、それしか無いだろうね……」
私は小夜と一緒に笑いながら喋っている麻美子を見た。この娘も頼り無さそうに見えて一生懸命色々と考えてくれているみたいだ。
私達も麻美子が作ってくれたチャンスを無駄にしない様にしないといけないなぁ。もうこうなった以上は考えこんだってしょうがないし。
あの日、小夜も決して悪気があって航の妹さんに近付いた訳では無い。航の態度にしたって、例えそれが親切心だとしても人には触れられたくない事情というものはある。
航達の心の傷は私達には測り知る事は出来ないし、出来る事なら私達も力になってあげられればいいけど、それを望まれていなければ只のお節介になってしまう。
航達には麻美子のお父さんやお母さんがついてくれている訳だし、今回はダメだったとしてもいつかはまた航と仲良く出来る時が来るかも知れない。
私は頭の中で自分に精一杯そう言い聞かせた。そう思い込まないと、私は明日のパーティーをドタキャンして逃げてしまうかも知れないと弱気になっていたからだ。
「ほなら、みんなまた来年な〜! さいなら〜!」
「じゃあね〜! 那奈、小夜、翔太君、Merry Christmas and happy new year!」
「それでは皆さん良いお年を〜! バイバイキーン!」
「じゃあ小夜ちゃん、また明日ね! 待ってるからね!」
「うん、絶対行くからね! みんなバイバーイ!」
駅で翼達が乗った電車を見送って、私と小夜と翔太の三人で家に帰ろうとした時、前方から背の高い男子生徒がこちらに向かって歩いてきていた。
「あっ……」
「どうしたの? 小夜?」
「……航クン……」
駅に向かっていた航とバッタリ出会った。私達はお互いに立ち止まり、相手の様子を探る様に向かい合った。
「……悪い、航、先に帰っちゃったのかと思ってたよ……」
「…………職員室に寄ってた」
「……そうか……」
クラスが一緒の翔太でさえも会話がし辛そうだ。とても私と小夜は話しかけられそうに無い。
「……航、色々迷惑かけて悪いな……」
「…………いや、別に、気にしてないから」
航はそれだけポツリと言うと、私達の横をすれ違って駅へと歩きだした。その時、黙り込んでいた小夜が突然意を決した様に航に声を掛けた。
「……あ、あの、航クン!」
「…………?」
航は小夜の呼び掛けに反応してこちらに振り向いた。しかし、その顔は無表情でとても冷え切った目をしていた。
「……あの、あのね、この前はごめんなさい……」
「…………いいよ、別に気にしてないから」
「……で、でも……」
「…………もう、いいって」
航は小夜の言葉を聞き捨てる様に背中を向けて再び駅へと歩き出した。小夜はそれでも何とか航に話を聞いて貰おうと後を追いかけた。
「……あの、航クン、あの子に……」
「……小夜、もうやめなさい、また航を怒らせる事になるよ」
「………………」
その後、航が私達の方に振り返る事は無かった。その後の家までの帰り道、小夜はまた元気無く下を向いて黙り込んでしまった。
「……決してさ、迷惑って事じゃないと思うんだ、小夜の事……」
「……航の話?」
小夜を家に送り届けた後、帰り道で翔太が私に話し掛けてきた。
「那奈も最初さ、小夜が航や薫と仲良くなるの、嫌がったろ?」
「……まぁね、小夜に悪い虫とかあまり近寄らせたくなかったからね」
「多分、一緒だと思うんだよ、航が妹さんに人を近寄らない理由って、大切に守ってあげたいが為に、近寄る者全てをはね除けてしまうっつーか……」
私と一緒か。確かにそう考えれば良くわかる気がする。納得している私の横で、翔太はさらに話を続けた。
「素直じゃないって言えばそうだけど、航も好きでそういう性格になった訳じゃないと思うんだ、人に助けて貰ったり、頼ったりする事が今まで無かっただけでさ……」
「……人を信じられないって事?」
「うん、だってやっぱりさ、あんな辛い過去があって、誰も助けてくれなかったら自分達の殻に閉じこもっちゃうのは仕方がないよ……」
「……翔太もそうだったの? お父さんが目の前でいなくなって……」
「……俺? いや、俺には母さんもいたし、親父さんや麗奈さんや優歌さんや那奈もいたから寂しくは無かったけど、もし俺が航と同じ立場だったら、きっと同じ様に心を閉ざしてしまうんじゃないかな……」
「……そうだね……」
「やっぱりさ、人間って支えあっていかないと生きていけないじゃないかなって思う、それが明日、航に伝わってくれれば良いんだけどな……」
「……翔太……」
ヤバい、グッときた。翔太も段々大人の男として成長しているんだな……。小夜や航の事を心配しなきゃいけないのに、私の頭の中は何か真っ白になってしまった。
「……って、この前親父さんが俺に説教した時に言ってた」
「……ハァ?」
一気に目が覚めた。あんだけ格好いい台詞が全部父さんの言葉!?
「親父さんも生まれてすぐに両親がいなくなって、寂しいがあまりに学生時代はひねくれて悪さしまくったって言ってたよ」
「……それは私も父さんから聞いたけど、何? さっきまでの言葉、アンタの言葉じゃないの?」
「……この前、親父さんと話してて聞いた言葉をそのままパクったんだけど、何かマズい?」
はーい、前言撤回。撤回撤回撤回!絶望した。コイツにはとことん絶望した!
「……うわぁ、何かもうスッゴいガッカリ……」
「えっ、何が? 何でよ?」
「いい事言うなぁ、少し見直したなぁ、って思ったのになぁ、あーもうホントガッカリ!」
「……ちょ、ちょっと、何が? 何で?」
パーティーに参加する事を決めたのも麻美子に頼まれて鼻の下を伸ばして軽い気持ちで受けたに違いない。そうだそうだ間違い無い。
「もういい、アンタとは喋りたくない、スゴい絶望した、さようなら」
「エッー! 何で何で何で!?」
何であんな変な気持ちになってしまったのだろう、つくづく自分が嫌になる。あー、恥ずかしい。
しかし、自分の気持ちでさえもわからないのに私に人の気持ち、しかも深い傷を受けた心を理解する事なんて出来るのだろうか。