表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/83

第1話 ヨーイドン

 


四月、まだ朝方は肌寒い。

春休みの気だるさもまだ抜けきらず着慣れないブレザーの学生服も何か動き辛く重く感じる。



「……なんか馴染まないなぁ……」



私の名前は渡瀬那奈、中学一年生。口は悪いがれっきとした女子である。あまり女性であるという実感はもっていないが。


私の日常はいつもまず通学路とは逆の方向に歩いていく。近所に住む幼なじみを迎えにいく為だ。



「あっ、那奈ー! おはよー!!」 



朝の気だるさを吹き飛ばすバカ元気な声。私を見つけて一直線に駆けつけてくる。



「小夜、走んなくていいって! また転ぶから!」



ドターン!! 顔面から見事に転倒。



「痛ーい」


「……ったく言わんこっちゃない、大丈夫? 怪我ない?」


「膝すりむいたー」


「……全く、これくらいの怪我で済んだからいいけど……」



私は転んでついた学生服の砂をパタパタと丁寧に払ってやった。こんな事を毎日やっているから本当に危なっかしい。



「エヘヘッ、ありがと那奈!」



この娘は真中小夜、中学一年生。同い年の女子だけど小さい頃からドジで天然。それもハンパなレベルじゃない。

外に出れば車にハネられ川に落ちるし、家の中にいればストーブの前でうたた寝して髪の毛を燃やすし、命が幾つあっても足らないドジを平気でやらかす。



「学校着いたらちゃんと保健室行って絆創膏貰って貼っときなさいよ」


「イテテ、うん、貰ってくる! あっ、でも杉本先生朝早くいるかなー?」


「……ハァ?」



私の呆れた顔を見ても、全く自分の言った言葉に気づかずに小夜は喋り続ける。



「だって保険の杉本先生いつも九時に学校に来るって言ってたよ? この前聞いたもん!」


「……あんた杉本先生って、それ小学校の保健室の先生でしょ?」


「……ほぇ?」 


「アンタ、どこに登校するつもり? あたし達もう中学生なのよ? 私達が行くのは中学校!」


「……あっ、間違えちゃった、エヘッ」



危ない危ない。この娘、本当に小学校に通学するつもりだったみたいだ。



「……エヘッ、じゃないわよ全く、間違えて小学校行っちゃうんじゃないかと思って、念の為に近くまで迎えに来るようにしたけど、まさか本当に心配通りになるなんてねぇ……」


 

「あっ、そーなんだ! だから那奈、いつも迎えに来てくれてんだ! ありがとー!」


「……アンタねぇ、勘弁してよ……」



毎度この調子である。これで今まで大きな怪我も無く生きてこれてるのがホント奇跡だ。

というか、いつも私がフォローに回るからなんとかなってるのだが。


私達は子供の頃から姉妹の様に育ってきた‘麋で遊ぶ時も、外で遊ぶ時もいつも私の側には小夜がいた。

私にとって小夜は妹の様な存在である。小学校でもどういう巡り合わせか、六年間すべて同じクラスになった。

中学に入っても当然の様に私と小夜は同じクラスである。誰か内部で意図的に私達をくっつけてるとしか思えない偶然だ。



「ねーねー那奈、翔ちゃんは?」


「……先に行ったわよ」


「えっーなんでー? みんなで一緒に行った方が楽しいのにー?」


「もう中学生なんだから、みんなで仲良くお手てつないでなんてやってられないでしょ? クラスも違うしそれぞれ友達だっているだろうし」


「……ふーん、そうなんだー」


「そういうもんよ、男子なんて」



小夜はしばらく考え込んだ後、何かを思い付いた様に手を叩いた。



「あっ、そうだ!でもでもー、あたしと那奈はいつもお手て繋いで仲良くだよねー?」


「あーのーねー、そりゃアンタを一人にしたらどこに飛んでっちゃうかわからないからでしょ?」


「那奈はあたしの他にお手て繋いで登校するお友達いないのー?」



バシッ!!



私は小夜の頭を平手でひっぱたいた。どの口がそんな生意気な事を言うか。



「痛ーい」


「……全く、アンタは本当に……」



正直本当に頭にくる時もあるが、本人には全く悪気がない様なので不思議とあまり憎めない。小夜が小さい頃からこんな調子なので、私が頑張って色々とフォローしなくてはならなくならない。

そのせいか周りの大人達に私が『しっかり者』というイメージを持ったらしく、よくクラスやチームのリーダーをやらされた。

正直損な役回りばかりだが、かといって他の人にこの爆弾娘の世話をさせるのは申し訳ない。もうお姉さんというより完全に保護者だ。


朝から頭痛の種を引きずりながら中学校への道のりを約三十分。結構家から遠いのだが、こんな会話をしてるうちに気付くと着いていたりするものだ。



「おっ、今日も二人で通学かい、仲がええの〜?」


「あっ、翼だー! おっはよー!」


「……ちょ、ちょっと、いちいち抱きつかんでえぇちゅーねんオマエは朝から」



小夜だけでも疲れるのに、また一人やかましい女が来た。



「ねーねー、何でいつも翼も先に学校に行っちゃうの? みんなで一緒に行こーよー?」


「アホか、朝っぱらからオマエに付きおうてられるか! ましてや毎日なんてこっちの身が持たんわ!」


「ひどーい! 翼冷たいよー! ねー、那奈?」



私に話を振るな、このバカ娘。



「コイツまで一緒に通学したらアンタの面倒とコイツの話し相手、まとめて私が見なきゃいけなくなるでしょ? 勘弁してよ、全く……」


「オイオイ聞いたか? コイツの方がよっぽど冷たいわ、ウチはみんなに笑顔になって欲しくて、毎日毎日一生懸命喋っとんのに」



くだらない話にいちいち噛みついてくる。しかもコイツが言った通りわざわざ毎日毎日。 



「それがウザいんだっつーの!」


「とかなんとか言うてホンマはいなきゃいないで寂し〜んやろ、那奈ちゃ〜ん?」



馴れ馴れしく私の頬を指でツンツン突いてくる。私は赤ん坊の様に小さい手をバシッと払いのけて翼を睨んだ。



「ハァ? いっぺん死んでみる?」


「お〜お〜コワいコワい、とても女の子の言葉とは思えへんわぁ」



このウザいチビ娘は松本翼。中学一年生女子。コイツも小学校からの幼なじみの同級生で、しかも親同士が知り合いなので昔からよく家族で出掛けたりした。

大好きな父親が関西弁を喋るので小さい頃からそれを真似している。関西生まれでもないのにこの喋り方だから聞いてて本当に気持ちが悪い。



「……アンタさぁ、いい加減にその変な関西弁やめなって、聞いてて物凄い不愉快なんだけど?」


「はぃ? 何でやねんな? ウチはちっこい頃からこの喋り方なんやで? いまさら今更直るかいな」



しかも人が真面目に話をしても、ふざけたりからかったりする天の邪鬼。質悪過ぎ。



「第一、ウチのオトンがこの喋り方なんやで? これでウチが普通に喋ったらオトン号泣するわ」


「アンタの家庭の事情なんかどうでもいい! 私が聞いててうっとうしいからやめろって言ってるの!」


「そう来るんやったらウチだってオマエの事情なんかどうでもええわ、那奈よりオトンとのコミュニケーションの方が大事やっちゅーねん!」



あー言えばこう言う、こう言えばあー言う。全く、口のやかましさだけなら立派に関西人合格だ。



「……中学生にもなってどんだけファザコン? だからいつまでたっても心も身体も成長しないんだよ、チビ!」


「ちょちょちょ、ちょっと待てや! ファザコンはええとして身体の成長の話は関係あらへんやろ! 何やチビってコラァ!」



翼が言われてカチンとくる話はこれ。身長なら私は絶対に負けない。



「そりゃオマエはすんなり背が伸びたかも知れんがな、そんなもんは個人それぞれ差があるもんなんや!」



翼は身長145cmと中学生と言うにはびっくりする程に背が小さく、おまけに幼女の様にペッタンコな貧乳である。

対して私は女子ながら既に165cm以上の長身になった。並んで立つと翼の頭が私の肘掛けに丁度良い。



「オマエら見とけやホンマに、ウチはこれからグングン成長して中学卒業する頃には八頭身のナイスバディになったるねん!」


「ないすばてぃ?」 



小夜が合いの手を入れる。いちいち話を膨らませなくてよろしいっつーの。



「おぅナイスバディや! ムチムチプリプリのバッ、キュン、ボ〜ンやで!」


「ばっ、きゅん、ぼーん?」


「そや! 手始めにまずバストは90!」


「おー!」


「ヒップも90!」


「おー!」


「ウエストも90」 


「ふとーい!」



すかさず私がオチをつける。毎度毎度の私達の常連ネタだ。……私達はダ○ョウ倶楽部か。



「何でやねん! アホかお前ら! それじゃドラム缶かビール樽やないか、どアホ!」


「いいじゃない、ムッチムチカッチカチのナイスバディで」


「やかましいわ、ボケッ!」



小学生の頃からいつもこんなノリで、私は小夜の天然ボケと翼のしょーもないボケに毎日さらされている。こんな激務を義務付けられた悲劇の中学生は世界でも私一人ぐらいだろうなぁ……。



「あー!!」


「な、なんやねんな! いきなりデカい声出して!」



小夜が突然大声をあげた。普通に喋れないのかねこの娘は? 本当、心臓に悪いし耳の鼓膜が痛い。



「翔ちゃん発見ー!」


「あっ、ホンマや」



……悲劇の中学生、そういえばもう一人いた。



「翔ちゃーん!」



小夜は大声で名前を呼びながら、玄関で上履きに履き替えている男子学生に向かって一直線に走って行った。



ガツッ!



「ほぇ?」



しかし下駄箱前のすのこに足を引っ掛け、そのまま勢いよく男子学生もろとも下駄箱に激突した。



ガンッ!ドスッ!!



「ぐえっ!!」


「イテテ、エヘッ、おはよー翔ちゃん!」


「……エヘッ、じゃねぇよ小夜! 殺す気かオマエは! あぁ、痛てぇ……」



風間翔太、同い年の幼なじみの男子。私と翔太の関係はちょっと他の人間には無い訳ありなものだ。


翔太とは家庭内の事情があり、昔からお互いの家族全員で一つの家に同居をしている。

その為、私と翔太はまるで双子の様に育てられてきた。もちろん小学校も同じだった。

そうそう、一言付け加えておくと、翔太と小夜は母親同士が姉妹なので従兄妹の関係になる。



「朝っぱらから災難やなぁ翔太、ウヒヒッ」



翼がもつれて倒れ込んでいる二人を見て、楽しそうにニヤニヤしている。



何だよ、お前らもいたのかよ! だったらボッーと見てないで小夜の暴走を未然で止めてくれよ!」



……未然で止められたら地震予知マシーンなんていらねーっての。もう神のみぞ知る天災レベルなんだから。



「ねーねーねー、何で翔ちゃんも先に学校に行っちゃうのー? みんなで一緒に行った方が楽しいじゃーん!」


「何でだよ、何でお前らと一緒に行かなきゃいけないんだよ、イヤだよ!」


「小学校の時はみんな一緒に行ったじゃーん! なんでイヤなの?」



私は倒れ込んでいる小夜を起こして、下履きから上履きに履き替えた。



「いいじゃない小夜、翔太がイヤだって言ってんだから放って置けば?」


「だってみんな一緒じゃなきゃ寂しいもーん! 那奈は翔ちゃんとバラバラで寂しくないの?」


「ハァ? 私が? 何言ってんの勘弁してよ」


「一緒に住んでんのに寂しくなんか無いわなぁ、那奈? プププ」


「うるさい!」



この手の話になると喜んで余計な合いの手を入れてくるチビ翼。本当にウザったい。



「つーか翔太、たまにはアンタが小夜を学校に連れて行ってよ!」


「ハァ? 何で俺が? 小夜と一緒に登校するのは那奈が自分で勝手に始めた事だろ?」


「私だって一人で気軽に通学したいの、小夜を一人で行かせたら危ないのはアンタだってよくわかってるでしょ?」


「知らねーよ、そんな事!」 


「アンタ従兄妹でしょ? 親戚なんだからちゃんと保護者しなさいよ!」


「それはいつも那奈の役目じゃんか!」


「いつから私の役目になったのよ!」



翔太と口げんかしていたら、目線よりも下から手を叩く音が聞こえてきた。



「ハイハイハイハイ、お二人さん、仲がええのはよくわかったから、喧嘩はこれ位にしてさっさと教室行こか、続きはお家でゆっくりやったらええがな?」


「うるさいっ!」


 

翔太とハモってしまった。それを見て翼はさらにニヤニヤして先に教室に向かった。



「お〜お〜怖いの〜、プププ」



私は翼と翔太とは別のクラスの一組、翔太は三組。しかし翼は隣の二組なので体育の時間は一組二組で一緒に授業を行う。

先週の授業では、男女別々に組別リレーをして私達一組が勝った。



「今日の体育のリレーでリベンジや! 今週はウチらがキッチリ勝たしてもらうで!」


「授業二週続けてリレー? まさか、無いでしょ?」



そんな会話をしながら私達はそれぞれの教室に入った。


小学校と比べて、着ている服が変わっても学校に勉強しに来ている事は変わらない。

他に変わった事をいえば教室の窓から見える景色が変わったくらいか。

この学校は小高い丘の上に建っているので景色だけは非常に良い。



「退屈だなぁ……」



時間が経って日も高くなり、肌寒かった気温も次第にぽかぽか陽気になって非常に眠くなる。

新学期早々にこんなに緊張感が無いのは私くらいなのだろうか。



「……じゃ次の文、真中」


「……くかー」


「……真中! 真中小夜!」



……他に一名、私以上に緊張感が無い人間を確認。



「おい! 真中!!」


「……ほぇ?」


「何寝てるんだお前! 起きろ!!」


「えっ、あっ!ご、ごめんなさい、おとーさん!」

 

「……お父さん? 何だ、寝ぼけてるのかお前?」


「……あっ、間違えた……」


「ブハハハハハハ……」



教室内が笑い声に包まれる。何をやってんだかあの娘は……。



「……エヘヘッ」


「……ハァ、全くもう……」



そんなこんなで二時間目が終わり、次は体育の授業。一組の教室で男子が着替え、私達女子は二組の教室で着替える。



「へっへ〜ん、覚悟せえよ那奈、今日はウチら二組には新戦力がおんねん」


「新戦力?」


「おぅ、今日転校生が来たんよ、ウチのクラス」


「えー! 転校生!うそー!!」



小夜はその話を聞いて教室中を背伸びして見渡した。私も軽く周りを見渡したが、それっぽい生徒は見当たらない。



「なにその転校生、私より足速いの?」


「おぅ、間違いなく速いで〜! なんてったって陸上選手やで!」


「……マジ?」



転校生と言う言葉に反応した私達を見て、翼は自分の事でもないのに何か得意気に喋り始めた。



「……つーかアレやでオマエら、転校生の名前聞いたらブッたまげるで?」


「えー、何で? あたし達が知ってる人?」


「……小夜は覚えてへんやろな、昨日の夜に何食べたか忘れるくらいやし、ウチは名前聞いてすぐにピンと思い出したわ」



小夜は覚えていない、という事は最近会った人間では無いという事だろうか?



「……誰よ?」


「まぁまぁ、運動場に行けばわかるわ、何か先週のリレーの話したらメッチャやる気満々になってな、先に着替えてもう運動場に行ってしもたみたいやけどな」


「……だから誰よ?」


「会えばわかるって言っとるやろ? オマエの反応が楽しみやなぁ、ウヒヒッ」



ニヤニヤと含み笑いをしながら翼は教室から出て行った。



「……何なの? 誰……?」



なんか変な不安と同時に、何か新しい事が始まるんじゃないかと少しワクワクしている自分がいた。 


「小夜、早く来なよ! 授業始まっちゃうよ!」


「待ってー! 待ってよ那奈!」



着替え終わった私達は運動場に出て背の順に整列をした。私は背が高く一番後ろなので、女子全員を簡単に見渡す事が出来る。

が、しかし、見渡す必要も無く例の転校生はすぐ隣に並んでいた。


背は私より少し小さいが長身で体格はスラッとしており足が長い。しかし、それよりも目立つのは、この学校には同じタイプが居そうに無いその容姿。

転校生特有の他校の体操着は別として、茶髪がかった長い髪を左右に束ね、整列中からして何かモデル立ち。

いかにもギャル系、いや、今でいうプチセレブといったところか。私が一番苦手なタイプだ。



(……見ても誰だか全然わかんないなぁ……)



翼は会えばわかると言っていたが、私には過去にも現在にも思い当たる人間が全くいない。 

しばらく横目でチラチラと彼女を見ていたら、こちらの視線に気づいたみたいで突然私の方にクルッと振り向いた。



「アンタ、渡瀬那奈、でしょ?」



名乗ってもいないのに彼女は私の名前を知っている。どうやら向こうは私の事をしっかり覚えているみたいだ。



「……そう、だけど……?」


「やっぱりねぇ〜、翼が一番背の高い娘だって言ってたからすぐわかったわよ、でも思ってたより背が高いのね〜、見てビックリしちゃった」



翼に言われて私だとわかったって事は、やはり最近の話では無い。かなり昔の小さい時の話だろうか。



「……悪いんだけどさぁ、誰? 私よく覚えてないんだけど」


「えっ〜、覚えてないのぉ? なんか超ショックって感じ〜」



……うわっ、うぜぇ、この喋り方……



「まぁ、しょ〜がないかなぁ、ちっちゃい頃の話だし、そんなに話もしなかったしねぇ〜、確か翔太君のお父さんのお葬式の時だったかしら?」



翔太の事まで知っているとは。お葬式? もう十年近くも昔の話だ。



「後ろ! 何喋ってる!」



私達の喋り声が大きかったみたいで、先生から注意を受けてしまった。



「ハーイ、すいませ〜ん、じゃ、またあ・と・で!」



……何なんだこのキャラは。もう全然誰だかわからない。私の頭の中はさらに混乱してきた。


結局、誰だかわからないまま授業が始まった。二人一組になって小夜とストレッチをしてる間も私の頭の中は何かもやもやしていた。



「ねーねーねー、那奈、転校生の娘と喋った? 誰だかわかった?」


「……いや、全然わかんない……」


「えー! だって翼は会えばわかるって言ってたじゃーん!」


「……そんな事言ったってわからないものはわからないって!」



イラッときた私は足を広げて柔軟体操をしている小夜の背中を少し強く押した。



「イタイイタイイタイ! 那奈痛いよー!」


「アンタ、本当に身体堅いね……」



ふと、例の転校生の方を見ると、彼女は翼と仲良く喋りながらストレッチをしている。

どうやら二人は意気投合したみたいだ。多分、翼はすでに彼女が誰だかもうわかってるんだろうけど。



「……全然思い出せないな……」



その後の授業ではなかなか彼女と接触するが無く、結局誰だかわからずじまい。二時間あった体育授業も終わりの時間が近づいてきた。



「……じゃあ、最後はこの前やった組別リレーをまたやるか!」



……先週やったのにまたやるの? ちゃんと授業は進んでいるのかな?



「よっしゃ! この時を待ってたで! 再齠はきっちりリベンジしたるわ!」



翼のテンションが高い。いちいち付き合ってられないよ全く……。


やる気の無い私をよそに、先に男子のリレーが始まった。その間に私達一組女子は集まって走る順番を相談していた。



「ねぇ、どうしようか」


「渡瀬さん、順番決めちゃってよ」



新学期早々から、私はいつの間にかこのクラスでもリーダーにされてしまった。私の何に期待してんのかこのクラスメイト達は。



「……この前といっしょでいいんじゃない? とりあえず小夜までにみんなで少しリード作ってよ、最後は私が走るから」


「はーい、小夜、了解しましたー!」


「アンタが一番問題なんだよ!」



男子のリレーが終わった。どうやら二組が勝ったらしい。何かクラス全体でリベンジに向けて気合いが入っている。


一組の方が足の速い女子生徒が多いので負けるなんて事は無いと思うが、何といっても前回の例がある。

前回のリレー、途中で小夜が思いっきりすっ転んで二組に追いつかれた。しかし最後は私と翼が一騎打ちで走ってなんとか私が勝った。 

翼はあんな小さい身体に似合わず運動神経が良く、サッカーをやってたりするので足が速い。

しかしアンカーで私が翼を抑えればまず勝利は確定。問題はあの転校生がどれくらいの実力者なのか。



「……陸上選手だって言ってたけど本当かな……」



パアァァン!!



わざわざスターターガンまで用意して華々しくリレーが始まった。やはり一組の方が足が速く、次第に二組とのリードが広がっていく。



「小夜、アンタの番だよ! 今日は転ばないでよね!」


「うん! 頑張る!」



小夜はラインの上に立ってスタンディングスタートの準備をした。が、しかし……。



「……小夜、手が逆だよ……」


「……ほぇ?」



右手と右足を一緒に前に出している。いい加減にしてよ、もう……。



「ウヒヒッ、転んでも転ばんでも今日はオマエらの負けやで〜」



へなちょこスタートの準備をしている小夜の隣に、翼が手足をブラブラしながらスタートラインに並んだ。



「えっー、何でー? 翼、アンカーじゃないのー!?」


「アホか小夜、どうせオマエらの考えてる事なんかお見通しや、小夜が足引っ張った分、最後に那奈が挽回する寸法やろ?」



……全くもってその通り。つーかそれしか勝つ方法が無いっつーの。



「ここで先にウチが小夜をブッちぎったるねん!」


「えっー! ムリむり無理だよー! あたし、翼になんか勝てないよー!」



スタートライン上で小夜がドタバタし始めた。バトンを持った前の走者がもうそこまで来ている。



「小夜、いいから走って! ほら、バトン来たよ!」


「えっー!?」


「ほら、前向いて走れ走れ走れ!!」



バトンを渡された小夜がなんとか走り始めた。しかしやはり足は遅い、わかってはいたが遅い。



「よっしゃ! 再齠はウチらの勝ちやな、那奈!」



遅れてバトンを受け取った翼が全力で小夜を追いかけ始めた。全く、小夜相手に大人気ない。

しかし、かなりのリードがあるとはいえ、この速さの差なら間違いなく小夜は私の前で抜かれる。



「翼がアンカーじゃないということは、やっぱり……」



予想通り、二組のアンカーはあの転校生だった。私は無言でスタートラインに並んで準備運動をした。



「アンタ、足速いんだってねぇ、翼から聞いてるわよ」


「………………」


「アタシ、陸上やってるからハンパなく足速いわよ、勝てるかしら?」



しかし、私が気になるのは足の速さよりも彼女の正体。



「……ねぇ、本当に誰だかわからないからいい加減教えてよ、アンタ誰なの?」


「えっ〜、まだわからないの? じゃあヒントあげよっかな〜?」


「ヒント?」


「そう、重大ヒントよ、アタシね、千夏って名前なんだけど、名字『三島』っていうのよね」


「……!!」



はいはいはいはい、あぁ、なるほど。その名字を聞いて私はすぐに理解した。私の記憶の中で『三島』という名字はあの人物しか思い浮かばない。

同い年の女の子がいるとは聞いた事があったけど、こんな娘だったとは。それよりも、同じ学校に転校してくるなんて夢にも思わなかった。


でも、これですっかり胸の支えは取れた。が、しかしリレーの戦況は極めて困難な状況になっていた。あれだけあったリードはみるみるうちに縮まり、小夜のすぐ真後ろに翼が迫っていた。



「……ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……」


「…追いついた! もろたで〜、小夜!」



……これはマズい、こうなったら奥の手を使うしかない。



「小夜、小夜! 後ろ、後ろ! この前の鬼チワワ犬が来てるよ!!」


「……ハァ!?」



全生徒が『何じゃそりゃ?』って顔をして私を見ている。私だってわかるかそんなもん、しかし、ちゃんと小夜には通じた。



「えっー! うそー!!」


「振り向いちゃダメ! 速く、速く走って! 速くしないとお尻かじられちゃうよ!!」


「イヤ―――ーー―ッ!!」



脅し作戦大成功。小夜はさっきよりも倍近い速さで走り始めた、というか逃げ始めた。



「何やて〜!?」


「うそぉ〜!?」



翼が絶叫したのに続いて、隣で転校生も驚きの声をあげた。まぁ、無理もない、これが全世界が震撼する『小夜のバカ力』なのだから。



「ほら、速く私にバトン渡して!!」


「やだヤダやだヤダやだヤダやだヤダ――ーー!!」



私は逃げ惑う小夜を捕まえ、無理やりバトンを奪って走り出した。



「……おい! きったないで〜、那奈!!」


「いいわ、翼! これくらいハンデよハンデ!!」


 

彼女も翼からバトンを受け取り凄い速さで私を追いかけてきた。


最初はどうでもよかった組別リレーの勝敗。しかし、転校生の正体がわかった今、私は彼女に負けたくなくなった。

別に私と彼女の間には何か因縁がある訳でもないしライバル視もしていない。

もしかしたら、この『負けたくない』という感情は、私達それぞれが父親から譲り受けた血の本能なのかもしれない。


私は久し振りに全力で走った。しかし、後ろから徐々に彼女が近づいて来てるのがわかった。



「……この娘、速い! 速すぎる!!」



『小夜のバカ力』で出来たリードもなくなり、彼女にぴったりと真横に並ばれた。



「……捕まえたわ!」


「……くっ!」



私もこのまま抜かれる訳にはいかない。うまくカーブの内側に入って彼女に前に行かれるのを必死でブロックする。



「……っもう!しぶといわね!!」


 

最後の直線、私は全力で一気に駆け抜けた。ゴールの辺りで彼女に並ばれたのはわかったが、どっちが勝ったかまではわからなかった。


酸欠になった私はそのままばったりとコースに倒れ込んだ。まともに息が出来なくなる程に体力を消耗していた。



「……ハァ、ハァ、ハァ……」



久し振りに全力を出し尽くした気がする。勝ったとしても負けたとしても、なんか清々しい気分だ。



「……思ってたより速いじゃない、Good job!」


「……ハァ、ハァ……」



私は差し出された手に捕まり起き上がった。しかし、こっちは虫の息なのに、彼女は普通に立っていて呼吸もしっかりしている。どうやら陸上選手というのは本当の話みたいだ。



「しっかしアンタ、負けず嫌いよねぇ、きっちりインを塞いでブロックまでしてさ」


「……まあね」


「お父さんの影響?」


「……さぁ?」



彼女もわかっていたみたいだ。私の父親と彼女の父親の関係を。



「アタシは負けんの大っ嫌いだけどね、その辺はパパによく似てるって言われるわ」


「……で、素人相手に全力疾走?」


「素人だろうが関係ないわよそんな事、アタシは勝てればそれでいいの」



結果優先主義か。確かに父親と良く似ているかも知れない。



「で、一組と二組、どっちが勝ったの? 必死だったから全然わかんないんだけど……」

 

「アタシはゴール前で追い抜いたつもりなんだけどなぁ、どうだったのかしら?」



私達が喋っているその頃、ゴール前では翼が先生に向かってわめき散らかしていた。



「ウチらの勝ちやろ! 最後絶対追い抜いたで! なぁ、先生!?」


「……正直わからん、わからんから引き分けでいいかな?」


「えっー!? そりゃないわ! 絶対ウチらが勝ったって!!」



翼が飛び跳ねながら必死にアピールしているが、背が小さいので他の生徒の影に隠れてしまい、先生に全く相手にされていない。



「……私達以上に勝負にこだわってるヤツがいるね……」


「……まぁいいかなぁ、再齠は勝ち負けどっちでもね、一部の人達は三島と渡瀬、どっちが勝ったかあいまいの方がいいんじゃない?」


「……まぁ、確かにどうでもいいけどね」



先生の判定に納得出来ない翼がズカズカと私達に近づいてきた。


 

「オイ、那奈! 今日は絶対ウチら二組の勝ちやで! ゴール前で千夏がオマエを追い抜いたのをウチはしっかりと見とったからな!」


「……うるさいよ翼、アンタいちいちさぁ」


「……ハァ!?」


「勝とうが負けようがどっちだっていいわよ、そんなもん」



騒がしい翼を無視して、私はタオルで汗を拭いた。



「ちょっと待てや! さっき小夜使ってあんなズルして勝ちを狙いにいっとったやないか!? それを棚に上げて何やその態度は!?」



あっ、そうだ、すっかり忘れてた。あの天然娘。



「なぁ、千夏! ウチら絶対勝ったよな、勝ったよな!? なぁ!?」


「さぁ、ねぇ〜? ギャーギャー騒いでる翼を見てたら何かシラケてきちゃった〜」


「何や何や何や、オマエまで! めっちゃ腹立つわ、ウチ一人だけこんなに必死かい! そもそもリレー絶対勝ちたい言い出したんは千夏オマエやろが!!」


「……翼、ちょっと黙れ」



私は翼の選挙広報車並みにうるさい口にズボッとタオルを突っ込んだ。



「ふごっ、がっ……! 何をすんねんオマエは!」


「……あのさ、アンタ達、小夜がどこ行ったか知らない?」


「……あれ?」



その日の放課後、二組の教室の掃除ロッカーに号泣しながら隠れていた小夜を掃除当番が見つけた。


私、小夜、翼。ただでさえ個性の濃いこの三人の輪に千夏が馴染むのに時間はかからなかった。


こうして私達の物語は賑やかに幕を開けた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ