伝説の怪鳥
「さすがの俺でも、あれを相手に、腕力ではいささか分が悪い……」
桃太郎が腕組みをして、ぽつりとしかつめらしく言ったのは、鬼ヶ島から逃げ戻って半日近く経ってからのことだった。
砂浜で火を囲む俺たちの上には、すでに星空が広がっていた。
桃太郎はどうでもいいが、ササモリの石礫が効かないということは、俺にとっては深刻な計算違いだった。
「どうするのだ、桃さん。やめようか?」
イヌカイが、無邪気に言った。
「慌てるな。腕力では、と言ったのだ」
「と言うと?」
「ここよ――」
と、桃太郎はこめかみのあたりをトントンと指さし、
「ここを使うのだ」
したり顔で言った。
「と言っても、お前の中身の軽い頭では、大した打撃になるとも思えんがな」
「トメっちは馬鹿だな。頭突きをするのではない。頭脳を使うということだ」
桃太郎は、俺の皮肉に気付かなかったらしい。
「それならなおのこと不安だ」
「案ずるな、俺が優れているのは剣だけではない。我が神算鬼謀をもってすれば、なんの鬼ごとき……」
「辛酸希望か。お前に被虐嗜好があるとは知らなかった。それで鬼が呆れて戦意を喪失するという寸法か」
次の日になると、桃太郎は近隣の村々をまわり、せっせと酒を買い出した。
「ところで、この金はどこから出てきた」
「あの例のババアの家にあったものだ」
「……」
「なに、気にするな。鬼の財宝が手に入ると思えば、この程度ははした金よ」
そうして集めた酒を、舟に積めるだけ積んで、再び鬼ヶ島へ渡った。
鬼ノ城の門の前に、酒樽を置き、イヌカイを残して、そそくさと離れの岩陰に隠れる。
「よし、いいぞ」
イヌカイはうなずくと、
「やあやあ鬼さま鬼さま、我は桃太郎の一の家臣、イヌカイなり。先日は無礼つかまつった」
わんわんと吠えた。
「ついてはその詫びとして、心ばかりの品を持参した。どうかご笑納下されたい」
言い終わると、イヌカイは反応を待たずに身を翻し、俺たちのいる岩陰に駆け込んできた。
「どうだった、桃さん」
「上々だ、練習の甲斐があったな」
桃太郎が頭を撫でると、イヌカイは嬉しそうに尻尾を振った。
俺たちは、岩陰からそっと様子をうかがった。
「鬼は、酒が大好物だという……酔い潰してしまえばこっちのものだ。どうだこの智謀奇略、完璧だろう」
「……」
たいした策でもないので無視していると、桃太郎は得意気に続けた。
「いや実はな、これには元があるのだ。それ、ヤマタノオロチを倒したスサノオノミコトの故事にならったのよ」
「……」
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという。俺は、歴史に学ぶ賢者というわけだ」
「なるほど、ところでその賢者様に質問があるのだが」
「なんだねトメくん」
「どうして酒に毒を混ぜなかったのだ」
桃太郎は、首を傾げた。
「……なるほど、歴史の盲点というやつだな」
「お前の盲点だ」
「しっ。来るぞ」
ササモリが、小声で言った。
見ると、門扉が薄く開き、影がのぞいている。
どうやら、置かれた酒樽を怪しんでいるらしい。
と、蹴飛ばしたものか、突然酒樽がゴロゴロと転がり落ちてきて、
「危なっ!」
俺たちの隠れている岩に当たって砕け、中の酒がぶちまけられた。
辺りに酒の臭気が満ち、俺は降り注いだ酒を頭からかぶって、倒れた。
ぐるぐる回る地面を頬に感じながら、
「悪くない味だ」
という、ササモリの声を遠くに聞いた……。
がんがんと頭の割れるような痛みの中、桃太郎の次なる策を聞かされたとき、俺は初めて、この男を心底恐ろしいと思った。
山間の茅葺きの家の前に立った俺たちの姿を認めるや否や、
「あっ、おのれらは!」
老婆は、反射的に置かれた鉈に手を伸ばした。
「たっ!」
「うっ」
鉈に手が届く寸前、桃太郎の剣が一閃して、不幸な老婆は再度棒になって倒れた。
城壁を越え、鬼の居館と思しき建物の上空まで来ると、俺は、クチバシに咥えた紐の先に吊られた椀を足で返し、中の液体をぶちまけた。
液体は、狙いを外すことなく、建物の屋根にかかった。
岩陰に隠れた桃太郎たちのところに戻ると、桃太郎は桶から柄杓で液体をすくい、空になった椀に、それを注いでいく。
椀が満たされると、俺はまた紐を咥えて、その液体を鬼の館に降らしていった。
それを何度か繰り返したとき、館の中から、だだっと鬼が飛び出してきた。
「だ、誰だ、何をしている!」
と怒鳴りながら周囲を見回しているが、こちらには気づいていない。
俺は、鬼めがけて液体を降らせたが、残念ながらこれは外れ、鬼の足元にびちゃびちゃと落ちた。
それで、こちらに気づいた。
「うぬっ、貴様か! 何を――」
と言いかけて、鬼は顔を手で覆い、
「くっ、臭い! 何だこれは!」
と、悶絶し始めた。
液体の正体は、ヘクソカズラ、ドクダミ、コクサギなどの葉をすり潰して溶かしこんだ汁に、牛糞と、老婆から強奪した熟れ鮨を混ぜ合わせたものだった。
「ううむこいつはたまらん、ええい、やめぬか!」
「どうだ、参ったか――」
「なに!?」
「参ったら、参りましたと言え。そうすれば、やめてやってもいいぞ」
「うぬっ、キジごときが図に乗りおって――」
と、鬼は肌だけでなく、眼までを赤くして、髪を逆立てた。
「逃げ回らずに降りてきて戦え、この卑怯者め! 焼き鳥にして喰ってくれるわ!」
ぶんぶんと金棒を振り回すが、ここまで届くはずもない。
「おお、こわやこわや。あまりの怖さに、つい漏らしてしまうわ」
と、俺は残った液体を降らせてやった。
鬼は、慌てて軒下に転げ込んで避けた。
「かっかっかっ」
この液体は、一晩置いたくらいでは、臭いが消えることはない。
それを俺は、七日間、毎日降らせ続けてやった。
ときどき、鬼は火がついたように飛び出てきて、石を投げたり矢を射掛けてきたりしたが、いずれも高く飛んで逃れる俺までは届かない。
八日目、島全体が悪臭に覆われるようになった頃、ついに鬼は、城門をとぼとぼと出てきて、俺に向かって両手を振った。
「参った参った、降参だ。頼むから、やめてくれい」
鬼を座らせて取り囲むと、桃太郎は命じていった。
「抵抗せぬよう縛る。両手を前に出せ」
鼻のいいイヌカイは、香草をすりこんだ布で、顔をぐるぐる巻きにしていた。
それでも臭いがきついらしく、ときおり咳き込んだりしていた。
鬼は、すっかり抵抗する気力が失せたと見え、素直に両手を差し出した。
しかし、縄をかけようとすると、どうしたことか、縄はするりと鬼の手をすり抜けた。
「あっ!?」
不可思議な現象に警戒したものか、桃太郎は反射的に腰を落として、刀の柄に手をかけた。
「いや、待て待て、待ってくれ――」
慌てて鬼が腕を一振りすると、突然、鬼の体が、空気が抜けるようにしゅるしゅるとしぼみ始めた。
「ややっ、これは……」
鬼の体は縮み続け、それが止まったとき、そこにいたのは、背丈が桃太郎の腰の高さまでもないほどの、ちんまりとした小鬼だった。
いや、小さいだけではなく、顔つきといい体つきといい、どう見ても鬼の子供だった。
「んっ」
子鬼は、ふてくされたように両手を突き出した。縛れということらしい。
「どうしたことだ、これは……」
桃太郎は、茫然とつぶやいた。
「早く縛れ」
子鬼は、急かすように言った。
げっそりとやつれ、目の下に、濃いクマが浮いている。臭いで、眠れなかったのだろう。
「いったい、何をしたのだ」
桃太郎が問うと、子鬼は木の槌を差し出した。
「これだ」
「なんだ、その小汚い槌は」
「打ち出の小槌だ」
「なに!?」
と、桃太郎は目をむいた。
「というと、これがあの、隠れ蓑、隠れ笠と並ぶ鬼の宝具の一つか」
「そうだ。早く縛れ」
「まあ置け。では、これで体を小さくしたのか、それとも、もともと小さいのをこれで大きくしていたのか」
「もともと俺はこの大きさだ。しかし、打ち出の小槌とは、体の大きさが変わるような、そんなものではない」
「どういうことだ」
「隠れ蓑、隠れ笠は見える物を見えなくし、打ち出の小槌は見えない物を見えるようにする。いずれにしても、見た目がそうなるというだけで、実体は変わらないということだ」
「それで合点がいった」
と、ササモリが口を挟んだ。
「石の礫は当たったように見えたが、実際には当たっていなかったのだな」
そして安心したように、ぽつりと、効かないわけだ、と付け加えた。
「では、この打ち出の小槌を使って、財宝を出すことは――」
「その場は騙すことは出来ても、すぐにばれるだろうな」
「なんということだ……!」
桃太郎は、がっくりと膝をついた。
「それにしても、お前のような小童が、なぜかかる悪事を働いた」
俺が問うと、
「なんの話だ」
子鬼は、口を尖らせて返した。
「とぼけるな。あたりの村々を襲って、略奪の限りを尽くしただろうが」
「ふん!」
今度は、口をへの字に曲げて、
「そんなことはしておらん」
昂然と言った。
「しかし、鬼に襲われて人々が困っていると――」
「誰に聞いた」
「誰って……」
と、桃太郎の顔を見た。
「お前は、その襲われたという村人に会ったのか」
子鬼に水を向けられると、桃太郎は、
「いや、俺は爺さまから、その話を聞いて……」
「会っていないのだろう」
「まあ、そうだ」
「当然だ。そんな者はいないのだからな」
「つまり、村人を襲ったというようなことなどない、と?」
俺が問うと、
「そう言ってる」
子鬼は、叩き返すように言った。
「証拠はあるのか」
「そんなもの、近くの村人にでも聞けばわかることだ」
そう言われてみれば、舟を手に入れた漁村も、酒を買った村も、鬼に荒らされたような様子はなかった。
「なるほど、そうなると――」
「あっ、なんだその目は」
「お前かお前の爺さま、どちらかが嘘をついている、と……」
「ひどいなトメっち。よく見ろ、これが嘘をついている者の目か」
「魚の死んだような……やはりお前の虚言か」
「そうではない――」
と、桃太郎の言う前に否定したのは、子鬼のほうだった。
「そういう噂はある。その噂が間違っているのだ」
「……どういうことだ?」
子鬼の語るところによると、元々この鬼の一族は、盗賊や害獣から村人を守ったり、力仕事を手伝ったりして、この地方の守護者として古くから敬われていたのだという。
しかし、これを快からず思っていた朝廷は、十年ほど前、ついに「貢物を横奪した」と、あらぬ非を鳴らし、鬼討伐に乗り出した。
この時これを迎え撃ったのが、子鬼の父親だった。
「そうか、父御が……で、その父御は今どこに?」
俺が問うと、
「おっ父うなら死んだ」
子鬼は、ぽつりと言った。
「では、その時の戦いで」
「馬鹿言え、おっ父うが人間なんかにやられるか。去年の冬、風邪をこじらせてポックリと逝っちまったんだ」
「鬼の霍乱というやつだな」
「なんか言ったか桃の字」
討伐軍は撃退したものの、面目を丸潰れにされた朝廷はおさまりがつかず、一計を案じた。
つまり、例の桃太郎の聞いたような噂を流したのだ。
すると、これを討ち取って名を上げ、富と名声を一挙に手に入れようという腕自慢の武芸者などが、各所から集まってくる。
その中の誰かが鬼を倒す、というのを朝廷は狙ったのだろう。
しかし狙いは外れ、子鬼の父親にことごとく返り討ちにあった。
「負けた連中は、おっ父うに殺されるものと早合点して、これをやるから命だけは助けてくれと、勝手に武具や金品を置いて退散していくのだ」
その悔しまぎれの腹いせに、彼らは行く先々で、鬼の悪行の噂に尾ひれ背びれをつけて吹聴していったのだった。
「ひどいではないか。我らが何をした。自らの身を守っただけではないか」
生まれてすぐ母親をなくしていた子鬼は、父親亡きあと、打ち出の小槌を使って襲い来る刺客を追い払いながら、どうにか独りで生き延びてきたという話だった。
「そうか、それは大変だったな」
桃太郎は、感じ入ったように何度もうんうんとうなずき、眼元をぬぐっていた。
「鬼の目にも涙……」
俺がつぶやくと、
「角はないようだが、こいつも鬼なのか?」
真面目な顔で、子鬼が聞いてきた。
「角は、目に見えるものばかりとは限らんぞ」
子鬼が首をかしげたとき、
「よし、わかった!」
いきなり、桃太郎が膝をバンと打った。
「このような話を聞いては、黙っておれるものではない。非道を見過ごし、弱者が虐げられるのを看過したとあっては、この桃太郎の男が廃る。ここは一つ、俺に預けてもらおう」
「預ける……といって、何をするのだ」
「知れたことよ。このいじらしい鬼の子が、これ以上脅かされることなく、平らかに暮らしていけるようにするのだ」
子鬼は、目をパチクリとさせた。
「そんなことが、できるのか」
「なんの、この日の本一の快男児、桃太郎に出来ぬことなどない。大船に乗っているがいい」
「ふうむ」
「しかし、それには一つ、必要な物がある」
「というと?」
「とりあえず、宝物庫に案内してもらおうか――」
城の宝物庫に入ると、天井までぎっしりと金銀財宝が積まれていた。
「すごいな」
桃太郎は、吐息とともに陶然とつぶやいた。
「これを全部、武芸者たちが置いていったのか?」
俺が尋ねると、子鬼は頭を振った。
「まさか。ほとんどが、近くの村から寄進されたものだ」
桃太郎は、満足気にうなずくと、
「よし、鬼の子よ、一つ、借りたい物があるのだが――」
と、子鬼に何か耳打ちして、くるりとこっちを向いた。
「トメっち、お前にも、一肌脱いでもらうぞ」
それからしばらくして、都に、一つの奇妙な噂が聞かれるようになった。
姿の見えない妖鳥が、ある文書をばらまいているというのだ。
その文書によると、桃から生まれた桃太郎という男が、犬、猿、キジの仲間とともに、鬼ヶ島の鬼を退治したとのことだった。
妖鳥の存在の神秘性が、その文書の内容に不思議な説得力を与え、噂は瞬く間に広がった。
言うまでもなく、その妖鳥とは、鬼の宝具の一つ、隠れ蓑で姿を消した、俺だったのだが……。
いずれこの話は、日の本じゅうに伝わってゆくのかもしれない。
「渡る世間に鬼はなしというが、本当だな」
後日、子鬼の様子を見に行ったとき、子鬼は目に涙を浮かべて感謝した。
お前が言うな、という代わりに、俺は優しく、こう諭してやったものだ。
「鬼ばかりではないが、善人ばかりでもないぞ。寺の隣にも鬼が住むという言葉もある。あまり頭から人間を信用しないほうがいい――」
なにしろ桃太郎は、鬼退治の話に信憑性を持たせるための証拠と称して、子鬼の財宝を半分以上も持ち帰ってしまったのだから……。