表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
キジキジ  作者: 伊佐神丈
4/4

伝説の怪鳥

「さすがの俺でも、あれを相手に、腕力ではいささか分が悪い……」

 桃太郎が腕組みをして、ぽつりとしかつめらしく言ったのは、鬼ヶ島から逃げ戻って半日近く経ってからのことだった。

 砂浜で火を囲む俺たちの上には、すでに星空が広がっていた。

 桃太郎はどうでもいいが、ササモリの石礫が効かないということは、俺にとっては深刻な計算違いだった。

「どうするのだ、桃さん。やめようか?」

 イヌカイが、無邪気に言った。

「慌てるな。腕力では、と言ったのだ」

「と言うと?」

「ここよ――」

 と、桃太郎はこめかみのあたりをトントンと指さし、

「ここを使うのだ」

 したり顔で言った。

「と言っても、お前の中身の軽い頭では、大した打撃になるとも思えんがな」

「トメっちは馬鹿だな。頭突きをするのではない。頭脳を使うということだ」

 桃太郎は、俺の皮肉に気付かなかったらしい。

「それならなおのこと不安だ」

「案ずるな、俺が優れているのは剣だけではない。我が神算鬼謀をもってすれば、なんの鬼ごとき……」

「辛酸希望か。お前に被虐嗜好があるとは知らなかった。それで鬼が呆れて戦意を喪失するという寸法か」


 次の日になると、桃太郎は近隣の村々をまわり、せっせと酒を買い出した。

「ところで、この金はどこから出てきた」

「あの例のババアの家にあったものだ」

「……」

「なに、気にするな。鬼の財宝が手に入ると思えば、この程度ははした金よ」

 そうして集めた酒を、舟に積めるだけ積んで、再び鬼ヶ島へ渡った。

 鬼ノ城の門の前に、酒樽を置き、イヌカイを残して、そそくさと離れの岩陰に隠れる。

「よし、いいぞ」

 イヌカイはうなずくと、

「やあやあ鬼さま鬼さま、我は桃太郎の一の家臣、イヌカイなり。先日は無礼つかまつった」

 わんわんと吠えた。

「ついてはその詫びとして、心ばかりの品を持参した。どうかご笑納下されたい」

 言い終わると、イヌカイは反応を待たずに身を翻し、俺たちのいる岩陰に駆け込んできた。

「どうだった、桃さん」

「上々だ、練習の甲斐があったな」

 桃太郎が頭を撫でると、イヌカイは嬉しそうに尻尾を振った。

 俺たちは、岩陰からそっと様子をうかがった。

「鬼は、酒が大好物だという……酔い潰してしまえばこっちのものだ。どうだこの智謀奇略、完璧だろう」

「……」

 たいした策でもないので無視していると、桃太郎は得意気に続けた。

「いや実はな、これには元があるのだ。それ、ヤマタノオロチを倒したスサノオノミコトの故事にならったのよ」

「……」

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという。俺は、歴史に学ぶ賢者というわけだ」

「なるほど、ところでその賢者様に質問があるのだが」

「なんだねトメくん」

「どうして酒に毒を混ぜなかったのだ」

 桃太郎は、首を傾げた。

「……なるほど、歴史の盲点というやつだな」

「お前の盲点だ」

「しっ。来るぞ」

 ササモリが、小声で言った。

 見ると、門扉が薄く開き、影がのぞいている。

 どうやら、置かれた酒樽を怪しんでいるらしい。

 と、蹴飛ばしたものか、突然酒樽がゴロゴロと転がり落ちてきて、

「危なっ!」

 俺たちの隠れている岩に当たって砕け、中の酒がぶちまけられた。

 辺りに酒の臭気が満ち、俺は降り注いだ酒を頭からかぶって、倒れた。

 ぐるぐる回る地面を頬に感じながら、

「悪くない味だ」

 という、ササモリの声を遠くに聞いた……。


 がんがんと頭の割れるような痛みの中、桃太郎の次なる策を聞かされたとき、俺は初めて、この男を心底恐ろしいと思った。

 山間の茅葺きの家の前に立った俺たちの姿を認めるや否や、

「あっ、おのれらは!」

 老婆は、反射的に置かれた鉈に手を伸ばした。

「たっ!」

「うっ」

 鉈に手が届く寸前、桃太郎の剣が一閃して、不幸な老婆は再度棒になって倒れた。


 城壁を越え、鬼の居館と思しき建物の上空まで来ると、俺は、クチバシに咥えた紐の先に吊られた椀を足で返し、中の液体をぶちまけた。

 液体は、狙いを外すことなく、建物の屋根にかかった。

 岩陰に隠れた桃太郎たちのところに戻ると、桃太郎は桶から柄杓で液体をすくい、空になった椀に、それを注いでいく。

 椀が満たされると、俺はまた紐を咥えて、その液体を鬼の館に降らしていった。

 それを何度か繰り返したとき、館の中から、だだっと鬼が飛び出してきた。

「だ、誰だ、何をしている!」

 と怒鳴りながら周囲を見回しているが、こちらには気づいていない。

 俺は、鬼めがけて液体を降らせたが、残念ながらこれは外れ、鬼の足元にびちゃびちゃと落ちた。

 それで、こちらに気づいた。

「うぬっ、貴様か! 何を――」

 と言いかけて、鬼は顔を手で覆い、

「くっ、臭い! 何だこれは!」

 と、悶絶し始めた。

 液体の正体は、ヘクソカズラ、ドクダミ、コクサギなどの葉をすり潰して溶かしこんだ汁に、牛糞と、老婆から強奪したずしを混ぜ合わせたものだった。

「ううむこいつはたまらん、ええい、やめぬか!」

「どうだ、参ったか――」

「なに!?」

「参ったら、参りましたと言え。そうすれば、やめてやってもいいぞ」

「うぬっ、キジごときが図に乗りおって――」

 と、鬼は肌だけでなく、眼までを赤くして、髪を逆立てた。

「逃げ回らずに降りてきて戦え、この卑怯者め! 焼き鳥にして喰ってくれるわ!」

 ぶんぶんと金棒を振り回すが、ここまで届くはずもない。

「おお、こわやこわや。あまりの怖さに、つい漏らしてしまうわ」

 と、俺は残った液体を降らせてやった。

 鬼は、慌てて軒下に転げ込んで避けた。

「かっかっかっ」

 この液体は、一晩置いたくらいでは、臭いが消えることはない。

 それを俺は、七日間、毎日降らせ続けてやった。

 ときどき、鬼は火がついたように飛び出てきて、石を投げたり矢を射掛けてきたりしたが、いずれも高く飛んで逃れる俺までは届かない。

 八日目、島全体が悪臭に覆われるようになった頃、ついに鬼は、城門をとぼとぼと出てきて、俺に向かって両手を振った。

「参った参った、降参だ。頼むから、やめてくれい」


 鬼を座らせて取り囲むと、桃太郎は命じていった。

「抵抗せぬよう縛る。両手を前に出せ」

 鼻のいいイヌカイは、香草をすりこんだ布で、顔をぐるぐる巻きにしていた。

 それでも臭いがきついらしく、ときおり咳き込んだりしていた。

 鬼は、すっかり抵抗する気力が失せたと見え、素直に両手を差し出した。

 しかし、縄をかけようとすると、どうしたことか、縄はするりと鬼の手をすり抜けた。

「あっ!?」

 不可思議な現象に警戒したものか、桃太郎は反射的に腰を落として、刀の柄に手をかけた。

「いや、待て待て、待ってくれ――」

 慌てて鬼が腕を一振りすると、突然、鬼の体が、空気が抜けるようにしゅるしゅるとしぼみ始めた。

「ややっ、これは……」

 鬼の体は縮み続け、それが止まったとき、そこにいたのは、背丈が桃太郎の腰の高さまでもないほどの、ちんまりとした小鬼だった。

 いや、小さいだけではなく、顔つきといい体つきといい、どう見ても鬼の子供だった。

「んっ」

 子鬼は、ふてくされたように両手を突き出した。縛れということらしい。

「どうしたことだ、これは……」

 桃太郎は、茫然とつぶやいた。

「早く縛れ」

 子鬼は、急かすように言った。

 げっそりとやつれ、目の下に、濃いクマが浮いている。臭いで、眠れなかったのだろう。

「いったい、何をしたのだ」

 桃太郎が問うと、子鬼は木の槌を差し出した。

「これだ」

「なんだ、その小汚い槌は」

「打ち出の小槌だ」

「なに!?」

 と、桃太郎は目をむいた。

「というと、これがあの、隠れ蓑、隠れ笠と並ぶ鬼の宝具の一つか」

「そうだ。早く縛れ」

「まあ置け。では、これで体を小さくしたのか、それとも、もともと小さいのをこれで大きくしていたのか」

「もともと俺はこの大きさだ。しかし、打ち出の小槌とは、体の大きさが変わるような、そんなものではない」

「どういうことだ」

「隠れ蓑、隠れ笠は見える物を見えなくし、打ち出の小槌は見えない物を見えるようにする。いずれにしても、見た目がそうなるというだけで、実体は変わらないということだ」

「それで合点がいった」

 と、ササモリが口を挟んだ。

「石の礫は当たったように見えたが、実際には当たっていなかったのだな」

 そして安心したように、ぽつりと、効かないわけだ、と付け加えた。

「では、この打ち出の小槌を使って、財宝を出すことは――」

「その場は騙すことは出来ても、すぐにばれるだろうな」

「なんということだ……!」

 桃太郎は、がっくりと膝をついた。

「それにしても、お前のような小童が、なぜかかる悪事を働いた」

 俺が問うと、

「なんの話だ」

 子鬼は、口を尖らせて返した。

「とぼけるな。あたりの村々を襲って、略奪の限りを尽くしただろうが」

「ふん!」

 今度は、口をへの字に曲げて、

「そんなことはしておらん」

 昂然と言った。

「しかし、鬼に襲われて人々が困っていると――」

「誰に聞いた」

「誰って……」

 と、桃太郎の顔を見た。

「お前は、その襲われたという村人に会ったのか」

 子鬼に水を向けられると、桃太郎は、

「いや、俺は爺さまから、その話を聞いて……」

「会っていないのだろう」

「まあ、そうだ」

「当然だ。そんな者はいないのだからな」

「つまり、村人を襲ったというようなことなどない、と?」

 俺が問うと、

「そう言ってる」

 子鬼は、叩き返すように言った。

「証拠はあるのか」

「そんなもの、近くの村人にでも聞けばわかることだ」

 そう言われてみれば、舟を手に入れた漁村も、酒を買った村も、鬼に荒らされたような様子はなかった。

「なるほど、そうなると――」

「あっ、なんだその目は」

「お前かお前の爺さま、どちらかが嘘をついている、と……」

「ひどいなトメっち。よく見ろ、これが嘘をついている者の目か」

「魚の死んだような……やはりお前の虚言か」

「そうではない――」

 と、桃太郎の言う前に否定したのは、子鬼のほうだった。

「そういう噂はある。その噂が間違っているのだ」

「……どういうことだ?」

 子鬼の語るところによると、元々この鬼の一族は、盗賊や害獣から村人を守ったり、力仕事を手伝ったりして、この地方の守護者として古くから敬われていたのだという。

 しかし、これを快からず思っていた朝廷は、十年ほど前、ついに「貢物を横奪した」と、あらぬ非を鳴らし、鬼討伐に乗り出した。

 この時これを迎え撃ったのが、子鬼の父親だった。

「そうか、父御が……で、その父御は今どこに?」

 俺が問うと、

「おっ父うなら死んだ」

 子鬼は、ぽつりと言った。

「では、その時の戦いで」

「馬鹿言え、おっ父うが人間なんかにやられるか。去年の冬、風邪をこじらせてポックリと逝っちまったんだ」

「鬼の霍乱かくらんというやつだな」

「なんか言ったか桃の字」

 討伐軍は撃退したものの、面目を丸潰れにされた朝廷はおさまりがつかず、一計を案じた。

 つまり、例の桃太郎の聞いたような噂を流したのだ。

 すると、これを討ち取って名を上げ、富と名声を一挙に手に入れようという腕自慢の武芸者などが、各所から集まってくる。

 その中の誰かが鬼を倒す、というのを朝廷は狙ったのだろう。

 しかし狙いは外れ、子鬼の父親にことごとく返り討ちにあった。

「負けた連中は、おっ父うに殺されるものと早合点して、これをやるから命だけは助けてくれと、勝手に武具や金品を置いて退散していくのだ」

 その悔しまぎれの腹いせに、彼らは行く先々で、鬼の悪行の噂に尾ひれ背びれをつけて吹聴していったのだった。

「ひどいではないか。我らが何をした。自らの身を守っただけではないか」

 生まれてすぐ母親をなくしていた子鬼は、父親亡きあと、打ち出の小槌を使って襲い来る刺客を追い払いながら、どうにか独りで生き延びてきたという話だった。

「そうか、それは大変だったな」

 桃太郎は、感じ入ったように何度もうんうんとうなずき、眼元をぬぐっていた。

「鬼の目にも涙……」

 俺がつぶやくと、

「角はないようだが、こいつも鬼なのか?」

 真面目な顔で、子鬼が聞いてきた。

「角は、目に見えるものばかりとは限らんぞ」

 子鬼が首をかしげたとき、

「よし、わかった!」

 いきなり、桃太郎が膝をバンと打った。

「このような話を聞いては、黙っておれるものではない。非道を見過ごし、弱者が虐げられるのを看過したとあっては、この桃太郎の男がすたる。ここは一つ、俺に預けてもらおう」

「預ける……といって、何をするのだ」

「知れたことよ。このいじらしい鬼の子が、これ以上脅かされることなく、平らかに暮らしていけるようにするのだ」

 子鬼は、目をパチクリとさせた。

「そんなことが、できるのか」

「なんの、この日の本一の快男児、桃太郎に出来ぬことなどない。大船に乗っているがいい」

「ふうむ」

「しかし、それには一つ、必要な物がある」

「というと?」

「とりあえず、宝物庫に案内してもらおうか――」


 城の宝物庫に入ると、天井までぎっしりと金銀財宝が積まれていた。

「すごいな」

 桃太郎は、吐息とともに陶然とつぶやいた。

「これを全部、武芸者たちが置いていったのか?」

 俺が尋ねると、子鬼は頭を振った。

「まさか。ほとんどが、近くの村から寄進されたものだ」

 桃太郎は、満足気にうなずくと、

「よし、鬼の子よ、一つ、借りたい物があるのだが――」

 と、子鬼に何か耳打ちして、くるりとこっちを向いた。

「トメっち、お前にも、一肌脱いでもらうぞ」


 それからしばらくして、都に、一つの奇妙な噂が聞かれるようになった。

 姿の見えない妖鳥が、ある文書をばらまいているというのだ。

 その文書によると、桃から生まれた桃太郎という男が、犬、猿、キジの仲間とともに、鬼ヶ島の鬼を退治したとのことだった。

 妖鳥の存在の神秘性が、その文書の内容に不思議な説得力を与え、噂は瞬く間に広がった。

 言うまでもなく、その妖鳥とは、鬼の宝具の一つ、隠れ蓑で姿を消した、俺だったのだが……。

 いずれこの話は、日の本じゅうに伝わってゆくのかもしれない。

「渡る世間に鬼はなしというが、本当だな」

 後日、子鬼の様子を見に行ったとき、子鬼は目に涙を浮かべて感謝した。

 お前が言うな、という代わりに、俺は優しく、こう諭してやったものだ。

「鬼ばかりではないが、善人ばかりでもないぞ。寺の隣にも鬼が住むという言葉もある。あまり頭から人間を信用しないほうがいい――」

 なにしろ桃太郎は、鬼退治の話に信憑性を持たせるための証拠と称して、子鬼の財宝を半分以上も持ち帰ってしまったのだから……。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ