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第三話・正義の運命者(後篇)

「とりあえず状況を整理するわ」


鏡子はミニ雪利をひょいと抱き上げていった。子供と目線を合わせるのに、自分がしゃがむのではなく相手を抱き上げるのが鏡子のやり方である。


「電話の声は、一時間後に『放火の運命者』の犯行を予知と言った。あなたの仲間には、予知ができる能力者がいるのね?」

「うん。ほかにも、ものをこわれにくくしてくれる人とかもいるよ」


ミニ雪利はおとなしく抱き上げられたまま頷いた。


「その人のことは今はいいわ。予知について、詳しいことを教えてくれる?」

「うん。ええと」


くい、と少年は首をかしげた。


(可愛い……)


鏡子は自制心を総動員して、少年のほっぺに再びかぶりつきたい衝動をこらえた。また大泣きするだろうからだ。


「その人がこうなるって言ったら、そうなるの。ぼくたち以外には変えられないの」


言っていることはあいまいだが、意外と的確な答えだった。


今の雪利は、自我は高校生のままだが、肉体と精神年齢は10歳ほどまで退行している……らしい。

おそらく本人が言いたいことは論理的なのだが、それを表現することができないのだろう。そこを補ってあげれば十分に会話ができる。


「運命者だけが、予知を変えられるっていうわけね」

「うん!」


ミニ雪利が嬉しそうに頷いた。その笑顔に鏡子は意識の半分を持っていかれそうになったが、かろうじて正気に戻る。


「となると、増援が出せないってのもわかるわね……」


鏡子は横目で、床で痙攣している少女を見た。先ほど鏡子自身の手で気絶させた相手だ。


「この子の、『孤独の運命者』の力……相手の認識を騙す力は確かに強力だけど、前線で戦うような力じゃない。なのに戦闘の指示が来たってことは、よほど人手不足なんでしょう?」

「そうだよー?」


無邪気にうなずくミニ雪利のほっぺをむにーと引っ張り、数秒考えこむ。それがまずかった。


(ああ……ぷにぷに……)


赤ちゃんのような柔らかさに心が支配され、何を考えていたのか一瞬で忘れ去ってしまったのだ。


「やめてようー」

「やめられないよー」


そのまま頬ずりを始める鏡子だったが、ふと視線を感じて振り向いた。

傍らに立っていた少女――『花の運命者』葵葉月が、完全に変質者を見る目でこちらを見つめていた。


「何か?」

「いや、何かって」


葉月は、何か未知の猛獣に通じる言葉を探しているかのような複雑な表情になる。


「その子、ついさっきまで高校生の男子だったんだけど、問題ないの?」

「むしろ、だからこそと言ってほしいわね」


嫌がるミニ雪利に強引な頬ずりを続けつつ、鏡子は真顔で断言する。


「あんなかわいくない姿になっちゃう前の、ひと時の儚い愛くるしさ……これを愛でずにどうするの」

「客観的に見て、かなりの美形だったように思うけど。あんた、幼馴染の成長を喜ぶ気持ちにはなれないの?」


が、鏡子はぎゅっとミニ雪利を抱きしめていやいやと首を振った。


「やだやだ。ずっと赤ちゃんでいてほしいの」

「あんた親になっちゃいけないタイプだわ……」

「あーうー」


胸に埋まって息ができなくなり、とうとう少年が泣きそうになったところで、鏡子はようやくミニ雪利を解放して地面に下ろした。


「ふう……」

「一段落した?」

「ええ。何を考えていたのかも思い出したわ」


鏡子は改めてため息をついた。


「放火の運命者が50人も殺すという予知を、私たちだけが変えられる。ただし……放火、っていうのが厄介ね」


鏡子は少年の手を持ってぬいぐるみのように遊びながら考え込む。


「私が変身するイカロスは、炎をまき散らして戦うスタイルだもの」


鏡子が『天剣のイカロス』に変身して戦っても、被害を拡大させてしまうだけなのかもしれないのだ。


「あなたも、火災を食い止める力はないわよね」

「いや、私はそもそも戦わないからね」


葉月は無情にも首を振った。


「今の私に一番大事なのは、この花を守ることだから」


と、胸元に挿した一輪の薔薇を手で示す。


運命者わたしたちはそういうものでしょう?」

「そうね」


鏡子は頷いた。全くの同感だったからだ。


葉月は、恋人から最期にもらった薔薇を永遠に咲かせるために街の人々を襲い、生気を吸収した。だがそれを責めるつもりは鏡子にはない。

もし鏡子も、弟を救うために必要であれば、同じことをしただろうからだ。


運命者になったからそういう思考になったのか、それともそれほど強い執着があるから運命者になったのか、それはわからないが。


「むしろ、あなたがやる気なのが不思議よ」

「うーん……」


そう言われると返答に困るところである。

すると、ミニ雪利が何やら思いつめた表情で鏡子を見つめてきた。


「そうだよ。死んじゃうかもしれないよ?」


その真剣そうな顔はそれはそれで可愛いのだが、おそらく本当に真剣に言っているのだろう。


「じゃあ、どうするの?」

「ぼくがたたかうよ」


ぐっ、と拳というより『おてて』というべき可愛い手を握りしめる。


「ぼくのしごとだし、ぼくはふじみだからね」

「がぶー」


その顔が生意気だったので、とりあえず鏡子は少年のほっぺを齧った。


「うえーん!」

「ああっ、可愛い」

「変質者……」


とうとう泣き出すミニ雪利と、ニコニコ笑う鏡子を見て、葉月は完全に引いている。


「まあ、本当を言うと私も命のやり取りなんてごめんだけど」


ひとしきり笑ってから、鏡子はミニ雪利を見つめた。


「でもここで弟分に任せるのは、私らしくないからね」


それだけといえば、それだけの理由だ。

だがそれは何より大事なことだった……自分が自分らしくいられるかというのは、鏡子にとって命をかける価値があることなのだ。


運命者わたしたちは……そういうものでしょう?」

「……うん!」

「まあ、そうね」


ミニ雪利はにっこり笑い、葉月はしぶしぶという感じで頷いた。


「だけど実際、イカロスじゃ放火にどう対抗したものか……」

「あなた、あれしか変身できないの?」

「え?」


葉月の問いを受けて、鏡子は目を見開いた。


「炎の剣を使うヒーローに変身できるのは、弟の好きなヒーローだからでしょう? 他に、水を使えるヒーローを好きだったりしないの?」

「確かに……」


なぜそれを思いつかなかったのか、考えてみれば不思議である。


「ねえ泉人せんとー」


鏡子は弟を探して視線をさまよわせた。だが……


「あら? どこにもいない」


弟の姿が見つからない。そういえば、これまで弟はまったく会話に参加していなかった。


「泉人、どこに隠れてるのー?」

「嘘でしょう……?」


きょろきょろと周囲を見回す鏡子を、なぜか恐ろしいものを見る目で葉月が見ていた。


「どうしたの? 私に何かついてる?」

「いや……ついてるというか、乗ってる」


葉月が鏡子の肩の上を指さした。言われて初めて、鏡子が気付く。


「……あら、本当だ」


ちょうどおんぶのかたちで、弟が背中にくっついてすやすやと眠っていたのだ。


「気付かなかったー。いつから乗ってたの?」

「最初からだけど……気付かないっておかしいでしょ!?」

「いや、でも、ほら……眼鏡かけてる人が眼鏡かけてること忘れることもあるって言うし……」


鏡子は上手い説明だと思ったが、葉月は信じられないという顔をしている。


「血を分けた姉弟きょうだいなんですもの。体の一部みたいなものでしょう?」


そして、いいことを思いついたというように目を輝かせると、ミニ雪利をぎゅっと抱きしめて、二人の男の子のほっぺを両側から自分の頬に押し付けた。


「至福……」


ちょうど両側に頬ずりする形になり、鏡子がうっとりとする。


「あんた今、ほんとやばい顔してるよ……?」

「もうー。いいじゃないこんな時くらい」


葉月に水を差されて名残惜し気に頬ずりをやめる。


「ほら泉人、起きて」

「ふにゅう……」


背中の弟を揺すって起こし、床に降ろす。むしろ弟が乗っていないほうが体のバランスが不自然な気がするが、それを言ったら葉月の目がさらに冷たくなりそうだ。


「ねえ泉人、水を使うヒーローに好きなのいる?」

「みず……?」


寝ぼけ顔の泉人は、首をかしげた。


「うーん」


思い当たるところがないようだ。


「困ったわ……」


すると、ミニ雪利が不意に目を輝かせた。


「アンフィトリテがいいよ」

「アンフィ……なに?」

「おとうさんが人間で、おかあさんがイルカだったから、うみのかみさまの名前がついてる女の子なの」

「人とイルカにどうして子供が……っていうか動物虐待じゃないの……?」


思わずつぶやきながら、鏡子は自分のスマートフォンを取り出して調べてみた。

すぐに画像がヒットした。見た目はイルカの帽子をかぶった人魚という感じである。どうやら数年前の漫画の主人公らしい。


「これ児童誌よね……」


いわゆる少年誌よりも読者層が幼い、小学生向けの月刊漫画雑誌の連載だ。

どうやら雪利は、少なくとも数年前まで児童誌を読み続けていたらしい。


「これ電子書籍で出てるのね。しょうがない、買っちゃおう」


スマートフォンを操作しながら、鏡子は考え込む。


(……悪くない)


予知の時刻まで、なんだかんだであと30分くらいだ。だが児童誌の漫画であればなんとか読み切れるだろう。

しかも、このキャラクターのイルカの帽子は目元まで隠しているので、顔を隠すことができる。


「じゃあ泉人、雪利、おねえちゃんが漫画を読んであげるからおいで」

「わーい」


ソファーに座った鏡子の両側に、可愛い弟と弟分がぴったりくっつく。


(しあわせ……)


やはりこの生活を失いたくないと、鏡子は思うのだった。




その、30分後――予知時刻の数分前。


「変身!」


鏡子が叫ぶと、全身が青い光に包まれた。

漫画を読み聞かせた結果、泉人は見事にアンフィトリテを好きになったのだ。


「海のびと、見……参……?」


決め台詞が、困惑で尻切れ気味になった。


「うわ……」


横で見ていた葉月が、なぜか顔を赤くして目を背ける。


「ちょっと、何よその反応!」


鏡子が叫ぶが、顔が赤くなっていることを自覚していた。

今の葉月の姿は、イルカの帽子をかぶった人魚である。両足がくっついてイルカの尾びれになっているのがちょっと気持ち悪いが、思っていたほど違和感はない。


問題は上半身だった……貝殻で胸を隠しているだけで、残りの肌はむき出しなのだ。

人魚の定番のような姿だし、漫画で見ているうちには恥ずかしい格好だとは思っていなかったが、実際にこの姿をしてみるとほとんど裸でいるような感覚だ。


「なんていうか、あんたが着るとこんだけエロくなるのね……」


葉月はなぜか上気した顔になっている。

一方、泉人と雪利は不思議そうな表情をしている。


「どうしたのお姉ちゃん?」

「格好いいよ?」


二人とも、まだ女の武器に惑わされるほど成熟していないのだろう。中学生と高校生……のはずなのだが。


「もう……」


とはいえ、これで戦うしかない。鏡子は意識を強引に切り替えた。


「じゃあ、行ってくるからね」

「いってらっしゃーい」


弟たちに見送られて、鏡子は宙に滑り出した。

アンフィトリテの能力その一。まるで水中にいるがごとく、空中を泳ぐことができるのである。


(うわー、これ楽しい)


下半身が魚だからか、ぐいぐいと信じられない推進力で泳いでいける。


鏡子は瞬く間に敷地の塀を超え、夜の町へと飛び出した。

腕で風を切り、くるくると上下左右に自在に身を躍らせながら、予知された地点へと急行する。


「このあたりかしら……」


先ほどの通信で表示された地図と、今いる住宅街が意識の中で完全に一致する。

鏡子の家が伝える十六夜流武術は、実戦を想定した武術である。地図の読み方、地形の把握の仕方は初歩の技術として鏡子に叩き込まれていた。


「探す手間は……必要ないか」


鏡子がすっと目を細めた。

視界の片隅、一軒家の一つから、唐突に火炎が噴きあがったのだ。


「海の加護よ!」


鏡子はアンフィトリテの決め台詞を叫び、イルカの尾びれを存分に躍動させて火炎に向かいつつ、手のひらを地面にかざす。

すると、鏡子の泳ぎに沿うようにアスファルトに亀裂が入り、猛烈な水流が宙へと噴きあがった。

アンフィトリテの能力その二、地中の水脈から水を取り出す力だ。


「必殺!」


水流は鏡子の手の中で渦を巻き、瞬く間に抱えきれないほどの水の球体へと変わる。

さらに、鏡子が前方へ水の球体を投げると、次々と水流が吸い込まれ、車をも飲みこみそうな巨大な球体へと成長していくではないか。


「ビッグウェーブ・スマーッシュ!」


鏡子は空中でくるんと前転し、イルカの尾びれで思い切り水の塊をひっぱたいた。

まさにスマッシュを受けたボールの勢いで球体が宙をすっ飛び、炎上する家へと叩きつけられた。

屋根を焦がして噴きあがっていた火炎が一撃で消し飛んだ。家の壁もかなりの範囲で砕け散ったが。


「とりあえず火は消えたわね!」


誰にともなく言い訳してから、鏡子はすっと目を細める。

炎上していた家の外。驚愕に立ちすくむ人影が、鏡子に向けて右手を伸ばしたのと、鏡子が次なる水の球体を地中から取り出したのが同時のことだ。


「我は弟萌えの運命者!」


鏡子が叫ぶ。だが相手は無言。代わりに男の右手から、なんと火炎の球体が撃ち放たれた。


まるで夜空を裂くように鮮やかに迫る炎に、鏡子は水の球体を投げつけた。激しい蒸気が周囲を包む。

その瞬間には、鏡子は相手の眼前へと踊りこんでいた。全身を躍動させて宙を泳ぎ、人間の想像を超えた速度で一気に距離を詰めたのだ。


「え」

「遅いッ!」


鏡子は地面に右手をついて体を跳ね上げ、イルカの尾びれで敵の胴体をひっぱたいた。

どしっ、と、トラックで人をはねたらこんな音がするのだろうかという音を響かせて、相手の体が後ろに吹き飛んでいき、道の反対側の壁にたたきつけられる。


「ふぅー」


相手が完全に意識を失ったのを見て、鏡子はようやく一息をついた。


「こいつが……放火の運命者?」


改めて相手の姿を確認する。ボロ雑巾みたいになっているのを差し引けば、駅前あたりにたむろしているような若い男に見えた。


「とりあえず死んではいないみたいだけど……これからどうしよう」


周囲の家屋から、人が騒ぐ声が徐々に聞こえ始めた。火の手が上がってから今まで、ほんの1分にも満たない電撃的な戦闘だったのだ。


「なんだ!?」

「なにがおこった!?」

「いきなりうちの壁が吹き飛んで……家が水浸しに!?」


なぜか炎よりも鏡子の必殺技による被害の方で騒がれている様子だった。


「ひどい。50人も死ぬところを助けてあげたのに」


鏡子が宙で器用に膝を抱えていじける。その時、ふと、違和感がよぎった。


(こんな炎で本当に50人も殺せるの?)


直感だった。鏡子は鋭く身をひるがえした。

強大な火炎がそれまでいたところを薙ぎ払い、夜空に真紅の帯を描いたのは次の瞬間だった。


「な……っ」

「惜しいーっ」


地中から新たな水の球体を取り出しつつ、鏡子は炎の襲い来た方角へと向き直った。


「もうちょっとで焼き魚の出来上がりだったのにな!」


住宅街の狭間、暗い影から一人の男が歩き出てきた。


先の敵と同様、若い男だ。着崩したパーカーにだぶだぶのハーフパンツ……町のチンピラじみた衣装だったが、その下の体が意外なほど鍛えられているのを武術家としての鏡子の目は見抜いた。

顔の大部分は巨大なサングラスに隠されてわからない。だが口元には妙にいやらしい笑みを浮かべていた。


「あなたが放火の運命者?」

「いかにも。俺の行動を予知してきたってことは、お前は機関の人間だな。スカウトしに来たってわけじゃなさそうだが?」


男が断定する。だが鏡子が怪訝そうな顔を浮かべたのを見て、男もまた首をかしげた。


「あれ、違うのか?」

「いや、たぶん間違ってはないと思う。その機関ってところから情報が来たことと」


鏡子はにこりと微笑む。刹那、全身に苛烈な戦意が満ちた。


「あなたを倒しに来たってことはね」

「……上等!」


それ以上、言葉はいらない。

男が右手をかざした。鏡子が水の球を投げると同時に、男の右手から火炎がほとばしった。それは先の男の火炎よりも太く、赤く、激しい!

業火の帯は水の球を一瞬で突き破り、鏡子へと殺到した!


「くぅ!?」


鏡子は身をひねり、人間離れした柔軟性で炎の帯をかわす。だがその瞬間、失策を悟った。

先ほどの炎の帯は空に抜けたが、今度の火炎は近くの家を直撃し、一瞬で燃え上がらせたのだ。


「しまった!?」

「よそ見をしている場合かぁ!」


男が次々に火炎を放つ。鏡子はイルカの尾びれを自在に操り、螺旋を描いて空に逃れたが、火炎の余波が次々と周囲の家屋を燃え上がらせた。

炎上する家屋から、絶叫を上げて人が次々に飛び出してくる。平和だった市街地は、ほんの数十秒で地獄絵図と化した。


「海の加護よ!」


鏡子は空中で逃げ回ることに専念した。幸い空で火炎をかわせば周囲に火災を広げることはないようだ。

灼熱に追い立てられながら、立て続けに水の球を取り出す。だが攻撃には使わず、燃え上がる民家に投げつけて消火を行うことに専念した。


家から逃れだした人々は、火炎をまき散らす男と、それと戦うイルカの帽子をかぶった少女の姿を見て茫然と立ちすくむ。

その人々を見て、放火の運命者がにやりと笑ったのが……遠目からでもはっきりとわかった。


「逃げなさい!」


鏡子が叫ぶと同時に、放火の運命者が人々に向けて火炎を放った。

考える余裕もなく、鏡子は手持ちの全ての水の球を投げつけた。

水の球に地中からの水流が合流し、逆向きに立ち昇る瀑布となってかろうじて火炎をせき止めた。だが。


「かっこいいねぇー」


その声は、驚くほど近くから聞こえた。


振り返ると、ジェット噴射のように背中から炎を吐き出して宙に浮かぶ男の姿があった。

水の球を使い切り空中で無防備となった鏡子の胸元に、ぴたりと人差し指を向ける。


「く……」

「動くな。お前が水の塊を取り出すより、俺が炎を放つ方が断然早い」


動きを止めた鏡子の姿を、男はまじまじと見つめた。……特に、豊かな胸を貝殻で隠しただけの、半裸と言っていい上半身を。


「よくみればとんでもない上玉じゃないか。そんなエロい格好しやがって、誘ってるのか?」

「……まあ、誘っているといえば、誘っているかしら」

「おお!?」


嬉しそうに身を乗り出した男に、鏡子は冷たく告げた。


「死の間合いにね」


刹那、鏡子のかぶるイルカの帽子の口の部分がぱかりと開き、猛烈な超音波を放った!


男がぐらりとよろめいて白目を剥き、周囲の家屋の窓が立て続けに破裂した。

アンフィトリテの切り札の一つ。イルカの帽子から放つ超音波攻撃である。至近距離で受ければ気絶は必至だ。

更に駄目押しとして、鏡子は眼前の男に拳を叩き込んだ。


「脱水パンチ!」

「げば!」


腹を殴られた男の口から、男の頭ほどの大きさの水の塊が吐き出された。こころなしか、男の全身がキュッと絞られたように見えた。

これぞ脱水パンチ。殴った相手から直接水を絞りだし脱水症状に陥らせる、アンフィトリテの無慈悲なる攻撃技である。


「……なんで児童誌のヒロインがこんなえげつない技ばかりなのかしら……」


首をかしげる鏡子の眼前で、男の背中から炎が消える。駄目押しとばかりに、鏡子は力を練り上げた。


「弟ビーム!」


弟萌えの運命者の浸食能力。男性に当たれば、相手をかわいい幼児にする。

だが。


「あれ?」


ビームが直撃したのに、男には何も起きなかった。鏡子は首をかしげて、男が落下していくのを見送る。

どちゃ、と嫌な音とともに、男が地面にたたきつけられた。よほど打ち所が悪くない限り死にはしない高さだが、いずれにしろ戦闘不能だろう。


「まあ……おおむね作戦通りかしら」


そう、すべては鏡子の作戦だった。周囲に被害が拡大する前に、自分を囮として接近させ、不意打ちから一気にとどめを刺す。


「さあて、万事解決ね」


んー、と空中で大きく伸びをして……鏡子は素早く真横に身を躍らせた。

それまでいたところに猛烈な火炎が噴きあがったのは、次の瞬間であった。


「さすがに二度も不意打ちは受けねえかあ」


地面でねじ曲がったミイラのようになっていた放火の運命者が、身を起こして残念そうに笑った。


十六夜流いざよいりゅう水月すいげつ。手が届きそうに思わせて不意打ち狙いの敵を誘いだす技よ」


流れる様に告げつつ、鏡子は内心の驚愕を抑え込んだ。

念のためフェイントをかけては見たものの、まさか本当に起きあがってくるとは思っていなかったのだ。


「回復している……?」


鏡子が見ているうちにも、放火の運命者のカラカラに乾いた肌に水分が戻っていく。数秒後には男は元気よく立ち上がっていた。


「とんでもない上玉かとおもったら、たいしたタマじゃねえか」


コキコキと首を鳴らす姿には、もはやダメージなど一切残っていない様子である。


「不死身……? それも放火の運命者の特性なの?」

「いいや?」


男はにやりと、妙に意味深に笑う。


「俺の、いや、炎関係の運命者の特性は……連鎖れんさ、さ」


そして男は、顔の前に拳をかざした。


「全ての放火衝動を解放……さあ、燃やせ!」


その瞬間、男の背後――かなり離れた位置にある家屋が、突然に燃え上がった。


「なっ!?」


鏡子は驚愕して周囲を見回す。

その間にも、放火の運命者から遠く離れているはずの街並みから、立て続けに火の手が上がっていくではないか。


(まさか)


鏡子の目がとっさに、視界の端で気絶している男に向けられた。

最初に家に火をつけていた放火犯。この男もまた、放火の運命者より遥かに弱かったが、炎を手から発射していた。


「ご明察」


放火の運命者が、ぱちぱちとやる気のない拍手をする。


「俺の『浸食』を受けた野郎は、俺の能力と放火趣味を受け継ぐことができるのさ」


連鎖――確かに、小さな火種から大火事へと成長する炎の能力者にふさわしい浸食能力だ。


「あらかじめ10人、浸食して街に潜ませていた。俺が衝動を解放したら、もう奴らを止めることはできん」

(まずい……)


鏡子の額を汗が伝った。


放火の運命者は、放置できる敵ではない。だが、町で放火して回る集団も、放っておけばどれほどの被害をもたらすかわからない。

眼前の敵を倒してから周囲に向かうか? しかし、放火の運命者の異常な回復能力ではそれも難しい。一度隙をついて倒したのだから、もう油断もあるまい。


完全に進退窮まった。


「さあさあ、どうするヒーローさん?」

「……あなた、わかってる?」


鏡子が静かに声を出すと、男のにやにや笑いがぴたりと止まった。

気づいたのだ。鏡子の声に込められた、本物の殺気に。


「今の私には、あなたを全力で殺しきるくらいしか打つ手がない」


たとえ回復能力があろうと、運命者の力は無尽蔵ではない。回復力を上回る攻撃を加え続ければ、殺せる……それ以外に手段はない。


「……良い顔するねぇー」


男はぶるりと身を震わすと、先ほどのにやにや笑いとは別種の、不敵な笑みを口元に浮かべた。


「上等じゃねえか」


それ以上の会話は必要ない。鏡子と男が同時に構えたが、不意に視線を横に向けた。


二人は同時に気づいた――いや、その絶大な気配に気づかざるを得なかったのだ。

街に上がる火の手よりもなお熱い戦意を湛えた男が、夜道をこちらに駆けてくるのである!


「なんだてめぇは!」


放火の運命者が即座に火炎を放った。車を丸のみできそうなほどの巨大な火球を前に、男は疾走の勢いを一切緩めないまま、ただ肩に担いだ竹刀袋の封を解き、何の変哲もない一本の木刀を引き抜いた。

男が振り下ろした木刀が火球と激突し、大爆発が生じた。だが驚くべきことに、その爆風は全て放火の運命者へと殺到したのだ。


「ごあああ!」


一瞬でボロ雑巾のようになった放火の運命者が吹き飛んでいく。新たに現れた男の一刀が、その剣撃の威力のみで爆発を叩き返したのだと、鏡子は遅れて悟っていた。


「……遅れてごめん」


男は木刀を肩に担いで鏡子を見上げた。その凛々しい顔立ちを、鏡子は知っている。


「雪利……」


そう、鏡子の家に置いてきたはずの黒曜雪利だ。もっとも、今は幼児化した姿ではない。


「元の姿に戻っちゃったんだ……」

「なんで残念そうなんだ」


雪利はかぶりを振ると、片手に持っていた木刀を『放火の運命者』へと向けた。


「こいつは任せろ。町の人々の救助を頼む」

「わかった!」


短い言葉でも、確かに意志が伝わるのは、幼馴染だからだろうか。

鏡子は身をひるがえし、離れた街並みで上がる炎へと泳ぎ去っていった。




(無事で良かった……)


宙を飛び去っていく鏡子の姿を見て、雪利は心の底からの安堵を覚えた。

幼児化が解けたのは、鏡子が道場から泳ぎ去っていってすぐのことだった。どうやら彼女からある程度離れたら『浸食』の効果はきれるようだ。

それから、必死に走って戦場までたどり着いたのである。


「やるじゃねえかぁ……」


放火の運命者が怒りの形相でこちらを睨みつけてきた。爆風で負った傷はもう完全に回復しているようだ。


「死んじまったらどうするつもりだったんだ」

「そうならないことを知っている」


そう、雪利はその異常な回復能力のことを、よく知っているのだ。


それは『炎』などという儚いものでは断じてない。

この世で最もしぶとく、何をもってしても根絶できない存在――絶対不死の力の持ち主。


「『悪の運命者』の浸食を受けた奴が簡単に殺せるなら苦労はない」

「良く知ってるじゃねえか……」


放火の運命者はにやりと笑った。


「あいつのやり口はよく知ってる……お前、何人殺した?」

「さあな。刺殺に絞殺、撲殺に爆殺……いろいろ試したが、焼き殺す快感を知る前のことなんて覚えちゃいねぇ」


雪利の目が鋭くなるのも気にしない様子で、男は陶然と語り続ける。


「それから放火に放火を重ねて、20人を焼き殺した時、俺は運命者になった」

「あいつはまだ、そんな養殖を続けているのか……」

「養殖か。上手いことを言うな」


放火の運命者は口元を愉悦にゆがませた。


「大量の雑魚ざこを食らって、俺は大魚になった」

「……お前が奪ったものの重さを、これから教えてやる」


雪利は怒りに震える手で木刀を構えた。だが、男の口元はなお醜く歪んだ。


「お前にだけは言われたくねえな。『悪の運命者』最初の作品。『正義の運命者』さんよ」


息が止まる。不意に脳裏に鏡子の姿が浮かび、彼女に聞かれなくてよかった……と思った。


「お前もあのお方の作品であるからには、『悪』の浸食をたっぷり受けて、何人も殺しまくったんだろうが。『正義』を名乗る資格がどこにある?」

「『正義』を名乗るのに必要なのは、資格じゃない。覚悟だ」


固まりかけた体を、ただ前に動かす。放火の運命者を睨み据えると、ようやく相手から笑みが消えた。


「面白れぇ。お前の覚悟、見せてみな!」


放火の運命者が発射した火球を、雪利は再び剣撃で叩き返した。だが相手は爆風を受けるより早く、炎を背中から噴き出して宙に逃れている。


「お前の狙いはわかっているぞ! 俺の再生能力の源である『悪』の浸食を、相反する『正義』の浸食で打ち消そうという腹だな!」

「だったらどうする?」

「気を張ってる運命者に『浸食』をぶちこむなら、拳で叩き込むくらいしかねぇだろう! だから――」


放火の運命者は宙を飛び回りながら、次々と火球を撃ちこんできた。

雪利が木刀で爆風ごと叩き返すが、空を飛び回る相手に当てることはできない。

そしていつのまにか、周囲に撒き散らされた火炎が次々と延焼を始めて、動ける範囲が徐々に狭まってくる。


「こうして飛び回ってりゃあ、お前の拳など届かんぞ! 封殺して焼き殺してやる!」


雪利は静かに、相手との距離を測った。地上10メートルほど、周囲の家屋の屋根よりも高い位置を飛び回っている。


(まあ……いけるか)


再度、放火の運命者が放った火球を前に、雪利は木刀を振り上げた。

『正義の運命者』の能力――攻撃力の極大化を存分に発揮して、火球に打ち込む。そして爆風を叩き返すのではなく、眼前の地面に叩き込んだのだ。


「なにっ!?」

「おおおおお!」


間近で吹き荒れる爆風を踏んで、雪利は宙を斜めに駆け上がった!

炎で全身が焼かれる苦痛を味わいながら、一切戦意を衰えさせない眼光のまま空中の敵に肉薄したのだ。


互いに、言葉にならない絶叫を放った。放火の運命者がとっさに全開の炎を噴射し、その炎ごと雪利の木刀が何もかも真下へと叩き落とした。

世界から音が消え去るほどの大爆発。炎上していた周囲の家屋が次々と倒壊し、何もかも火炎と爆風が薙ぎ払った灼熱地獄から、何かが跳ね返ってくるのを雪利は見た。


これほどの破壊の中でなお形を保っている放火の運命者へと、雪利は素手の拳を叩き込んだ。

もつれ込むように地面にたたきつけられて、ようやく世界に音が戻る。


「ハアッ、ハアッ、ハアッ」


野獣のような声が自分の呼吸だと気づくのに数秒かかる。炎のせいで空気が薄い。その時、


「勝ったぞッ!」


すぐ近くの地面につき刺さっていた放火の運命者が、快哉を上げて体を跳ね上げた。その体の傷がみるみる回復していく。


「『悪』の浸食は消えてねえ! 『正義』の浸食は失敗だ! 死ねっ……!」


避けようのない距離で、男が両手をつき出す。それを、雪利は静かに見つめた。

数秒、無言の時間が過ぎる。男は手をつき出したまま、それ以上何も起きない。


「馬鹿な……っ」


男の顔面がみるみる蒼白になっていく。炎を出せないからか……それとも、雪利の傷が男同様にみるみる治っていくのを見たからか。


「勘違いしているようだが、俺の『正義』とあいつの『悪』は打ち消し合ったりしない。あいつのもたらした『悪』の浸食は、今なお俺の中に息づいている」


全身に負った重度の火傷があっという間に完治したのを感じながら、雪利は男に向けて歩んだ。


「俺の能力は、『正義』のためならどこまでも力を出せるが、逆に言えば、『正義』以外のためには一切力を出せなくなる。今やお前も同じだ」

「ま、まさかっ……」

「今のお前は、もう虫一匹焼く力もない」


放火の運命者がよろめいて尻もちをついた。雪利は冷たい眼差しで歩み寄る。


「投降しろ。不死身を殴り続けるなんて不毛な真似はしたくない」

「……ククッ」


不意に。放火の運命者が不敵に笑った。


「何がおかしい?」

「『正義』のためならどこまでも力が出せる……そう言ったな。ならば」


放火の運命者は、右手を自分の胸元に当てた。


「俺のような連続放火殺人犯を抹殺するという『正義』のためなら、今の俺でも力を使えるってことだろう?」

「待て――」


制止は間に合わなかった。放火の運命者は自分自身に火を放ち、全身を炎が一瞬で包み込んだのだ。

炎は即座に成長し、まるで天をも焼き尽くすような火炎の竜巻へと変わる。


たまらず飛びのいた雪利は、恐るべきものを見た。

火炎の竜巻の中心で、放火の運命者の体はまだ再生を続けていた。そして真に恐るべきことに、大声で笑っていたのだ。


「俺の最後にして最大の炎! 自分を火葬するのは最高に気持ちいいゼェェーー!!」


笑いながら男の姿は炎の中に溶けていく。やがて火炎の竜巻が消えた時には、男はもう灰の一辺すら残っていなかった。

再生能力を超える火力が、不死身すら殺しきったのだ。

しばらく、雪利は男の燃え尽きた地点を眺めていた。


「……次からは自殺されない手段を考える。うまくいったら、お前にありがとうを言うよ」


真っ赤に色づく空を見上げる。それは火災による赤さではない。

いつのまにか周囲の火災は鎮まり、その代わりに地平線から顔を出し始めた太陽が、鮮やかな朝焼けの空をもたらしていたのだ。


「そして必ず、あいつを止める。みんなを守る……」


雪利は背を向けて、歩きだした。

赤い空を悠々と泳いでくる少女が元気に手を振っているのを見て、悲しみを胸の奥にしまいながら。


第三話・完



第四話『死の運命者』に続く

だいぶ間隔が開いてしまってすみません!

想像していたよりだいぶ文章量が多くなってしまいましたが、お楽しみいただけたでしょうか。

さて、次回は『第四話・死の運命者』です。

これまで断片的に語られてきた泉人の能力と過去が明らかに! ご期待ください。

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