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 どうすればもっと確実にスマートにやれるか。

 あの特別教室に、一人になった所の丸いのを連れ込むか。呼んでもこないかもしれない。

 無理に連れ込もうとしても、体重差で難しそうだ。

 あの瞬間を狙わなくてもいいんじゃないか。学校では、今思い返してみてもあの瞬間が一番のように思う。

 金魚のフンが戻るまでのタイムラグの間になんとか。


「ふう」

 一冊読み終えた。予定の時間はそろそろだろうか。ぼくはいつも通り起きて、いつも通り生活して、昨日の通り階段が見える特別教室にいた。

 戸の外を見逃さないようにしつつ、小説を読む。

 今回は小道具も用意している。大体同じようにすれば、ターゲットも同じような行動をとるはずだ。つまり、丸いのが夕方ここを通る。

 悪魔は手を貸したらイージーになっちゃうなんて言ってたけれど、このやり直しできる展開はやりやすい。前回の失敗を乗り越えられる。まあこれくらいないと、そもそも実現不可能か。

 まだ三百分の一も達成していないわけだし。

「うるせえ。お前が痩せ過ぎなんだよ」

 来た。

 丸いのが見たことのある動きをしながら、こちらに向かってくる。ぼくは小道具の一つを掴んだ。さらに別の小道具もセット。

 昨日の通り人通りはない。もうほとんど帰ったことだろう。

 金魚のフンがトイレに行った所で、ぼくは丸いのを突き飛ばした。

 丸いのが昨日より驚いたような表情で、落ちていく。今度は眺めたりしない。同時にぼくも、後を追う。

 丸いのの肉感ある唸り声が聞こえた時には、ぼくも側に立っていた。

「!?」

 丸いのがしきりに驚くのも無理はない。今のぼくはどうみても変人だ。

 頭には赤白帽、目にはサングラス(家からこっそり持ちだした)、口にはマスク、上半身には体操着。

 そして、手には包丁だ。こんな見た目の人間がいたら、まっさきに捕まる。しかも小学校である。

 包丁か。料理なんてしたことがないけど、初めての用途がこれでいいのか。お肉なんて切ったこと無いけど、初めて斬るお肉がこれでいいのか。

 そんな自問をするくらいだったら、はじめからこんな小道具用意していない。

 相手が動けなくなることは知っていたので、垂直に体重をかけて一気に振り下ろした。

 刺す場所はとくに考えていない。

 お肉がじゃまで刃が通るか心配だったけど、ちゃんと刺さった。背中の、下の方だ。

 それだけ確認して、すぐにぼくは階段を降りた。そして別の空き教室へ。向かう途中、丸いのの悲鳴が聞こえた。それはなんだかあまり人間らしくはなかった。

 返り血が所々ついている。この姿のまま歩きまわるわけにもいかないので、空き教室に隠れつつ、帽子やサングラスやマスクや体操着を脱ぐ。下はいつもの服装である。

 それらを置いておいた鞄につめ、外へ飛び出した。

 金魚のフンの声も聞こえる。トイレから戻ったら友人が倒れてて包丁が刺さってたら、驚くだろうな。ぼくでも驚く。騒ぐかどうかは別にして。

 早足で校舎をでて、家に戻った。途中、心臓が高鳴りっぱなしだった。

 ソファに座り、息を整える。学校では騒ぎになっていることだろう。まさかとは思うけど、急に電話がかかってきたらどうしよう。

 学校や警察から。

 その前に、別の声がかけられた。

「おにいちゃん。おかえり。なんだかあせすごいけどだいじょうぶ?」

 妹が部屋から顔を出した。すぐにわかるくらいぼくは汗だくだったのか。思いの外、精神に負担がかかっているのかも。

「あ、ああ」

 まさか人を刺してきたとは言えるわけもない。妹は相変わらず風邪で寝込んでいたようだ。

 汗というなら、妹だってかいているはず。

 そこで気づく。身体のどこかに血がついているかもしれない。よく見られたら、気づかれてしまうかも。そもそも、こんな状態で家にいるべきではない。

「お兄ちゃんちょっと出かけてくる。ちゃんと大人しくしてるんだよ」

「え、うん。はやくかえってきてね」

「ああ」

 多分今日は帰らない。と言っても、明日の今日には勝手に戻ってしまうんだけど。貯金や出かけ用の鞄を手に、家をでた。

 特に行くところも無いので、ひたすら同じ方角を歩き続けた。商店街、ビル、住宅、公園、そして神社。もう陽も落ちていて、誰もいない。適当に石階段に腰掛ける。

 お賽銭を投げていないけど、これくらいの休憩はしてもいいはず。こじんまりとした社で、どんな神さまがいるのかと言った所。

 辺りは木々に囲まれていて、昼間だったら子供達が遊べそうな、そんな所だ。

 人工的な光に乏しく、月や星がたよりの薄暗さ。

「ふう。今日はもう平気かなあ」

「どうだろうねえ。警察はいつくるかわかったもんじゃないぜ」

 独り言にのっかってくる。いつの間にか、隣に悪魔が座っていた。まったく、これじゃあある日幽霊に付きまとわれてしまう主人公や、マスコットキャラがくっついてまわる魔女っ子を思い出す。

「おい、すぐ消えろ。お前がいると時間が進まないだろうが」

「んふ。早く今日という日をなかったコトにしたいかい? 安心してくれよ。今は時間が止まっているわけじゃないさ。見ている人間もいないことだしね。ほら、耳をすましてごらんよ。虫達が必死に存在をアピールしているだろう」

 確かに色々な虫の音色が耳に触れる。止まっていないというのは本当らしい。だったら適当に相手して暇を潰せば今日は終わるか。

 あまり相手したくないけれど。

「どうしてそんなに嫌うんだい。もしかして、最初に会った時君のタッチングを避けたのを根に持っているのかい」

 何の話だ、と思ったけど、手を伸ばした時すり抜けた事を言っているのか。どうして嫌いか、説明するのもめんどくさい。だってからかってるのがはっきりわかるから。

 頭の中で理由を並べてもいいけど、それは普段からやってることだろう。

「なんならまた抱きついてあげようか? 今なら誰も見てないぜ。まあ、そんなことはともかく、翔くん。彼はまだ生きているよ」

 翔くん? 誰のことだ。いや生きてるってことは。

「丸いのか……」

「そう。丸いの。彼は丸い。丸いなりに精一杯生きている。そう諦めたような顔をするなよ。また次があるさ。次はどんな方法をとるんだい?」

 そうか。生きてるのか。

 やっぱりフィクションみたいに、めった刺しにしたりしないと駄目なのかも。

 しかしそれをやろうと思うと、相当状況が限定される。返り血の処理も難易度が上がるだろうし。

「なんてね。うち様の見立てじゃ、彼は今日中に死ぬよ。悪魔的見立てだ。外れない」

 軽くそんな事をいう。

「そういうところが嫌いなんだ」

「うち様は斜めくんのこと大好きだよ」

 気持ち悪い。

「それでどうだい? 感想は」

「だから気持ち悪いって」

「そうじゃないさ。初めての殺人の感想だよ。初体験のことを聞きたいんだ。一皮剥けた斜め少年の初体験をね。痛かったかい? 気持ちよかったかい?」

 なんだその回りくどい言い方は。何か意味があるのか。

「感想。感想ねえ。別に痛くも気持ちよくもなかったよ。汗はかいたし緊張はしたけどね。刃が服を突き破って、肉に沈み肉を掻きわけ、勢いが止まったと思ったら赤い汁が出てきて、ぼくの服にかかったり」

「ふむふむ」

「きちんと体重をかけれずに浅くなっちゃったらどうしようとか思ってた。そういえば丸いのの目も見たっけ。たぶんゲームやらで失敗した時と同じような目をしていたよ。眼の色がどうとか、そんなハッキリと変わるわけもない。信号じゃないんだから」

「そうだねえ」

「それからは人の視線を気にしながら家に帰ったっけ。一応下調べはしたけど、いつ横から見知らぬ生徒や先生が出てくるかと心配になったね。昨日と同じ状況とはいえ、それでもね」

「イレギュラーな事態が一番怖いよねえ」

「以上が小学生並の感想でした」

 ぱちぱちと拍手が鳴る。そんな事をするのはたとえこの場に百人いたとしても、となりのこいつだけだろうけど。

 しかし何かを成し遂げたり、乗り越えた気になってはいけない。犠牲がどうとかじゃなく、まだたったの一人目なんだ。

「そう。一人目。一人目だ。千里の道も一歩からって人間は言うよね。千人じゃなく三百人でよかったねえ」

 よかったねもなにも、その数字を決めたのは悪魔じゃないのか。千人って。何を願うとそんな数字をつきつけられるのか。まあ、他人のことはいい。ぼくがやるべきことは決まっている。

「それで、まだ時間にはならないのか」

「まーだだよ。いやはや、何百年も生きてても時間の感覚というのは変わらないね。あと数時間ほどがあと数時間ほどに感じるよ。もちろん世界の方が変われば感覚も変わるけどさ」

「世界?」

「俗にいう人間界とかさ」

「ふうん」

 そういうもんか。こいつが普段どんな世界で暮らしているかはしらないけど、どうやら別の世界があるらしい。

 それに、何百年か。ぼくの十年の何十倍か。

「人間と悪魔じゃ、その辺の感覚も違うんだけどね。例えばうち様が斜めくんくらいの見た目だったのは、五百年ほど前になる」

「へえ。悪魔にも子供らしい時があったのか。そういう成長とかなさそうだけど」

「見たい? 見たい? うち様が子供、ロリロリだった時代の姿」

「いや……いいよ。子供なんて毎日見慣れてるし」

 そもそも過去の姿になれるのか。いまさらこいつが何しようと、もう驚かない自信はあるけれど。

「ちぇ。斜めくんがうち様に興味持ってくれない。斜めくんは何歳くらいの子が好きなの?」

「何歳くらい? いやそれ以前にさ、人間なんてどれも一緒じゃない」

 何歳だろうと、どんな見た目であろうと、大抵は似たり寄ったり。面白いのはいるけど、好きとか言うほどの熱意はない。

「うち様は人間じゃないよ?」

「いや奇抜な格好ではあるけれど、ほとんど人間じゃん。最初見たときは悪魔だなんて信じてなかったし」

 今はさすがに信じざるをえないけど。そもそもなんで人間みたいな見た目してるんだろう。親しみやすいからか? 騙しやすいからか?

「もしかして斜めくんって、動物にしか欲情しないタイプ? クマとかヘビとか」

「なにその変人……。もしかして悪魔の話? 人間にそんなのはいないと思うけど。それにクマって、ヘビって」

 普通こういう時、猫や犬を例に出すんじゃないのか。いやそれでも欲情はしないけど。

「んふふふ。斜めくんはなんにも知らないのねー。ま、チェリーボーイじゃしょうがないかー」

「何? 今度は果物? 果物に欲情する話?」

 世の中には恐ろしい存在がいるものだ。もしかしたら、時間を止めるくらいのことはそれに比べたらまともなのかもしれない。

 まともな悪魔なのかもしれない。

 その時、ぼくのお腹が不肖にも鳴り出した。

「あははは。くうーだって。くうーだって。人間って大変ねー。いちいち毎日食事とらなきゃいけなくて」

 途端、鬼の首をとったように笑い出す。仕方ないのだ。小学生の身で、こんな遅くまで夕ごはんを食べていのだから。しかし悪魔の前で鳴ってしまうとは情けない。

「もしかして、果物の話したから? 食欲湧いちゃった?」

 悪魔といえば、こいつは何か食べたり飲んだりするのだろうか。少しだけ気になったけど、ぼくは目下やるべきことを優先した。

「じゃ、ぼく行くから」

 つまり食事だ。はしゃいでる悪魔に端的に言って、ぼくは立ち上がり歩きはじめた。適当に目についたところに入るか。

 別に食べても食べなくてもループしちゃえば一緒なんだろうけど、それなら食べておいたほうが楽しい。

 優先順位として胃の不快感を解消する行為は、悪魔と話し続けるよりはるかに勝る。

「まって、その前に一つ」

「ん?」

 呼び止められて僕は振り返る。

「あんまり人の好意を、気持ち悪いとか言うもんじゃないですよ。これでも傷付くんですから」

 ……人じゃないだろとか色々と言いたいことはあったが、もうなんか長話をする気も無かったので、ぼくは一言で答えた。

「嘘つけ」


 それから適当にファーストフード店で食事をする。

 そういえば、一人での食事は珍しい。朝と夜は姉達と、昼はクラスメイトと、だからなあ。

 店員が料理を用意する前に、悪魔が来て時間を止められるのを危惧したが、そんな事は起こらなかった。

 給食から十時間以上たってからのハンバーガーは、とても美味しく感じた。

 そしてどうしようかと思い、本屋でもと探している最中、またも手を叩く音がしてぼくの意識は落ちた。

 今日が終わりまた今日が来る。今、何日経ったっけ。


「おはようございます」

 爽やかな朝である。今日もうきうきと、これからの一日について軽く予定をたてつつ、ベッドから降りた。

 まあ、そんなことはないけども。

 人を殺しておいて次の朝そんな調子だったら、間違いなくそいつは壊れている。そんなやつはぼくじゃないとして。

 とりあえずカーテンを開けると陽光が身を包み、窓を開けると澄んだ空気が肺を洗った。

 今日のぼくは誰も殺していないし、こんなふうに清められると多少は気持ちがいい。

 昨日も今日だし、明日も十中八九今日だから、今日のぼくなんていうと可笑しいけれど。

 なんだかいつもよりテンションが高い気がする。初めの一歩を踏みしめたからか。

 いや、まだだ。

 丸いのがいなくなったのをちゃんと確認しないと、一歩を踏み出したとはいえない。

 それに、昨日の反省もしないと。

 数ある今日のうちの今日は、そんなところを進めていこう。

 

 ぼくはまた、二時間目が終わった後の休み時間に教室を飛び出した。

 目的地は体育館の横である。いつも通りなら、あそこで丸いの金魚のフンがイヌをいじめているはず。

 たどり着き、こっそりと覗き見る。

 そこにいるのは二人だけだった。金魚がいなくなったのにまだ金魚のフンのような顔の六年生と、ひょろい少年だけ。

 丸いのがいないが、まさか今日いきなり休んだわけでもないだろう。

「おい、今日はイヌごっこだ。さっさと跪け」

「ひぃ」

 イヌが蹴り倒されて、土に手をつける。なんとも哀れな光景だが、助けには入らない。

 その後も観察を続けたが、金魚のフンが鳴かせたり回らせたりをしているうちに、チャイムが鳴った。

 変わったことといえば、シッポがついていなかったことくらい。

 しかし、金魚のフンは一人でもいじめを敢行するのか。某機械猫の漫画にでてくる某独だの裁だのスイッチのように、代わりの人間が現れるわけでもないらしい。

 そんな難しい事は起きず、ただ消えるということか。

 いっそ金魚のフンに、丸いののことを覚えているか尋ねようかと思ったが、そこまで世界の事を理解する必要もないかと思い直し、その場を後にした。

 人間が一人いなくなった事に対する恐怖感はない。

 そんなことよりも、生きてこの世界から脱出できなかった場合の方が怖い。


 僕が二年生の頃、変質者が車に轢かれていた。

 元から妹のようにゆるい考え方ではなかったと思うけれど、それを来に何かが変わってしまったのかもしれない。変わらなかったのかもしれない。

 学校の帰り道を歩いていたら、コートの下に何も着ていない女性が肢体を露わにしだした。

 まあ日本人らしい体型で、控えめな胸や長めの胴や短めの足、大人らしい体毛だったけれど特に何の反応もみせず、歩を進めた。

 すると相手も後ろ歩きにして、見せつけるのをやめない。何十メートルかそんな妙な光景を生み続けていた。

 僕としては逃げるのも疲れるし、叫ぶのも億劫だし、別にこのまま自宅まで行けるならそれでもいいと思ってたけれど。

 後ろ歩きの女性はそのまま車に撥ね飛ばされた。

 ひしゃげたり砕けたり裂かれたり擦ったり色々な混ざった音が耳に入り込み、反対の耳から出て行く。

 轢いた運転手は慌てていたけれど、轢かれた女性の方はどうだろう。楽しかったり幸せだったからあんなことをしていたんだろうし、その真っ最中に逝けたのだから、最高の人生だったのかもしれない。

 結局そのまま呼び止められることもなく、自宅につき妹の相手をした。

 そういえば、何かの本で読んだ気がする。

 人は人に影響を与えることもできず、また人から影響を受けることもできない。

 だとか。

 

 その場を後にしたどころか、ぼくは学校を後にしていた。

 現在、街の図書館に来ている。三階まであり、一面に本棚が広がる大きさ。紙のものなのかどうなのか、独特の匂いがする。

 綺麗な玄関ホールを抜けると受付があり、右に行けば児童書の棚やら子供向けの広場、左に行けば大人が座って読めるスペースがある。

 平日の昼間ということで、あまり人は来ていない。

 ぼくはそのまま奥へ進んだ。専門書やらの難しい本が並んでいる。探しているのは人体のふしぎ的なやつだ。それとサスペンスやミステリー小説。

 さすがに小説は時間がかかりそうだけど、時間なら捨てるほどある。

 適当に数冊集め、座れる場所まで移動した。机に積み上げる。

 小学生がこんな時間に何をしているんだという奇異の視線を浴びている気がするが、幸い声をかけて来る者はいなかった。図書館という静寂を強制された場所だからか。

 本を開く。ふむ。

「へえ。人体ってこんななんだあ。随分気持ち悪い。いや、美しいのかしら」

 また突然現れた。ぼくと顔を並べて本の丁度、人体の写真の部分を見ている。内臓の配置がわかりやすい写真だ。

 顔が近い。

 図書館で喋るなと思ったけど、周りをみればやはり皆止まっている。

「はあ。おい悪魔、用が無いなら出てくるな」

 手ではらいつつ、注意した。

「空愛って呼んでって言ってるでしょー。別に用が無いわけじゃないよー。斜めくんとおしゃべりできるしー、こんなに御本があるしー」

「ぼくは本にしか用がないんだ。邪魔するな」

 全く。そういえば、こいつは人前に出る時必ず時間を止めるけど、そうする必要があるんだろうか。

 見られても怪しい変人くらいにしか見えないし、一日が終われば覚えてる奴はいないだろうに。

 まあその怪しさがもう通報レベルなんだけど。

「別にー姿を他の人間にも現してもいいけどさ、その場合斜めくんはうち様みたいな変人と仲良しこよしに見られちゃうよ?」

「……それはいやだな。その時は無視する」

 今でも無視したいくらいだけど。

「でしょおー。だからちゃんと斜めくん以外は止めておいてあげてるのさ。寧ろこの状態で無視したら時間動かしまーす」

「どんな脅迫だよそれ」

「くふん。どんな本があるのかなー」

 そう言って悪魔は本棚の方へ歩いて行った。もう戻ってくるなよ。

 ぼくは本に目を戻す。

 えーと、腎臓、神経が集まっていて刺すととても痛い、思わず声がでるほど。この部分はあまり隠密行動には向かないな。

 心臓は……骨に守られていて、刺しづらそうだ。やはり書いてあるとおり、致命的かつ狙いやすいのは首か。

 普段は勉強しないタイプではあるけど、授業で教えてくれないところだし、ぼくの命に関わることだ。そうも言ってられない。

 そもそも勉強しないのは、先を知って授業がつまらなくなるのを防ぐためだからなあ。

 んー、脳を狙うなら刃物より鈍器か。ぼくの腕で効果あるかな。一応、口の中からは刺しやすいみたいだけど、そもそも口が狙いにくい。

 対象を縛って、この本の通りに重要な血管を狙うか。どうやって縛るのかという問題が生じるけど。

 しかしそれができれば、動かない相手に丁寧に切れば返り血は少なくてすみそうだ。

 一撃で背後から仕留めるには。

 別の本も目を通す。あまり子供が犯人のミステリーはないなあ。いっそ、新聞からも探してみようか。

「隣、いいかしらん」

 いちいち断りを入れなくても、いつだって好き勝手に行動しているくせに。

 悪魔は本を何冊か持ってきて、ぼくの隣りに座った。

「ここって品揃え悪いねえ。エッチな本があんまりないんだもの」

「公共の場にそんなものあってたまるか」

「でもほら、それに近いものはあったわよん。読んで想像しなさいってことなのねー。それが人間の美徳なのかしら。うち様だって、サキュバスほどじゃないにしても、多少は興味があるのよねー」

 むしろ興味津々にみえるが。

 サキュバス、確か色欲の悪魔か。子供のぼくにはあまり関係ないけども。

 悪魔にも色々区別があるんだな。

「たけしは絹のように白い肌に手を這わせた。それに呼応するように、ぴくりと動く。たけしの手はそれでも止まらず、何かを求めるように、下の方へ」

「やめろ。朗読するな」

「もう、これからがいいところなのに」

「小学生に変なものを聴かせるな。情操教育に悪いぞ」

 まあ三百人殺させようとする悪魔に言っても仕方のないことか。今更だ。

 勉強を続けていたら、今度は悪魔が絵本を読み始めた。またしても朗読をはじめる。

 それはべつに、いわゆるエッチな内容ではなかったため、止めることはしなかった。

 内容は、子供二人が犯罪に手を染め、捕まり生涯を終える話だった。

 絵本にも色々あるんだな、とそれについて思ったことはそれくらいだ。

「んふふ。斜めくんはこんなふうに牢獄に入れられたりしないわよねえ。いえ、これは精神病院だったかしら。同じようなものね」

「ぼくが精神病院なんかに入れられるわけないだろう。仮にやったことが世間に知られたとしても、普通に死刑だ」

 いや、まだ一人だから死刑にはならないか。まだ、なんて言っても意味が無いけど。

 壊れてないぼくが入る意味も、それこそ無い。

「そうはならないから大丈夫よん。うち様を信じなさいな。だから安心して、五人と言わず、三百人さくっとやっちゃいましょう」

「そのためにこうして勉強しているんだ。邪魔するな」

「はーい」

 その後も集中して知識を蓄えた。主にナイフを使う知識を。


 また新しい、いや飽き飽きな一日だ。

 ぼくは今学校のトイレにこもっている。別にお腹を壊したわけではない。

 あれから知識を試したかったけれど、すっかり陽が暮れて学校にもどるわけにもいかなかったし、そのまま家に帰った。

 そして次の今日、ある程度学校で過ごし、また小道具を用意してトイレというわけだ。

 あまり使われていない、人通りの少ない離れた場所。利用する者も少ないだろう。

 あまり早くから実行しても、捕まるリスクが増えるので、仕方なく午後からにした。

 下見をしていないけど、いい加減同じ日を繰り返すのも辛いので、包丁をつかむ。

 これがどれくらい辛いかは、経験できる人間もいないだろうけど。毎日同じ曲を聞きながら、同じ食事を続ければ少しはわかるかもしれない。

 足音だ。

 生徒なのか教師なのか。

 一人目はなんとなく悪い奴からにしたかったけど、二人目からはどうでもいい。

 計画的な無差別殺人である。

 おそらく一人、入ってきた。当然男だろう。女子トイレにこもるわけにもいかない。

 大丈夫だ。ぼくはやれる。もう初めてではないんだし、身体の急所もわかった。

 武器はその辺にあるただの包丁だけど、別に日本刀やら銃やらなんて必要ないはず。一応数本持ってきている。日本刀でさえ一人斬ると切れ味が悪くなると読んだ。

 足音が段々と近づき、そして止まった。ごそごそと布の音がする。

 今だ。

 足でレバーを倒し、トイレの水を流す。そしてドアを開け、個室から飛び出した。

 相手の姿を確認する。教師だ。スーツ姿で、三十代くらい。完全に排便中で動きはしない。

 ぼくのことなんて警戒すらしていないだろう。

 一気に勢いをつけて、背中に包丁を振るった。二度目の人体を傷つける感触。深々と刺さった。唸り声。書いてあったとおり、人体に刺した包丁は簡単には抜けない。ぼくはすぐに手を離し、二本目に手をかける。

 返り血は小道具、雨合羽に降りかかった。赤い水玉模様になる。

 相手がこちらを見ていたら警戒されていたかもしれない。タイミングが重要だった。

 痛みに足が震え、教師は崩れ落ちる。何か言っているが、聞く耳は持たない。

 騒がれても困るので、二度目の刺突。今度は首だ。刺さる抵抗は少ない。筋肉が薄いからだろうか。

 これだけのことで、あっさり相手は絶命した。痙攣はしているけど、生きてはいないだろう。

「ふう」

 感傷にふけることも高笑いすることも涙ぐむこともせず、次の作業にとりかかる。

 なんせ辺り一面血まみれである。ぼくの顔にも少しかかった。

 ここがトイレである利点そのニ、トイレットペーパーも水もあること。その一は言うまでもなく、相手が隙だらけになること。

 多量に紙をまきとり、せっせと拭き掃除。なんだか地味である。さきほどのやりとりが遠い過去のように感じる。

 ちらりと横をみれば、死体があるんだけれど。

 ある程度拭き終え、そろそろトイレである利点その三を発動させよう。

 つまり個室がいくつかあること。そこに死体を詰め込み、扉にひっかけるように閉じさせればお手軽に隠すことができる。

 無論お手軽ゆえ、いつかは見つかるだろうが、ぼくの場合少しの間隠せればそれでいい。

 しかし死体、重そうだなあ。

 めげずに手をかけようとした時、足音が鳴った。

 足音、はっきりと聞こえる。もし先ほどのやりとり中のような精神状態だったら、聞き逃していたかもしれない。振り向いたらいきなり目撃者と目が合う、なんてことになったら最悪だった。

 しかし最悪とは言わないまでも、若干焦る。考えている間にも足音は止まるわけもなく近づいてくるし。

 ひとまず、ぼくは入り口の横の部分、入ってすぐには気付けない所へ移動した。喉に刺さった包丁は回収しておく。背中のものよりは抜きやすい。

 人通りの少ないトイレで立て続けに人がくるなんて、やはり下見は重要か。

 落ち着け。大丈夫、ぼくは落ち着いている。こうして遠目に死体を眺めてみると、改めて全体がよくわかる。

 目は何処を見ているのかうつろだし、喉からの血は赤ちゃんのよだれ掛けのように広がっている。痙攣はおとなしくなったのか、もう動きはしない。

 公園でたまに見かける、ぼんやりとした人間よりもさらにぼんやりとしている。

 身体を動かす。

「ひっ」

 息を飲むような声が側で聞こえた。無論ぼくじゃない。死体鑑賞者が増えたのだ。

 大声を出されるとまずいので、相手が死体に驚くことをみこして襲いかかった。

 あと数秒放っておいたら、逃げるなり駆け寄るなりしたのかもしれないけど、それを待つ気はない。

 相手はぼくより年下の男子生徒だった。おそらく二年生くらい。

 まず後ろに回り込むようにしてから口を塞ぎ、その後空いた方の手で喉に包丁を突き立てた。

 刃こぼれしていないか心配ではあったけど、綺麗に斬れてくれた。またトイレに赤い着色がなされる。掃除するのはぼく以外にいない。

 深く刺し込みすぎだせいか、喉からひゅーひゅーと息のような音が洩れている。

 それでも目が口ほどに物を言おうとしていた。生憎よくわからなかったけど。

 少年の手足から力が抜けたところで、そのまま引きずり個室に放り込んだ。こちらは割りと軽い。あっちの死体もこれくらい軽いと楽なんだけども。

 元教師の身体に手を回し、脇の下の服を掴むようにして引きずる。やはり流石に重い。滑車が欲しくなるくらいだ。こんな狭い所じゃ使えないけど。

 床があまり摩擦のないタイルで助かった。なんとか、少年と同じ個室へ押し入れる事に成功した。足を曲げ、扉が閉まるように工夫してと。

 一息つき、額の汗をぬぐう。次は拭き掃除だ。まだ人が来るかもしれないので、そのための準備としてなるべく平常の状態に戻しておかなければいけない。

 死体で目を引くやり方でもいいけれど、入り口の近くであまり事を起こしたくはない。

 備え付けのホースを使って水を流してもいいけど、最初からそれをやると床が赤い水でいっぱいになりそうだ。

 なのでとりあえず大雑把にでも拭きとった。

 それからは掃除し終えるまで静かなものだった。雨合羽についた血も拭い、顔は水で流す。

 冷たい水が、疲れや緊張でこわばった顔に気持ちい。

 夏というのもあって血なのか妙な匂いがするけれど、換気するしか手はない。この匂いに敏感に反応する人間はいるのだろうか。漫画ではたまにいるけれど。

 ようやくひと目では事件が起きた形跡が無いくらいまで、元に戻すことができた。トイレは清潔にすべきである。事件の犯人が誰かは言うまでもない。

 もう帰ってもいいくらいだけど、もう少しいることにした。まだ空いている個室はあるし、あまり日数を重ねたくはないし。

 というわけで個室で待機。

 こんなに長くトイレにいたのは、短い人生だけど初めてだ。まあ生きていればこういうこともあるか。

「ぬふふ」

「なんだ」

 狭い個室だというのに、悪魔が現れおった。座ることもできないというのに。

 足元に和式便器があるせいで、どこにでも足をつけられるわけでもないし。

 ぼくは勿論悪魔だって便器に足は突っ込みたくないだろう。

「いやあ、こんなにあっさり二人やっちゃうなんて、さっすが斜めくんだなーと思って。あのあどけない少年の苦しむ顔を見てなんとも思わなかったのかい?」

「いや……別に」

 ぼくにそんな少年嗜好はないぞ。

「ちなみにうち様はあります。ってそうじゃなくてさ、まあいいや」

 なんなんだ。ただでさえ雨合羽で暑いんだから、用も無いのに出て来ないでほしい。

 でかいこいつが来ると気温が数度ました気さえする。

「うち様は暑いとかないけどねー。だけど匂いで身体が火照っちゃうかも。斜めくんの汗と、二人分の血の匂いが身体を熱くするわあ」

 やはりまだ匂うのか。それともこいつの嗅覚が悪魔的なだけか。ともかく興奮するなら姿を消してからにしてほしい。

「こっちくるなよ。絶対くるなよ」

「それは振りかしら。そう言われると行きたくなっちゃうわあ」

 じわじわと近づいてくる。すぐ後ろは壁だ。ドアも悪魔が抑えていて、逃げ場は無い。

 指がぼくの頬に触れる。さらに、雨合羽のボタンを器用に片手で外していく。こんな事をしなくても、悪魔なんだからいつでも好きな事ができるだろうに。それとも本当に匂いで頭をやられているのか。

 下からじっと悪魔の目を見上げていたら、また足音が鳴った。

 今のぼくは狩られる側の獲物といった感じだが、それならこの足音の主はぼくの獲物だ。

 いつの間にか悪魔は消えている。さすがに空気を読んだか。

 まだ使っていない方の包丁を手に、神経を集中させた。

 ついでにボタンも直しておく。


 それから二人ほどやっつけて、ぼくは帰路についた。もはや小学生の本分である学業を全然果たしていない。こんな状況だから仕方ないけれど。

 最初の二人がいなくなったことで、もしかしたらにわかに騒がれていたかもしれないが、トイレにいたからわからなかった。

 あのトイレには今も四人分の死体が眠っている。もしループしなかったらさらに悲惨なトイレになるかと思うと、薄ら寒い。

 閉まったトイレの個室内なんて中々見ないだろうし、ひどい匂いが立ち込めてから発見されたりして。

 さすがに帰ってすぐシャワーを浴びた。汗だけでなく水洗いしただけの血、それに匂いや脂までもが付いている気がして気持ち悪いのだ。

 夜に妹と入るという手もあるけど、さすがに待てない。

 しかし何処に行くこともしなかったので、結局また風呂にはいることになってしまった。

 短時間でこんなに風呂に入る小学生は某機械猫のあの子くらいである。

「おにいちゃん、なんだかたのしそう」

「そう? 自分ではわからないなあ」

 湯気が立ち込める中、同じ湯船につかる妹がそう言った。

 楽しいとすれば、ループへの終わりが少し進んだ事くらいか。終わりまでのパズルが三百ピースだとすると、今は五ピース。

 これじゃあ何の絵か、一部分すらわかりはしないけど、それでも着実に進んでいる。

「なんていうか、きのうまでのおにいちゃんとはちがうんだー」

「昨日、か」

 昨日、妹とはどんな話をしたっけ。よく覚えていない。相手からしたら、ぼくは急に変わっているんだろう。ぼくからしたら、昨日までの自分と何が違うのかよくわからないけど。

 その後は、特に何事もなく図書館で借りてきた本を読みながら過ごした。


 今日は簡単な工具を用意してから学校へ向かった。

 あのトイレにはもうあまり人は来ないだろう。来る人間は消えているはずだ。また別のトイレにこもってもいいけど、それも味気ないので別の作戦を考えたのだ。

 人気のないトイレも限られていることだし。

 この作戦は一人しか殺せないけど、直接戦うわけじゃないから体格のいい相手向きのはず。

 といっても直接ぶつかりはするんだけども。


 ガツンガツンと、金槌を振るう。

 パチンパチンと、ペンチで切る。

 なるべく暗いイメージを頭に浮かべて、ペンを滑らす。

 最後にあれこれセットして、後はぼくの演技力しだいだ。

 

 ぼくはいかにも慌てたように、その教師に手紙を渡した。別に走ってきたわけでもないのに息を切らしたように整える。

 その教師は休み時間だというのに、校庭の隅で筋肉トレーニングをしていた。スクワットで太腿をいじめているようだ。休み時間なんだから休めばいいのにと思ったけど、まあそれはいい。

 確か体育会系のクラブの顧問だったような。違ったかな?

「先生っ。さっき廊下を歩いていたら、こんな手紙を渡されました」

 押し付けるように渡す。それを読んだ教師は、みるみる顔色を変えた。

「お前、これ。誰から?」

「なんだかとっても思いつめた顔で、階段登ってっちゃいました。やっぱり止めたほうが良かったですか?」

 そう言うと教師は駆け出し、校舎に入り階段を登りはじめた。ぼくもあとを追う。さすがに速く、ついていくのがやっとだ。

 必死に走っていたら、あっという間に屋上についた。普段は鍵が閉まっているけど、事前にぼくが開けてある。金槌で叩いたら簡単に開いたのだ。

 ドアを開け、屋上を一望する教師とぼく。

 あまり使われていないせいか閑散としていて、小学校というイメージからはかけ離れた雰囲気だ。そもそも立入禁止なせいか、落下防止用にしては簡単なフェンスで囲われている。

 そしてそのフェンスの側に、目立つ靴が一足、並べておいてある。

 誰だって、駆け寄らざるをえないだろう。誰だって、下を確認せざるをえないだろう。

 教師もそうした。もしかしたら正義感だとか生徒のためだとか、それとも別の理由があるのかもしれない。

 そしてぼくも一緒に駆け寄った。下に何があるのかはわかっている。ただ、生徒がたまにしか来ない外の通路があるだけ。

 教師がフェンスに掴みかかり、下を見ようとしたとこでぼくは勢いをそのままにぶつかった。

 一度外してまた立てかけただけのフェンスじゃ、筋肉質な教師を支えきれない。

 ぼくの体当たりでびくともしなかったらどうしようかと心配だったけど、ちゃんと倒れてくれた。

 いや、落ちてくれた。

 ただぶつかるだけでこの体格差を覆せるんだから、この作戦はそれなりに成功だ。

 下を確認するよりは、さっさとこの場を離れたほうが有益なので、身を翻し屋上をでて、階段を降りた。

 教室に戻る。休み時間が終わってしまった。授業を受けながら、このまま帰ってまた図書館に行くかそれとも別のことをしようかと考えていたら、担任とは別の教師が慌てたように教室に入ってきた。

 なんでも、なにか大変な事が起きたから生徒を皆帰すと言う。詳細は伏せられていたが、もう死体が発見されたのか。

 トイレとでも言って抜けだそうかと思ったけど、相手がそういうのなら便乗させてもらおう。

 皆やったぜ、だとかどこで遊ぶ? だとか話ながら、帰り支度をしている。小学生からしたら、学校が休みになることのほうが大事件か。

「ながめくん。ながめくん」

「ん?」

 鞄に色々しまっていたら、木木木がぼくを呼んだ。いつも以上になんだか控えめといった印象だ。

「今日この後、街で一緒に遊ばない? もしながめくんがよかったらだけど」

 こういうパターンもあるのか。と、声を掛けられて最初にそう思った。特にすることもないし、目新しい出来事だし、断る理由は特に無い。

「うん。いいよ。一度帰って、何処かに集まろうか。陽炎公園とか」

「陽炎公園、あああそこだね。じゃあ、後でね」

「うん、また」

 木木木美々、変な名前。やや内向的で特に役員にはついていない。超常的なものが好きなのか、憧れている様子。あの帽子は服装に限らずいつもつけている。理由は知らない。よく話すようになったのは、いつ頃からだったか。一つ確かなことは、悪魔よりはマシってことだ。

 

「ああ、待たせちゃった?」

「ううん。大丈夫」

 陽炎公園の名の通り、ここはほとんど何もない広場だ。まるで荒野か砂漠のように、日光がうねっている。こんなのでも公園と名乗れるのかといったところ。そんな場所の隅、かろうじて残る木々の影に彼女はいた。

 当たり前だけど、服装に変化はない。それよりも一人なのが気になった。てっきり他にも誰かいるとおもったのだ。

 しかし思い返してみれば、そんな事一言も言ってないか。

「ここなんにも無いし何処か行く? 街だっけ」

「じゃあデパートいこっか。色々見て回ろうかなあって思う」

 そんな木木木の提案にのっかり公園を後にする。少し歩きバスに乗り、そのまますぐについた。そんなに長く乗っていなかったのに、景色は結構変わるものだ。建物一つ一つが違うだけで新鮮な感じである。

 一、二回来たことがあったかな。そこは五回建ての大きなデパートで、中には色々な店が連なっている。平日の午前といえど、客が沢山いて繁盛しているようだ。

 立体駐車場も配備されているが、ぼくらには縁がない。そのまま正面から中に入った。

 一階は飲食店や休憩所やスーパーのような食料品が並んでいる。

「こっちこっち」

 木木木が手を振り誘導する。なんとなくテンションが高い気がする。やっぱり一般的に見て、女の子は買い物が好きなのか。

 エスカレーターに運ばれて、三階へ。うちの学校にもこういう装置が欲しいな。さすがに怠け過ぎか。運ばれながら思ったけど、今日は木木木に流されっぱなしである。

 まあいいか。ぼくとしても新鮮な景色を見られることだし。

 三階は服飾店やら靴屋やらファンシーな小物ショップやらが並んでいた。男子にはあまり縁のなさそうなフロアである。

 ちなみに今ぼくが着ている服は姉が買ってきたもの。小学生だからというのと、人にどう思われようと興味が無いというのもある。

 木木木は小物店に入っていった。ぼくもついていく。

 なんというか、八割ピンクである。壁も机もピンクで、売っているものもほとんどピンク。動物のストラップや星のペンダントや、ぬいぐるみやら。

 ぼくがこの店で何か買えと言われたら、相当ふるいにかけなければいけないかもしれない。

「今このキャラが人気なんだあ」

 そう言って彼女が見せてくれたのは、熊のような犬のような、それでいてぽってりとした、さらに翼の生えた何かだった。その何かがキーホルダーになっている。

「ふうん。可愛いね。なんていうの?」

「クマトブーだよ」

 クマトブー、熊なのかこれ。虎に翼ではなく、熊に翼なんだなと妙に納得した。

「こっちはあんまり人気ないんだあ。クマトブーのお友達なのに」

 子供は友達が持っているものを皆欲しがるというし、人気は重要なのかも。ぼくも子供だけど。

 木木木が指したのは、同じようなデザインの、猫のような猪のようなものだった。ただし翼が生えていない。

「これも名前があるの?」

「うん。こっちはイノトベンっていうの。私はこっちも可愛いと思うんだけど」

 変な名前だなあ。トブーに対してトベンって。本当にお友達設定なのか、この二匹。

「ながめくんはどっちが可愛いと思う?」

 難しい質問が飛び出した。両方のキーホルダーを掲げる木木木が審判か何かに見えてくる。

 こういうのは難しく考えるべきではないよな。

「こっち」

「わあ、私もそう思ってたんだあ」

 そう言って、木木木はイノトベンのキーホルダーを買いにレジへ持っていった。

 なんとなく翼がない所が共感が持てたってだけなんだけど、この反応は予想外だった。

 ぼくたちはそれから店を出た。木木木は袋を開け、キーホルダーをさっそく鞄に取り付ける。

 なんだか楽しそうというか嬉しそうだなあ。

 そんなにあのキャラクターが好きなんだろうか。

 それから適当にぶらついて、昼食をとることにした。一階である。

 ハンバーガーやら焼きそばやら売っているけど、ぼくは興味をそそるそれの食券を買い、店員に渡す。そしてできたものを持って机へ。

「ながめくんそれなあに? ラーメン?」

「たこ焼きラーメンだってさ。炭水化物あんど炭水化物」

 正面に座る木木木は、同じ店のカレーだった。なんだか異様に黄色いけれど、こういうカレーもあるか。そういえば、今日の給食はカレーだっけ。その埋め合わせだとしたら、凄いカレー好きである。

「へえー、ふしぎだね」

 いただきますをして、食べ始めた。ラーメンは、まあ普通のラーメンだった。たこ焼きが汁を吸って柔らかく、味わい深い。

「なかなか美味しいよ」

 テレビで見たような気がするけど、こういうダシをかけたたこ焼きもあるんだっけか。

「その、一つもらってもいい?」

「ん、いいよ。はい」

 いくつかある内のたこ焼きを箸でつまみ、木木木へ向けた。

 てっきりスプーンで受け取ると思ってそうしたんだけど、木木木はなんだかもじもじしたあと、身を乗り出し口で直接受け取った。

 咀嚼し、飲み込む。

「おいしい」

「良かった」

 別にぼくが作ったわけじゃないけど、美味しいことは良い事だ。そんな良い事は、目の前の黄色いカレーにも起きているんだろうか。給食のカレーは飽きたけれど、それとは違う味だろうし少し気になる。

「ぼくもそれ、一口もらっていい?」

 問いかけると、木木木はすぐに返事をしなかった。もしかしたら、カレーを少しでも手放したくないのかもしれない。

 なんだか頬を赤らめて悩んでいるようだけど、そろそろやっぱりいいよ言ってあげるべきだろうか。

「大丈夫。はい、ながめくん」

 そう言ってカレーとライスをうまく半々に掬い、スプーンをこちらに向けた。箸、じゃ受け取れないよな。箸は便利なものだけど、さすがにカレーとの相性では圧倒的に分が悪い。

 彼女もしていたことだしいいか。

 ぼくは身を乗り出して、スプーンを口に咥えた。給食のものとは違い独特な香りが広がるカレーだ。こういうのを本格的というのかな。

「うん。あまり辛くもなくて良いね。おいしい」

「そ、そうだね。私もそう思う」

 俯きがちに頷いた。

 それにしても、と学校の事を考える。あれから警察は来ただろうな。事故や自殺とは思われないだろう。

 ぼくがあの先生と屋上に行くところを見たのは、たぶん生徒だけ。

 生徒はすぐに帰していたけど、ぼくだってバレているだろうか。いないだろうか。

 どちらにせよ、今日はまた家に帰らないほうがいいな……。

 一口カレーを頂いてから、木木木は食べるのが遅くなったけれど、二人共食べ終えてまたデパート内をうろうろすることにした。

 見たところ主婦が多い。それと幼児も一緒だ。屋上では何かイベントをやってるんだろうか。

 四階だ。おもちゃとゲーム屋、本屋、それにゲームセンターのような場所もある。もちろん本場の店に比べれば、どれも小さいものだけど。

 ゲームセンターの方へ行く段になって、ぼくは生理現象にみまわれた。

「ごめん、ちょっとトイレ」

「じゃあここで待ってるね」

 入り口付近、お菓子が景品のゲームのそばで木木木はそう言った。あまり待たせるのも悪いのでとっとと済ませよう。


「随分楽しそうだわー。妬けちゃうわー」

 小の方の便器を使用中に、悪魔に語りかけられた。いくらなんでもタイミングが悪い。

「変な時に出てくるな」

「なにおう。じゃあ次はお風呂中にしておくわあ」

 まだお風呂中の方がマシという気もするが。しかし楽しそう、か。後半の文も含めて、いつものからかいだろうか。

「そうじゃないですー」

 変な悪魔だ。変なのはいつもか。とっとと木木木の元へ戻ろう。時間が止まっていようと関係なく、気分の問題である。

 トイレを出ると、なにやら中学生くらいの男達に木木木が絡まれていた。茶髪が二人、黒髪が一人。着崩しているが、あれは学ランか。茶髪の二人が揃って太っているのはそういうコンビなのだろうか。

「お譲ちゃん、随分見せ付けてくれるじゃねーか。ガキのくせにいちゃいちゃしやがってよおよお」

 黒髪さんはお怒りのようだ。

「あっちゃんひがみすぎ。そんなにいうなら奪っちゃえば。略奪愛っしょ」

「ふは。やっぱりあっちゃんロリコンかよ」

「あの……、えと」

 木木木は怯えて何も言えない様子だ。そりゃあ人見知りの子がこんなことになったらそうなるか。さてどうしよう。別に放っといてもいい。あの三人を殺したとしてもピースは埋まりはしないし。騒ぎになって捕まった場合も罰ゲームは下るんだろうか。

 しかしやはり手をだすことにした。だって、あれはぼくの獲物だから。

 鞄から包丁を取り出し、周りや木木木に一応見えないようにして、中学生に近づいた。日常的に持っておいて良かった。備えあれば憂いなし。

 手を伸ばせば触れられそうな位置まで来てようやく、黒髪はこちらに気づく。

「あ? 彼氏くん登場ってか」

「ねえ、嫌がってるんだからさ。どっか行ってくれないかな」

 ちらりと銀色が見えただろうか。

「あ? そんなもんで俺がびびっとでも」

 少しだけ、あの時やあの時のように深く刺さらないように加減して、先っちょだけ刺した。

「いてえっ」

「あっちゃん、こいつの目やべえっすよ」

「関わらないほうがいいっすよまじ」

 目? こんないたいけな少年の目がどこかおかしいだろうか。さっきトイレで鏡を見た時だって、目やに一つない綺麗なものだったはず。

 しかし中学生達は逃げていった。よくわからないけど、結果としては解決である。とっさに包丁を鞄に戻す。

 木木木が近づいてきた。

「良かったあ。ながめくんありがとう。私嫌だって言えなくて」

 その安心した表情をみるに、うまく隠し通せたようだ。

「なんか知らないけど逃げてったね。あんな中学生にはなりたくないものだ」

「ねえながめくん。私達がこうしてお話するようになったの、いつからか覚えてる?」

 正直覚えていないけど、木木木はそのまま話し始めた。昔を思い返しているように。

「今みたいなこと、前にもあったよね。私がやったんじゃないことで、先生が怒ってて、ちゃんと口に出せない私を見かねて、ながめくんが助けてくれたこと」

 若干つっかえつっかえだけれど、言いたいことは伝わった。しかしそんなこと、あったかな。

 ぼくよりは木木木の方が人に対する記憶力はいいだろうから、たぶんあったのだろう。

 興味の度合いが記憶力に作用するみたいだし。

「あああったね。でもそんな、誰でもそれくらいはするよ」

 今日のぼくは流されくんである。

「ううん。そんなこと無いよ。ながめくんだけ」

 そんな風に目を合わせられても、何も出来ることはないのだが。誰にでも出来ることはするけど、誰にも出来ないことはぼくにも出来ないのだが。

「まあ、さ。ゲームしようよ。ぼくって本ばかり読んでるから、あんまりこういうのやったことないだよね」

 そう言って、やや強引に木木木とゲームをプレイした。それからも本屋や屋上やらに行ったりして、僕らは帰ることにした。

 バスを降りて木木木に手を振って、ぼくは家とは違う方向へ。また悪魔がでてくるのかなあと憂鬱になりつつ、街へと足を運ぶ。赤みがかった空が随分と綺麗に見えた。


「痛いよ。お兄ちゃん」

「どうしてこんなことしたんだね」

 笑ったときの口のように、首が開いている少年が言う。その首からは血が溢れ、肌は死人のように白く目も白く濁っている。

 首と背中からでた赤い液体を装飾のようにまとった、斬新なスーツの教師が言う。そんなに身体の外へと流しちゃうから、見るからに肌に血が通っていないのだろう。

 鮮度の悪い魚のような目は最近の流行りなんだろうか。

 割れたスイカのような頭を備え付けた胴体が、こちらに近づいてくる。筋肉質で強そうではあるけど、地球との頭突き勝負には勝てなかったようだ。

 さらに太ったものや小さいもの達がぼくにまとわりつく。ぼくは直立したまま微動だにしない。右手が頬へ、左手が頭へ、手が腹へ、手が首へ、手が足へ、手が腕へ、手が目へ、手が口へ。

 ――――。


「っ。……おはようございます」

 頭の内側で金槌を振り回されているような気分だ。最近夢見が悪い。カーテンを開けてみたけれど、眩しいだけだった。窓を開けてみたけれど、夏の熱気を感じただけだった。

 部屋をでても、姉に心配され起きてきた妹にも心配される始末。


「ながめくん、大丈夫? 凄い顔色だけど。保健室行く?」

「ああ、まあ」

 凄い顔色か。それでも血が通っている以上、夢にでてきたあいつらの色は再現できないだろうな。

 保健室。精神科じゃないんだから、行っても寝るくらいしかできないだろう。

「ちょっと悪い夢を見てね」

 気味が悪いというか気持ちが悪いというか。そこでふと、木木木の鞄に目がいった。デパートへ行った時と同じものだけど、当然キーホルダーはついていない。

 僕の頭にいくら出来事が残っていても、木木木の中には残っていない。だから顔色に驚いてはいても、そこまでギャップを感じてはいないだろう。

「悪い夢かあ。私もたまに見るよ。でもすぐ安心するんだあ。これはただの夢なんだって」

「ポジティブだね」

 夢。ただの夢だ。大体なぜぼくは普通に教室に来ているのか。ただの夢をみたくらいで、足踏みしていられない。

 悪い夢といったら、もうずっと見続けているようなものだけど。

「用事ができた。またね」

「ええっ。どこいくの? そんなどうどうとしたサボり聞いたこと無いよ。サボりは良くないなあって思う」

 帽子が跳ねそうなくらい驚いていたが、ぼくは止まらずに教室を出た。

 今日も殺さないと。

 

 一人刺して、二人血を流させて、三人心臓の活動をとめて、段々と手が重くなってきた。

 これで十人か。後何人だ。確実に学校から姿を消して入るけれど、大勢には影響しない。

 消しても消しても廊下を走る生徒の数は変わらない。

 潰しても潰しても数百の心臓がいまも鼓動を続けている。

「三百って、でかいんだなあ」

 夕方の薄暗いトイレでひとりごちる。手は血と脂でまみれ、ぬるぬるとしていて包丁が持ちづらい。一秒で一人やれれば五分、一分で一人やれれば五時間。そんな風に思っても、気持ちは軽くならない。

 根がネガティブなのか、血や死体をみて気が滅入っているのか。

 他人って生きている時より、死んでいる時のほうがよっぽどぼくに影響を与えている気がする。

 そうだ、もっと一度に沢山やれないだろうか。

「でさー、あいつがさー」

「まじかよ。そいつアホだろー」

 二人、いや足音からして三人、一度に入ってきた。いや、いくら人通りがないからって、あり得る事だ。しかたない。今回は見過ごすか。

「なんか臭くね?」

「そりゃこんだけ入ってたらな」

 閉められた個室を見て言ったのだろう。臭いのは血の匂いだと思うけれど。

「同じクラスのやつだったりして。覗いてやろうぜ」

 学校で大の方をするとよくからかわれると聞くけど、まさか。

「う、うわあああ」

 素っ頓狂な悲鳴とともに、床に落ちたような音。まさかとはおもったけど、本当に覗いたようだ。戸の上によじのぼり、中を見たのだろう。

 それも幸か不幸か、死体の詰まった方を。

 ぼくはすぐに雨合羽を脱ぎ飛び出し、駆け抜けた。幸い通路は塞がれていなかった。急がないと、すぐに声を聞いた者が集まるかもしれない。もしくは彼らが人を呼ぶ。そんなことになったら、トイレから出ることができなくなる。百パーセント捕まる。

 廊下を抜け、階段を降り一階を走る。

「きゃっ」

 見知らぬ女の子に驚かれる。手の血を見られたか。今自分がどんなひどい状態であろうと、立ち止まるわけにはいかない。

「怪我してるのか? 待ちなさい」

 校門を抜ける時教師に声を掛けられたが、無視して走り抜けた。

 黄昏時、血を浴びた小学生が路地を走る。逢魔が時とも言うけれど、まるで魔物だ。

 いや、これはいささか自分を装飾しすぎか。

 ぼくは只の人間である。悪魔は別にいる。

 公園で手を洗い、ハンカチを湿らせて血がついていそうな所を拭き取る。

 見あげれば、そろそろ夕日が出番を終えそうだった。赤くて気持ち悪いからありがたい。

 

 また夢をみた。昨日殺した相手が出てきた。夢に出てくるくらいだから、少し喋った相手なんかよりしっかりと顔を覚えているようだ。例えば田中よりも。

 喧嘩は一種のコミュニケーションというけれど、ならば刺殺もそうなのかも。

 刃物という阻害物はあるけれど、ほとんど直接触れ合っているようなものだ。ならば絞殺だったら、もっと親密になるのだろうか。

 もっと親密に夢に出てくるのだろうか。

 

 ガソリンの匂いが鼻につく。停めてあった車から、ポンプを使い拝借したものだ。廊下に撒布している最中である。こういう物が簡単に手に入るのが、現代のいいところだと思う。バケツから液体が零れていく。

 最初からこうすればよかった。興味のない相手なんかとコミュニケーションをとっても足を引っ張られるだけだ。それに一人ずつ丁寧にやっていくなんて効率の面でも最悪だ。全部一度に燃やせばいいんだ。

「おい、なにしてるんだ。やめろっ」

 教師が叫ぶように言って、ぼくの腕をつかむ。そんな風にしたら、こんな細腕折れちゃうよ。 まだ全然撒ききっていないのに邪魔をするな。

 ライター、どこだっけ。右のポッケか、左のポッケか。

「ほら、こっち来い。くそっ一旦避難させたほうがいいな」

 避難? 何を言ってるんだ。避難なんてさせたらせっかく撒いた意味が無いじゃないか。ライターを探す手も掴まれた。外そうとしても、体格差も力量差もはっきりしている。

 教師に引きづられて、バケツが遠ざかっていった。

「やあやあ。久しぶりに捕まっちゃったねえ。次にうち様が出てくるのはお風呂だとか言った気がするけれど、その前に捕まっちゃうなんて、そんなにお風呂一緒に入りたくなかったのかい?」

 なびく髪が、視界を埋めた。カラフルで蠢いて、終わったようなモノクロめいた世界に無理やり色をつける。

 花火みたいに胸を撃ちはしないけど、少しだけ頭が冷えた。もしくは嫌いな奴に会ったからかもしれない。

「ああ、そうだ。ぼくって意外と恥ずかしがり屋なんだよ。年上の姉や、ましてや数百歳だかなんかと一緒に入りたくはない」

 まだ教師に手を掴まれていて、いつもより視点が低い。悪魔をさらに見上げる形になる。

「それじゃあ斜めくんがただのシスコンに聞こえるよ。ん? シスコンって姉も入るんだっけ。日本語って難しいね」

「それは英語だろう」

「ははっ。まあいいや。それじゃあ、行ってらっしゃい」

 そう言って、手を振った。できればこのままずっとお別れしたいけど、そうもいかないんだろうな。それでも、

「さよなら」

 精一杯の抵抗としてそう答えた。


 一気に視点が上がった。ここは、どうやら屋上らしい。木々や校外の道路や建物が見える。しかしフェンスは見えない。だって、外側にいるから。いや、それだけじゃなくどうみてもぼくの通う小学校の屋上なのに、フェンスが全て消えていた。

 周りを確かめて、気づく。ぼくの後ろに靴が並んでいる。サンダルのような靴。ぼくが普段履いているものだ。僕は裸足になっている。ご丁寧に、『いしょ』と書かれた紙も。

 これじゃあまるで自殺じゃないか。

 自分で飛び降りろと言ってるのなら、拒否する。自殺だけは何があってもする気はない。

 もしかしたら飛び降りるまで何年も放置させられるのかと危惧したけれど、ちゃんと後ろに現れてくれた。

 スイカおじさんならぬ、筋肉質の教師だ。

 足の裏を直接相手にぶつけるような、いわゆるケンカキックをかまされた。丸いのの時も思ったけど、乱暴だなあ。背中に痛みを感じつつ、全身には浮遊感を感じる。階段の時のようにすぐにはぶつからないだろうけど、その分衝撃が凄そうだ。離れていく屋上と教師。その表情はよく見えないけど、満足しているのか物足りないのか。案外色々と思考できるものだ。そういえば、地面に叩きつけられる瞬間気を失うとかいう話を聞いたこ。

 ぐしゃ、と聞こえた。いや、ぐちゅかな。でも肉よりも、骨がより強く奏でた気がするから、やはりぐしゃ、だ。

 鼓膜どころか頭が潰れているだろうに、やけに意識はハッキリとしていた。罰ゲームだからか。地面に耳をつけているような気分である。いまなら蟻でも細部まで見えそうだ。実際に、よく目をこらせば沢山蟻が働いている。ぼくの血で溺れないといいけれど。

 血、温かいと思ったら、そのせいか。絵の具を落としたように広がっていることだろう。

 そして、痛い。痛いというか気持ち悪い。

 刺激的な痛みよりも、遠心分離器にかけられたような気持ち悪さが響いている。

 なんだこれ。落ち着くまで寝ていたい。どちみち身体動かないけど。

「頭に昇った血、少しは降りたかい?」

 悪魔の足が目前に現れた。人間のように指が五本で、爪が赤い。これはなんて言う靴だったか。ミョ、ミュール?

「なんだいじっと足を見つめて。そういう嗜好だったのかい。ほれ」

 踏まれた。路端で横になる小学生男子の頭を踏みつける。まさに悪魔だ。別に足が好きだから足を見ていた訳じゃなくて、ただ動けないだけなのだが。

 神経が死んでいるのか踏まれても感触はない。いや、死んでいるのは身体か。

 抵抗もできずされるがままにぐりぐりされていたら、やがて飽きたようで足を降ろした。

 喋ろうとしても全く動けないので、音も発せない。

「じゃあそろそろ開放してあげよっか。ほーれ」

 そう言って、悪魔が右足を上げる。まるでサッカーのシュートでも決めるかのように。

 そのまま勢い良く右足をぼくの頭にインパクト。


「はあ。おはようございます」

 思わず嘆息。

 寝違えてはいないけど、首を確かめる。ちゃんとぼくの頭は身体についているようだ。それともあの場では頭はふっ飛ばされて校舎にでもぶつかり、猟奇的な一点でも獲得したのか。

 今思えばどうかしていた。ガソリンを撒くにしても、ああも露骨にやっては捕まって当然である。

 しかしいちいち一人ずつやる作業に戻るのも癪だ。

 どうするか。

 そういえば、木木木が保健室がどうとか言ってたっけ。保健医なら何か知ってるかもしれないし、下見がてら会ってみようか。

 

 ここか。

 ぼくは外で暴れるタイプでもないし、いままで保健室にはきたことが無かった。

 戸を開ける。白を基調とした落ち着いた雰囲気の部屋だ。薬の棚があり、長机とイスがあり、それとは別に事務的な机があり、そして白いカーテンとその中にベッドが二つ。

「あら、どうしましたか」

 その事務的な机について座っていた保健医が、ぼくを見てそう言った。

 中学生か高校生なんじゃないかというくらい若い容姿、白衣を着ていて、髪は短くさっぱりとしている。その割に、ドクロの髪飾りと、両サイドに黒いリボン。

 なんだこいつ。本当に保健医か。どこかから紛れ込んできた部外者なんじゃないのか。

「ちょっとお腹がいたくて」

「そうですか。ではこちらへ」

 部屋に合った落ち着いた口調でそう言って、手招きをする。適当に椅子を引っ張って、保健医の傍に座った。何をするのかと思ったら、服をまくられた。

「え」

 さらに何かを確かめるように腹を触ってくる。ひんやりとした手が、夏とはいえ身を引きたくなる。

「ふむふむ。大したことはなさそうですね」

 お腹をしきりになでたり押したりされた。そういうのって、触っただけでわかるものなのか。それともぼくの反応を見ていたのか。まあ、痛いっていうのがそもそも嘘なんだけど。

「薬は、むやみに飲ませることはできないんですよね。どうします? 寝ていきますか?」

 ならその棚は何のためにあるんだと思ったけど、それより話を続けた。

「それと最近、妙に悪い夢を見るんだ。集団に襲われるというか」

「夢、ですか。私は精神科医ではありませんが、話くらいは聞きましょう」

 話くらいはって。

 といっても、夢というのも今日は見なかったんだけど。

「だからちょっと寝たくないというか。あ、もしかしたら小説を書いてるのが原因なのかも。先生は悪い夢よく見る?」

「私のことは、時裏か、彰子とお呼びください。貴方はなんという名前ですか?」

「鳴矢眺……だけど」

「そうですか。それでは眺くんですね。名前を呼び合うと、親密になれるそうですよ」

「はあ。時裏、先生」

 なんだこいつ。

 別に親密になるつもりはないんだけど、相談事を受ける前段階のようなものだろうか。相変わらず落ち着き払った表情である。

「悪い夢、でしたっけ。私が最近みたのはピーマンが畑を耕してピーマンの種を植えている夢でしたけど、これは悪い夢に入るんでしょうか」

「……」

 ピーマン、嫌いなんだろうか。それとも小学生と話を合わせるために、共感しやすそうな嘘をついただけなのか。表情からは読めないけど、そうだとしたら随分手馴れている。

 アンニュイな表情と無言で対応したら、さらに話を続けた。

「集団に襲われる夢。小説を書いているというのは、どのような内容で?」

「えっと、ちょっとしたパニック物なんだけど、小学校で沢山人が死ぬお話だよ。勿論あとで怪人のしわざだってわかったり、ヒーローが全部元通りにしてくれるんだ」

 事前に考えていた通りの設定を話す。いくらヒーローや怪人が出てくるといっても、日曜の朝には放送されたりしないだろうな。

「それはそれは。随分と暗そうなお話ですね。それとも海外アニメにあるような、コメディテイストなのでしょうか。どちらにせよ悪夢を見るということは、眺くんの身体に精神的な負荷がかかっているのでしょうね」

「そう、なのかな」

 やはり僕みたいな普通な人間が人間を殺し続けるだなんて、無理が生じたのかも。

「そのお話、書き上げなくてはいけないのですか?」

「一度書き始めたら、完結はさせたいよ。途中で投げ出すなんて、ぼくにはできない」

 正確には抜け出せないんだけど。

「でもその、大量死のネタが難しくて。何か参考になることはないかなって。こんな事、他の人には相談できないし」

 別に時裏だからって信用しているわけじゃないけど。他の教師だったらより高確率で、話を聞いた途端一喝するだろう。時裏も同じかもしれないが、その時はまた図書館で資料あさりでもしよう。

「ふむ。小学校というのがやや難しいですね。危険な薬品も置いていないですし。フッ化水素でもあればいいのですが」

 そう思っていたけど、すんなりのってくれた。保健医なのに意外とそういう話が好きなのか。いや、髪飾りを見るに意外でもないか。

 というかフッ化水素ってなんだ。今度調べておこう。

「舞台は別にどこでもいいんだけど、やっぱり身近な所がいいかなって」

「それはそうですね。肌で感じることで、作品に深みがでます。そういえば、こんな話を聞いたことがありますよ。とある小学校で、プールの授業中に高圧電線が入り込み、中にいた生徒たちが感電死したそうです」

 プールで感電死。いくら今が夏とはいえ、今日だってどこかのクラスがそういう授業を行なっているとはいえ、それはどうだろう。

 どうやって高圧電線を水まで持っていくのか。切るだけでも難しい。もしくは別の何かで感電させるとか。

 プールの近くにそんな大それたものはないし、お風呂にドライヤーを落として感電した、みたいな程度じゃプールは無理がありそうだ。

「いいかもね。電気を出す怪人なんかが登場したら、それくらいできそう」

 思ってもない事でも、話を合わせるために口を通す。

「そこで死んだ子供達の様子は……、やや刺激が強すぎますかね。興味があったら調べてみてください。それから、ガス爆発などもありますね」

 ガス爆発。うちの学校はまだガスを使ってるんだっけか。理科室か家庭科室か――。

「そうそう、この学校ではスクールバスなんてのもありますね。小学校としてはあまり一般的ではないかもしれませんが、事故でも起きたら大変なことになるでしょう」

 さすがにスクールバスをどうこうするのは難しそうだ。爆弾なんて無いし、車をぶつけるわけにもいくまい。

「まあ、怪人を登場させるのならリアリティは気にしなくてよいでしょう。先程はああ言いましたが、毒を使う怪人など便利そうです」

 毒か。

「なるほど。ありがとう、これでお話が書き上げられそうだ」

「いえいえ。出来上がったら、是非読ませてくださいね」

「もちろん」

 確実に反故になる約束をかわして、ぼくは保健室を出る。なんというか隔離された不思議な空間、といった感じだった。後から誰も入って来なかったのもあるのかも。

 

 次の日。

 ぼくは普通に授業を受けていた。もう何度聞いたかわからないDVD教材のような授業だけど、ただ待つのも暇なので大人しく椅子に座っている。

 何を待つかというと――。

 瞬間、校舎が揺れた。窓ガラスがびりびりと軋む。地震ではないだろう。轟音も響き渡り、一見何事もない教室にまでそれらが影響を与える。

「きゃっ」

 方向からして、なんて言ってもぼくはこの現象の原因を知っているんだけど、理科室が爆発したのだろう。

「な、なんだっ」

 ガス管を切るためのハサミと、窓を固定する接着剤と小物と、実験で火を使うかもしれないけど念のための蚊取り線香とティッシュと可燃物を使った時限装置。さらに念のための芳香剤。

 これらを使った子供の浅知恵はうまく機能してくれたようだ。

 災害でもおきたかのようにクラスメイトが怯え叫んでいる。机の下の隠れている者もいた。すぐに揺れや音が収まり、教師がそれに気づきなだめようとしている。

 さらに何事かを確かめるために、自習を言い渡し、教室を出て行った。

「な、ながめくん」

 頭を抱え机に伏せていた木木木がようやく顔を上げ、こちらに向いた。恐怖と安堵が入り混じったような表情だ。

「すごい音がしたね。まるで爆発でもしたかのようなさ」

「ば、爆発……。大丈夫かなあ。天井とか、落ちてきたりしないかなあ」

 本気で心配している顔である。想像力が豊かなのか、それともぼくが安全だと知ってるからそう見えるだけなのか。

 もし天井が落ちてきたらクラスメイトごとぼくも死ぬか。考えてみればこれまで捕まったことはあっても、死んだのは罰ゲーム内だけ。やはり大丈夫とほぼ仮定していても、死ぬ気で行動は移せない。基本的にすぐ逃げる。はなから自殺する気がないと、死ぬ気で頑張ったりしないものか。身を犠牲にして動けば、もっと早く終わりそうなものなのに。

 と、自己分析。

「大丈夫だよ。ほら、もうなんともないでしょ。どこかの一室が爆発したんだとしても、案外校舎って頑丈だよね」

 地震が多い国ならではかもしれないけど。

 やがて教師が戻ってきて、やはりというか予想通り帰らされた。

 それから立て続けに、この学校で大規模な事件が起きる。観測できたのは犯人であるぼくと、それから悪魔だけだろう。


「きゃっ」

 昨日とは別の時間に、また爆発が起きた。同じ時間に実験を行うクラスはほとんどの生徒が消えてしまったけど、別のクラスが別の時間に実験を行うだろうから、仕掛けておいたのだ。

 昨日の帰り道で見えた黒い煙を外まで放つ理科室は、今日またもとの綺麗な理科室に戻っていた。

 同じように生徒は慌てふためき、同じように教師はなだめる。

「きゃああああ」

 その見慣れた光景の中で、数百歳の悪魔みたいな声が流れた。さらに後ろから抱きつかれる。

 重い。なにがきゃあだ。

「数百歳の悪魔って言うな。そんなことを言うのはこの口かー」

「いいひゃないか、ひひつなんらから」

 後ろから、頬をつままれた。自分の頬にしてはよく伸びているようだ。こんなことに悪魔的な何かを使ったりはしてないだろうけど。

「ほれよりなにひにきた」

「ちょっとした報告ですわ。今の爆発で、また二十人ほど召されました。ちまちま一人ずつあの世に送っていた時より、順調ですわ」

 言い終え、やっと手を離してくれた。不思議とあまり痛くはない。

 まだぼくは直接その多数がいなくなったのを見ていないから、報告は素直に聞いておこう。

「ちなみに現場は肉の焼ける匂いや、吐瀉物の匂い、ガスの匂いも交じり合って渾然一体といった感じでした。どうです? 一度は見ておいたほうが人生経験も積めそうですよ。普段生活しているだけじゃなかなか拝めませんからね」

 素直に聞いたのは間違いだったかもしれない。

「それはそうかもしれないけれど、そのために捕まりそうな事はしたくないな」

 しかしあの世、か。今までそんなもの信じていなかったけど、こうして悪魔がいるくらいで、その悪魔が口にするくらいだから、もしかしたら存在するのかもしれない。

「あの世、行きたいですか?」

「いや別に。それは大人の楽しみのさらに先の楽しみだろう。急いで味わうこともない。会ってみたい死人もいないし」

「くふ。望めば連れて行ってあげたのに」

 もしかしたら、それがこのループの裏口なのか。それともいつも通りからかっているだけなのか。

 どっちでもいいか。ぼくは正攻法で終わらせるだけだ。


 それからも作業的に仕掛けを施した。理科室で一度、家庭科室で一度。

 しかしそこでもう実験やらをするクラスが打ち止めになってしまった。まあ、一日でこれだけ集中していただけでもよしとするか。

 校舎を歩きながら、物思いにふける。

 次の手を考えなければいけない。保健医が言ってた事で一つ気になるものがあるけれど、うまくまとまらない。

 いっそ死ぬ気でプールに電柱を倒してみるか。車でもぶつけて。それか爆弾でも作ってみるか。いや、できるとは一%も信じてない。

 気づいたら、悪魔を呼び出した例の場所に来ていた。相変わらず人の気配がない。

 血の後も六芒星の後も当然ないけれど、なんだかうっすらと残っている気がする。

 ここであんな事をしなければ、こんな事にはならなかったんだよな……。

 直射日光は木々のおかげで当たらないけど、温められた空気のせいか草木の匂いが強い。

 あの時の事を思い返すと、もう一つ後悔することがあった。

 呼び出した時の呪文そのものについてだ。

 なんだかこの場にいてもマイナス思考になるだけなので、歩を進めた。前回の時とは逆に、帰り道で教師がタバコを吸っていた。肺にたっぷりと溜まった煙を吐き出しくゆらせて、脳へ成分を送る。

 ……タバコか。

 

 学生のころ、このボタンを押したかった人間はどれくらいいるのだろう。二人に一人はいるかもしれない。魅惑的な赤色。そして、実際に押してしまった人間はどれくらいいるだろう。一つの学校で鳴らなかった事もあるだろうし、千人に一人か、一万人に一人か。

 別にぼくは押したくて押すわけじゃないけど、それでも押したかった人には羨ましがられるだろうか。

 必要にかられて押す、といっても火事が起きたわけじゃない。火事なんてそうそう起きない。ただ、注意を引きたいだけ。

 注意を引くなんて言うと、まるで注目されたいがためにしてはいけないことをするみたいだけど、そうでもない。

 押した。

 朝早く、校舎にベルを叩きつくすような音が鳴り響く。

 すぐに学校全体が騒然となる。教師たちは職員室や教室から飛び出す。ぼくはその隙に、職員室へ侵入した。欲しいものがあるのだ。もちろんテストの問題などではない。ビニールに包まれていて、白く小さい箱状のもの。全面には個性のあるマーク、両サイドには注意書き。

 それを集められるだけ集めた。家にはそれを好む人間がいないので無かった。買ってもいいんだけど、店は論外として子供でも買える自販機がどれほどあるか。

 それにあまり時間をかけても、次の今日には消えてしまうだろう。

 意外と吸う教師が多いみたいで、収穫量は良好だった。子供達やその親のせいでストレスを抱えているのだろうか。

 ぼくがその場を抜け出るころには、イタズラに苛立ちながら教師たちも戻ってきていた。

 例のおまじないの場所で、水を入れたバケツを並べる。パッケージを開けて、白い棒を水の中へばらまく。一つ一つ開けるのが思いの外めんどうだ。

 ここなら見つからないと思うけど、どうだろう。仕込みを終えたので、また数時間暇を潰さないといけない。


 学校で、もっとセキュリティを固めたほうがいいと思う場所のひとつ。給食室だ。

 数人が作業をしているだけ。もう少し人が多かったら減らそうと思ってたけど、これなら実行に移せそう。そういえば、この人達は数に入っているのだろうか。

 メニューは勿論カレーである。匂いが濃く漂っている。そのカレーに、用意しておいた液体を流し入れる。本当は昔の事件を参考にしたものを用意したいところだけど、何処で手に入るのやら。

 量の調整がわからないので、容器ごとに量を変えておく。

 それにしても、爆発死ですかすかになった教室は給食をどうしているんだろう。残った数人が余るのを前提で、食べたいだけ食べるのか。育ち盛りの小学生には夢の様な話かもしれない。数人しかいない教室で生活するのは、活発な小学生には悪夢だろうけど。

 

「いただきます」

 教室にいる者全員が声を合わせてそう言う。

 しかたなく、また給食を食べることにした。結果を見るのなら学校にいたかったし、時間的にお腹も空いている。

 この茶色い液体を見るのは何度目だろう。もしかしたら、日本一カレーが嫌いな小学生になるかもしれない。異物の件とは関係なく、飽きたという意味で。

 食べずに残して結果を見て抜けだして外食でもしようかと思う。思うだけだけど。

 木木木は黄色いカレーの時ほどではないけど、美味しそうに食べている。このカレーを食べる行為よりは、それを見ている方が楽しそうだ。

 うちのクラスには例の異物は含まれていない。何か思う所があってそうしたわけではなく、ただ液体の量が間に合わなかっただけである。

 やがて騒然とした様子が、教室の外から伝わってきた。

 わざわざ見にはいかないけど、さて、どうなったことやら。


 帰り道を歩く。まだ夏の太陽は八十度近い角度を保っている。

 流されるままに足を動かしているけれど、あれから今まで悪魔は出て来なかった。

 ……仕方ない。

「おい悪魔」

「いやっほおおおお」

 うるさい登場だ。飛び跳ねるようにして、目の前に現れた。そのせいで身体の一部が無駄に揺れている。押しのけて道を進んだ。

「ついに斜めくんのほうから呼んでくれたわあ。これはもう愛の告白と受け取っていいのかしらん。それともプロポーズ? 人間が結婚するためには十八歳にならないと駄目って聞いたけど、うち様が少し分けてあげればちょうどいいわね」

 即座に呼んだことを後悔した。何がちょうどいいだ。少しでも分けられたら、一気に百歳になってしまいそうである。呼んだだけで告白になってたら、人類は増えすぎて地球を捨ててる。

「そんなことはどうでもいいからさ。今回は何人くらい死んだのか教えてくれ」

「どーしよっかなー教えてあげよーかなーやめよーかなー。自分で調べられる事を人に聞くのは駄目よねえ」

「ぐ」

 悪魔に正論を言われた。こいつと出会ってから一番の悪夢である。こんな時人は穴に埋まりたくなるのか。日本は火葬だけど。

「わかったよ。調べてくるさ。もう用はないから」

 さらに足を動かし、早歩きぎみに帰ろうとしたのだけど、柔らかく弾力のあるものにぶつかって足を止められた。見れば、勿論悪魔である。横にいたはずなのにいつの間に。

「怒った? 怒った? そんなところもかわいいわあ。その萌え動作に免じて、せっかくだから教えてあげるわよん」

 そんなつもりはまったくないけど、余計な事を言うと泥沼に嵌りそうだったので黙った。

「今日はー、斜めくんより小さい子が沢山、予定も含めて大体四十人ほど死にましたー。パンパカパーン」

 ぼくより小さい子というと、一年生の二クラスか。実験やらの予定がなく、爆発を逃れたクラスが低学年と、ほか少し。

 なので低学年を中心に仕掛けておいたのだけど、功を奏したらしい。そもそもああいう物は子供のほうが効き目があるか。

「今も死ぬ予定の子が苦しんでいるみたいでーす。おねえさん助けたくなっちゃったけど、斜めくん一筋なので浮気はしませんでしたよ」

「ああそう」

 四十人か。思ったより良い数字だ。ん、前回百人くらいだったから、

「そうでーす。半分近くを終えたことになりまーす。どうですか斜め選手、折り返し付近まできた感想は」

「って言われてもね。終わるまで何も言えないよ」

 半分。百五十ピース。これだけ集まっても、パズルの絵は血の赤と目の白濁と肌の青白さしか見えないけども。

 次は、どうしようか。そろそろ手馴れてきたし、きっかけがあれば一気に詰められそうな気がする。

「それにしても人間って不思議ですねー。ちょっと子供に与えただけで息絶えるようなものを、そこら中の人間が愛用してるんですから」

「まあ、そうだね。車とか包丁とか上げたらキリがないけどさ。でも、安全なだけじゃ生活できないよ。それにこんなのは使う側の問題だ」

 ぼくは普通の子だけど。手馴れようがそれは技術の問題で、ぼくは壊れてないし昔と変わってない。

「くふふ。そうなんですかねー。まーさっきの話じゃないけど、適度に殺し合わないと人間増えすぎちゃいますよねー」

「まるで、そのためにお前らがいるかのような事を言うんだな」

「さて、どうでしょう」

 悪魔としょうもない話をしていたら、やがて家についた。なんだか最近疲れてきたので、ソファに身体を預ける。少し前までこんなに考えたり動いたりすることはなかったのに。

 手も足も広げ、座りつつテレビのリモコンを操作した。この時間にテレビを見たことはあったっけ、なかったっけ。

 電源ボタンを押した途端、静かな家に人の声が流れる。声も映像も、流れてはいるけど停止しかけた頭にはうまく溶けこまない。このまま寝てしまおうか。普通の夢が見られたらいいけども。たとえば、人間が出てこない夢。身体が寝る命令をうけて準備を始めたのか、体温が下がった気がする。それでも腐敗しそうな気温だ。キャスターが記事を読み上げる。珍事件、怪事件、政治、経済、ランキング、グルメ。

「ん?」

 それは自殺者の特集だった。なんでも、風呂場であるものを混ぜてそこから湧いた気体を吸ったのが死因だとか。死体を発見した人も巻き込まれたとか。機械でできた薄い箱はしきりに注意を促している。

 眠りかけた頭が覚醒を始める。これならそこら辺に置いてある。しかし、どう使う。相手は百五十人だ。その日は一つ一つ、考えては消した。


 この仕掛けをうつには、早朝急いで行くかそれとも体育や特別教室を利用中か。

 ともかく教室がもぬけの殻でないといけない。

 家の何処で手に入るか、学校の何処で手に入るかを覚えつつ、小道具を鞄に揃えた。

 残るほとんど無事なクラスはあと六つだ。気を引き締めて、どれにするか選ぶ。

 うまく誰もいない教室に忍び込めた。不用心なことに、戸に鍵もかかっていない。ぼくはそのまま、掃除用具入れを開けた。


 果たして、それは成功したようだ。悲鳴が聞こえたのがその合図である。

 あたかもそれを聞きつけて駆けつけたようにして、他の野次馬と共に教室を廊下の窓から覗く。第一発見者はこれを見て何を思ったことだろう。ぼくは糸の切れた人形が授業中の真似事をしているようだと思った。

 ある者は机につっぷし、ある者は机に引っかかりながら床に落ち、ある者は仰向けで床に倒れ、ある者は黒板のチョーク置きに頭を乗せて身体を投げ出している。

 皆一様にピクリとも動かない。

 教師達が野次馬生徒達を追い払い始めた。しかたなく離れる。

 最後にちらっと振り向くと、教師達が戸を開けるのに苦労していた。


 一つ、二つ、三つ、四つ、五つ。

 同じ手順を踏んで、クラスを潰していく。死体がちりのようにつもり山となる。残るのは物体ではなくぼくの記憶だけだけど。

 学校で得たこの教育のような記憶も、将来役に立つだろうか。

 体育で皆いなくなった我がクラス、四年陰組で何度も繰り返した作業を開始した。ちなみにもうひとつの四年は陽組である。

 掃除用具入れの下にバケツを設置し、某酸性の洗剤を注ぎ込む。その上に、大きめの水風船にした某塩素系洗剤を配置。その横に時間を調整した蚊取り線香をセットして、紙の紐でつなぐ。

 これと似たような仕掛けを、黒板の下の台にも設置した。中は空洞で、両サイドに取っ手の穴があいている。

 それから窓に理科室で使ったような細工をし、開かないようにしておく。戸の片側にも。

 

「先生、トイレ」

 手を上げて、発言した。これに対し、先生はトイレじゃないなどと口走る教師はどれほどいるのだろう。

「あいよー」

 許可を得て、教室を出る。その際に戸に細工、トイレに向かう道すがら、反対の戸にも細工だ。

 別に便意を催してるわけじゃないけど、あまり早く戻っても仕方ないので律儀にトイレに入った。鏡を見やる。改めて見ても、純粋な子供が映っているだけだ。ニキビもなく、目の色も茶色のままで変わっていない。もちろん牙や角なんて生えてない。

 すうっと、瞬きをしたつもりもないのに、いつの間にか悪魔が後ろに現れた。鏡に映るその表情はいつものように、にやにやしている。

 こうして何も言わないと、なんだか幽霊のようだ。もしくは幻。違いがわからないけれど。

 そうしていたら、突然、ガラスの割れる音がした。

 こんな事は今までなかった。急いで教室へ駆けつける。そして、廊下から教室内を確かめた。

 顔見知り達が倒れている。田中も椅子にもたれかかるように、天井を仰ぐようにして死人の目をしていた。

 戸の側に木木木がいる。

「ながめくん、たすけ」

 絞りだすようにつぶやいて、床に伏せた。もしかしたら、木木木もトイレに立とうとしていたのかもしれない。

 いやそんなことよりも、窓が割れていた。

 それも派手に割れていた。ちょうど大人が通れそうなくらいだ。ここからじゃ教師の死体が見えないけど、まさか。ここは二階だけど、飛び降りたんだろうか。生徒には目もくれず、最初の被害者がでたところで急いで身を投げ出した様子がうかぶ。廊下側に出なかったのは焦っていたのか、位置が遠かったのか。それともこの枠の大きさじゃ不安だったのか。

 二階からじゃ死ぬとは限らない。寧ろすぐに戻ってくるかもしれない。そうなれば、ぼくに聞きたいことが山ほどあるだろう。

 丁度窓の割れる音で集まってきた生徒や教師達が、中の様子を見て騒ぎだしたところで、ぼくは逃げ出した。

 通い慣れた、そして逃げ慣れた道を通り一階へ。床の感触も、道順も何度もなぞった通りだ。足の速さは変わらないけれど。途中で、でそいつに遭遇した。

 胸を抑え咳払いをしていて、足を引きずるようにゆっくりと歩いている担任の教師だ。

「待てっ鳴矢」

 構わず、全力で脇を抜け走った。思ったよりも元気そうだ。学校に残った残滓として、また片付ける手を考えないといけない。

 さすがにあの状態で追ってはこなかった。それとも自分の命を優先したのか。静かな帰り道では、飛行機雲がいつまでも伸びていた。

 

 次の今日、また学校へ向かう。

 通学路を通っても、田中は現れない。そのせいか、蝉の鳴き声が耳に残る。

 教室にたどり着いても、当然のように誰もいない。がらんとしていて、それでも皆が使っていた机や椅子は残っている。消えるのは記憶だけのようだ。

 何処に座ってもよさそうだけど、自分の席に座った。

 昨日までの騒がしい空気は微塵も感じない。寧ろ、図書館などよりもよっぽど静かだ。

 こんなところに来る意味はないかもしれないけれど、それよりも物珍しさが先に立つ。自分しかいない教室なんて、今後体験することもないだろうし。しかも、授業付きだ。

 やがて教師がいつもの時間通りに入ってきた。ぼくしかいない教室を見ても、特別なリアクションはない。

「最近は特に不審者も災害もなく平和なもんだ。ただ暑いから夏バテには注意しろよ。欠席は……いないな。よし」

 良いらしい。なんだかその台詞をいう教師は滑稽なものだったけど、本人はいたって真面目なのだろう。もしぼくが休んでも授業を続けるのだろうか。

 歪な姿でも、この学校は回り続ける。

 しかし一時間目が終わる頃になると、物珍しさも削ぎ落とされて、寧ろ疲れてきた。

 他の生徒がいた時と同じように生徒を当てて、問題を解かせようとするから、全部ぼくが答えるはめになったのだ。これじゃあ家庭教師よりたちが悪い。

 早々に退場してもらおう。

 使うもの、黒板消し、固めの見えづらい紐、接着剤、ペン立て、包丁を数本、タオルをいくつか。

 結果。

「おいおい、なんだこのイタズラはー」

 スライド式の戸に黒板消しが挟んである。気づかずに開けて通ろうとすると、頭に落ちるようになっている。ただ、教師はすぐに気づいたようだ。

「鳴矢か? まったく」

 それをキャッチしながら教室に入る。上を向きながら入ったせいで、足元の紐に気づかない。

 教師はそれ以上ぼくに語りかけることなく、包丁達と肉体関係に落ちていった。別にトイレで刃物による交流を深めてもよかったんだけど、これも勉強の一つだ。


 無事なクラスを作業的に片付けて、残るは部屋の隅の埃のようなものだけになった。

「あら、どうしましたか」

 そのうちの一つ、時裏保健医に会いに来た。初めて会った時と同じ台詞だ。勿論お話を読ませに来たわけではない。

 前回の時と同じ時間に来たから、しばらく邪魔は入らないはず。

 お腹が痛いと言ったら、手招きされる。予定どおり側に座った。二度目の、お腹を弄られる感覚。何かを思うよりも、取り決めていた事を進める。タオルに包んでズボンの後ろに挿し隠しておいた包丁を取り出す。

 時裏がそれを見つけ警戒心を強める前に、一息で胸の中心を刺した。

「?」

 そんなマークが見るからに表情に浮かんでいる。そして、その口からは血が溢れてきた。

「ああ、あなたの目、とても」 

 そちらは口の端を汚すだけだったが、刺した部分のほうはぼくの手にかかるくらい血が出ている。もし抜いたらもっと大変な光景になるだろう。得た知識とこなした経験から、的確に刺さっていたようで、既に時裏は事切れていた。

 時裏は何を言おうとしていたんだろうか。

 それはともかく、この死体、動かすことはぼくには難しいので、シーツをかけておくだけにとどめた。もうほとんど学校には人がいないので、見つかるのは遅いはずだ。

 そして、放課後。チャイムと共に、生徒達が教室から飛び出す。と言っても、もはや小学校にあるような元気のいい風景ではなく、少ない生徒たちが廊下を歩いているだけだ。所狭しと人間がいた頃が懐かしい。いまでは校舎の大きさがひどく無駄なものに思える。

 また一人、一人ぼっちで歩いている子を見つけたので、刺した。元は沢山のともだちと遊んでいたのかもしれないが、皆消えてしまったのか今では一人で球蹴りをしていたので、だ。

 校庭の隅に血が染みこむ。植物の栄養になるだろうか。手にぬるい液体がかかる。応急処置として、タオルで拭いておいた。水場まで行って洗いたいところだけど。

 もう数も少ないし、一人ひとり着実に終わらせていくことにした。

 一人、二人、三人、四人。

 立て続けに刺し続けたせいか、何もしていないときにも手に感触が残る。直接手を下すと、やはり胸に残る異物感が違う。また悪い夢を見てしまうかもしれない。しかし、もうすぐだ。

 もうすぐこの世界から抜け出せる。

 住めば都と言うけれど、こんな世界都でもなんでもない。

 ただ狂っただけの何かだ。

 五人、六人、七人、八人。

 子供は筋肉が少ないせいか刺しやすい。少しでも刺す場所がズレると、両腕で抵抗される。すぐに対応。だんだんと、血の粘度や色の違いもわかってきた。

 ああ、この子はさらさらな血だろう。

 この子は少し、不健康そうだ。

 閑散とした学校、しかし細部を見れば、血や死体が転がる。見つかる心配がどんどん減っていくので、一日に殺せる数も増えていく。もはや通り魔だ。

 一々自身の血を処理するのがめんどうだけど、血まみれの姿を見られて逃げられるのはさらに大変である。それでも返り血も、昔ほど浴びることはなくなったな、と目前の子の首を切りながら思い返す。

 学校を元人間の、現血肉まみれにしながら、やがてそこに自然と着いた。

 端的に言うと、校長室だ。ハンカチで手と包丁を簡単に拭う。

「斜めくんの思っている通り、この中の人間が最後よ」

 隣に現れた悪魔が、扉を見て言う。まさかこの期に及んで嘘はつかないだろう。

「そう。良かった。消し残しはいないんだ」

「ええ。皆、みーんな死んだわ。可愛く初々しい一年生も、初めて後輩を持った二年生も、ませ始める三年生も、斜めくんのような子がいる四年生も、女の子が何かを知る五年生も、自分が大人だと勘違いを始める六年生もね」

「ぼくみたいな子がいるのは当たり前だろう。こんな普通の子くらい注釈するまでもない」

「んふ。そうねえ。それから鈴木くんも木木木ちゃんも時裏ちゃんもクラスの可愛い子も綺麗な女教師もそれぞれ何かを想いながら死んでいったわ」

 鈴木、誰だっけ。

「これで最後に残ったこのうち様がメインヒロインってわけね」

「意味のわからんことをいうな」

 お前はモブだ。その思いを最後に、扉をノックした。

「失礼します」

決まり文句を言って、初めて校長室に入る。職員室よりさらに異質な場所だ。

 木製の資料を置いた棚、歴代校長らしきいくつかの額縁、艶のある高そうな机と柔らかそうな椅子。窓からは夏の日差しが入り込む。しかし空調がきいていて涼しい。

「ん?」

 その奥で、パソコンに向かって何やら作業をしていた恰幅のいい校長先生が、一生徒のぼくをみて訝しげな表情をする。しかしすぐに、驚いた。

「な、なんですか貴女は」

 眼鏡に触れながらぼくの後ろを見て、そんなことを問いかける。なにかと思ったけど、ぼくの後ろには奴しかいない。どうやら悪魔が見えているようだ。

「最後くらいはうち様も堂々と見届けるわよん。さ、斜めくん」

 せっかくだから、校長が奇抜な格好の悪魔に目を奪われているうちに、懐まで近づいた。

「さよなら。誰もいない学校の長」

 思わずそう呟いてしまったのは、これが最後だという昂揚の現れか。

 下から喉元に向けて、刃を走らせる。うまく太い血管に触れたようで、雨のように命の源が降り注ぐ。こんなふうに大量の血を浴びるのは、案外初めてだ。刺した時よりも激しい。

 涼しい部屋の中で、それは確かにぬくもりを与えてくれた。ほんの一瞬だけで、すぐに冷たくなってしまったけれど。

 校長は驚愕の表情のまま倒れた。まだ息はあるようなので、馬乗りになり腕を上げた。丸みをおびた体型が跨りやすさを主張している。

「斜めくん、これでお別れね」

 とどめの一撃を振り下ろそうとしたら、声をかけられた。いつもの狂ったトーンではなく、何処か落ち着いている。

「そう、なんだな。お前が言うならそうなのか」

 もう会うこともないのか。願いが叶い終わるまではいるのかと思ったけど。

「大丈夫よ。それを刺したら、ちゃんと全てが終わる。鳴矢眺くんの願いは果たされる。幸せになるという願いがね」

 そんな内容を願ったのだったけ。もう随分前のことだし、あの時は追い払いたい一心で言ったからあまり覚えていない。

「それは叶えがいのない話だね。でも、案外そういう瞬間こそ、本心がでちゃったりするもんだよ」

「そう? まあ、楽しいよりも、面白いよりも、幸せのほうがいいよね」

 二百九十九人殺し血に塗れた手で、何度も刺すための動作をした腕で、急所を逃さないための目で、ぼくは最後の刃を振り下ろした。

 校長の上がりかけていた右手が落ちる。こわばっていた力が抜けたようで、ぼくの身体が腹に沈む。

 そういえば、別れの言葉を言い忘れてた。


「おはようございます」

 気づいたら、朝の陽と共にベッドの上で身体を起こしていた。なので、自分に向けてそう声を出す。

「……」

 確か、終わったんだっけ。見たところこの部屋には何も変化はない。いてもたってもいられなくなり、ベッドを飛び出した。

 戸を開け、リビングへ。そこには――。

 寝癖がひどい姉。そして机の上には、目玉焼きやトーストではなく、白飯や焼鮭や味噌汁が並んでいた。

 姉はいつものように穏やかな笑顔でぼくを迎える。白飯は湯気をあげて、焼鮭は焼きすぎていない綺麗なピンク色だ。味噌汁には豆腐とわかめが入っているのがここからでもわかる。

「あれ……」 

 気づけば頬が濡れていた。これは、ぼくの涙か。しばらく泣いたことなんてなかったからわからなかった。でもどうして今流れたのか、それがわからない。

 そりゃあループから抜け出せたのは嬉しいけれど、泣くほどのことか。

「あらあらなっくん」

 姉がそんなぼくを見て、そばに寄り抱きしめてくる。温かく、柔らかく、安心する匂い。でもこれじゃあまるでただの子供だ。しかしどういうわけか、目からでる液体は止まらなかった。いつか斬った血管からでも出てるかのように、ぼくの身体のどこにこれだけあったかというくらいに、二つの眼球の脇から水分が飛び出ていった。

 涙はストレスを感じると、それを洗い流すために出るというのを聞いたことがある。ぼくはそんなにストレスを感じていたのか。

「どうしたの? 怖い夢でも見たの?」

 怖い夢。悪い夢ではなく、怖い夢を見続けていたのだろうか。肉を裂く感触、視界が赤に染まるほどの流血の感覚も、ただの夢だったんだろうか。

「あれ、おにいちゃんずるいー。わたしもー」

 起きてきた妹も状況を見るなり姉に抱きついた。

「なみちゃんも? 甘えんぼさんねー」

 ぼくと妹の背中をぽんぽんと叩く。そんな些細な動作も、ぼくの心を丸くさせるのには十分だった。


 ひとしきり姉のパジャマを体液で汚した後、ようやくぼくの外面は落ち着いた。もう、大丈夫だ。しかし自分のしたことが恥ずかしくなり、すぐに学校へ向かう。

 そこでふと気づく。

 当たり前のように学校へ向かっているけれど、学校はどうなってるんだろう。無くなっているのか、昨日いなかった数人で動いているのか、それとも全て嘘で、みんな元気に生きているのか。

 無くなっているのならもしかしたら別の小学校が既に用意されていて、そちらへ向かう必要があるのかもしれない。

 当たり前のように昨日といったけど、それが本当の意味での昨日だということに、また身が震えた。

 落ち着こう。

 そうだ、妹も一緒に登校しなければいけないんだった。それが、一昨日まで普通にしていたことだ。あまりにも病欠の日を繰り返していて忘れていた。

 妹なら学校について何か知っているかもしれないし、一度戻るべきか。

 しかしもう道の途中まで来ている。学校の様子も気になるし、やはり一

「あ」

 身体に衝撃が走る。横から巨大な何かに叩きつけられたような。その衝撃は地に足をつけたまま耐え切れるものではなく、簡単に弾き飛ばれた。

 そして壁にぶつかり、また路面と再会する。随分と姿形の変わってしまった、満身創痍ともいえる状態だったけれど。

 とても動けないぼくに、まだ何かが近づいてきた。どうやらトラックのようだ。ぎりぎり見える運転手は、なにやら俯いていてこちらを見ようともしない。居眠りでもしているのだろうか。そういえば、ここトラックの通りが多かったっけ。

 結局止まることなく、それはぼくを捻り潰した。


「くふふ。くふ。三百人殺しくんの魂ゲットー。いやー、まさかこんなにうまくいくなんてねー」

 聞き覚えのある声がする。しかしあまり聞きたくない声だったので、耳寄り目を意識した。……どちらも存在しなかったけど。

 なんだ? 意識は少しぼんやりするけど、何も考えられないほどじゃない。でも自分の身体を知覚できない。耳、目、腕はどこだ。足は。頭は。

「はあ、綺麗な色だわあ。こんないいもの手に入れた悪魔なんて、どれほどいるのかしら」

 ああ、そうなのか。

 どうやらぼくは水晶のような球状の何かになって、悪魔に抱かれ運ばれているようだ。しかも悪魔は空へ向かって飛んでいる。

 尚も悪魔はしゃべり続ける。とても嬉しそうに、大切なものでも手に入れたかのように。

「それに、すぐ手に入って良かったわあ。他の悪魔もこんなふうに、寿命が決まってる子を選べばいいのに。そうすれば何年も待たなくてもいいのにい」

 人をおもちゃみたいに。

「まあ、早々見つからないかーこんな逸材。良い子だったら絶対マネできないしー。良い子は真似しないでね、なーんて」

 それじゃあまるで、ぼくが悪い子みたいじゃないか。

 

 

 


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