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 プロローグ。

 貴方は人間を殺そうと思ったことがあるかしら?

 うち様はないわあ。だってそんな事しなくても、人間は人間同士で勝手に殺しあってくれるんだもの。

 人間が最も安らげる場所が血に染まる。

 寧ろ殺しちゃったら勿体無いです。人間同士でお互いを高め合ってくれないと。

 好奇心を刺激される所に焦げた匂いが立ち込める。

 そうそう。大体一人二人殺したくらいですぐ捕まっちゃうんだから、おかしな社会よねえ。そういう技術ばっかり鍛えられていって、無駄に増え続けちゃって。

 大地に栄養を与えるように、倒れ伏せた人間から濃度の高い液体が漏れる。

 だから手助けするんだけどね。最も、手助けも行き過ぎると汚れてしまうけれど。

 上に上がるための場所が、重力を伴い凶器に変わる。

 それにしても彼はよくやってるわ。本当に愛おしい。

 日常で何気なく使っているものが、簡単に自我を無我に変える。

 もしかしたら一%くらいはうち様に似てるのかもしれない。百人集まったら丁度いいのかもしれない。

 多数の大人が好むものも、彼には別のものに見える。

 まあ、それくらい小さいもののほうが、可愛いわよね。

 知識の宝庫で偏った知識を探そうとしたり。

 純粋で透き通っているのは、生きた人間ではなく死んだ人間から学ぶからなのかしら。

 人間を治すはずの人間が楽しそうに助言したり。

 そういえば、そんなのもいたわね。彼女も一ミリくらいはうち様に似ているのかしら。

 飽き飽きする日常に押しつぶされそうになったり。

 ま、彼についての記述はこれくらいでいいでしょう。


 本編。

「おはようございます」

 ぼくは誰にともなく呟いた。

 いや、誰にともなくでもない。自分に向けて言ったのだ。

 こうしてハッキリと口に出すと、朝のだらだらとした空気を緩和できる。

 窓からは朝日がカーテンごしにさしていて、雨でないことがわかった。

 さらにそばの時計を見る。

 以前、起きたら朝焼けが綺麗すぎて、うっかり夕日と見間違え、夕方まで寝過ごしたかと思ったものだ。

 うん。

あまり物を置いていない簡素な部屋。本も、一度読んだらしまってしまう。ベッドから這い出て、その部屋を出る。

 適当にトイレと歯磨きをすませ、リビングに向かった。

 マンションの一室なので、移動距離は短い。

 既に食卓には朝ごはんが並んでいて、一人椅子に腰掛けていた。

「なっくん。おはよお。あっ、ちょっと髪跳ねてる。寝ハネだねえ」

「それを言うなら寝癖だよ。姉さん」

「そうだっけ」

 にへっと笑い言うこの姉さんはぼくの姉さんであり、妹の姉さんでもある。

 これでも二年目の社会人だ。両親がいないので、ぼく達としては料理をしてくれたり、生活の知恵を与えてくれる姉さんは役立っている。

 髪が長いから仕方ないのかもしれないけど、ぼくなんかより遥かに寝ぐせがひどいのは、さすがといったところ。

「もうごはんできたから、なみちゃん起こしてきてよう」

 言うとおり、机の上にはトーストや目玉焼きや紅茶が並んでいる。

「一緒に寝てるんだから、一緒に起きればいいのに」

「そんな早く起こしたらかわいそうだよ」

「はいはい」

 料理のお礼というわけではないけど、素直に従う。

 ドアを開けると、ぼくの部屋とは違った匂いが鼻についた。

 姉と妹が共同で使っている部屋だ。二人が余裕で横になれるベッドで、乱れた布団とともに、まだ妹は寝ていた。

 ぼくの二個下、小学二年生らしい間の抜けた寝顔である。といっても、寝顔なんて誰でもそんなものか。

 ほっぺをつつく。ちょっと温かい。

「んむう」

 感度良好。しかしぼくの臨んだ結果ではない。

 こんどは身体を揺する。子供らしい小さな身体が揺れる揺れる。

「ふああ、じしん」

 寝ぼけているのかそう口にしたが、まだ起きてはいないようだ。

 さてどうしたものか。起こす必要があるだけあって、身体を揺らすだけじゃ起きない。

 今日はどんな方法で起こそう。

 考えながら、幼さしかない顔を見ていたらふとテレビで聞いた雑学を思い出した。

 人はまつげや目元にとても敏感らしい。てや。

「けほっけほっ。おはよ」

「もしかして、風邪?」

 いつもより、若干声がおかしい気がする。

「わかんない」

 妹はとろんとした目のまま、ぽてぽてと部屋を出る。その直前に声をかけた。

「それと、地震はきてないからね」

「じしんって?」

「いや、なんでもない」

 妹は不思議そうな顔をして、出て行った。あとに続く。

 そのまま食事を終えた。妹は休むのだろうか。ぼくに出来ることは何もないけど。

 適当に半ズボンとシャツに着替えて家をでる。この時期ならこれくらいがちょうどいい。サンダルのような靴は少し違和感があるけれど。

 少し考え事でもしながら歩いていれば、すぐに学校につく。

 スクールバスなんてのもあるみたいだけど、家が近いので乗ったことはない。あれって、乗り遅れたらどうするんだろう。

 ぼくは乗り遅れない自信があるけども。

「おーす眺。今日もあちいな」

「そうだね。夏だからしょうがないんだけど」

 通学中、彼とはよく会う。同じクラスで確か名前は……田中。下の名前は覚えていない。

「こんな日はプール入りてえよな。今日あったっけ?」

「うちのクラスはないよ。まあ、あれはとてもつかれるから嫌だけど」

「おっさんかよ。疲れたら寝ればいいじゃん。俺はプールのあとはいつも寝ちゃうぜ。気持ちいいぞう」

「授業中に寝るなんて、そんなもったいないことできないよ」

 そんな話をしていたら、

「うおっ」

 田中が飛び退いた。並んで歩いているところに、トラックが走り抜けたのだ。狭い道なので、大きいトラックは危険だ。

「ったく。あぶねーな。ここトラック通り過ぎじゃね?」

「彼らも大変なんだよ。都会と田舎をいったりきたりね」

「そんなこと知らねえって」

 しばらく歩き、学校についた。同じように集まった生徒たちが見える。

 門をくぐり、靴を履き替え、教室へ。

 田中とは教室内で別れた。別の男子たちと話をしている。これもいつも通りだ。

 ぼくは自分の席についた。カバンから教科書を机に移す。うちの学校はほとんどみんなランドセルを使っていない。

 あれはあれで昆虫っぽくていいと思うけど、ぼくも姉に別のものを用意された。 

「ながめくん。おはよ」

「おはよ。今日も早いね」

 隣の席の彼女は、大体いつもぼくより先に登校している。女の子らしい落ち着いたワンピースに、ハイソックス。さらりとしたツヤのある黒いロングストレート。

 でもいくら小学校が私服でいいといっても、頭に小さいシルクハットをつけているのはどうかと思う。

「ちょっとだけだよ。でも、ながめくんがもう少し早く来たらなあって思う」

「努力するよ」

 そうすると、起きるのが早まり朝ごはんが早まり妹は起こせず朝よく会う田中は……どうでもいいけれど。

 この子のほうが話していると楽しいのは確かだ。名前だってちゃんと覚えている。木木美々である。

「ね、木木美々ちゃん」

「え、なあに急に。って私は木木木美々だってば」

「そうだっけ」

 どうも人の名前を覚えるのは苦手だ。

「でもさ、木木美々の方がゴロがいいし覚えやすいよ」

「覚えやすいって言われても。そんな聞き耳立ててそうな名前は嫌だなあって思う」

「そうかな」

「そうだよ」

 そう言って、木木木は微笑む。いつも通りの平凡な、冗談まじりのやりとりだ。

 二人で話していたらすぐにチャイムが鳴った。

 皆が席に戻り始める。そして先生がやってきた。とくに言うべきこともない平凡な先生だけど、熱心ないい先生だ。たぶん。

「最近は特に不審者も災害もなく平和なもんだ。ただ暑いから夏バテには注意しろよ。欠席は……いないな。よし」

 そんな風に端的に言って、それから授業に入った。

 計算、分数、ノートに写し、漢字、授業はまじめに聞く。

 当てられた木木木が困っていたので、それとなく答えを教えた。

「さっきはありがとう、ながめくん」

 二時間目の授業が終わり、軽い休み時間に木木木が言った。

「ん、どういたしまして」

「ながめくんみたいな頭の良い人が側にいてくれて、良かったなあって思う」

「それは重畳。でもぼくくらい普通だよ」

「えー? あんまり勉強とかしてないんでしょ? この間先生も言ってたけど、テストも毎回満点だって」

「うん、いや、してるしてる。すっごい勉強してる。一日二十時間はしてるよ」

「わあ、すごい」

 そんな信じきった顔で驚かれても、こちらが恥ずかしくなってしまう。しかし勉強してないと言いつつ勉強している奴とその逆、どっちがマシだろうか。

「いや、冗談だよ? 二十時間も勉強したら四時間しか寝れないからね?」

「え? ああ、そっか。それでも凄いよ」

「先生も、あんまり人のテストを言うのもどうかと思うけどね。このプライバシーにうるさい時代にさ。モンスターペアレントが来てもぼくは知らない」

「プラ。モン?」

 家では本を読んだり、テレビを見たりして過ごしているだけだ。あまり予習やらしても授業がつまらなくなるだけ。そんな事になったら、一日のうちの何時間を陰鬱と過ごさないといけないのか。

 と、こんな事を言ってもしょうがないし、嫌な視線を浴びるだけだ。木木木は言いふらすような子には見えないけど、念のため。

 単語についてぼんやりとしていた木木木が、話題を変えるように言った。

「ねえ、私も昨日聞いたんだけど、こんな話知ってる?」

「ん?」

「校舎裏であることをすると、悪魔がでてくるんだって」

「……」

「な、何か言ってよう」

「悪魔ね。悪魔みたいな人間ってこと? だとしたら先生に言ったほうが」

 実際悪魔みたいな人間はそれなりにいる。今も昔も。

「違う違う。ほんとの悪魔なんだって。なんか、お願いをなんでも叶えてくれるとか」

「ふうん」

 よくあるおまじないみたいなものだろうか。女の子はそういう占いとか好きそうだし。

 噂を広げた人は注目を集めたかったのかな。

「もう。信じてない」

「いや信じるとかじゃなくてさ。悪魔だよ? そんなのサンタさんとかと変わらないんじゃ」

「そっか。確かにお願いを聞いてくれるなら、サンタさんのほうがいいかも。でもまだ夏だしなー。サンタさんってなんで冬にしか来ないんだろう」

 駄目だ。これはサンタさんを信じている顔だ。

 同じとか言っちゃった分、むしろ彼女の中で悪魔に対する信憑性が上がっちゃったかも。

「サンタさんはともかく、悪魔なんていないし、いたとしても会わない方がいいって」

「ええ、そうかなあ。私は見てみたいなあ」

「木木木は自分で試したの?」

「それがなんていうか、頭が良くないと駄目みたい」

 そう言って、木木木は恥ずかしそうに笑った。そして期待を込めた目で言った。

「でも、ながめくんならなんとかなりそうって思う」

「なんとかって。ぼくにこの世に存在しないものを生み出す力はないよ」

 そして期待に応えるだけの実力も。でも、木木木はじっとぼくを見る。

「まあでも、面白そうだからやってみるのもいいかもね」

「ほんと?」

「うん。何も起きなくても落ち込まないでね」

「いいの。じゃあ私、やり方を詳しく聞いてみるね。放課後、一緒にやろうね」

「おっけ」

 悪魔を信じたわけじゃないけど、こういうのも青春っぽくていいのかもしれない。

 中学生や高校生になってからじゃ、もっと恥ずかしいだろうし。

 木木木は嬉しそうに、なにやら鼻歌を奏でていた。

 

 それからもぼくはしっかりと授業を聞き、そして給食も食べた。

 今日の給食はカレーだ。

 大人気でおかわりの奪い合いになったりもしているけど、味が濃くてぼくはあまり食べられない。

 付属のサラダで癒される。

 食べ終えると、皆元気にグラウンドに飛び出していった。

 走ったり投げたり受け止めたり当てられたり、きゃいきゃいがやがやと色々な声が聞こえてくる。

 木木木がなんだか元気がなかったので、ぼくは大人しく本を読むことにした。

 相変わらず本のキャラクターでさえ、名前を覚えるのは難しいけど、なかなか楽しめる。

 このキャラクターはどうしてこういう考えに至るのか、とか。

 結局そのままゆっくりとした時間が流れ、五時間目は体育だった。

 ぼくのようなのんびり組にも、食後の運動を強要していく。

 炎天下の中準備体操ののち、キックベースボールをプレイだ。投手が球を転がし、バッターが球を蹴り抜く。

 空中を飛ぶ球と違って当てやすいのか、打率は高い。

 特に男子の場合思いっきりけるので、軽々外野まで飛んでいく。外野に選ばれた奴らはその他と比べて運動量が桁違いである。

 ようやく終わり、汗を吸った体操着に辟易しながら教室に向かった。

 途中、田中やその他の奴と一緒に、水飲み場へ。

「あーうめえ。水うめえ。でもこんなことならお茶持ってくりゃ良かったぜ」

 田中は水を飲む。そして顔に浴びせる。さらに首元へも。

 どうにかして水と一体化になろうという勢いだ。

「ほら、空いたぞ。眺」

「ありがと。田中」

 優しい田中に譲られ、ぼくも水を飲んだ。乾いた喉には最高である。某スポーツドリンクは、甘すぎて乾いた喉には合わない。

 水を飲み終えると、なんだか田中が不機嫌そうだった。

「おい眺。俺は鈴木だ」

「あー……。これからよろしくな。鈴木」

「何これまでの付き合いなかったことのようにしてやがる。もう三度目だぞ。名前間違えたの」

「ごめんごめん」

 鈴木だった。言われてみればそうだ。どうして忘れてしまったんだろう。相変わらず下の名前は思い出せないけれど。

「おめえなあ。そうだ、今度から俺もお前の名前間違えてやる」

 鈴木が威勢よくそう言った。

 彼のネーミングセンスが問われる。これは自分で面白い話をするって前置きしてから、面白い話をしようとするようなもんじゃないか。

「うん。期待してるよ」

「ふふふ。明日まで待っておれ」

 明日まで鈴木はこのこと覚えているかな。

 

 放課後だ。

 木木木との約束の時間である。

 掃除やら先生のお言葉を終えて、帰りの支度をしつつ木木木に話しかけた。

「木木木、行こ」

「あ、うん」

 どうしたんだろう。もしかして、二人でいる所を他のやつに見られたくないのかな。小説でそういうシーンを読んだことがある。

 付き合ってるのなんだのとはやし立てられ、からかわれるのはぼくも面倒だ。

 女子は男子よりそういうの大変そうだし。

 とりあえず、校舎裏に向かった。

 途中、タバコを吸っている先生がいたので話のネタにしてみる。ちなみに内のクラスの担任ではなく別の人だ。

「大人ってさ、どうしてタバコ吸うんだろうね」

「お父さんも吸うよ。ちょっと臭いなあって思う」

「それは本人に言わないほうがいいね。それとも可愛い娘にそう言われて、タバコをやめたほうがいいのかな」

「かわっ」

 なんだかまた木木木はおとなしくなった。元々おとなしい方だけど。

「まあタバコとかお酒とかは、大人になってからのお楽しみだよね。予習みたいに先だって体験してももったいない」

「う、うん」

 そんなこんなで、校舎をぐるりと周り目的地にたどり着いた。

 フェンスと木々で外界と隔てた、けれど学校の中という雰囲気でもない特殊な場所。

 グラウンドの喧騒は遠く、少しじめじめしている。

 おまじないが噂になっているなら人がいるかと思ったけど、誰もいない。

「人いないね。そんなに噂になってないのかな」

「そうみたい。あのね、ながめくん」

「ん?」

 かしこまって、なんだろう。

「本当はもっと簡単なんだと思ってたけど、この儀式、ちょっと危ないの」

「危ないって?」

 まさか危険な毒物を飲まないといけないとか、猫や犬の死体が必要だとか、それともコックリさん的な意味の危ない、だろうか。

「とりあえずさ、手順全部話してみなよ」

「うん……。えっと、まずそこの変な石が置いてある前の地面に、絵を描くの」

「絵ってどんな?」

「丸の中に三角が二つ重なってるみたいな」

 三角が二つ。重なってるってことは三角の中に三角じゃないはず。

「ああ、六芒星ね」

 言いながら、ぼくは手頃な木の棒を使って描いてみた。百聞は一見にしかず。それを見た木木木は頷く。合っていたらしい。

「それでその上で美しい悪魔さん出てきてくださいって言いながら」

 美しいって。悪魔さんは女なのか? それともこのおまじないを考えた奴が、悪魔に憧れでも抱いているのか。

「その絵の中心に自分の、血を落とすの」

「血、って赤いあの血?」

 尋ねると、コクリと頷いた。

 血。それでなんだか言いづらそうにしてたのか。今もなんだか、若干俯いているし。

「ちょっと、ちょっとでいいみたいなんだけどね。そう言ってた。でもやめたほうがいいと思う」

「ふうん。ぼくはもっと大変な事させられるのかと思ったよ。死体を用意するとか、ナイフで身体に文字を刻むとか」

「し、死体」

 なにやら怯えているけど、ぼくは少し考える。いちいちこんなことのために血を出さなきゃいけないんじゃ、ここに人がいないのも解る気がする。

 でもぼくとしてはこんな中途半端な所で終わらせられない。

「冗談だよ。それよりさ、続きしよう。血でいいんだよね」

 となると道具が必要だな。んー、そうだ。図工で使ったカッターナイフが確か鞄に。

「えっ。やめたほうがいいよ。危ないよ」

「大丈夫大丈夫。怪我なんてすぐ治るから」

「そうまでしてお願いしたいことがあるの?」

 悪魔なんて出てくるわけもないけど、言われてみればこれは、お願いをするおまじないだった。

「ん、いや、どうだろう」

 別に考えなくてもいいか。それよりこのままだと、本気で止められかねないので、とっとと終わらせよう。

 カッターナイフから刃をチキチキと出し、そのまま指へ這わせた。

 ちゃんと血がでるように、深めに。肉を割く感触なんてこの程度じゃわからないけど、指のほうは痛みが走る。

 これくらいの痛みなら顔にでる程でもない。

「えーと、美しい悪魔さん出てきてください」

 だっけか。

 指先をもう片方の手で少し絞め、血を溢れさせる。数滴、絞り出るように流れ、地面に落ちた。

 赤い液体が土に吸われた。種でも植えてあったら栄養になったかもしれない。

 ぼくはAB型だけど、型の違いで悪魔に差別されたらどうしよう。

「そんなことしないわー」

 寒気がした。

 足先から指先から背筋から頭の先まで。指のじんじんとした痛みなんて忘れるくらいの、一瞬の震え。

 何が起きたのかと思った。

「あれー。ねえ、君でしょ。うち様を呼んだのはさー。こっち向いてくださいな」

 どうやらただ、見知らぬ人に声を掛けられただけのようだ。顔を上げる。

 そこには、いつのまにか女が居た。

 かなり背が高く、見上げる形になる。無駄に大きい山がふたつあり、その奥には怪しく笑う顔があった。

 青いような白いような、それでいて緑色のようなふざけた色の髪は、ぼくがこれまでみた誰よりも長く、さらに一部が身体に巻き付いている。

 そのせいか、露出度の高そうな服があまり効果を発揮していない。

「お、お前」

「うーん。やっぱり人間の子供ってかわいいー。驚いた顔もステキ。でもでも、お前じゃなくてちゃんと呼んでくださいな」

「まさか、悪魔?」

「はいはーい。大正解。賞品はお願いごとでーす。あっ、でも悪魔ってそこらじゅうにいるからさー、違う名前で呼んでほしいなー。何がいいかなー、んー、あく、くま。じゃあ空愛で」

「く、くあ? いや冗談じゃない」

「ひどっ。うち様がせっかく考えた名前を冗談だなんて」

 今適当に考えた名前だろうに。

「ぼくが言ったのはお前が悪魔だってことだ。悪魔なんているわけない」

 一体何なんだ。コスプレか何かか? でもこんな狂った格好してわざわざ小学校にはいりこむかね。

「もー。子供なのに夢がないなー。子供はサンタさんだって、神さまだって、物語のキャラクターだって信じなきゃいけないんだよ? 漫画にでてくる必殺技とか、マネしたことないのー?」

「なんだその身勝手な言い分は。そんなことするわけないだろ」

 たまにクラスメイトが箒で遊んでいるけれど、そのたぐいだろうか。

「もー。全然信じてくれない。なら、どこでも好きな所さわってごらん。そしたらわかるから。そして全てを理解した君は、この世が夢にあふれていることを知るのでーす」

 ぼくはそれを聞いて、近寄り手を伸ばした。しかし、

「わわ。いきなりおっぱいを揉もうとするなんて大胆。おませな子ねー」

 その手は空振りに終わった。避けられたとかではなく、すり抜けたのだ。

 もう一度試す。しかし結果は同じ。何もつかんでいない自分の手をじっと見る。

「がっかりしてる? もしかして夢も希望もないとか思っちゃってる?」

「ホログラム……? いやあれはまだ、それに装置だって」

「あっ、まだ信じてない。いい加減信じてくれないと話が進まないんだけどねー。まあうち様としては可愛い男の子と話し続けてるのも有りなんだけどさ」

 なんというか、いい加減口調を統一してほしいものだ。

 見た目といい、脳が溶けそうである。

「じゃあ振り返ってみなさい。超常現象第二弾でーす」

 それを言うなら第三弾だろ、お前の登場を数え忘れてるぞとおもいつつ、ぼくは振り返った。

 すると、木木木が固まっていた。変な奴の登場で思考や動きが固まっているとかではなく、実際にぴくりともしない。

 まるで時間が止まっているかのように。

「木木木? 木木美々?」

 呼びかけても反応がない。

「呼んでも何も答えませんよー。だって、時間止まっちゃってますもん。うち様と君、そういえば名前なんだっけ?」

 名前を聞かれた気がするが、そんな事よりも気になる発言をした。

「時間が止まったって? 何を馬鹿な。止まってるのはせいぜい木木木だけじゃないか。これだって、演技かもしれない」

「そーんなこと言うのなら、試してみてもいいよ。さっきうち様にしたみたいに、好きな所に手を伸ばして、好きなように揉んでみるといいよ。何の反応も示さないから」

 にやにやとそんな提案をしてくる。揉むってどこをだ。ほっぺか。

 なんだかいい加減、この狂人の相手をするのも、抵抗を続けるのも疲れてきた。

「わかった。わかったよ。ぼくの名前は鳴矢眺だ」

「なりやながめ? じゃあ斜めくんだ」

 少しいらっとした。そうか。木木木に木木美々だなんて言ったのは、悪かったかもしれない。

 今はそんな事考えている場合じゃないか。

「もういいでしょ。コスプレ会場だか魔界だかに帰ってくれ。数滴の血の分はもう働いたでしょ」

「確かにうち様が現れるための手順でそんな事させたけど、別に血が欲しくて来たんじゃないわよん」

「じゃあ」

 そういえばこの儀式、いやおまじないは、

「お願いごと」

「だいせいかーい。それを聞かないと帰れませーん」

 はしゃぐようにそう言って、自称悪魔は抱きついてきた。すり抜けるのかと思ったのに、弾力や体温や感触が襲い掛かる。

「わ、離せ」

 息ができなくなるのを必死に回避するが、その分肉や髪が絡みつく。体格の差もあり、力では勝てない。

「ほらほら、早くお願いごとしよーよ」

 お願いをしろとお願いされている。離れろとお願いしたいが、聞いてくれないだろうな。

「ああ、斜めくんいい匂い」

 髪に鼻を突っ込んでくるので、手で押し返す。

 お願いと言われても、何も考えていない。まさかこんなのが現れるなんて思わなかった。

 欲しい物も無いし、欲しい才能もない。

 世界を征服なんてしてもつまらない。いや、楽しい、面白い……。

「おい自称悪魔」

「空愛って呼んでよー」

「ぼくを幸せにしろ」

「しあわせ?」

 漠然としているけれど、楽しいや面白いよりも上にありそうなそんな現象。

「ああ。それが、ぼくの願いだ」

「くふふ、くふ。はあい」

 やっとぼくから離れて、自称悪魔は口元を歪めそう言った。その笑みをみて、ぼくはこれまでで一番、こいつが本当は悪魔なんじゃないかとそう思った。


 ぼくは物心ついたときから、他人にあまり興味が持てなかった。誰が何をしようと、何が誰を傷つけたり喜ばせたりしようと、ふうんと流せる。

 別に感情がないだとか言う訳じゃない。ぼくは人並みに喜び、怒り、哀しみ、楽しむ。

 あまり表には出さないほうだけど。

 ただ他人が同じように、いやぼく以上にリアクションをしたり、表情を動かしたりしていても、なんだか胡散臭く感じる。

 それでも、他人が作った創作物は好きだ。建築物も、料理も、芸術品も、音楽も。

 一応、学校という長い時間を楽しむための、暇つぶしの相手は数人選んだりはした。うっかりすると顔も忘れそうになるけれど、その内の一人がまだ側で固まっている。


「お願いは受理されましたー。勿論うち様は悪魔なので、相応の代価を支払ってもらいまーす」

 とても明るく、聞き捨てならない事を言った。

「代価? 悪魔の取引?」

「はい。何事もただでは手に入らないんだよ」

「いや、その意見には賛成だけど。だったらそういうのは、お願いを聞く前に言っておくべきじゃないのか」

「そんなこと知りません。悪魔ですから」

 あっけらかんと、悪びれもなく。

「大体お願いはその人の心の欲望なんだよ。どんな犠牲を払ってでも叶えたいものでしょう。うち様に会えてチャンスを掴んだだけでも、喜んでいいのだよ」

 最初から思ってたけど、悪魔ってほんと身勝手だな……。犠牲か。

「何を出させる気だ。いや、何をさせる気だ」

「ところでところで、この学校って今日は何人くらい入ってるので?」

 そんなことを急に聞いてきた。

 とても嫌な予感がするけれど、答えないわけにもいかない。

「大体三百人くらいじゃないのか。一クラス二十五人弱。教師が少々。そりゃあ、今日休んだりしているのもいるだろうけど」

 そんなもんだろう。他の小学校に比べたら、少ないほうだ。

「ふんふん。三百人。いいね」

 指折り数えて、楽しそうに一人で納得している。悪魔だからって、指が三百本あるわけじゃないけど。

「その三百人、全部殺しちゃってください」

「はあ。は?」

 今何といったこいつ。

「だからー、三百人ー、全部ー、一人残らずー、殺してね。そしたらお願い叶えましょう。あ、今日休んでる子はいいや。サービスです」

 三百人?

「いやいや。無理にきまってるだろう。ぼくは小学四年生だぞ。いや、大人だって無理だろうそんなの」

 冗談か? こいつの存在が冗談みたいなものだし。

「冗談じゃないよう。本気だよう。人が幸せになるためには、それくらいの犠牲はつきものなんだよう。特にうち様みたいな悪魔に頼る場合はね」

「人の心を読むな」

「なにが無理なの?」

 あっさりスルーして、あどけない表情で聞いてきた。なにが無理じゃないのかと問い返したい。

「そりゃ一人やったら捕まるだろうに。いや、こんな細腕じゃその一人目にだって返り討ちにあう」

「それは大丈夫だよ。力のほうは力を貸してあげられないけど、三百人殺しきるまで今日がずっと続くので」

「はい?」

「今日が終わっても、また今日が始まるので。殺した場合、その人は次の今日では消えるので。殺された人間のことを覚えてる奴もいないので」

「……」

 随分とざっくりした説明だ。今日が終わっても、また今日が始まる。今日が終わったら、来るのは明日だろうに。

「来るといいですねー。明日」

 なんだそれは。皮肉か。いい笑顔ではあるけれど。

「殺さなかったらどうなるんだ。まさか」

「はい。ずーっと今日から出られません。一人殺そうが、百人殺そうが同じです。殺しきるまで終わりません」

 なんだか頭が痛くなってきたけど、なかなか帰ってくれない。話を終えないと帰りそうもないので、もう少し尋ねた。

「捕まったらどうなるんだ?」

「逮捕されたり、取り押さえられちゃったときは、また今日からだよ。といっても、一度殺した相手は生き返らないから、安心してね」

 なにが安心なものか。

「でも、何度逮捕されてもいいじゃあ簡単だから、逮捕されるたびに罰ゲームを行います」

「罰……」

「それはその時のお楽しみでーす」

 どんな罰か言わないのが不気味だ。しかしそろそろ、自称悪魔も言いたいことを言い終えてきた気がする。

 お願いのために三百人殺せだとか、随分な設定を作ってきたものだけど。

「設定じゃないですよう」

「わかったわかった」

「わかってくれましたか。乗り気ですか」

「うんうん。乗り気乗り気」

「よかったー。って言っても、もう降りられないんだけどね。やっぱりやる気無いよりは有ったほうがいいよね」

 降りられないらしい。と言っても、ぼくはまだ半信半疑だけど。

 この状況で全部信じられる人がいたら、尊敬する。

「あっ、その指の傷治しておいてあげる」

「はあ」

 自称悪魔がそういうと、ぼくの指を手に取り、口に咥えた。さらに舌を這わせている。

「うわっ」

 また寒気だ。

「んむ、はいおしまい」

 そう言って離された指は、傷跡ひとつなく綺麗なものだった。臭くもない。

「これからの事を思うと、こんな傷ないほうがいいもんねえ」

 ここはお礼を言うべきなんだろうか、それとも怒るべきなんだろうか。

「それじゃ~頑張ってね。斜めくん。せっかくうち様が出てきたんだから、期待してるからね。またねー」

 自称悪魔はそんな言葉を残して、目の前から姿を消した。

 突然姿を表したり、消えたり、身体がすり抜けたり、木木木を固定したり、指の傷を治したり。

 奇抜な格好だったりと、いかにも悪魔らしい奴だったけど。

 目の前から消えてくれて良かった。

 またね、なんてとんでもない。

 出来ればもう会いたくない。

 それが、悪魔との最初の会合だった。

「あれ、ながめくん?」

 呆けていたら、後ろから声をかけられた。木木木が動き出したようだ。

「ああ木木木。良かった。動けるようになったんだね」

「? それより、指大丈夫?」

 木木木は不思議そうな顔をしたのち、ぼくの側にきて指を確かめた。怪我はない。

「あれ。さっきカッターで斬ってたのに」

 どうやら、固まっていた間のことはまったく覚えていないらしい。

 あんな変人を見ていたのなら、まっさきに言うはずだし。

「目立ってないだけだよ。それにしても、悪魔なんて出て来なかったね」

「うん。残念だなあって思う」

 全部喋っても、ぼくが変人だと思われるだろう。もしかして、悪魔とかの存在ってこうして表には姿を出さないだけなのか。

「まあ、悪魔と違ってサンタさんはいるよ。たぶんね。悪魔なんて、いないほうがいい」

 実際に見た者の感想である。サンタさんは知らないけど。

「そっか。そうだよね。はやくクリスマスにならないかなあ」

 あの悪魔が言うことがもし本当だったら、ぼくか木木木にクリスマスは来ない。

「ながめくん。そろそろ帰ろっか」

「そうだね」

 そのことを頭の隅においやって、ぼくは木木木と下校した。

 まだ陽は高い。


 帰ってからは、いつも通り過ごした。

 ワイドショーを見たり、子供向け番組を見たり、小説を読んだり。ワイドショーでは火事で一家住民全焼だとか流れている。キャスターは淡々と読み上げているけれど。

 していると、妹が部屋から出てきた。おでこに冷える系のものが貼ってある。

「おにいちゃん、おかえり」

「うん。ただいま。ずっと寝てたの?」

「うん」

 まだぼんやりしている気がするけど、普段から活発な子というほどでもない。

 そのまま、ぼくの座っている隣に腰掛けた。テレビではドラマの再放送が映っている。

 テレビの音だけが響き、ゆったりとした時が流れる。

 このドラマの内容は、小学二年生に理解できるのだろうか。

 ちょっと質問してみようかと思い横を見たら、妹は寝ていた。座ったままで。

 朝から今まで寝ていたはずなのに、まだ寝れるとは。

 毛布を持ってきてかけてやるべきか、部屋のベッドまで運んでやるべきか。

 結局、前者を選択する。

 運んでおけば多少うるさくしても起こしてしまう心配がないけど、別に起きたら起きたでいいか。

 この時間、ぼくや妹くらいの歳だと、友達と遊びにでかけたりするんだろうな。

 ドラマのワンシーンを見て、そんなことを思う。

 数時間して、姉も帰ってきた。その音と雰囲気に妹も起きる。

「なっくん。なみちゃん。ただいまあ」

「おかえり」

 妹がぱたぱたと姉に向かい、抱きついた。

「なみちゃんお熱下がった?」

 おでこや首元に手をやっている。はたから見たところ妹は朝より元気そうだ。

「いっぱい寝たよ?」

 確かに。

「偉いねえ。すぐご飯つくるからね。その間お風呂入っちゃって」

 後半はぼくに向けて言っている。まだまだ妹とは一緒にお風呂に入っているのだ。

 そろそろ一人で入れると思うけども。姉がお湯を張りに行った。

 風邪の時、お風呂はどうなんだろう。ぼくとしてはお風呂で汗をかいたほうがいいと思うけれど。

 しばらくして、

「おにいちゃん。お風呂できたよー」

 妹と一緒に服を脱ぎ浴室へ。

 浴室はそれなりに狭いけど、子供二人ならなんとか入れる。女の子にしては短い髪を洗ってやり、背中も流してやる。そして湯船へ。

 二人分の体積が、お湯を排水管へと押しやった。

「ふうー」

「おにいちゃんおじいちゃんみたい」

「ああお兄ちゃんお爺ちゃんだから」

「そうなのっ?」

 ゆっくりとお湯に浸っていると、不意に悪魔の事を思い出した。頭の隅においやっていたのが顔を出したというべきか。

 この妹なら、話しても空想で済みそうな気がする。

「お爺、じゃなくてお兄ちゃん、今日悪魔に会ったんだ」

「あくま……ってなあに?」

 首をかしげられてしまった。こいつ何いってんだ的な顔ではなく、悪魔そのものが何かわかっていない顔である。

 どう説明したものか。一般的な悪魔といっても、その姿や役割は様々だ。何かに例えようと思ったけど、その例えも妹が知らなければ意味が無い。

「えーと、なみちゃんがよく見てるアニメあるでしょ。それにでてくる敵みたいなやつ」

 女の子が変身して戦うアニメ、その敵キャラは悪魔っぽかった気がする。

「えっ。マクアマクにあったの? おにいちゃんだいじょうぶだった?」

 妹が目を丸くして驚いている。なんだその変な名前は。そんなのだったっけ。

 そのまま身体に傷がないか確かめようと、手を伸ばしてきたのでさすがに止めた。

「たべられたりしなかった?」

 食べられるのか。最近の子供向けアニメは恐ろしいな。

「大丈夫。まだなんともないよ。どこも怪我してないし」

「よかったあ」

 妹が安心したところで、そろそろいいだろうとぼくらはお風呂を出た。

 夕ごはんは妹に配慮したのか、鍋焼きうどんだ。ぐつぐつとしていて見るだけで温まる。

 柔らかく煮込んであるので、消化もいい。まあぼくとしては夏に食べるのはどうかと思ったけど。

 食事を終え、今日でた宿題を片付け、適当に時間を潰してからぼくはベッドに入った。

 さすがに朝のように、自分に向かっておやすみなどとは言わない。

 代わりにいつも、簡単に一日のことを思い出す。

 今日あったことといえば、悪魔だ。むしろそれ以外はあまり思い出せない。

 あんなのを思い返したくはないけれど、印象が強すぎていやでも浮き彫りになる。

 あの鮮烈な髪がまぶたの裏に浮かぶ。あの狂ったトークが鼓膜に残る。

 そのまま、夢にでないよう祈りながら眠りについた。


「おはようございます」

 幸い嫌な夢は見なかった。

 部屋をでて済ませるものを済ませて、リビングへ。

「なっくん。おはよお。あっ、ちょっと髪跳ねてる。寝ハネだねえ」

「それを言うなら」

 違和感。

「寝癖だよ。姉さん」

「そうだっけ」

 姉は笑いながら、妹を起こしてくるように頼んだ。食卓には目玉焼きやトーストや紅茶が見える。

 昨日と同じ朝食だ。まあ、朝食なんて毎日様変わりするようなものでもないけど。

 姉と妹の共同部屋へ。妹はまだ寝ている。

 とりあえず身体を揺すった。しかしむにゃむにゃ言うだけで起きない。

 次に頬でも引っ張ろうかと触ると、熱を感じる。まだ風邪が治っていないようだ。

 無理に起こしても仕方ないので、部屋を出た。

「あれえ、なみちゃんは?」

「うん。まだ風邪治ってないみたい」

「ええ、なみちゃん風邪ひいちゃったの?」

「え? うん」

 まるで今初めて知ったかのような反応だ。嫌な感じがする。

「昨日もなみちゃん、調子悪かったよね」

「そう? 全然気づかなかったわあ」

 そう返された。胸がもやもやするが、いつまでもここにいるわけにもいかない。

 食事を終え、着替えてぼくは家を出た。

 なんだか狐につままれた気分だ。悪夢は見なかったはずだけど、今まさに悪い夢でも見てるのかもしれない。

「おーす眺。今日もあちいな」

 考えていたらそんな風に声をかけられた。おざなりにだが返す。

「そうだね鈴木」

 そういえば、気温もなんだか昨日と似ているような。って言っても体感で解るわけ無いし気のせいか。

「ん?」

 鈴木が立ち止まりこっちを見ていた。

「いやー、ちゃんと名前憶えてたんだな。二回も間違えるからまた忘れてるのかと思ったぜ」

「は?」

 何を言ってるんだ。昨日鈴木が自分で教えてくれたんじゃないか。

 それともそういう皮肉だろうか。

 そういえば、昨日ぼくの名前をどうとか言ってたような。

「お前こそ、ぼくの名前を間違えるって話はどうなったんだ」

「え? 俺が人の名前を間違えるわけ無いじゃん。眺じゃないんだからさ」

 後半のはそう言われても仕方がない。しかし、すっかり昨日のことを忘れているようだ。

「まあそうだな」

「変な奴だなあ。暑さにやられたか?」

 確かに、暑さのせいかもしれない。起きてから感じる妙な感じ。

 それとも、妹の風邪が感染ったか。

 そのまま、学校についた。


「ながめくん。おはよ」

「おはよ」

 着くなり、木木木と挨拶をかわす。女の子にしては珍しく、昨日と同じ格好だった。

 そう考えると鈴木は……、昨日の服装を覚えていないのでなんとも言えない。

「昨日はごめんね。木木美々なんて言って」

 あの変人に変な名前をつけられた影響かどうかは定かではないが、一応謝っておくことにした。しかし、

「昨日そんなこと言われたっけ」

 また頭の痛くなるような返事が帰ってくる。しかし、そろそろ理解すべきかもしれない。

 こんなことが起きるたびにいちいち拒絶反応を起こしては、身がもたない。

 つまりどうやら、今日。今日は昨日なんだ。

 あの悪魔が言っていたとおり。

 それなら、この後も昨日と同じ事が起き続けるはず。

「大丈夫? ながめくん」

 心配そうに木木木が顔を覗きこんできた。思っている以上に深刻な表情になってしまっているのかも。

「ああ、平気」

 務めてそう答えた。なるべく顔にでないように考える。というか思い出す。昨日のことだ。

 確かこのあとは、

「それよりさ、昨日予知夢を見たんだ。この後先生がなんて言うか、当ててみようか」

「えー。ほんと?」

「確か、『最近は特に不審者も災害もなく平和なもんだ。ただ暑いから夏バテには注意しろよ』だったかな」

 先生の声真似をしながら、ぼくは言う。声変わりもしてないので、低い声が難しい。

「ふふ、似てないと思う」

「マネはともかくさ、憶えておいてよ」 

 

 結果から言うと先生は昨日の通りに喋り、朝のホームルームを終えた。

 驚く木木木にさらに、昨日木木木が答えられなかった二時間目の問題も教える。

 それもうまくいったのだった。

「すごいすごい。どうして今日起きることが分かったの?」

「いや全然凄くないよ。たまたまだって」

 たまたま一日を繰り返すことになった、なんて言えない。

 それにしても、普段あまりみないテンションの木木木である。あのおまじないを薦めてきたのは彼女だし、案外そういうオカルトめいたものが好きなんだろう。

 しかしなぜこの事を木木木に話したのか。自分でもよくわからない。

 共感が欲しかったのか、称賛が欲しかったのか。

「それでもやっぱり凄いなあって思う。テストの点もすごいし。ながめくんなら、あの話も本当にできるかも」

「あの話って?」

「あのね、校舎裏であることをすると、悪魔を呼び出せるんだって」

 やっぱり、この話だった。昨日と同じようにやって同じように出てきたら……嫌だな。

「へ、へえー。悪魔ね。いないと思うけどね。悪魔」

「やっぱりそう思う? でも、ちょっとだけ試してみない? ながめくんみたいに、頭が良くないと駄目みたいで」

 ここで無碍に断ったら、また落ち込んでしまうんだろうな。いや、落ち込んだのは呼び出す方法についてだったか。

「まあいいよ。試すだけならね。放課後に一緒に校舎裏へ行くんだっけ」

「うんっ。ありがとう、ながめくん」

 話を終えた頃、ちょうどチャイムが鳴った。


 またカレーである。目玉焼き、カレー、目玉焼き、カレー。

 この分だと夜はまた鍋焼きうどんだ。姉に電話して変えてもらおうかと、少しだけ考えた。

 奪い合いをぼんやり眺めながら、スプーンを口へ運ぶ。

 給食を終え、昨日のように本を開いた。

 さすがに昨日読んだところをもう一度は読まず、先を読む。似たような事が起きる中での新しい物語だと、まるでオアシスのようだ。

 そして体育。またもキックベースボールの外野は走らされている。ご苦労なことだと思ったが、彼らにしてみれば今日だけの事だ。

 その体育の時、鈴木と取り留めもない話をして、それから放課後となった。

「いこ。木木木」

「うん」

 昨日の通り、木木木は元気が無い。昨日この状況で色々と考えた気がするけど、ネタを知ってる今となっては、やきもきすることもない。

 ただ昨日のとおりに事を進める気もない。

 ぼくらは人のいない校舎裏にたどりつく。

「えっと、あのね、ながめくん」

「ん?」

「本当はもっと簡単なんだと思ってたけど、この儀式、ちょっと危ないの」

「危ないって、もしかして血が必要、とか?」

 もしかしても何もないけれど、先回りして聞いた。

「う、うん。ちょっとだけでいいみたいなんだけど」

「ええ、血、血だって? それは危ないよ。血が必要ってことは、怪我しないといけないよね。破傷風にでもなったら大変だし、もちろん木木木にもそんな危ないことさせられない。いくら悪魔に会うためだからって、そんなことやめたほうがいいよ」

 言い終えて木木木を見ると、わかりやすくぽかんとしていた。いくら悪魔に会いたくないからって、過剰演技すぎたか。

 でもこれくらいしないと、不思議なもの好きな木木木を納得させられない気がする。

 変な間が生まれた。お互い何も言わない。じわじわと、羞恥心が湧いてくる。

「ぷっ」

 木木木が吹き出した。

「そ、そうだよね。危ないよね。私もそう思う。でもそんな必死にならなくても。そんなながめくん初めて見たよ」

「はは、お恥ずかしいところをお見せしました」

「もう、なあにそれ」

 少しの間ぼくらは笑い続けた。ぼくなんかと比べるまでもなく、彼女はいい笑顔だ。

 結局おまじないはせず、ぼくらは帰路についた。

 

 家につき、ソファに座りテレビをつける。

 妹はどれくらいで起きてきたっけ。

 しかしそれにしても、退屈な一日だった。いやまだ終わってはいないけれど。

 最初は多少の驚きもあったけど、今日が昨日だということを理解してしまうと、虚しいだけだ。

 一度受けた授業、一度食べた料理、一度話した内容。

 こんなことだから、普段予習などもしないようにしてるのに。

 今目の前にあるテレビも、昨日と同じ内容を映している。セルフ再放送だ。

「おにいちゃん。おかえり」

「ただいま」

 妹はまたおでこに冷える系のものを貼っている。当然か。この一日が繰り返されるたび、妹が熱にうなされる……、なんてのはぼくから見た現象だろうけど。

 妹としては一日だけのはず。

 どうせ寝てしまうんだから部屋に戻れ、なんてことは言わない。

 昨日のように座ったまま寝てしまった妹に毛布をかけてやり、その後姉が帰ってきた。

 食事の前のお風呂だ。

「なみちゃんは悪魔に会ったらどうする?」

「あくま?」

 一度した説明を繰り返す。

「うーん。たすけてもらう」

 例のアニメのキャラクターか。そんな正義の味方がいればいいけれど。

「おにいちゃん、もしかしてあったの?」

「……うん」

「たべられたりしなかった?」

「もしかしたら、半分位食べられたのかも」

 なんとなしに呟いたが、妹に世界の終わりのような顔をされた。

「いやいや、大丈夫。お兄ちゃん無事だから」

「ほんと?」

「うん」

 まったく、ぼくと違って情緒豊かな妹である。この妹だったら、悪魔なんかよりもっとマシなものに出会いそうだ。

 頭を撫でる。濡れた髪の感触が指を包んだ。大人しく撫でられている。あまり長く入っているとのぼせてしまう。

 お互いタオルで体をしっかりと拭いて、妹にはドライヤーをかけてやり、風呂場から出た。

 若干うんざり気味に鍋焼きうどんを食べる。そして読書してからベッドへ。

 さすがに宿題をする気にはならなかった。怒られたらその時だ。むしろ怒られる状況が来たほうが良い。

 明かりのない暗い寝室で横になっていると、その他の時間よりも不安が増す。

 今日一日はなんだったのか。あの悪魔のいうことは、全部本当なのだろうか。

 信じたくはないけど、もしそうだとしたら最悪だ。悪い夢なら覚めてほしい。

 明日はまともな明日になってほしい。

 三百人。三百人って。なんだそれ。

 

「おはようございます」

 起きてからいつものように言って、すぐに部屋を出た。

 食卓を見ると、やはり目玉焼きとトーストが出来ている。昨日、一昨日と同じだ。

「姉さん。昨日も同じ朝食じゃなかった?」

「え?  昨日は和風だったじゃない」

 聞いてみても、きょとんとした顔でそう返される。一昨日のその前は、たしかに焼き魚とかだったような。

 また今日が始まったんだ。

 どうすればいい。どうすれば脱出できる。

「なっくん。具合悪いの? 顔色わるいよ」

「い、いや大丈夫」

 しかしうまく力が入らない。そのまま椅子に腰掛けた。そんなぼくをみて、姉が今度は自分で、妹を起こしに行った。

 妹の咳の音や、姉の「あら、なみちゃんもなの。今日休む?」なんて声が聞こえてくる。

 姉だけ戻ってきた。

「んー。風邪流行ってるのかしら」

「ぼくは学校行けるよ」

 休むとどうなるのかも少し気になるが、学校に行くべきだとそう思った。何か現状を打破するきっかけがほしい。

「いただきます」

 もそもそとトーストをかじる。食欲がわかない。香ばしいパンの香りも、トロリとした目玉焼きの黄身も、ぼくの周りから遠ざけたくなる。

 紅茶でそれらを胃に流しこんで着替えて家を後にした。

「おーす眺」

「うん」

「ん? なんか暗くねーか? まあ俺もこの暑さじゃ元気でないけどな。はは」

「鈴木は十分元気だよ」

「いやいや、全快の俺だったらもっとテンション高いぜえ」

 なんというか喧しい。しかも飛び跳ねている。ぼくの気分が優れないせいか、普段の数倍声も大きく感じる。

 ノイズだらけのラジオでも聞くかのように、鈴木の話を聞いていたら学校についた。

 そのまま朝のホームルーム、一時間目、二時間目まで終えた。昨日とほとんど同じな、退屈で陰鬱な流れ。

 いや、陰鬱なのはぼくの気分のせいだ。

「それでね、ながめくんなら、もしかしたら悪魔に会えるかも」

 木木木が例のおまじないの話を持ちかけてくる。

 もうこうなったら、あいつに会って話をしたほうがいいかもしれない。

 このまま同じ日々を繰り返していたら、気が狂う。今はまだ正常なはず。

 そうだ。また一緒にあの場所へ行って、指を切ろう。

「その必要はないわよお」

 一瞬、木木木がそう言ったのかと思った。声質は全然違うけれど、木木木の方からそんな声がした。

 しかし、木木木は固まっている。目も口も動いていない。

 よく見れば、周りの生徒も誰も動いていない。二十五人近くいるのに。

「はあい」

 そんな気の抜けた声とともに、木木木の後ろからそいつは現れた。

 青いような白いような、それでいて緑色っぽい髪。そのなりでどうやって隠れていたのかというくらいの長身と、それに見合うスタイル。

 ぼくは逃げ出した。

 

 一目散に教室を飛び出し、廊下を走る。廊下を走ったのは初めてだ。注意する者はいない。

 階段を落ちるように降り、下駄箱を無視して、上履きのまま外へ。

 車も、通行人も、信号も、二十四時間営業のコンビニも、全部止まっている。

 走る。走る。

 小学四年生の足じゃ速度もたかが知れているけれど、ひたすら走った。

 何処まで行ってもぼく以外動いていない。

 やがて息が切れ、路上に倒れた。道路のど真ん中だ。

「はあ、はあ、は、」

 仰向けになると、青空が視界に広がる。ぱっと見わからないけれど、雲も止まっているのかもしれない。

「は、は、げほっ」

「気がすんだかしら」

 視界に影が生まれる。そして全てが悪魔の身体で埋まった。寝ているぼくを上から眺めている。

「何なんだお前。何がしたいんだ」

「それはこっちの台詞よう。斜めくんあんなに乗り気だったのに、もう三日目よう」

「乗り気じゃない。あの時はお前が帰らないから適当に合わせただけだ」

「ひどっ」

 ショックを受けたように後ずさった。胡散臭い。仕方ないので身体を起こす。

「ぼくを、この世界を元に戻せ」

「前も言ったけど、途中でやめることはできませーん」

「…………」

 そう簡単に戻してくれるとは思っていなかったけど、きっぱり言われるとやはり何も言えない。

「大丈夫だって。一時間ごとに五十人。六時間もあれば終わるじゃない」

 それは人間の発想じゃない。いや、悪魔だからいいのか。

「本当に、その方法しかないのか?」

「うん。そうだよ」

 あっさりとそう応える。

「じゃあもし、ぼくがお前を殺したら?」

「くふ、できるものならやってみなさい」

 手を広げ、悪魔は怪しく笑いながら言う。どうせここで飛びかかっても、前のようにすり抜けるだけだろう。そもそも前回のように心を読んだり、こんなふうに時間を止めたりするやつに敵うわけもない。

 ああ、アニメの正義のキャラクターでも出てくればいいのに。

「うち様はそんなやつに負けないもん」

 なにが「もん」だ。本当にころころと口調を変えてくる。

「はあ」

 息をひとつついて、ぼくは立ち上がった。服をはたき、背中やらの汚れを払う。

「おっ。やる気になったかね」

「帰る」

「えええ」

 今日は学校に戻る気がしない。校舎も校庭もクラスメイトも見たくない。

 路上から歩道に戻り、家まで歩を進めた。ここからだと、どれくらいだろう。

「諦めちゃったの? それとも、明日から本気だすってやつ? でも明日は来ないよ?」

「うるさい」

「あ、もしかして学校の人間は殺したくないから、別の人間で数を補おうとか? でもでも、うち様ちゃんと言ったよね。学校の人間全部殺してって。他の人間じゃだめだよ。例えば、斜めくんのお姉さんとか妹さんとか」

「うるさいっ。黙って見てろ」

 それから、悪魔の声はしなくなった。いつの間にか、周りの時間も動いている。

 街ってこんなに雑音がするもんなんだな。無音の状態からだと落差が凄い。

 何処をどう歩いたのかあまり覚えていないが、気づいたらぼくは自宅に戻っていた。

 そういえば鞄やら靴は学校に置きっぱなしだ。……どうでもいいか。

 部屋に戻りベッドに身を沈める。

 敷き布団に包まれていると、思考がゆるやかになっていく。このまま永遠に、こうしているのもいいかもしれない。

 永遠って何年くらいかなあ。


「ながめくんって、お爺ちゃんみたいだよね」

「ひどいなあこんないたいけな子供を捕まえて」

「みたいっていうか、どう見てもお爺ちゃんだと思う」

「え?」

 隣の席の木木木がじっとぼくを見つめて言う。ここは小学校のはずで、このクラスは小学四年生のためのところで、この席はぼくの席だ。

 ならなんで、こんなしわしわの手の人間が座ってるんだろう。

「いつまでそうしてるつもり?」

 木木木が、

「早く明日にむかって殺そうよ」

 悪魔に変わった。


「お、おはようございます?」

 嫌な夢を見、嫌な汗をかいた。嫌なやつがでてきたもんだ。

 悪魔が何かしたせいでこんな夢を見たのか、それともぼくのこころが弱いせいか。

 目をさますと、部屋は暗かった。いつの間にか夜まで眠っていたらしい。カーテン越しの窓は光を発さない。

 ベッドを降り、手探りぎみにドアを開けると、目に優しくない眩しさが広がる。

「なっくん起きた? ご飯できてるよー」

 姉の言うとおり、テーブルの上には鍋焼きうどんができていた。湯気をたてて、匂いがこちらまで漂ってくる。

 ちょうど夕食時に起きたようだ。いや、待っていてくれたのか。今何時だろう。

 妹も椅子についていて、すでに食事を始めていた。

 ぼくも食べようか。いくら三度目のものとはいえ、今日はお昼ごはんを食べていない。だから、飽きていても食べられる気がする。

「今日なっくん早退したの? やっぱり具合悪かった?」

「ああ、うん」 

 学校から連絡がいったのかな。それとも先に帰ってたことに妹が気づいたか。何も言わないだけで、姉はぼくが勝手に帰ったことを知っているのかも。

 あの時、無我夢中で飛び出したけど、クラスメイトからはどう見えていたんだろう。

 時間が動き出してから、ぼくが急に消えたように見えたか。

 時間といえば、この一日のループは何処から何処までなのか。

 寝てから起きるまでだとすると、ずっと起きていたらどうなるのか。

 些細な抵抗だけれど、試してみよう。

「ごちそうさま」

 寝起きの感覚が、食事のおかげで抜けてきた。普段だったら寝られないと困るんだけど、今日はちょうどいい。

 いっそ家を抜けだしてみるのもありか。

 部屋に戻り、いつかのために備えておいた貯金箱の中身を財布へ移す。

「ちょっと、買い物に行ってくるね」

「え、こんな時間に? 何買うの?」

「計算ドリル」

 適当な事をいって、ぼくは外へ出た。昼間とは違った、温かいようなぬるいような空気だ。

 あまり夜出歩くことがないから、なんだか新鮮である。夏の日差しがないだけでこうも違うのか。

 適当にぶらついてみると、街の雰囲気もなんだかちがう。街灯の明かりが落ち着いた雰囲気を漂わせている。

 零時過ぎか、夜明けまで街をふらふらとしていよう。姉が心配するかもしれないが、ループが始まるなら関係ないし、ループが終わるのなら御の字だ。

 コンビニで立ち読み、少年と冠した雑誌だ。ぼくはたまにしか読まないけど、クラスの中では大人気である。これこれの漫画の展開がどうとか、よく話していた。

 ここで数時間を潰すわけにもいかないけれど、少しのあいだ楽しめる。

 あまり外ばかり歩いていても、補導されてしまうだろうし。

 これだから小学生は困る。行動範囲が狭いし、できることも少ない。映画や電車の料金が安くなるからといって、それがなんだというのか。

 まあ、子供だからこそできる恥ずかしい行動や、わけのわからない遊びというのもあるけれど。

 お金も出さないまま一冊まるまる読み終え、ぼくはコンビニを後にした。店員がぼくをどう見ていたかはあえて考えない。

 時間もわからないまま、徘徊を続行する。大きめの本屋。雑貨屋。ゲームショップ。パチンコ店。ファミレス。大きい道に沿うようにして、どこも客を奪い合っている。

 本屋に行こうか迷ったけれど、それじゃあ先ほどのとあまり変わらないので、別の道にそれた。

 薄暗く、明かりもぽつぽつとしかない。急に静かになった気もする。

 車一台ほどしかスペースのない道だ。両サイドには塀があり、住宅が並ぶ。

 明かりのついていない家もいくつかある。

 なんだか、変質者でも出てきそうだ。ぼくは男だから、性的な変質者ならまだマシだけど。   いや、最近はそのへん曖昧なのか。

 とにかく、問題は暴力系である。もし今の状態で殺されたらどうなるんだろう。

 ループは終わるのか、それともまた朝からなのか。

 どちらにせよ、殺されるならまだしも、自殺するつもりは全くない。どんな状況に陥ってもだ。そんなことをするのは愚か者だけ。

 当然、ぼくの命でこの世界のループが終わるなら、なんて殊勝なことも考えない。

「おい君、こんな時間に何をしている」

 考えていたら声をかけられた。変質者ではないだろう。むしろ補導員のような口調だ。しかしいい加減わかる。こんな悪魔のような声はあいつしかいない。

「何の用? 今忙しいんだ」

「どう見てもただのんびりしているようにしか見えないよう。駄目だぞ。子供が一人で出歩いちゃ」

 急に現れたりずっと見ているらしかったり、悪魔って他にすることがないのだろうか。

「こんな薄暗い所うろついてたら、こわーいやつに会っちゃうかもよ」

 今まさに会っている。

「それにお姉さんも心配してたぞ。『なっくんが帰ってこないー』って」

 悪魔でも、モノマネは下手らしい。というかそんな所まで見ているのか。千里眼でも持っているのだろうか。

「別にいいじゃないか。どうせまた今日が来てリセットだ」

「投げやりですねー。そんな向上心の無いことじゃ駄目ですよー? 現状を打破するのはいつも人の意志なんです」

 こんな状況に追い込んだ本人が、もっともらしいことを言っている。

 いや、お願いをしたぼくにも非はあるか。たとえ悪意を浴びようと、無知であろうと、口は災いのもと。

「そろそろ時間でーす。いい加減がんばってくださいね」

 陽気にそう言い放ったかと思うと、悪魔は手を叩いた。ぱちんと聞こえた頃には――。


「……おはようございます」

 明るい。どうやら、ここはぼくの部屋のようだ。使い慣れたベッドの上である。

 側においてある時計をみると、普段起きる時間を示していた。

 夢、じゃないだろう。

 ループか。結局何処にいようと、何をしようと、ループが途切れることはないらしい。

 三百人殺すまでは。

 それだって悪魔の嘘かもしれないけれど、それしか道がないように思える。

 だから決意。

 というかこれだけ世界に囚われたら、他人に興味の薄いぼくじゃなくてもやらざるを得ないだろう。

 人は世界に関係してないと感じた時、世界から切り離されたと感じた時、ひどく孤独感にさいなまれるらしい。

 だからぼくは壊れてない。

 四度目の朝食をとり、姉や妹の会話もそこそこにぼくは家をでた。

 ちゃんと鞄も靴も戻ってきている。いい天気だ。もしこのループが雨の日だったらと思うと、そこだけが救いである。何日も雨模様なのを想像すると、うすら寒い。

 いつものように出たので鈴木が来た。

「おーす眺。今日もあちいな」

「そうだねえ。ねえ、鈴木はさ」

 夏の太陽のもと。爽やかな朝。さっぱりとした格好の男子二人の会話として、これはどうだろうと思いつつ、ぼくは聞いた。

「人を殺そうと思ったことある?」

「……は?」

「だからさ、人だよ。殺人」

「ねえよ。一度もねえよ。そりゃあちょっとくらい嫌いな奴もいるけどさ、殺そうなんて思わねえだろ」

「そっか。そうなんだ」

 ぼくはどうだったかな。悪魔に会う前。一度でもそんな思いを抱いた事があっただろうか。

 まだぼくたちは十年ほどしか生きていないけれど、大人になったらそういう事も自然と考えるのだろうか。実行しないだけで。

「そうなんだって、お前はあるのか? そんな怖い考え」

「ないない。あるわけないよ。殺人はとっても悪いことだからね」

 ぼくは明るくそう返した。そう口と顔を動かしている裏で、どうしようか考える。

 いつもならここにトラックが通る。そこにちょっと彼を押してやれば、死ぬかもしれない。

 それで三百分の一だ。

「だよなあ。たまにテレビでそういうのやってるけど、どんな状況になったらそんなことするんだろうな」

 鈴木がニュースを見るとは意外だった。

 やはり初めては、もう少し悪い奴の方がいいかもしれない。どうせ全部やるんだといっても、初めてくらいは。

 それにいくらループするといっても、こんな早い時間に実行したら捕まりやすい。

 目撃もされるだろうし。罰ゲームとか言っていたがあの悪魔、何をする気なのか。

 結局鈴木を押すことはせず、学校に着いた。

 適当に過ごし、二時限目の後の空き時間に教室をでて人間観察を始める。朝からずっと人殺しのことばかり考えていた。

 計画犯罪を実行にうつす日の犯人も、こんな気分なんだろうか。ぼくはまだ計画らしい計画も立てていないけれど。

 誰をターゲットにするか。

 こんなに他人をよく視るのは初めてかもしれない。誰も彼も皆無邪気に喋ったり遊んだりしている。教師だって似たようなものだ。

 ……誰を選んでも同じに見えてきた。所詮よく見たところで、結果は変わらないのか。

 ならばどうしようかと思ったところで、それにでくわした。

 騒がしい小学校の中、何かないかと思いあえてぼくは人気の無い所を歩いていた。体育館の横側、雰囲気は校舎裏に似ている。

 そこで、男子三人が何かしていた。いや、二人と一人というべきか。

 とっさに隠れた。

 ぼくよりも大きそうな男子二人が、ひ弱そうな男子を跪かせている。あの二人は六年生だろうか。片方はふっくらというかでっぷりというか、なんというか丸い。

 もう片方はそれにいつもくっついていそうな、金魚のフンのような顔をしている。

「おいイヌ、もっとシッポふれ」

 丸いのが口を開いた。よく見れば、跪いている男子、イヌの腰に草の猫じゃらしがついていた。あの植物の名前はなんていうのだろう。さすがに知らない。

 怯えた表情をしながら、イヌは腰をふる。それに連動して、猫じゃらしがゆったりと動いている。

「ははは。ほんとにイヌみたいだ。鳴いてみろよ」

 と、今度は金魚のフンが命じる。

「わ、わん」

「あひゃひゃひゃ」

 二人で馬鹿笑いである。まあ、この声が遠くまで響いたところで学校の喧騒に紛れてしまうか。

 それにしても、これがいじめというやつか。なんというか中々興味深い。

 さすがに学校全体をみればいじめのひとつふたつはあるか。もしかしたらうちのクラスにもあるのかもしれない。ぼくが気づいていないだけで。

 しかし、今の時代こんなふうに、身体に直接ふっかけるいじめも珍しいんじゃないだろうか。

 もっとこう裏サイトだったり、犯人がわかりづらいようなものだったり、教師が参加したり。

 小説やドラマでしか知らないぼくが言えたことではないか。

 現役小学生なのにと思いはするけど。

 イヌが三回回りだしたあたりで、思考を次の段階へ向ける。

 ターゲットはこいつらにしよう。決まりだ。

 別に悪を討ち果たすとかそんなんじゃないけれど、初めての殺人にはふさわしそうだ。

 となると方法である。推理小説も読んだことはあるけれど、ぼくの身体で役に立つ方法はあったろうか。

 絞殺、刺殺が多かったように思うけど、素人にうまくいくのか。

 やはり朝考えたように、ちょっと押すだけで死んでもらえると助かる。

 学校でそれをやろうと思うと屋上か、それとも……。

 下校後につきまとって機会をうかがうべきか。

 そこまで考えたところで、チャイムが鳴った。イヌに一蹴り入れて、丸いのと金魚のフンは立ち去る。

 とりあえずぼくは彼らの後をつけた。当人について詳しく知るつもりはないけれど、せめてクラスくらいは知っておきたい。


 彼らがクラスに入った所で、ぼくは身を翻し自分のクラスに戻った。さすがにチャイム後のばたばたした雰囲気だと後もつけやすい。

 彼らは予想通り六年生で、校舎の一番高いところに教室があった。

 授業中、給食中、方法を考えるが、どうにも考えがまとまらない。こんなことで三百人なんて達成できるのか。

 下校する段になって、ぼくはまた彼らのクラスに向かった。この時間といえば例のおまじないだけど、木木木とはその事を話していないので、おまじないの件もない。

 使われていない特別教室から、人の流れをじっと見つめる。丸いのも金魚のフンも現れない。

 もう帰ってしまったのだろうか。

 何時間こうしていただろう。人の流れも消え、あたりが静かになったところでぼくは教室を見に行った。すっかり窓からは赤い陽の光がさしている。

 一部分だけガラスになっているドアから、少しだけ顔を覗かせる。もぬけの殻かとおもった教室に、まだ人が居た。

 おしゃべりしている数人の女子と、漫画を読んでいる丸いのと金魚のフンだ。

 良かった。ターゲットはまだいる。

 ここでこうしていても怪しいだけなので、また元の場所に戻る。こんなに待つのなら、本でも持ってくればよかったと今更ながらに思う。

「はー、だりい。家まで歩きたくねえー」

「そんなんだから太るんだよ」

「うるせえ。おめえが痩せすぎなんだよ」

 声とともに、二人が教室から出てきた。うっかり寝そうだった。

 二人がこちらに向かってくる。階段だろう。小学校にしては段の多そうな階段。いや、他の学校を知らないけれど。

 二人がそれを降りようとした時、

「あ、俺トイレ」

 と金魚のフンが端的に言った。

「あいよ。先行ってるわ」

 二人が別れる。そして丸いのが段差に足を伸ばす。思考が回り始める。胸が高まる。もしかしたらこれはチャンスなのではないか。

 おあつらえ向きの、まるで用意されたかのような状況だが、チャンスとはえてしてそういうもの。

 衝動殺人とはこういうものなんだろうか。(身体が)カッとなってやった。反省も後悔もしていない、なんて。

 ぼくはすぐさまその場を飛び出し、丸いのに駆け寄った。ドアを開ける音で丸いのがこちらに振り向いたけど、気にしない。

「あ?」

 だって、あとはちょっと力を込めてやるだけだから。丸いのの丸い瞳がこちらを見ていても、ぼくの動きは止まらない。

 手のひらに肉の感触。すぐにそれは離れ、遠ざかる瞳。彼は今浮遊感を味わっているのだろう。しかしすぐに背中に痛みを感じるのか。それとも落ちきるまで現状の理解なんてできないのか。

 いや、落ちきったら意識がなくなってもらわないと困る。

「ぎゅぷ」

 ハムを捻ったような声を出しながら、ハムを叩きつけたような音を出しながら、丸いのは落ちていった。

 何段あるだろう。数えたことがない。

 転がり落ちたのは一瞬で、すぐに段差のない地点に丸いのは着地した。

 階段から落ちて首の骨だかを折って死んだ話を聞いたことがあるけれど、果たして。

 

 果たして、丸いのは死ななかった。全身を痛めているのか、立ち上がりもしないけれど、こちらを睨みつけている。

 ダルマの眼よりは感情がこもっているかも。

「お前、何しやがる。いてえ。痛え。なんでこんなこと」

 なぜかうずくまった丸いのから目が離せない。死んでない。死んでないから喋っている。どうしよう。とどめを刺すべきか。

「おい、そこから動くなよ。ぜってえやり返してやる。ぼこぼこにしてやるからな」

 丸いのがなにか言っている。とどめを刺そうにも、道具がない。いくら満身創痍とはいえ、何の道具もなしにやるのはむずかしいだろう。

 あの太い首を素手で絞めるのは難易度が高そうだ。蹴ろうが殴ろうが、簡単にくたばるとは思えないし。

「ん? 何してんだ? あっ、翔ちゃん。どうした」

 もたもたしていたら、金魚のフンが帰ってきた。その声で途端に視界が広がる。ああそういえば、ここは小学校だった。集中力が切れるのを感じる。

 そしてどうでもいいことだが、丸いのの名前も知った。

「そいつが俺を突き落としやがったんだ。捕まえろ。逃がすな」

「はあ? おい、本当なんか?」

 金魚のフンの手が、ぼくの腕にまとわりついてくる。別に臭くはないけれど、うっとうしい。

 丸いのもよろよろと立ち上がった。円形から長円形になる。

 ああ、これで終わったんだ。一人も殺せないまま――。

「くふふ、くふ」

 悪魔的な笑い声が聞こえた。

「あはっ。あはは。失敗してるう。そんな短絡的な方法じゃ失敗するに決まってるのに。あはは」

 丸いのも金魚のフンも動きを止めているのに、やたらと跳ねたり動き回りながら、悪魔は笑い続ける。

 ぼくの周りをうろちょろとしたり、ほっぺをつんつんとしてきたり。長くハイカラな髪が一緒になびきまくっている。

「ビギナーズラックはどうやら起きなかったみたいだねえ。運良く死んでくれたら、すぐに逃げてなんとかなったかもしれないのにねえ」

 殺人にビギナーズラックが起きてたまるか、と失敗しておいてぼくは思う。金魚のフンの手をいい加減引き剥がした。

「それにしてももっと賢い奴だと思ったのに、期待はずれだなあ。期待しすぎちゃったかな。それとも初めてで緊張しちゃったかな。初体験ってどきどきして失敗しちゃうみたいだね。あはは」

 どうやら期待されていたらしい。わざわざ姿を表したくらいには、ということか。

 ぼくとしてはなんでこいつがぼくの前に現れたのか、まだ釈然としないものがあるけれど。

 緊張、してただろうか。さして興味もない相手を手に掛けるだけのことなのに。いや、失敗したのは方法だ。それに、失敗した後のことを考えておくべきだった。

 呑気に観察している場合じゃなかった。

「反省も後悔もしちゃってるのかなー? もっとうまくやるべきだった、という反省と自分の不甲斐なさにたいする後悔みたいだけど。相手のことなんか微塵も考えてないみたいだけど。でも、斜めくんはそれでいい。それでこそ斜めくんだ。うち様は君ならきっとやり遂げると信じているよ」

 また勝手に人の心を読む。悪魔にそれでいいと太鼓判を押されても、人の道からより外れるだけなのだが。もとより、人の道には乗ってないか。

「信じているからこそ、愛のムチを与えねばなりません。前に言ったとおり、見事に捕まっちゃったので、罰ゲームを執行しまーす。罪を憎んで人を憎まずなんて、どこかの眩い聖なる本に書いてあるみたいだけど、関係ありませーん。うち様は斜めくんのこと愛しちゃってまーす」

 初めて悪魔が現れた時以上の、というか別方向の寒気がした。人間にも言われたことがないのに、悪魔に言われてしまった。

 人間に言われたとしても表情一つ変えないかもしれないが、悪魔に言われた今は怖気がする。鳥肌が立ちそうだ。

 しかし罰ゲームだ。

「その前に、聞いておきたいけどこの状況。丸いのがぼくの前で隙だらけになった状況に、お前は何か関与してるのか?」

 あまりにも出来すぎだと思った。何日も張り込んだならともかくだ。

「んん? ぜーんぜん。殺す気で見張っていれば、人間隙だらけなもんですよ。たとえ凶器を持たない小学生が相手でもね。まー、斜めくんは失敗しちゃったけど。あは」

 ぼくの失敗を心底嬉しそうに、悪魔はまた笑う。

「大体うち様が手を貸しちゃったらイージーすぎるよう。最初の一日で全てが終わっちゃうよう。それにそんなことをしても」

「ん?」

「なーんでもない」

 一体何を言いかけたのか。ここまで適当に喋っていそうな悪魔に、隠し事なんてあるのか。

「ではそろそろ罰ゲームに入りまーす」

 悪魔はそう宣言をして、一本締めのようにハッキリと手を叩いた。

 この状況自体がすでに罰みたいなものだけど、それは悪魔なんてものを呼びだそうとした罪に対するものなんだろうか。

 

 気がついたら、ぼくは階段を降りようとしていた。眼下がやけに遠く感じる。見たところ、ひどく既視感のある光景だ。

 そりゃそうか。だってこの階段この状況。ぼくがいるのは、さっきぼくが突き落とした丸いのと全く同じ位置じゃないか。

 がらりと後ろで戸の開く音がする。顔を出したのは丸いの。その顔は血が上っているのか赤く、呼吸もひどく乱れていた。なんというか、ゆでたトマトのよう。

 それがこちらに向かってきた。重量のある突進。ぶつかったら、それだけで身体を痛めそうな。こんな危険が迫っている時、命を粗末にするぼくではない。

 しかし避けようとしたのだけど、身体が動かない。寝る時に金縛りにあう人は割りといるようだけど、こんな白昼堂々と金縛りなんて。

 ――なるほど、これが罰ゲームか。

 そのままぼくは丸いのにふっとばされた。その先は勿論階段である。おいおいこんな風に力いっぱい重みいっぱい吹き飛ばした憶えはないぞ、だなんて抗議しても聞く奴はいない。

 すぐに段にぶつかり、さらに開けた場所に投げ出された。横移動が多かったせいか、一段くらいしかぶつからなかったけど、背中を強く打った。そして頭も。

「っう」

 呼吸がし辛い。視界が回る。そしてぼやける。それでもなんとか丸いのをみやる。こちらの視点が低いせいか、随分高い。丸いのがふんぞり返っているようにみえる。

 丸いのを真似して何か言おうかと思ったけど、呼吸が乱れてままならない。

「ぬふふふ。どう? どう?」

 いつのまにか、目の前に悪魔がしゃがみこんでいた。とても楽しそうだ。もしかしたら、いたいけな小学生をいじめるのは楽しい事なのか。

 大人になったらやってみるのもいいかもしれない。酒やタバコじゃないけど。

「っはぁ。どうって何がさ。気分だったら最悪だよ」

 打った頭もじんじんするし、背中のは痛みだけでなく吐き気も呼び起こす。落とされる直前にみた丸いのの顔はひどく醜い。

「イイわー。凄くイイ。ちなみに罰ゲームはもうわかってると思うけど、やったシーンの体験でーす。捕まったらちゃんと相手にしたことをその身で味合わないとねー。変な場所で生活したり、紐を首にかけるよりよっぽど楽しくない?」

 楽しいってなんだ、悪魔的にはお化け屋敷やジェットコースター気分なのか。

「こんなやり返し制度が施行されたら人類はとっくに滅んでそうだ」

「大丈夫よ。掃いて捨てるほどいるんだし」

 そりゃあ悪魔から見たらそうだろうけどさ。というか、悪魔って何人くらいいるんだろう。匹か、体かしらないけどさ。

「それはひ・み・つ。参考までに言うと、毎年行方不明者が八万人くらいいまーす。皆何処へ行っちゃったんでしょうねー。えへへ」

 緩んだ頬で空恐ろしい事を言う。まさかそのほとんどに悪魔が関与しているとでも言うのか。

 うっとうしい悪魔と話していたら、だんだん身体の調子が戻ってきた。もう立ち上がれそうだ。

「あらもう回復? これで今回の罰ゲームは終わりだけど、相手にしたことが身に沁みてわかったかな?」

「ああ。やっぱりぼくが甘かったよ。こんなもんじゃいくら子供とはいえ、簡単には死なないよね。次はどうするかな」

「くふふ。いいね。いいよ。いい感じに馴れてきてる。いや、壊れてきてるのかな」

「馬鹿をいうな。ぼくは壊れてない」

「そうだねえ」

 にやにやとした顔で言う。

 こんな何処にでもいそうな子供をつかまえて、壊れてるとは心外な。こんな風に世界に縛られたら誰だってこんな行動をして、次への反省もする。ただちょっとだけ、他人より自分の命を優先してるだけだ。

「うち様はいつでも見守ってるからね。辛くなったら相談しんしゃい。じゃ、アデュー」

 こんなのに相談なんてごめんだ。

 そんな事を思っているうちに、悪魔の身体がだんだんと薄くなっていった。それにともない、ぼくの視界が暗くなっていく。

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