彼女の旅立ち
「この最後の葉が枯れ落ちた時、私は死ぬの」
彼女は寂しそうにそう言った。
そんなことはない、例えその最後の一枚が枯れ落ちたとしても、君は死んだりなんかしない。
僕は静かにそう彼女に告げた。返事は、なかった。
「なぜそう思うんだい? あの葉が散ってしまおうと、君の命まで奪われてしまうわけじゃないのに」
「……違うの。違うのよ」
彼女は力なくそう答えた。
まるで今にもこの場にその身だけを残して旅立ってしまうような、そんな声だった。
「あの葉は私。あの葉は私の分身。……あの葉は、私の最後の子供。あの子が朽ちて落ちてしまう時が、私の最期なの」
「違うよ。たとえあの葉が落ちてしまおうと、枯れてしまおうと、君は生きていける。別の形でだって生き残っていけるよ。なのに、なぜそんなことを言うんだい?」
「確かにそうかもしれない。けれど、私はあの子を失ってなお、生き残ろうとは思わない」
「僕は? 僕は君の生きる理由にはならないかい?」
「…………」
「…………」
沈黙が答えだった。
彼女は空を見上げ、まるで詩を読み上げるように、言った。
「鳥は、なんのために生きていると思う?」
「……わからない。なんのためなんだい?」
「大空を飛ぶために」
なぜ彼女は突然こんなことを言うんだろう? それよりも話すことが今はたくさんあるというのに。
それなのに、僕には彼女の言葉を遮ることは出来なかった。
彼女の言葉が、その声が、僕の心をとらえてしまったから。
「風はなんのために吹くの? ……命を運ぶために」
「水はなんのために流れるの? ……母の元へと還るために」
「花はなんのために咲くの? ……命を紡ぐために」
「人はなんのために生きるの? ……恋をするために」
淡々と語られる彼女の言葉。
それを聞いているうちに、わかってしまった。知ってしまった。
そう、だから、彼女は―――。
「では、私たちはなんのために生きるの?」
「…………」
「……答えて、くれないの?」
答えなくなかった。
それは、彼女の死を受け入れてしまうことだから。
それだけは、答えたくなかった。
「私たちは」
「っ! やめろ!」
「私たちは、命を」
「やめろ、言うな! 言わないでくれ!」
「……命を、宿すために、生まれた」
―――強い風が吹いた。
彼女の最後の子供を宿した小枝が激しく揺れた。
「私はもう、充分生きた。幾つもの命をこの身に宿して、幾つもの命を解き放って、幾つもの命の終わりを、この眼で見てきた」
彼女の最後の分身は実にあっけなく、命の運び手によって旅立っていった。
「あの子はこれから、他の命の糧になる。生命の連鎖は、そうやって続いていくの」
「待って……、待ってくれよ……」
「私にはもう、他の命を宿す力はないから。だから、私はもう、いいの」
「僕は、僕は……」
「さようなら」
それきり、彼女は何も言わなくなった。
いくら話しかけても、いくら呼びかけても、彼女は何も応えてくれなかった。
だから、僕は。
「……僕は生きるよ」
生命の連鎖が続くなら。
僕たちが命を宿すために生まれたのなら。
いつかきっと僕の元へ、君の分身が宿るかもしれないから。
だから、だから。
「いつかまた、会おうね」
強い風がまた吹いた。
彼女の命が今、旅立っていった。