第90話 共闘 その5
「まったく……全力とか言いっておきながら、まだやって無いことがあるんじゃない」
そんな余裕ぶったエイドリアンの言葉と――かすかな期待に縋り付く様なエデンの視線。彼もまた必死なのだ。
(そうか……それが残っていたな)
カイルも、ようやく自分が成すべき事を理解する。
彼は、おもむろに膝を折ると、瓦礫に埋もれた足元の中から程よい小石をひとつ拾い上げた。
それは、東方への旅で、彼がとある老人から授かった秘技のひとつ――それが『指弾』の技だった。
小さな物体を拳の上に乗せて、指先のわずかな動きで前方へと撃ち出すその技は、もちろん、それだけでもそれなりの威力はあるのだが――
彼が学んだその技が他と異なる点は、弾く”動作よりも、手にした物体に『気』を“纏わせる”所にあった。
気を纏った物体は、外部からの干渉を受けてもその形を保ち、まるで精密に作られた弾丸のように狙った一点を精密に貫くのである。
ドーマがまだ人の姿を保っていた際、カイルが彼女の身体をコントロールするために放った氷弾。それが空中で霧散せず狙い通りに命中したのも、その氷に“気”が宿っていたからであった。
カイルは指先に気を集中させ、拾った小石に淡い力を宿らせる。
邪神の咆哮が再びコロシアムを震わせる中、舞台のひと隅で、この王都よりはるか東方に伝わる異国の秘技が放たれた。
「頼む!行ってくれ!」
それはまるで光の矢のように空を裂き、邪神の前足の側面に命中する。
小さな閃光と共に、邪神の脚の表面から、ほんのわずかだが黒い霧がえぐれる様に飛び散った。
「……効いた、のか?」
カイルが目を見開く。準備も無しに咄嗟に放った技だ――邪神に十分なダメージは与えられてはいない。しかし、それでもカイルは満足だった。
今まで何度斬りつけても得られなかった手応えが、今回は確かにあったのだ。
「やれば出来るじゃない……」
エイドリアンがボソりと呟く。
「これなら行けるぜ、師匠!」
エデンが目を輝かせながら叫ぶ。
このいつ終わるとも知れない戦いに光明が指した瞬間だった。
「よくやったなエデン、感謝するぜ――」
それもこれも、この不肖と思われた弟子のおかげなのである。それはカイルの心からの言葉だった。
しかし――
当然、感傷に浸っている暇はない。カイルはすぐに次の小石を拾い上げると、再び気を込めて放つ。指弾は、魔法とは違い詠唱も準備も要らない。込めた気の量と、タイミングだけがすべてだ。
気を込めた小石が、再び邪神に命中する。
次いで、三発目。四発目――手数が増える度に手応えがわずかずつ確実に積み重なっていった。
威力はエイドリアンの魔法に及ばない。
だが、彼の指弾はとにかく速く、隙を見つけさえすれば連続して放つことができる。
それに伴い、エイドリアンも以前とは異なったタイミングで魔法を放てるようになった。
明らかに連携の幅が広がっていた。
そうなれば、カイルはただの囮でもなければ、エイドリアンに魔法を撃たせるための壁役でもない。彼の放つ指弾は、明らかに邪神の攻撃のリズムを狂わせ、今や邪神もカイルの存在を無視出来ない状態にまで変化していた。
そして――
その変化は、やがて邪神の身体に明確な“反応”として現れる。
「……っ! なんだよ、あれは……」
思わずエデンが目を見開いた。
それは邪神が指弾の攻撃を嫌ったが故の反応であった。
ぼんやりとした輪郭の魔力体だった邪神の身体が、徐々に姿を変え始めたのである。
漆黒の霧が収束し、ぼやけていた身体がはっきりとした一つの姿へと収まって行く――
気がつけば、邪神の荒々しい息遣いが距離を取っていても耳に入ってくる。そして鋭い爪に踏みしめる度にひび割れて行く石造りの舞台と、周りの光を全て吸い取ってしまうかのような漆黒の毛並み。
「……毛皮? 実体化してきてる……!?」
エイドリアンが一人呟く。
毛むくじゃらの巨体が、咆哮と共にその牙をむく。
指弾の連打は、明らかに邪神に変化をもたらしていた。今や邪神は、宙に浮かぶ霧の怪物ではなく、黒い毛皮に覆われた実体ある“禍々しい獣”へと変わりつつあるのだ。
「どうやら……効いていたみたいだな」
カイルが小石をひとつ弄びながら、不敵に笑う。
もちろんエイドリアンはその笑顔の意味を悟っていた。魔力に実体が宿った――それはすなわち、カイルの刀による斬撃が届く可能性が生まれたということなのである。




