第67話 徴兵官殺し 〜あの日〜 その1
砂漠から遠ざかるにつれて乾いた風は次第に和らぎ、見渡す景色にはちらほらと緑が戻りはじめていた。低木の影に揺れる命の気配。見渡せばつい先日までの荒れた荒野とはまるで別の世界。
それは砂漠の関所を後にして五日目の朝。
カイルとレイラは、街道から少し外れた大樹の陰に腰を下ろしていた。木漏れ日が二人の肩を静かに照らす。レイラは水袋を兄に手渡しながら、木の根元にもたれて深く息をついた。
「随分、木が増えてきたね。ずっと砂だらけだったから、ちょっと変な感じ」
「そうだな。でも結局元いた場所に戻ってきて振り出しに戻るんだな……」
カイルは水を一口飲み、澄んだ空を見上げた。しかしその表情には迷いの色が見て取れる。
レイラはそれに気づいて、黙って兄の横顔を見守った。
「レイラ。話がある」
「うん」
カイルはしばらく言葉を探すように沈黙した後、静かに続けた。
「砂漠は、もう無理そうだな。あそこを渡り切るには金よりも信頼なんだよ、砂漠を渡るということはそれほどまでに過酷なんだろう。今回ばかりは、はっきり言って俺の考えが甘かったよ。だからこのままもう一度オルマルの山まで戻って……この後のことを考えないといけない」
「……うん」
「選択肢は、二つだ。一つは、北に向かう。帝国軍の目をかいくぐって、混乱の中に紛れ込む。ただ、あそこはもう戦場だ。いつなんどき争いに巻き込まれてもおかしくない」
「もう一つは?」
「南。海を渡って、未開の大地へ行く。誰も俺たちを知らない場所に行ける。でも、そこは地図にもほとんど載ってないし正直何があるかも分からない。だが海を渡るのも砂漠を渡るのと同じぐらいに過酷なはずだ」
レイラは少し考え込む様子を見せたが、やがてきっぱりと頷いた。
「どっちでもいい。お兄ちゃんが選んだ方に行く」
「……いいのか?」
「だって、お兄ちゃんは私の師匠なんだもの」
兄はふっと微笑んだ。砂漠の風が去り、木々の間を吹く穏やかな風が、少しだけその表情をやわらげた。
だが、その瞬間だった。
レイラがぴくりと眉を動かし、耳を澄ました。
「……誰かいる」
「どうした?」
だがそう言いながらカイルも同時にその違和感を感じ取っていた。
「分からない。でも、音がした。草を踏む音」
レイラはそっと兄の腕をつかみ、確認するようにもう一度言った。
「……音、したよね?」
「……ああ」
二人は顔を見合わせた。どう動くべきか咄嗟の判断が試される場面だ。
高鳴る鼓動を抑えながらカイルは周囲を見回し、小さな声で言った。
「木の陰に。見つかる前に隠れよう」
レイラは頷き、兄の後について木の裏側へと身をひそめた。葉の匂いと、地面の温もり。風がかすかに枝葉を揺らしている。
足音は、一歩ずつ確かに近づいてきていた。
二人はぴたりと動きを止め、ただ静かに、息を潜めた。
「気付かれちゃったのかな? お役人だったら……どうする?」
レイラの囁きに、カイルは小さく頷く。だが、その足音の主が誰なのか、それを知るには情報が少なすぎる。
「分からない。まずは姿を見ないと。声も聞こえないし、ただの旅人かもしれない……」
「でも、もしお役人だったら……?」
カイルは少しだけ目線を上げて、木のすき間から向こうの茂みをうかがった。
見えるのは、木々の間をゆっくりと進む黒い影。はっきりとその姿を捉えることは出来ない。
「気づかれてないなら……このまま、やり過ごせるかも」
レイラは不安そうにカイルの腕を握った。今は師匠である兄の判断に従うしかない。だがカイルもまた、不安を隠しきれずにいることはその表情を見れば明らかだった。




