エピローグ それぞれの幸せななやみ
ティンシアを抱きかかえるジュノのもとに、仲間たちが、フィアリスやエルシズが心配して駆け寄ってきた。
中でも、普段の彼女からは想像できないほどあわてふためいていたのはフィアリスだった。そのあまり、彼女はティンシアに、言ってはならないことを言ってしまった。
「王女!!お怪我はありませんか!?」
んんんんん!?
「あ――!!」
フィアリスはすぐに失言に気づき、その顔の血の気を失った。
エルシズが、「あちゃー」という感じでうつむいて、額を押さえている。この先輩は普段はしっかりしていて、彼ら後輩たちはからかわれるばかりなのだが、時折、とんでもないうっかりミスをするのが玉に瑕だった。
「あ――!!」
次に叫んだのは、レルグだった。
彼は、ティンシアを始めて見たときに既視感を抱いた理由を今、悟ったのだ。
「エリッサ第三王女……ですよね?」
そう呼びかけた彼に、ティンシアはジュノの首にすがりついたまま、微かにうなずいた。
国民にはエリッサ王女としてしか知られていないが、エリッサ・ティンシア・シルレル・デ・ローウェルが彼女のフルネームである。
コールヴィッツ大上造家の嫡男であるレルグは、まだ幼いころに王宮で開かれた舞踏会で、彼女に出会ったことがあったのだ。それは十にも満たない年の頃であったし、その後すぐにティンシアはライラントに留学してしまい、会うこともなかったのだが、その面影は覚えていたのである。その当時、ティンシアは腰まである長い髪をしていたが、子どもながら常に凛としたその表情は今と変わらなかった。
なぜ覚えていたのかというと、実は、彼女はレルグのほのかな初恋の相手だったからである。舞踏会で子ども同士踊った彼は、彼女にひそかな憧れを抱いていたのだった。
そしてレルグは、もう一つ、とんでもないことに気づいてしまった。
彼がこの学院に入学して、ジュノを一目見て以来、なんとなく彼が気になっていた理由。クローに初めて出会った時に、なぜか懐かしさを感じた理由。
それは、ジュノとクローの面立ちが彼の初恋相手に似ていたので、知らず知らずのうちに重ね合わせていたからであった。そんなこと、ジュノには到底言えないことだが。
「あなたは、王女だったのか……」
まだ彼女を抱きかかえたままのジュノが、さすがに呆然とつぶやいた。
いずれ名ある貴族の令嬢だろうとは思っていたが、公爵か侯爵か、伯爵かとばかり考えていて、まさか王族であるとは思いもよらなかった。
「黙っていて、ごめんなさい。あの男から、身を隠す必要もあったから……」
そう言ってうつむいたティンシアを、ジュノは優しく地面に下ろした。
「いや、いいんだ。それより……オレにはやらなきゃならないことがある」
ジュノは左手で彼女の白い手をとったまま、右手でズボンのポケットから何かを取り出した。
「これを、あなたに受け取ってほしい」
そう言って彼がティンシアの手に握らせたのは、大粒のブルートパーズがあしらわれたネックレスだった。
「みんなからプルートパーズの話を聞いていると思うけど、この石は、オレたちが鉱脈を見つけた時のものだ。いつか運命の女に出会った時に渡したいと、最初に採掘した原石で作っていた。奇しくも、あなたの瞳と同じ色だ……」
そしてジュノは、彼女の前で片膝をつくと、その顔を見上げた。
もう、恥ずかしがってなどいる場合ではない。これは彼にとって、一世一代の大勝負だ。
「ティンシア。……ああ、オレにとってあなたは、いつまでもティンシア・シルレルでいてほしいんだが……オレと、いつか……オレと結婚してほしい」
長らく、「恥ずかしくて話もできない」なととウジウジしていた彼とは見違えるように、ジュノははっきりとそう口にした。だが、言い終わるととたんに不安になったのか、小首をかしげてこう付け加えた。
「……イヤかな?」
少年の瞳のまぶしさに、思わず眼をそらしてしまったティンシアだったが、その首は横に振られた。
「イヤじゃない。イヤじゃないけど……私は王女なのよ?」
それを聞くとジュノは、まったく迷いのない、深い海のような瞳で、彼女の、これもまた不安そうな顔をじっと見つめた。
そして……莞爾として笑った。
「前にも言ったろ?そんなこと、オレには関係ない。あなたが王女なら、オレは、それにふさわしい男になるだけだ」
ティンシアのトパーズ色の瞳から、涙が一滴、こぼれ落ちた。うん、うん……と泣きながら、そして笑いながら、何度もうなずいている。
やがて涙を拭った彼女は、ジュノの手をとると、受け取ったネックレスをその手に戻して、こう言った。
「ね、着けさせて」
黙ってうなずいたジュノは、そのチェーンを広げて彼女の後ろに回すと、首の後ろで結んだ。胸元で碧く輝くトパーズを、彼女は嬉しそうに掲げてみせた。
「似合う?」
そういっておどけた彼女の手をとったジュノは、ネックレスごとぐいっと引き寄せた。
そして自分の顔を近づけると、次の瞬間、薄紅色の唇を奪った。
二人を見守る誰もが息を呑んだ。ティンシア本人も眼を丸くしたが、彼女はやがて受け入れたかのように眼を閉じると、彼の首にその細い腕を回した。
やがてその唇を離したジュノは、まだ少し涙のにじむブルートパーズ色の瞳を見つめ、はにかむように笑うと、次は彼女のことを強く抱きしめたのだった。
◇◇◇
「あ――!!」
ティンシアを抱きしめたままだったが、今度はジュノが叫んだ。
「どうしたの?」
あわててその体を離したジュノに、首を捻ったティンシアが尋ねる。
それには答えず、ジュノはバッと顔を上げると、遠く三階に向かって大声で呼びかけた。
「クロー先生!クロー先生!!」
「なんですかー?」
教え子が想いをかなえたところを遠くから見守っていたクローは、いぶかしそうに返事してきた。
ジュノは心を落ち着けるかのように胸を一さすりすると、誰もが思いもよらない言葉を放った。
「さっき、そこから体、出してませんでしたかー!?」
全員が、あわてて三階を見上げた。
一身にそれらの視線を浴びたクローは、数瞬の後、恐る恐る、大きな穴の開いた壁の隙間から、外に手を差し出してみた。
なんともない。
今度は大きく身を乗り出してみた。やはりなんともない。
「まさか、出られないなら、部屋の方をぶっ壊せばよいとか、思わないだろ……」
クローの様子を見やったエルシズが、呆れたようにつぶやいている。
「『飛行』!!」
忌まわしい「呪厄」の魔法が発動しないことを確認したクローは、声高く「純粋なる言葉」を唱えた。軽やかに天を翔けた彼は、次の瞬間、教え子たちのもとに下り立った。
そして彼は、いつもの穏やかな微笑みではなく、太陽のように輝く笑顔を、彼の大事な人々に向けた。
そして……万感の想いがこもった一言を、こう告げた。
「ただいま」
弾けるように師の元に駆けだそうとした教え子たちだったが、それは、エルシズによって遮られてしまった。
最初に彼の元に駆け寄るべきなのは、別の人間だったからである。
いぶかしむ教え子たちの横を、フィアリスが駆け抜けた。クローが広げた両腕の中に収まった彼女は、彼の胸を何度も叩いた。
「遅い!遅い!」
人目もはばからず泣きじゃくる彼女の髪を、クローが優しく撫でてやる。
教え子たちはこのとき、二人が恋仲だったことを初めて知ったのだが、「あーあ、やっぱり」とつぶやいたのは、ヴェルだ。彼女だけは、クローが「遠見の水晶球」でフィアリスのことをちょくちょく見ているのに気づいていて、感づいていたのである。
ひとしきり泣いて、ようやく顔を上げたフィアリスは、まだぐしゃぐしゃの顔のまま、今度は、その愛する人に笑顔を向けた。
「……おかえりなさい」
そう言ったフィアリスの細い顎を指でクイと持ち上げたクローは、次の瞬間、およそ三年ぶりに、口づけをした。
再開した恋人たちはしばらくそうしていたが、ようやく顔を離したフィアリスは、次の瞬間には、いつものいたずらそうな笑顔に戻っていた。からかうように、クローに尋ねる。
「これって、『誓いのキス』ってことでいいのよね?」
「えっ!?」
危険を感じ、あわてて体を離したクローに、フィアリスは詰め寄るように言葉を続けた。
「あなたに出会ってもう十年よ。あなたがあの城に行く時に逆プロポーズしてからだって、もう三年。今度こそ、責任とって結婚してくれるわよね!」
それを聞いたクローの腰はとたんに引けてしまった。
救いを求めるように周りを見回した彼の視線は、親友のそれにぶつかった。「鬼のエルシズ教官」らしくもなく、それまで彼の眼はわずかに潤んでいたのだが、クローと目が合うと、スッといつもの無表情に戻った。
「あきらめるんだな」
冷たく言い放ったエルシズだったが、大陸一の大魔術師は、往生際の悪さにかけても大陸一だった。
「エルシズ!エルシズの方が先にプロポーズされてたでしょ。彼が結婚したら、ぼくだって結婚しますよ!!」
フィアリス本人だけでなく、ヴェルも、ルシアも、その言葉を聞いた女性陣全員が大きなため息をついた。ジュノの傍らに寄り添ったティンシアまで、残念そうな顔で彼のことを見やっている。
「クローセンセ、サイテー」
「ジュノですら、はっきりプロポーズしたのに……」
ヴェルとルシアに害虫でも見るような目つきで睨まれてしまったクローだったが、いきなり、「あ――!!」と叫ぶと、その両眼を見開いた。
「なんなのよ」
フィアリスに冷たく尋ねられたクローは、右目にハラリとかかるまばゆいばかりの金髪をくしゃっとかきあげると、しみじみとこうつぶやいた。
「いろいろびっくりしすぎて、眼、見えるようになった……」
◇◇◇
さまざまなことが一度に起こったローウェル魔法学院とライラント魔法学院の学年対抗交流魔法戦は、混乱のままに幕を閉じた。一年生は二対一でローウェル側の勝利に終わったが、とても表彰式など行えるような状況ではなく、なしくずし的に解散となっている。
結局、レシュマーは気絶したままライラント側の教官たちによって連れ去られたが、満場の観客の前で卑劣な手を尽くし、しかも惨めに敗れた彼が、もはやティンシアにちょっかいを出すことなどできないだろう。
ジュノとティンシア、レルグ、ヴェル、トレス、カナ、ルシア、そしてクローとフィアリス、エルシズの十人は、まだまだ話し合うべきことがあるので、行動系魔術教官室に場所を移した。
今まで溜まり場だった、あの汚い進路指導室は破壊されて、もう使えない。
「で、どうするの?あんた、本当にティンシア王女と結婚できると思ってんの?」
皆が思い思いに腰を下ろしたり、壁に寄りかかったりして話を聞く体勢を整えると、早速尋ねたヴェルに、ジュノは腕を組んで唸った。
「うーん、それがオレの、新たな悩みだな」
「身分の違いくらい、愛があればなんとでもなるわよ。この人だって平民だけど、私と結婚すれば、いずれアーストライト伯爵にだってなれるし」
そう言って、大貴族の令嬢であるフィアリスは、クローの腕を組んで引き寄せた。
今にして思えば、彼女は、ティンシアが王女であると知りながら、ジュノが想いを伝えられるように仕組んだのだ。実はというと、フィアリスはティンシアが転校してきたときに、クローから「人見の鏡」に映し出された二人の未来の姿を聞かされていたのである。
クローがかつて鏡で見たのは、頭に冠を戴いて、仲睦まじく寄り添う二人の姿だったのだ。
ちなみにフィアリスは、同じ女性として、王女であるティンシアを学院内で見守る役目を負っていた。それゆえに、レシュマーがティンシアを探し求めて学院にやってきたときも、すぐにその危険を察知することができたのだった。
ただ、フィアリスも、クローも、まさかジュノが満場の観客の前で、堂々とティンシアにプロポーズし、キスまでするとは思わなかった。
既成事実ができてしまったわけで、今、エルシズも含めて三人の教官は、王家に対してどのように釈明するか、頭を悩ませていた。
せめて、ティンシアの身分が公になっていなければよかったのだが、かえすがえすもフィアリスがうっかり王女と呼びかけてしまったことが悔やまれる(ただしこの件は、王女であるティンシア自身も軽率であったこと、誘拐されようとした彼女を助けたジュノの功績が誰の目にも明らかであること等に免じて、最終的にはうやむやになった)。
一方、フィアリスに話の引き合いに出されたクローはというと、苦笑いしている。
フィアリスは彼の名前を出すことで、少しずつ外堀を埋めようとしているのだ。今日、およそ三年ぶりに進路指導室から解放された彼だったが、まもなく結婚という甘い牢獄につながれてしまいそうである。
もちろんクローも、いずれそうするつもりではあったのだが、あまりにも急すぎて、まだ心の準備ができていない。それができるまで、フィアリスにはもう少し待ってほしいのだが、それをなんと言って理解してもらうか。
これが、クローの新たな悩みだった。
お気楽なフィアリスの言葉を聞いたジュノは、小さくため息をつきつつ、うなずいた。
「……ま、なんとかなるだろ。オレはまず、宮廷魔術師を目指すことにするよ。それなら、才能さえあれば平民だってなれるし、才能にかけちゃ、オレならまず間違いない」
ジュノは衆目が一致し、その自負もある魔術の天才である。自信に満ち溢れたその顔には、ティンシアと二人の未来を疑うような翳りは、まったくなかった。
「確かに、それなら王女様の近くにもいられるしね」
うなずいたルシアがジュノをからかうように言ったが、少し顔を赤らめつつ、遮ったのはティンシアの方だった。
「ルシアさん、王女様はやめて。今まで通りティンシアでいいわ……友だちでしょ」
そう言われてルシアは、今度は嬉しそうにうなずいた。ティンシアに眼を見回された一同も、同じように笑顔でうなずく。
「ああ、それに、もし爵位が必要なら、金で買えばいいしな。金と引き換えに養子に入れてくれる貴族くらい、いくらでもいるだろ」
話を戻したジュノを、ヴェルが「うわー、金持ち発言。なんかムカツクわね」と茶化したが、実際にブルートパーズ鉱脈から得られるジュノの取り分は、上級貴族の個人年収に劣らない。貧乏貴族を相手に金を積めば、爵位を手に入れることも不可能ではないだろう。
もっとも、茶化したヴェルも含めて皆、それが可能なくらいの取り分をもらうのだが。
「そうね。あたしたちリデル商会が、ガンガン稼いで、あなたの立身出世を支えてあげるわ」
その未来は現実となり、この後、リデル商会は、ジュノ・エスカーズの宮廷人としての活動を金銭面で長く支えることになる。そして、レルグ、トレス、ヴェルたち三人をも。それがひいてはルシア、カナ自身が宮廷に入るきっかけともなった。
ルシアは胸を張った後で、一つため息をついた。
「……とはいえ、あたしたちがみんなから預かるお金は、一学生の身分としては過ぎたる金額なのよね。正直、今後の商会の運営のことを考えると、できることが多すぎて、逆に悩ましいわ」
その肩に、大きな手をそっと置いたのは、カナだった。
「オレがルシアを支えるよ。二人で考えれば、なにか思いつくさ」
そう言って、いつものように、「だって、幼馴染だからな」と言葉をシメようとしたカナだったが、仲間たちから先に、「そうだよな、幼馴染だもんな」と言われてしまった。
「そうやって、いつまでも二人で一つみたいに扱われるのが、オレの悩みではあるが……」
と苦笑いしたので、皆、笑い出してしまったが、当のルシアとカナを除く全員が内心で、「卒業したらさっさと結婚しろ」と思っていたのだった。
◇◇◇
「みんな悩みが多いな……それにひきかえ、ヴェル、おまえは悩みがなさそうでいいよな」
ひとしきり笑った後で、ジュノが声をかけた。言われたヴェルは、「あら」と少し憤慨したように腰に手を当てた。
「わたしにだって、悩みくらいあるわ。あんただけじゃなくクローセンセまで抜けちゃって、わたしのハーレム計画ったら台無しよ。レルグくんと、トレスくんだけになっちゃった」
それはまったくお気楽な悩み(?)だったので、みんなそろってズッコケた。
だが、それまでずっと黙っていたレルグが、突然、思いがけないことを言い出した。
「私も、ヴェル争奪戦に参戦しようかな。もともと、そう噂されていたし」
「はあ!?」
そう叫んでガタンと立ち上がったのは、ヴェル本人ではなくトレスだ。
「おい、レルグ!いきなり、なんなんだよ!?」
胸倉をつかまんばかりの勢いで詰め寄ったトレスだったが、レルグは遠い眼をしつつ、しみじみと語った。
「交流戦を前に、言っただろう。私は、みんながうらやましい。私だって、恋をしたいんだ。ずっと言わなかったけど、実は、それが悩みだったんだ……」
かつてジュノに、「オレも夢中になれるような女がほしい」と聞かされたレルグは、以来、自分もそれにふさわしい女性を探し求めていたのだった。しかし、今に至るまで彼のお眼鏡にかなうような女性は見つかっていない。
彼の初恋の君だったティンシアはジュノに取られてしまったし、幼馴染のカナとニコイチ状態のルシアは、もともと対象外である。つまり、学院にいる現在フリーの女子の中で、もっともかわいく、才知があって、気立ても悪くないのは、確かにヴェルということになるのかもしれない。
「あら、レルグくんもようやくわたしの魅力に気づいたのね」
まんざらでもない、という表情をヴェルが浮かべたので、とたんにトレスは涙目になってしまった。
「ちょっとちょっと、ヴェルさぁ~ん」
ジュノが恋のライバルから離脱し、トレスはこれからじっくりとヴェルとの仲を進めていきたいと考えていたところだったので、意外な伏兵の登場にあわてた。
「あなたには、オレがいるじゃないですかぁ~!」
「ゴメンね、トレスくん。わたしは、簡単に手に入る女じゃないの」
ヴェルは、いつものいたずらそうな笑顔を浮かべると、情けない声を上げた彼に向かって、舌を出しつつウィンクした。
「じゃあ、どうすれば、きみを手に入れられる?」
わりと真剣な顔と声とで尋ねてきたレルグに、彼女は、やっぱりいたずらそうな眼差しを向けた。
「そうねえ。とりあえず、決闘でもしたら?」
その答えに、トレスは大きなため息をついた。
彼の好きな、学年二位の魔術の天才は、男をもてあそぶ魔術の方が得意なのかもしれない。トレスの悩みは、尽きそうになかった。
それまで、若者たちの話をいつもの無表情で聞いていたエルシズだったが、いきなり、「ところで、エルシズくん」とフィアリスに話を振られた。
「あなた、さっきからずっと涼しい顔してるけど、他人事じゃないのよ。私がクローくんと結婚するために、あなたには先に結婚してもらわなくちゃならないんだから」
早くしてくれないと、私、三十路になっちゃうんだけど。
と、一同の中で最も切実かもしれない悩みを吐露したフィアリスだったが、エルシズの恋人はフィアリスの親友でもある。彼女にとってそれは、自分の幸せのためにも、親友の幸せのためにも重要なことなのである。
「そうですよ。あなたが覚悟を決めたら、ぼくだって覚悟しますから」
「エルシズセンセのお嫁さん、見てみたいな。絶対、美人よね」
クローにそう責任転嫁され、ヴェルにからかわれるところまでは予想の範疇だったが、よもやのティンシアにまでこう言われてしまった彼は閉口した。
「いっそ、クロー教官とフィアリス教官、エルシズ教官とお相手の結婚式を、合同で執りおこなっては?さぞ盛大になるでしょうから、王家を代表して、私も参列いたしますね!」
「それだ!」
ヴェルが手を叩いて叫び、ジュノは楽しそうに口笛を吹いた。
「ティンシアも、なかなか言うじゃん」
彼が、生まれて初めて、心から愛したその女性は、凛々しくて、笑顔がかわいくて、優秀な魔術師で、冗談のわかる、そして誰よりも美しい……王女だった。
「うるさい、問題児ども!」
怒ったエルシズだったが、いつも無表情、不愛想な「鬼のエルシズ教官」はそのとき、珍しいことに苦笑いのようなものをその顔に浮かべたのである。
彼を悩ますかわいい問題児どもは、そろって驚いたのだった。
◇◇◇
こうして、ローウェル魔法学院一年一組、「開学以来の天才」たるジュノ・エスカーズは、エリッサ・ティンシア・シルレル・デ・ローウェル第三王女の愛を得た。
しかし、もちろん、その愛が結実するには紆余曲折が必要だった。裕福な宝石商の息子といえど、彼は平民であり、王女であるティンシアとの身分の隔たりは大きかったからである。
だが、ジュノは結局、その想いをかなえた。
純語魔術の天才である彼は、その才能の通りローウェル王国の宮廷魔術師の地位に登ったし、その才能でもって国家と国民の危機を幾度にもわたって救ったからである。王女ティンシアにふさわしい男であることを、自ら証明したのだ。
そうしてめでたくティンシアと華燭の典を挙げたジュノだったが、その後も、彼には驚くべき未来が待っていた。
もともと、時のローウェル国王には一人の王子と三人の娘がいたが、王子は幼いころから病弱で、身体も不自由だったので、自ら王太子の地位を放棄していた。そのため、ティンシアの姉たる第一王女には婿を迎えていたのだが、未来の国王たるべきその婿が、不慮の事故で夭折してしまったのである。その時までに第二王女は他国の王に嫁していたので、夫を持つ王女はティンシアのみとなってしまったのだった。
図らずも、第三王女はローウェルの女王となった。それに伴い、その夫も、誰も想像もしえなかった尊貴の地位に登ることとなったのである。
女王とその夫は運命の変転に驚きつつも、求められるその任をよく果たした。
そしてその二人を支えたのは、かつてローウェル魔法学院でともに学んだ学友たち――レルグ・コールヴィッツ、ヴェルレーヌ・ファル・ノルティア、トレスデン・クリューガー、カナ・クラウナル、そしてルシア・リデルであった。
さらには、大陸一の大魔術師たるクローディス・サイクローと、それに引けをとらない強力な魔術師であるエルシズ、フィアリス・アーストライトの三人も、かつての弟子である彼らのことを強力に支援した。
ゆえに、後に「双龍の治」と讃えられる二人の治世は、幾多の国難にも関わらず、揺らぎを見せることもなかったのだった。
海碧く山は翠に 大地どこまでも広く 美しき我が国
野には花香り 麦穂涼風に 稲穂金風に揺れる
甍連ねし 千年の都 人煙絶えず
おお 故郷よ とこしえに幸あれ
我ら仰ぎし つがいの黄龍 玉座に南面せり
父なる龍 鋭き五爪にて 国を守り
母なる龍 大いなる翼にて 民を守る
我ら願う 玉体に万歳あらんことを
龍雲閣二十四功臣、五虎八豹の大将 双龍を輔く
君臣相い和し その治 乱るることなし
王化あまねき 民は外に戸を閉じず
武を偃め弦を韜む 天下は泰平なり
我が君いますところ 諸神の恩寵あり
匈奴克ち平らげられ 遠夷入貢せざるなし
符瑞日に至り 年穀頻りに登る
ああ双龍の治よ 永遠に光輝あれ(双龍王賛歌)
女王とその夫は生涯を仲睦まじく暮らしたが、女王はただ一つだけ、その夫に対して悩みを抱えていたという。
それは、女王は、本当は。
その輝くような黄金の髪を長く伸ばしたかったのだが――。
その夫が「金髪はショートが至高」と言い張るので、好きなようにさせてもらえなかったことなのだと、ヴェルレーヌ・ファル・ノルティア著「双龍紀」に明かされている。
Fin.
【人物紹介】
ジュノ・エスカーズ : ローウェル魔法学院1年1組。「開学以来の天才」と呼ばれる魔術師の卵。
レルグ・コールヴィッツ : ジュノのクラスメート。貴族の子弟で、精贈魔法を専攻している。
ヴェルレーヌ・ファル・ノルティア : 1年2組。「センスの天才」として知られる魔術師の美少女。
トレスデン・クリューガー : 1年2組。半エルフの少年で、キブラ女神に仕える神官。
カナ・クラウナル : 1年3組。ザチャ女神を信奉する鵜神官戦士の青年で、ルシアの幼なじみ。
ルシア・リデル : 1年3組の少女。ザチャ女神の神官であり精霊使いである「二刀流の天才」。
クローディス・サイクロー(クロー) : 進路指導担当教官。とある理由で、進路指導室から出ることができない。
エルシズ : 無表情、不愛想な行動系魔術担当教官。
フィアリス・アーストライト : 美人で優しい探知系魔術担当教官。クローとエルシズの学生時代の先輩。
ティンシア・シルレル : 1年1組の転校生。金髪ショートの凛々しい美少女。
【用語解説】
ローウェル魔法学院 : 大陸西部の古都ローウェルにある、大陸一の歴史と伝統を誇る学び舎。
純語魔術 : 「純粋なる言葉」で人々の内なる魔力を発揮する、古代から続く魔術。魔術師が操る。
精贈魔法 : 万物やあらゆる感情に宿る精霊の力を借りて行使する魔法。精霊使い(エレメンタラー)が操る。
神惠魔法 : 神に祈りを捧げ、その恵みを受けて発揮される神官が用いる魔法。
人見の鏡 : 古代魔術王国時代の遺物。人間の未来を映し出す力を持っているが、未来は変わることもある。
遠見の水晶球 : 千里の距離を越えてその先を映し出す、古代魔術王国時代の遺物。声は聞こえない。




