チャプター6 ジュノ・エスカーズの新たなるなやみ
九月一日の朝、ローウェル魔法学院。
帰省したり、海に山に行ったりと、長い夏休みを思い思いに過ごしたクラスメートたちの元気な顔が、また一年一組の教室に戻ってきた。皆、真っ赤に、または真っ黒に日焼けしていて、久々に会う友達と夏の思い出を楽しそうに語り合っている。
夏の間、鉱脈を求めて山の中を駆けずり回っていたジュノとレルグも、そのときは真っ赤に日焼けしていたのだが、今ではすっかり白い肌に戻っていた。夏休み最後の十日間は、溜まった課題を片付けるため寮に籠り切りだったからである。
ガラガラとドアを開けて、始業時間を迎えた教室に担任のフィアリスが姿を見せた。
その後ろに一つの人影が続いたが、その顔をチラリと一目見たジュノは次の瞬間、手にしていた羽ペンを取り落としてしまった。
「みなさん、おはよう。楽しい夏休みは過ごせましたか?」
フィアリスは笑顔で教室を見渡したが、教え子たちの視線は彼女の傍らに注がれている。
そこには、どこか気品を感じさせる、凛とした表情の女生徒が立っていた。
クラスメートの中には、なぜだか彼女の顔とジュノの顔をチラチラと見比べている者も多い。当のジュノはというと、落としたペンも拾わず、呆然としたように彼女の顔を見つめている。
「早速ですが、転校生を紹介します」
そう言ってフィアリスは、少々緊張気味の彼女の背中をそっと押しやった。
「ライラントの魔法学院より転校してきた、魔術師のティンシア・シルレルと申します。皆さん、仲良くしてくださいね」
自己紹介してニコリと微笑んだ彼女に、割れるような歓迎の拍手が贈られたが、ジュノはまだペンを取り落としたままの格好だった。
◇◇◇
「ヴェル、ヴェルっ!!」
一時間目の授業が終わるなり。
隣りの教室に駆け込んで彼女の名前を連呼したジュノに向かって、ヴェルは「なによ、うるさいわね」とめんどくさそうな顔で振り向いた。彼女だけでなく、トレスを始め教室中の全員が何事かと視線を送ってくる。
ヴェルの前に立ったジュノは、少し息を整えると、沈痛な表情で彼女にこう告げた。
「悪い……オレ、やっぱりおまえとは結婚できない」
「はあ!?」
ガタンと椅子を蹴立てて立ち上がったのは、ヴェルではなく、トレスだった。当のヴェル本人はというと、頬杖を突いていた顔をカクンと落として、呆れたような声で聞き返した。
「……わたし、なんでいきなりフラレてんの?いったい、なにがあったのよ」
「見つけたんだ!」
「だから、なにを」
「いいから、ちょっと来て、見てみてくれ」
そう言ってヴェルの白く細い腕をとったジュノは、引っ張るようにして自分のクラスに連れていった。戸口に立つと、中を覗くようにとヴェルを促す。
「転校生だよ」
言われて覗き込んだヴェルは、転校生の彼女――クラスメートと談笑しているティンシアの姿を見ると、息を呑んだ。
「あら、すっごい美人。でも笑顔はかわいい」
ジュノは、まるで自分がそう言われたかのように、自慢気にうなずいた。
「だろ?オレ、見つけたんだ。あの子こそ、オレの運命の女だ」
ジュノは熱っぽい声でそうつぶやいたのだが、今度は、ヴェルが彼の腕をとる番だった。後ろに集まってきたレルグとトレスも連れて、誰もいない屋上に場所を変える。
屋上に着くと、引きずるようにして抱えてきたジュノの腕を離した彼女は、壁との間にジュノを挟んだ。問い詰めるような勢いで、彼に尋ねる。
「あんた、あの子が『運命の女』って、正気なの?」
「ああ。もう、一目惚れ。だって、すごい美人だし、かわいいじゃん」
ヴェルは、大きなため息をついた。
「ええ、確かに美人ね。すっっっごい美人。でも……でもよ?あまりにも、あんたに似すぎじゃない!?」
そうなのだ。
ティンシアもジュノと同じ金髪に碧眼。顔立ちはキリッとして凛々しく、輝くような髪をばっさりショートカットにしていることもあって、まさに「ボーイッシュな美女」という表現がぴったりだ。
それなのにティンシアは、笑うととたんに柔らかい、女性らしい表情になる。
彼女が教室に入ってきたときの、少し緊張しつつも凛とした表情と、自己紹介してニコリと笑ったときのかわいらしさ。そのギャップに、ジュノは一撃でノックアウトされてしまったのだった。
「それは、私も思った。彼女がジュノの双子の妹だとか言われても、なんの違和感もない」
そうレルグが続け、トレスもうんうんとうなずいている。
ジュノもティンシアも、中性的な顔立ちだ。その眼は鷹のように鋭く光り、常にどこか険のあるジュノと、いつだって柔らかさを失わないティンシア。その表情の違いから、男女を間違うようなことはないが、彼女がジュノの双子の姉とか妹とか言うのなら、疑う余地もなさそうなほどよく似ている。
ただ、レルグはそのとき、「あの子、どこかで見たことがあったかな?」と、彼女の顔に既視感を感じていたのだが。思い出そうとしても、どうしても思い出せなかったので、それは口に出さなかった。
ヴェルは、ジュノの顔を上から下まで見回すと、もう一度ため息をついた。
「あれだけあんたに似ている子に一目惚れって……あんた、ひょっとしてナルシストだったんじゃないの?」
呆れたようにそう言われて、ジュノはうーんと首を捻った。
「今まで気づかなかったけど、そうだったのかもな……オレが生まれて初めて一目惚れした相手だって、クロー先生だし」
さらりと衝撃的な告白をしたジュノだったが、クローは確かに美貌である。ヴェルはもちろん、同じ男性のレルグやトレスでさえも、いまだに彼に微笑まれるとドキドキしてしまうくらいなので、とりたてておかしいこととは思わなかった。
そして、クローとジュノもまた同じ金髪碧眼で、顔立ちもよく似ている。
振り返って思えば、ジュノがあまり他人に興味がないのは、実は自分のことが好きなナルシストだからなのかもしれなかった。
「まあ、あんたがホントに好きなら、別にいいんだけどさ」
下を向いて、「ちょっとだけ残念だけど」と口の中でつぶやいたヴェルは、顔を上げるとこう言葉を続けた。
「それなら、さっさと告白したら?あれだけの美人だし、すぐ悪い虫がついちゃうかもよ」
そう促したのだが、ジュノは唇を噛み締めながら、首を横に振った。
「できない」
「なんでよ。あんた、いつでもド直球じゃない」
「できない。……恥ずかしすぎる」
そう言って、ジュノは片手で顔を覆った。その手の隙間から、彼が顔を真っ赤にしているのに気づいたヴェルは、つい大きな声を上げてしまった。
「はあ!?あんた、わたしには、初対面で『かわいい』なんて簡単に言ってたでしょ!?『この学院で一番好き』とか、面と向かって言ってくれたじゃない!」
「そうなんだけど……オレ、ホントに好きな子には、言えなくなるみたいだ。やっぱりおまえはオレにとって、十年経って好きな人がいなかったら……止まりの女だったらしい」
「……あんた、なんでそこはド直球なのよ。ぶっ殺すわよ」
デリカシーのないジュノに、ヴェルはつい淑女らしくない物騒な言葉を使ってしまったが、彼女が本当に怒ったのは、そこではなかった。
「ま、あんたの勝手にすれば。フラれたわたしには、もう関係ない」
突き放すように言ったヴェルに、すがるようにしてジュノが聞き返した。
「なあ、オレのこの悩み、『よろずお悩み相談部』に相談できないかな」
「知らない!!自分で自分に相談すれば!!!」
そう怒鳴ると、ヴェルはくるりと身をひるがえし、大股で歩いて屋上を出ていった。
昔からモテるヴェルは、下心を隠して近づいてくる男たちの数の多さに辟易していたので、ジュノのように率直で裏表のない男性や、トレスのようにはっきりと好意を示してくれる男性を好んでいた。
彼女が怒ったのは、ジュノが、彼女の好きだったジュノらしくもなく、「恥ずかしいから言えない」などとウジウジしていたからである。自分でも不思議に思うくらい、腹が立ったのだった。
取り残されたジュノの肩を、それまで黙って後ろに控えていたトレスが、ポンと叩いた。
「話は終わったようだな……ところで、おまえとヴェルさんの結婚って、いったいなんの話なんだ?なんで彼女は、あんなに怒ってるんだ?」
「あ……」
二時間目の始業の鐘がなる中、ジュノの肩に置かれたトレスの手は、まるで万力のようにギリギリと締め付けを強めていた。
◇◇◇
「好きな子には、恥ずかしくてなにも言えなくなる」というジュノの言葉は、本当だった。
新学期が始まって数日が経つというのに、ジュノは、まったくティンシアに話しかけようとしないのである。他の女の子とは普通に、笑顔で話をするのに、だ。
ティンシアの方はというと、その顔立ちの凛々しさのわりにツンとしたところがなく、誰にでも気さくに話ができる明るい子だった。同じ魔術師であり、天才と呼び声高い学年一位のジュノに興味もあったから、最初のうちはなにくれとなく彼に話しかけようとしたのである。
だが、そんなときでも、ジュノは眼も合わさず、必要最小限のことだけ言葉を交わすと、そそくさと立ち去ってしまうような有様だった。
そのくせ彼は、常に彼女のことを見ているのである。さすがにストーカーのようにおっかけ回すようなことはなかったが、放課後になって皆が進路指導室に集まると、誰も聞いてないのに「今日のティンシア」について報告を始めるのだ。だから、クローも、カナもルシアもすっかり彼女のことに詳しくなってしまった。クローなど、まだ直に彼女の顔を見たこともないのにである。
「『遠見の水晶球』で見てみてくださいよ、クロー先生。とにかく美人だし、かわいいから」
「やめなさい。これは、他人のプライバシーを勝手に覗き見するための物ではありません」
しょっちゅうフィアリスの様子を見ている自分のことは棚に上げて、クローが注意した。
「……デレデレじゃない。あなたって、こんな男だったのね」
ルシアが呆れたようにつぶやいている。彼女もカナも、自然と「よろずお悩み相談部」のメンバーに収まり、今では進路指導室に入り浸る身になっていた。
「ルシアだって、ティンシアさんと似てる所があるよな。なのに、おまえの好きなタイプじゃないんだな?そうだよな?」
なぜだか、カナがしつこくそう尋ねた。
ルシアとティンシアはともに顔立ちがキリッとしているし、笑えば柔らかくなるしで、彼が言うように似た所がある。
「確かに、ルシアも美人でかわいいから、好きっちゃ好きだぜ」
不思議なことに、ジュノは、ルシアやヴェルにはあっさりとそう言えるのである。
「でもやっぱり、オレは彼女の方が好きなんだ。これがまさに、運命ってヤツなんだろうな」
なのに彼は、ティンシアの前に立つと、なにも言えなくなってしまうのだ。
「……褒めてくれて、ありがと」
一応お礼だけは言っておいて、ルシアはため息をついた。今のジュノには、つける薬がないと感じたのだろう。
「でも、ジュノ。本当に彼女が好きなら、その態度はなんとかした方がいいぞ。彼女、きみの態度があまりにもそっけないもんだから、『私、なにか気に障るようなことしたかしら』って気にしてる。それに、いつも睨んできて恐い、とも言ってたぞ」
と、レルグが注意した。当のジュノにはそんなつもりはまったくなかったのだが、彼女のことを見ているとついニヤケそうになるので、顔を引き締めているのを誤解されてしまったのである。
「ホントにバカね。恥ずかしがってないで、さっさと告白すればいいのに」
吐き捨てるように言って、ヴェルが席を立った。彼女はまだ怒っている。
「トレスくん、アイスでも食べに行こ?」
カバンを手にさっさと進路指導室を出て行った彼女の後を、慌ててトレスが追う。
ジュノがヴェルを怒らせたおかげで、彼女と二人でいる時間が増えたトレスは嬉しかったのだが、ジュノが彼女と婚約めいたことまでしていたことを知って、複雑な気持ちだった。
ヴェル本人から、それが破棄されたことに怒っているわけではないと聞いているが、ジュノが彼の大切な人を怒らせたことには変わりがない。
もはやジュノとの決闘にこだわる気はないが、どのようなものであれ、トレスはこの気持ちにはっきりとケリをつける、なにかを必要としていた。
◇◇◇
皆に注意されたのに、その後も、ジュノのティンシアに対する態度は変らなかった。
そのため彼女の方も、ついにジュノを避けるようになってしまった。今では、彼らが話をするのは、業務上やむを得ないときに限る、とでもいうような殺伐とした状態になっている。
それはもちろん、他の何者でもなくジュノ自身のせいである。ジュノとしてもこれ以上嫌われたくはないのだが、どうしても彼女の前に立つと、恥ずかしさが先に立ってしまって、まともに言葉が出なくなるのだった。
そんな自分への腹立たしさが八つ当たりになって、ジュノはまるで入学当初のような目つきと態度に戻ってしまった。またクラスの中で浮いた存在になっている。
クラスの中で、理由を知っているレルグだけは変らず彼に接していたし、ジュノもまた彼にだけは態度を変えなかったが、レルグがどれだけ心配しても事態は好転しなかった。
ところが、九月も下旬になったある日。
ジュノとティンシア、二人の運命が大きく動き出す事件が起こった。
放課後、それぞれ家路についたジュノとティンシアは、ばったり昇降口のところで顔を合わせてしまった。気まずそうに、「さよなら」と小さくつぶやいたティンシアに会釈して、そのまま下を向いてしまったジュノだったが、玄関を出ていくその背中を見送ったところで、彼女がはたと足を止めたことに気づいた。
なにごとかと思う間もなく、昇降口に駆け戻ってきたティンシアは、仲の良くないはずのジュノの背中にさっと隠れた。いつも凛としている彼女は今、なにかに怯えるように、ジュノの腕を掴んだまま、その背中でブルブルと震えている。
「どうした?」
さすがにただごとではない。恥ずかしがっている場合ではないので、ジュノは声をかけた。
しかし、彼女は目も合わさず、ガチガチと歯まで震わせ出した。
そのとき、玄関の外に、いくつかの人影が現れた。それは、一目で貴族や騎士とわかる上等な織りの衣装をまとった男たちの集団だった。
その中央に立つ、ふんだんに宝石のあしらわれたひときわ豪奢な衣装で身を包んだ男が、ジュノの後ろに隠れたティンシアを覗き込むようにして、声をかけた。
「ご機嫌はいかがかな、ティンシア嬢。迎えに来ましたよ。我らがライラント魔法学院に帰ろうではありませんか」
オレンジのような明るい色の髪をしたその男は、ひょろりと背が高い。顔立ちはなかなかの美男ではあるが、どこか蛇を連想させる、ねっとりとした目をしている。
ティンシアを覗き込むその顔には慇懃な笑みが浮かんでいるものの、尊大さとなにか底知れぬ不気味さを感じさせ、ジュノは好感を持てなかった。
「ああ、あの美しい髪を大胆に切ってしまわれたのですね。その髪型も悪くはないが、やはり、あなたには長い髪が似合いますよ」
そう語りかける、じめじめと湿ったような声を耳にしたティンシアは、ジュノの腕を掴んだ手にギュッと力を込めると、体をさらに縮こまらせた。
「なんだ?おまえら」
彼女を背中でかばうようにして、ジュノは一歩を踏み出した。男のうちの二人が、ジュノと蛇男――蛇のような目の男との間に、さっと割って入る。男たちは、腰に帯びた剣の柄に手をかけている。
「きみは誰だね?」
蛇男は、ジュノの顔を見て少し驚いたようだったが、その身を反らせると、上から見下ろすようにして尋ねてきた。
「人に名を尋ねるときは、まず自分から名乗るのが礼儀だろう」
「貴様!レシュマー様に向かって無礼だぞ!」
反抗したジュノの言葉を遮るように取り巻きの一人が怒鳴ったが、当の蛇男は、まあよいよい、という感じでそれを制した。
「これは失礼した。予はライラントのアルシア公爵が長子、レシュマーである」
ジュノは、その家名に聞き覚えがあった。
ジュノの実家であるエスカーズ宝石商会は、その商売上、大陸各国の貴顕につながりが深いので、ジュノも自然と各国の主要な貴族に詳しくなっている。アルシア公爵と言えば、大陸最大の国家であるライラント帝国の中でも帝室に最も近い大貴族であり、その当主ともなれば帝位継承権を持つほどだ。その長子を名乗った蛇男――レシュマーは、時と場合によっては皇帝にもなり得る尊貴な身分なのである。
「では、あらためて、きみは誰だね?」
「ローウェル魔法学院一年一組、ジュノ・エスカーズ」
ジュノがそう名乗ると、レシュマーは唇の端を吊り上げて、小馬鹿にしたように笑った。
「ひょっとしてティンシア嬢にゆかりのある者かと思ったが、違うようだな。エスカーズ君か。聞いたことがない家名だが、どこの田舎貴族だね?」
その反応は予想の範囲内だったので、ジュノは肩をすくめつつ、答えた。
「オレは貴族じゃない。平民だ」
レシュマーは、口元を隠すようにしてクククと笑った。うんうんとうなずいている。
「それはそれは失礼した。予の無礼を許してくれたまえ……きみは、一年生だと言ったな。ならば、予やティンシア嬢と同年だ。きみがティンシア嬢と一緒にいるのは、つまり、単なる同級生だからということだろうな」
ねちっこい口調でそう言ったレシュマーは、ジュノに向かって、手の甲を横にひらひらと振るった。
「そこをどきたまえ。予は、婚約者と話があるのだ」
それはジュノにとって衝撃的な言葉だったが、すぐに背中から否定された。
「違う……」
ジュノの背中では、ティンシアがまだブルブルと震えつつ、聞き取れないくらいの小さな声で異を唱えている。
それを聞いたジュノは、彼女をかばう手に力を込めた。
「アルシア公子。悪いが、彼女は嫌がっている。どくわけにはいかない」
「ほう……?」
レシュマーは、ピクリとこめかみをひくつかせた。とともに、五人の取り巻きたちが半円を描くようにしてジュノとティンシアを囲んだ。一斉に、腰の物に手を伸ばす。
一方、ジュノは腰の洋刀には手をやらなかったが、これは多数の敵を相手に剣で戦うより、右手で魔術陣を描いて、魔術の威力を高めた方がよいからだ。左手では、彼女をかばいつつ。
レシュマーは、あわれみのこもった目をジュノに向けると、諭すようにこう語った。
「悪いことは言わぬ。素直にそこをどくがよい。予は暴力を好まぬが、この者たちは違うぞ」
ジュノは、きっぱりと拒絶した。
「イヤだね」
レシュマーはため息をついた。
「なぜだね。ティンシア嬢は美しいから、憧れる気分はわからぬでもないが……言っておくが、いくら想っても、きみのような平民の手が届く女性ではないのだよ」
ティンシアはその身分をクラスの誰にも明らかにしていなかったが、その気品あふれる顔立ちとたたずまいから、誰もが、いずれ名ある貴族の令嬢なのだろうと考えていた。
大陸一の学び舎であるローウェル魔法学院には、上流階級出身の学生が多い。だが、自由な学生生活を送るためであったり、隠し子のような「ワケアリ」の者であったりと、必要がなければあえて自らの出自を明らかにしない、という者は少なからずいた。だから、身分を隠すことをことさら不審に思う者はいない。
魔法学院だけに、安全を確保する必要のあるワケアリの学生には、教官たちが敵意を感知する魔術で目を光らせている。そもそもそういった高貴な者は、お抱えの者が人知れず見守っていたり、守護の魔法をかけていたりするものなので、学院内では、他の学生たちと変わらぬ生活を送ることができるのだ。
あらためて、ティンシアもそうした高貴な身分であることを聞かされたジュノは、「だろうね」と小さくつぶやいたが、次の瞬間には、キッと鋭い眼でレシュマーを睨みつけていた。
「だが、そんなことは関係ない。彼女は、オレの運命の女だからな。誰にも譲らない」
はっきりとそう口にしたジュノに、それまでその背中で震えていたティンシアは、ハッとして顔を上げた。
嫌われているとばかり思っていた相手の口から、意外な言葉が飛び出してきたので驚いたのだ。背中からそっとジュノの顔をうかがったが、レシュマーを睨み続ける彼の瞳は真剣で、一時の方便で言ったこととは思われない。
レシュマーは、やれやれ、という顔でもう一度ため息をついた。
「まあよい、忠告はしたぞ。身の程知らずの罰として、少し思い知った方がきみのためというものだ」
レシュマーが言い終わると同時に、取り巻きたちが一斉に腰間の剣を抜いた。ジュノも全身に力を込める。
しかし――。
◇◇◇
「お待ちなさい!」
ジュノの背後から、遮るように女性の声が響いた。チラリと振り返ると、フィアリスが肩を怒らせて立っている。
「アルシア公子、ここは神聖な学び舎です。狼藉は許しません」
フィアリスは、静かに、しかし侵しがたい威厳をその言葉に込めて、彼に告げた。
「レディ、あなたは?」
ねめつけるような目で、レシュマーが尋ねる。
「フィアリス・アーストライト。この学院の教官です」
「……ああ、あなたがアーストライト伯爵家の御令嬢か。確かに、この学院におられるという話は聞いておった」
フィアリスはレシュマーと同じライラント帝国の出身で、その生家は代々伯爵の位を伝える上流貴族である。彼女の父は帝国の諸大臣を歴任する優秀な政治家で、公爵家の長子であるレシュマーにとっても決して無視できない力を持っていた。
「ええ。公子、あなたがまだかわいらしい御子であったときにお会いしたこともあります。大きくおなりですね」
フィアリスはそう言って微笑んだが、ジュノが見たところ、その笑顔にはいつもの彼女らしい優しさがなく、無理に作ったような硬さがあった。
しかしレシュマーは、自分の幼少期を知る者がいることで毒気を抜かれたのか、合図をして取り巻きたちに剣を収めさせた。
「レディ、ここはあなたの顔を立てて、手荒なことは控えるといたそう。しかし、予も公爵家の長子として、平民に愚弄されたままでは家紋に傷がつく。聞くところによれば彼も、我が婚約者たるティンシア嬢に許されざる想いを寄せておるとのこと。身の程を知らしめるためにも、彼女の愛を賭けて、名誉ある決闘を申し込みたいのだが」
ティンシア本人を無視して、レシュマーは一方的にそう告げた。フィアリスはチラリとジュノの顔を見やったが、その碧い瞳にひときわ強い光が込められているのを確認すると、うなずいた。
「いいでしょう。ですが、ライラント魔法学院の学生が、ローウェル魔法学院に押しかけて決闘を申し込んだとなれば、外聞もあります。ついては、単なる決闘ではなく、正式な『交流戦』の実施を提案したく思います」
「ほう……?」
レシュマーが通うライラント魔法学院は、大陸最大の帝国にあるだけに、ローウェル魔法学院に引けを取らない名門だ。「東のライラント、西のローウェル」と並び称される双璧である。
昔から互いに切磋琢磨するよきライバルで、この両校から大陸の歴史を動かす幾多の人材が輩出されていた。ローウェル魔法学院の方がちょっとだけ歴史が古いので、「大陸一の学び舎」と称されているのだが、実力では甲乙がつけ難かった。
「交流戦」とは、そんな両校が、学生たちの親睦とレベルアップを図る目的で不定期に開催するイベントである。
お互いの魔法研究の発表会や文化会系クラブの活動展示、体育会系クラブの交流試合なども行われるが、一番盛り上がるのは、両校がそれぞれ学年ごとに代表者を選んで行う魔法戦闘だ。学年ごとに、シングルス戦、ダブルス戦、三人で戦うトリプルス戦の三試合が行われ、先に二勝した方がその学年の勝者となる。
この交流魔法戦は、それぞれの代表に選ばれるだけでも名誉とされる。勝者ともなれば大陸各国にそのニュースが流れて、騎士や宮廷魔術師として就職先には困らないと言われるほどだ。
この数年というもの交流戦は行われていなかったので、両校校長の間でもそろそろ実施をという話は確かに出ていた。フィアリスやレシュマーがそれぞれで働きかければ、実現される可能性は高いであろう。
そう説明されて、レシュマーもうなずいた。
「よかろう。予としても、名誉ある形で堂々と決着をつけ、ティンシア嬢を妻に迎えることができればそれに越したことはない。詳細は校長同士で話し合っていただくとして、その日を楽しみにしている」
レシュマーは最後に、まだジュノの背中に隠れているティンシアを覗き込んだ。じっとりとした口調で語りかるた。
「ティンシア嬢、あなたにしばらくお会いできないのは残念だが、交流戦の日までにウェディングドレスを仕立てておくゆえ、楽しみにされるとよい。この平民の屍の前で、華燭の典を上げようではありませんか」
蛇のような目でクククと笑うと、レシュマーはさっと身をひるがえそうとした。
ところがそれを、「ちょっと待てよ」とジュノが引き留めた。
「一つ、言っておくぜ」
そう切り出したジュノに、レシュマーはけげんそうな目を向けたが、ジュノの口から出てきたのは、彼がまったく想像もできなかった言葉だった。
「金髪は、ショートが至高。つまり彼女は、今が一番美しいのさ。おまえ、わかってないね」
ジュノは、思いっきりムカつく言い方で言ってやった。
レシュマーは怒りのあまり、顔色を青くしたり赤くしたりしていたが、大貴族の矜持にかけてか結局なにも言わず、取り巻きたちを引き連れて校門を出て行った。
◇◇◇
はぁ、はぁ、はぁ……。
レシュマーたちの姿が完全に見えなくなってから、ようやく、ティンシアがジュノの背中を離れた。彼女はまだ少し震えていて、荒くなった呼吸を懸命に整えようとしている。
「ティンシアさん、大丈夫?」
フィアリスが声をかけ、優しくその背中を撫でてやった。
しばらくしてようやく落ち着いてきたティンシアは、彼女のことをじっと見守っていたジュノに向き直った。憂色を浮かべた顔で、彼の眼を見つめる。
「エスカーズさん、ごめんなさい。私のせいで面倒に巻き込んでしまって……」
いつも凛々しいティンシアが今、彼の目の前で震えている。
ジュノは、彼女のことを守ってやりたい、抱きしめたいと思ったのだが、やっぱり気恥ずかしくて、彼女の顔をまともに見返すことがでなかった。
「いや……いいんだ。それより、ヤツといったいなにがあった?あなたがイヤじゃなければ、教えてほしい」
目を逸らしながら尋ねたジュノだったが、ティンシアは彼を巻き込んでしまった負い目を感じている。ポツリポツリと事情を説明し始めた。
それによると、彼女はまだ幼い時にこのローウェルを離れてライラントに留学したのだという。そして、今年になってライラント魔法学院に進学したところ、たまたま、アルシア公子レシュマーと同じクラスになったのだそうだ。
一目見て彼女のことを気に入ってしまったレシュマーは、一方的に婚約を宣言した。彼女にはそんなつもりはなかったので断ったのだが、レシュマーはあきらめなかった。
かえって、権力を活かして彼女の生家に働きかけたり、彼女のことを追いかけまわしたりした挙句、力づくで想いを遂げようとしたのだそうだ。
身の危険を感じた彼女は、ついにライラントを離れて帰国することにしたという。腰まであった長く美しい髪をばっさりと切って姿を変え、ローウェル魔法学院に編入して、ティンシアはようやく一息ついた。
だが、本来の明るさを取り戻しつつあった彼女をこの日、再び悪夢が襲った。レシュマーはその蛇のような目のごとく、執拗に彼女の行方を追いかけていたのである。
「そんなことがあったのか……」
ジュノは息を呑んだが、担任教官であるフィアリスは事情を把握していたらしい。とりたてて驚くこともなく、彼女の肩をぐっと抱きかかえた。言葉に力を込めて、こう告げる。
「恐かったでしょう。でも、大丈夫ですよ。ティンシアさん、あなたのことはこの学院が守ります。私と、このジュノくんもね」
そこで、ティンシアはハッとして顔を上げた。
「でも、エスカーズさんとあの男が決闘だなんて。あの男、ああ見えて強いんです。あの男の決闘を見たことがあるんですが、強そうな剣士を、不思議な力で倒してしまって……」
その決闘もまたティンシアをめぐって行われたのだが、すでに血まみれになって倒れた剣士を執拗に攻撃するレシュマーの凶暴性を、彼女は目の当たりにしてしまった。それ以来、彼の顔を見、彼の声を聞くだけで恐怖に震えるようになってしまったのだという。
レシュマー本人の恐ろしさもさることながら、ティンシアは、自分をめぐって傷つく人が出ることがさらに恐ろしかったのだ。
ジュノのことを心配して言ったティンシアだったが、当のジュノとフィアリスはというと、のんびりとこんな言葉を交わしただけだった。
「フィアリス先生、オレ、一対一の決闘で全然かまわなかったのに」
「それであなたがあの子をボコボコにしちゃったら、国際問題になるでしょ。私、あの子が小さいころから知っているけど、嫌いだったのよ。子どもなのに、いつもいやらしい目で見てきて、気色悪いったらなかったわ。だからあなたには、正式な交流戦で、ぐうの音も出ないほど叩きのめしてほしいの。それなら向こうも文句は言えないし、権力でどうこうすることもできないわ」
フィアリスはうんざりしたような顔で、本来中立であるべき教官の立場としては不適切なことを口にした。彼女も、ジュノがレシュマーに負けるとはまったく思っていない。
「それって私怨じゃん。でもま、ホント、フィアリス先生は意地悪いよな。さっさと出てきて、止めてくれればそれで済んだのに」
ジュノは、フィアリスが背後で見守っていることを彼女の魔力から感じ取っていたのである。レシュマーの取り巻きの騎士たちはまったくの雑魚というわけでもなかったのだが、そんな五人もの男に囲まれても、彼が恐れなかった理由の一つはそれだった。
それを聞いたフィアリスは、いたずらそうに笑うと、二人に語りかけた。
「ティンシアさん。この子、めちゃくちゃ強いから、あなたはなんにも心配しなくていいからね。ああ、あなたが唯一心配しなくちゃならないのは、この子が勝った後、この子の想いに応えるかどうかだけ、だわ」
からかうように言われて、ジュノとティンシアは、とたんに大事なことを思い出した。そろって、顔を真っ赤にしたのである。
「ジュノくん、あなた、私に感謝しなさいよ。おかげで、彼女に想いを知ってもらうことができたじゃない」
実は、フィアリスはジュノとレシュマーのやり取りを初めからずっと聞いていたのだった。彼女は、ジュノが気恥ずかしさから告白もできずウジウジしていることを、いらだったヴェルから愚痴のように聞かされていたのである。
今日、この事態に遭遇した彼女は出ていくタイミングを見計らっていたのだった。「さっさと言いなさい」と、心の中でジュノを叱咤しつつ。
そのせいで、ジュノは勢いのあまり、彼女の目の前で、今まで言えずにいた想いをはっきり口にしてしまったのである。
一方のティンシアはというと。
実は、やんごとなき身分の出である彼女は、その身分ゆえに自由な恋愛が許されない立場にあるため、幼いころから恋愛小説を読むのが好きであった。
疑いようもないほどの美少女である彼女は、長じるに連れて無数の男性に好意を寄せられるようになったが、そもそも彼女に冷たく接するような男性は、彼女の身分へのはばかりもあって、ほとんどいなかった。
だからティンシアは、今までのジュノの、そっけない態度に困惑していたのだった。
一方で、「嫌われていると思っていた男性が実は自分のことを好きだった」とか「思いもよらない相手からの告白」などという、恋愛小説によくあるシチュエーションに憧れを抱いてもいた。
そしてそれが現実になった今、彼女は急にジュノのことを意識するようになってしまったのである。
もともと、学年一位の優秀な魔術師であり、群を抜く美少年でもあるジュノは、ティンシアにとっても気になる存在だった。ひそかに、彼が「冷たく当たっているけど、実は……」だったらおもしろいのになと妄想したこともあったのだ。
そして、今日。
ティンシアは、レシュマーたち六人もの男に囲まれても、自分を守って一歩も引こうとしなかった、彼の強さと心意気に触れてしまったのである。その温かい背中から見上げた少年の眼光は碧く鋭く、ドキッとするほどに輝いていて、美しかった。
「あの、エスカーズさん……」
ジュノの真意を確かめようと、恐る恐る、ティンシアは声をかけようとしたのだが、ジュノは片手で彼女のことを遮った。もう片方の手で、その整った顔を覆ってしまう。
「ゴメン、やめて。やっぱり恥ずかしい。恐い。死ぬ……」
指の隙間からチラチラ彼女を窺いつつ、顔を真っ赤にしたままのジュノに、フィアリスが大きなため息をついた。
「情けないわね。ヴェルが怒るのもわかるわ。男って、どうしてこう往生際が悪いのかしら」
フィアリスが思い浮かべたのは、もちろん、北校舎三階奥の「あの人」である。
彼女にまでそう言われてしまったジュノは、うう……と唸ったものの、情けないことに、やっぱり言えなかった。
「交流戦!交流戦が終わったら、もう一度はっきり言うよ!」
そう言い捨てて、ジュノは二人をその場に残し、駆けだしてしまった。
本当に往生際が悪い。ヴェルがこの場にいたら、彼はぶん殴られていたに違いなかった。
【人物紹介】
ジュノ・エスカーズ : ローウェル魔法学院1年1組。「開学以来の天才」と呼ばれる魔術師の卵。
レルグ・コールヴィッツ : ジュノのクラスメート。貴族の子弟で、精贈魔法を専攻している。
ヴェルレーヌ・ファル・ノルティア : 1年2組。「センスの天才」として知られる魔術師の美少女。
トレスデン・クリューガー : 1年2組。半エルフの少年で、キブラ女神に仕える神官。
カナ・クラウナル : 1年3組。ザチャ女神を信奉する鵜神官戦士の青年で、ルシアの幼なじみ。
ルシア・リデル : 1年3組の少女。ザチャ女神の神官であり精霊使いである「二刀流の天才」。
クローディス・サイクロー(クロー) : 進路指導担当教官。とある理由で、進路指導室から出ることができない。
エルシズ : 無表情、不愛想な行動系魔術担当教官。
フィアリス・アーストライト : 美人で優しい探知系魔術担当教官。クローとエルシズの学生時代の先輩。
ティンシア・シルレル : 1年1組の転校生。金髪ショートの凛々しい美少女。
【用語解説】
ローウェル魔法学院 : 大陸西部の古都ローウェルにある、大陸一の歴史と伝統を誇る学び舎。
純語魔術 : 「純粋なる言葉」で人々の内なる魔力を発揮する、古代から続く魔術。魔術師が操る。
精贈魔法 : 万物やあらゆる感情に宿る精霊の力を借りて行使する魔法。精霊使い(エレメンタラー)が操る。
神惠魔法 : 神に祈りを捧げ、その恵みを受けて発揮される神官が用いる魔法。
人見の鏡 : 古代魔術王国時代の遺物。人間の未来を映し出す力を持っているが、未来は変わることもある。
遠見の水晶球 : 千里の距離を越えてその先を映し出す、古代魔術王国時代の遺物。声は聞こえない。




