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チャプター5 カナ・クラウナルとルシア・リデルのなやみ

 六月も末になった。


 日ごとに暑さが増していくこの季節だが、楽しい夏休みを前に、最後の難関が迫ってきた。真面目な学生なら皆、そろそろ期末試験の試験勉強に取りかかるころである。

 図書室がそうした学生たちで賑わう中、人気(ひとけ)のない北校舎三階の奥を訪れた男がいた。


 鉄のように黒く硬そうな髪を後ろだけ伸ばして、しっぽのように縛っている。はしばみ色の瞳に強い光を宿した、背が高く、戦士のように筋骨たくましい青年だ。美男とまでは言い難いが、さわやかな、見る者に自然と好感を抱かせる「いい顔」をしていた。


 彼がトントンと進路指導室のドアを叩くと、中から、「入れるなら、どうぞ」と若い女性の声がした。

 進路指導担当教官は男性だと聞いていたが……と青年は不思議に思いつつも、ドアをガラガラと開けると、一歩を踏み出した。


「あら、入れたわね。奥へどうぞ」

 また女性の声がしたので、青年は床に散らばる雑多な物を慎重に避けつつ、部屋の奥へと進んだ。そこには、四人の男性と一人の女性が待っていた。


「わたし、一度コレ、言ってみたかったのよね~」

 キャッキャと楽しそうに、ヴェルがはしゃいでいる。生真面目なだけに、彼女のことは大好きでも、時折そのノリについていけずにいるトレスはそれを横目で見ていたが、姿を現した青年の顔を見て、おや、と目を見開いた。


「カナ・クラウナルじゃないか」

「やあ、クリューガー。あんたもこのクラブだったのか」

 青年もトレスに気づくと、片手を上げた。

ジュノとヴェルはというと、彼の顔を見かけたことくらいはあったが、名前までは知らなかった。レルグは顔と名前は一致させたものの、詳しくは知らない。

 トレスは青年と同じ神恵魔法を使う神官なので、同じ講義を受けることが多いのである。トレスは炎と鍛冶を司るキブラ女神の神官だが、彼は、幸運を司ることから商人の信仰が厚いザチャ女神の神官であった。

「トレスくん、顔見知りなら紹介してください」

 クローに促されたトレスは、彼が、神恵魔法を専攻する一年三組のカナ・クラウナルであると紹介した。


「それで、クラウナルくん。進路指導室にどのような用件ですか?」

 カナと握手を交わしつつ、クローが尋ねたが、彼は少し困惑したようにかぶりを振った。

「あ、いや、進路指導室というより、『よろずお悩み相談部』の方に相談なんですが……」

 そう言われてジュノたち四人は少し驚いたが、それは、記念すべきことだった。


「あら、わたしたち?クラブが発足して第一号のお客様ね」

「それで、どんな相談なんだ?」

 初めての依頼に興奮したジュノが息せき切って尋ねたが、カナは少しためらいを見せた後で、口を開いた。


「相談というのは、同じ三組のルシア・リデルのことだ」

「ひょっとして、恋の相談?」

 ヴェルの問いは早とちり……というか、単なる彼女の願望だったが、カナはなんだか慌てたように顔の前で両手を振った。


「違う違う。彼女はオレの、ただの幼馴染だよ。その彼女がこのところ、なにかに悩んでいるようなんだが、オレには、それがなんなのか教えてくれないんだ。それで心配になって、相談に来たというわけだ」

 なるほど、とジュノはうなずいたが、彼はその彼女――ルシアのことも知らない。レルグかトレス、どちらかが知っているかもしれないと考えた彼は、二人に聞いてみた。

 すると――。


「ああ、知っている。私と同じ、精贈魔法の専攻だ」

「オレと同じ、神恵魔法の専攻でもある。彼女は、このカナと同じくザチャ女神の神官だ」

 そんな答えが返ってきたので、ジュノは驚いた。精贈魔法と神恵魔法、両方専攻――?

 一方、ヴェルの方は、「ああ!」と小さく叫ぶと、ポンと手を打った。


「その子なのね!『第三の天才』っていうのは――」

「なんなんだ?それ」

 基本的に他人に興味のないジュノだけが知らなかったので、ヴェルたち三人がこもごもに説明することになった。それによると、彼女は確かに、精贈魔法と神恵魔法の両方を専攻しているのだという。

 それはつまり、精贈魔法と神恵魔法、その両方で、難関として知られるこの学院の入学試験を突破したということだ。このローウェル魔法学院において、それは初めてのことではなかったものの、学院の長い歴史上でも前例は三、四人しかいない。極めて稀なことであった。


 二つの魔法の系統を並行して学習しているだけに、さすがのルシアも、それぞれの魔法でトップクラスの成績とまではいかない。だから、学年一位、「開学以来の天才」たるジュノ・エスカーズ、同二位、「センスの天才」ヴェルレーヌ・ファル・ノルティアに比べれば目立たなかったが、まがうことなき第三の、「二刀流の天才」がルシア・リデルなのだという。


「へえ……そんなヤツがいたんだ」

 ジュノは感心したが、カナによれば、その天才がこのところなにかに悩んでいるのだという。 

 つまり、幼馴染がなにに悩んでいるかわからないのが、カナの悩みなのであった。 

 これは確かに、「よろずお悩み相談部」の出番かもしれない。


「で、クラウナル。リデルがなにに悩んでるのか、検討はまったくつかないのか?幼馴染なんだろう?」

 レルグの問いに、カナは、首を横に振った。

「逆に幼馴染だから、なんだろうな。きっと、オレには知られたくないんだと思う。ルシアは……」

 彼は、ほとほと困った、という表情でこう告げた。


「恐ろしく、気が強いんだよ」


◇◇◇


 それを耳にして、ジュノもレルグも、内心で少しだけうんざりした。気が強い女は、ヴェル一人で充分だったからである。

 だが、それだけの理由で、彼らを頼って来てくれた人をむげに追い返すわけにもいかない。また、ヴェルやトレスは初めての依頼に乗り気だったので、カナと相談した結果、こうすることにした。しばらくの間、ひそかにルシアの様子を観察し、その悩みがなんなのか探ってみようというのである。


 といっても、クラスも専攻も違うジュノとヴェルは彼女とほとんど接点がない。その役目は、専攻が同じレルグとトレスに委ねられた。

 その方が、円滑な調査の上でも都合がいい。ジュノやヴェルに任せると、「おまえ(あんた)、なにに悩んでんの?」とズバリ聞きに行ってしまいそうだからである。隠密調査もなにも、あったものではない。


 そこまでは決まったので、四人は、推理の材料にするべくルシアのひととなりを知ろうと、彼女の性格や趣味など、カナにいろいろと尋ねてみた。

 カナは一通り答えた後で帰っていったが、彼の背中を見送ったジュノが、「アイツ、なかなかだな」と感心したようにつぶやいた。


 神官というよりも戦士のようなその見た目通り、カナはけっして口がうまいというわけではない。むしろ朴訥としたタイプである。

 だが、その受け答えは要所を的確に捉えていて、説明もわかりやすかった。話し方も声のトーンも聞く人を信用させるようななにかがあって、四人だけでなく、クローも自然と彼に好感を抱いた。

 それは、彼が商業神として知られるザチャ女神の神官であることと関係があるのかもしれない。商売の基本は信用を集めることだからで、彼なら、商人としても成功するだろう。


 もちろんそれは、人々に神の教えを説く立場の神官にとっても必要な資質である。どんなに素晴らしい教えでも、人々に信じてもらわなければなにも始まらないのだから。それに宗教というものには、「神の教えそのものを信じる」だけではなく、「神の教えを説く人を信じる」者もまた多い一面があるのだ。

 そんなわけで、最初はそれほど乗り気ではなかったジュノもレルグも、彼が帰るころには、なんとなく「コイツのためになにかしてやりたい」という気分になっていた。


◇◇◇


 その後の数日間、レルグとトレスはそれぞれ、精贈魔法、神恵魔法の講義でルシアと一緒になったときに、ひそかに彼女の様子を観察してみた。ジュノとヴェルが放課後にこっそり彼女を尾行したこともある。そしてクラスでの日常はカナ本人が観察するという役割分担で調査を進めたので、五人は進路指導室に集まって、それぞれの成果報告を行った。

 その結果、わかったことをまとめるとこんな感じだ。


一、ルシアは放課後、夜遅くまで怪しげな酒場に出入りしている。

二、そのためか、このところ講義中に居眠りをしていることも多い。

三、クラスでも居眠りをしているが、それ以外は特段変わりがない。


「怪しげな酒場に出入りしている、というところが気になりますね」

 クローは教官だから、それは当然の心配だ。

 学生が単に客として通っている、というだけなら初回は厳重注意くらいで済むが、女子学生が酌婦(ホステス)として働いている、などということにでもなれば、風紀の厳しいローウェル魔法学院では退学にさえなりかねない。


 ルシアは、大陸の東に咲くという桜の花びらに似た色の髪をボブカットにした、灰色の瞳の女性だ。「かわいい」というよりは「美人」というタイプで、ジュノたちと同じ十六歳ながら大人びて見えるので、年齢をいつわって酒場で働くことも不可能ではないだろう。

 カナが述懐したとおり「恐ろしく気が強い」のは、その顔立ちからも想像がつくので、こう言ってはなんだが、酒場にいても違和感はなさそうである。


「クラウナル、リデルは本当に、そういうところで働いたりするような女性なのか?」

 レルグが尋ねる。そのたくましい腕を組んでうーんと唸ったカナは、首を捻った。

「幼馴染の名誉のために、そんなことするような女じゃないと言いたいところだが……正直、わからん。ルシアは、常識で測れないところがあるからなあ」


 気が強いルシアは、他人にムリと言われたりダメと言われたりするとつい反発してしまうタイプだ。

 学院の歴史上ほとんど前例のない二刀流に挑んでいるのも、彼女自身は精贈魔法の方が好きだったのに、両親に神恵魔法を学ぶよう強制されたことに対する反発である。また、「二刀流など不可能」と決めつけて、どちらかに絞るよう余計なお節介を働く人々に対する反発でもあった。


「ただ、ルシアだって、夜の酒場で働いてバレれば退学になる恐れがあることは理解しているだろう。単に遊ぶ金欲しさで、そんな危険を侵すとは考えにくいし、なにかやむを得ない理由があるハズだと信じている」

 そして、オレはその理由が知りたい。カナはそうつぶやいた。


「で、どうやって探る?ヴェル、おまえ、酒場で働いて潜入調査してみる?」

 ジュノが言ったのはあくまで冗談だったので、ヴェルも、「あら、そしたらわたしがナンバーワンの売れっ子になっちゃうわね」と軽く受け流したものだが。

「ダメ!絶対!!」

 顔を真っ赤にして怒ったのはトレスだった。生真面目な彼は、ジュノの冗談を真に受けてしまったのである。彼にとって、ヴェルが酔客にいやらしい目で見られることなど耐えられるものではない。


 それはともかく、五人は確たる証拠を集めるべく、もう少し調査を続けることにした。

 もしルシアが本当に酒場で働いているなら、学院にバレる前にやめさせなければならない。「二刀流の天才」が夜の酒場で働いて退学、とでもなったら、学院の歴史に汚点として長く残ってしまうだろう。


◇◇◇


 翌日の放課後。


 今日も一日の授業が終わると、そそくさと帰り支度を済ませて教室を出たルシアを追って、ジュノとヴェルも玄関に向かった。ところが、靴を履いて建物を出たところで不意にジュノが立ち止まったので、ヴェルはその背中におもいきり顔をぶつけてしまった。


「あいたたた…」

 痛む顔を押さえたヴェルが、ジュノに文句を言おうと、その背中から離れて顔を上げると。

 調査対象のルシアが、仁王立ちで彼女たちを睨みつけていた。


「一組のエスカーズと、二組のノルティアね。尾行までして、いったいなんの用?」

「バレてたのか……」

 その言葉に二人は驚いたが、ルシアは肩をすくめ、小さく息をついた。


「そりゃあね。あなたたちみたいな、キンキラキンだの真っ赤だのの頭をした子が夜の街を歩いていれば目立つわよ。そもそも、尾行のやり方がまったくなっていないのよね」

 呆れたようにつぶやくと、ルシアは言葉を続けた。

「あたしが酒場に出入りしているのも見てたんでしょ。で、どうするの。学院に通報でもするの?」

 挑むように尋ねられたので、二人はあわてて手を振った。


「ああ、いや、そういうつもりじゃないんだ。ただ、おまえのそういうところを心配しているヤツがいるんで、なにか事情があるなら、知りたいと思ってな」

「……カナ、ね」

 ジュノがほとんど自白してしまったので、あっさりとバレた。やっぱり、彼は隠密調査にはまったく向いていない。


「そういえば、あなたたち、お悩み相談なんてことを始めたんだったわね。なるほど、それでか」

 彼らの「よろずお悩み相談部」は、ヴェルがクラスで「こういうこと始めたから、よろしくね」と話をした程度である。とりたてて宣伝もしていないのだが、メンバーがジュノたち学院でも目立つ四人ということもあって、すでにその噂は広まっていた。


「ええ、そういうこと。ね、ルシアさん。よかったら、わたしたちに事情を話してみない?」

 ヴェルにそう促されても、ルシアは小首をかしげて、「うーん……」と気乗りしない様子だった。

「イヤなら無理にとは言わないけどさ。でも、オレたちも見ちゃったからなあ。ホントに通報されたくなかったら、正直に話すか、いっそ口封じするか、選んだ方がいいんじゃない?」


 軽く脅しを混じえつつ、ジュノが物騒なことを口にしたが、ルシアはため息をつくと、「それもそうね」とうなずいた。もちろん、彼女が選んだのは、口封じする方の選択肢ではない。

「確かに、これ以上つきまとわれるのも気持ちよくはないわね。あなたたちにも、部室があるんでしょ?内容が内容だし、そこで話すわ」


◇◇◇


「よろずお悩み相談部」の部員と顧問五人に、カナとルシアが加わって、都合七人。ただでさえ狭い進路指導室はぎゅうぎゅう詰めだったが、一人ヴェルだけは、クローにくっついて嬉しそうにしている。

 ジュノたちだけかと思っていたら顧問の教官もいたので驚いたルシアだが、ここまで来てしまったら仕方がない。あまり気は進まなかったが、事情を話し出した。


「あたしが悩んでいるのは、ぶっちゃけ、お金よ」

 開口一番がそれだったので、一同はびっくりした。


 彼らの学ぶローウェル魔法学院は、魔法の技と幅広い知識を身に着けようと大陸諸国から学生が集う、古都ローウェルにふさわしい歴史と伝統を誇る学び舎だ。三年間の修養年限を終えた学生たちの多くは、国家や大貴族に仕えて騎士や役人として活躍し、中には騎士団長や宮廷魔術師、宰相職にまで上り詰める逸材もいる。

 難関として知られる入学試験さえ突破すれば、身分や種族を問わずに門戸を開いているこの学院には、貴族や平民の別がなく、エルフ族やドワーフ族といった亜人種の姿も珍しくない。実際、ジュノは平民の出身だし、トレスはエルフ族の血を引いている。


 それでも学生たちは、貴族や騎士、僧職などの上流階級出身者の方が圧倒的に多かった。それは、この学院の学費がその歴史と伝統にふさわしく高額であるというのも理由の一つで、つまり、その学費を払える階層の者しかいないのである。

 もちろん、学生の中には奨学金制度を利用している者もいるにはいるが、そう数は多くない。そもそも学院の入学試験を突破するためには、その時点で一定の魔術・魔法の素養が不可欠である。あらかじめ私塾などに通ってそれを身に着けておくための費用も必要なのだ。

 いずれにせよ、資力のない者がこの学院の門をくぐるのは、極めて困難と言えた。


 要するに、この学院で「お金に困っている」などという学生は稀なのである。そんな学生がいれば、ギャンブルや放蕩で学費や生活費を使い込んでしまったのではないかと疑われても仕方がない。

 ルシアの家は、豪商とは言えないまでもそれなりの資産を持った商家なので、本来、学院の学費を支払うのは難しくないはずである。

 なのに、なぜ、彼女は金に困っているのか。


 それは、彼女が「二刀流の天才」であるがゆえの悩みであった。

 つまり彼女は、精贈魔法と神恵魔法の両方を学ぶための学費、普通の学生の、二倍の学費が必要だったのである。

 彼女の実家は商家だから、商業神であるザチャ女神の教えを学ぶための学費は出してくれるが、彼女が趣味で学んでいた精贈魔法の学習を続けるための学費は、自分で工面することが両親との約束になっていた。


 それはもちろん、彼女自身が納得した上でのことではあったが、実際に入学して学生生活を始めてみると、周りに裕福な者が多いだけに、付き合いで出費がかさんでしまうのである。

 それで、このままの生活を続けていれば、いずれ学費が賄えなくなる恐れがあると心配になり、お金を稼ぐ手段を考え始めたとのことだった。


◇◇◇


「それならそうと言ってくれれば、オレも実家に頼んで協力したのに……」

 水臭いとでも言わんばかりに、幼馴染のカナがつぶやいたが、ルシアはきっぱりとはねつけた。

「そう言うと思ったから、あんたには相談できなかったの。これは、はっきり言ってあたしのわがままだから、他人に迷惑をかけるわけにはいかないわ。それに、幼馴染だからこそ、お金のことは間に挟まない方がいいのよ」

 ルシアの言うことも、もっともである。


 カナとルシアは大陸最大の国家である隣国・ライラント帝国の出身だが、ザチャ女神の神官であるカナの父親は、ライラント最大の規模を誇るザチャ神殿の中でも高位の司祭だった。裕福であったし、息子の幼馴染であるルシアのことも小さいころから我が子同様にかわいがってくれたので、カナと二人で頼めば学費ぐらい援助してくれただろう。

 だが、それはもちろん、軽々しく頼んでいいことではない。いくら仲が良いといっても、お金が絡めば、その関係があっさりと変わることなど世の中には珍しくないのだ。ルシアは幼馴染とその家族を大切に思っていたから、おたがいに余計な気遣いはさせたくなかったし、したくもなかった。


「それで、あなたは酒場でいったいなにをしていたんですか?」

 クローが、教官の立場としてもっとも気になることをズバリ尋ねた。ルシアはこめかみをポリポリと掻いて、「すみませんでした」と謝ると、事情の説明を始めた。


「あれはアルバイトだったんです。あたし、神恵魔法が使えるので、酒場で働く女性たちのアルコールを、『解毒(ディスポイズン)』の魔法で抜くっていう。あの人たち、お客と一緒にお酒を呑めば呑むほど収入になるから、需要があると思ったんです。そんなことする人、他にいないし」

「うーん、なるほど……」


 ルシアがやっていたのは、他に誰も手をつけない「隙間産業」だったので、確かに需要はあっただろう。聞かされた全員が感心したが、クローはさらに、「客の前には出ていないんですね?」と大事なことを確認した。それなら、万一学院に知られることになっても、言い訳のしようがあるからだ。そしてルシアは、顔の前で両手を振って否定した。


「出てません。だって出たら、サーフェンス教官に見つかっちゃうから」

「アルバトスくんが!?彼、そんな酒場に出入りしてるんですか!?」

 アルバトス・サーフェンスは、双子の姉のフェアルとともに生活系魔術担当の教官である。彼ら姉弟はこの学院の卒業生で、クローとエルシズにとっては同級生でもあった。


 ルシアはあっさりと彼の秘密をバラしてしまったのだが、教官の名前が出てきたので、その話は信憑性が高まった。アルバトス本人に聞けば、ルシアの話のウラがとれるだろう。姉のフェアルには知られないように、こっそりと尋ねてやるのがせめてもの情けである。


「話はわかりました。とはいえ、望ましくないアルバイトですから、知ってしまった以上、今後は見逃せませんよ」

 ローウェル魔法学院では、別に学生のアルバイト自体は禁止されていないし、実際にアルバイトをしている学生は少なくない。先に述べたとおり裕福な者が多いので、学費や生活のためというよりは、遊んだり好きなものを買ったりするためだが。中には、社会勉強のつもりでアルバイトをしているという者もいる。


 アルバイト自体は問題ないとはいえ、さすがに夜の酒場というのは風紀上、好ましくない。クローはもう辞めるように釘を差し、ルシアも素直にうなずいた。

「わかりました。もともと、アルバイトは今後の商売の元手を手っ取り早く稼ぐための手段だったので、長く続けるつもりもありませんでした。そろそろ、とりあえず目標にしていた金額に達するところでしたので、もう辞めます」


 そしてルシアは、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした、と頭を下げた。


◇◇◇


「それで、ルシア。貯めたお金で商売するって、どんなことをするつもりだったんだ?」

 カナが尋ねたが、ルシアは、またこめかみをポリポリと掻いた。

 彼女は商家の娘であり、幼いころから家業を見たり手伝ったりしていたので、商売がわかる。その特技を活かして、学費を稼ぐつもりだったのだ。しかし……。


「う~ん……それがまだ、決まってないのよねえ。学業に差し障りが出ないようにしなければならないし、この学院の中で商売ができれば、ムダな時間がかからなくていいんだけど。学費のためだから、それなりの金額を稼ぐ必要もあるしで、いいのが思いつかなくて」

 困った、という顔でみんなを眺め回したルシアだったが、レルグは貴族の子弟だし、トレスはキブラ女神の神殿育ちである。ヴェルの父は、このローウェル王国の宮廷に仕える占星術師だったので、彼らはつまり、商売には明るくないのだ。

 そろって視線を宙に泳がしてしまった彼らだったが、一人、ジュノだけは違った。


「アテならあるぜ」

 彼は実家が宝石商なので、家業である商売のことはある程度理解している。常にド直球で結論を急ぎがちな彼は、お互いの要求をすり合わせて着地点を見つける交渉事が苦手なので、商才はなかったが。


「ルシア。みんなに、商売の基本ってヤツはなにか、説明してやってくれないか?」

 ジュノにそう促されて、ルシアは説明を始めた。

「そうね……質のいい商品を安く仕入れて、高く売る。これが商売の大原則ね」

「それと?」

「『需要と供給』。どんないい商品でも、必要とされなければ売れないし、必要があっても商品が用意できなければ、そもそも商売にならないし、信用にも関わるから、やっぱりダメ」

「そうだな。じゃあ、仕入れてきた商品を高く売るためには?」

「それは、商品に付加価値をつけることね。お客さんに、高くても買いたいっていう気持ちにさせるものを」

 そこまで説明したルシアは、ジュノに向き直ると、今度は彼に説明を求めた。


「で?あなたが、そんな基本を満たした、いい商売を教えてくれるっていうの?」

 ジュノは自分の制服の胸ポケットに手を差し込みつつ、自信ありげな顔でうなずいた。

「ああ。レルグやヴェルは、オレが宝石細工をしているのは知っているよな?」

 そう話し始めたジュノが提案したのは、彼が作った宝石細工を、この学院の学生たちに販売することだった。


 彼が最近作っていたのは、ラピスラズリの粒をいくつか使ったチョーカーである。まだ作成途中であったが、それを見せてもらった一同には、それが玄人はだしの出来栄えであり、まだ学生の身である彼らにとっては十分な品質をもつ物に思われた。「ジュノが作った」と聞けば喜んで買う女子学生は多いだろうし、需要はありそうだ。

 また、ジュノ作であることが付加価値となって、高い値段をつけることもできるようになる。最終的には売り値次第だとしても、裕福な者の多い学院内なら、確かに商売になるかもしれないと思わせた。


「なるほどねえ……これならあたしも、ちょっとほしいかも」

 サンプルを首につけさせてもらったルシアが、感心したようにうなずいた。ラピスラズリの深い青が、彼女の健康的な色の肌の上で、よく映えている。


 ジュノの提案は、学院の中で、収益の大きな商売をするというルシアの目的と、需要のある、付加価値のついた高品質の商品を売るという、商売の基本をともに満たしたものだった。

 しかしジュノは、「もちろん、課題はあるぜ」とも言葉を続けた。


「一つには、商品を安く仕上げる方法。デザインや制作はオレだから、それは手間賃程度もらえればいいけど、原材料を安く仕入れることができれば、利ざやが稼げるから。それと、供給量だな。なるべくたくさん売るに越したことはないが、オレ一人で作れる数には限りがある。まあ、希少性をウリにして値段を吊り上げるという方法もないではないけど、学院内であまりあくどいことはしないほうがいいよな」

 その課題の解決は、なかなか困難であるように思われた。


◇◇◇


 一同はその後、数日をかけてジュノの提起した課題をクリアする方法を検討した。


 その結果導き出されたのは、宝石のことならやはりプロに頼るのがいいだろう、ということである。そこで、ジュノの実家である「エスカーズ宝石商会」が提携している鉱山を紹介してもらうことにした。

 主要な原材料である宝石の原石を安く仕入れることができれば、一つ一つの商品の利益を増やすことができ、供給量が少なくとも収益が確保できるからである。

 早速、ジュノは実家に紹介を依頼する手紙を送った。

 その両親は、一人息子であるジュノに甘かった。また、彼が家業に興味を持たず、魔術にばかり熱中していることを心配していたので、かわいい息子に頼られると、喜んで紹介状を書いて送ってくれた。


 もともとジュノとレルグは、夏休みになったら冒険の旅に出ようと相談をしていたのだが、その予定を変更して鉱山に向かうことにした。宝石の原石を扱う工房や商人と、直接交渉しようというのである。

 目的のヴェロノス鉱山は、学院のある王都ローウェルから馬車で五日ほどの行程にある。

 そこは人跡未踏の地、というわけではなく、周辺に居住する鉱山労働者は多い。だが、主要な街道を離れた山の中なので、道中に盗賊やモンスターが出没する恐れもあり、ちょっとした冒険の旅には十分になり得る。


 その旅の準備をしたり、期末試験のためのテスト勉強をしたりしているうちに、あっという間に日は流れた。

 その間、「よろずお悩み相談部」の四人だけでなく、カナとルシアも進路指導室に入りびたって勉強に励んだ。指導する立場のクローは、そのためにテスト期間が終わるころにはすっかりくたびれてしまったのだが、彼の指導はよろしきを得た。


 六人は、そろって優秀な成績を収めることができたのである。

 ジュノ、ヴェル、レルグの学年一、二、三位は変わらないが、トレスも、カナもルシアも入学試験の成績より大きく順位を上げて、担任の教官に驚かれたものだ。

 そうして、夏休みをすっきりと迎えることができた彼らは、七月の下旬、夏休みが始まるとすぐに、彼らだけで貸し切った馬車に乗って王都ローウェルを離れたのだった。


◇◇◇


 カポーン。


「ふうぅ~」

 もうもうと湯気の立ち上るお湯に顎まで浸かり、濡れた髪を両手で掻き上げたジュノは、深く長く息をついた。

「ちょっと熱いけど、極楽だな、これは」

 頭にタオルを載せたカナも、その大きな体を湯船に沈めて目を細めている。


 目的地であるヴェロノス鉱山に着いたジュノたち一行は、予約しておいた宿の部屋に荷物を置くなり、まっすぐに風呂に向かった。鉱山周辺は、豊富な湯量を誇る温泉地としても知られている。ローウェルから五日間の旅の間、彼らは風呂に入ることができず、体を拭く程度で我慢しなければならなかったからである。

 この時代、彼らが暮らす学生寮のようなところはともかく、入浴施設といえば男女が混浴する方が一般的だ。この宿の温泉は広い露天風呂だが、入口は男女それぞれの脱衣所から別々だったし、間に衝立もあるので、あえて覗こうとしなければ顔を合わせることはない。


「絶対に覗かないでよね!」

 衝立の向こうからヴェルの声が聞こえたが、その声は笑っていて、ホントに覗かれたとしても怒らなさそうなところが蠱惑的だ。

 わざとなのかどうか知らないが、「ルシアちゃん、きれいな肌してるわねえ」「あら、ヴェルだって出るとこ出ててうらやましいわ」などと男子にも聞こえるように会話している。それを聞いたトレスなどは、生真面目なだけにドキドキしてしまって、とてものんびりするどころではない。早々に湯船から上がってしまった。


「覗くかよ。フィアリス先生もいるのに」

 ジュノは衝立越しに返事を投げつけたが、驚くことに、この旅にはフィアリスが同行していた。


 本人いわく、「クラブの合宿には顧問の教官が同行することになっているが、『よろずお悩み相談部』顧問のクローはそれができないので、代わりに」とのことらしい。それを聞いたクローは、ジトっとした目で「温泉、行きたいだけでしょ」とつぶやき、学生たちも皆、そろってうなずいたものである。

 当の本人はというと、その抜群のプロポーションを誇る体をお湯の中で長々と伸ばし、気持ちよさそうに眼を閉じている。


「それで、明日からどうするの?」

 スラリと伸びた長い足を湯船の中でマッサージしながら、ルシアが尋ねた。ルシアは女性ながら背が高く、トレスより高いほどである。


「予定通り、鉱脈を探す。新しい鉱脈を見つけることができれば、鉱業権を独占することができ、採掘した原石を自分たちで使うのはもちろん、販売することもできるからな。そうすれば、資源が尽きるまで金には困らず、おまえの学費の問題も解決するさ」

 ジュノは、あらためてそう説明した。


 当初は、鉱山で宝石の原石を安く購入できればそれでよいと考えていたこの計画だったが、長い旅の途中、自分たちで原石を採掘できれば、より利ざやが稼げるのではないかとの意見が出されたのだ。

 そしてその時から、彼らはその鉱脈を探すための方法について、皆で話し合って考えてきたのである。


◇◇◇


 宝石の原石というのは、通常、地下深い高温高圧の環境で生まれるものだ。

 例えば水晶やアメジストは、地下から吹き出る熱水脈に含まれる鉱物が岩盤などの隙間に沈殿することで作られる。


 そのため、火山があって地熱が高く、古来、温泉が湧き出る場所として知られていたこの周辺では、昔から人間やドワーフ族の山師が鉱脈を求めて活動してきた。

 彼らが大規模な鉱脈を発見し、鉱山として操業を開始して以来、すでに五百年以上の歴史が経っている。その間、鉱山労働者たちが暮らし、また、それを当てこんだ商売をするための街が形成され、温泉での湯治を目的とした宿なども開業して、今や、ヴェロノス鉱山は一大鉱山都市となっていた。


 鉱山は、資源が少なくなるつど、新たな鉱脈が探査され採掘されていた。だから、ジュノたちがここで新たな鉱脈を探すというのは別におかしな考えではない。だが、山師ではない素人の彼らが、どうやって鉱脈を探すのかという、それが問題であった。


 ところが、彼らにはとっておきの切り札がいるのである。それは、トレスだった。

 トレスが神官として仕えるキブラ女神は炎と鍛冶を司る神で、鉱山の守護者でもある。もちろん、このヴェロノス鉱山にもキブラ神殿があり、鉱山労働者たちの信仰が厚い。

 そしてキブラ女神の神官には、彼らだけに与えられる特有の神の恵みがあるのだった。

探鉱(サーチメタル)」の魔法である。


 それは文字通り鉱脈を見つけるための魔法だったので、彼らはトレスのこの力を当てにして、はるばるこの地までやってきたのである。もちろん、一度の魔法で探査ができる範囲には限りがあり、トレスの魔力にも限りがあるが、同じ神官のカナやルシアは、自分の魔力を他人に分け与える「魔力恵贈(トランスファー)」の魔法が使える。トレスの魔力が枯渇しそうになったら、二人が魔力を分け与えることで、探査の範囲を広げることができるのだ。


 また、精霊使いであるレルグとルシアは、大地の精霊と交信し、その声を聞くことで大地の状況を大まかに把握することができる。「隧道(トンネル)」の魔法で大地に穴を穿つこともできるから、採掘にも役立つ。

 そして鉱脈が発見されれば、どの宝石の原石かはジュノがだいたいのアタリをつけることができる。

 つまり彼らは、全員の持てる力を結集し、総力戦で鉱脈探しに挑もうとしているのだった。


◇◇◇


 翌日から、一同は温泉宿を拠点に、周辺の鉱脈探しを開始した。


 トレスも、「探鉱」の魔法を実践するのはこれが始めてである。そのため、最初のうちはどういう反応が鉱脈の発見なのかよくわからず苦戦したが、繰り返しやっているうちに感覚が掴めてきた。そして探査の範囲をどんどん広げていった。

 しかし、鉱脈自体は見つかるものの、小さくてすぐに枯渇しそうであったり、見つかったのが地下深いところで採掘が困難であったりと、採算が取れそうなものはなかなかない。

 朝、山に分け入り、夕方になると宿に戻る。そんな日が数日続き、皆ヘトヘトになって山の中を駆けずり回っていた。


 だが、お目付け役としてむりやりついてきたフィアリスと、探査に役立つような魔術が使えないヴェルは宿に残った。することがない彼女たちは一日に何度も温泉に入っていたので、その肌はすっかりスベスベになってしまったのである。

 さすがに申し訳なくなってきたヴェルは、みんなのためにお弁当を作ったり、一番働いているトレスの肩を揉んでやったりした。彼女のことが大好きなトレスは感激してやる気を新たにしたのだが、そのころになると探査の範囲もかなり広がっている。人里をだいぶ離れた山の中、森の中まで探査するようになっていた。


 そうなると、熊や狼などの猛獣、ひいてはモンスターと出くわすことも多くなる。

 ヴェルも加わりそれらと戦ううちに、一同の戦闘力が大いに向上したのは意外な副産物だった。

 一度などは恐るべき食人鬼(オーガ)の群れに遭遇してしまい、命懸けの戦いとなったが、それによって彼らはチームとしての戦い方を身に着けていった。ともに命を預けて戦う中で、カナもルシアも皆とすっかり打ち解け、今では昔からの親友のような仲になっている。


 そんなこんなで、調査を開始してから二週間経った日のこと。彼らの苦労が、ついに報われる日が来た。

 トレスの「探鉱」の魔法が、有望と思われる鉱脈の姿を捉えたのだ。

 早速にレルグとルシアが「隧道」の魔法で地中に通路を作り、鉱脈に達した彼らは、槌を振るって原石を採掘した。それを一目見たジュノは大いに驚いたのだが、持ち帰ってヴェロノス鉱山の技師にも鑑定してもらったところ、ジュノの驚きには間違いがなかった。


 それは、天然のブルートパーズだったのである。

 トパーズは「黄玉」とも言われるように、茶色、黄色、オレンジなどの色のものの産出が多く、赤やピンク、緑や紫といった色のものもあるが、青いものは極めて貴重だ。

 実は、「ブルートパーズ」と言われるもの自体はよく出回っているのだが、それはほとんど全てと言っていいほど、無色のトパーズを加熱処理して青味をだしているものである。天然のブルートパーズとなると、今ではほとんど伝説上のものと言っていいほど稀なものになっていた。


 そんなところに大規模な天然ブルートパーズの鉱脈が見つかったので、大騒ぎとなった。

 商売に明るいルシアはもともと、発見した鉱脈は自分たちで囲い込むつもりだったので、その所在は極秘にしたのだが、それでも山師たちが大挙して山に分け入る事態となってしまった。

 幸い、彼らが発見した鉱脈はモンスターの巣窟の真っただ中にあり、地下深くでもある。簡単に見つけられるものではないが、秘密の保持には細心の注意を払う必要があった。


 もともとは、宝石細工の製造販売のために自分たちで鉱脈を見つけ、採掘をすることで原石の仕入れ経費を抑えようという単純なものだったこの計画。だが、それでは済まない大事になってしまったので、ルシアが商会を設立して事業化することにした。もはや宝石細工を自分たちで製造するような、ちまちまとした話ではない。採掘した原石を宝飾業者に販売するだけで、莫大な利益を得られる事態となっている。

 そこで一同は、採掘した原石を手に、馬車に乗って隣国シュロンに向かい、ジュノの実家であるエスカーズ宝石商会を訪れることにした。


 突然、息子が友達を連れて里帰りしてきたので驚いたジュノの両親だったが、息子から話を聞いて、眼の色を変えた。原石の実物を目の当たりにし、担任教官であるフィアリスからも説明を受けて、両親は息子たちの話を信用した。鉱脈そのものとそこから得られる利益の取り扱いについて、彼らと交渉をもつことにしたのである。


 交渉は、まずルシアが条件を提示し、そこにジュノの両親が自らの条件を出して、双方の条件の落としどころをカナが調整するという形で進められた。

 気の強いルシアだけだと条件がどうしても厳しくなりがちなのだが、カナは、それを柔らかく包み、相手の立場も慮った形で投げかけることのできる稀有な能力を有している。この幼馴染二人は、商談の場においてもなかなかの名コンビと言えそうだった。


 実際、ルシアとカナは魔法学院を卒業した後、自らが起こしたリデル商会の経営に勤しみ、大陸西部一の規模を誇る商社にまで発展させる。そして後に、時のローウェル国王に招かれて宮廷に仕え、ルシアは財務大臣に相当する治粟内史(ちぞくないし)、カナは外務大臣に相当する大鴻臚(だいこうろ)に任じられてそれぞれ才能を振るい、大陸の歴史に名を残すことになるのだ。


 そしてその未来は、ルシアに酒場のアルバイトを辞めさせたその夜、クローが「人見の鏡」で見たものと同じであった。

 遠い未来の話はともかく、交渉の結果、契約内容はおおむね次のようにまとまった。


一、リデル商会は、その発見したブルートパーズ鉱脈の租鉱権を十年間、エスカーズ宝石商会に貸与する。

二、エスカーズ宝石商会はリデル商会に一年あたり金貨一万枚を支払う。

三、ブルートパーズ鉱脈の扱いについては、厳格な秘密保持契約を結ぶ。


 交渉は二日間に渡って行われたが、まだ学生の身とはとても思われないルシアの商才とカナの交渉力に、ジュノの両親はすっかり感心してしまった。学院を卒業したらうちで働かないかと、スカウトするくらいであった。ルシアに至っては「息子の嫁に来ないか」とまで言われてしまったが、自分の実家より大きいエスカーズ宝石商会の経営規模に圧倒されていたルシアが一瞬、真剣に考え込んでしまったようだったので、気が気ではないカナだった。


 そんなこんなで交渉はまとまったのだが、それで得られる一万枚の金貨は、リデル商会代表として今後の事業を担当するルシアが三割を取ることになった。今後、彼女はそれを元手に商売を拡大し、毎年、利益の中から他の五人に配当を出すことになる。

 また、鉱脈の発見者であるトレスは金貨一万枚のうち二割、この事業の発案者であるジュノは二割、残りをカナ、レルグ、ヴェルで一割ずつ分けることも決まった。フィアリスは教官なので分け前には与れないが、ジュノたちに同行して鉱山を訪れる必要がある時の経費――つまり、温泉旅行代だ――はリデル商会が負担することとなった。

 

この事業とそこから得られる利益は莫大なもので、取り分の多いルシアやトレスなど、ほとんど一夜のうちに上流貴族の個人年収と同等の年収を得られる身分になってしまった。もともとが貴族のレルグも、数年の後には、男爵に相当するコールヴィッツ大上造家の当主である父をはるかに凌ぐ個人資産の持ち主となる。

 これが、後年、ジュノたち六人の人生と立身出世、ひいては大陸の歴史そのものに大きな関わりをもってくるのだが、それはまた別の話である。


 夏休みに入ると、すぐにヴェロノス鉱山に向けて旅立った一行。

 鉱脈の探査と発見、その後シュロンに赴いての交渉を終えた彼らがようやくローウェル魔法学院の寮に戻ったときには、夏休みも残すところ十日余りとなっていた。


 そして結局、彼らはのんびり体を休める暇もないままに新学期を迎えることとなった。

 まったく手が付いていなかった夏休みの課題を大急ぎで片付ける一方、ルシアを中心にリデル商会の事業化を進める必要があったからである。


 だが、とにかくは全てが一応片付いた、夏休み最後の一日。


 進路指導室に皆を集めたルシアは、深々と頭を下げて「ありがとう」と感謝を伝えた。

 夏休み前。この部屋を訪れ、抱える悩みを明かした彼女は、それ以来、ずっと気を張っていた。だが、その悩みも、四人の新たな友の助力で解消された。


 ようやく気を緩めることができた彼女が初めて見せた、心からの笑顔が意外なほどに柔らかかったので一同は驚いたが、彼らもまたそれぞれの頬を緩めたものである。

 カナなどは、ようやく幼馴染の晴れ晴れとした顔を見ることができて、ホッとしたあまりに号泣してしまった。

 そして「暑苦しい」と、照れたルシアに脇腹をデュクシと突かれてしまったのだった。

【人物紹介】

ジュノ・エスカーズ : ローウェル魔法学院1年1組。「開学以来の天才」と呼ばれる魔術師ウィザードの卵。

レルグ・コールヴィッツ : ジュノのクラスメート。貴族の子弟で、精贈魔法を専攻している。

ヴェルレーヌ・ファル・ノルティア : 1年2組。「センスの天才」として知られる魔術師の美少女。

トレスデン・クリューガー : 1年2組。半エルフの少年で、キブラ女神に仕える神官クレリック

カナ・クラウナル : 1年3組。ザチャ女神を信奉する鵜神官戦士の青年で、ルシアの幼なじみ。

ルシア・リデル : 1年3組の少女。ザチャ女神の神官であり精霊使いである「二刀流の天才」。

クローディス・サイクロー(クロー) : 進路指導担当教官。とある理由で、進路指導室から出ることができない。

エルシズ : 無表情、不愛想な行動系魔術担当教官。

フィアリス・アーストライト : 美人で優しい探知系魔術担当教官。クローとエルシズの学生時代の先輩。


【用語解説】

ローウェル魔法学院 : 大陸西部の古都ローウェルにある、大陸一の歴史と伝統を誇る学び舎。

純語魔術ピュアスペル : 「純粋なる言葉」で人々の内なる魔力を発揮する、古代から続く魔術。魔術師が操る。

精贈魔法エレメンタルギフト : 万物やあらゆる感情に宿る精霊の力を借りて行使する魔法。精霊使い(エレメンタラー)が操る。

神惠魔法ホーリーブレス : 神に祈りを捧げ、その恵みを受けて発揮される神官が用いる魔法。

人見の鏡 : 古代魔術王国時代の遺物。人間の未来を映し出す力を持っているが、未来は変わることもある。

遠見の水晶球 : 千里の距離を越えてその先を映し出す、古代魔術王国時代の遺物。声は聞こえない。

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