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チャプター4 クローディス・サイクローのなやみ

 翌日の午後。


 進路指導室のドアの前には、エルシズとフィアリスがやってきていた。

 前日、ジュノが戦うところを初めてその眼で見た二人は、彼が繰り出した魔術がその年齢にそぐわない、むしろ異常と言っていいほどの高いレベルにあったので、驚いたのである。クローに、彼が普段どのような指導をしているのか問い質しに来たのだった。


 ジュノはクローに出会って以来、その指示で、六回にわたって旧校舎の「良からぬもの退治」に携わってきた。すなわち、一人で二回、レルグと二人で二回、レルグ、ヴェルと三人で二回である。

 教え子が心配になったフィアリスは、クローが、ジュノの力量を超える強敵との戦いを強いて、無理にその成長を促しているのではないかと疑っていた。だが、今までジュノが戦ったモンスターを確認すると、そのレベルといい数といい、取り立てて無茶というほどの相手ではなかった。彼女もエルシズも歴戦の冒険者なので、そのあたりの判断を誤ることはない。

 「良からぬもの退治」が、その急激な成長を促している要因の一つであることは確かにしても、結論としては、ジュノの才能が桁違いである、という意外になさそうであった。


「前にも言ったように、若いヤツらは全体的に早熟になってきているが、それにしたって異常だ。オレもおまえも、『縛鎖』の魔術を使えるようになったのは、三年になってからだったよな。アイツはまだ、一年の一学期だぞ」

 いつものように眼を閉じて、ドアにもたれかかったエルシズが、感嘆したというより呆れたようにつぶやいた。


「そうですね。もう一つ、あなたたちをびっくりさせましょうか。あの子、『魔力爆発』の魔術も使えるようになっていますよ」

「……信じられないわね。この眼で見た今でも」

 フィアリスもため息をついている。彼女はといえば、それらの魔術を使えるようになったのは、ようやくこの学院を卒業するころになってからであったのだ。


「とはいえ、あの子が強力な魔術を使えること自体は、別に咎めるようなことじゃないわ。私たちがしなければならないのは、あの子がその力に振り回されないように注意深く見守ること、正しく伸びていくように、時に手を添えてあげること、ね」

 そう言ってフィアリスは、いつものようにクローをからかった。


「頼んだわよ。『よろずお悩み相談部』顧問のクローくん」

「……もう知っているんですか」

 うんざりしたような声がドアの向こうから返ってきたので、フィアリスはこれもまたいつものように、あははと楽しそうに笑った。

「今朝、レルグくんが早速に、クラブの設立届を持って来たわよ。顧問就任承諾のサイン、したんでしょう?」


 嘘から出たまことの「よろずお悩み相談部」は、ジュノ、レルグ、ヴェル、トレスの四人を部員、クローを顧問として正式に発足した。栄えある初代部長はレルグである。

 トレスはその日入ったばかりだし、ヴェルには「レルグくん、前からクラブ活動やりたいって言ってたわよね」と、ジュノには「オレもヴェルも教官方の信用がイマイチだから」などと、体よく押し付けられたのだ。クローからも、「レルグくんなら安心です」と言われてしまった彼は、満場一致で部長に選出された。


「サインしましたよ。しましたけどね……」

 まだグチグチ言っている往生際の悪いクローに、エルシズがぴしゃりと告げた。

「あきらめるんだな。ジュノといい、ヴェルやトレスといい、優秀だが問題も多いヤツらがこの部屋に入り浸っているのは好都合だ。おまえには悪いが、監督をよろしく頼む」

「うう……」

 教え子たちにも、先輩と同僚にも頼まれてしまったクローは、結局泣き寝入りするしかなかった。


「ところで、『人見の鏡』でヴェルやトレスのことは見てみたのか?」

 エルシズが急に話題を変えた。

 進路指導室は本来、「本当に指導が必要な学生にしか、その扉は開かれることはない」はずだ。しかしこのところ、ジュノたちは毎日のようにガラガラとドアを開けている。

 エルシズは、部屋を守る魔術の効力が切れてしまったのではないかと半ば疑っているのだが、ヴェルやトレスが指導の必要な学生であるならば、「人見の鏡」に映し出される彼らの未来は気にかかる。


「ええ、見ましたよ。ヴェルさんは、この国の宮廷魔術師兼、諫大夫(かんたいふ)。トレスくんは、衛尉(えいい)にまで出世します」

 諫大夫とは、国王に過ちがあれば、己の命を賭して諫める職務だ。国王や皇帝が独裁的な権力を持つ専制国家において、ある意味で最も重要とも言える役割をもつ官職である。

 衛尉とは、宮廷内の警護を担当する、いわゆる近衛隊長のことだ。

 言われてみれば、歯に衣着せず悪いことは悪いとはっきり言えるヴェルと、真面目で目上の者に忠実なトレス。それぞれの人柄に似合いの未来とも思われる。


 それには納得しつつも、エルシズには、いくつか腑に落ちないことがあった。

「ヴェルが宮廷魔術師?ジュノと二人でってなると、そんな前例があったか?それと、レルグといい、ヴェルにトレスといい、国王の側近くに仕える役職が多いのはなんでだろう」

 エルシズは不思議そうに首をかしげたのだが、クローは、「さあ、なんででしょうね」と笑っただけだった。


◇◇◇


「クロー教官は、どうしてこの部屋から出ることができないんですか?」


 新入部員のトレスが、新入部員なだけに、ジュノたちがずっと聞けずにいたことをあっさりと口にした。

 彼はまだ、この部屋に出入りするようになってから日が浅いが、すっかりクローの信奉者になっている。歴戦の冒険者であった彼から、様々な冒険談を聞かされ、その深く幅広い知識に触れて、深い尊敬の念を抱いたからだ。

 それに、彼もまた、三人の友と過ごすこの雑然とした部屋の雰囲気を気に入っていた。


 トレスが尋ねたのは、ジュノも、レルグも、ヴェルも、かねてから知りたいと思っていたことだった。だが、ジュノとヴェルは純語魔術の講義で忙しかったし、レルグはそれを邪魔してはいけないと気を付けていたので、そのうち聞けばいいやとついつい先送りになっていたのである。


「……まあ、たいした話じゃありませんよ」

 あいまいに微笑んだクローだったが、それで気を使って矛を収めるような殊勝な面々ではない。矛先はちょっと変えたものの、別の質問を次々に浴びせてきた。


「じゃあクロー教官、教官はこの部屋にずっと籠っていて、食事はどうされてるんですか」

 レルグが尋ねる。

「食材は教官たちがドアの前まで届けてくれるので、『念動(テレキネシス)』の魔術で動かして運び、この部屋の中で調理しています」


「クロー先生、トイレは?」

 デリカシーのないジュノがデリカシーのないことを尋ねたが、これはヴェルにぴしゃりと言われてしまった。

「あんた、デリカシーないわね。クローセンセは、トイレなんてしないのよ!」

 実際には、古代魔術王国時代の遺物を使って用を済ませているのだが、「魔法のトイレがあるので大丈夫です」などとというのもカッコ悪い。クローは、「そうそう。ぼくはオナラもしませんよ」などと、ヴェルに乗っかって冗談にまぎらわせようとした。

 しかし、その後もジュノたちにあれやこれや進路指導室の引きこもりライフについて尋ねられ、だんだん鬱陶しくなってきた彼は、ついにその理由の一端を白状してしまった。


「……実はぼく、あるモンスターの『呪厄(カース)』の魔法に捕らわれて、この部屋から出ようとしたり、魔法を解いたりしようとすると、激痛に襲われる呪いを受けたのです。手の一本を出すだけでも、全身が引き裂かれるように痛むんですよ」


 それは、一同がまったく予想していなかった答えだった。

 驚いた彼らは、いったいどんなモンスターと戦ったんだとか、なんでそんな呪いを受けたんだと前にも増してクローを問い詰めたのだが、彼はあいまいに笑ったまま、ついに答えなかった。

 

◇◇◇


「……それで、オレのところに来たのか」


 わざとらしく、大きなため息をついたのはエルシズだった。

 結局、クローが全然教えてくれなかったので、進路指導室を後にしたジュノたち四人は、そのまま行動系魔術教官室のドアを叩いたのである。


「教えてください、エルシズ先生。クロー先生の受けた『呪い』って、いったいなんなんですか?」

 ジュノが尋ねたが、やはりというか、エルシズは答えてくれなかった。

「アイツが自分で言わないことを、オレが言うわけにはいかない。帰れ」

 取り付く島もなくそう言うと、エルシズはくるりと椅子を回転させて、彼らに背を向けた。


 その背中から立ち上る、「この話は終わりだ、聞くな」という強い圧に、四人はぐっと言葉に詰まった。だけど、このまま引き下がるわけにはいかない。

「お願いです、エルシズセンセ。わたしたち、クローセンセの力になりたいんです」

 エルシズの背中を見つめながら、ヴェルが懇願した。常にいたずらそうな笑みをその顔に浮かべている彼女も、今はいつにない真剣な眼差しである。

「私も、あの部屋と、あの部屋にいるクロー教官は好きなんですけど、やっぱりクロー教官には教壇に立っていただきたいです」

「クロー教官の教えを、オレたちだけが独占しているのはもったいないです。もっとたくさんの学生が、その教えを受けるべきです」

 レルグもトレスも口々に訴えるが、エルシズは背を向けたまま、黙ったままだ。


 沈黙の時間がしばらく続いたが、ついにジュノが、いらだったようにエルシズの背に言葉を投げつけた。

「……わかりました、もういいです。それじゃ、オレたちが、『解魔(リムーブ・フォーナ)』の魔術でクロー先生の呪いを解きます。オレとヴェル、二人の魔力を合わせれば、できるかもしれません」

 そう吐き捨てて、教官室を出ようとジュノがドアに手をかけたとき。


 エルシズは彼に背を向けたまま、静かに一言、「縛鎖」と「純粋なる言葉」をつぶやいた。


 その瞬間、ジュノの体は硬直し、指の一本も動かすことができなくなった。

 喉も、肺までも締め付けられるようで、ヒューヒューと喘ぐように呼吸することしかできない。決闘のときにジュノがトレスにかけた「縛鎖」は、体の内部まで締め付けるほどの強い威力をもったものではなかったが、これは桁違いであった。

 純語魔術は、強力な魔術になればなるほど、長い呪文の詠唱と複雑な魔術陣の構築を必要とする。しかし驚いたことに、エルシズは無詠唱で、魔術の天才と衆目の一致するジュノを完璧にその魔力の下に捕らえたのである。


「おい、小僧。天才だかなんだか知らんが、あまり調子に乗るなよ」

 そう言いつつ、ゆらりと立ち上がったエルシズの鬼気迫る迫力に、レルグたち三人まで思わず後ずさってしまった。


「無詠唱の『縛鎖』にまったく抵抗もできなかったくせに、なにが呪いを解くだ。おまえらごときにできるくらいなら、オレたちがとっくにやっている。いいか。オレも、フィアリス先輩とアイツ自身、三人の魔力を合わせて『解魔』を試みたことがある。その結果はどうだ。アイツを死の一歩手前に至る苦痛に追いやっただけだった」


 自らの無力を嘆くかのように、エルシズは小さくため息をついた。それとともに、ジュノを縛っていた魔術の力が解ける。崩れ落ちるようにぺたりと地面に座り込んだジュノは、ようやく、荒い息を吐き出した。


 エルシズの話を聞かされた四人は、絶句した。

 エルシズ、フィアリス、そしてクロー。この三人の魔力を合わせてもダメなら、クローの呪いを解くことができる者など、この大陸にはいないのではないか。


「……おまえたちが二度とバカなことを言い出さないように、特別に聞かせてやる。座れ」

 あきらめたようにそう言うと、エルシズは四人にスツールを指し示した。ようやく立ち上がったジュノも、息を整えつつ、それに腰を下ろす。


「あれは、二年あまり前のことだ……」

 記憶を手繰るように眼を閉じると、エルシズは、静かに語りだした。


◇◇◇


 二年あまり前、三月の終わりのこと。

 クローとエルシズはたった二人、大陸の北外れの山奥にある、とある古城を訪れていた。

 その城ははるか昔に滅んだ小さな国のもので、今はもう廃墟になっている。北国のことゆえ、三月といっても城はまだ深い雪に閉ざされ、その鉄の城門も凍り付き、訪れる人を厳しく拒絶していた。

 彼らが、人里を遠く離れたその城を訪れたのは、クローが専攻する遺失魔術の研究のための、魔導書や巻物を探してのことではない。その城のどこかに眠っているという、ある秘薬を求めてのことだった


 凍り付いた城門を押し開き、古城の探索を開始した彼らだったが、すぐに、その城に巣くう恐るべきモンスターに行く手を阻まれた。

 不埒な侵入者を排除するべく襲ってきた敵と、二人は激しく戦った。敵は強力だったが、クローとエルシズも負けてはいない。広い城内を舞台に、二人は時に逃げる敵を追いかけ、時には敵の襲撃から身を隠しながら束の間の眠りに落ちる、そんな三日三晩にも及ぶ長い長い戦いを繰り広げた。


 共に満身創痍になりながらも、二人がついに敵を追い詰め、止めを刺そうとしたとき。

 ほんのわずかな油断から、敵の逆襲を受けたエルシズは重傷を負った。自らが作った血溜まりの中に倒れ伏して、一歩も動けなくなってしまった。


 眼前に迫る敵に、彼が死を覚悟したそのとき。

 クローが残る数少ない魔力を振るい、「転移(ゲート)」の魔術で、生きて還るべきこの学院へとエルシズを飛ばした。敵と追いつ追われつする中で見つけた、目的の秘薬をエルシズの手に握らせながら。


 すぐにエルシズを見つけた学院の教官たちが、力を合わせて強力な回復魔法を施してくれたので、彼は一命を取り留めた。だが、古城に一人残ったクローがどうなったのか、身動きの取れない病床で、彼はただそれだけを案じていた。


 そして三日が経ち、ようやく魔力だけでも回復したエルシズは、自身の転移の魔術で古城に戻った。どうしても共に行くと言って聞かなかった、フィアリスとともに。

 そして、彼らがそこで目にしたのは、敵と相討ちになったようにして血と泥濘の中に横たわるクローの姿だった。彼らがクローの元に駆け寄った時、恐るべきその敵は、灰になってかき消すように消えた。


 慌ててフィアリスがクローを抱き起こしたが、かろうじてまだ息があるようだった。

再びエルシズが転移の魔術を唱えて、三人は学院に戻った。クローもまた、教官たちの回復魔法により、危ういところではあったがその命を拾ったのだという。


 そこで一度言葉を切ったエルシズは、四人に問いかけた。

「オレたち二人が戦い、アイツが、最後にはアイツが一人で仕留めたモンスターが、なんだかわかるか?……『真祖』、だよ」


 四人は、息を呑んだ。

「真祖」とはいわゆる吸血鬼のことだが、ただの吸血鬼ではない。吸血鬼に血を吸われたがために吸血鬼になった下位吸血鬼レッサー・ヴァンパイアではなく、闇呪魔法最高峰の秘術によって自ら吸血鬼と化した者で、最大最強クラスのモンスターである。

 ジュノたち四人は、むろん真祖のことをよく知る由もなかったが、文献などで見る限り、その強さは竜や魔神に匹敵するほどである。一方で、文献に登場する数自体が少なく、ほとんど伝説と言っていいような存在であった。


 その、伝説の存在と戦った男の一人が、目の前にいる。

 エルシズが嘘や冗談が嫌いであることは、四人だけでなくこの学院の学生全員が知っていたから、その言葉を疑うことはまったくなかった。


「すげえ……」

 ジュノは、戦慄した。

 彼はもちろん、その師が「大陸一の大魔術師」と言われるのに不足のない力量を持つことを知っていた。が、まさか、真祖と戦い、それに打ち勝つほどだとは思ってもみなかった。

 しかも、最後にはとはいえ、一対一(タイマン)で。

 感動にうち震えつつ、ジュノはこのとき、ひとつの決意を新たにした。


「センセたちが探し求めていたその秘薬って、なんだったんですか?」

「古代魔術王国時代に開発された、どんな病気でもたちどころに癒す魔法の薬だ」

 尋ねたヴェルに、エルシズは答えてくれた。彼は、そのときすでに死の床についていた、彼にとって自分の命よりも大切なある人物のために、その薬を必要としていたのだ。

 実は、秘薬を求めて古城に赴こうとする彼らを、先輩であるフィアリスは危険だと止めようとしたのである。だが、彼らが救うべき命は旦夕に迫っていたので、命懸けの旅になることを覚悟の上で、彼女の白い手を振り切って旅路についたのだった。


 そして、彼らが命を賭して挑んだ闘いは、ついに報われた。クローがエルシズの手に握らせた秘薬の効果により、ギリギリのところで、一人の命が救われたのである。

 エルシズはもちろん、クローも心から喜んだのだが、残念ながら、話はここでハッピーエンドにはならなかった。


 長い療養の末にようやくクローの傷も癒え、教官としての業務にも復帰した後のこと。

 ある日、彼が担当業務の資料を求めて進路指導室に入室したそのとき。

 彼が打ち倒した真祖が、消えゆく命の中で施していた闇呪魔法「呪厄」が、にわかに発動したのだ。


 それはおそらく真祖が、自分を打ち倒した憎むべき敵を、彼の城から逃さぬ目的で、「未来永劫、ここから出ること能わず」といったような内容で施したものだったのだろう。

 しかし、真祖も今わの際でのことで、魔法を正しく構築できなかったに違いない。そのため発動が遅れ、クローがたまたま進路指導室に入ったときに発動してしまったと思われる。


 だが、真祖が深い怨念を込めて施したものだっただけに、その呪いは強烈だった。

先にエルシズが言ったように、彼ら三人が昏倒寸前まで込めた魔力を合わせても、呪いを解くことはできなかった。かえってクローが激しい苦痛により死の一歩手前まで追い込まれたため、ひとまず、「解魔」の魔術で呪いを解くことはあきらめたのだという。


 そして、望まずして進路指導室から出られなくなってしまったクローのために、家具や生活用品を運び込み、以来、彼はそこで暮らすようになったのだそうだ。

 クローは大魔術師であるから、自らの暮らしを助ける様々な魔術が使えたし、彼が遺失魔術を探求する中で収集してきた、古代魔術王国時代の人々の生活を支えた道具――魔法のトイレをはじめ――もたくさんあった。だから、不自由ではあっても、生活をするのには困らなかったのである。


 学院もまた、大陸一の大魔術師であり、学院に多大な貢献をしてきたクローを見捨てず、「進路指導担当教官」の肩書を与え、その暮らしを保証してきたのである。

 もっとも、クローが今までに見つけてきた古代魔術王国時代の遺物は、学院に寄贈したもの以外にも山のようにあった。それらを売りさえすれば瞬く間に大金持ちになるので、暮らしに困ることなどまったくないのだが。


 一方、この二年間というもの、エルシズもフィアリスも八方手を尽くして彼の呪いを解く方法を探しているのだが、それはまだ見つけられずにいるのである。


「……というわけだ。真祖の呪いは強力で、下手に解こうとすればクローは死ぬし、おまえたちにもどんな反動があるかわからない。だからいいか、余計なことはするな」

 そう言って彼は、念を押すように四人の眼を見回したが、エルシズの長い長い話は、これだけでは終わらなかった。


「そうそう、もう一つ。おまえたちが知らずして余計なことを言わないように、あらかじめ言っておくぞ……アイツの右眼、ほとんど見えていないからな」

「――!!!」

 彼の大切な人の命を救うために、自分の命を彼に預けてくれた。

 それゆえに光を失ってしまった親友の秘密を、エルシズは悲痛な面持ちで明かした。


◇◇◇


 聞き終えた四人は、しばらく無言であった。

 あの優しいクローが、いつも浮かべている穏やかな微笑みの下で、そんな苦悩を抱えていたとは。そして、あの汚い部屋に、そんな秘密があったとは!


 呆然とするヴェルの頬を、一筋の涙がこぼれ落ちた。レルグもトレスも、熱くなる目頭をそっと押さえている。

 やがて、碧い眼を真っ赤に腫らしたジュノが、ついに沈黙を破った。


「……わかりました、エルシズ先生。オレ、無茶はしません。でも……」

 彼は、涙の溜まったその眼に強い光を込め、エルシズの眼を正面から見つめて、言葉を続けた。

「あきらめません。オレ、いつか絶対、クロー先生の呪いを解いてみせます。だってオレは、クロー先生の一番弟子だから」


 大陸一の大魔術師に師事したい――ただそれだけの目的で、このローウェル魔法学院に入学した彼だったが、その願いは、確かにかなえられた。彼の師は、おそらくは現代でただ一人の、真祖をも倒した正真正銘の大魔術師なのだから。

 そして、願いのかなったジュノの次なる願いは、今日このとき、彼自身が大陸一の大魔術師になることに変わった。

 そのためにも、クローにはあの部屋から出てきてもらわなくてはならない。ジュノが魔法戦闘で打ち倒すその時まで、前に立ちはだかってくれなくては困るのである。


 ヴェルが、ジュノの決意に続いた。

「わたしもです。わたしも、クローセンセの一番弟子です。わたしだけではダメでも、三人のセンセ、そしてジュノくん、五人で力を合わせれば、クローセンセの呪いも解けるかもしれません。そのためにわたし、皆さんに負けないような魔術師に、きっとなってみせます」

 レルグもトレスも、専攻は違えど同じクローに教えを受けている身として、恥ずかしくない精霊使い、神官になることを誓った。そして、その力を活かして、時にクローの眼になり、手足になることを。


 不意に、エルシズは彼らに背を向けた。

 少年少女の、まばゆいばかりに純粋な想いを受け止めた彼も、目じりが震えるのを止められなかったからだ。無表情、不愛想で知られる鬼のエルシズ教官たるもの、小僧どもにそんな顔を見せるわけにはいかない。


「……ま、精進することだ。はたしてクローやオレがじいさんになるまでに、アイツの呪いを解くことができるか。それは、おまえたち次第ということかな」

 背を向けたまま、エルシズは最後にそう言うと、四人に退室するよう促した。

 本当に、じいさんになるまでアイツの呪いが解けなかったら、オレはフィアリス先輩に殺されるな……と背筋に寒いものを感じながら。


◇◇◇


「……エルシズにでも聞いたんですか」

 ようやく四人を追い返して質問攻めから解放され、一息ついたばかりだったのに。


 もう夜も遅いにも関わらず、また進路指導室に戻ってきた彼らの、泣き腫らしたような顔を見てクローは驚いたが、事情は察した。内心で、エルシズは存外、おしゃべりな男だったのだなと思いながら。

「はい。エルシズ教官が教えてくださいました」

 生真面目なトレスが、正直に告白した。

「まったく……。遅れて発動した呪いに捕らわれただなんて、カッコよくないので黙っていたんですが」

 そう言って、クローは苦笑いを浮かべた。


 しかし今の四人は、まともに彼の顔が見られない。その整った顔にハラリとかかる、輝くような金髪の下の、右眼のことを思えば。

「クロー先生。先生の呪いは、オレたちが必ず解きます。だから、待っていてください」

 一番弟子は、まだ少し涙のにじんだ真摯な瞳を、その師に向けた。


 それを受け止めたクローは、いつもの穏やかな微笑みに戻って、彼の頭にポンと手を置いた。自分と同じまばゆいばかりの金髪を、無言でクシャっとかき回す。

 それをうらやましそうに見ていたヴェルが、とんでもないことを言い出した。


「クローセンセ……わたし、今夜は帰りたくない。朝まで一緒にいても、いいですか?」

 さすがに、ジュノの頭に手を置いたまま、クローが凍りついた。

「ちょっとちょっと。ヴェルさん、誤解を招くようなことは言わないように!」

 彼はあわててたしなめたのだが、ジュノも、レルグもトレスもそれに続いた。


「オレも。今夜はこのきったない部屋で寝る。明日は休みだし」

「レルグ、悪いんだが、そのへん寝られるようにスペースを広げてくれないか」

「四人分の毛布とかあったかな?まあ、六月だから風邪ひくこともないか」

 いつものように、クローを無視して話を進め出した彼らに、クローはまた大きなため息をついた。


 この進路指導室から出られないのは、彼にとって確かに悩みだったが、今では、彼のため息を増やしているのはこの教え子たちの方だった。

 まったく、この優秀で、純粋で、将来が楽しみな、かわいい問題児どもときたら!


 そんなクローは不意に、どうでもいいことだが、一方でとても大事なことに気づいた。

 彼らが今夜この部屋に泊まって、一晩一緒にいるということは、バレてしまう。彼らに隠していた、古代魔術王国時代の魔法のトイレの存在が。

 いや、バレるのはいいのだが、彼も教え子たちも、お互いがいる中で用を足さねばならない。その非常に情けない事態を処理するために、どんな魔術を使って糊塗すればよいか。


 大陸一の大魔術師は今、その優秀な頭脳をフル回転させ始めたのだった。


◇◇◇


 翌朝。


 休日だというのに見回りのため学院を訪れなければならなかったエルシズは、周囲を窺いつつ、こそこそと玄関から出てきたジュノたち四人の姿に気づいた。むこうもすぐにエルシズに気づいて、「あ、やべっ!」といわんばかりの顔を見せた。

 事情を察したエルシズは別に怒らなかったが、嫌味たっぷりにこう言ってやった。


「そろって朝帰りか。いいご身分だな」

 真面目なレルグやトレスはそれでピーンと背筋を伸ばしたものだが、問題児のジュノやヴェルはというと、その程度で恐れ入るようなタマではない。


「クローセンセったら、激しくて、朝まで寝かせてもらえませんでした」

 また誤解されるようなことをヴェルが口にしたが、実際は、朝まで寝ずに魔術の講義を受けさせられたのであった。

 彼女とジュノが、「クローセンセの呪いを解くために、わたしたち必死で勉強します!」などと言ってしまったので、それまでさんざん手を焼かされてきたクローの逆襲を受けてしまったのである。


 その人を食った返答に呆れたエルシズだったが、さっさと帰って寝ろ、と四人を追い返すと、その足で進路指導室に向かった。いつものようにドアにもたれかかると、中から、眠そうな声で朝のあいさつが届いた。


「徹夜で教え子たちの面倒を見るとは、立派なものだな。教師の鑑だ」

「朝から嫌味を言いに来たんですか。だいたい、誰かさんがぺらぺらと秘密をしゃべってしまうから、こんなことになったんですけど」

 そう言いつつ、クローがふわぁ~っとめちゃくちゃ大きなあくびをしたので、エルシズは、クックッと肩を震わせて笑った。


「悪かったよ。だが、はっきり言ってやらなかったら、アイツらの生半可な魔術で、今ごろおまえは地獄の苦しみだったぜ」

「そうかもしれませんね」

 言われたクローは、肩をすくめてうなずいた。


 ところで、クローの秘密を四人に教えたエルシズだったが、一つだけ言わなかったことがある。 

 それはクローの眼のことについてで、実は、クローの右眼が見えなくなった理由は心因性のものであり、眼の機能自体は損なわれていないのだという。魔法で眼が見えるように回復させるという、この学院であれば当たり前の手段がとれないのはそのためだったが、エルシズは、呪いさえ解ければ眼も見えるようになるのではとの希望を捨てていなかった。


「それで、なんの用ですか。おしゃべりの罪を謝りにきただけじゃないんでしょう?」

 尋ねる声にわずかなトゲが混ざっていたので、今度はエルシズが肩をすくめた。

「おいおい、そんなに警戒するな。オレだって、いつもいつも厄介事を持ち込んでくるわけじゃない。実はな……うちの妹、今度結婚することになったんだ」

「へえ!」


 ドアの向こうでクローは驚いたが、次の瞬間には、まるで我が事のように喜色をその顔に受かべた。

「ヴィニちゃんが……それはおめでたいですね。本当によかった」

 かつて二人が救ったのは、不治の病に侵され、死の淵を彷徨っていたエルシズの妹だったのだ。彼らが命を賭して手に入れた秘薬のおかげで、彼女はすっかり元気を取り戻し、今では常人とまったく変らぬ生活を送っている。


 その慶事をクローは心からお祝いしたのだが、近々妹を送り出す兄の方は、なぜだか苦虫を噛み潰したような渋い顔をしている。

「めでたいもんか。相手が誰だと思っている。あの、テューン先輩だぞ!」


 エルシズの妹の結婚相手は、彼とクローがまだ学生だった時の、一年先輩だった。

その彼、テューン・クルーグは当時から優秀な魔術師だったが、おしゃれでスタイリッシュなのは良いとしても、軽くてキザで、女好きなナンパ男でもあった。兄としては、少々どころかだいぶ心配なのである。

 妹が彼とつきあっていることを知ったとき、エルシズは、「頼むから、あの人だけはやめてくれ」と懇願してしまったほどであった。


「なんでですか。ハンサムだし頭もいいし、先輩は今じゃ、新進気鋭の若手官僚として出世コースまっしぐらですよ。将来は宰相の器とも言われている。それでいて気取ったところもないし、女性には優しいしで、超優良物件でしょ」

 クローはそう言うのだが、寮で彼と同室だったこともあるエルシズは意見を異にしていた。テューンは確かに女性には優しいのだが、同性に対してはそんなことはない。


「おまえは先輩と同室になったことがないから、そんなことが言えるんだよ。昔、こんなことがあってな……」

 身振り手振りを交えて、エルシズは妹の結婚相手が、いかにとんでもない男か語り出した。


 今日は珍しくよくしゃべるなあ。

 そう思いつつ、あくびをこらえて彼の話に耳を傾けていたクローは、いつエルシズに「ヴィニちゃんが結婚したら、次はあなたの番ですね」と言ってやろうかと思っているのだが。

 タイミングを計りかねてしまい、たった二人で真祖をも打ち倒した、大陸一の大魔術師と大陸最強の魔術師のコンビは、いつまでもドア越しの昔話に花を咲かせたのだった。

【人物紹介】

ジュノ・エスカーズ : ローウェル魔法学院1年1組。「開学以来の天才」と呼ばれる魔術師ウィザードの卵。

レルグ・コールヴィッツ : ジュノのクラスメート。貴族の子弟で、精贈魔法を専攻している。

ヴェルレーヌ・ファル・ノルティア : 1年2組。「センスの天才」として知られる魔術師の美少女。

トレスデン・クリューガー : 1年2組。半エルフの少年で、キブラ女神に仕える神官クレリック

クローディス・サイクロー(クロー) : 進路指導担当教官。とある理由で、進路指導室から出ることができない。

エルシズ : 無表情、不愛想な行動系魔術担当教官。

フィアリス・アーストライト : 美人で優しい探知系魔術担当教官。クローとエルシズの学生時代の先輩。


【用語解説】

ローウェル魔法学院 : 大陸西部の古都ローウェルにある、大陸一の歴史と伝統を誇る学び舎。

純語魔術ピュアスペル : 「純粋なる言葉」で人々の内なる魔力を発揮する、古代から続く魔術。魔術師が操る。

精贈魔法エレメンタルギフト : 万物やあらゆる感情に宿る精霊の力を借りて行使する魔法。精霊使い(エレメンタラー)が操る。

神惠魔法ホーリーブレス : 神に祈りを捧げ、その恵みを受けて発揮される神官が用いる魔法。

人見の鏡 : 古代魔術王国時代の遺物。人間の未来を映し出す力を持っているが、未来は変わることもある。

遠見の水晶球 : 千里の距離を越えてその先を映し出す、古代魔術王国時代の遺物。声は聞こえない。

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