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チャプター3 トレスデン・クリューガーのなやみ

 数日後、昼休みの一年一組。


 昼食を売店で買ってきたパンで簡単に済ませたジュノとレルグは、まだ一か月以上も日があるにも関わらず、今から夏休みの予定を話し合っていた。

 二人は、クローがまだこの学院の一年生だった夏休みに、エルシズたちクラスメートと共に大陸の北の外れにある島を訪れ、ダンジョンを探索する冒険に挑んだことを聞かされていたのである。 自分たちもそういう有意義な経験がしたいと、どのように夏休みを過ごすか相談を始めたのだ。


 ところが、そんな穏やかな午後は、突然投げつけられた意外なもので破られた。

「いてっ!」

 ピチッ、とジュノとレルグの頬にそれぞれ当たって落ちたのは――白い、手袋だった。


 は――?

 さすがに事態が飲み込めず、固まってしまった二人を見下ろしていたのは、隣のクラス、つまり一年二組の学生だった。

 背は高くなく、体つきも華奢だが、やや黄色がかった瞳が印象的な、優美な顔立ちをしたなかなかの美少年である。セミロングの銀髪をオレンジのカチューシャでオールバックにまとめているが、その下の耳は、わずかに長い。

 少年は、二人に手袋を投げつけたその手を下ろすと、鼻息も荒くこう叫んだ。


「ジュノ・エスカーズ、レルグ・コールヴィッツ!決闘だ!!」


 は――?

 そう言われても、二人はまだ固まったままである。

 数瞬の後、忘我の時間がようやく過ぎ去ると、ジュノとレルグはそろって「おいおい!」と声を上げた。


「いきなりなんなんだよ!っていうか、おまえ、誰?」

 ジュノが尋ねる。レルグも、隣のクラスの学生であることくらいは顔を見てわかったが、名前までは知らなかった。

 つまり、彼は二人と同じ講義を受けたことはないということで、ジュノと同じ魔術師でも、レルグと同じ精霊使いでもない。


「二組のトレスデン・クリューガーだ。オレは今、ヴェルレーヌ・ファル・ノルティアの愛を賭けて、おまえたち二人に決闘を申込む!」


 は――?

 問われた少年は、声高くその名を名乗り、来訪の用件を告げた。

 告げたのだが、ジュノとレルグは何を言われたのかまったく意味が分からず、また固まってしまったのだった。


◇◇◇


「ヴェル、ヴェルっ!」


 レルグとともに二組の教室に駆け込んでくるなり、彼女の名前を連呼したジュノの声に、ヴェルはめんどくさそうな顔で振り向いた。彼女だけでなく、教室中の全員が何事かと視線を送ってくる。

「なによ、うるさいわね。デートのお誘いなら、放課後にしてくれる?」

 その返答を聞いたジュノは、傍らのレルグと顔を見合わせると、互いにうなずいた。


「原因は、おまえのそういうところだな……!」

「だから、なんなのよ」

 そう聞き返したヴェルだったが、なんとなく事情を察した。

 二人の後ろから、自分のクラスに戻ってきたトレスデン――二組ではトレスと呼ばれている――の姿を見たからである。

 彼女の顔から、さーっと血の気が引いた。


「あ、まさか……」

 その表情を見た二人は、確信した。

「オレたち、急に決闘を申し込まれたんだけど!おまえ、心当たりあるよな!?」

「あー……うん、ゴメン」

 片眼をつぶり、両手を合わせて彼を拝んだヴェルの姿に、説明しろよ!とジュノが息巻いた。


 さすがに教室中が注目している中ではなんなので、ジュノ、レルグ、ヴェル、トレスの四人は、場所を変えることにした。そのときちょうど誰もいなかった、屋上に出る。

 ヴェルの説明するところによると、発端は昨日の夕方とのこと。放課後、学生寮に帰ろうと教室を出たところで、たまたまトレスと一緒になった彼女は、並んで帰ることにしたのだそうだ。


 その途中、彼女は突然、トレスに愛の告白をされたのだという。

 トレスは半エルフ、すなわちエルフ族の血を引いている。

 それゆえになかなかの美少年であったから、美形が好きなヴェルは嫌いではなかった。だが、彼女が好きなタイプは背が高い男性だったので、自分とさほど変わらない背丈の彼のことは、それまであまり意識したことがなかったのである。


 それにヴェルは、好きになられるより好きになりたいタイプだったし、今はまだ恋愛をするような気分でもなかった。

 彼女はそれをはっきりと告げたのだが、トレスはあきらめない。


 彼にあきらめさせようと、ヴェルはあの手この手を試みたのだが、彼がまったく聞く耳を持たないので、困った彼女はつい、こう言ってしまったのだそうだ。

「わたし、一組のジュノくんやレルグくんみたいなタイプが好きなの。彼らに勝てるような男になったら、考えるわ」と。


「……おまえなあ」

 ジュノが、大きなため息をついた。

「だから、ゴメンってば。あんたたちの名前を出せば、たいていの男の子はあきらめるんだけど……トレスくんは違ったみたい」

 実は、ヴェルが二人をダシにして男子学生の告白を断ったのはこれが初めてではなかったのだ。ジュノもレルグも知らないことだったが。


「そうだ、オレはあきらめないぞ。エスカーズ、コールヴィッツ、決闘だ!」

 トレスは、あらためてそう叫んだ。そして、わざわざ背負ってきた愛用の戦鎚(ウォーハンマー)を手に取って二人に突きつけたので、ヴェルが二人をダシにしていたことはうやむやになってしまった。


「いやいやいや!おい、クリューガー。今の、聞いてたか?」

「だから、全部ヴェルの口から出まかせなんだってば。私もジュノも、彼女とはなんにもない。ただの友達だ」

 ジュノもレルグもあわてて説明したが、トレスは聞き入れない。じゃあ、なんでいつも一緒にいるんだとか、放課後、三人でどこに消えていくんだとか言われて、まったく信じてもらえなかった。


 だが、あらためて言われてみれば、確かにちょっと怪しいかもしれない。

 それくらい、このところ三人は一緒にいる時間が長いのである。実際、一年生の間だけでなく学校中で、はたしてヴェルはジュノとレルグ、どちらと付き合っているのかとか、ジュノとレルグがヴェルを取り合っているのではないかなどと噂になっているくらいだった。 


 その原因の一つは、ヴェル自身がジュノとレルグをダシにして、他の男子の告白を断っていることにもあるのだが。

 その後も三人は、言葉を尽くしてトレスを説得しようとしたのだが、結局徒労に終わってしまった。とりあえず、決闘の受諾についてはまた後日返事する、と問題を先送りして、今日のところは彼にお引き取り願うことにしたのだった。


◇◇◇


 はあぁぁぁ~~~……


 ようやくトレスを追い返すことに成功した三人は、そろって特大級のため息をついた。

ここまで人の話を聞かないヤツがこの世にいようとは思わなかった、と、ジュノが呆れたようにつぶやいている。


「だから、あなたたちはなんで、ここに来るんですか」

 クローがうんざりしたような声で問いかけた。いつもぼくの話を聞かないあなたがそれを言うんですか、と心の中でジュノに文句を言いながら。


「いやあ……疲れたからクロー先生に癒してもらおうと思って」

 と、ジュノがまるでヴェルのようなことを言った。隣で、そのヴェル本人がうんうんと大きくうなずいている。

「あのね……」

 クローは抗議をしようとしたが、いつものようにレルグに遮られてしまった。さすがの彼も、困り顔である。


「で、どうする?彼、あきらめそうにないぞ」

「わたしがこんなこと言えた義理じゃないんだけど、決闘、してあげたら?この学院の魔法戦闘訓練のルールに則ってやるなら、そんなに危険もないでしょ」

 ヴェルが、二人に向かって手を合わせつつ、そう提案した。


 この部屋に出入りするようになってから、彼女も二度ほど、ジュノ、レルグと三人で旧校舎の「良からぬもの退治」に従事したことがあった。そこで、二人の高い戦闘力は目の前で見せつけられている。専攻が違うこともありトレスの実力はよくわからないが、二人のどちらが戦っても、負けるとはまったく思っていない。


 彼らが学ぶこの魔法学院では、当然ながら戦闘系の魔術魔法の講義もあるので、剣と魔法を使用しての戦闘訓練も行われる。

 そのための訓練室もあり、そこでは特殊な魔術によって、命の危険がない程度に剣と魔法のダメージが軽減されるのだ。イメージとしては、刀身が柔らかな膜で包まれたり、魔法が命中する瞬間に小さな逆噴射が起きたりして威力が減殺される感じである。

 もっとも、軽減されるとはいってもダメージがなくなるわけではないし、はからずもクリティカルヒットが起こってしまった場合などはかなりの怪我を負うこともある。だから、戦闘訓練室の隣には保健室があり、強力な回復魔法を使える養護教官が常駐している。


 その戦闘訓練室は、きちんと申請をすれば、講義外でも教官立会いの元で使用可能だ。

 実は、ローウェル魔法学院では、互いの名誉を賭けての決闘騒ぎは珍しいことではなかった。大陸中からエリートが集うので、貴族の出身であったり秀才であったりと、プライドの高い者も多いからだ。

 また、昔から、騎士というのは貴婦人の愛のために戦うものでもあるし、訓練室使用許可申請書の使用目的の欄には、「愛または名誉を賭けての決闘」と、選択肢の一つにはっきりと示されているくらいである。

 教官たちにしてみれば、自分たちの目が届かない所で決闘されるよりも、戦闘訓練室を使ってもらった方が安心だからだ。


 ヴェルは、レルグはともかくジュノが決闘を断ることはないと思っていたのだが、意外にも、彼ははっきりと拒絶した。

「……やりたくねえ」

「なんでよ。あんた、戦うの好きでしょ」

「あのな。オレだって、理由なく戦ったりしねえよ。いいかヴェル。クリューガー、アイツはつまり、このオレと戦ってでも、おまえを手に入れたいってことだよな」


 ジュノが突然真剣な眼差しで語り出したので、ヴェルはびっくりした。だが、いつものように茶化したりはせず、自分も表情を引き締めると、黙ってその言葉を待った。

「アイツは本気だ。それは、オレにもわかる。だからこそなんだが、オレは戦えない」

 そこで、ジュノは一度言葉を切った。


「オレが、本当に、心の底からおまえを好きなら……。おまえを賭けて、アイツと戦うさ。でも、そうでもないのに戦ったら、アイツの本気に申し訳ないだろ」

 ジュノの言うことはもっともである。

「うん……ゴメン」

 自分の無責任な言動のせいで、トレスにも、ジュノにもレルグにも迷惑をかけてしまったことをあらためて思い知らされて、ヴェルは恥じ入った。いつものいたずらな笑みはその顔からすっかり影を潜め、かえってジュノとレルグの方が恐縮してしまうくらい、落ち込んでしまった。


「へえ、ジュノ、きみがそんなことを言うなんて、意外だな」

 暗い雰囲気になってしまったので、あえて、レルグが茶化すように口を挟んだ。

 ジュノは、肩をすくめつつ、また意外な返事をした。

「……オレ、実は、アイツがうらやましいのかもしれないな。決闘してでも手に入れたいほど、誰かを好きになりたいのかもしれない」

「へえ、ジュノ、きみがそんなことを言うなんて、意外だな!」

 女の子に興味がないとばかり思っていたジュノからそんな言葉が返ってきたので、レルグは驚きのあまり、さきほどと一言一句変わらない台詞を口にしてしまった。


「以前、おまえに聞かれたときに答えたろ。『オレにふさわしい女がいるか?』って。オレも、ほしいのかもな。夢中になれるような(ひと)が」

 覚えていたのか、とレルグは心の中でまた少し驚いたが、黙ってうなずいた。オレも、そんな女性がいるなら出会いたいもんだ、と思いながら。


「だったらいっそ、ジュノくんとヴェルさんで付き合ってるフリでもしたらどうですか。クリューガーくんも、はっきりそう言われればあきらめざるを得ないでしょうし、あなたたちが、それでお互いに本気になっちゃうこともないんでしょう?」

 クローは、「人見の鏡」を通してジュノの未来を知っているがゆえに、あくまで冗談のつもりでそう言ってみた。ところが、はからずもジュノとヴェルが黙り込んでしまったので、びっくりしてしまった。


「……え、あれ?ないわけでも、ないんですか……?」

 ジュノとヴェルは黙って視線を交わしていたが、ややあって、ジュノが口を開いた。

「うーん……本人の前で恥ずかしいですが、正直に言うと、絶対にない、とは言えないです。ヴェルは確かにかわいいし、魔術の才能もある。頭がいいから話をしてても楽しいですし、現状、この学院で一番好きな女は誰か、と聞かれたら、ヴェルって答えるかもしれない」


 正直とか、素直とか、率直とかいうより、彼の場合はデリカシーがないだけなのかもしれない が、ジュノは、はっきりとそう口にした。ヴェルも、そうしたジュノの、欠点と隣り合わせではあってもけっして裏表がないところは好ましく思っている。ニコリと微笑んで、その言葉を受け止めた。


「ありがと。面と向かって言われるとテレるけど、わたしも、あんたのこと好きよ。でも、あんたの言いたいことはわかるわ。たぶん、わたしも同じだから」

 そこで一度言葉を切ったヴェルだったが、少し宙を睨みつつ言葉を選んだ後。ジュノの眼を正面から見据えて、こう続けた。

「要するに、あんた、わたしのこと、タイプじゃないでしょ」

 ジュノは、我が意を得たりとばかりに、大きくうなずいた。やっぱり、彼と彼女は、お互いによく似ているのである。


「うん、そうなんだ……オレ、自分がどういう女が好きなのか、自分でもまだよくわからないけど、たぶん、おまえはオレの好きなタイプとはちょっと違うんだと思う。でも、なんていうかな……こういう時、小説とかなら、『十年たって、お互い、本当に好きな人に出会えなかったら、結婚しよう』なんて言うのかもしれないな」

「それだ!」


 いきなりヴェルが叫んだので、周りを囲む三人は驚いた。

「あんたに初対面でいきなり『かわいい』なんて言われてから、それ以来ずっと感じていたモヤモヤが、今、言語化された気がするわ。それよ。あんたって、わたしのタイプとも違うんだけど、かといって、完全に切ってしまうにはもったいなさすぎるのよね。あんたもあたしも、おたがいにスペックなら最高だから」

 それはあまりにも正直過ぎる述懐だったが、彼女は、いかにも「すっきりした!」というような顔でジュノの手をとった。上下に強く、ブンブンと振る。


「そうか、そうよね。あんたのことは、いざというときの保険でキープしておけばいいんだわ。あんたも、わたしを滑り止めにできるなんて、こんなに贅沢なことはないわよね」

 すっきりした勢いのあまり、ヴェルは、なんだかいろいろなモノを飛び越えてしまったようだった。


「あんたもそのつもりなら、十年たって、お互い、本当に好きな人に出会えなかったら結婚しましょう。それまでに、どちらかに本当に好きな人ができたら、ナシでいいから」

 一方的にそうまくしたてられたジュノは、事の重大さをイマイチ認識できていないようだ。反対もせず、ヴェルに手を取られたままでいたので、当事者二人も含めて全員がなんだかよくわからないうちに、婚約めいたものが成立してしまったらしい。


 話がまったく想像もつかない着地点を迎えてしまったので、四人は四人ともしばらくの間ぼーっとしてしまったのだが、ややあって、レルグがもともとの話の経緯を思い出した。

「おい、ジュノ。てことはきみ、クリューガーと決闘してやらなければならない理由が、できちゃったんじゃないのか」

「あ……」


◇◇◇


 よくよく考えた上で、ジュノは結局、トレスの決闘の申込を受けることにした。

 彼自身がそう言ったように、本気でトレスと戦えるのかと言われると、疑問符がつく。

しかし、話の流れでなんとなくではあったが、彼はヴェルと婚約めいたものをしてしまったようなのだ。男としては、自分の言動とそれで引き起こされた事態に責任はとらなければならない。


 もちろん、本当にイヤなら、「ゴメン、その話、やっぱりナシで」とヴェルに言えばいいだけなのだが、ジュノは、なんでだろうかそれも嫌だった。ヴェル本人が言ったように、確かに彼女は、「切ってしまうにはもったいなさすぎる」相手なのかもしれない。

 それに、あまり女の子に興味がないとはいえ、彼も一人の男である。「かわいい女の子を賭けて戦う」というシチュエーションには、燃えるものがある年頃でもあった。

 そしてなにより、彼は戦うのが好きなのである。まだ入学して二か月ばかりの一年生では、誰も魔法戦闘訓練をやったことがない。その第一号になる機会というのには、抗いがたい魅力があった。


 そこで彼は、翌日、トレスのもとを訪れて決闘の受諾を告げた。そしてその足で、教官室に戦闘訓練室の使用許可願を出しに向かった。

 受け取ったフィアリスには根掘り葉掘り事情を尋ねられたが、申請書には確かにクローの同意のサインがある。彼女は危険なことはしないように――決闘するというのに、無茶な注文ではあるが――とさんざん注意をした後ではあったが、最終的には承認してくれた。


 そして数日後、決闘当日。


 戦闘訓練室には、一年生を中心に多数の観客が集まっていた。絶好の決闘日和……なのかどうかはわからないが、うららかな六月中旬の午後、放課後のことである。


 観客がたくさんいるのは、もともとトレスがジュノとレルグのところに駆け込んで、「決闘だ!」と大騒ぎしたことが、その日のうちに学院中に知れ渡ったからである。学校中の女子に人気のジュノが、学校中の男子に人気のヴェルを賭けて戦うという、非常に注目度の高いイベントであるからだった。

 観客は女子も男子も、その大部分がトレスの勝利を願っている。それはジュノをヴェルに、ヴェルをジュノに取られたくないからだったが、女子はジュノが負けるところは見たくなかった。男子も、トレスが勝てば、今度はトレスにヴェルを取られてしまうかもしれない。

 どちらが勝つにせよ負けるにせよ、なにかと複雑な気持ちになりそうではあった。


 あまりにも観客が増えて大事になってしまったので、立会人のフィアリスだけでなく、安全管理のため、エルシズを始めとする他の教官たちまで見に来ている。入学してわずか二か月の一年生が、どこまで戦えるかというのは、教師として気になることでもあった。


 この日、トレスは鎖鎧(チェインメイル)を身にまとい、戦槌をその背に負っている。ジュノはといえばいつもの洋刀に軟皮鎧だが、相手の武器が戦槌であることを考慮し、副武器として腰に護拳付短剣(マンゴーシュ)を刺していた。


 トレスは、炎と鍛冶を司る女神キブラに仕える神官戦士(クレリック)である。

エルフ族の母親を持つ半エルフの彼だが、育ったのは父親が司祭を務めるキブラ女神の神殿であるため、エルフが得意とする精贈魔法は全く使えない。エルフの血を引くと言えば誰もが精霊使いをイメージするこの世界で、特に炎と鍛冶のキブラ女神というのはそのイメージの対極に位置していたから、彼がその神官であると聞いた全員が全員とも驚くのであった。


 これはレルグがトレスに尋ねてわかったことだが、彼がヴェルを好きになった理由も、その生い立ちと関係している。

 トレスは幼いころから、半エルフながら精贈魔法を使えず、しかもキブラ女神の神官であるという、世間一般のイメージとのギャップをなにかにつけてからかわれてきたのだった。そして、魔法使いばかりのこの学院では、それが顕著であった。


 さらに、トレスには一本気で生真面目なところがある。思い込みでジュノに決闘を挑んだことからもわかるように、人付き合いで誤解を生みやすいところがあったので、クラスメートたちが彼のことをネタにしてあげつらい、盛り上がるようなことも多かったのだそうだ。

 つまり、陰口やイジメの標的になりやすいのである。


 ある日、彼がいないときに、クラスメートがまた同じような話を始めたことがあった。それを聞くともなしに聞いていたヴェルが、ぴしゃりとやり込めたことがあったという。

「あんたたち、気分悪いわよ。言いたいことがあるなら、本人に直接言えばいいでしょ。それに、トレスくんが精贈魔法を使えないのは彼に才能がないからじゃないし、神官としての実力だって充分にあるじゃない。だいたいあんたたち、トレスくんに勝てるようになってから偉そうなこといいなさいよ」と、一息にまくしたてて。


 それを、トレス――半エルフなので耳が良い――がたまたま、教室の外で耳にしたのだそうだ。

 それ以来、彼はヴェルのことを意識するようになったのだ。

 そのつもりで彼女のことを見ていると、けっして人の陰口を叩かず、悪いことは悪いと、きちんと言えるさっぱりしたところや、いたずらそうな笑みの下に隠された優しさが目につくようになり、どんどん彼女に惹かれていったのだそうだ。生真面目なトレスは、その当時まだ彼女が授業をサボりがちだったところだけは不満に思っていたのだが。


 そして、極めつけだったことがある。

 ヴェルの心の強さと正直なところはもちろん彼女の美点だが、一方で、それゆえに敵を作りやすいところがあった。しかもヴェルは、ジュノとレルグという学校中の女子に人気のある二人と仲がいいので、嫉妬と羨望もあって、彼女自身、女子たちから陰口をたたかれる身だったのだ。

 だから彼女は、トレスに対する陰口を放っておくことができなかったのである。


 だが、いかに彼女が強いとはいえ、ブスだの生意気だの、身の程知らずだのと悪口を言われてまったく気にしないほど無神経ではない。

 ある日トレスは、自分への陰口を耳にした彼女が、人知れず涙をその眼に浮かべているところを、偶然目撃してしまったのである。胸が締め付けられるような気持ちになった彼は、そのとき、はっきりと恋心を自覚したのだった。


 だから、トレスはこの決闘に本気だった。

 もちろん、この決闘に勝ったからといって、ヴェルが自分のことを好きになってくれるとまで都合よくは考えていない。いないが、一年最強と噂の高いジュノに勝つことで、彼は自分がヴェルにふさわしい男であることを、彼女にも自分自身にも証明したかったのだ。

 ジュノに勝つ。そして、いつか彼女を振り向かせてみせる――キブラ女神に戦いの加護を祈りつつ、トレスは今、静かに闘志を高めていた。


 一方のジュノはというと、婚約うんぬんを抜きにしても、よくよく考えてみれば、彼女はジュノの大切な友人である。彼女にふさわしくない男に、むざむざと委ねるつもりはない。

 なのでジュノも、今では彼なりに全力を出して戦うつもりでいる。それは彼自身が言ったように、本気のトレスに対する最低限の礼儀であった。そして、教官たちも含めてこれだけの観客の前で無様な戦いを見せれば、彼の沽券に関わるのだ。


 それに、彼がトレスとの決闘を受けた理由の一つは、彼が神官戦士だからということもある。ジュノは、精霊使いのレルグとは訓練のために手合わせをしたことがあったが、神官戦士とは戦った経験がないのだった。

 やっぱり、彼は戦うことが好きなのである。


◇◇◇


 ついに、その時が来た。


 ジュノとトレス、二人が戦闘訓練室の中央に歩み寄る。それまでザワザワと騒がしかった観客が、水を打ったようにシーンと静まり返った。ゴクリ、と誰かが生唾を飲み込んだ音すら聞こえてきたほどだ。

 戦闘訓練室を囲む、円形の胸壁の向こうでは、本日の決闘の立会人を務めるフィアリスに並んで、ヴェルが二人を見つめている。決闘の原因となっただけに、さすがに心配そうな顔だった。その後ろには、寄り添うようにレルグが控えていた。


「本気でかかってこい、エスカーズ」

 背中の戦槌に手を伸ばしつつ、トレスが声をかけた。

「ああ」

 ジュノは、戦いを前にベラベラしゃべるようなタイプではなかった。短くそう答えると、スラリと洋刀を鞘から抜いた。


 その動作はごく自然で、けっして大仰なものではなかったが、気づいた一部の者は息を呑んだ。

エルシズやフィアリスのように実戦の経験が豊富な者からしてみれば、ジュノはすでに、歴戦の冒険者や騎士のような迫力を身に着けていたからである。二人とも、ジュノがひそかに旧校舎の「良からぬもの退治」に従事していることを知っているので、その理由には納得したが。

「あの人ったら、いったいどれだけジュノくんに危険なことをさせているのかしら……」

教え子を心配するあまり、心の中で「あの人」に文句を言ったフィアリスだった。


 ジュノの迫力に、対峙したトレスも一瞬、内心で気圧されてしまった。

だが、それを顔には出さず戦槌を構える。彼がヴェルを想う気持ちは本物だったから、それで勇気を奮い起こして。


 ローウェル魔法学院の魔法戦闘訓練は一般的に、一ラウンド十秒の計三十六ラウンド、すなわち六分間で実施される。今日の決闘もそれに倣って行われることになっていた。

 立会人のフィアリスが立ち上がり、戦いの開始を告げる鐘を叩いた。


「りゃあぁぁぁっ!!」

 次の瞬間、相手を威圧するための雄叫びを上げたトレスが、同時に地面を蹴った。この戦闘訓練室は天井がドーム状になった屋内だが、床は土の地面がむき出しになっている。彼が駆け抜けた後には、土ぼこりが巻き起こった。


 トレスが高々と振りかぶった戦槌は、打撃部分が二つに分かれている。片方はその名の通り叩き潰すためのハンマーに、もう片方は突き刺すこともできるピック状になった武器だ。柄が長いので、振り回すことでその威力が高まる。


「とあーっ!!」

 裂帛の気合とともに、戦槌を振り下ろす。


 冷静に相手の動きを観察していたジュノは、その初撃をなんなくかわした。

 しかし、反撃をする隙まではなかった。ジュノの予想を越える俊敏さで、トレスが戦槌を振り回し、第二撃を繰り出してきたからである。


 ギン!と音をたてて、ジュノの洋刀が戦槌を受け止めたが、細身の洋刀では重量のある戦槌の勢いを殺すことはできない。トレスは、種族的に華奢なエルフ族の血を引くがゆえに、その筋力はさほどではなかったから、ジュノはかろうじてその攻撃を逸らすことができた。

 だが、それでも受け止めた衝撃で、彼の右手はすっかり痺れてしまった。

 ジュノに逸らされて、ドンッと地面を叩いた戦槌から土煙が舞い上がる。体格の良い男性やドワーフ族が振るう戦槌であったら、ジュノの洋刀は叩き折られていたかもしれない。


 トレスが攻撃を再開する前に、ジュノは背後に飛び退り、距離をとった。左手で、腰に刺した護拳付短剣を引き抜く。彼の右手は、まだ痺れたままだった。

 トレスは再び戦槌を振りかざすと、ジュノに迫った。


「でやあっ!!」

 と振り下ろされたそれを、ジュノは左手の護拳付短剣で受け止める。護拳付短剣はその名の通り、短剣の柄を握る拳の部分に、それを覆うカップがついたものだ。相手の攻撃をカップで受け止め、逸らすことのできる「受け流し用短剣(パリィイング・ダガー)」である。


 ジュノは初めて戦う戦槌を相手に、洋刀と護拳付短剣の二刀で挑むことにしたのだが、それはある程度正解だった。重量のある戦槌であっても、二刀を交差させれば受けきることができたからである。

 しかし、トレスは素早い動きで攻撃を次々と繰り出し、ジュノに逆撃する隙を与えない。

 それは、トレスの作戦であった。魔法戦闘というが、単純に魔法だけでの戦いなら、純語魔術を操る魔術師は、神恵魔法を使う神官よりも圧倒的に優位な状況にある。


 なぜなら、使える魔術・魔法のバリエーションが、魔術師と神官では比べ物にならないからだ。そのため、神官戦士であるトレスが勝つためには、まずは肉弾戦でジュノを圧倒し、魔術を使う隙を与えないようにしなければならない。

 ジュノが二刀を使うのは防御の点では有利だが、攻撃面では不利だった。片手が空いていないので魔術陣をすばやく描くことができず、短時間で魔術を発動させることができないからだ。


 また、魔術師のジュノは、純語魔術と相性の悪い、鉄でできた鎧をまとうことができない。防御力が低いので、トレスとしては持久戦が基本となる。

 戦槌の攻撃でダメージを与えつつ、ジュノが魔術と洋刀の攻撃を繰り出したとしても、身にまとった 防御力の高い鎖鎧でそれを防ぐ。それでも負ったダメージは、魔法で回復させて、ジュノの魔力が枯渇するのを待つという戦い方だ。

 それを狙って次から次へと攻撃を繰り出すトレスに、さしものジュノも防戦一方に追い込まれている。  


 さらにトレスは攻撃の合間に、彼の仕える女神に声高く祈りの言葉を捧げた。

「鉄と炎の母なるキブラの神よ!その硬く、熱き拳を今、振るいたまえ!」

 トレスは左手を強く突き出した。

 神の恵みで生み出された見えざる拳が、相手を打ち倒す「聖拳(ホーリーフィスト)」だ。トレスの手から放たれたそれは、ジュノに向かって一直線に飛び、彼の胸を強く撃った。


 ドンッ!!

 衝撃の音が、戦闘訓練室に鈍く響く。


「ぐっ……!!」

 観客、特に女子の間から「きゃあっ!」という悲鳴が上がった。

 不意を突かれたこともあり、ジュノは弾き飛ばされた。むき出しの地面に顔から横倒しに投げ出されてしまい、その衝撃で、手にしていた護拳付短剣も取り落としてしまった。


◇◇◇


 ジュノは痛む体に鞭を当てて、すぐに立ち上がった。だが、その整った顔には擦り傷ができ、陶磁のように白い肌は土で汚れて、赤と茶色が混ざっている。

 汚れた顔を袖でグイッとぬぐうと、ジュノは、「なかなか、やるじゃん……」と低くつぶやいた。 軟皮鎧の上からだったにも関わらず、「聖拳」で撃たれた胸がズキズキと痛む。トレスのそれは、侮ることのできない威力だった。


「ジュノくん!」

 彼を心配して叫んだヴェルの声が聞こえる。

 トレスにとって、彼女の声援が自分に向けられたものでないことは残念だったが、ジュノに魔術を繰り出す隙を与えてはならない。彼は、ためらうことなく追撃の体勢に入った。


 勝負を決すべく、再び戦槌を振りかぶって、ジュノに迫る。

 負わされたダメージが大きいのか、ジュノはまだ少しふらふらとしていた。護拳付短剣も失って攻撃を防ぐすべもなく、誰もが絶体絶命に見えたが――


 トレスが今にも戦槌を振り下ろそうとした、その瞬間。

 キッと鋭い眼で彼を睨みつけると、ジュノは「『跳躍(ジャンプ)』!!」と「純粋なる言葉」を一言、声高く叫んだ。

 その言葉とともに地面を強く蹴った彼は、魔術の力で人間技ではない高さまで跳躍した。

 そして、そのままトレスの頭の上を飛び越える。無詠唱の魔術なだけに、そこで効力が止まりそうなところだったが、飛び越えながらトレスの肩口を蹴りつけた。その反動を利用して再び跳躍する。

 それによって、トレスとの間に大きな距離を取った。


「オ、オレを踏み台に!?」

 全身の力を込めて戦槌を振り下ろしていたトレスは、寸前でかわされて勢いが空回りした上に、ジュノに肩を踏みつけられて体勢を崩されたので、ズザアーッと地面に倒れこんでしまった。

 二人の距離は大きく広がり、トレスには立ち上がる時間も必要だったから、ジュノが純語魔術を繰り出す時間的余裕が今、生じた。


「アルパウ・リーニョス・クルカード……世界の根源たる万能の魔力よ……ルーヴェン・ラステルハイド・ルーヴェルセン、我が右手には冷たき鎖、我が左手には荒々しき縄。そは天空を駆ける龍をも捕らえ、その大いなる翼を束ねて、この大地に繋ぎ留めん……我が心のままに!『縛鎖(バインド)』!!」


 一撃でカタをつけるべく、ジュノは、全身全霊の魔力をその詠唱に込めた。虚空に大きく魔術陣を描くと、右手の洋刀でそれを強く薙ぎ払った。

 彼の体から見えざる魔力が飛び、立ち上がったばかりのトレスを包んだ。


 と、次の瞬間。

 トレスは体をピーンと硬直させたかと思うと、手にした戦槌をゴトリと取り落とした。そして身動きができないまま、ドウッと、再び地面に倒れこむ。

 相手の身体を拘束する「縛鎖」の魔術に、完璧に捕らわれた彼は今、指の一本をも動かすことができずにいた。


「勝負あり!」

 立会人のフィアリスが叫んだ。その瞬間、ジュノは魔術の効力を維持するための集中を解き、大きく息をついた。

 それまで固唾を飲んで戦いを見守っていた観客から、わあーっと歓声が上がる。


 魔術は解けたが、トレスは地面に倒れこんだまま、しばらく呆然としていた。

「おい、クリューガー」

 ようやく上半身だけを起こしたトレスのもとに、ジュノが歩み寄った。転倒して擦り傷を負った顔の、トレスの「聖拳」で撃たれた胸の、体の痛みに顔をしかめつつ。


「泣くなよ?泣きたいのは、こっちだぞ。おまえのせいで、体中がバキバキに痛い。おまえは別に、痛くはないだろ」

 トレスの肩は、しょんぼりとしていた。なんだか泣きだしそうに見えたので、ジュノはそう声をかけたのだが、トレスはやっぱり涙声で返事をした。

「オレは、心が痛い……」


 彼は、恋焦がれる女性の愛を賭けた決闘に破れたのである。それは、人前で涙を流しても恥ずかしくない、数少ない理由の一つかもしれない。

 戦闘訓練室を囲む胸壁を乗り越えて、ヴェルとレルグが二人の元に駆け寄ってくるのが見える。 彼女の姿を視界に捉えると、トレスは心を振り払うかのようにして言葉を続けた。


「だが、約束は約束だ。オレは今日、彼女のことはすっぱりとあきらめる……いや、すっぱりとは無理でも、きっとあきらめる……」

 それを聞いたジュノは、彼を引き起こすべく手を差し出しつつ、こう切り出した。

「あー、そのことなんだがな……」


◇◇◇


「だ、か、ら!あなたたちは、なんでいつもいつもこの部屋に来るんですか!!」

 早速、クローに怒鳴られた。

 最近、ジュノたちのせいで、彼の血圧は上がり気味である。


 ただでさえ足の踏み場もないほど雑然としている進路指導室には今、ジュノ、レルグ、ヴェル、トレスと四人もの学生が集まっていて、ますます狭苦しくなっている。怒りのあまりなんだか息苦しさまで感じてきたので、クローは痛む頭を押さえながら、空気を入れ替えようと窓を開けた。


「いやあ……だってコイツ、オレたちがいくら説明しても聞かないんで、ここに連れてきた方が早いと思って」

 いつものように、ジュノは片眼をつぶりつつ、両手を合わせてクローを拝んだ。


 決闘が済んだ後、観客たちの前ではあったが、ジュノは、レルグとヴェルも合わせて三人でトレスにあらためて事情を説明した。それで、観客たちにはジュノもレルグもヴェルと付き合っているわけではないことが伝わったのだが、肝心のトレスがまったく聞き入れない。

 いろいろと説明する中で、「じゃあ、おまえたちは放課後にいったい何をやっているんだ」などと聞かれた彼らは、この部屋を眼で見て納得してもらおうと連れてきたのである。


「あなたが、『よろずお悩み相談部』顧問のクロー教官ですか。私は一年二組のトレスデン・クリューガーです。今後、よろしくご指導お願いします」

 一本気で、ひとたび思い込んでしまうと他人の言うことが全く耳に入らなくなってしまうトレスだが、根は真面目……というより生真面目、堅物と言っていいくらいのタイプである。初対面であり、教官であるクローに対してきちんとその名を名乗ったのだが、クローは彼の言葉の前半に気を取られてしまった。


「ジュノくん……?あなた、クリューガーくんにどんな説明をしたんですか!」

「わあーっ、クロー先生、だから、ゴメンなさいって!……イテテテテ!!」

 いつのまにか「よろずお悩み相談部」の顧問にされてしまったことを知ったクローは、隣に座るジュノの手をつかむと、その甲を強くつねった。ふだんは温厚なクローも、さすがに我慢の限界である。


 ジュノは、「放課後になにをやっているのか」というトレスの問いに、「三人でクロー教官を手伝って、学生の悩み事や学院の困りごとの解決に当たっている」旨の説明をしたのだが、確かにそれは、ウソではない。問題なのは、話の盛り方であった。


「まったく……」

 さんざんジュノをとっちめた後だったが、結局、クローは三人のために事情を説明してやる羽目になった。

 ヴェルは、ジュノともレルグとも付き合っていないこと、ヴェルが軽口のつもりで無責任な説明をしてしまったゆえに、トレスにも誤解をさせてしまったことを告げて、三人を許してやってほしいと頭を下げた。もちろん、ジュノとヴェルが婚約めいた話をしたことは、ややこしくなるのでナイショにしたが。


 生真面目なトレスは、基本的に教官の言うことはよく聞く。クローに頭を下げられて、すっかり恐縮してしまった。それでようやく納得し、ヴェルをあきらめなくてもよいことにも安堵したトレスは、ジュノに向き直ると、急に深々と頭を下げた。

「エスカーズ、オレの早とちりで、決闘までさせてしまって申し訳ない。このつぐないは、

必ずさせてもらう」

「別に気にするなよ。決闘、オレも楽しかったぜ」

 それは事実だったので、ジュノは笑って手を振った。


 結果だけで言えば、「縛鎖」の魔術の一発で勝負が決まってしまい、ジュノが圧勝したようにも見えるが、それまで押し込んでいたのはトレスだったし、ジュノが手傷を負わされたのも確かである。

 それに、ジュノは「縛鎖」の魔術に全部の魔力を注ぎ込んでいたので、万一トレスが抵抗に成功していれば、それでジュノの魔力は枯渇していた。その後は肉弾戦となるが、そうすれば回復魔法のあるトレスの方が圧倒的に優位であった。


 要するに、ジュノは「賭けに勝っただけ」とも言えるのである。

 それは、ジュノ自身がよくわかっていた。もっとも彼の「縛鎖」は、それを見たエルシズが、「あれは、オレでも危なかったかもしれない」とつぶやいたほどの威力があったのだが。


 後年のことになるが、「縛鎖」の魔術はジュノの代名詞にもなった。

 彼がこの国の宮廷魔術師であったとき。

 一頭の腹をすかせた竜が飛来し、ローウェルの街を恐怖の底に叩き落としたことがあった。竜が、今にも街を襲い人々を食らおうとその顎を開いたとき、彼の「縛鎖」が発動した。竜は一瞬にしてその身動きを奪われ、人々は救われたのである。彼はその魔術一つで救国の英雄としての名声を確かなものとし、「龍狩り」の称号を得ることとなったのだった。


 それはともかく、生真面目なトレスは、「そういうわけにはいかない」とかぶりを振った。

「それではオレの気が済まない……そうだ、オレも、おまえたちの『よろずお悩み相談部』に入れてくれ。おまえたちの活動を手伝うことで、罪滅ぼしをさせてほしい」

 ジュノが口から出まかせで言った「よろずお悩み相談部」だが、トレスはすっかりその存在を信じてしまっている。困ったなと思った彼らだったが、今さらウソだったとも言えない。

 そもそもの元凶であるジュノは、ウソを突き通すことに決めた。


「だから、そんなに気にしなくていいって。だけど、入部するなら歓迎するぜ」

 決闘を通じて、すでにジュノはトレスの実力を認めている。ニコリと微笑むと、右手を差し出した。

「これからよろしくな、トレス」

 急に名前の方を呼ばれて驚いたトレスだったが、一瞬だけためらった後に、ジュノの手を強く握り返した。

「こちらこそよろしく頼む。……ジュノ」


 二人の握手を見届けて、ヴェルも楽しそうに笑った。

 彼女も、途中までジュノと互角に戦っていたトレスを今では大いに見直している。彼には言わなかったが、本気で戦っていたトレスの横顔は、ちょっとカッコよく見えたものだ。


「トレスくんも加わって、この部屋もますますにぎやかになるわね。クローセンセ、ジュノくん、レルグくん、トレスくんと美男子がそろって、わたしのハーレム計画、着々と進行しているわ!」

 そう言ってグッ、と拳を握りしめたヴェルに、みんなそろって呆れた。今回の顛末は全て彼女から始まっているのだが、まったく懲りていないようだ。


「……なあトレス。おまえ、ホントにこんなヤツ好きなの?」

 やれやれ、という顔でジュノがトレスを見やった。

「ああ。もちろん……だ?」

 ヴェルを想うその気持ちはけっして偽りではなかったはずだが、それでもなんだか、最後に小さく疑問符がついてしまったトレスだった。

【人物紹介】

ジュノ・エスカーズ : ローウェル魔法学院1年1組。「開学以来の天才」と呼ばれる魔術師ウィザードの卵。

レルグ・コールヴィッツ : ジュノのクラスメート。貴族の子弟で、精贈魔法を専攻している。

ヴェルレーヌ・ファル・ノルティア : 1年2組。「センスの天才」として知られる魔術師の美少女。

トレスデン・クリューガー : 1年2組。半エルフの少年で、キブラ女神に仕える神官クレリック

クローディス・サイクロー(クロー) : 進路指導担当教官。とある理由で、進路指導室から出ることができない。

エルシズ : 無表情、不愛想な行動系魔術担当教官。

フィアリス・アーストライト : 美人で優しい探知系魔術担当教官。クローとエルシズの学生時代の先輩。


【用語解説】

ローウェル魔法学院 : 大陸西部の古都ローウェルにある、大陸一の歴史と伝統を誇る学び舎。

純語魔術ピュアスペル : 「純粋なる言葉」で人々の内なる魔力を発揮する、古代から続く魔術。魔術師が操る。

精贈魔法エレメンタルギフト : 万物やあらゆる感情に宿る精霊の力を借りて行使する魔法。精霊使い(エレメンタラー)が操る。

神惠魔法ホーリーブレス : 神に祈りを捧げ、その恵みを受けて発揮される神官が用いる魔法。

人見の鏡 : 古代魔術王国時代の遺物。人間の未来を映し出す力を持っているが、未来は変わることもある。

遠見の水晶球 : 千里の距離を越えてその先を映し出す、古代魔術王国時代の遺物。声は聞こえない。

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