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プロローグ ジュノ・エスカーズのなやみ

 その部屋は、ローウェル魔法学院・北校舎三階の奥。日当たりの悪い場所にある。

 五月初旬のある日、午後。

  その部屋へと続く長い廊下を、くすんだ銀髪を頭の後ろで一つに結んだ男――エルシズが歩いている。石張りの床をブーツで歩いているはずなのに、彼はまったく足音を立てない。

 年のころは二十代半ば。顔立ちは悪くないが、切れ長の眼の下にある二本の傷が、見る者に抜き身のナイフのような印象を与える青年だ。

 彼がその部屋を訪れるのは、実に三か月ぶりだった。

なのに彼は、なぜだか入口の引き戸に手をかけない。それにもたれかかって腕を組むと、静かに眼を閉じる。

「久しぶりですね」

 そう、若い男の声がしたかと思うと、部屋の中で気配が動いた。引き戸を挟んで、エルシズと背中合わせになるように。

「あなたが来たということは、またなにか困りごとですか」

 顔の見えない相手の問いかけに、眼を閉じたまま、エルシズは答えた。

「今はまだ、困っていない。が……このままだと、いずれこの学院……いや、この世界にとって、大きな損失となる」

「へえ……」

 部屋の中の男は、感心したようにつぶやいた。

「あなたにそこまで言わせるとは、すごいですね。誰なんです?」

「ジュノ・エスカーズ」

 エルシズは、一人の教え子の名前を口にした。中の男がピクリと反応する。

「おまえの耳にも入っているだろう?入試の点数は、本校開学以来の最高得点。おまえより五点も高かった、本物の天才だよ」

「なにを嬉しそうに。それって、あなたは十点も負けてるってことじゃないですか」

 男は呆れたように返事をしたが、エルシズはゴホンと咳払いを一つすると、話を続けた。

「まあ、それはそれとしてだ。ヤツだが、優秀すぎるというのも困りものでな」

「人生をナメてる?」

 すかさず看破した男の言葉に、エルシズは深くうなずいた。もっとも、その動作は部屋の中にいる男には見えないのだが。

「さすがに、オレやフィアリス先輩の言うことは聞くんだがな。他の教官方の話はさっぱりだし、クラスメートとも関わろうとしない。たぶん、バカに見えて仕方がないんだろう」

「あなたもぼくも、入学当初はそういうところがありましたからね」

 男は、苦笑を声ににじませて応えた。それはもう十年も前のことになってしまったが、自らを省みたらしい。

「確かにアイツ、見た目といい、おまえによく似てるよ。だが、オレたちは、早いうちに自分が井の中の蛙であると気づいた」

「ええ。ミルさんやユークさんたち、みんなお元気ですかね」

 男は、彼らにとって恩人にあたる人々の名前を懐かしそうに口にした。戦士のミル、精霊使いのユーク……彼らがまだ駆け出しだった時に、冒険の楽しさと厳しさを共に教えてくれた、頼れる先輩たち。その姿を思い浮かべながら、言葉を続ける。

「あなたはつまり、ぼくに、ミルさんやユークさんになれ、と言いたいのですね?」

 もう一度、エルシズはうなずいた。いつもならそれで口をつぐんでしまう彼だが、部屋の中にいる男には通じないことに気づいて、言葉を付け加えた。

「それが、進路指導担当教官の仕事だろう?」

 部屋の中で、男は声を立てずに笑ったらしい。どことなく楽しそうな返事があった。

「わかりました。ジュノ・エスカーズ……確かに彼なら、この部屋のドアをくぐる資格がありそうです」

 エルシズの背中から、人が離れていく気配がした。

「頼んだぜ。クロー」

 エルシズはドアの向こうにそう声を投げたが、もう返事はなかった。


◇◇◇


「つまんねえ……」

 翌日。放課後、一年生の教室。

 作りかけの翡翠のペンダントを机の上に放り出して、ジュノ・エスカーズは低くつぶやいた。周りでは、クラスメートたちが帰り支度をしている。

 隣国・シュロンの裕福な宝石商の家に生まれた彼は、ちょっとした宝石細工ができる。その家業ゆえ職人に囲まれて育ったので、幼いころから見様見真似で遊んでいたのだ。

 彼はこのところ、学院に入学する前に実家の工房からくすね……いただいてきた翡翠の原石を研磨し、台座を取り付けてペンダントを作っていた。

だが、今日はまったく身が入らない。集中を欠いているので、うっかり石に傷をつけてしまった彼は、もう仕上げの段階なのにも関わらず、とたんにやる気を失ってしまった。

「今日は、もう帰るか……」

 輝くばかりの黄金の髪と、陶磁のような白皙の肌をもつ彼は今年、十六になる。目鼻立ちの整った、少女とも見まがう中性的な顔立ち。疑いようもないほどの美少年だ。

 しかし、その碧く澄んだ眼は鷹のごとく鋭く光り、顔つきはどことなく生意気そう。うかつに近寄りがたい雰囲気を漂わせてもいる。

 彼はこの学院に入学してほどなくすると、とある理由で、以来ずっと機嫌を悪くしていた。

だから、皮肉であったり不敵であったりの笑みを時折浮かべることはあっても、心からの笑顔をクラスメートたちに見せたことがない。常に険しい顔をしていた。

 あまつさえ先日は、朝のあいさつをしただけのクラスメートに向かって、こう、にべもなく返したのだ。「オレは今、機嫌が悪いから話しかけないでくれ」と。

聞いていた教室中が鼻白んだのは当然である。

「あ、あの……エスカーズくん……」

 そんな彼に背後から声をかける少女がいたが、そんな彼なので、おずおずとだった。

「なに?」

 振り向いて尋ねたジュノに、少女は、その顔を直接見ないようにうつむいたまま答えた。

「エルシズ教官が呼んでるの。教官室まで来るようにって」

 ただそれだけのことなのだが、なぜだか、教室中の女子が彼女とジュノのやり取りに聞き耳を立てている。

「エルシズ先生が?……わかった」

 聞こえないくらいの小さなため息を一つつき、ジュノはカバンを肩にかけて立ち上がった。教官室からそのまま帰るつもりなのだ。

びくっとしたように、少女が少し後ずさる。

 ふと気づいて、ジュノは机の上のペンダントを手に取った。唇の端だけで笑って、少女に差し出す。

「コレ、やるよ。作ってたんだけど、石に傷つけちまって。もう価値はないし、いらなかったら捨てちゃっていいから」

 突然のことにびっくりした少女だったが、反射的にその両手を開いた。そこに落とされたペンダントを、ギュッと握りしめる。

「あ、ありがとう……大事にするから……!」

 少女は、顔を赤らめて応えた。彼女にとってそれは、すでに背を向けたジュノとの、ほとんど初めてといっていい関わりの証だった。

「だから、大事にしなくていいって」

 ジュノは、まだ名前すら覚えていないクラスメートを振り返りもしなかった。右手をひらひら動かしながらそれだけ言うと、女子たちがザワザワし始めた教室を出て行った。


◇◇◇


 ローウェル魔法学院には、大陸一の大魔術師がいるらしい。

 ジュノは、古代から続く純語(ピュア)魔術(スペル)を学ぶ魔術師(ウィザード)である。当時通っていた私塾でそんな噂を耳にした彼は、難関と言われる入学試験を突破して、この学院の門をくぐった。

せっかくなら、そういう大魔術師に教えを乞いたいと望んだからだ。

 彼が学ぶこの学院は、魔法の技と幅広い知識を身に着けようと大陸諸国から魔法使いの卵が集う、古都ローウェルにふさわしい歴史と伝統を誇る学び舎である。だから実際に、教官にも学生にも優秀な人材が多い。噂とは言っても信憑性はあった。

 しかし、入学して一か月たった今も、彼は噂の大魔術師にはまだ会えていなかった。どころか、それが本当に噂だけだったのか――つまり、大魔術師とは誰なのか、実在するのかどうかすら確かめられていない。

 大魔術師とは……校長のこと?いや、あれは魔術師というより政治家だ。

 探知系魔術が専門のフィアリス・アーストライト先生?美人で優しくて、強力な魔術師ではあるけれど、さすがに大陸一は言いすぎである。

 行動系魔術のエルシズ先生?あの先生は、確かにめちゃくちゃ強い。強いのだが、その力の源泉は、彼が併せ持つ盗賊(スカウト)の技能を純語魔術に組み合わせてこそのもの。だから、例えば「大陸最強の魔術師」などというなら納得だが、大魔術師というのとはちょっと違う。

 優秀な教官が多いとはいっても、開学以来の天才と衆目が一致し、その自負もあるジュノにしてみれば。本当に尊敬できるのはフィアリスとエルシズ、二人の先生くらいだった。

 教官たちですらそんな感じなので、学生の方はといえば、箸にも棒にもかからぬ者ばかり。彼のライバルになりえる人物はいそうになかった。

もっとも、そう決めつけてクラスメートたちと交流しようとしない彼の方にも問題はある。その態度ゆえに、そういう仲間にまだ出会っていないだけかもしれないのだ。

 ジュノは、掛け値なしの天才だった。

しかも、カンも要領もよかったから、たいした努力もせずに純語魔術を身に着けることができた。クラスメートたちにとっては、毎日の予習復習を欠かさず、努力の末にようやく身に着けていくものだというのに。

 魔術だけでなく、得意の洋刀(サーベル)をとれば、同学年で彼にかなうのは、本職の戦士などごくわずかな者に限られる。

 剣も魔術も得意で、しかも美少年。

 そんな彼は当然ながら女子に人気があったが、今は自ら近寄るなというオーラを出しているので、彼女たちも遠くから眺めるばかりだ。男子には嫉妬と羨望もあるのか敬遠されていたので、この頃は、彼に声をかける者もほとんどいない。

 尊敬すべき師も、切磋琢磨すべき仲間もなく、乗り越えるべき壁もない。

 要するにジュノは、退屈だった。もちろん、それは彼自身の責任が大きいのだが、彼が入学してほどなく機嫌を悪くした理由が、それだった。

 目的の行動系魔術担当教官室に着いた彼は、トントンと入口のドアをノックすると、中に向かって声をかけた。

「エルシズ先生、ジュノ・エスカーズです。入ります」

 ガラガラッとドアを開くと、椅子に腰かけたエルシズが待っていた。

 彼は無表情、不愛想な皮肉屋で、担当教科の指導も厳しかったから、学生たちに恐れられている。ジュノは、そんな彼に気後れせずに接することのできる、数少ない一人だった。

「ああ、ヒマしてるところに、悪かったな」

 普通なら「忙しいところに悪かったな」というべきところで、なかなかのご挨拶である。だが、前々からこの先生には自分が退屈しきっているのがすっかりバレているので、ジュノは悪びれずに軽口を叩いた。

「はい。優秀すぎて退屈すぎる。それがオレの、今の悩みです」

 人を食ったその返答を聞いたエルシズは、わざとらしく大きなため息をついた。

「じゃあ、その悩みを解決してやろう。まあ、解決するのはオレじゃないがな」

 どういうことですか。

 口には出さず、眼で問いかける。

「進路指導室に行け。行けばわかる」

 エルシズはそれだけ言うと、椅子ごとくるりと背を向けた。こういう時、彼に質問をしてもムダであることを、この学院の学生なら誰もが知っている。

 ジュノは、その背中に向かって軽く頭を下げると、退室すべくドアに手をかけた。

「ああ、もしその部屋に入れなかったら、帰っていいからな」

 最後に、エルシズはよくわからないことを口にした。


◇◇◇


「一年一組のジュノ・エスカーズです。エルシズ教官の指示で参りました」

 引き戸の上にかかったプレートに、「進路指導室」とはっきり書いてあることを確認して、ジュノは声を上げた。

 入れるなら、どうぞ――。

 部屋の中から、そう若い男の声がした。エルシズ先生といい、変なことを言うなあと思いつつ、ジュノはガラガラッと勢いよくドアを開けると、一歩を踏み出した。

 その瞬間、戦慄が走り抜けた。ゾワワッと全身の毛が逆立つ感覚が、その体を襲う。

 ヤバいのが奥にいる――。直感的に感じたのは、それだった。

思わず足を止めた彼は、心を落ち着かせるために、普段は着崩しているシャツの襟元のボタンをきちんととめた。ローウェル魔法学院の制服は、男女ともブレザーにリボンのタイ――男性は青、女性は赤――なのだが、それも結び直して気合を入れる。

 ところで、彼はそれまで進路指導室なんていうのは、どうせ机と椅子と、資料の並んだ棚くらいしかないんだろうと勝手に想像していた。

ところが、初めて入るこの部屋の中には、ベッドが置かれていたり、調理用具があったりして、なんというか、やたらと生活感がある。

「ああ、入れましたね。奥へどうぞ」

 大量の書物、魔術に使う薬品や貴石の類が並べられた棚の向こうから、再び声がした。

床には食器や衣服に混じって、野菜や果物、刺突大剣(エストック)軟皮鎧(ソフトレザーアーマー)、冒険に使うザック、怪しげな動物の骨や、何のものだかさっぱりわからない巨大な卵など、とにかくたくさんの物が部屋中に散らばっている。ジュノは、それらを踏みつけないように爪先立ちで進んだ。

 一歩ずつ奥に進むにつれ、体中の毛がチリチリいうような感触が増していく。

 コイツはヤバい。

 でも、不思議と恐くはない。先ほど聞こえた声も明るく、優しさに満ちていて、けっして悪魔のささやきのような甘いだけの響きではなかった。

 部屋の奥だけは、ある程度片付けられていた。今は開け放たれている窓に向かって大きな椅子が一つあり、ジュノに背を向けて、それに深々と埋もれた人がいる。

 その人は、ジュノが背後に立つと、くるりと椅子を回転させて振り返った。

「カッ――」

 コよ。と言いかけて、ジュノはあわてて口をつぐんだ。

 椅子に座っていたのは、貴公子然とした白皙の美青年であった。右眼にハラリとかかる金髪がまばゆいばかり。年のころは二十代半ばと思われる。

 日当たりの悪いこの部屋では、窓から光が差し込むのは午後のわずかな時間だけだ。その光の中で、青年は穏やかに微笑んだ。まぶしさで表情がよく見えないのが、かえって美しさに神秘的なものを添えている。

男性相手なのだが、ジュノは今、心臓の激しい鼓動を抑えられなかった。

 生まれて初めて一目惚れした相手が、男になるとは思わなかった……。

 そう呆然と立ちすくんだ彼に、青年は声をかけた。

「よく来てくれました。ぼくはクローディス・サイクローといいます」

 そう名乗った青年は、自分は学院の進路指導担当教官であると告げた。

 嘘だ。

 ジュノは咄嗟にそう思ったが、次の瞬間にはそれを打ち消していた。いや、肩書自体は嘘じゃないのだろうが、それよりももっと大事なことがある。

 彼の心臓の鼓動は、治まるどころか、ますます激しくなるばかりであった。

 この人だ。この人が、噂の――!

 そう確信した彼だったが、彼にできたのは、「クローディス先生……」とその名をつぶやくことだけだった。ジュノは今、クローディスと名乗った青年の体から溢れんばかりにほとばしる魔力で、押しつぶされるような圧に襲われていた。

「クローでいいですよ。みんなから、そう呼ばれています」

 そう言って、青年――クローはまた微笑んだ。緊張のあまり言葉を紡ぎ出すことができず、意味なく微笑み返してしまったジュノの顔を、彼はじっと見つめた。

「エルシズ教官が、あなたはぼくに似ているって言っていましたね」

 確かに、二人とも輝くばかりの金髪に碧眼で、目鼻立ちもよく似ている。ただし、同じ金髪ながらクローの方は髪質がさらさらだが、ジュノの方はしっかりめであった。瞳の色も、ジュノがまるでサファイアのような濃い青なのに対し、クローの方はアクアマリンのように透き通っている。

 なにより違うのは、その顔ににじみ出ている何かだ。若いジュノは、目つきから何から圭角が表に出すぎであったが、クローの方は穏やかな大人の余裕を見せている。

 もっとも、クローが言ったのは単に見た目だけのことではない。彼は、一目見ただけで、ジュノがその体に秘めた魔力が、自分が彼と同じ年齢だった時と同じくらい――いや、それ以上かもしれないことを見抜いていた。

「ああ、そこの椅子をどうぞ。この部屋にお客さんが来るのは久しぶりなので、気が利かなくて申し訳ありません」

 そう言いながら、クローは一つのスツールを指し示した。黙って腰を下ろしたジュノを激しい脱力感が襲ったが、この部屋に入ってからずっと緊張しっぱなしだったので、ようやく、少しだけ、落ち着いた。

「……ご用は、なんでしょうか」

 なんとか声を絞り出した彼に、「用があるのは、ぼくではなく、あなたでしょう」とクローは言葉を返した。

「退屈すぎて、腐っているってエルシズ教官から聞きましたよ」

「はい」と、そう短く答えたジュノだったが、彼は今。入学以来かこってきた退屈な日々が、過去のものになろうとしていることを敏感に察していた。

 クローもまた、そんな彼の心の動きを感じ取り、言葉を続ける。

理由(わけ)あって、ぼくはこの部屋から出ることができません。さて、ジュノ・エスカーズくん」

 そこで彼は一度、言葉を切った。ジュノはゴクリと生唾を飲み込んで、続きを待つ。

「退屈すぎるあなたに、仕事を与えましょう。ぼくを手伝って、この学院の困りごとを解決してくれませんか?」

 そう言って、また微笑んだクローの言葉には、今度は少し、悪魔が人間をもてあそぶような響きがあった。


◇◇◇


 その日の夜のこと。

 ジュノは、誰もいない、明かり一つない校舎の廊下を走っていた。

 いや、確かに校舎自体は真っ暗なのだが、彼が腰に刺した洋刀の鞘からほとばしる光が周囲を照らしている。「光源(ライト)」の魔術がかけてあるのだ。

 校舎といっても、彼が毎日通っているそれではない。全体的に古ぼけていて、壁や天井の汚れ、破損などもそのままになっている。

 彼が走っているのは、現在では使われていない木造の建物――旧校舎だった。

「正面の階段を登ってください。右に一体います」

 クローの声が、彼の脳に直接語りかけてくる。高レベルの魔術師のみが扱える「念話(テレパシー)」だ。今は失われた古代の魔術の一つで、ジュノはこの日、初めてその存在を知った。

 指示通り階段を駆け上がった彼は、すばやく右を向くと、勢いよく洋刀の鞘をはらった。

 目の前に広がる暗闇の奥に、人影がひとつ、「光源」の魔術に照らされて浮かんでいる。

「――!!」

 ジュノは左足に力を込めて地面を蹴った。一気に跳躍すると、誰かをも確かめずに問答無用で切りつける。

「やあああっ!」

雄叫びを上げつつ、洋刀を鋭く横に薙いだ。

 続く瞬間。ぐおぉぉ……という、うめき声に似たものが、闇の中で鈍く響いた。

胴体を両断された人影が上げたものだが、それは、少なくとも生きた人間の出すそれではない。 

 地面に倒れ伏した人影――食屍鬼(グール)の頭部を切り裂いて、ジュノはとどめを刺した。

 グールは、自らも死して鬼となりながら、同じ死体を食らうあさましい「不死の(アンデッド)」だ。

 ジュノはこの日、生まれて初めて怪物(モンスター)と呼ばれるものと戦っているのだが、自分でも驚くほど、平静さを保てていた。

退屈な日々がこのまま三年間も続く恐怖を思えば、命がけでモンスターと戦うことなど、なにほどのこともない。

 軽く息をついたジュノは、次の指示を待った。別にその必要はないのだが、なんとなくクローがいるであろう進路指導室の方角を向いてしまう。

「残り三体、これで最後です。そのまま廊下を進んでください」

 まもなく聞こえたクローの声に従って、今度は慎重に、一歩ずつ廊下を進む。

「光源」の魔術がかかった洋刀の鞘を左手で掲げ、前方を照らした。抜き身の本体は右手に提げたままだ。

 狭いはずの旧校舎だが、今のジュノには、無限のような広さに感じられる。

 ゴクリと生唾を飲み込んだ、そのとき。

ジュノの瞳に、ゆっくりと歩み寄ってくる三つの影が映った。

「来ましたよ!油断のないように!」

 クローから注意喚起の言葉が飛ぶ。ジュノは左手の鞘をグールと自分との間に投げ、その光で視界を確保した。

 一気にカタをつけるべく、純語魔術の詠唱を始める。指先で、虚空に魔術陣を描き始めた。

「ライネイツ・フラークサル・ペチュニクス……世界の根源たる万能の魔力(フォーナ)よ……。宙をただよう雲を集めよ……龍を潜ませ、その爪を研げ……そして、(くう)を貫く一条の雷を生みだせ!イーライ・イーアス!行くぜっ、『雷撃(サンダーボルト)』!!」

 バリバリバリッ!!

激しく音を立てつつ、ジュノの指先から一筋の雷光がほとばしった。

「雷撃」の魔術には貫通力がある。それは順に並んだ三体のグールに次々と命中し、大きなダメージを与えた。

 グールたちが倒れたその隙に、次の魔術の詠唱を始める。

「ヴェルチェ・クンシー・クルフ……世界の根源たる万能の魔力よ……ヴェステル・グリステル……我が手の剣に、黒龍の喉より出づる猛き炎、破邪の力を与え、全てを焼き尽くせ!『炎付与(ファイアエンチャント)』!!」

 ジュノが手にした洋刀から、ボワッと炎が舞い上がる。

その力で、手にした武器の攻撃力を上げる魔術だ。炎は浄化につながるので、グールのようなアンデッドには特に効果がある。

 雷撃に撃たれて倒れたグールが起き上がるその前に、ジュノの洋刀が炎をまとって襲いかかった。すでに大きなダメージを負っているので、先頭の一体はやすやすと切り裂かれた。

グシュッ!

屍肉を切り裂く、くぐもった音が上がった。とともに、魔術が生み出した炎があっという間にグールを包み込んだ。轟轟と音を立てて、その体を消し炭にしていく。

 その間にようやく立ち上がった残りの二体は、毒を帯びた爪を振るってジュノを傷つけようとした。

しかし、スピードに優るジュノは俊敏な動きでそれをかわしていく。一度だけ、身にまとった軟皮鎧に爪が当たって深い傷を表面につけたが、貫かれることはなく済んだ。

 攻撃をかわされたグールが体勢を崩した隙を見計らって、逆撃する。

次々に繰り出す苛烈な斬撃の合間には、無詠唱――呪文の詠唱も、魔術陣を描くこともなく発動させた「雷撃」が、左手の指先からほとばしる。無詠唱なだけにその威力はやや弱いのだが、すでにボロボロになっているグールにとっては、それで充分であった。

 ついにグールたちは立ち上がれなくなった。恨めしそうに床を這いずるだけのグールに向かって、すかさず剣を振るったジュノは、魔術の炎でそれを燃やし尽くした。

 今宵、旧校舎に巣くう全てのグールを仕留めた彼は、手にした洋刀を鞘に収めた。魔術の効力が切れ、刀身から炎が消えたのを見計らって。

 ジュノは、クックッと肩を震わせた。

「ハハ……ハハハっ!」

 そして、声を立てて笑った。

夜が更け、闇が濃くなる旧校舎の片隅でではあったが、その笑いは狂気をはらんだものなどではなかった。楽し気な、心からの楽し気な笑いだった。

 生きてる。オレは、生きている――。

 学院に入学してから、一か月あまりがたったこの日。彼はようやく、生きているという充実感を味わうことができた。

 それは、一つ間違えば命を失う、モンスターとの戦いを終えて生き抜いたからではない。

 今日。彼は、噂の、そして憧れの大魔術師に会うことができた。

あまつさえその大魔術師は、ジュノにこの学院の秘密を教え、グール退治を任せてくれた。さらには今後、大魔術師直々に魔術を教えてもくれるという。

 この日、彼が手に入れたものは、彼がこの学院にいるべき理由の全てだった。

 笑いを収めた彼は、くるりと踵を返した。真夜中の旧校舎を後にすべく、ギシギシと音の鳴る木張りの床の廊下を歩き出す。

 体が、そして心が、まるで羽のように軽い。

「翼だ。オレは今夜、空へと浮かぶ翼を手に入れた。雲のように、そして風のように……!」

 旧校舎の闇の中で、彼の碧い眼は、つい半日前まで失われていた強い輝きを取り戻していた。


◇◇◇


「旧校舎のグール退治、アイツにやらせたんだってな」

 翌日の昼。

 いつものように、進路指導室のドアにもたれかかって腕を組んだエルシズは、部屋の中の男――クローに声をかけた。

「はい。今後も一仕事終えるごとに、ぼくが魔術の手ほどきをしたり、遺失魔術を教えたりする。その条件で、あっさり首を縦に振りました。彼、意外に単純ですね。すっかりやる気になってくれたようで、今回の指導はとても簡単でした」

 いつものように、背中合わせのクローが応える。

 ちょっと呆れたような、でも楽しそうな、嬉しそうな。エルシズは、彼の言葉と声色から、そんな感情を読み取った。

 旧校舎のグール退治とは――。

 彼らが教鞭をとるこのローウェル魔法学院は、大陸一の歴史と伝統を誇る学び舎だ。ただし、ここに集まるのは魔法使いの卵たちだけではない。

 学院に満ちた膨大な魔力に惹かれて、「良からぬもの」もまた、集まってくる。

 その一つがアンデッドである。大部分の学生にとっては知らぬことだが、実はこの学院においては、アンデッドはけっして珍しい存在ではなかった。

魔力というのは、人々の内なる生命エネルギーの発露だ。生命を持たぬアンデッドが、光に群がる虫のように、それに吸い寄せられてしまうのは無理からぬことだった。

 そうした良からぬものから学生を守るため、学院には、教官たちによって強力な守護の魔術がかけられている。

だが、二四時間三六五日それを維持するのは大変だ。夜間はその威力を弱め、学生たちに危害を及ぼす可能性の少ない場所に良からぬものを誘導し、封じ込めるようにしている。

 それが、今は使われていない旧校舎とその周辺なのだ。

 そうやって集まった良からぬものを定期的に掃討するのが、この学院の教官たちの業務の一つである。

 これは本来、学生たちに不安を与えたり、逆に余計な好奇心を惹起したりしないよう秘密にされている。しかしクローは、「退屈すぎて死にそう」というジュノの悩みを解消させるため、あえてこのことを教え、あまつさえその退治を任せてみせたのだった。

 その目論見通り、学院の秘密を知ったジュノは嬉々としてこれに乗った。魔術を教えてもらえる役得もあるため、クローの依頼に応えてグール退治をすることになったのである。

「それにしても、彼、すごいですね。グールはけっして弱いモンスターではありません。ぼくたちが彼と同じ年齢(とし)の時は、一人で一体を倒すのがやっとだったでしょう。それが、彼は一人で五体ですからね」

 今や自身が大魔術師であるクローだったが、心から感心したようにつぶやいた。

 最近の教え子たちの顔を思い浮かべながら、エルシズがそれに応じる。

「魔術魔法の研究が進んだことも一因だが、オレたちのころに比べて、今の若いヤツらは早熟だよ。アイツは特別だが、他のヤツらだって、オレたちが一年生だったころには使えなかった魔術を易々と使いこなしているからな。だが……」

「そこで成長が止まってしまうきらいがある?」

 先読みして言葉を引き取ったクローの背中で、エルシズはうなずいた。その動作は、もちろん、クローには見えない。

「そうだ。打たれ弱いのかなんなのか、ちょっと壁にぶつかると、とたんにダメになっちまうヤツも少なくない。アイツの場合、壁っていうのは才能じゃなくてやる気の問題だったが、だからこそ余計に深刻だったかもな。ま、早いうちに芽が摘めたようで、よかったよ」

 エルシズはおおげさに安堵のため息をついてみせると、話題を変えた。

「それでどうだ、『人見の鏡』は。見てみたか?」

「はい。今朝見たら、ばっちり、未来のローウェル宮廷魔術師殿の姿が映っていましたよ」

 そう告げて破顔一笑したクローだったが、それももちろん、エルシズには見えない。だが、その弾んだ声の様子から、彼の笑顔を想像することはできた。

 もっともエルシズは、もう二年にわたってクローの顔を直に見てはいないのだが。

 エルシズが言った「人見の鏡」とは、古代魔術王国時代の遺物で、この学院に伝わる最大級の秘宝である。人間の未来を見通す力を持っていて、そこに映し出されるのは、念じられた人の未来の姿だ。そしてそれは、けっして過てることはない。

 ただし、人々は、その未来を変えることはできる。

 一昨日、この話を持ってきたエルシズが帰った後。クローは早速、ジュノの未来の姿を見るべく鏡を覗き込んでみた。

そこには、「かつて神童と呼ばれた男」の姿が映っていた。

 その未来でも、ジュノはこの学院で教鞭を執っていたから馬鹿にしたものでもなかったが、クローには、その表情が精彩を欠いているのが気にかかった。あきらかに、己の才能と過去の栄光、それと自身の現状のギャップに満足していない、くすぶった者の顔であった。

 その原因が、学生時代に彼が、尊敬すべき師、切磋琢磨すべき仲間に出会えなかったこと、彼の心を揺さぶるような経験が得られなかったことにあったとしたら。そして、それがゆえに自暴自棄に陥ったためだったとしたら――。

 このまま退屈をかこえば、そこで成長がストップしてしまうのではないか。エルシズと二人、同じ懸念を抱いたクローは、それを解消させるべく、早速に動いた。

「旧校舎のグール退治」。教官の立場としては好ましくないことだが、彼にとってはこれしかないという荒療治を選択したのだった。

 それは期待通りの結果となった。

このまま行けば――もちろん、また未来が変わる可能性はあるのだが――ジュノは将来、その才能にふさわしい力と地位を手に入れることができそうである。

 クローの返答を聞いたエルシズは、肩をすくめた。

「宮廷魔術師ね……すごいな、おまえの上司じゃないか。ざまぁみろ」

「だから、なんで嬉しそうなんですか。その時は、あなたの上司でもあるんですよ」

 呆れたように応えたクローだが、実は、彼が今朝覗き込んだ鏡には、ジュノの別の未来も映し出されていたのである。それは、もっと驚くべきものだった。

 だが、それは、到底口にできるような内容ではなかった。

「そうだな。そいつはイヤだな。だが、世の中にはもっとイヤなことがいっぱいあるから、その程度なら我慢するか」

 ジュノが自分の上司に収まった姿を想像したのか、エルシズは肩を震わせてクックッと笑った。無表情、不愛想で知られる彼にしては、珍しいことに。

「素直じゃないですね。教え子の輝かしい未来を、もっと喜べばいいのに」

 口ではそう嫌味を言いつつも。進路指導担当教官としての役目をひとまずは無事に果たすことができたクローは、ドアの向こうで楽しそうに笑ったのだった。

「人見の鏡」。

それは、人々の未来を大きく左右する強い力を持つ。それだけに、その存在を知るのはこの学院でも一握りの者に限られる。

 鏡を保管するこの進路指導室には、強力な守護の魔術がかけられ、本当に指導が必要な学生にしか、その扉は開かれることはない。ジュノが、「入れるなら、どうぞ」と言われたのは、つまり、そういうことなのだ。

 エルシズがこの部屋に入らない、いや、入れないのは単純な話だ。彼が学生でも、進路指導担当教官でもないからである。

 一方のクローも理由あってこの部屋から出ることができないので、かつての同級生であり現在は同僚である二人は、この二年というものドア越しの会話を続けているのだった。


◇◇◇


 同じ時間、一年一組の教室。

 今日も一人での昼食を終えたジュノは、カバンからラピスラズリの原石を取り出した。今日から心機一転、新しい宝石細工に取りかかろうというのである。

 研磨をしようとヤスリを手にしたとき。彼に声をかけた男がいた。

「エスカーズ」

 顔を上げると、クラスメートの一人が白いボールを手に彼を見下ろしている。

こげ茶色の眼をした彼は、その瞳と同じ色の髪を伸ばし、両耳の横と後ろとの三か所をカラフルな紐で縛っている。その顔立ちは美男子と言っていい。十六歳という年齢よりは少し大人びていて、どことなく気品が感じられる。

 彼の後ろでは、別のクラスメートたちが、ちょっと不安そうな眼差しで二人の様子を窺っていた。

「これからみんなでバレーボールをやるんだが、きみもやらないか?」

 紐で縛ったその髪を弄びながら、少年はジュノに笑いかけた。

ジュノはまだ、彼とはほとんど話をしたことはなかったが、大上造(だいじょうぞう)だか駟車庶長(ししゃしょちょう)だか――これは、彼らが暮らすローウェル王国の爵制で、他国では男爵および子爵に相当する――の子弟である彼は、男女問わず人に囲まれている姿をよく見かける。ジュノと違って、人付き合いがいいようだ。

「ああ。いいぜ」

「そうか、忙しいところに、悪かったな……って、いいのか!?」

 ジュノはうなずいたのだが、てっきり断られるものだとばかり思っていたらしい。食い気味に勘違いの言葉を発した少年は、驚きの表情を浮かべた。

 少年は、入学式でジュノを一目見て以来、なんとなく彼のことが気になっていたのである。

以来、クラスの中で浮いた存在になっているジュノのことをずっと気にかけていたのだ

が、この日はジュノの顔が昨日までとどこか違っているように感じて、思い切って声をかけてみたのだった。

それでも、ジュノが素直にうなずくとは思っていなかったので、びっくりしたのである。

「なんだよ。誘ってくれたんだろ?」

 宝石細工に使うつもりだった道具をしまいつつ、ジュノは立ち上がった。

「あ、ああ。そうなんだが……」

 少年は、まだ驚きから回復できていない。それは、彼の後ろで見守るクラスメートたちも同様だ。そして、女子を中心にクラス中がザワザワし始めた。

「じゃあ、行こうぜ。えーと、ポークヴィッツだったか?」

 まだクラスメートの名前も覚えていないジュノに、少年は怒りの声を上げた。

「コールヴィッツ!レルグ・コールヴィッツだ!もう一か月も経つんだから、クラスメートの名前くらい覚えろよな!」

 少年――レルグの怒りはもっともなことで、ジュノには反論の余地がない。

「悪い悪い。今日からは、ちゃんと覚えるよ」

 これも驚くべきことに、「あの」ジュノが素直に謝ったのである。怒っているはずのレルグも、それには毒気を抜かれてしまったようだった。

「まったく……他のみんなも紹介するから、今日中に、全員覚えろよ!」

「わかった。わかったよ、レルグ」

 それまでろくに話もしたことがなかったくせに、唐突に名の方を呼ばれた彼は、驚きのあまり顔を真っ赤にして、また怒った。

「――!きみなあ、急に距離を詰めてくるなよ!」

 ギャーギャー言いながらも、ジュノとレルグは連れだって、中庭に向かい歩き出した。彼らの後を、クラスメートたち……クラスのほぼ全員が追いかける。

 あの、生意気で、偉そうで、口も態度も悪い、友達のいないジュノ・エスカーズが!

 それは、単なる昼休みのレクリエーションだったはずだ。そのはずだが、この日、中庭で行われたバレーボールは、なぜだかたくさんの観客でにぎわったのだった。

【人物紹介】

ジュノ・エスカーズ : ローウェル魔法学院1年1組。「開学以来の天才」と呼ばれる魔術師ウィザードの卵。

レルグ・コールヴィッツ : ジュノのクラスメート。貴族の子弟で、精贈魔法を専攻している。

クローディス・サイクロー(クロー) : 進路指導担当教官。とある理由で、進路指導室から出ることができない。

エルシズ : 無表情、不愛想な行動系魔術担当教官。


【用語解説】

ローウェル魔法学院 : 大陸西部の古都ローウェルにある、大陸一の歴史と伝統を誇る学び舎。

純語魔術ピュアスペル : 「純粋なる言葉」で人々の内なる魔力を発揮する、古代から続く魔術。魔術師が操る。

人見の鏡 : 古代魔術王国時代の遺物。人間の未来を映し出す力を持っているが、未来は変わることもある。

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