ガラパゴス諸頭
世界とは人々の、それぞれの頭の中にある。
何かで聞いたような、聞かなかったような。
それはさておき、要するに主観でしかないということ。人は各々が自身の感覚によって、世界を認識する。
俺にとって赤く見えるものが、ある人にはそうでない。
若者には聴こえる音が、加齢によって聴こえなくなる。
例なんて挙げれば、キリがない。
きっと、百人いれば百の世界があるのだろう。
頭の中に、世界がある。
ただ、俺の場合は少々特別だ。頭そのものにも世界がある。
正確には、頭皮と頭髪。
独自の生態系が、存在しているのである。
何を言っているのか、混乱する人もいるだろう。また、シラミだの何だのが巣食っていると思う人もいるかも知れない。
まあシラミでは無いだけで、生物が生息しているのだけれど。
ヤマノノアタマノネズミ。
それが、俺の頭に暮らす生物の和名。俺こと山野の頭のネズミ。安直ストレート捻り無しのネーミング。
と、思わせておいての変化球だったりする。実際にはネズミに似ているだけで食肉目、イヌに近いと後に判明したからだ。
そのヤマノノアタマノネズミは、頭部生態系ピラミッドの頂点。捕食者の位置。つまりは、他にも色々といるということ。
ヤマノトウヒモグラ、ヤマノケノボリトカゲ、ヤマノノケアナジャコとか色々。鳥類はこれまで見つかっていない。哺乳類や爬虫類に、節足動物ばかり。
学名がついていないものも含めると、軽く50種は越えているとのこと。既に絶滅してしまった生物がいる可能性もあると言う。
島ならむしろ、貧困な生物相になるのだろう。百や二百でも、面積次第じゃ足りない。
だとしても、人の頭では驚異的な種数。門外漢の俺でも、異常さが理解出来てしまう。どうなっているのか。
ここで一つ、言っておかねばならないことがある。
別に俺は不衛生な人間ではない。
ちゃんと髪を、頭を洗っている。適当にシャワーでお湯をかけて終わり、なんてこともしていない。きちんと毎日、……冬は一日置きになったりもするものの、基本的に毎日洗っている。
シャンプーを泡立て、時にはブラシまで使う。すすぎも勿論、しっかり行っている。
それなのに、これ。何故なのかは研究者にも分からない。俺に分かるはずもない。
枕カバーだって、最低でも月に一度は変えている。枕も年に何度か洗濯しているし、日光に当てたりもする。
そもそも枕には、何も生息していないのだけれど。頭から離れた糞や何かが落ちている程度。ごく稀に、遺骸があるくらい。
枕以外となると、さらにそれらの痕跡は少なくなる。布団でさえほぼ収穫は見られず、居住空間全域調査は毎度空振り続き。
彼らはあくまでも、俺の頭の住民なのだ。
様々な外的要因にも対応可能な、独自の生態系が存在している。という事実がある。それだけ。
ところで、何がキッカケだったのか。
発生については知らないが、発見については知っている。もう一年近く前のことだ。
近所のショッピングモール。俺は待ち合わせをすっぽかされ、虚しさにあてどなく彷徨っていた。
マッチングアプリなんて金輪際利用するまい。彼女なんぞおらずとも充実した生活を送れるし。
確か、そんなようなことを考えていた気がする。
吹き抜けの広場になったようなスペースで、何やら企業ブースのようなものが出ていたのは知っていた。その近くを歩いていると「すみません、お時間よろしいですか?」と声をかけられた。
白衣を着た、お姉さんだった。凄く美人と言うわけでは無かったが、自慢出来るぐらいには綺麗で。
鼻の下が伸びていたかは分からないけれど、そりゃ「少しなら」なんて答えてしまう。
……で、ついていったら頭皮チェックとかいうやつで。カメラで頭皮の状態を撮影、リアルタイムで確認させてシャンプーやら売るわけです。
そうしたら、見えちゃいけないようなものが、バンバン映る。お姉さんは見ていない。あくまでも客を連れてくるだけだから。
結果的に助かったことになる。こんなもの見られてたら、どうなっていたか分からない。
助かったと言えば、もう一つ。俺の頭を撮影していたシャンプーメーカーの人が、大学で生物学を専攻していたこと。
しかも、今も在野の研究者をやっており、大学とも繋がりがある。
で、なんやかんやあっての現在。
研究させる代わりに金銭を得る。ある意味で体を売るような感覚に、まるで嫌悪感を抱かなかったと言えば嘘だ。
とは言え、毎回半日くらいの拘束時間で三万円は大きい。早ければ三時間もかからないし、何も痛い目にも合わない。
二週間に一度、ひたすら頭を観察されるだけ。それだけで、月に六万。
土日のどちらかにしてもらえたし、割の良いバイトだ。
そんな暮らしを続けているうちに、元々そこまで金遣いも荒くないこともあり、色々とゆとりが出てきた。
生活の質を上げても良いかも知れない。いつしか、そんなことを考えるようになった。
ドカンと贅沢するのではなく、少しずつ身の回りのあれこれのグレードを上げる。
たとえば、値引きしていない弁当を買うとか、そういう小さな話。
徐々に、人間的で健康的な暮らしに近付いていく。
それは悪いことじゃなかった。俺にとっては。
では、俺の頭で暮らす連中にとっては、どうだったか。
彼らは急速に、どんどん数を減らしていった。
まず気付いたのは、シャンプーを変えた時。
ずっと安価なリンスインを買っていた。プライベートブランドの。それを、メジャーなメーカーものにした。
そう、あのシャンプーだ。そもそもの発端であるメーカーの。
コンディショナーなんかも買ったりなんかして。
こうも差が出るのか、と言うのが感想。
髪の艶が以前までと、まるで違う。全てがシャンプーのお陰では無いとしても、ひと目で分かるレベル。
実際、髪を切りに行った時に指摘されたぐらいだ。その千円カットの店も今は通うのをやめた。
五千円する美容院に、変えたのである。千円で済むのに、なんて小馬鹿にしていた男が五千円費やす意味。世間的にはどうということがないのだろうが、俺にとってこれはかなりの自己投資だ。
そこに行くようになって、勧められるままシャンプーのグレードを上げた。通販で、わざわざ注文するようになるとは。
検査を受けるごとに頭皮環境は、俺の生態系は悪化していった。
頭皮の状態自体は、格段に良くなっている。当然。そうでなければ何の為にお金を使っていたのか分からない。
反比例するように、彼らにとっての良い環境が失われていく。
これがもしも一般論としての自然環境ならば、話は全く変わったのだろう。開発、自然破壊を規制するはずだ。
少なくとも抗議のデモくらいは行われる。
俺の頭についても、研究者から懇願はされた。
協力金を数年後にまとめて振り込む案も出ていたらしい。大幅な減額をすべきと言う意見すら、出たそうだ。
最終的に増額を餌にし、契約の条件が見直されることとなった。
かつての生活に逆戻り。いや、再現か。
しかし、その話し合いから数日後の検査で、予定は変わってしまった。彼らの絶滅が確認されたからだ。
最初の契約条件に盛り込まれていた、検査の為の丸刈りまで行われた。バリカンが容赦なく、ケアされた髪を刈り取ってゆく。彼らを間違って傷付けぬよう、手動で丁寧に、細心の注意を払い。
休憩を挟みながらとは言え、半日まるまる。
それらの何もかもが、徒労に終わった。彼らの姿は見当たらないどころか、もはや痕跡さえ見つからなかった。遺骸、体の断片。糞、食べ残し。
一切、何も。何一つ。
最初から、彼らなど存在していなかったかのように。
俺への謝礼と言うか協力費用は当たり前だが、ここで終了。
研究者達からはもう何の連絡も無い。
気兼ねなく人間らしく暮らせる。喜ばしいことのはずなのに。
奇妙な切なさが、つきまとって消えない。特に頭を洗う時は、嫌でも思い出してしまうからか、酷い。
俺の世界、俺が滅ぼした世界。そこに暮らす様々な生き物、その命。
日に日に、僅かに。髪の毛が伸びる。
チクチクしていた手触りも、いつしか感じなくなって。
それなのに……。
もしも、地球に自我があったなら。
彼女も今の俺のように、切なさの中にいるのだろうか?




