敵対
マツカタのヤローっ!!
怒髪、天、衝きまくりだ。
カタカタと返信すべく打鍵する手が、意図せず震える。勿論、怒りのせいだ。断じて、臆してない。
誇り高き雄々しきタウルスの血が、私の中には流れているのだ。牝牛じゃないか、なんて揶揄する者どもは駆逐してやる。
翡翠は熱い血の滾りを抑えられず、誤字まみれの長文レスを打ち終えると、確認もせずに送信した。掲示板に反映されるまでのタイムラグ、永遠にも感じられるほど長い。
時刻は、もはや夜も明けつつある午前四時半。女学校へは今日もまた眠らずに登校することになりそうだ。翡翠は溜息をつく。
マツカタ。
悪名高い半・固定ハンドルネーム。いわゆる半コテ。
配信時間以外、ほぼ必ずと言って良いほど、ヤツはいた。
特徴は「だよネ」だの「間違ってるヨ」だの、末尾の一文字をわざとらしく片仮名にすること。いつしか誰とも知らず、末尾片仮名と呼ばれるようになった。
ハッキリ言って、掲示板のノイズでしかない。
多くの住人が管理人へ要望を出していると言うのに、一向に規制されないのが腹立たしかった。
管理人の身内。弱みを握られている。或いは両方。
マツカタ=管理人、なんて説まで出ている。
ピョンスのファンが集う場所なのに、サンクチュアリで無ければならないのに。
無視して相手にしない。コテハンでこそ無いが、半コテ扱いされるように判別が用意であることから、対策は簡単ではあった。
彼女も、それは理解している。それでも、ピョンスを誹謗なんて、許せない。タウルス云々はさておいて、ネット上での翡翠は闘牛のように、熱くなりやすかった。ネット上では。
普段の彼女は温厚そのもの。怒った記憶が無かった。家族も友人も、彼女が怒るところを見たことが無い。
ネット上の書き込みを見て、彼女と結びつけるのは難しいだろう。
彼女自身も、ふと冷静に、客観的に、自分の書き込みを見て、ゾッとすることがある。バカ、ボケ、クズ。口からは発した経験の無い言葉が、頻出していた。
この、攻撃的な姿こそ、本性なのだろうか?
翡翠は時折、不安になった。
それでも、それでも、マツカタが許せないのだから仕方ない。
こうして彼女は日夜、敬愛するピョンスの為、悪と戦い続けているのである。
自身の睡眠時間を犠牲に。
翡翠が眠気と戦っている頃、そう遠くない場所で、同じく眠らず夜を明かした少女がいた。
「ふわぁ」
彼女は大きく、伸びをする。
肩や腕、あちこちの筋が強張っている感覚。
配信終了後およそ5時間に渡り、掲示板で論争していればこうもなろう。
「おねーちゃーん、交代」
振り向いて、姉に声をかける。
「あー、もう交代かー。今日も8時前まで?」
「うん、お願い。7時過ぎには起きるつもりだけど、ご飯食べたいし」
「分かった。基本、いつものテンプレ煽り?」
「そそ、どうもやたら食いつく子、学生さんっぽくて。平日なら昼過ぎまでは安全。他の人らは適当でもバレないだろうし」
「別に、半コテの模倣だと思われても良い気がするけど」
「前も言ったじゃん。配信時間以外、常にいる異常者って演出が大事なの。フツーに寝て起きて、ヒマな時はレスバしてます、なんて全然ダメ」
「ピョンスには異様に熱心なアンチがいる、って思わせたいんだったっけ?」
「そう。それが大事なの。じゃ、よろしくね、おねーちゃん」
さっきまで自分が寝ていた布団に潜り込む妹の背中を、姉は悲しげに見つめるしかなかった。
「ファンが可哀想……」
呟きはあまりに小声で、妹の寝息にかき消される。
ピョンス。
簡単に言えば、擬人化したウサギのような外見をした、動画配信者。自作した曲を歌い、ダンスを踊る。
言ってしまえばアイドルである。
ただし、多くのファンは彼女をバーチャルな存在だと認識していた。
CG、着ぐるみ、特殊メイク。もしくは、それらの合わせ技。
あくまでも声だけが、人間のもの。
それだって、加工していたっておかしくない。
自身がいわゆる獣人の翡翠みたいな者だけが、ピョンスが実在する同類だと気付いていた。
普通の人間は、獣人の存在を最初から考慮しない。
必然、ピョンスも作られたキャラクターだと思われることとなった。
彼女自身は、そのことをむしろ面白がっていた。
世に、自身の種族について何か訴えたいとはまるで考えていない。純粋に、楽しみたいだけ。
そこにちょっとばかりの収益までついてくる。彼女はそれで十分だった。
あの場所を知るまでは……。
カタカタ。
落ち着け、と入力したものの何だか無意味な、徒労にしかならない気がして消した。
そんなアドバイスみたいな書き込み、流されて終い。投稿するだけ無駄だ。
青年は、ぬるくなった発泡酒を口に含む。こんな温度なら、仮にビールでも美味しくないだろうな。そう思いながら、飲み下した。炭酸ももう、抜けてしまっている。
仕事にも、一人暮らしにも、なれた。
何事にも、人は慣れていくものだ。
そう、何事にも。
単純に時間の問題なのか、人とはそういう仕組みなのか。自分がそんな性格なだけなのか。何だって構わない。
何事にも慣れる。悪いことじゃない。
適応出来なきゃ、滅びるのだから。
また一口。三缶目の発泡酒は、まだ少し残っている。
もうじき、夜も明けそうだと言うのに。
まぁ、問題ない。明日、正確には今日になるが、休みだ。閑散期と言うことで、持ち回りの用に有給休暇を消化させられているせいで。どうせなら金曜日に取って、三連休にしたかった。
一日、飛び地で休んだって仕方ない。何する予定も無いのに。
なんて思っていたら、つい覗いてしまった。
ピョンスのファンが集まる掲示板を。
キッカケは確か、オススメ的に動画が表示されて。
一目見て察した。彼女は、多分、そういう種族だ。
ウサギ人間。
ファンはどう思っているのか知りたくて、コミュニティを探し回った。
結果、辿り着いた掲示板。
そこはありふれた、掃き溜めのような場所で。常に数人がレスバしていた。学生の頃ならともかく、仕事に疲れた社会人には見ているだけで疲れるようなところ。
良くも悪くも、エネルギッシュ。
ピョンスが何なのかとか、話題を出す気にもなれない。仕方なくログを漁ったが、当然レスバまみれ。
ただ、どうやらウサギ人間だと思っている住民は、殆ど居ないように見えた。
……そりゃ、そうか。
青年は残った発泡酒を、ノドに流し込んだ。缶を手に、台所へ向かう。
カトンッ。
空き缶がシンクに置かれて、思いの外、大きな音を立てた。




