兎耳
母方の祖父が亡くなった。
髑髏塚ずい、御年98歳。あと2ヶ月頑張れば99歳だったが、充分に大往生だと言えるだろう。
流石に寄る年波には勝てぬと言うやつか、このところ足腰は悪くなってはいたが、頭の方はしっかりしていた。少なくとも、話していて老いを感じた覚えは無い。
流行を追いこそしないが、常にアンテナは張っていたらしい。いつもどんな話題でも、返答しないなんてことは無かったし、自分なりに考えをまとめていたように思う。
けして偉ぶらなかったが、求めればアドバイスもしてくれた。どれだけ助けられたか分からない。血縁とは無関係に社長にまで上りつめた人は違うな、なんて思わされた。
要するに自分は、祖父を敬愛していたのだろう。
今更、照れることでもないし、誤魔化す必要も無いか。……好きだった。大学生になり、遠方で一人暮らしを始めても、月に一度は帰っていたくらい。実家に顔を出す為でもあったが、近くで暮らす祖父に会いたかったからだ。
そんな祖父が、もう居ない。
報せを聞いてから通夜の間も、ずっと虚脱感しか無かった。
告別式も参列者の多さと、その顔ぶれに「やっぱり、じいちゃんって凄いんだな」と思った記憶のみ。地方とは言え、地元の政治家たちがチラホラ混じっていたからだ。
それぐらいしか、覚えちゃいない。
祖父は自分の祖父としてだけでなく、世間的にも立派で愛されていた人だった。それが孫としてとても嬉しく、誇らしい。
……そう思ったままでいたかった。
告別式のあと、親戚だけで祖父の家に集まっていた。
今後、その一軒家をどう扱うか、家財道具を含めた遺品をどうするか。そうした話をする予定だったのだが、式で疲れたこともあり、結局思い出話や互いの近況について、わやわや話すだけとなりつつあった。
ピンポーン。
インターホンが鳴った。
「オレ、見てくるわ」と立ち上がって、モニターを確認しに向かう。
画面には、不安げな表情の少女。幼く見えるが、制服を着ているようだし中学生くらいだろうか。
うちに用がありそうには思えなかったが、間違いとかイタズラって雰囲気はしない。近所の子だろうか。
もしかしたら祖父に世話になったとか、そういうことかも知れないと考えて、応答用のボタンを押した。
「はい、どちら様でしょうか?」
「あ、わ、私、あの……」
「はい」
「獣ヶ丘から来ました、……トワです!」
「トワ、さん? どういったご要件で?」
「こちら、あの、髑髏塚さんのお宅ですよね? 髑髏塚さんと、関係のある話で……」
祖父の知り合いなら、そう言えば済むのに。関係ある話とは何なんだろう。
しかし、こんな子供相手に問い詰めても仕方ない。
ただでさえ、緊張しているようだし。
「あー、とりあえず今行きますので、少々お待ち下さい」
「はい、ありがとうございます」
ペコリ、頭を下げた少女を見て、モニターをオフにした。
小さな画面だから、ハッキリとは見えなかったが、ウサギの耳がついたカチューシャか何か付けていた。中学生にしては、ちょっと子供っぽい気がする。
「誰?」と母が尋ねてきた。
「何か、子供」
「子供?」
「トワ、とか名乗ってた。中学生ぐらいの、女の子」
「えー、誰それー?」
姉が聞いてきたが、こっちだって知らない。
「じいちゃんの知り合いっぽいし、下降りて話聞いてくるわ」と俺は部屋を出て、階段へ向かった。
背中から「隠し子だったりしてー」だの何だの、盛り上がる声がしている。あり得ないと思っているから、ああしてふざけられる。
祖父はそんなタイプの人じゃない。孫の俺だけじゃなく、娘である母や叔母もそう信じていた。一昨年亡くなった祖母だって、きっと。
だから、驚いた。
トワと名乗る少女が、隠し子だと名乗った時は。
「これ、CGとか、合成じゃないの?」
「いえ、あの、私の耳、……見ましたよね?」
「でも、ほら、AIだっけ。今、いくらだって……」
「私の、耳……」
少女は、そう言うと俯いた。小さな手は握りしめられて、膝の上で震えている。いや、手だけじゃない。
母と叔母は気まずげに顔を見合わせている。
とてもフランクに話せる内容とも思えず、俺は皆を呼んで一階の和室に集めた。少女も含め全員、正座して相対する形。
祖父に、隠し子がいた。
確かに、俺も信じがたい。隠し子がいたなんて、センセーショナルだ。
その上、問題はそれだけじゃなかった。
祖父に、隠し子がいた。それも獣人と呼ぶべき、ウサギの耳を持った子が。
少女の耳は、作り物には見えない。
彼女が、自身の母だと言って俺に手渡した写真も、本物なのだろう。
玄関の扉を開けた時、少女は自分が髑髏塚の、ずいの隠し子だと告げた。
いきなり想定外の展開。戸惑う俺の手に、少女は数枚の写真を押し付けてきた。そこに写っていたのは、擬人化されたウサギとしか見えない何か。祖父と一緒に写っているものもある。
そのウサギを母だと言うと、少女はこちらに頭を下げた。手で付け根あたりの髪をかき分け、ウサギのような耳が、頭から直接生えていることを見せる。
一呼吸置いて、少女はトドメのように、本来は耳があるはずの場所を確認させた。頭髪に覆われた、その場所を。少女がいくらかき分けようとも、チラチラと地肌がのぞくだけ。そこには耳が存在した痕跡すら、無い。
その光景を初めて見た瞬間、恐怖した。少女には申し訳ないが、限りなく嫌悪感に近いものも抱いた。
ウサギの耳はリアル過ぎるとは言え、アクセサリーのように見える。生え際と言うか、根元を見せられた今でも、気持ち悪いとは思わない。
だが、耳が存在するはずの場所に、髪が生えているのは、受け入れがたい。それこそ、AIが変な画像を出力したようであった。
もはや隠し子かどうかよりも、少女の存在そのものが俺を混乱させている。そこからどうやって皆を呼んだのか、思い出せない程に。
「お母さんは、家に?」
空気を変えるように、叔父が聞いた。元々ゆるい雰囲気の人だが、こんな状況でもそのまま。祖父とは違う意味で、凄い人だなと思う。
「はい。……その見た目なので、獣ヶ丘からは」
「え、自由が丘に住んでるの?」
叔母が口を挟む。
「いえ。獣と書いて、じゅう。獣ヶ丘です。……母みたいな人たちが住んでいる町です」
「あ、ああ、そう……」
お互い、何も悪いことはしていないのに気まずい。
母みたいな人。彼女のような、ほぼ人の見た目をした住人は少ないのかも知れない。
その獣ヶ丘はどこにあるのか知らないが、人が近寄らないような場所なのだろう。噂すら聞いたことも無い。もしも、そこで映像や写真を撮って公開したら、どうなるか。
きっと今なら合成とかAI生成だと思われて、大して話題にもならず終わりかな。
そんな不謹慎で無関係な想像でもしてなければ、どうにかなりそうだった。祖父が、あの、ウサギ人間と。
目の前の少女みたいな、言ってしまえば軽いコスプレめいた外見ならともかく、彼女の母はウサギそのもの。服を着ていたので分からないが、きっと全身が毛で覆われているのだろう。まさか、顔や手足だけがウサギっぽいなんて、無いはず。
「それで、言い方は悪いんだけど、トワさん?」
「はい、なんですか?」
「君は一体、どうして、ここへ。その、髑髏塚の家に来て、隠し子だと明かしたのかな?」
言外に遺産関係かと言っているように、俺には聞こえた。
また、どちらかと言うと、そうであって欲しいと願うようにも。
幸いなことに、遺産で揉めるような状況に、オレたちは無かった。何なら、叔父と叔母は相続した上で寄付するつもりらしい。だから、下品な物言いになってしまうけれど、お金で解決するならありがたいぐらい。
「母が、その、……お悔やみ申し上げて来るように、と。母は、……ここに来ること、出来ませんから」
その言葉に、全員、動きが止まった。瞬きや呼吸すら、一時は止めたように思う。
誰も何も言わなかったが、ある種羞恥心めいたもので、胸が苦しくなったのだろう。少なくとも俺は、恥ずかしさに少女を直視出来なかった。
ウサギにしか見えない、彼女の母。オレたちよりも余程、人間が出来ている。それ自体も恥ずかしかったが、無意識に下に見ていたことが、より恥ずかしい。
「お騒がせしてすみませんでした。これで失礼します」
立ち上がると一礼し、彼女は去っていった。
玄関のドアが閉まる音が、やけに大きく響いた。




