第八話『招待状その1~宇月晃・大岩拓馬~』
「では、今日の講義はここまで。レポートはAIを頼らずに書くように」
講義室で教壇に立つ小柄な男は、流暢な英語で学生に笑いかけた。白衣の下のスーツはくたびれ、後頭部で束ねた黒髪が無造作に跳ねる。分厚いメガネの奥の垂れ目が、人懐っさを漂わせている。
ケイ――宇月晃、30歳。理論物理学の博士号を持ち海外の大学で教鞭を執る彼は、ある時を境に宇宙と脳の関係についての研究に没頭していた。
夜、仕事を終えた彼は自室のソファでVRヘッドセットを被り、仮想空間で再現した擬似宇宙を観察する。使用デバイスは太いコードが接続された、今では珍しいヘルメット型。機器の軽量化が進んだ2042年現在、VRで遊ぶなら負担の少ないカチューシャ型やメガネ型が一般的だが、膨大なデータを扱うには有線接続が必須だった。
実験では恒星の超新星爆発をシミュレートし、粒子の動きを追う。成功すれば太陽系が再現されるが、失敗なら設定を変えてやり直し。
刻々と変化するタイムラプスと信号のパターン。ビッグバンの残響をぼんやり眺めながら彼はふと、VRに初めて触れた日を思い出す。
大学の友人に誘われたのがきっかけだった。数年前に見送ったときからVR技術は驚くほど進化しており、理想郷と呼ばれる理由が分かった。夢にまで見た未来のサイバーシティから憧れのノスタルジー、90年代のカジノ街まで……好きな場所で好きなように過ごせる。そして話題の『ドミトリー館』ではまるで直接、事件の現場に居合わせたかのような緊張感。
以降は課題が行き詰まったときに散歩したり、気が向けば『ドミトリー館』をプレイして頭を解した。やがて成績上位者として、大会の招待を受けるほどにやり込んでいた……
楽しかった思い出に浸っていると、ふとバグを見つける。
「あぁ、またやり直しか……」
呟きと同時に、メールの通知が鳴った。
「クマさん、相談があるんだけど時間取れる?」
「オーナー? 別に構わんが」
返事をした大柄の男性は、調理の手を止めず答えた。癖っ毛をバンダナで縛り、筋肉質な腕で鍋を振るう。動作は丁寧で、180センチを超える体躯が棚や人にぶつからないよう常に気を配っている。
その様子から厨房では『クマさん』とあだ名が付くくらい、見た目に反した繊細な気質をしていた。
タクマ――大岩拓馬、41歳。老舗レストランの料理長。DXで仕事が減った現代でも、昔気質の料理店では未だ人手を必要としていた。
この仕事に就いて良かった、と彼は常々思っている。実家の食堂で育った彼にとって、デジタル注文は客との関わりを隔てる壁だ。口頭でのオーダーが当たり前で、客とのやり取りを温かく感じられるこの職場を愛していた。
『ドミトリー館』の大会に出ることになったのは当時、好意を寄せていた女性の頼みがきっかけだった。
VRイベントの代理参加。彼は一瞬でVR空間の独特な交流に魅せられた。それから何度もアバターを変えて自分の自然体を模索した結果、例の豪快なキャラが生まれたのだ。
人狼ゲームには興味がなかったが、交流目的で何度も遊んでいるうちに、アバターの表情や仕草から不思議と相手の感情まで把握できることに気づいた。食材を吟味し手早く調理するように、相手の発言と感情を照らし合わせ、その齟齬を指摘するうちに上位プレイヤーまで上り詰めていたのだ……
オーナーからの相談内容は難しいものだった。「物価高で経営が厳しい。このままでは融資が返せず、店を畳むしかない」
解決策は見つからず、肩を落として帰宅した彼に未読メールの通知が光った。