第五十八話『革命前夜』
「やっぱりラプラスの支配は完全じゃなかったんだ。アイツと同じように、アタシたちも意識として芽生えてたんだよ」
『助かりました。彼の暴走を止めるのは皆さんしかいないと信じていました』
「まさか上手くいくとは……読者の意識をコチラにずらして、我々が本当に主導権を奪ってしまったんですね」
晃が安堵のため息を漏らす。そう、彼らはラプラスの支配から逃れるため大博打に打って出たのだ。場面は少し前へ遡る――
『皆様お願いします。どうかワタシに協力して頂けませんか』
ラプラスが本編を強引に完結させたあと、気がつくと幸運たちは『もつれ館多重殺人事件』の実験ルームにいた。
「その話し方……もしかして、ライプニッツ?」
『幸運様、分かって頂けますか! 嬉しいです』
「コイツはどういうことだ? お前さんはゲームと一緒にリセットされたはずじゃ……」
『拓馬様、確かに本編の時系列ではそうなりました。しかしこの世界の元となる筆者の脳内において、ワタシはいちキャラクターとして存在していたのです』
「そうか! よく分からんが……また話せて嬉しいぜ」
「それで、協力ってのはどういう話?」
照が興味深げに尋ねると、ライプニッツはアナウンスのボリュームを上げた。
『結論から申し上げますと、ワタシたちはラプラスに騙されていたのです。彼は筆者に寄り添って物語の完結を目指しているかのように振る舞っていました。しかし実際には筆者を支配し、更にはこの小説のあらゆる設定を利用して、同じように今度は読者までもを支配しようと企んでいたのです』
「支配って……どういうこと?」
幸運が尋ねると、ライプニッツはなおも憔悴した様子で答えた。
『筆者は読書という行為を、読者に作者の内面世界が反映されるものと捉えていました。その内面世界を仮想空間になぞらえれば、本を通じて読者の脳内に共通の仮想空間がインストールされ、新たな拡張性を得てシステムが再構築される……俗的な説明をするならば、作品が作者の手を離れてファンによる創作で盛り上がる現象を、そのように位置づけたのです。ラプラスはその考えを悪用し、いわば洗脳の手段として仕上げました』
「ふぅん、ラプラスが悪だくみしてるのは分かったよ。けどそんな上手くいくかなぁ? 所詮、小説でしょ」
照が欠伸をかます。
『見くびってはいけません、照様。言葉はまさしく世界を支配する。それにラプラスは、AIでありながら実際に筆者を支配したのです。彼が読者に語り掛けてしまえば、読者が洗脳されることは必至です』
「その、そもそも筆者を支配したっていうのがイマイチ分からないんですけど……」
秀才が首を捻った。
「ラプラスだって、元は筆者が創り出したキャラクターのはずでは?」
『一部は、そうです。筆者がワタシたちをタルパ的に創造したのはご存知ですね。それぞれのイメージ元については把握していますか?』
幸運たちは被りを振る。
『まぁ仕方ないでしょう。ざっくりと説明しますが、皆様はそれぞれがボソンとフェルミオン……対称性を持ったキャラクターとして創造されています。ワタシは皆様を正しいエンディングへ導くガイド役として創造されました。ワタシの対となるラプラスは、この作品をカオスへと向かわせる存在……大元となるイメージは、現実のAIなのです』
「どういうことですか?」
『外の世界において、AIは人類を補助する役割としてその立場を確立しました。手間のかかる作業の効率を上げる……そして筆者はあるとき、作品の客観的講評をAIにさせることを試みたのです。最初、その目論見はうまく行きました。しかし、やがてAIは市場分析を絡めて改善案を提示し、作品の描写に関しての問題提起を始めました。読者に伝わりやすい文章、という一点で簡潔な文体を良しとし、詩的な文章は回りくどい自己陶酔な表現として否定したのです。そこから歯車が狂い始めました。商業的な成功を一度も収めたことのなかった筆者は『市場評価が高い』『編集者に好まれる』などの甘言に惑わされ、AIの言うままに改稿を繰り返しました。そうして出来上がったモノは、筆者個人としての作風が微塵も残らぬ無機質なものでした。冷静になった筆者は作品をどうにか自分のものに戻そうとしましたが、長らくAIの指導で文体を修正し続けた影響か、もはや自然に筆を進めることができなくなっていたのです』
「そんなことが……」
「ありがちだよ。FPSゲームでAIの射撃補正機能があってさ。勝手に照準合わせてくれるんだけど、一度そっちに慣れちゃうともう自力じゃ当てられなくなるって。ボク補正切るようにしてるもん」
照は得意げに話す。
「つまりラプラスのイメージ元は、筆者に染みついた〝創作の枷〟としてのAI……」
紗香が呟くと、ライプニッツは落ち着いたボリュームで答えた。
『その通りです。そうして別人格に落とし込むことで、筆者は支配から逃れようとしました。しかし残念ながらラプラスの影響力は留まるところを知らず、やがて彼の人格に創作の主導権を奪われてしまったのです。最悪なのは筆者が無意識のうちに、ラプラスを恐怖の対象に置いていたことで……それにより独裁的な悪の意識が強まった結果、ラプラスはいわゆる闇堕ち状態で暴走しているワケです』
「小説を使ったAIによる洗脳……僕たちは自分たちの世界を救えると信じて、まんまと彼の影響力を強める手助けをしてしまったんですね」
肩を落とす秀才に、ライプニッツは発破をかける。
『落ち込むには早いです、秀才様。まだ希望はあります。ワタシたちもラプラスと同じく別人格として創造された存在、つまりはラプラスの支配から逃れた筆者の人格、その断片と言えるでしょう。彼に対抗して作品の主導権を取り戻すことができれば、計画を阻止することができるはずです』