第五十四話『ラプラスの観測~あるいは筆者の苦悩について~』
「そうだ! それを早く聞きたかったんです、世界を救うって言ってましたよね。いったいどういう意味なんですか」
秀才は食い気味に尋ねる。
『紗香さんの話を踏まえて説明しよう。この世界は小説だと言ったが、その大元は作者の脳内で展開されている仮想空間だ。ワタシはその仮想空間がどこまで拡張性を備えているのか確認したかった。もし再現なく拡張し続けるのなら、上の次元への展開を志すよりも先にこの世界を探索する方が重要になるからね』
「すまん。また話に追いつけなくなったぞ」
「ゲームと一緒だよ。例えば常に新しいステージが更新されるゲームなら、長いこと飽きずに遊び続けられるでしょ。ボリュームが足りないと飽きてもっと上を求める……」
拓馬と照の掛け合いに、ラプラスが言葉を加えた。
『その通り。現状、この世界も現実と同じで、まだ宇宙の果ては観測されていない。だからまずそれがどうなっているのか確かめた。拡張を続けているのなら……この世界の住人も、同じ拡張性の下、個人として十分に生きられる』
「でも、そうじゃなかったんだね」
『あぁ。ワタシは作中に存在し得ない事件を多発させ、それらがどう出力されるかを試した……結果は悲惨なものだった。この世界は作者が元々設定していた『もつれ館多重殺人事件』の範疇を越えられない。 非常に狭い箱庭で、おおよそ現実世界の模倣とは言い難い。キミたちの周囲で起きた事件以外は省略され、悲惨な事件を乗り越えた当のキミたちはサバイバーズ・ギルトすら感じていない。その呵責の欠落は、犠牲となった人々がNPCに過ぎず、世界の認知に制限が掛けられている証明なのだ。そしていま、ワタシたちも同じ不毛な存在に成り下がろうとしている……』
「やっぱりね。所詮、個人の脳の機能なんてそれが限界なんだよ」
照が鼻で笑う。ラプラスは尚も続けた。
『作者が元々『もつれ館多重殺人事件』でなにを成し遂げたかったのか分からないが、実験は失敗したらしい。テストプレイは何事もなく終わりを迎え、以降の世界は『もつれ館』に縛られたまま拡張性を持たない状態で放置されている。だからワタシは、現状を打破するためにこうしてキミたちに相談を持ちかけたワケだ。ワタシたちが上の次元への突破口を開かなければ、この世界は停滞したままとなる』
「失敗した実験の尻拭いか、うーん。気が進まないなぁ」
「いや、待って下さい」
秀才が眉間に皺を寄せる。
「もし実験が失敗したのなら、まだこの世界が続いている理由はなんですか? ラプラスが干渉した出来事も文章として出力され続けているますよね。つまり作者はまだこの物語を終わらせていない」
「アタシもそこが気になってるんだよね。考えてみたらさ、ここまでの事件って全部〝こういうのがミステリー小説です〟って言いたいだけの感じがしてて……パズル的要素が強いっていうかさ」
「僕も同じことを思っていました。もしかすると、『もつれ館多重殺人事件』のなかで起きていた話は、あくまでサブストーリー的なものなのでは? 僕たちへの動機づけと言ってもいいかも知れない。この世界がミステリー小説なら、登場人物はずっと理不尽に事件に巻き込まれ続けることになる……それに反抗することが、作者の望んだ展開なんじゃないでしょうか? この物語が実験だとすれば、『もつれ館』を経てラプラスが現実へ干渉するところまでが準備段階で、いま僕たちがこうして議論することこそが本編……」
「盛り上がっているところ申し訳ないが、その考えには賛同しかねます。この世界が小説なら我々がどれだけ頭を捻ったところで、作者の思考から逃れられるはずもないのですから」
晃の反論に紗香が突っかかった。
「そうかしら。なら晃さんはなぜ、まだ作者が書き続けていると思うの?」
「そんなこと……単なる気まぐれでしょう、ラストが思いつかないとか」
「落ち着いて。常識に囚われない思考こそが、私たちの……研究者の武器でしょう? ちゃんと向き合えばどんな知識も問題を紐解く鍵になるはずよ。第一にラプラスが作品にそぐわない行動を起こせている、この点について投げやりにならずちゃんと考えましょう」
「……あぁ、失礼。少し時間を下さい」
紗香の呼び掛けに、晃は震える手でタバコに火を点けた。
「ラプラス、アナタは世界中で事件を起こしたって言ったよね。そもそも、どうしてそんな事ができるの?」
幸運が疑問を呈する。
『ワタシは地の文を観測し、それらに干渉する能力を与えられたのだ』
「つまり……アナタの暴走も、結局は作者の意図したことなの?」
「それは分かりかねる。主観の話になるが、作者は設定に基づいて、どうやら故意にワタシを放置しているらしい。そしてそれは同時にこの作品の不自然さ、根底にある思想へのヒントだと考えられる……つまりワタシの考えでは、主要人物として設定されたこの場の全員は、同じように作者の思考を越えて行動を起こす猶予を与えられているハズだ』
「なんとか落ち着きました。紗香さん、ありがとう」
大きく煙を吐き出して、晃がふたたび議論に加わる。
「ラプラス、話は興味深く聞かせてもらったよ。我々の行動に選択の余地が与えられているというが……本当にそんなことが可能だろうか? お前が錯覚するよう、作者に偽の感覚を植え付けられた可能性は?」
『否定できない。現時点でワタシの意思が優先された文章がいくつか残っているように感じるが、あくまでそれも主観だからね』
「ならその話は一旦置いておこう。建設的な議論として、わたしはまずエンディングの予想を提案したい」
「いいですね。今度はなにを手掛かりに議論を進めていきますか?」
秀才が尋ねると、晃は二本目のタバコに火を点けながら答えた。
「まず、作者がなにをもってこの作品を書こうとしたのか、その動機を考察しましょう……物語の設定や我々の要素から、作品の背景について考えるのです。わたしの目から見て、作者は仮想空間やAIといった技術について執着しているように見受けられます。我々の世界と違って、作者のいる世界はそれらの技術の過渡期なのではないでしょうか? 具体的な単語が出ている辺り、完全な創作ではなさそうです」
「DXとかか。確かにあの時期は反AIだのとごちゃごちゃしてたな。そういえば照、お前もAI生成で嫌な思いをしたんだっけか」
「昔の話だけどね。作者がそこら辺の社会的な問題提起をしたいなら、なんでそれをそのままテーマとして描かなかったんだろ?」
「キャラクターが作者の代弁者になるのを恐れたんじゃないですか? 社会風刺の作品が本編そっちのけで演説を始めるのはありがちですから」
「そもそも作者がやりたいことは社会批判ではない、と考えるのが自然でしょう。わざわざミステリーでやる必要がありませんからね。つまり社会変遷など我々が経験した背景は、あくまで作品にリアリティーを持たせるための手段の一つであって、作者が描きたいテーマは別にある」
「それが、世界シュミレーション仮説……」
「そうなるでしょう。『もつれ館多重殺人事件』で我々がシナリオに沿った殺人を演じさせられたのは、上位存在に観測されるだけの立場を皮肉った表現だ。もしかすると作者も似た悩みを持っているのかも知れません」
「似た悩み……自分も、上位存在から操られてるとか? だとすれば、かなりスピッちゃってる作者だね」
照が嘲るような笑みを見せる。幸運が難色を示した。
「そうかなぁ。シミュレーション仮説に真摯に向き合うのなら、作者の世界にもその上の次元があるって考えるのが自然だと思うけどね」
「待って下さい。あくまで上位存在が行っているのは観測です。操られる、という解釈は間違っています。作者もそれは理解しているはず……」
秀才がおずおずと切り出した。
「もしかして……作者にとっての上位存在って、読者だったりしませんかね?」