第四十三話『晃の推理』
「晃さん、ありがとうございました。庇って下さって……」
「いや。わたしの方こそ最初に助けていただきましたから。では失礼」
五月雨紗香が泣き止んだのを確認してから席を立つ。西原照と東幸運は既に二階へ移動していた。わたしは彼らを追って捜査へ向かう。
四谷秀才の現場、206号室に向かうと西原照がいた。
「照さん、なにか見つかりましたか」
「……晃さん」
彼はわたしを一瞥する。
「晃さんは、ボクか幸運ちゃんが犯人だと思ってるの?」
「なぜ?」
「だって、紗香さんを庇うってことはそういう意味だろ」
西原照はそう言って椅子に座った。わたしも正面に腰掛ける。彼とこうして、ふたりきりで話をするのは初めてだった。
「照さんは、あくまで紗香さんが犯人だと?」
「今のところはね。差し入れを準備したふたりのどっちかだと思ってる。秀才さんの事件については、まだ晃さんも容疑者から外してないけど」
彼はいつになく真剣な眼差しでわたしを見た。
「どうでしょう。例えば拓馬さんを殺した犯人が、秀才さんだったとは考えられませんか? 彼は突発的に毒を入れ、あとからそのことを自覚して命を絶った。そして運悪く拓馬さんが同時に死亡してしまった……」
「いや、それはないでしょ。もし自覚したのならその時点で拓馬さんに伝えてライプニッツに処置してもらえば、誰も死なずに解決したじゃん」
「自殺までがシナリオだったというワケです。つまり犯人が先に死亡して、後から被害者が生まれる……生き残りの中に犯人がいるという、前提を覆すトリックですよ」
「うーん。じゃあ彼はどうやって毒入りのおにぎりを用意したの? 男性陣にはアリバイがあるでしょ。ずっと麻雀を打ってたんだから」
「差し入れられたものに、毒を塗った手で触るだけでもいい。あれから女性陣を含めて交代で打っていましたから。我々が麻雀に興じている間、見物してるフリをして死角で細工をしたのでは?」
「確かに可能だけど、その行動をライプニッツが看過したのは不自然だよ。時間差のあるトリックならライプニッツに干渉の余地があるはずで……」
「ふむ。では同じ理屈で、紗香さんや幸運さんがおにぎりに毒を入れたのなら、それもライプニッツが防いだはずですね。どうですか? それでも彼女を疑いますか」
わたしのセリフに、彼はハッと目を見開いた。
「そうか……確かにそうだ! だとすれば」
彼は弾かれたように席を立ち、注意深く周りを見渡す。
「どうしたんです」
「ライプニッツが消えた理由、分かったかも。それと犯人が犯行を起こせた理由もね」
「……お聞かせ願えますか」
「もしライプニッツに、自身の意思に反するようなプログラムが残っていたとしたら? 例えば〝創造主には逆らえない〟とかさ」
「創造主?」
「ゲーム制作者の森明源だよ。もしこの六人の中に彼がいたとしたら、彼の行動はなにより優先されるはず。これは彼が望む完璧なプレイを実現するためのテストプレイ……つまり森明源だけは唯一、ライプニッツの監視下でも自由な行動ができたはずさ」
「なるほど、理屈は通っているようです。しかし我々の中に制作者本人がいたのなら、バグが発生していると分かった時点で身分を明かして、もっと効率的に行動するはずでは?」
「これはボクの想像だけど、彼はあくまで純粋な参加者としてゲームを楽しむために、制作者としての記憶を消しているんじゃないかな。だからボクらと同じ反応しかできなかったんだと思う」
「ふむ。だとすれば自覚がないままライプニッツの制約から逃れ、犯行を起こしたというのも辻褄が合いますね」
「うん。そして彼の犯行を防げないと悟ったライプニッツは、他の人物が犯人となるシナリオへ移動した……どうかな?」
――わたしは彼に賞賛の拍手を贈った。
「素晴らしい推理だと思います。しかし依然として、犯人がなぜ殺人を犯したかについては謎のままだ。その点についてはどうお考えですか?」
問い掛けてしばらく様子を伺うが、西原照は考え込むように返事をしない。
「失礼、気分を害したのならお詫びします。ではまた後ほど」
黙り込む彼を残し、わたしは踵を返して部屋を出る。するとちょうど、自室に入ろうとする五月雨紗香と鉢合わせた。
「あっ晃さん。どうしてその部屋に?」
「どうしてって……照さんと事件について意見交換をしていたんですよ。捜査で手に入る情報は限られていますから、現状を論理的に説明できる案がないか話し合ったんです」
「あぁなるほど。それで、どうでした? なにか進展はありましたか?」
「えぇ、少しね。ゲーム開発者の森明氏が容疑者の候補に挙がりました。森明源は参加者に紛れているのではないかと。問題はなぜ犯行に及んだのかという点ですが、そちらは結論が出ませんでした」
「森明源……もりあきげん……あれ? ちょっと待って下さいね」
彼女は廊下に出て早口言葉のようにゴニョゴニョとなにか唱えると、パッと閃いて顔を上げた。
「分かりました! ジェームズ・モリアーティですよ!」
「モリアーティ? シャーロック・ホームズの宿敵ですか」
「えぇ。森明源って偽名なんですね。ゲン・モリアキで発音を掛けてるんです。もっと早く気づけたなぁ」
無邪気にはしゃぐ彼女に少し戸惑いながら尋ねる。
「紗香さんは、そういうのが得意なんですね」
「吃音を治す一環で、似た言葉を探すのが好きなんです。モリアーティなら当然、私たちを皆殺しにしそうですね」
彼女は意地悪そうに笑う。
「はは、物騒なことを。そうだ、紗香さんはどう思いますか? ライプニッツが脱出の条件を説明してくれたのに、犯人がなぜ殺人を選んだのか」
「えぇと、そうですね。もし犯人がこのゲームの開発者なら、バックドアを仕込んでるんじゃないかと思います。つまり自分だけは確実に現実世界へ脱出できる方法があって、その条件が犯人としての勝利……とか?」
「ほう! それはまた面白い。犯人は我々の知らない条件で脱出を目指していると」
「えぇ。開発者目線で考えればその方が自然です。バグで生まれたAIの言うことより、自分が設計した脱出手段の方が信頼できるでしょう?」
「言われてみれば確かにそうだ。やはり紗香さんは目の付け所が違いますね……」
そのまましばらく時間を忘れて、五月雨紗香と会話を楽しんだ。まだ事件は解決していないというのに、他愛のない話題も存分に話した。
もしかすると互いに無自覚で、このまま現実には戻れないことを恐れていたのかも知れない。今際の際に別れを惜しむように、わたしはできる限り彼女のことを心に刻んでから部屋を後にした。
やはり五月雨紗香が犯人だとは思えない。それに西原照、事件について意見を交わしたときの、あの真剣な目つき。彼も犯人だとは到底考えられない。となれば……
わたしは確信めいた気持ちで、容疑者の元へ向かった。