第四十話『サプライズ③』
午後四時。四谷秀才にプログラムへのアドバイスを受けようと思い立ち、彼の部屋206号室を訪ねた。
ドアをノックすると、しばらくして寝ぼけ眼の彼が顔を見せる。どうやら昼寝をしていたらしい。
「すまない。タイミングが悪かったかな」
わたしがおずおずと尋ねると、彼は欠伸をかみながら答えた。
「いえいえ。どうしたんですか? 部屋に訪ねてくるなんて珍しい」
「実は内密な相談がありましてね……入っても?」
彼は頷くと、快く招き入れてくれた。部屋は乱雑としており、メモ用紙がいくつも散らばっている。わたしが興味を示したのを見て、彼は照れくさそうに笑う。
「それ、新しいゲームのシナリオです」
「ゲームですか、てっきり小説かと思いました」
「これはRPGになる予定なので、ほとんど小説みたいなもんですね」
「ロールプレイングゲームですか……懐かしい。最近も流行ってるんですか?」
「いえ。流行りってほどじゃないですが、今回のプロットに一番合う形態かなって」
「なるほど。いいですねぇ、原点回帰だ」
「ところで相談っていうのは?」
彼はポットでお湯を沸かしながら聞いてきた。
「実はずっと、密かに秀才さんに相談したいと思っていたんですが……普段AIにプログラムを書かせておいて、こんなときだけ本職の方に頼るのは気まずくて、なかなか言い出せなかった」
「そんな、気にしなくていいのに」
彼は微笑んでコーヒー粉の計量を済ませる。
わたしはまず、このVR空間の食事に関しての考察を聞かせた。彼が理解を示してくれたのを確認して、自分の実験におけるその応用と、プログラム上の質問を添えて意見を求める。
「なにか、いい案はないでしょうか?」
「案の定、難しい話ですね。擬似宇宙空間の再現……話を聞く限り、確かにプログラムに改善の余地があるように思います。ただ、シミュレーションとしての物理的な整合性に関しては知識がないので、手始めに晃さんが使っているAIに上手く解決策を提示させるようなプロンプトを考えてみましょう」
彼はそう言うとコーヒーをカップに注ぎ、テーブルに置いた。続いて紙と鉛筆を手に取り眉間に皺を寄せ、しばらく思案すると思い出したようになにやら書き始めた。
「すいません、ちょっと時間が掛かると思います」
彼は一心不乱にメモを書き殴る――それとなく見てみるが、素人にはさっぱりだった。
「では、また後で受け取りに来ることにしますね」
コーヒーを一息に飲み干して、わたしは部屋を後にした。
午後五時。自室に戻ろうと南棟に入ると、廊下で大岩拓馬と遭遇した。差し入れを詰めたタッパーで両手の塞がった彼は、ドアを開けるのに苦戦しているところだった。
「大変そうですね、手伝いますよ」声をかけ、代わりにドアを開ける。
「助かるぜ。どうだ? ひとつ」
「いえ、貴方のために作られたものですから。遠慮しておきます」
「……確かにそうか。ありがとな」
「こちらこそ。いつも美味しい料理をありがとうございます」
「よせよ、まだ涙腺が緩んでんだ」
彼は言いながら思い出し泣きをしたのか、大きく鼻を啜って部屋に入っていった。
自室に戻り、椅子に腰掛けて物思いに耽る。平和だ……この館が殺人の舞台として用意されたのを忘れるくらい、今日は平和な一日だ。こんな穏やかな日々が続くのなら、どれほど良いことだろう。そんな風に考えて、気がつくと眠りに落ちていた。
午後六時。廊下の喧騒で目を覚ます。なんの騒ぎかと思いつつ伸びをすると、淡々としたアナウンスが響いた。
『大岩拓馬さんがお亡くなりになりました。事件の捜査を開始して下さい』
慌てて部屋を飛び出す。203号室の前には西原照と東幸運が立っていた。彼らが第一発見者らしい。
「なんで! どうしてこうなるの!」
泣き叫ぶ東幸運を、西原照が宥めている。
「拓馬さんは?」
わたしが問い掛けると西原照が首を振って部屋の中を指差した。恐る恐る覗き込む。彼は仰向けで床に倒れ込んでいた。
「ボクが来たときには、もう……」
そう告げる西原照の目にも涙が浮かんでいる。突然の事態にわたしも困惑した。なぜこんなことが起きた?
「とにかく捜査を始めなければ。パインズゴーグルを取ってきましょう」
広間に向かおうとしたとき、北棟から五月雨紗香が青褪めた顔でやって来る。
「さっきのアナウンス、本当なの?」
「ええ。残念ながら」
「そんな……」
彼女はぺたりとその場に座り込む。東幸運が泣きながら駆け寄ると、彼女を介抱した。
「おふたりとも少し休まれた方が良いでしょう。落ち着いたら合流なさって下さい」
わたしは西原照とふたりでパインズゴーグルを掛け、現場に戻る。
「これは……毒殺ですね」
遺体の服が吐瀉物で汚れている。パインズゴーグルによると、その内容物から劇薬のパラチオンが検出された。
「こんな名前の瓶はなかったと思いますが……一応、倉庫を確認してきます」
倉庫の棚を確認したが、パラチオンという名の薬品は見当たらない――現場に戻ると、東幸運と五月雨紗香が合流していた。
「こんなことって……」
五月雨紗香は以前として衝撃を受け止め切れない様子で、嗚咽している。
「ねぇ、そういえば秀才は?」
現場を見回りながら西原照が呟いた。
「あぁ。彼にはプログラムのお願いをしたので、作業に熱中しているのかも知れません」
「あのアナウンス聞いて、出てこないなんてことある?」
「わたしが声を掛けても気づかない様子でしたから……呼んできましょう」
206号室の前に行き、ドアをノックする。
「秀才さん、入りますよ」
返事はない。ドアを開けると……彼は部屋の奥で壁にもたれ掛かるようにして、首を吊って死んでいた。
『四谷秀才さんがお亡くなりになりました。捜査を開始して下さい――』