第三十九話『サプライズ②』
目の前に差し出されたおにぎりの山を見て、大岩拓馬は全てを察したらしい。既に目が潤み始めている。
「これ……幸運ちゃんが?」
「うん! 紗香さんとふたりでね」
「そうか……それでオマエらは、オレを麻雀に誘ったってワケか」
「その通り。どうやらサプライズ大成功だね」
西原照が満足そうに笑う。
「う、うおぉ……こんな……こんなに嬉しいことは……」
「拓馬さん! なんで泣いてるの、お口に合わなかった?」
遅れてやってきた五月雨紗香が慌てるほど、大岩拓馬は大粒の涙を溢して泣いた。わたしは慌てて、彼に代わって説明する。
「違いますよ。彼は感極まって泣いてるんです。まだ一口も食べてません」
「うぐっ……ぐすん。その通りだ。こんな嬉しいサプライズは、今までなかったから……」
「もぉー! そんな風にに泣かれると、こっちまで泣けてくるってば」
言いながら東幸運は鼻を啜る。目の周りが少し赤くなっていた。
「さ、出来たてを召し上がれ!」
「……おう。じゃあ、ありがたく」
大岩拓馬は涙を拭っておにぎりを一つ手に取る。三角形に海苔を巻いた、絵本に出てくるようなおにぎりだ。彼は大きく口を開け、豪快に齧った。
「……ウマい。こんなにウマいもんなんだなぁ」
彼は一気に手の中の残りを食べると、皿からもう一つ手に取って食べ始めた。その様子を見て、五月雨紗香が安心したように言う。
「お口に合ったようで何よりね。いつも作ってもらってる料理とは比べ物にならないけれど……」
「そんなことない。料理は愛情なんだ。オレはいつも食べる人のことを考えて料理を作ってる。このおにぎりにも同じものを感じるよ……優劣なんかない、本当だ」
「うふふ、嬉しいわ。ありがとう」
五月雨紗香の声色は、心なしか弾んで聴こえた。
そのやり取りを見てふと思い起こされたのは、ここがVRによるシミュレーション空間だという事実だった。
本来、VR空間での食事はおままごとでしかない。一般的なVR機器は脳に直接的な影響を及ぼさないし、仮想空間上での食事は視覚体験のみで、動作によって食べたように見せ掛けているだけだ。当然、栄養を得ることもできない。
だが、現在の我々はポッドにより栄養が補給され、現実の食事が必要ない状態。長期間の仮想空間生活に際し、食事という行為が五感を刺激する重要なファクターとして設定されていることは明らかだ。
食べた物のデータを、システムがどう変換して脳へ送っているのかは定かでないが、実際にわたしも大岩拓馬の料理には舌鼓を打ったし、食欲を唆るあの香りや、口の中に唾液が湧く感覚は現実さながらだ。
そう考えると、改めて『もつれ館多重殺人事件』が目指すリアリティーというものが、既存のVRとは一線を画していることを再認識せざるを得なかった。
午後三時。サプライズが終わり、あれから結局全員で麻雀を打つ流れになった。ようやくお開きとなったので熱気を発散するため中庭に出る。春先の心地よい空気が頬を撫でた。
仮想空間と分かっていても屋内と屋外では解放感が違う。このゲームの凄まじい演算能力によるものか、単なるプラシーボ効果か分からないが、自然に囲まれて呼吸すると気分がスッとする。
目が疲れたので目薬を差そうとしたが、いつの間にか蓋が外れていて容器は空だった。
「お疲れ様です」
振り向くと、五月雨紗香が笑顔で立っている。軽く会釈を交わす。
「協力して下さって、ありがとうございます」
「とんでもない。それにしても、あんなに盛り上がるとは思いませんでした。幸福な時間でしたよ」
「本当に……私、笑い泣きなんて初めてしました」
彼女と共に中庭を散歩する。ちらほらと花を咲かせているものがあり、色とりどりのそれらを眺めつつ会話を弾ませた。
「この木、伸び放題で虫もついてて、最初は蕾すら出てなかったんですよ。お手入れしたら元気になって……」
「ほう……ということは、テクスチャじゃなく環境から成長をシミュレートしているのか……」
「晃さん?」
「あっ、これは失礼。綺麗に咲いていますね。流石、生物工学のエースだ」
「植物は子供の頃からずっと好きだったんです」
「それで生物工学に? 珍しいですね。生き物全般がお好きだったんですか」
「いえ。それがちょっと複雑な話で」
「ほう、伺っても?」
彼女は沈黙を挟むと、おずおずと語り始めた。
「……実は私、整形なんです。生まれてからずっとブサイクってイジメられてきました。いつか花のように、誰からも美しいと思われたい。そう思って、それだけを目標に生きてたんです」
わたしが黙っていると、彼女は話を続ける。
「人が美しいと感じる要素を独学で勉強し続けて、美大のデザイン科へ行きました。学生コンペで大手のプロダクトデザイン会社に内定をもらえたので、お金を貯めてようやく自分の理想とする顔を手に入れました。で、新しい人生を始めるために会社を辞めて、また学生からやり直したんです」
「なるほど、それで生物工学に?」
「えぇ。整形のことを調べているうちに興味が湧いて……ごめんなさい、いきなりこんな話されて引きません?」
「まさか。ところで二度目の学生生活はどうでしたか?」
彼女は苦笑いをして答えた。
「そりゃもう、モテました。嬉しかったなぁ、自分の努力が報われて」
「素晴らしいじゃないですか」
「えぇ。でもすぐに虚しくなりました。自分の人生が快適になるほど、外見至上主義を思い知らされるようで……その筆頭が自分自身という事実にも絶望しました」
「そんなこと。そもそもの原因は貴女を貶めた周りの人たちでしょう。洗脳のようなものだ、気づいてらっしゃるはず……」
そう慰めると、彼女の顔はパッと明るくなった。
「嬉しい。その通りです、私もすぐ同じ考えに……だからなにか一つでも、世界の価値観をひっくり返してやりたいって思ったんです」
「なるほど。人生万事、塞翁が馬ですね。あの壮大な構想のキッカケが子供時代のイジメにあったとは……もし貴女が元から美しかったら、あの素晴らしい発想には至らなかったかも知れない」
「うふふ、本当に。VRに没頭することもなく、晃さんと知り合うこともなかったです」
彼女はそう言って笑うと、少し頬を染める。
「あの。この世界から脱出できたら、もし良ければご飯でも行きませんか?」
「それは構いませんが……こんな、おじさんと?」
「大事なのは中身ですよ」
「そうですか。ならゆっくり話せるお店を探しておきますね」
「嬉しい。約束ですよ」
少しはにかんで、去っていく彼女を見送った。