第三十八話『サプライズ①』
午前九時。いつも通り朝食を終えて、二階の踊り場に腰を落ち着けたわたしは今日という日をどう過ごそうかと思案していた。
タバコでも吸おうかと考えた矢先、大広間から五月雨紗香と東幸運のふたりが、ヒソヒソと囁き合いながら階段を上がってくるのに気がついた。声のトーンは密やかだが、なにやら盛り上がっている様子だ。
「どうも、お二方。なにやら楽しそうですね」
わたしが話し掛けると、東幸運がパッと顔を上げて駆け寄ってくる。
「ねぇ晃さん。ちょっと相談があるんだけど……」
「サプライズ、ですか?」
「ええ。いつも拓馬さんに作ってもらってばかりだから、たまにはお返ししないと、って幸運ちゃんと話してたのよ」
「良いじゃないですか。それで、なにが悩みなんですか?」
五月雨紗香は顔を伏せ、若干恥ずかしそうな素振りを見せながら言葉を続けた。
「実は私たち、料理が得意じゃなくて……晃さん、なにか得意な料理があったら教えてもらえません?」
「なるほど。いや、わたしも料理はからっきしで。でも彼のことだ。女性陣が自分のために何かしてくれるというだけで、十分に喜ぶでしょう。きっと手の込んだ料理より、サンドイッチやおにぎりのような、シンプルなものの方が気楽でいいんじゃないでしょうか?」
「おにぎりか、それならアタシにも作れる! あとは拓馬さんが厨房を離れる時間を作れれば……」
「それなら、照さんや秀才さんにも協力してもらいましょう。みんなで誘えば、拓馬さんも少しくらい付き合ってくれるでしょう」
わたしの提案にふたりは顔を見合わせ、喜んだ。
午前十一時。遊戯室にて大岩拓馬、西原照、四谷秀才と四人で卓を囲う。
「麻雀ならオレじゃなくても、幸運ちゃんを誘えばいいだろうに」
大岩拓馬は牌を並べながらそう話すも、機嫌良さげである。
「たまには男だけで遊ぶのもいいじゃん。ねぇ」
西原照の適当な言い訳に、わたしと四谷秀才はやんわりと同意した。彼の飄々とした態度は実に自然だ。更に四谷秀才が言葉を続ける。
「それに、いくら拓馬さんでもずっと料理ばかりじゃ肩が張るでしょう。息抜きも必要ですよ。こんな風に遊びに誘うのも初めてですし」
我々が彼を労おうとしている意図が伝わったらしく、彼はようやく態度を軟化させ苦笑いして言った。
「まぁ、調理もひと段落したところでタイミングは良いけどな、しばらく打ってないからルールはあやふやだぞ。起親は……オレか」
大岩拓馬は手牌の枚数を数え、山から牌を取る。
「細かいことは気にせず、歓談のついでと思って楽しみましょう。ところで皆さんは、テストプレイにはどういう理由で参加を?」
ゲームがスタートした段階で、わたしは雑談を始める。今頃、調理室では女性ふたりがせっせと料理に励んでいるだろう。一時間ほど稼げれば十分なはずだ。
「ボクは単純さ。刺激を求めて参加したんだ。最近じゃ、どんな娯楽もマンネリでさ。思い出補正かも知れないけど、ずっと『ドミトリー館』の大会が忘れらなくて。最新の推理ゲームを、またあのメンバーで集まって遊べたら……もしかしたらあの時を越えられるんじゃないかって期待したってワケ」
彼はうっとりとした表情で話す。
「僕も、照さんと似た理由です。社会人になってからずっと燻ってて、そんな日常から抜け出せる転機だと直感したんです。五年前、学生だったあの頃に負けない体験ができれば……まだ僕自身が腐ってないと信じられるから」
四谷秀才は言いながら、力のこもった手で牌を掴み取る。彼もまた、あの日の体験に魅せられて日々を過ごしていたらしい。かく言うわたしも、似通った感情を抱いていた。
あの大会の主人公は、間違いなく東幸運だった。取り巻きとしてゲームに参加しただけでも別格の昂揚感を得た。その中心ともなれば、どれほどの興奮を体験できるだろう。
そう想像する度、次こそは自分が主人公に……と、あれから何度も『ドミトリー館』をプレイした。しかしながら、未だにあの日を超える試合には巡り逢えていなかった。
考えれてみれば、大会のときと比べて最近の『ドミトリー館』には決定的な要因が欠けているのだ……それはずばり、プレイの自由度である。
いまや攻略サイトが作られており、プレイヤーの取るべき最適な行動が役割ごと、状況ごとに最適化されてしまっている。プレイヤーの力量差を埋めるそのゲーム理論は一見、全体のゲームレベルを引き上げているように見えるが、それらの理論に基づいたテンプレートとも言える展開ありきで進められるゲームは、単純に「人間同士の駆け引き」という面白味を失わせていた。
推理と、個人の選択に残された余地は、それらの理論に対してのメタ行動を僅かに織り交ぜる程度しか残されていない。恐らく『ドミトリー館』は、既にゲームとして成熟してしまったのだ。
対して五年前の試合には、理論を超えた何かがあった。どの行動がどんな結果に結びつくか、予想のつかない混沌。ゲームに不慣れなプレイヤーもいて、だがそこで優劣が生まれる訳ではなく、全員がポテンシャルを発揮し、切磋琢磨した。
あの体験をもう一度味わいたい。『もつれ館多重殺人事件』を知ったときに浮かんだのは、その一心。最適解のない、新作マーダーミステリーを六人でまたプレイできたなら……そう考えたのだ。
「晃さん、ツモ番ですよ」
四谷秀才に促され、ハッとする。
「失礼。少しボーッとして」
牌をツモり、切る。切られた牌を一瞥してから西原照が山に手を伸ばす。伸ばしながら彼は口を開いた。
「ところで晃さんはどういう理由で参加したの?」
「わたしは……ええ。わたしも、皆さんと似た理由ですよ。仕事と研究の繰り返しで参ってしまいましてね。いい息抜きだと思ったのです。有給も余っていたので、即決でした」
わたしの答えを聞いて大岩拓馬はふうと息を吐いた。
「やれやれ、金目当てはオレだけか」
「マジ? 拓馬さんとこ、経営厳しいの?」
西原照が食い気味に問い掛ける。嗜めようとしたが、先に四谷秀才が突っ込んだ。
「ちょっと照さん、言い方!」
「いやぁ、だってあんなにウマいからさ。店も人気だろうと思ったのに」
「がはは! ありがとな。まぁ馴染みの客はいるが、高級路線なのが仇というか……客単価と回転率に材料費が釣り合わなくて、経営難らしい」
「この前も食材値上がりしてましたよね。定食屋のチェーンが潰れたとかも聞きますし飲食店は軒並み、経営大変そうですよね」
「へぇ、知らなかった。いつもネット注文で済ませてるから……」
「恥ずかしながら、わたしもしばらく日本にいなかったので知りませんでした」
「オレもそれほど詳しいわけじゃないんだが、オーナー曰く相当厳しいんだと。店が潰れちまうと居場所がなくなるんでどうにか救いたいと思ってたところにこの招待状がきて、渡りに船ってタイミングだった」
言いながら大岩拓馬は小考し、牌を切る。しんみりとした空気を変えるように、彼は言葉を続けた。
「まぁ、オマエらに会ってみたいって気持ちも当然あったけどな!」
彼のセリフを受けてみんなの表情が綻ぶ。結局のところ、誰もがあの大会を懐かしんで招待を受けたのだった。
「お待たせーっ!」
雰囲気が和んだところに、サイレンのような大声が響く。声の主は東幸運だった。
「はい、拓馬さん。いつも美味しい料理をありがとう!」