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第三十六話『平穏な生活』

 一日目。

 彼らは各々、なるべく普段通りの生活を送ることを心掛けた。とはいえ、館の中では社会人としての労働をすることはできない。普段と同じような生活を送れたのは、拓馬と照、幸運だけだった。拓馬は料理を作り、幸運と照は娯楽に興じる。仕事の時間を持て余した紗香、秀才ら晃の三人は映画を観たり、幸運と照の麻雀相手になった。


 午後五時、遊戯室。

「そういえば、秀才さんプログラマーって言ってたよね。どんなことしてるの?」

「大体はデバック作業ですね。ほとんどAIが書いちゃうんで、その穴埋めとか」

「そうなんだ。AI凄いって聞くもんね。実際どうなの?」

「正直なところ、もう人の出る幕ないかなって感じです。でも代わりにゼロからプログラム書ける人が減ったので、スキマ産業でやれてます」

 麻雀を打ちながらの雑談。気楽な会話をするなら、これ以上の場はない。

「わたしも研究でプログラムをいじるのですが、AIにはお世話になりっぱなしです。本職の方を前にして言うのは悪いですが、とてもプログラマーを雇う余裕はないので」

「あはは、そうですよね。でもそれが正解だと思います。僕が学生の時点で、コピペしか使わずにプログラマーを名乗るような輩も蔓延ってたと聞きましたから……AIがそういう人たちに取って代わっただけで、僕みたいな本職の立場は変わってない気もしますね」

「なるほど……おっと、ツモ」

 晃が手を開ける。平和(ピンフ)、ドラ、赤、ツモ……

「わっ渋いなぁ。晃さんってダマ派?」

 幸運が点棒を渡しながら聞くと、晃は愉快そうに笑って答える。

「いえ、順目が遅かったので曲げなかっただけですよ」

「そんなこと言って、本当はずっと張ってたんじゃない?」

「ははは、どうでしょう」

 晃は牌を落としながらはぐらかす。仕切り直しと共に今度は紗香が何気なく尋ねた。

「そういえば、幸運ちゃんは探偵事務所を立ち上げたのよね。開業資金はどうしたの?」

「大っぴらには言いづらいんですけど……一年ほど海外のカジノを回って、賞金を増やしたんですよね」

「ええっ? 凄いじゃない」

 牌を操りながらも会話は続く。

「いや。そこまでじゃないんです。コツコツ増やしただけなんで……」

「それでも、普通に働くより早かったんじゃない? よくやろうと思ったわね」

 紗香に言われ、幸運は照れながら答えた。

「えへへ。本当は、どこかの探偵社に勤めるのがいいって言われてたんですけどね。理想の探偵像に近づくために、ちょっとアウトローな体験がしたいと思って。カジノの対人ゲームで、洞察力と推理力の武者修行を兼ねての挑戦でした」

「さぞ、いい経験になったでしょう。貴方の優秀さは折り紙つきだ。いままでどんな事件を?」

「いやぁ実際、開業したらペット探しばっかりでしたよっと……立直!」

 自分たちは仮想空間に囚われた存在――衝撃の宣告を受けた彼らだったが、何事もなく平和な時間を過ごした。


 二日目。

 午前十時、大広間。秀才が円卓でひとり、ノートに何かを書き連ねている。照がやってきて声を掛けた。

「秀才、なにやってんの?」

「あぁこれは……プロット作りしてます」

「へぇ! 秀才も創作畑の人なんだ、なに? 小説?」

「いえ、ゲームのシナリオです。色々アイデアが浮かんだので」

「いいね。ボクらのこの体験って、かなり創作意欲刺激されるよねぇ。昨日ボクもかなり捗ったもん」

「そうですね、入れ子構造っていうか、そういう観点の思考ってなかなか面白いなって思って」

「分かるなぁ。でも昨日思ったんだけどさ、ここでメモした内容って現実で反映されないよね。夢で考えたみたいになっちゃうんだろうな」

「あぁ、言われてみれば……どうにかデータ出力してもらえないかなぁ」

『もし御希望でしたら、可能な限り対応いたしましょうか?』

 不意に響いたライプニッツのアナウンスに、ふたりは驚きつつ喜びの声を上げる。

「そうか! ゲーム内のデータ、ライプニッツなら現実に出力できるんだ!」

『ええ。適切なファイル形式で保存し、対応したデバイスでの出力が可能です』

「マジで? 最高! とりあえず部屋のノートに書いた譜面、そのまま印刷頼める?」

「僕もお願いします、紙面に書いた内容を……」

『お安い御用です』

「そうと分かったら、やる気出てきた! もっと作業進めてこよう」

「ですね、お互い頑張りましょう!」

 この世界の努力が現実に反映されることを知ったふたりは、俄然やる気になって創作に勤しむのだった。


 午後三時、遊戯場。晃と紗香がチェスに興じながら、議論を交わしていた。

「ライプニッツの言うとおりなら、このゲームのシステムをもって、実質的に貴女のニューロコンピューター理論は証明されたと考えられるのではないですか?」

「部分的にはそうかも知れません。けれど、あくまでこの仮想空間の処理は中枢の量子コンピューターが担っている……私の理想は、この空間を完全に人の脳内に反映することです」

「確かにそうでしたね。まだまだ道は長いか……」

 ふたりは駒をテンポ良く動かしながら、会話を続ける。

「それにしても。他のシナリオの記憶で、何度も紗香さんと議論したのを思い出します。どのテーマに関しても、貴女は本当に質の高い考えをお持ちだ」

「褒めてもなにも出ませんよ。けど、私も晃さんのような聡明な方に、自分の考えを支持していただけて嬉しく思います」

「ははは。それはこっちのセリフです。わたしの理論も夢物語だと槍玉に挙げられ、支持してくれる人などいませんでしたからね」

「そんな……あの有名な世界シミュレーション仮説の発展形ですよね。あちらでは計算式も出ていましたし、そこまで突飛な構想とも思いませんけど」

「シュミレーション仮説の類型ということが問題だったのです。ほとんどライプニッツの話と同じですが、シミュレーション仮説の証明は単なる映像的なシミュレーション構造の説明に過ぎず、個人の感覚や感情を司るいわゆる〝クオリア〟を定義できないという新たな問題を浮き彫りにしただけでした。その前提があったために、わたしの構想も〝クオリア〟に対する問題が解決されていないと一笑に付されたんですよ」

「……そうだったんですか」

「だからわたしは、宇宙の再現にこだわったのです。個の意識が芽生える前、単なる物質が生命へと変化する過程をシミュレーションできたなら、意識も自然の成り行きとして計算上の世界に成り立つはずだとね」

「確かに。クオリア問題の最難関は意識という概念を明確に定義できない点……生命体を再現できれば、その課題は解決できそうですね」

「紗香さんならそう言って下さると思っていました。そういえば、この仮想空間のシステムから新しく発想したことがあるのですが、聴いていただけますか? シミュレーションを行う媒体自体が、意思を持っていると仮定するのです。すると例えば本を読んでいる人が物語の登場人物に感情移入するように……」

 晃の話に、紗香は目を輝かせた。




 ライプニッツの希望通り、彼らは平穏な生活を送り続けた。

 一週間が経過した頃、日常に少し変化が起きる。意見の衝突が増え、彼らに不和が生じ始めたのである。

 それらはゲームシステムによる記憶操作とは関係なかった。元はと言えば見知らぬ他人同士なのだ。ひとつ屋根の下で過ごしていれば多少の価値観のズレは露見するし、そうしてぶつかって互いをより深く知ることが、良き友になる条件とも言える。

 そういう観点から見ればむしろ、彼らの不和は全く自然ななりゆきで生じたものであった。

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