第二十二話『決定的証拠』
「まず、これを見て欲しいんだけど」
最初に声を上げたのは照だった。円卓に共有されたのは、一本の動画。暗闇の中で撮影されたらしいそれを再生すると同時に、入れ替わりで秀才が説明を始める。
「映っているのは遊戯室です。配電盤を操作してセンサーへの通電を切りました。ちなみに通電を止めるとしっかり記録に残ったので、昨晩はこの手段で照明センサーが切られていないことも確認できました」
動画内で、照が手に持った布とスプレーを見せる。仄かに発光する液体が入ったスプレーを手元の布に噴射すると、その一部が青色に強く発光した。
「倉庫の薬品……アミノフタノール酸と、無水炭酸ソーダ、過酸化水素水を混ぜて、ルミノール溶液を作ったんだ」
その後の動画には、照と秀才が遊戯室の床にルミノール溶液を吹きつける様子が延々と流れる。照は赤黒い染みのついたハンカチを取り出して見せた。
「最初の布は、このハンカチね。201号室の血痕を少し拭ったものだけど、ちゃんと反応してる。その上で、遊戯室ではどこからも血液反応が出なかった……どうかな? これでボクらが共謀して遊戯室でラッキーちゃんを殺してないって証明できたと思うんだけど」
「見事な検証ですね。これで遊戯室が殺害現場という線は消えたと言って良いでしょう」
納得する晃を尻目に、拓馬はふんと鼻を鳴らす。
「確かに遊戯室での殺しは無かったようだ。だが、それでも容疑者が代わっただけだ。晃か紗香ちゃんのどっちかが幸運ちゃんを部屋で待ち構えて、夜の間ずっと隠れていれば良かったわけだからな」
拓馬の台詞に、晃が反論する。
「確かにその考えなら、わたしと紗香さんが容疑者になります。しかし凶器の観点ではどうでしょう。もし201号室に朝まで隠れていたとして、どうやって凶器の処分を?」
「そう来たか。なら、次は消えた凶器について議論するとしよう……」
冷静に議論の舵を取る拓馬を見つめて、照がニヤけながら言った。
「ねぇ、そろそろ白状したらどう? 彼女を殺したのはアナタでしょ。大岩拓馬さん」
唐突な照の発言に、拓馬の表情が凍りつく。一瞬の硬直のあと拓馬は立ち上がり、目を見開いて激昂した。
「おい! どう考えたらオレが犯人だなんて結論になるんだ? オレだけが唯一、絶対的なアリバイを持っているんだぞ!」
「うーん。そのアリバイって、昨晩の話だよね? 幸運ちゃんが殺された時間が違ったら、立場が逆転するって分かってる?」
「いったいなにを言ってるんだ……彼女が殺されたのは昨日の夜だ。発見時の遺体の体温がそれを証明してる」
「残念、そのトリックはもう看破してるんだ」
照は微笑む。だがその目は、追い詰めた獲物を見るような冷たいものだった。
「遺体発見時、部屋は不自然に暑かった……ねぇ秀才、例のデータからエアコンの操作記録は見られる?」
「ええ。ちょっと待って下さい」
秀才が慌てて手元を操作する。しばらくすると、円卓にデータが表示された。
「201号室のエアコンは午前七時から一時間、作動してます」
「ありがと。これで裏付けが取れたね。201号室には遺体発見の直前まで暖房がついてたんだ」
「暖房だと? 照よ。遺体は冷え切ってたんだ。部屋を温めたら逆効果だろう」
拓馬が指摘すると、照は被りを振って答えた。
「違うね。犯人は暖房を入れたんだ、冷凍した遺体の表面の氷を溶かすためにね」
大広間は静寂に包まれる。やがて晃が閃いた。
「……そうか! 拓馬さんは冷凍庫で彼女の遺体を冷やして、死亡推定時刻を早めたんですね」
「その通り。彼女は今朝、早朝に自ら部屋を出ていたんだ。そして拓馬さんに調理室で殺された」
「朝の照明記録は……五時の次は、五時半に照明がついてます」
秀才の共有したデータに、照が頷く。
「彼女が普段、目が覚めるって言ってた時間とも合うね。調理室は床全体を水洗いできるし、ルミノール反応が出ても魚や豚の血に紛れるから、殺害場所には最適だ。木を隠すなら森、ってとこかな」
照の語りを、拓馬は黙って聴いている。
「殺害後、冷凍庫で彼女の遺体を冷やしてから部屋まで運び、現場の偽装工作を済ませたあと、朝食の用意を始めた……どう? 反論があるなら聞くけど」
問い掛けられ、拓馬は重々しく口を開いた。
「……調理室から201号室まではかなりの距離だ。確かにオレなら彼女を担いで運ぶのは造作もないが、多少冷やした程度じゃ血が滴り落ちて、動線がくっきり残るはずだぜ。ルミノールで調べるか?」
「そこが、このトリックの凄いところさ。アナタは遺体を冷やす前に血抜きをしたんだろう。そして水を掛けて、傷口を凍らせて塞いだ。移動する頃には、一滴の体液も出なかっただろうね。そして血抜きした血液はバケツにでも溜めて、移動後に彼女の部屋にばら撒いたんだ。これで出血量の帳尻も合わせながら、犯行現場の誤認まで完璧にこなしたってワケさ」
拓馬はしばらく俯いていたが、やがて豪快に笑い始めた。
「あっははは! 凄い推理だな照。流石だよ」
「じゃあ、認めてくれるんだね?」
照が身を乗り出すと、拓馬はコロッと表情を変える。
「まさか。お前の話は、全部ただの空論だ。オレがやったって証拠はどこにもない。認めるわけにはいかないな。五時半の照明点灯が、秀才の移動だと考えたらどうだ? 彼女の部屋をノックして、出てきたところを襲った。下腹部の致命傷は果物ナイフで強く抉って、偶然、大きな刃物と似た形状の傷になった……」
拓馬の暴論に、紗香が反論する。
「ありえません! あの刺し傷は大きな刃でひと突きされたものです。果物ナイフでは再現できません」
「くっ、それじゃあ……」
なお食い下がろうとする拓馬に、照が追い打ちをかける。
「もう諦めてよ。小さな方の刺し傷は、どう考えても秀才を犯人に仕立て上げるための偽装工作でしょ。それにボクらの中でそれを思いつけるのは、秀才が果物ナイフを持っていることを知っていた拓馬さん、アンタだけなんだよ」
拓馬は照を睨みつける。その瞳には、まだ屈しないという強い信念が宿っているようだった。照はため息をついて、懐から包みを取り出した。
「できれば、これを出す前に自白して欲しかったんだけどね」
そう言いながら、拓馬に向けて乳白色の細かい欠片を見せつける。
「現場の血痕に紛れてた。これだけ綺麗に洗って、ようやくパインズゴーグルが解析してくれたよ……豚の骨さ。拓馬さんが血抜きに使った容器、洗い切れてなかったんじゃない?」
拓馬はぽっかりと口を開けた。もはや先刻までの覇気は失せ、まるで老人のように、浅く小刻みな呼吸を繰り返すだけだった。
「これが、アナタが犯人だってことを示す決定的な証拠だよ。もう反論はないよね」
改めて念押しされ、拓馬は力なく、コクリと小さく頷いた。
「動機はなんですか? 今朝、彼女となにがあったんです」
秀才がおずおずと尋ねる。拓馬は眉間に皺を寄せしばらく黙っていたが、やがて苦々しそうに口を開いた。
「彼女は……東幸運は、オレの親の仇、その娘だったんだ」