第十八話『初捜査』
「では、中継をお願いします」
201号室の現場検証は拓馬と紗香、ふたりの主導で行われた。円卓では晃、照、秀才の三人が共有モニターを通して現場と連絡を取り合っている。最初は全員で現場へ向かったが、生暖かく咽せ返るような血なま臭いニオイに思わず断念したのだった。
パインズゴーグルによって、部屋中に撒き散らされた赤い液体は血液であると特定された。そのため仕事柄、血に慣れているふたりが現場班として選ばれたというわけだ。
紗香は床の血痕を踏まないように気をつけながら、幸運の遺体を調べ始める。遺体は首から下が、衣服も肌も問わず赤黒く染まっていた。
「身体中に刺し傷があるわ。下腹部と胸に、合計三箇所ね」
拓馬は部屋全体を見回して凶器を探す。
「その傷を負わせられるような刃物は……どこにも見当たらねぇな」
「遺体の体温は下がり切ってる。恐らく夜の間に殺されたんでしょうね」
「だろうな。オレたちが寝ているうちに犯行を終わらせて、悠々と現場を去ったんだろう」
「ありがとうございます。一旦、戻って下さい」
通信を切ると紗香は遺体の傍でしゃがみこんだまま、なにやら呪文のようなものを唱え始めた。
「書写山の社僧正、上方僧書写山社僧の惣名代……」
「紗香ちゃん、それ念仏か?」
「あっいえ。緊張したときのクセで……ただの早口言葉です。昔から吃音持ちで」
彼女の返答に、拓馬は気が抜けたように笑った。
「あっはは! そういえば、大会のころに比べてスラスラ話してるよな」
ふたりは凄惨な現場の空気を振り払うように軽く雑談を交わし、緊張を解しながら大広間へと戻った。
ふたりが席に着くまでに、円卓のメンバーは既に議論を交わしていた。なにやら照と秀才が揉めている。
「先に凶器でしょ! 館内を隈なく探すべきだよ」
「これだけの出血を伴った犯行です。犯人の衣服も間違いなく返り血で汚れているはず。夜のうちに、洗濯をしていた人がいないか探しましょう」
「落ち着いて。手分けして両方探せば良いじゃないですか、ね?」
晃の言葉に、両者とも気まずそうに黙り込む。
「なんだ? ふたりして熱くなって、珍しいじゃないか」
「お帰りなさい。とりあえず、現場の証拠品が少ないので館内を見回ろうと思うんですが……」
晃の提案に、紗香が同意する。
「それが良いと思うわ。ふたりとも喧嘩しないで、協力しましょ」
「僕は別に、喧嘩したいワケじゃないですけどね」
秀才が不満げにそう言うと、照も目を合わせず、ぶっきらぼうに返す。
「ボクもそうだよ」
「なら、あんな強い言葉で反発する必要ないでしょう」
「その言葉そのまま返すよ。なんでムキになるわけ?」
どうにも空回りするふたりの言い合いに、晃が立ち上がってストップをかけた。
「まぁまぁその辺で。証拠隠滅を防ぐため、一度全員で各自の部屋に立ち入り検査をしたいと思うんですが、いかがでしょう」
「あぁ、そうしよう。それで証拠が出て、犯人が大人しく観念してくれるといいが……」
拓馬は訝しげに秀才と照を交互に見る。ふたりは何か言いたげだったが、ひとまず了承して席を立った。
皆で順に部屋の中を改めた結果、202宇月晃、203大岩拓馬、それぞれの部屋で特筆すべきものは見つからなかった。
問題が起きたのは204号室、西原照の部屋である。
「おい照! こりゃあなんだ?」
拓馬が見つけたのは、シャワールームで綺麗に洗われた一着の服。照は言い出しづらそうに、渋々口を開いた。
「夜にジュースを溢したんだよ。ベタついて気持ち悪いから洗ったんだ」
「怪しいな」
「勘弁してよ。もしボクが犯人なら、こんな証拠があるのに捜査を始めようなんて言い出さないって」
開き直るようにため息をつく照を前に、晃が指揮をとる。
「ふむ……まぁ、一旦置いておきましょう。まず全員の部屋を回って、議論はそれからです」
続いて205五月雨紗香。こちらも特に気になるものは見当たらない。最後の206号室、四谷秀才の部屋。テーブルには一本の果物ナイフが置かれていた。
「なるほど、ふたりとも自分の部屋に疑われる物が残っていたから、あれだけ証拠の優先順位にこだわっていたんですね」
晃がナイフをスキャンしながらそう言うと、拓馬が顎に手を当てる。
「このナイフは、昨日の夜にオレが調理室から貸し出したもんだ」
拓馬の台詞に秀才が付け加える。
「その通りです。言っておきますけど、これはリンゴを食べるのに使っただけですよ」
晃は軽く頷いた。
「なるほど……分かりました。さて、残りの場所も見回りましょうか」
倉庫と中庭、遊戯室にも特筆すべき変化や証拠は見つからず、ふたりの嫌疑が高まることとなった。
「最後は調理室ですね」
「すまん、仕込みの後でかなり散らかってるんだ」
拓馬の言う通り、調理室はさまざまな料理の跡が残っていた。
「刃物は全部、ここに収納されてる。果物ナイフ以外な」
晃が指差した先は中央のテーブルの上の収納で、大小さまざまな刃物が綺麗に並んでいた。
調理室は長方形で、入り口の壁沿いに横並びの大型シンク、奥には食洗機が一台。反対側には調味料などを納めるラックが設置されている。入り口のすぐ横にはオーブン。中央に銀色の長テーブルが四つと、中庭へ通じる裏口の方には、巨大な業務用の冷蔵庫と冷凍庫が二つずつ並んでいた。
「冷蔵庫には作り置きが入ってる。右の冷凍庫は魚用で、左は肉用だな」
「なるほど。豚を丸ごと一匹使ったんですか?」
「あぁ。今日の晩飯にと思って、仕込んでたんだが」
拓馬は晃に冷蔵庫の中を見せた。敷き詰められたタッパーには、小分けにされた肉料理が詰められている。
「ダメだ、なーんにも見つかんないや!」
照の間延びした声が響く。彼は必死にゴミ箱まで漁っていたが、なにも見つからないまま調理室の捜査は切り上げとなった。