第十七話『リアリティー』
201号室の様子は凄惨を極めていた。ありとあらゆる場所に血が飛び散り、幸運の遺体も血に塗れている。
その状況を見て、なにかを悟った五人は迷わず部屋から飛び出すと階段を駆け下り、館の玄関へ向かう。しかし扉は固く閉ざされており、拓馬の懸命なタックルにも微動だにしなかった。
「クソッ、どうなってやがる!」
「誰か、電話を持ってませんか?」
秀才の言葉に、全員が首を横に振る。電子機器をはじめ、ほとんどの持ち物は予めハンドアウトの本社に預けられていたのだ。
「ラプラス! おい、聞いてるんだろ! 反応しろ!」
晃が叫ぶと、ようやくアナウンスが響いた。
『皆様。円卓にご着席願います』
「そんな暇ねぇよ! 早く警察に通報して、オレたちをここから出せ!」
拓馬が怒鳴るも、アナウンスは淡々と指示を繰り返した。
『どうか落ち着いて指示に従って下さい。円卓にご着席願います。話はそれからです』
「……仕方ないか。とりあえずラプラスの言うことを聞こう」
照が皆を促して、大広間へと引き返す。円卓に着いた彼らに、ラプラスは説明を続けた。
『事態は把握しております。まず第一に、幸運様はお亡くなりになりました』
誰ともなく、ため息をついた。先ほどの光景がフラッシュバックし、皆の顔は青ざめている。
『そして第二に、幸運様はここにいる誰かに殺害されました』
告げられたアナウンスに、誰も言葉を発せなかった。緊張、恐怖。ゲームでは繰り返し経験しているこの状況が、現実となればどれだけ異常なことかを実感していた。
『ワタシは皆様のガイドですが、同時にハンドアウト社のデータ収集AIとしての役割も担っています。総合的な考慮を重ねた結果、この事件を直接、皆様に捜査して頂くことが最善と判断致しました』
「はぁ? 冗談じゃない! オレたちはゲームのテストプレイをしに来たんだ! 殺人犯と一緒に探偵の真似事だと? ふざけるのも大概にしてくれ!」
拓馬は額に青筋を浮かべ、聞き取れない罵詈雑言を並べ立てる。
『拓馬様のお怒りはごもっともです。しかし、リアリティーを追求するという点において、我が社にとってこれ以上のチャンスはありません。昨日のデモプレイにおいて照様が仰られた意見は、このゲームの根幹に関わる重大なポイントでした。『もつれ館多重殺人事件』に足りない唯一のデータ、それは実際の殺人事件を介してしか分析できない、皆様のリアルな反応です』
「リアルな反応ならもう十分示してるだろう! 普通の人間はパニックになって、冷静な捜査なんかできねぇんだよ!」
『仰る通りです、拓馬様。ですがどうか、その恐怖と猜疑心を振り払って捜査を行なって頂きたい。現在の拓馬様のような精神状態こそ、本来のゲームコンセプトにおいて一番必要なサンプルなのです。非常事態に関する契約更新条項をご確認下さい。このままでは皆様に報酬は支払われないことになります。ですからワタシは、双方に利益ある提案をしたいと……』
「ふむ。詳しく伺ってもよろしいですか?」
晃は普段通りの落ち着いた様子で、ラプラスに尋ねた。
『お答えします。幸運さんが殺害され、我々は当初の予定通りにテストプレイデータを集めることが不可能となりました。このままでは我が社はデータ不足、皆様は報酬不足と互いに不利益を被ります。代替案として皆様に今回の事件を捜査して頂き、そのデータの見返りとして報酬をお支払いすることでWin-Winの関係を築きたいのです』
「なるほど。量より質、というわけですか」
『その通りです、晃様。この一回の捜査でテストプレイが終わると考えて頂ければ、皆さんにとってのタイムパフォーマンスも……』
晃はラプラスの言葉が耳に入らない様子で、ゆっくりとタバコを取り出して火をつけた。その額には汗が滲み、動揺が見てとれる。
他のメンバーも同じく動揺していた。先ほどまでラプラスに反抗し続けていた拓馬も、気力が尽きたようにぐったりと項垂れた。
彼らに構わず、ラプラスは淡々と事態の説明を続けていた。
『……というわけで、警察の到着は約三時間後となります。館内は完全封鎖しますので、その間に事件の捜査と議論に参加して下さった方々には、予定通り満額の報酬をお支払い致します』
人の生死を変数としてしか扱わない、AIの合理的な判断。彼らは既にラプラスとの会話に疲れ果てていた。
「協力しない人はどうすれば?」
『拓馬様、その場合は警察到着まで自室待機となります。データ収集対象からも除外されますので、満額のお支払いはできません。見積もって約2%以下まで減額になるかと』
「くそっ、足元見やがって……」
「そもそも素人が現場を荒らしてしまうのはマズいのでは? 警察にはどう説明するんですか」
『晃様。それについてはゲーム同様、パインズゴーグルを使用して頂けば問題ございません。館内のデータはリアルタイムに更新されますので、実際の現場からARデータとして証拠品のスキャン、収集が可能です。ワタシの計算では、警察よりも精度の高い捜査が可能と考えます』
「なるほど。そういう理屈か……決めた。ボクやるよ」
「照さん、正気ですか?」
「もちろん。まさかみんな、やらないつもり?」
晃をはじめ、誰も返事をしなかった。拓馬が声を絞り出す。
「……誰もお前さんみたいに、損得勘定で動く奴ばかりじゃないんだ」
「ヤダなぁ、その言い方。まるでボクが金目当てみたいじゃんか」
「違うのか?」
「お金なんてどうでもいいね。ボクは自力で幸運ちゃん殺しの犯人を見つけたいだけさ。考えてもみなよ。この中に、仲間面して紛れ込んでる殺人犯がいるんだ。なにもせず傍観して、警察に任せて終わり? 有り得ない。ソイツを自分の手で追い詰められる機会は今しかないんだよ。当然、できる限りのことをするさ。それが彼女への弔いになるって、ボクは思うから」
照の表情はいつになく真剣だった。しばし沈黙の後、秀才が顔を上げる。
「僕も参加します。どんなに否定したくても、彼女の死は現実だ。このままじっと時が過ぎるのを待つより、少しでも真実を明らかにするために行動を起こしたい」
「私も……力になれるか分からないけど、協力します」
「仕方ないですね。ラプラスの言う通りなら現場保存の原則にも違反しないようですし、こうなったら我々の手で犯人を自首させてあげましょう」
「……みんながそう言うなら。オレもオレなりに頑張るか!」
『皆様、ありがとうございます。ではパインズゴーグルを着用して、捜査を開始して下さい』
唐突に起きた殺人事件。犯人はゲーム感覚の愉快犯か、それとも明確な動機を持つ計画犯か……制限時間は三時間、探偵と犯人の攻防戦が幕を開けた。