第十話『招待状その3~四谷秀才・東幸運~』
「このバグは……これでどうだ?」
薄暗い部屋。モニターにかぶりつくように、七三分けの男が投影型キーボードを打ち込む。プログラムが滞りなく起動すると、彼は安堵のため息をついて報告書の作成を始めた。
シュウ――四谷秀才、26歳。IT企業のデバック作業に追われるプログラマー。もはやプログラムはAIを使って書くのが当たり前の時代となったが、それでも重要なプロジェクトにおいて細かい修正や改善を施すのは専門的な知識を持ったプログラマーの仕事だった。
「ここで詰まるなんて、最新ソフトも意外と柔軟性がないんだな」
また一つAIの弱点を知れた、そんな束の間の優越感に浸りほくそ笑む。世間ではAIの尻拭いなどと揶揄されているこの仕事だが、ストイックな彼は人力でバグを潰していく度に、むしろ人類の威厳を取り戻しているような気さえしていた。
報告書を提出し終え、落ち着いた心持ちで新作ゲームをザッピングする。だが暫くして、彼は声を荒げる。
「あぁまた被った! こんなアイデアじゃダメだ……もっと、もっと尖らせなきゃ」
ゲームデザイナーという夢は、AI生成による大量消費市場に埋もれていた。彼自身もAIを利用すれば早くアイデアを市場に出せることは分かり切っていたが、彼は作品を自分の力だけで形にすることにプライドを持っていた。生来の真面目さと、ここ数年で培われた職人気質が選ばせた茨の道。
誰にも真似できない唯一無二のゲームを生み出して、世間をあっと言わせてやる……そんな夢を描きながらプロットを練り直していたとき、一通の新着メールが届いた――
「ほら、サンちゃんおいで! 怖くないよ、出ておいで〜」
公園で四つん這いになって、茂みのなかを覗き込むジーンズ姿の若い女性。毛先だけ紫色に染めたセミロングの銀髪が目を引く。目鼻立ちは整っており、相応しい場所で相応しいドレスコードをしていれば誰もが眼を奪われただろうが、あいにく彼女はその方面にズボラだった。
実際、彼女は周りの目も一切気にせず地面に這いつくばり、その白い頬や髪に砂が付くのもお構いなしで呼び掛けを続けていた。
ラッキー――本名、東幸運。23歳。彼女は個人で『ラッキー探偵事務所』を立ち上げ、私立探偵として活動していた。
彼女が探偵という職業に憧れたのは小学4年生のとき。父親からプレゼントされた一冊の本がキッカケだ。
幼少期、彼女の父親はあまり家におらず、ほとんど母親とふたり暮らし。たまに父親が家にいるときは遊んでくれたが、まだ小学校低学年の頃から「社会に出たら必要になる」と言ってギャンブルばかり教えるような男だった。一般的に考えると碌でもないが、彼女はいつも新しい遊びを教えてくれる父親が大好きだった。
頭を使うことが好きな彼女は、想像力をかき立ててくれる小説を読むのも趣味だった。そして、そのことを知った父親が、彼女の十歳の誕生日にプレゼントしてくれたのがとある探偵小説。大好きな父親が、自分のために選んでくれた本。大喜びで黙々と読み進めた。
その本は海外の作品を訳したハードボイルド小説だった。出てくる漢字も文体も難しかったが、頑張って読んでみると不思議なほど面白い。以来、あらゆる探偵小説を読み漁り、さまざまなキャラクターやストーリーに憧れを抱いていくうちに、いつしか自分でこんな活躍をしてみたいと思うようになっていた。
高校入学と同時に親元を離れた彼女は、高校卒業後すぐ探偵養成学校に通ってから、資金を集め開業した。
彼女は早くから、自身の探偵としての才能を自覚していた。特に『推理力』に関しては自信があり、例えばミステリー作品の犯人当てや犯行トリックの予想的中率は群を抜いていたし、対人ゲームでは数回遊ぶだけで相手のクセを見抜き、それを利用して戦略を練ることが得意だった。
相手の気持ちを想像し、行動を予測して作戦を立てる。これこそが、彼女が信じる探偵としての才能だ。
例えば、まさに今――隣町の吉田家から先週脱走した三毛猫のサンちゃんと、公園の茂みで対峙している状況。並の業者なら大きな捕獲網でも持って追いかけ回すところだが、彼女はこういう時にも、得意の作戦を立てて挑んだ。
作戦①。まずは飼い主から渡された好物でサンちゃんの興味を引く。これで近寄ってきてくれれば、そのまま抱き抱えて吉田家まで連れて帰ることができる。
が、そう上手くはいかない。サンちゃんはしばらく唸って威嚇すると、茂みの奥へと移動する。茂みの位置は公園と裏手の山の境で、反対側に抜けると山に入ってしまい追跡が困難になる。「待って、サンちゃん!」「ニャアァッ」突然の大声に驚いたのか、三毛猫は韋駄天の如く茂みから飛び出して……その勢いのまま、茂みを覆うネットに絡め取られた。作戦②、成功。
仕事に取り掛かるとき、彼女はいつも、2パターンの作戦を立てる。うまくいった時と、うまくいかなかった時だ。
二日前、公園の近くでサンちゃんに似た猫を見掛けたとの情報を得た彼女は、周辺を探索し、茂みの中に猫のフンを発見した。この地域は住宅街で、野良猫は珍しい。脱走したサンちゃんがこの茂みをトイレにしていると考えて、予め罠を仕掛けていたのだ。
どちらに転んでも、自分に都合の良い方へ物事を誘導する。彼女の作戦の真髄だった。
依頼を完了し、事務所兼自宅に向かってスクーターを走らせる。腰に下げたポーチのなかで型落ちのケータイが光った――
いまここに、まったく新しい事件が始まろうとしていた。