愛の連続小説「おもてさん」第二部・第六話 X大学
お茶の水駅に着いてしまった。
「4月某日」は花冷え。曇りで、少し寒かった。
改札口を出て、少し坂を降るとX大学の正門前に着く。
男女共学の総合大学と言うものに足を踏み入れるのは初めてだった。
学生時代、神田神保町の古本屋街には何度か足を運んだが、男の臭いのする総合大学の湿っぽい校舎には威圧されるようだった。
久満子が学んだ女子大は文学部だけの単科大学だった。
家政科も秘書科も文学部に付属していた。
女の園と言うにふさわしい、こじんまりとした清潔さの中で四年の大学生活を送ったのである。
昭和40年代に「遊び暮らす女子大生」などと言うものは存在しなかった。
女で、しかも大学まで通わせてもらえる。
これだけで特権階級みたいなものだった。
経済的余裕のある家庭でも、保護者が女子の大学進学に理解があるとは限らなかったからだ。
世の中の意識が変わりつつあったとはいえ、全ての人間の考えが横一線で変化する訳ではない。
石造りの校門の脇に「ベトナム侵略戦争反対」云々の巨大な立て看板があった。
ベニヤ板の工作物に白い模造紙を貼り付け、カクカクとした横書きの筆文字が踊る、いかにも素人臭い看板である。学生が作ったのだろう。
「占」に「戈」と書いて「戦」と読ませるらしい。久満子は初めて目にした。
ベトナム戦争の報道はテレビで盛んに流していた。もちろん新聞でも。
禍々しい感じが嫌で、久満子はいつもチャンネルを変えてしまう。
何に反対すれば良いのか分からないが、直視したくはないと思う。
そもそもクラブでは、客の前はもちろん、待機部屋でもベトナムはタブーだった。
赤坂、六本木では大使館や米兵相手の商売をしていたからである。
銀座と客層がちがうとはいえ、水商売の人脈は一つで、実際、ホステスが店を替わる事も良くあった。
「そういう所は、なんだか学生さんと似てるな。やってる事は反対だけど」と、久満子はちょっと可笑しくなった。
やがて、シンポジウム分科会の会場になっている教室についた。
階段教室ではなかった。
さほど広くもない教室の椅子に、久満子は腰を降ろして講師の登場を待った。
聴衆は20人ほど。
そのほとんどが学生らしく思えた。
「これでも多い方なのだ」と、後で久満子は知った。