発生点/転換点3
ASスプートニカハリオンの巨躯が影を落とす。その影すら小さく感じられるほど途方もない面積の壁が視界を埋めつくしている。
彼女に伴われたハルタカにとって、スケール感が麻痺しそうな光景。地表を覆うフューチャーマテリアルとは異なる、人工的で整然とした銀の色彩だった。この壁を船外服越しに見渡すと、視界の隅に向かうに従い緩やかな弧を描いている様が窺える。
直径にしてジェミニポートの優に十倍はありそうな、シリンダー型巨大構造物。人類が軌道上に建造した宇宙コロニーの一基、アガルタだ。
【――ひとまずうちの搭載センサー総動員で上っ面だけ嘗めてみてるけど、不審な動きをしてるやつは今のところ引っかからないわ。もっと詳細なデータが採りたいわね、外周を何度か回ってみるから付き合ってちょうだい】
VX9の貧弱なセンサーから動体検知されるものはない。
スプトニカはVX9を伴い、ゆっくりとした速度でアガルタの周囲を巡回していく。その間も彼女の円環型ユニットに備わる各種センサーアレイが蠢き、対象物の深層までも曝こうとしていく。
「コロニー軌道はイコール絶対安全圏だ。箱舟がこの深度まで上がってくるには、オービタルダイバー十二基地の防衛網を全て突破する必要がある。でも、それはASたちの迎撃網が機能してる前提だった。ぼくたちはお互いの思惑を越えて、元から共存関係にあった」
その前提が崩された現在、基地の防衛網だけで迎撃しきれなくなれば、アガルタが浮かぶような浅い深度にまで箱舟の侵攻を許す結果になる。
【大丈夫、たとえ箱舟とエンカウントしたとしても、うちがぶっ叩くだけだからハルは心配しなくていいわ。〈楽園〉が閉ざされたからといって、うちが兵装を失ったわけじゃない】
その点は心強く思っていた。スプトニカの火力を間近に見せつけられたからこそ、ハルタカも安心して彼女の〝目〟に徹することができる。
【――問題は、うちがハル以外を頼れない点よ。ASには観測や索敵に特化したタイプの娘もいるの。その娘と今お話しできたら心強いんだけど、今は〈楽園〉が繋がってないから、どのあたりにいるのかもわからない……】
「アガルタでひとつ気になることがあるんだ。ちょっと前に、ぼくたちの防衛網を潜り抜けた新型の箱舟が、アガルタ付近まで侵攻しようとした事例がある。あれがただの偶然でなければ、箱舟は何らかの理由でアガルタを目標としている可能性も排除できない」
くだんのディスカバリー6は四基地の合同作戦により撃沈された。だが、あの箱舟が何を得るためにアガルタを目指していたのかすら把握できていなかった。
【大質量のコロニーなら奴らにとっては上等な資源になるのは確かね。やつらがそうまでして宇宙進出したい理由がわからないのだけど、それ以外の目的でわざわざアガルタを狙う理由がうちにも思いつかないわ】
そう溜息を吐くスプトニカに、ハルタカもかつての故郷を前に穏やかな気持ちにはなれない。
眼下の軌道に浮かぶアガルタは、何故なのか今の自分からはひどく遠いものに感じられた。
軌道船の衝突事故によって居住区に多大な損害を出し、今や無人の廃墟と化したかつての保育コロニー。外観からそんな様子は窺えず、緻密な像を結ぶ外装部に衰えの痕跡はない。まだいくつかの機能が稼動していることを訴えるように、方々で誘導灯の明滅も視認できる。
「…………四年ぶりになるかな、アガルタに戻ってくるのは」
【ハルにとっては懐かしい場所かしら? かつての地上国家時代の人類は、ノスタルジーの感覚について〝原風景〟なんて表現を使ったものよ】
「ううん、どうだろう。ぼくはどちらかというとアガルタの中、町の風景の方を思い出すかな。こうしてアガルタを外側から眺めた記憶がないから、懐かしいって感覚は、あんまり」
【それは小さかったハルが、まだ外の世界を知らなかったから?】
「そうかも。あのころのぼくはまだ何も知らなかったし、町の外に出るのが最初は怖かった」
思えば、こうして宇宙空間に身を晒している自分なんて想像もしなかったのだ。
「アガルタの外の世界では人類が敵と戦争をしていて。ぼくたちは頑張って訓練して、みんなを守る強い戦士になりたい。そうしていつか人類を救う英雄になるんだ、って。アガルタでそういう映画をたくさん見たよ。あのころはみんなが勇敢なヒーローに憧れてのめり込んでた」
そうして一生懸命に多くのことを学んで、皆は子どもながらに共通した志を胸に抱いて少しずつ大きくなっていった。
「だけど、アガルタを離れる年が近づくにつれ、ぼくは外の世界が怖くなった。映画で見てきたあの戦場に自分が飛び込めるほど勇敢じゃなかったっていうか、やっぱり向いてないってわかったから」
だからそんな現実から逃がれるように、次第に興味が違うものに向いていって。読書と機械への好奇心に溺れることが自分のためになるのだと自覚したころには、工場群島で軌道甲冑の部品を組み立てる一人になっていた。
【そんなハルが、今やこうして軌道甲冑を自在に操る宇宙の騎士だわ。人間ってのは、やっぱり時間を糧にして移ろいゆく生き物なのね】
「騎士、って……あの、原始時代の、ゴテゴテとした金属の塊を着てるやつ?」
旧世界遺産の記録にあった画像がぼんやりと脳裏をよぎり、今の自分とは似ても似つかなかったため意図を掴みかねてしまった。
【ふふ、そうそう、そういうの。うちの知ってる娘にさ、そういう古くさいのが大大大好きな変わりものがいるの。ほら、軌道甲冑の〝甲冑〟って騎士の鎧のことじゃない?】
きっとASの友だちのことを話してくれているのだろう。ただハルタカ自身、スプトニカ以外のASには近づけた経験がない。人間を嫌っている娘が多い、という台詞がふとよみがえる。
【――ところで、このアガルタってのはやっぱ妙だわ。うちは近距離戦特化型だから、他の娘ほどスキャン精度が出せてないけど、それでも気になった点がいくつか見えてきた】
彼女の説明に連動して、こちらの網膜下端末上にアガルタの透過図が送られてきた。像の荒いレーザー点群データと光学撮影、熱赤外撮影を合成した解析画像。それにどこから拾ってきたのか、アガルタの設計図まで重ね合わせてある。
【電源や推進器が生きてるのはまだ理解できるの。いくら使わなくなったコロニーだからって、他所との衝突事故の可能性があれば移動させる必要があるもの。シリンダーの側面に何か所か小さな穴が開いてるのが例の衝突事故の傷痕かしら。補修工事の半ばで放置された痕跡がある。ほら、このあたりよ……】
わざわざミニチュアサイズのホログラムが現れ、ハルタカに当該位置を示してくれる。
「調べたんだけど、輸送用の軌道船が暴走して外壁部に突っ込んだってことらしい。開いた穴が居住区まで到達して、内部の気密が失われた。当初は補修して再利用することを目指していたみたいだけど、こんな大がかりな宇宙施設なんて手に負えないって、コロニー計画自体が見直される結論になった」
【ところがね、そんないわく付きのコロニーなのに、うちのセンサーが気になるものを拾ったの。このアガルタ……中に何かおかしなものがある】
アガルタの解析図を見渡すと、容積の大部分が低い温度で保たれていることを示す暗青色で着色されている。コロニーの大半を占める居住区エリアなど完全に暗転した状態だ。一方でシリンダー構造の中心――遠心力によって重力を得るための回転軸や動力区画、発電プラントなどの構造上熱を発生するエリアは、居住区よりも暖色系に寄った色合いで強調されているのがわかる。
そして、シリンダーの基底部エリアに、不自然に黄色がかった区画が浮き彫りになっていた。
「なんだろう、並びに法則性があるな。同じ形をしたものがたくさん配置されているようにも見えるけど……」
それも十や二十の数ではない。三次元的に全景図を見渡すと、黄色の区画はシリンダー断面に沿って、ちょうど規則的なドーナツ状に並んでいるのがわかる。
【うちの推測だと、無数にあるこれらは人工子宮プラントよ】
彼女の言ったことが咄嗟には理解できなかった。だが、網膜下端末に映るアガルタの解析図――その内部がスプトニカの観測と演算処理によって暴かれていくにつれ、彼女の訴えようとしたものの意味がハルタカの恐怖心を煽り立てる。
【保育コロニーの基底部には発電プラントや制御区画の他に、人工子宮プラントが備わっている。地上国家時代に大量保存された受精卵のライブラリーから、必要に応じて赤ん坊を誕生させる保育器の管理施設ね】
熱源が別の画像で再現される。画質は粗いものの、規則的に並ぶそれらは全て円筒形の容器に見えた。そこから生まれたハルタカ自身も、さすがに実物がどんなものだったかまでは覚えていない。だが、こうして科学的根拠を突き付けられては、それがいま稼動している事実を否定できなかった。
【――つまり、廃棄された無人のアガルタで、未だに人工子宮プラントが稼働している。しかも、事故で横っ腹に風穴を開けた状態で、補修工事も断念したのに。明らかに不自然。絶対になんかあるわよね?】
センサーが導き出した情報に、スプトニカの言葉が明確な意味を与えた。
かつてハルタカが生まれ育った町は今や闇色の空洞ばかりで、そこに生命の光はない。そんな都市機能の死んだ保育コロニーで、育てる環境が失われたままなのに新たな生命が生まれようとしている。一体何のために? 誰が望んで?
心臓がざわつく感触に耐え切れなくなり、突き動かされるようにハルタカは彼女の躯体から離脱していた。
「――中を調べよう。アガルタで何が起きてるのか、この目で確認する必要がある。本来なら担当管理官にこの状況を報告して調査隊を編制するべきだけど、ことにスプトニカが関わってる以上は、ぼくたちだけでやるしかない」
スラスター噴射でVX9をターンさせ、機体をアガルタの外壁部に接近させる。スプトニカは離れたこちらを追随しては来ないが、代わりに小ホログラムが視界に現れた。
【やっぱり今回は大きな危険を伴うミッションになるわ。うちはブッ壊すことと観測することならできても、内部潜入は体がデカすぎて無理なの。だから小回りのきくハルの活躍にかかってる】
彼女の返事を聞いて、これを潜入ミッションとするならどのように行動すべきかを、すぐに脳裏で組み立て始める。宇宙港があるコロニー基底部から突入するにしても、いくつもの隔壁を超える必要があるのが厄介だ。
「わかった、実動隊はこっちに任せて。スプトニカにはバックアップをしてもらえるのかな?」
【当然よ。ここの電源がまだ生きてるんなら、うちの演算能力の出番。たいていのセキュリティは突破してあげる。うちとハルが繋がってる限りは一心同体、渾然一体なのよ、相棒】
などと、なりの小さなホログラムで自慢しげな表情を浮かべると、VX9の頭上に浮かぶスプートニカハリオン本体が太陽電池パドルを広げ始めた。