軌道をめぐる同行者7
翌日、検査を受けて退院したハルタカは、ある約束を果たすべく休暇を過ごすことにした。
これは居住区と反対側の円環型モジュールにある、商業区のさなかでの出来事だ。
ジェミニポート内にある商業区の一帯は、かつて地上で経済活動が行われていた時代の街並みを模した造りをしている。もっともモジュール規模からしても敷地面積ははるかに狭く、目的も経済を循環させることにはない。
あくまで主眼にあるのは、閉塞感の強い基地生活において、子どもたちに娯楽と休息を与えつつ交流の場となること。基地内外での行動評価に応じて獲得できる点数と引き換えに、通常の支給品とは異なる食事や買い物を楽しむことができるのだ。
飄々とした足取りのスプトニカが通路の先を行く。ハルタカは、自分にしか視認できないこのとんがり耳と尻尾の生えた女の子の背を追い、どうしてなのか幼年期時代の懐かしい風景を垣間見ていた。
――思い出してみればアガルタにいたころ、街ではこんな感じでルリ姉のうしろについてばかりいたな。
あの頃と似た、穏やかな時間のさなかにいると錯覚してしまいそうだ。もっとも、いま自分を導いて歩くのは姉ではないし、こうなったのもただならぬ巡り合わせの結果なのだが。
気がかりだった基地内の雰囲気は、身構えていたほどではなかった。ここまでで顔を合わせた顔見知りたちは皆、ハルタカだけが生還したことを素直に喜べない顔をしていたが、それも致し方ないことだろう。
【――せっかくのデートなのに、顔暗いなあ。ハルはずっとうちと話がしたかったのよね? うちにめちゃんこ付きまとってたもんね。せっかく憧れの女性と出会えるって夢が叶ったんだから、もっと嬉しそうにしなさいよ】
困り果てたようにとんがり耳を伏せ、尻尾を左右に揺らす。ああして今の心情をアピールしているのだと、無意識に分析していた自分に悲しくなった。
「あはは、その〝デート〟というのが何かも解説願いたいところだけど、こうしてASとの対話が実現されたのは事実だものね。そうしてもっと君たちについて教えてもらえたなら、長年の夢にまた一歩近づけるのにな……」
昨日出会ってから、スプトニカとは万事この調子だった。
これまでASとは、まだ地上に領域国家が存在した時代に配備された、軍事衛星の生き残りだと考えられてきた。命令を与える国家が滅びた現在も、与えられた命令だけを信じて戦い続ける哀れな無人兵器なのだと。
だが、その頭脳に宿るAIの正体がこんなヘンテコな女の子だったなんて、長年ASを追ってきたハルタカ自身も愕然とするしかない。
――そもそも自分はASの人格プログラムじゃないとか言い張ってたな。じゃあ何なの、肉体のないホログラムのくせに〝知的衛星生命体〟だとか意味不明だし……。
そんな疑問を解消すべく、ASに関する情報を可能な限り聞き出そうと昨日から奮闘してきた。にもかかわらず、スプトニカはろくに答えないどころか、情報提供に条件まで付けたのだ。
【うちは命の恩人なわけで。ハルはうちにデカい借りができたわけだし。なら、おとなしくうちに利用されておきなさい。人間って昔っからこう言うわ。長い物に巻き込まれろ、ってさ】
スプトニカにはある重要な目的があるのだという。つまりハルタカに接近した理由は、その目的とやらを達成する踏み台に利用するためなのだと、彼女は臆面もなく言ってのけた。
「……長いって、君の髪の毛のことを言ってる? それともその尻尾とか? まあ、巻き込まれていると言われれば、そのとおりだけど」
突然スプトニカが立ち止まった。長く波打つ薄紫の髪が、商業区の通りを行き交う子どもたちに触れる。が、誰ひとり知覚するものはいない。彼女自体がネット経由でハルタカにだけ見える幻影で、実体としてのASスプトニカは今までどおり地球軌道上を巡っているからだ。
そういえば、こちらを振り返った彼女の顔が引きつっているのに気づく。
【あのね、ハルは生まれながらの天然君なの? あるいはこいつが文化圏の違いってやつなの】
こっちからスプトニカに話しかけると傍目には独り言みたいに見えるから、〝余計なことは喋るな〟と警告しているのか。
だから今度は口をつぐみ、網膜下端末越しにテキストメッセージで応答してやる。
〝ごめん、スプトニカの言ってる意味をわかってあげられなくて〟
【…………むー、これは重症のようだわ。さっきのはね、ハルをからかっただけなの。わざと間違えて言ったの。正しくは〝長い物には巻かれろ〟っていう昔の諺があるのよ】
けれどもハルタカには、その〝コトワザ〟という言葉すら初めて聞いたくらいだった。
〝でも、スプトニカの重要な目的というのは何なの? わざわざ人間のぼくに活路を求めたと解釈すれば、ASだけでは解決できない困難にぶち当たったのかなと推測はできるけど〟
【だから、まだ秘密よ。〝物事には順序ってもんがある〟って昔の人たちも言ったじゃない?】
「――いやいや、物事の順序を説くんなら、まず当事者たるぼくへの説明が先でしょう……」
反射的に声に出して反論してしまった。通路脇に並ぶ骨董屋の客が、不審そうな顔をしてこっちを眺めている。途端に気まずい空気になり、音声通話の振りをしてごまかした。
【とにかく、今回うちが与えた指令を達成しなさい。ハルがうまくやってのけたら、そこで取り引き成立よ。そうしたらASの秘密を教えてあげるわ】
そう言ってスプトニカがこちらの前で立ち止まり、前方を指差した。
【おしゃべりはおしまい。ちゃんと前向いてて。こっちは向かない。あの子、もう来てるわよ】
彼女が指し示した先――ちょうど商業区の中心地にあたる〈大水槽広場〉に、見慣れた姿が佇んでいた。
昨日から懲罰房で謹慎中だったルリエスと、両脇に風紀委員らしき二名。ハルタカが保護者として指揮室に掛け合い、ここで彼女の身柄を引き受ける手筈になっていた。
【さあさ、任務開始よ。ちゃんと約束を果たしてね、うちの英雄さん?】
スプトニカはそそのかすように耳元で囁くと、それはもう満面の笑顔をつくってみせた。