Ep.4.12 皆の笑顔の為に Ex.変身
「だいじょうぶだよ」
震える私の袖を剛志が引っ張る。
窓の外から視線を外して振り向くと、剛志が微笑んでいた。
この言い知れぬ恐怖を剛志は感じていないのか、私の気のせいなのだろうか。
いや、違う。
だいじょうぶ、その一言がそれを否定する。
「つよくん?」
剛志の微笑みに私はいつもなら安心するのに、とてつもなく不安に思えてしまった。
だいじょうぶ、の言葉に隠された強がりなんかとは違う、剛志のことを失ってしまうような不安。
「ここちゃんのえがおは、ぼくがまもるから」
剛志の言葉に、私は心臓が止まるかと思った。
剛志は、わかっているのだ。
この状況を、わかっているのだ。
そして、私も、わかった。
この状況を、わからされた。
「……ダメよ、つよくん。変身したら、ダメ!!」
剛志の言葉と微笑みに引っ張られるように、ようやく私も状況を理解出来た。
いや、飲み込めたというべきか。
さっき調べたばかりのことが、どれも真実だという残酷さと理不尽さを飲み込めた。
つまり、私には死が迫っていて、それを助ける役目は剛志だということ。
そして、その役目を全うしてしまえば、剛志が死んでしまうということ。
唸り声が近づく。
迫る恐怖に震えが止まらなくなってきた。
皮肉にも今やっと、私は息子からの愛を実感している。
ママと呼ばれるまで、私はやっぱり他人のままなのだと思っていたのに。
剛志は私のことをちゃんと愛してくれている。
なのに、なのに!!
私は自分の首筋を触った。
何の違和感もない。
何の違和感もない!
何の違和感もない!!
私は首筋を引っ掻いた。
皮膚が爪に抉られ、血が指につくのがわかる。
痛みなんてどうだっていい。
血が流れようがどうだっていい。
だけど、だけど!
生温かいままだ。
私の体温、そのもののままだ。
冷たいと、冷たいと書いてあった。
痣は冷たいのだと、書いてあったんだ!
ああ、ああ、何故?
何故なの!?
「つよくん、私は!……私は、つよくんのこと、愛しているんだよ。本当に、本当に、愛しているんだよ!?」
怖い。
たまらなく怖くて、剛志の事を抱きしめた。
私は、剛志のことを愛していないのか?
剛志は私のことを愛してくれているというのに。
痣が浮かび上がるほど、愛してくれているというのに。
そんなこと……嘘だ!
「ここちゃん、泣かないで」
剛志にそう言われて、私は涙を流していることに気づいた。
こんなもの流れたって、何にも変わらないのに。
こんなもの流れたって、痣は浮かび上がらないのに。
涙は止まらず、流れ続けた。
「私は、つよくんのことを愛しているの! だから、私が、私が! 私が、貴方を守らないといけないの!」
叫んでも、願っても。
愛しているのに、守らないといけないのに、私の首筋には痣が現れなかった。
唸り声が近づいてくる。
私は――
剛志を守りたい。
剛志に守られたい。
→ここから逃げ出したい。
剛志を死なせる訳にはいかないし、私だって死にたくない。
私は剛志を抱き抱えて立ち上がると、玄関の方から迫る唸り声から逃げる為に、ベランダへと駆け出した。
団地の二階、この高さなら飛び降りても死にはしない。
「ここちゃん、どうするの?」
「大丈夫、私に任せて」
ネットの記事に書かれていたことによると、愛される側である私が殺されない限り、迫り来るモンスターはその追走途中にある全てを壊していくらしい。
壊していく、なんて生易しいものじゃなく殺していくのだろう。
私が逃げることで他の誰かが、無関係な誰かが殺されることになる。
それは先程から聞こえる誰かの悲鳴で嫌でもわからされてる。
でも、私だって死にたくない。
こんな理不尽な話に、自分の命を差し出そうなんて思うほど人生を達観していない。
だけど、だからといって剛志がヒーローだか何だかわからないものに変身して死んでいくのを受け入れる気だって無かった。
私一人が逃げたって、剛志は私の為に変身することに躊躇しないだろう。
そんなの受け入れれるわけが無い。
私は意を決して、剛志を抱えたままベランダから飛び降りた。
ベランダの下は住人が園芸を楽しむことを自由としていて、土が敷かれていた。
二階の高さだし、下は土だしで、ちょっと余裕に見ていたのだけど、普段こんな飛び降りしたことは無かったし、最近運動不足気味だと思っていたのが、しっかりと足首に来た。
着地の衝撃に捻った足首の痛さを堪えつつ、とにかく私は唸り声のする方から離れようと駆け出した。
痛さに上手く走れないけど、とにかく走らないと直ぐに追いつかれてしまうと迫る恐怖を背中に感じた。
駐輪場に向かって走る。
自転車に乗れたら、ただ走るよりマシなはずだ。
車を持っていないことを悔やまれる。
とにかく自転車で何処か車通りのある所に出て、タクシーを呼んで逃げよう。
こんな事態をどう説明すればいいかわからないが、警察に駆け込んで匿ってもらおう。
警察に頼めば、どうにか――。
私の考えを遮るように、駐輪場がある場所から何か壊すような音が聞こえた。
嘘だ、さっきまで後ろの方で聞こえていたじゃないか。
何でもう先に回り込んでいるんだ。
そんなことが出来るんなら、最初から目の前に現れたらいいのに。
じわじわ遠くから迫ってくるものだと思ったから、こうして逃げてるというのに。
弄ばれているのだろうか。
どこまでもふざけた話だ、最悪だ。
どうしたらいいんだと、私が足を止めていると――
「つよくん! 無事か!?」
聞きなれた声に、私は振り向いた。
私が強く抱きしめていたから苦しそうにしていた剛志も、声の主がすぐにわかったのか反応していた。
「そだい!」
街灯の光に照らされるその姿には見覚えがあった。
毎朝毎晩聞かされる声、あの日帰り道に出会った人物。
古田穣治の姿がそこにあった。
「つよくん、まだ変身はしてないみたいだね」
近づいてきた古田穣治は、剛志の首元の痣を見るやそんなことを言ってきた。
「どういう意味ですか? この痣について、何か知ってるんですか?」
剛志に痣が出来たなんて、古田穣治が知る由もない話だ。
何故知っているのかとか、その言葉はヒーロー・チェーンに関係があるのかとか、聞きたいことが尽きない。
「つよくんのママさん――えっと、名前聞いてませんでしたね?」
「知念です。知念、心結」
「知念さん、あの、今の状況って何処まで理解してますか?」
質問してるのはこっちなのに、古田穣治は質問ばかり返してくる。
けれどそんなことに文句を言ってる場合では無いので、私は自分が理解してる範疇を古田穣治に説明した。
こんなタイミングで現れた古田穣治がこの状況を打開する何かであればと、藁をも掴むような気持ちで説明していく。
「そうですか。概ねヒーロー・チェーンについては理解されてるんですね。だったら、話は早いです。後のことは俺に任せてください」
「……え? どういうことですか?」
願ってもない言葉であったが、だからといって何の説明も無く鵜呑みできる言葉ではなかった。
任せたからどうなるのかとか、そういうのをちゃんと聞かないと任せるに任せられない。
「俺も、ほら、首元に痣があるんです」
古田穣治がそう言うと、何も無かった古田穣治の首筋に痣が浮かび上がってきた。
「え? どうなってるんですか、これ?」
「俺もね、ヒーロー・チェーンのヒーロー候補だったんです。でも、俺が愛した人は俺を守る為に自ら死を選びました」
都市伝説の生き残り。
都市伝説レベルのヒーロー・チェーンが明確に伝わっている以上、生き残りがいることは考えられる話であったがまさか古田穣治がその人だとは。
「彼女は、モンスターに殺されることを拒んで自分の手で死んだんです。モンスターに殺されることも無く、ヒーローになることも無く、生き残りが生まれてしまった。それから俺は、自分の意思でヒーローになる事ができるようになってモンスターを撃退出来るようになった」
理不尽な都市伝説の穴として生まれたのか、元から想定されていた事態なのか。
ヒーロー役を演じていた古田穣治が、まさに皆のヒーローに変身してるだなんて。
「それでも都合よく何処にでも駆けつけれるわけじゃない。モンスターの発生はこの痣が疼いてわかるのだけど、直ぐに近くへ飛べたりしないから、間に合わないことのほうが多い」
「もしかして、何度かモンスターを退治してるんですか?」
「はい、ちゃんと間に合った時は。あ、もちろん変身したからって俺の場合は死んだりしません。イレギュラーになったみたいで」
イレギュラー。
本当にそうだろうか?
例えば、口裂け女とか。
都市伝説にはその回避方法が用意されてたりするじゃないか。
それが古田穣治のケースだったという事じゃないのだろうか?
完全な回避じゃないところが、何とも理不尽さを倍増してるようにも思える。
「そだいなら、モンスターをたおせるの?」
「そうだよ、つよくん。アイツのことは俺が倒してくるから、つよくんはママのそばにいて守ってあげてね。あ、変身は俺がするからつよくんはしないように」
古田穣治はそう言って剛志の頭を撫でると、モンスターのいるであろう方向をキリッと睨んだ。
「それじゃあ、ちょっと不安になるかもですけどここで待ってて貰えますか? あんまり離れちゃうとモンスターが知念さんの方に飛んじゃいますから。このぐらいの距離だと恐怖心煽る為にゆっくり歩いて近づいてくるんですよ、アイツ」
嫌な仕組みだと心底思う。
自然的な発生じゃなくて人為的なモノを感じる。
こんな理不尽な都市伝説を作り出した誰かがいるのかと思うと吐き気がしてきた。
「そだい!」
剛志が古田穣治に向かって親指を立てる。
「がんばって!」
「ああ、任せとけ」
まるで特撮番組みたいに爽やかな笑みを浮かべて古田穣治は、親指を立てて返した。
命のやり取りをこれからするというのに、そんな感じを微塵も感じさせない。
「俺が、彼女に救ってもらったこの俺が、必ずこの理不尽な話を終わらせるから、見ててくれ。俺の――」
浮かび上がった首元の痣が、その黒が、古田穣治を染め上げていく。
皮膚はだんだんと剥がれていき、そこから剥き出しになるのは血肉ではなく、光だった。
眩い光を放ち、古田穣治の姿が変身していく。
私はそれを見届けるしか出来ず、ただ未だ拭えぬ恐怖に剛志を抱きしめるだけであった。