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.9 首筋

 三日もすれば剛志の首筋に出来た怪我はあとすら無くなるほど綺麗に治っていて、私は若いって羨ましいなぁと年寄りじみたことを考えてしまう。

 私なら小さい怪我でも一週間ぐらい残りそうなものだ。


 剛志は最初こそ気に入っていた首の包帯を次の日の保育園の帰りには煩わしそうにしていて、怪我が治った時にはやっと付けなくていいのかと喜んでいた。


 それから暫く、何事も起こらない平穏無事な日々を過ごした。

 剛志はまさはるくんときょうへいくんと良好な関係性を築けたみたいで、保育園に迎えに行くと三人で遊んでる姿を見ることが出来るようになっていた。

 そうして首筋に出来た怪我の事もすっかり忘れてしまっていた、ある日の夕方。


「ここちゃーん、おかえりー」


 友達との別れを済ました後、剛志は肩からカバンを提げて教室から駆け出して出てくる。

 剛志の元気一杯の笑顔を見ると、日々の大変なことを忘れさせてもらえる。

 大丈夫、この笑顔があるなら私はやっていける。

 と、剛志の笑顔を見る度にストレスがリセットされていると思い込んでいる。

 そうして踏ん張らないと弱音を吐き散らしてしまいそうだった。


「つよくん、おかえりー」


 行ってきますの挨拶と同じように、おかえりの挨拶も繰り返す。

 そして、剛志を抱きしめた時に私は違和感と既視感を抱いた。


 剛志の首筋に、痣。

 縦に細長い、黒い痣。


「つよくん、首どうしたの?」


「くび?」


 剛志は自分の首を触りだした。

 その様子にふと思い出す首筋を怪我したあの日の光景。

 あの時と同じ様に、それでいてあの時とは違う様に。


 痣の辺りをすぐ触らないところからして、痣について思い当たる節も、痛いわけでもないようだ。


「知念さん、ちょっといい?」

 

 剛志が痣について何かを言ってくれるのを待っていると、奥から保育士の先生が声をかけてきた。

 年配の女性の保育士に、私は以前と同じだったらとつい警戒してしまう。

 友達とは良好な関係を築けていたはずだから、新しい心配事が増えるのは勘弁だ。

 それに前回の件があってから、同様の事があればまず電話連絡を頼んでいたのだが今回も連絡はなかったので、何かあったのだとしたら約束の反故が真っ先に明らかになる。

 そうだとしたら、いい加減この保育園との付き合い方も考えものになる。


 年配の保育士は困り顔と言うか、不思議だと言わんばかりに眉をひそめてこちらに歩いてきた。

 喜ばしい話じゃなさそうだけど、前みたいにイジメの仲裁をしたとかそういう話じゃなくて、保育士自身も自分が何と言えばいいのか悩んでるみたいだった。


「はい?」


 待ってみても次の言葉を切り出さない保育士に、問い返して促した。


「剛志くんの痣のことなんだけど……」


「何かあったんですか?」


 何を言い出したいのかさっぱりわからないので、私は早く言ってよと思いながらまた促した。

 モヤモヤするこの瞬間が、凄く嫌だ。


「ううん、逆。何も無かったの」


「何も無かった?」


 首を横に振って否定する保育士に、だったらわざわざ呼び止めたのは何だ?と思ってしまうが、それは口に出さなかった。

 普段はこんなに敏感に苛立ったりしないのに、剛志の事となると焦りが出てきてしまう。

 剛志に何かがあったら、私は駄目になってしまうから。


「そう、剛志くん別に何かぶつけたとか引っ掻いたとか、そういうのは一切無くて、痣だけ突然現れたの」


「えっと、何か病気ですかね……」


 血の巡りが悪いとか、そういうもので内出血が突然肌に現れるとかは聞いたことがあるのだけど、こんなにしっかりとした痣みたいなものとなると聞いたことが無かった。

 皮膚の病気とかなのだろうか?


「聞いたことないけど、一応連れてってあげた方がいいと思う」

 

「わかりました。じゃあ、早速……」


 夕方六時前。

 この時間なら、近くの個人病院にまだギリギリ間に合う。

 皮膚科だとかそういう専門のところではないのだけれど、とりあえず診てもらってどの科に行くべきだとか診断してもらおう。


 剛志を抱き上げて自転車の後部座席に座らせる。

 だんだんと抱き上げるのも剛志の成長に伴って辛くなってきた。

 後部座席はまだ剛志一人で登れる高さじゃないので、もう少しだけ頑張らないとなと踏ん張る。

 

「じゃあ、つよくん、行こっか」


 保育士に一礼して、自転車に跨り、出発する旨を剛志に告げる。


「せんせい、さようなら。みなさん、さようなら」


 後部座席に座りながら、送りにと顔を出してくれた保育士の先生方とまだ残っているだろう園児たちに頭を下げる剛志。

 別れの挨拶は最近保育園で教えられたらしい。

 バイバイ、と手を振っていた方が保育園児っぽかったのだけど、挨拶としてしっかり教えられているらしい。

 下げた頭、その首筋の痣がどうにも気になってしまう。


「ねぇ、ここちゃん、かえらないの? どこかいくの?」


 暫く自転車を漕いでいると、いつもと向かう方向が違うことに剛志も気づいたようだ。

 帰り道でも、買い物に行く道でもない、滅多に行かない道。


「んー、ちょっと病院にね」


「びょういん? ここちゃん、どこかわるいの? つよくん、わるくないよ」


 悪くなければいいと私も思う。

 どこも悪くなければいいと、私は願う。

 剛志は平穏無事、五体満足であって欲しい。

 あり続けて欲しい。


「んー、それを調べに行くの」


「びょういん、すきじゃないなー」


 注射嫌いな剛志は病院の事があまり好きじゃないのは知ってる。

 私も注射は苦手なので、気持ちはよく分かる。


「私もー」


 行かなくてもいいのなら、病院はあまり行きたい場所ではなかった。

 自分のことだとしても、剛志のことだとしても、誰かの見舞いだとしても、誰かの死に際だとしても。

 大人になってなおさら病院はあまり行きたい場所では、なくなった。

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