.7 相対性理論
佐波滴は、その後も何度か声をかけてきてくれた。
自分の仕事もあるだろうに、私が忙しそうにしていると構わず気遣ってくれた。
私はそれを素直に受けたり、断ったりしていた。
心の穴を埋める。
その為の仕事という行為を、他人に委ねるというわけにはいかなかった。
それでも断り続けるのも悪い気がしたし、周りの目もあった。
人気者の佐波滴の心遣いは受けても断っても、女子の目は厳しいものだ。
だから私は、敵を作らない程度にバランスを保っていた。
そんなストレスになりかねないバランスは、佐波滴によって軽々と崩された。
「木根さん、このあと時間ある? ゴハン一緒にどう?」
ある大きな仕事がひとつ、区切りの付いたところだった。
少しばかりの達成感を感じていた私は、バランスについて気を回すのも忘れて素直に頷いてしまった。
佐波滴は織田翔と違って、料理店を色々と知っていた。
何が食べたいと訊かれ答えれば、近くにある店を紹介された。
車に乗って二人きりでお店に向かう。
車内では仕事の話をしていたけど、料理を前にしてはプライベートの話になった。
佐波滴は話の進め方も話の聞き方も上手だった。
普段仕事の話しかしていなかったから別の話はそれだけで新鮮で、佐波滴の話の仕方はとても面白く、私は佐波滴との会話に没頭した。
先輩後輩、仕事仲間、そういう関係から恋愛感情を抱く関係になるまで、三ヶ月かかった。
佐波滴という男は申し分無い《いい男》だ。
恋愛するなら悩む必要のない良物件だ。
女性にこなれた感じはあるが、不真面目ではなく。
仕事は順調に出世ルートを進み、お金も持ってる。
優しさと厳しさを併せ持っていて、《つまらない男》でもない。
だから、三ヶ月というのは時間がかかったかもとも思う。
佐波滴から食事の誘いが二度三度と続いたのをきっかけに、私も行為を抱き始めていてもおかしくはなかった。
だけど私は、遠慮してしまったのだ。
織田翔と別れて、まだ半年足らずだということに。
夢の為に私を捨てた男に、私は遠慮してしまったのだ。
その遠慮が薄らいでいったのが、佐波滴に誘われ始めて三ヶ月経った頃だった。
佐波滴のアプローチは端から見ていても明らかで、職場の女性陣も嫉妬するのを諦めたようだった。
そう、全てが薄らいでいったから。
私はまた、恋をした。
「今日は食事どうする? 何が食べたいものある?」
いつものように優しくそう問われたので、私は素直に今食べたいものを答える。
「わかった、美味しそうなお店、調べてたんだ。今日はそこに行ってみよう」
佐波滴の車に乗るのも、すっかり馴れてしまった。
助手席から見える景色は様々だけれど、隣に座る佐波滴の横顔は見馴れてきた。
何故だか安心する横顔。
もう私は、彼に安心しているんだ。
私が私自身の感情を認めてしまえば、佐波滴と付き合うことになるのに何の隔たりも無かった。
改めて口にするのも恥ずかしかったので、さりげなく確認するに留まったけれど、私と滴は恋人になった。
私の心に空いた穴を埋めたのは、滴だった。
滴と付き合い始めて、三ヶ月が経った。
楽しい時間は速く過ぎるとかなんとか、時間が経つのがあっという間だ。
相対性理論的なアレだ。
何度も言ってしまうが、滴は《いい男》なので、二人の関係が恋人になるにつれ、より濃厚な時間になった。
学生時代の夏休みの絵日記なんて書こうものなら、ページ数が足らないことに悩むだろうし。
そもそも夏休み中に書ききれるかも疑問だ。
そうやって過ぎた三ヶ月だから、濃厚かつあっという間で、そして本当に三ヶ月しか経っていないのか?、という疑問すら湧くほどだった。
だんだん滴とは長年付き添った間柄に感じるようになってきた。
それでいて全てが新鮮なのだから、不思議でもある。
でもやっぱり、まだ三ヶ月で。
彼にとってはまだ一年足らずだった。




