#1 止めてくれるな
一次創作は初めて書きます。最後まで書ききれるよう、閲覧・応援のほどよろしくお願いします。
雨野あきら
眠らない街・東京って本当なんだ。
私は適当なビルの屋上から、夜中だと言うのに明るすぎる景色を見てそう思った。
パワハラ上司、サービス残業、手当無しの休日出勤、少ない手取り、お小遣いのようなボーナス、いつか潰れそうなセンスのない会社、先の見えない日本、やりたいこともないし、あったって出来そうにない未来。どうせ私は必要とされてない。なにも出来やしない。居るだけ無駄な存在だ。明日なんて来なければいいのに。私なんて消えてしまえばいいのに。
死んじゃおうかな。
サービス残業中に思い至った私は家にも帰らずフラフラと街をさまよいながら、飛び降りるのに手頃なビルを探した。今どき扉も施錠もされていない外階段があるビルなんてなかなか無くて、運良く見つけることが出来たけれど高さはまあ…五階以上はありそうだった。一瞬昇るのが面倒だなと戸惑ったけれど、その分ちゃんと死ねるだろうと息が上がるのも厭わず階段を昇った。七階まであった。途中で嫌になりそうだったが人生最後の運動だと思えば辛さもマシになった。死にきれないのは面倒だ。
屋上に辿り着いて息を整えて漸く、風が冷たいことに気がついた。そりゃあ寒いよな、まだ二月だし。そういえばコートはどこにやったっけ。ああ、ロッカーに掛けたままだ。忘れて来ちゃったな。
でもまあいいか、死ぬんだし。
コツンコツン、自分のハイヒールが音を立てる。錆びた鉄柵に触れると、ザラザラとした砂汚れが手に着いた。ああ気持ち悪いな。そう思っても我慢した。私の目的はこの鉄柵を越えてここから飛び降りることだったから。
そういえば、私の人生は我慢の連続だった。弟が産まれた日から急にお姉ちゃんになり、独り占めだった親から相手にされないことが増えた。小学校で備品を使うときも、他の子に譲ることが多かった。高校生になって好きな人が出来た時も、同じクラスの可愛い子が協力してくれと言うから黙って頷いた。大学に入って出来た彼氏は一方的に要求を押し付けてくる人だった。そして社会人になってからはこのザマ。
だから私はもう我慢をやめる。苦しくて辛いところにはもう居たくない。この世なんてどうせどこに行ったって変わらないんだ。
タイトスカートが捲れ上がるのも気にせず、鉄柵を跨いで屋上の縁に立つ。下から風が巻き上がって来るようだ。地面を見下ろすと、想像が現実になった高低差に掌がじとりと汗をかいた。指先はすこし痺れて、激しい鼓動が上半身全てを揺らしているように感じる。
高いところ、苦手だったわ。ジェットコースターもフリーフォールも、なんなら観覧車だって苦手だ。いつ落ちるか分からないし、機械に命を握られている感じがたまらなく嫌で。それなのに今から落ちて命を投げ捨てようとしているのだから滑稽だ。
一度深呼吸をして、地面から逸らした目を空に向けた。
頭によぎったのは親友の顔だった。最後に今までありがとうってメッセージ送ろうかな。楽しいことも沢山したし、とてもお世話になったし。だけどメッセージの後に自殺したなんて知ったら気持ち悪いか。でもごめん、やっぱりありがとうって思うから伝えさせてね。
私は汗ばんだ片手を柵から離してスマホを取り出し、慣れた手つきでメッセージを打った。最後にやり取りしたのは三日前で、今度ご飯に行こうよと誘ってくれていたのに返事をしていなかった。これもごめん、行けそうにないや。
メッセージ画面に雫が落ちた。
思い出せば思い出すほど、なんで私はもっと上手くやれなかったんだろう。どうしてこんなふうになっちゃったんだろう。どこで何を間違えたんだろう。私の何がいけなかったんだろう。
下手くそでごめんなさい。ちゃんと出来なくてごめんなさい。私はもう、頑張れません。大切にしてくれていたのに、本当にごめんなさい。
涙でぐちゃぐちゃに濡れたスマホを律儀にジャケットのポケットに仕舞って、私は目を閉じた。
ごめんね、お父さん、お母さん。それからついでに弟。
そして腕を伸ばして体重を前にかけた。指を一本ずつ、ゆっくりと開いていく。
どうか私のことなど忘れて、大切な人たちが苦しまずに生きていけますように。このクソッタレな世の中に居るかもしれない神様、よろしくお願いします。
そして親指と人差し指が柵から離れたとき。
「その魂、要らないなら俺にくれよ」
後ろの方から声が聞こえて、落ちようとしていた身体がまるで石になったように止まった。
「なあ、取引をしよう。」
振り返ってはいけない気がする。この声の主を見たらもう二度と戻れないような、そんな根拠は無いけれど確かな恐怖。
しかし身体は操られているように勝手に振り向こうとしている。
「互いの望みを叶え合おうじゃないか」
そして、そこにいたモノと目が合った。
これが私と悪魔との出会いだった。
□
「俺はアル・シラ。悪魔だ。お前と取引をしに来た。」
ぬいぐるみが宙に浮いて喋っている。私の第一の感想はそれだった。とうとう頭がおかしくなってしまったのかもしれない。
暗闇で光るふたつの目玉はボタンみたいだし、二頭身の身体はふわふわで手触りが良さそうなファーで包まれている。コウモリのような羽と羊のような角は悪魔らしいといえばそうだけど、それにしては随分ファンシーだ。
「お前は人間の女で間違いないな?」
ボタンみたいな円な瞳がこちらを見ている。未だに現実か夢か処理しきれていない頭でこくんと頷くと、悪魔のぬいぐるみはニタァと音が出そうに笑った。ファンシーだけど可愛くないな。
「そんなところで話もなんだ、こっちへ来い」
「へ…?え、ちょ」
ぬいぐるみがむくむくの指の先にあるちょんと尖った爪をクイっと動かすと、私の身体はまるで超能力かマジックのショーのように浮き上がり、わざわざ乗り越えた柵を戻ってぬいぐるみの前に降ろされた。意味不明な出来事にぽかんと座ったまま呆けている私の周りをぬいぐるみが品定めするように飛び回った。
「ふんふんふん、なるほどな。」
「な、なに…」
「特別他の悪魔に唆されたわけでもなく今日を迎えたのか。地味だからか?」
「……」
なんだこのぬいぐるみ。初対面で人のことをまじまじと見た後に地味と発言するデリカシーのなさ。悪魔だからか?
「ふふん、悪くない。さあ人間、お前の魂を俺によこすと言え。」
「嫌」
「………なんだって?」
「お断り致します。」
「はあ?!」
慌てるぬいぐるみを置いて、私は再び柵の向こう側を目指すべく立ち上がり歩き出した。その後をパタパタと羽の音を立てながら悪魔が着いてくる。
「くそっ!なんでだ!おい!お前が不要だと言うのを貰ってやると言ってるんだぞ!」
「自分で死にますのでお構いなく」
「痛い、怖い、グロいを回避出来るんだぞ?!」
「覚悟した上で来ているので」
どれにしたって飛んでしまえば一瞬で終わりだ。たった一度勇気を出せばそれでいい。
最後くらい自分の意思で終わらせたいから、邪魔をしないで欲しい。久しぶりに感じた欲求がそれと言うのも変な話だけれど。
「飛び降りはグロいぞ!頭が割れる!」
「知ってます」
「そんな姿で別れさせられる身にもなってみろ!」
「…それは」
悔しいことに、確かにと思ってしまった。
さっき思い浮かべた親友や家族は、こんな私でもきっと死んだことを悲しんでくれる。この世でたったの数人だけの私の味方だ。
その人たちが、仮に私が飛んだ後の姿を見たところを想像すると、思ったように足を動かすことが出来なくなった。
”どうして何も言ってくれなかったの”
”もっと頼ってくれたら良かったのに”
”つらいなら助けたのに”
お通夜なりお葬式なりをやってくれるとしたら、こんな悔やむ言葉だって出るだろう。もしかしたら自分を責めるのかもしれない。
でも、これはあの人たちのせいでは無いし、あの人たちには何も出来なかったことだ。全て私が自分でちゃんと出来なかったのが悪いし、耐えられなかったからダメだった。何か言って頼ったところで、助けることなんて出来やしない。私の気持ちなんてわかるわけが無い。
だからどうか自分を責めないで。そして私のことも責めないで。もう、楽にならせて。私はここで自由になって幸せになれるんだから。やめて。こんな私を大事だなんて、大切だなんて言わないで。私にはそんな価値なんて最初から無かったんだから。私はあなたたちに出会えて幸せだった。だから出来ればその幸せを返したかった。でもこんな無価値な私にはそんなこと到底出来ないから。
「どうしたらいいの……」
私が私を助けるにはこれしかない。なのに、きっとあの人たちはこれで不幸を嘆くだろう。じゃあ一体、私はどうやったらいい?どうやって消えれば、傷つけないで済む?
「俺ならお前の身体を傷つけずに魂を貰ってやれる。」
「…」
「少なくとも、飛び降りるよりはマシだろ」
ああ、悪魔の囁きってこういうことなのかもしれない。
私はやっと動かせるようになった足をぬいぐるみの方へ向け直した。ファンシーな悪魔のぬいぐるみは、変わらずボタンのようなふたつの目玉で私を見ていた。
お楽しみいただけましたでしょうか?
もし良ければ、ぜひ次話もご覧下さい。
うちにもフワモコな悪魔のぬいぐるみ来ねぇかな。
雨野あきら